TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『源平布引滝』国立文楽劇場

和生さん、人間国宝認定おめでとうございます。さすが和生さん、我がことのように、いや我がこと以上に嬉しいです。

 

 

 

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『源平布引滝』。平家から源氏へ翻意した武将たちと、源平の争乱に巻き込まれる名もなき一家の悲劇を源氏の白い旗をストーリーの鍵として描く話。『平家物語』の「実盛最期」の前日譚にあたるエピソードが含まれる。

 

 

 

義賢館の段。自分の勉強用にあらすじまとめ。

京都白河の木曽先生義賢の屋敷。源義朝の弟である主人の義賢は病に伏せ、懐妊している妻・葵御前(吉田文昇)は臨月も間近であった。義賢の娘・待宵姫(吉田簑紫郎)が気遣いをしすぎる継母・葵御前を労っていると、百姓・九郎助(吉田文司)が娘・小まん(豊松清十郎)、孫・太郎吉(吉田簑太郎)を連れて庭先へやってくる。九郎助は小まんの夫で義賢に仕える奴・折平が家をあけてもう長いため、暇をもらえるよう頼みにきたのだった。折平は主人の使いで不在のため葵御前は中に入って待つよう案内するが、折平と恋仲だった待宵姫は妻子の存在に動揺を隠せない。やがて使いから戻った折平(吉田玉志)が庭先で取り次ぎを願うと、人目もはばからず駆け寄った待宵姫が恨み言を述べる。そこへ主人・義賢(吉田和生)が現れ、源氏の末孫・多田蔵人行綱に宛てた書状は届けられたかと問うが、折平は行綱の館が見つからずそのまま持ち帰ったと状箱を返す。しかし義賢は書状の封が切れていることから折平こそが多田蔵人行綱であると見抜く。源氏でありながら平家に仕える義賢に、折平は自分を行綱として清盛へ訴え出る気かと疑いをかけるが、義賢は庭の手水鉢を小松で割ることで源氏に本心があることを示し、源氏の白旗を掛け置いていつか源氏を復興させることを誓い合った。

そこへ清盛の上使・高橋判官長常(桐竹亀次)と長田太郎宗末(桐竹紋吉)が館へ白旗の詮議へやって来る。平家によって義朝の首と源氏の白旗は後白河法皇のもとへ届けられていたが、法皇がその白旗を義賢に預けたことを清盛が勘付いたのだった。しらを切り通す義賢に二人は兄である義朝の髑髏を踏んで誓えと迫るが、義賢は無念を耐え忍んで髑髏を足にかけたにも関わらず、なおも拷問に及ぼうとする長田太郎を殺害する。逃げていく高橋判官の姿に、援軍を呼ばれて自らは討ち死にするであろうことを覚悟した義賢は行綱と待宵姫に源氏の行く末を託して二人を屋敷から逃がす。事の次第を聞いていた九郎助は葵御前を在所で預かると申し出る。義賢は源氏の白旗とともに葵御前を一家に託すことを決意し、生まれ来るおなかの子どもと別れの盃を交わし、平家の無道者に甲冑で立ち会っては武具の穢れと素襖姿に着替える。現れた高橋判官、進野次郎宗政(吉田玉誉)ら討手に取り囲まれる一行、九郎助らも義賢と共に応戦するが、源氏の旗は葵御前の手から奪われて横田兵内(桐竹勘介)に渡ってしまう。義賢が奪い返した隙をついて九郎助は葵御前と太郎吉を連れて館を脱出、義賢は取り付いた進野次郎とともに自らを刺し貫き、その場に残っていた小まんに白旗を託して壮絶な最期を遂げた。

和生さんの堂々たる義賢が良かった。去年、勧進帳で冨樫で出演されてたときは大きな人形で大変そうだと思ったけど、今回はなんだか悠々としておられるように見える。とっても顔色がよくていらっしゃった。義賢が小松で手水鉢を割ることで源氏に本意があることを暗示する場面、なぜ手水鉢を割ったらそうなるのかよくわからなかった。台詞で説明があるが聞いてもわからなかった。義賢が引き抜いた小さな松には立派な根っこがついていた。

葵御前は臨月も間近の妊婦という設定だが、人形は普通の着付けになっているのね。帯のつけかた等はもしかしたら違うのかもしれないが、おなかを大きくするなどは特にない。所作も普通で、特に見た目での変化はつけないのか。この後の段で駒王丸を産んだあと出てきても見た目が変わるわけではない。

折平のスモーキーなスカイブルーに金・黒のストライプの縁のついた着物が美しかった。そして玉志さんの出番が一瞬で終了したので悲しかった。いや、こういう一瞬で出番が終わる役こそこなすべき演技そのものや人形の見た目以上のものを表現できる人がやらなくてはいけないのはよくわかるのですが……。特にこういうナチュラルにすごいドクズ役は……。

 

 

 

矢橋(やばせ)の段、竹生島遊覧の段。

白旗を持った小まんは矢橋の浦へたどり着くが、追手・塩見忠太(桐竹勘次郎)らに追いつかれてしまう。自慢の手荒さで男たちを投げ飛ばすもついに追い詰められ、小まんは琵琶湖へ飛び込む。(矢橋の段)

そのころ琵琶湖志賀の浦には豪奢な御座船が浮かんでいた。それは平家の公達・平宗盛(桐竹紋秀)の竹生島参詣の船であった。そこを小舟で通りかかった斎藤実盛吉田玉男)は清盛公の命により源氏の残党の詮議があるためと挨拶だけで去ろうとするが、宗盛の家来・飛騨左衛門(吉田文哉)に勧められて祝いの盃を頂戴するため御座船へ乗り移る。一行が盃を上げていると、勢田唐崎に松明船の無数の篝火が見え、実盛は溺れかけながら必死で泳いでいる女の姿を見つける。実盛は櫂を投げやって女−−小まんを船の上へと救い上げ、薬を与えて介抱した。小まんは実盛らに感謝の言葉を述べるが、これが平家の船と聞くと己の不運に身を震わせる。そこへ高橋判官が船で乗り付け、小まんが源氏の白旗を持っていることを一行に告げる。左衛門が小まんから白旗を取り上げようとしたそのとき、実盛が彼女の腕を白旗もろとも斬り落とし、小まんの右腕と白旗は琵琶湖の水中へと消えていった。(竹生島遊覧の段)

男勝り設定の小まんは、雑魚のみなさんを一本背負いしていた。小まんは、百人、千人にも勝るから小まんという名前らしい。パンフレット掲載の清十郎さんのインタビューには、小まんの演技は人形遣いの裁量である程度自由にできるというようなことが書いてあったが、ちょっと大人しめ、儚めのイメージにされてるのかな。御座船が平家の船と知った時点で早々にシオシオと儚くなりかかっていた。人によってはメチャクチャ強気の女に仕上げてくる人がいそうだがどうなのだろう。

文楽を前のほうの席で観ていると首等が目の前にすっ飛んできてびびることが多いが、今回小まんの腕が飛んでくるのは実盛が刀をスラリと抜いてウロウロしはじめた時点で目の前に飛んでくる予感がしたので、あまりびびらずにすんだ。とはいえ何も言わずいきなりばさっと斬り落とし、小まんの人形が後ろに倒れて小まんがどうなったのかわからないまま幕となるので驚くには驚く。

大変余計なことだが、実盛が乗っている小舟は実盛の人形のデカさのわりに小さく、前のめりに沈みそうだと思った。

 

 

九郎助住家の段。

小野原村の九郎助の家では、九郎助の女房(吉田簑一郎)が綿繰をしていた。そこへやって来たのが甥の仁惣太(吉田玉翔)。訴人すれば金になる葵御前がここにいるのではないかと探りに来た彼を、女房はそれは九郎助が孕ませたどこぞの飯炊き女だと言って追い返す。一方、葵御前はいつまで経っても帰らぬ小まんを心配していた。女房がおおよそ折平を追ってどこかへ行ったのだろうと安心させようとしていると、臨月の葵御前のために鮒を捕りに行った九郎助と太郎吉が何か獲物を持って帰ってくる。網に入っていたのはなんと若い女の片腕。草津川を流れてくるのを太郎吉がせがむので獲ったというのだ。太郎吉が女の手の持っている白絹を開いて見ると、それは件の源氏の白旗だった。一同はもしやこの腕は姿を消した娘のものではと顔を見合わせる。

そこへ源氏の胤を詮議する瀬尾十郎(吉田玉也)と実盛が、庄屋(吉田玉彦)と仁惣太に連れられてやって来る。褒美狙いの仁惣太が訴人したのであった。しらを切る九郎助に瀬尾は葵御前を出せと迫るが、実盛の執り成しで九郎助は子どもが生まれるまで待って欲しいと瀬尾に頼む。しかしなおも腹を割いてでも詮議すると強く迫る瀬尾に、九郎助の女房はいましがた生まれたと産衣の包みを抱いて持ってくる。瀬尾がその産衣を解いてみると、錦に包まれていたのは血に染まった女の片腕であった。驚き激怒する瀬尾に、実盛は中国で王妃が鉄球を産んだ故事を語り、このような不思議も世にあることと告げる。瀬尾は実盛の胸に思案があることを気取りつつ、清盛公へ言上するため腕を彼に預けて帰っていった。

入れ替わりに葵御前が太郎吉を連れて実盛の前へ現れる。実盛は葵御前に自らの本意は源氏にあることを語り、その腕はたしかに自分が源氏の白旗を守るため琵琶湖の船上で斬り落とした女の片腕だと告げる。実盛の話によるとその腕は小まんのものに間違いはなく、一同は娘の死に嘆き悲しむ。そこへちょうど近隣の漁師たちが娘が斬られていたと小まんの遺骸を届けにきた。太郎吉が母は自分に何か言いたいことがあったはずと嘆くので、実盛は斬り落とされた腕に白旗を持たせて遺骸に継げば霊魂が戻るかもしれない、この片腕に温もりがあるのも不思議なことだと言って小まんの遺骸に腕を継いでやる。すると小まんの体が起き上がり、太郎吉の名を呼ぶではないか。驚く一同、小まんは太郎吉に何か言いかけるも再び息絶える。九郎助は小まんが言いたかったのは自身の筋目のことではないかと皆に告げる。実は小まんは九郎助と女房の実の子どもではなく、堅田の浦に捨てられていたのを拾って育てた子で、彼女が懐に持っている合口はその親の形見、さらには彼女は平家の何某の娘であるという書付が添えられていたというのだ。本当の親が迎えに来るのをおそれていたのに、それより先に死んでしまうとはと、九郎助が小まんの遺骸へ取り付いて泣いているところへ葵御前が産気づく。夫婦は葵御前を奥の間へ連れてゆき、実盛は柱に白旗を飾って無事の出産を願う。葵御前は無事男の子を出産し、父義賢の幼名をもらって駒王丸と名付けられた。この男子がのちの木曽義仲である。九郎助は太郎吉を駒王丸の一の家来にと願い、実盛も太郎吉に手塚太郎光盛という名を与えて執り成すが、葵御前は平家の血を引く者とあっては念のため成人して手柄を立ててからと一旦それを退けるのだった。

そこへ一部始終を影から見ていた瀬尾十郎が赤ん坊を取り上げようと踏み入ってくる。実盛は立ち塞がって見逃しするのが武士の情けと言うが、瀬尾は聞き入れず、思えばこの女のせいで平家方は夜も寝られないと小まんの遺骸を足蹴にする。それを見た太郎吉が形見の合口で瀬尾の脇腹を刺す。瀕死の瀬尾は、平家譜代の侍の自分を討ち取る手柄を立てたのだから太郎吉をいますぐ駒王丸の家来にしてやって欲しいと葵御前に懇願する。実は瀬尾こそがかつて小まんを堅田の浦に書付を持たせて捨てた父であり、太郎吉は彼の孫だった。太郎吉が平家の縁と嫌われ一生埋もれぬよう初奉公の手柄にと、瀬尾は自らの首を搔き落とす。これには葵御前も太郎吉をすぐに若君の家来にすると喜んだ。太郎吉は母の仇である実盛に挑もうとするが、実盛は太郎吉と若君が成人して挙兵したそのときこそ改めて討たれようと告げ、軍馬の手綱を取る。どこからか出てきた仁惣太が事の次第を平家方へ注進しようと駆け出すところへ実盛は鉤縄を投げ、仁惣太の首をかき落とした。太郎吉はおもちゃの馬に乗って時期を待たずとも今勝負と声を上げるが、実盛は歳月が経っても太郎吉に自分の顔がわかるよう、髪を黒く染めて出陣しようと約束し、馬に乗って去っていった。

まず言わせてもらいたいが、文楽時空、首とか腕とか転がりすぎではないか。武家社会の云々で首がすっ飛ぶのはもう仕方ないと思うが(それにしても転がりすぎだとは思うが)、川をどんぶらこっこと腕が流れてきて「とって〜」とせがんでくる子ども怖すぎ。ただの死んだ腕が何故怖いってお前が怖いわ。

九郎助の家へ詮議にやって来る二人の使い、瀬尾十郎と実盛は実盛のほうが正使なのかと思っていたが、瀬尾のほうが正使なのかと思うくらい、瀬尾のほうがのし!のし!と歩き、家のどまんなかにドーンとすんごい居丈高に座る。どんだけデカいジジイやねんというくらいドーンと座っていた(床几に座っているんだそうです)。実盛は控えめに上手に座っていた。ここは二人の座り方の違いで人物像やポジションの違いを出しているのだと思うが、やはり人形は姿勢のつけかたひとつで見え方が全く変わるんだなと思わされた。ここだと大きいはずの実盛の人形も瀬尾との対比でそんなに大きく見えないのが不思議だった。

瀬尾は葵御前が産んだと言って見せられる女の腕にものすごい勢いでびっくりしていた。腕より瀬尾のリアクションのほうにびっくりした。床几から転がり落ちるくらい驚いていたが、武士なのにそんなにびっくりしてくれるとは、首やら腕やら足やらがフランクに転がる文楽業界においてなんとありがたい人だろうかと思う。

実盛の人形もこの間に何かちょっとしたお芝居をやっているらしいが、瀬尾のリアクションが大きすぎて目に入らなかった。いや確かに時々なにか……、いやなにかって眉毛とか目とかがピコピコしていたのだが……。中国の故事を唐突に語り出して瀬尾をケムに巻くところは、「莫耶の剣」ってそういうふうにできたんだーと違うところに感心した。そして突然「手孕村」と名付けるところとか、これも突然太郎吉に「手塚太郎光盛」という名前を授けるところでは、浄瑠璃ならではの謎のダイナミズムを感じた。あとはもう書くまでもないが、小まんがこうなった琵琶湖での経緯を語る「物語」の部分では、扇子の扱いなどの所作の丁寧さが光った。実盛って目立つ動きのある演技はこの物語と馬に乗るところだけなので、はじめは良い役ながら地味だなーと思ったのだけど、しっかりした人でないと、物語部分やじ〜っとしている間の間が持たないんだろうなと想像する。

瀬尾は一番良い役。一度は九郎助の家を後にするが、小まんの死体とともに笠で顔を隠しながら戻ってきて(デケー人形なので頭隠して尻隠さず状態なのが可愛かった)、家の中の話をこっそりと聞いている。瀬尾はいつから小まんが自分の娘だとわかっていたのだろう?もとから知っていた?話を立ち聞きして知った?太郎吉がすぐには駒王丸の家臣にしてもらえなかったことを聞いて、わざと太郎吉に討たれる。そのとき、大人になって手柄を立ててからでは埋もれてしまう、若いうちから家臣としてついていないと出世できないということを言うのが妙にリアルだ。瀬尾が首のうしろに刀を当て、鋸引きのようにして自らの首を落とすシーンは生々しくて怖かった。文楽は人形がやっているから生々しくない、怖くないと思いきや、人間の俳優が演技しているよりも生々しくおろそしかったりするのが不思議である。

あとは実盛の馬がめちゃデカかった。玉男さんが手摺の上部くらいの高さにまで位置が上がっていたがあれは本当大変だと思う。少しとはいえ、実盛、馬に乗ったまま移動するし……。でも文楽のお人形さんは本当うまく馬に飛び乗ることよと思う。ものすごく颯爽と飛び乗っていた。本当に生きているかのようピョコンと飛び乗るのが可愛いし、客席にお尻を向けて飛び乗るというのがうまいよね。実盛はぴんとした姿勢で馬に乗った姿が凛々しく美しかった。その隣でちいちゃなオモチャの木馬に乗る太郎吉が可愛らしい。

それにつけても仁惣太が何回も出てきたのには笑った。玉翔さん今回出番多いな!と思った。最後に実盛に馬上に持ち上げられ、首を落とされるところは大変見事に首が落ちたので驚いた。ほぼ手品状態でどうやっているのかよくわからなかったが、あまりに見事な首コロリぶりに客席「おお〜」と盛り上がっていた。文楽劇場のお客様は首が転がってもおかしい年頃。

しかし何はともあれ九郎助住家、床が4交代するのは交代しすぎだと思う。太夫さんによって登場人物の語り分けのしかたが異なるので、誰が喋ってるのかわかんなくなるのが一番困る。とくに実盛と葵御前が人によって語り方が結構違い、つらい。ぶっちゃけ誰が喋ってんのか人形見ないとわからない太夫さんもいるし。それに交代しているあいだに待っているお人形さんが不憫すぎて……。でも、いつも滝汗の玉男様が床が回っている間に目立たないようひっそりと汗を拭いておられて(人形が後ろを向いているのです)、そこだけはキュンとしたので今回は特別に許そうと思う。

 

 

 

舞台としては全体的に落ち着いた雰囲気で、ゆっくりと浄瑠璃を楽しめて良かった。やはり文楽はゆったりした気分で観られるのが良い。

正月の『奥州安達原』や2月東京の『平家女護島』では浄瑠璃のバックグラウンドへの知識がなく、いきなりはじまる話についていけず「????」となったが、今回の『源平布引滝』は『平家物語』を少し知っていたのでまだついていきやすかった。こういった登場人物の入り組んだ争乱の話も、すこしとっかかりがあると理解しやすい。それと、浄瑠璃が有名なモトネタに何を・どこに話を盛っているかがわかると、より話が面白く感じられる。この「何を盛っているか」が意外と(?)理解の鍵になると思う。やはり『平家物語』は文楽、能の観劇には必修の一冊だなと感じた。 

 

 

 

 

保存保存

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文楽 7・8月大阪公演『金太郎の大ぐも退治』『赤い陣羽織』国立文楽劇場

親子劇場のお客さん向けなのか、展示室には動物の小道具がたくさん置かれていた。うさぎ、すずめ、白ぎつねのほか、きつね色のきつねもあった。3匹のきつね色きつねの名前は「右コン」「左コン」「コン蔵」とのことだった。身も蓋もない名前で良い。鑑賞教室の会期中には忠臣蔵用のいのししが展示されていたが、いつか文楽に登場する動物を全展示してほしい。

 

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青鬼がドリフのコント状態なのが気になるイラストチラシ

 

 

 

チラシの絵は可愛いけど本物の人形は怖いことで名高い親子劇場、まずは『金太郎の大ぐも退治』。

おこさま向けおとぎ話仕立てですよ〜みたいなヌルいタイトルだが、正体は普通の浄瑠璃だった。『大江山酒呑童子』のうち「土蜘蛛退治」を整理してテンポアップしたものだそうです。「巌峨々たる荒血山、松柏茂りてかくかくたる峯に星霜古廟の庇……」と普通に難しい言葉を使っているにも関わらず字幕出ないし、子ども向けとは思えないトップギアぶりはさすが。モコモコと焚かれたスモークの中から現れる赤鬼(吉田玉彦)・青鬼(吉田玉路)の会話も「疾うから念掛けたアノ娘、腹存分に楽しんだその後で、大江山へ売り渡して大金儲け」とメチャ怖。ステージ中央には衣を頭から被った可憐な娘さんが……と言いたいところだが、娘さんとは思えない品のない座り方とチラ見えしている赤い前掛けのおかげで鬼ズがこの後ド悲惨な目に遭うことがわかる。

娘さんに化けたプリティボーイ・金太郎(人形役割=吉田玉佳)がマサカリで鬼のド頭をカチ割ったところへ現れるのは鬼童丸(吉田玉勢)。人形が華奢な印象でなんかショタっぽいけどわざとなのだろうか。いや名前的にはショタか。歌舞伎の移入なのだろうが、むかしの忍術映画のような衣装も可愛らしい。(『忍術児雷也』と『逆襲大蛇丸』、まじ最高なので皆さん是非観てください。すべてが最高オブ最高。監督加藤泰だし)

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鬼童丸は源頼光(吉田簑紫郎)に射掛けられ姿を消すが、金太郎が舞台奥に怪しく佇む社を真っ二つにすると、そこから巨大な土蜘蛛が現れる。のだが、そのめっちゃデカい土蜘蛛のモケモケとした足の動きが怖すぎて引いた。巨大な蜘蛛のハリボテ状の胴体に揺れ動く8本の足をつけてあるのだが(黒衣さんが蜘蛛の胴体を龍踊り的な感じで支えている)、不規則にプワンプワン動く8本の足の動きがキモすぎて、お子さま客のみなさん大絶賛されていた。蜘蛛のお尻についているフサフサの毛は可愛いけど、そこかしこの節々に生えている毛はオッサンぽくてキモい。あとプチぐもが上から大量に釣り下がってきたり地面に湧いたりするのもお子さま客大絶賛だったが、ワサワサした動きが怖すぎて引いた。とにかく金太郎早く退治してくれと願った(でも引っ張る)。

頼光が引き抜いた剣の光で一瞬たじろいた隙を狙い、金太郎が土蜘蛛を斬りつけると蜘蛛の姿は消えてかわりに傷ついた鬼童丸が姿を現す。鬼童丸は金太郎と大江山で再戦を近い、空を飛んで去って行く。蜘蛛に引きすぎてよく見ていなかったので頼光が特になにもしてなかったかのように思っていたが、一応ちゃんと働いてたのね……。蜘蛛がなんとかなった後でタイミングよく出てきて調子合わせただけかと思った。鬼童丸が「ひらりと虚空遥かに飛び上がれば」と去って行くくだりは宙乗り。客席花道の位置あたりに一部凸状に舞台が張り出しており、何かと思ったらそこから飛ぶという趣向だった。凸部分間近の席のお客さんは蜘蛛の糸(白い紙テープ)をおもいっきりかけられていて、お子さんが紙テープにはげしく掴みかかっておられた。お人形が宙に浮いているのは外連味というよりも、絵巻物や絵本の世界のように感じられて可愛らしい。人形はちっこいので結構高く飛んでいるように見える。鬼童丸は浮いている途中も銀のキラキラ紙吹雪を撒いておられた。

完全子ども向けかなーと思って行ったが、単なる可愛い人形劇的な話ではなく、土蜘蛛や鬼童丸の設定の面白さ、浄瑠璃の詞章の格好よさもあり、文楽らしい伝奇風の仕上がりで大人が観ても楽しめる芝居だった。玉佳さんの金太郎は童子ながらたんにコドモっぽいのではなく、鬼をぶちころすだけある剛力という雰囲気が出ていて興味深かった。

 

 

 

『赤い陣羽織』。あんまり上演されるものでもないと思うので、以下あらすじ。

むかしむかしある村に、姿は醜いが心は優しいおやじ(吉田文司)とその心根に惚れて一緒になった美しい女房(吉田勘彌)が、馬の孫太郎(桐竹勘介←馬役なのに配役表に名前掲載)とともに仲良く暮らしていた。しかし、殿様から拝領した赤い陣羽織を自慢にしているお代官(吉田簑二郎)が女房に横恋慕しており、しょっちゅうウザくつきまとってくるのが二人の悩みの種であった。代官はおやじと外見がそっくりで、あの赤い陣羽織さえ着ればおやじだって代官に見えるというのが二人のいつもの笑い話。今日も用もなく代官はおやじの家を訪ねてきて女房にお茶を出してもらうが、女房から今夜は客もなく二人きりだと聞きつけた代官はある悪巧みを思いつく。その夜、おやじの家へ庄屋(吉田簑一郎)がやって来て、取り調べがあるとおやじを無理矢理連れて行ってしまう。後に残された女房は代官の差し金に違いないと用心し、戸締りをして孫太郎とともに備えていたが……。

……庄屋の家からやっとのことで抜け出て来たおやじが家へたどり着くと、戸口は開け放たれ、上り口には代官の着物、そして囲炉裏にはあの赤い陣羽織がかけられている。そして奥の寝間からは代官の声が。おやじは菜切り包丁を掴み、代官を殺そうとするが、思い直して赤い陣羽織を着込み、代官に化けて屋敷へ乗り込んで代官の奥方を寝盗ろうと決意して、赤い陣羽織姿で家を後にした。

おやじが去ったあと、代官がのそのそと奥の寝間から現れる。実は代官は女房に鋤で殴られて昏倒し、奥の間へ寝かされていたのだった。そして、陣羽織が囲炉裏にかけられていたのは、ここへ来る途中に滑って転んで川へ落ちて濡れてしまったのを代官のお付きのこぶん(吉田勘市)が律儀に干したからなのであった。姿が見えない女房に、代官は村中へことの次第を言いふらされては大変、ましてや屋敷へ行かれて奥方へ吹き込まれては超大変と大慌て。ひとまずおやじの野良着を着て出かけようとしたところへ女房に連れられた庄屋と出くわし、代官は彼をおやじと勘違いした庄屋に締め上げられそうになる。こぶんの説明で誤解も解け、おやじが代官屋敷で何かしでかしているのではと一行は屋敷へ向かうことに。
代官は一行とともに屋敷へ戻るが、貧しい身なりの代官を見ても、赤い陣羽織を着たお代官様はもうご帰還なさっていると門番は取り合わない。そのうち奥方(豊松清十郎)が腰元を引き連れて現れ、おやじの姿の代官をそっけなくあしらう。奥方に呼ばれた代官姿のおやじに女房は泣きつくが、奥方の口添えもあって無事お互い誤解は解ける。自分勝手な行動をした代官とそのこぶん、庄屋はこの芝居を打った奥方にキツく叱られ、田舎の村のちいさな事件は無事一件落着するのであった。

 

…………………。子ども向けには渋すぎだろ……。異様にやる気のある色合いの💩以外子ども向け感ゼロ……。人形の所作はとても可愛く、🐴、💩など人形遣いさんたちが子ども客に喜んでもらおうと工夫なさっているのはよくわかったが、話が古いのと(好き嫌いは別として、教訓ものと艶笑ものの合体話はどうしても古臭く感じる)、途中で説明台詞が延々続くのが渋すぎる。パンフレットによると、原作者の意向で戯曲の原文が変えられず、そのまま義太夫に移入したそうだが、通常の文楽のテンポからすると説明パートの長さに厳しいものを感じる。まず代官の服が囲炉裏にかかっている理由と代官が奥の部屋で寝ている理由が別なのは複雑すぎやて。女房が孫太郎の水桶でぶん殴ったという設定にしたほうがよかないかね? あとはせめて人形出遣いにして欲しかった。勘彌さんの過去が気になる女房役は色っぽくて良かった。なぜ町で勤めをしていたことがある女房は「男は気立て」と言うのか? 勘彌さんがこの役やってると裏がありそうで面白くないですか。あとはとにかく💩がまじ💩←こういう形の💩なのが興味深かった。目もついていた。

なにはともあれ妻が代官に寝取られたと思って代官の妻を寝取りに行く話を子ども向けに上演するの、まじおおらかだと思う。パンフレットのあらすじにおもいっきり「お代官は(中略)晩に女房がひとりのところを襲う計画なのでした。」って書いてありますけど、「なのでした」じゃねえだろ。文楽は自由の国。

 

 

 

今回の夏休み公演はビックリマンコラボということで、指定日に第一部を観劇するとオリジナルビックリマンカード「松王丸」「静御前」「団七ゼウス」がもらえるというサービスがあった。団七ゼウスって何故そこを悪魔合体させるのか……。企画が発表されたのがチケット発売後だったため配布日に行くことができなかったのが残念だった。カード、欲しかったわ〜。

 

 

 

文楽 7・8月大阪公演『夏祭浪花鑑』国立文楽劇場

大阪、暑い……。暑すぎる……。 

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夏祭浪花鑑。昨年の鑑賞教室で観たときは団七=玉男さん、義平次=勘十郎さん、三婦=和生さんだった*1。今回の団七は勘十郎さん。何よりの注目は簑助さんがお辰役で出演されることだった。可憐イメージの簑助様が俠客の女房役とは? そして義平次役が老獪ジジイ役をやらせたら右に出る者はいない玉也さん(※個人の意見です)というのも楽しみな、夏休み公演第3部に行ってきた。

 

 

住吉鳥居の段。ここは鑑賞教室では出なかった部分。ステージ中央には「碇床」の文字も雄渾鮮やかなる巨大な黄色い暖簾のかかった髪結い床の小屋が建ち、上手側奥には小さく鳥居が覗いている。

三婦(人形役割=吉田玉也)と彼に付き添われた団七の妻子、お梶(吉田一輔)と一松(桐竹勘昇)は、住吉神社前へ喧嘩の件で入牢していた団七の釈放を迎えにやって来る。三婦はお梶らを先に料理屋へ行かせ、自分だけで団七を待つことに。そこへ駕籠が現れ、客と駕籠かき(こっぱの権=吉田文哉、なまの八=桐竹紋秀)が言い争いをはじめる。たちの悪い駕籠かき二人は金を払え、ここで降りろと迫るが、客の男は約束の長町まで行ってほしい、着いた先で金を払うと返す。見かねた三婦が駕籠かきに金を与え保護したその男こそ、お梶から話を聞いていた磯之丞(吉田清五郎)だった。三婦は後のことは団七がうまくやってくれるだろうと言って磯之丞を料理屋へ行かせる。
やがて役人が現れ、団七(桐竹勘十郎)が釈放される。三婦は団七を労い、お梶と一松、そして磯之丞は料理屋で待たせてあると告げて団七を髪結い床へやらせ、自分は先に料理屋へと発っていった。
そこへ入れ違いに遊女・琴浦(桐竹紋臣)が現れる。琴浦は自分のために難儀に遭った磯之丞のあとを追って大坂へやって来たのだった。さらにその後を追って彼女に横恋慕する大鳥佐賀右衛門(吉田玉勢)が現れ琴浦を連れ去ろうしたが、髪結い床から出てきた団七に腕をひねり上げられ、しっぽを巻いて逃げていった。
さらにそこへ一寸徳兵衛(吉田幸助)が現れて琴浦を渡せと団七に迫るが、喧嘩の仲裁に入ったお梶に窘められる。実は徳兵衛はお梶に救われた過去があった。彼女からことのいきさつを聞いた徳兵衛は佐賀右衛門に雇われたことを悔いて心を一変させ、団七とともに磯之丞を守ることを決意する。二人は片袖を交換してその契りを交わすのだった。

数多くの登場人物が入れ替わり立ち替わり現れ、顔を揃える段。釈放されたばかりでは髪も髭も伸び放題で穢いなりの団七が、髪結い床から出てくると凛々しく涼やかな伊達男に変身しているのが見所(男シンデレラ)。琴浦も紋臣さんらしく平野耕太の好みのタイプっぽくて可愛らしい。しょうもなさすぎの駕籠かき二人、こっぱの権&なまの八がしょうもなさすぎて面白かった。名前からしてしょうもなさすぎて、良い。 でも人形遣いさんおふたり、文哉さん&紋秀さんは普通に頑張っておられた(当たり前だ)のがより一層味わい深くて良かった。

 

 

 

釣船三婦内の段。

三婦の自宅では女房・おつぎ(桐竹勘壽)が食事の支度をしている。焼いている魚がでかい。傍では磯之丞と琴浦が痴話喧嘩(暑い熱い暑い熱い暑い熱い暑い熱い)。その琴浦の「んもうっ!ぷんぷん!」という所作が可憐。二人とも妙にパタパタとうちわをあおぐ苛立った仕草も愛らしい。文楽ではお熱い二人がいるとき、その他の脇で控えてる人形がものすごい速度でうちわをあおぎはじめるのも可愛い。本作は夏ものの狂言だけあって、登場人物がみなうちわや扇子を持っており、そのあおぎ方で気分を表現しているのも見所。

あれやこれやしている間に三婦の家を訪ねてくるのは一寸徳兵衛の女房・お辰(吉田簑助)。水色の日傘を差した姿も涼しげに、黒い着物姿でゆったりと舞台へ現れる。おつぎはこれを機会とばかりに磯之丞をお辰へ預けようとするが、三婦が割って入って拒否。お辰は女だから舐めて預けてくれないのかと三婦に問うが、彼の言うその理由はお辰があまりに美しすぎるから。と言った瞬間のお辰の仕草が美しい。恥じらってなのか、三婦から顔をそむけ大きく身体をよじって下手に向いてうつむくのだ。三婦は本来なら預けたいところだが若い女に若い男を預けて何かあっては徳兵衛の顔も立たないと得々と説明するが、お辰は突然焼けた鉄弓*2を顔に当てて大きな火傷をつくり、これでも預けられないかと凄む。その所作もやはり簑助さん独特のもので、後ろ向きから身体を大きくよじって伸び上がるようにして三婦のほうに目をやる。人間には出来ない極端な姿勢だが、おそろしいほどに凄艶な、不思議な演技。このあと手鏡を覗き込み、心配する三婦らに応えて「なんのいな、わが手にしたこと、ホゝ、ホホ、オホゝゝゝゝ、オゝ恥かし」とうち微笑んで顔を隠す色っぽさと底知れない侠女のおそろしさ。簑助さんは昨年観た『艶容女舞衣』の三勝の悲しげな色気も素晴らしかったが、このお辰の一線を超えた色気も美しい。

人形遣いの芸って普段ぼーっと見ているぶんには上手い下手の区別がよくわからないが、やはりあきらかに上手い人というのは全然違っている。そういう人が出てくると舞台の雰囲気が一変し、そこだけ突然この世の解像度が急激に上がって、目が釘付けになる。特殊な演技だけでなく、動作と動作の間にまで心が配られていて、歩くとか座るとかの普通の演技のちょっとした見え方も全然違うので本当に驚く。そして人形の見た目以上の印象や雰囲気を演技によって作り出せるかという点も上手い人はやはり全然違っているなと感じる、今日この頃である。

しかし三婦が何故お辰に磯之丞を預けることをかなり渋ったのかよくわからなかったが、文化デジタルライブラリーで『夏祭浪花鑑』の全段解説を読んでわかった(絵本太功記・夏祭浪花鑑|文化デジタルライブラリー)。磯之丞、クソすぎるだろ……。もう前の段で心中しとけや……。もしも間違いがあってはというのは、かわいい若様に何か間違いがあってはと単純に心配したんじゃなくて、磯之丞の手癖が悪いということか。確かに前科持ちは普通には預けられない、三婦の言うことも道理である。

最後、おつぎから琴浦を義平次に預けたと聞かされた団七は慌ててそのあとを追うのだが、その速さがはんぱなくてちょっと笑った。走る距離が短いので一瞬しか見えないのだが、立役ではいままでに見たことないくらいのすごい速さだった。

この段の奥は床も千歳さん&富助さんで充実。若干千歳さんの声が枯れかけなのが残念だったけど(千穐楽近い日程で行ったので……)、ゆったりと浄瑠璃を楽しむことができた。

ところでこの段の冒頭、三婦は右耳から数珠を垂らしているが、これは耳に数珠をかけているということ? 戒めを破るくだりは浄瑠璃では数珠を千切ることになっているが、さすがに毎日千切れないからか後ろへ放り投げることになっているのが惜しい。三婦役の玉輝さんは今となっては気のいいおじいちゃんだけど昔はやんちゃだった絶妙な親しみやすさ(?)が出ていて良かった。 

 

 

 

長町裏の段。高津宮の祭りの喧騒から遠く離れた、暗くうら寂しい長町裏の井戸端に義平次と駕籠が現れる。そこへ団七がやっと追いついてくるが。

津駒さんの語る義平次が気色悪すぎて、滅多斬りにされる前から化け物だった。団七に媚びへつらう口調、ガラスを引っ掻くがごとき神経を逆撫でする下品な猫なで声ぶりに感動してしまった。歯が抜け落ちだらしなく開いた、ぬたぬたした赤い口元が見えるよう。今思い出しただけでゾッとする。語りによる人物造形力に驚き。

人形の勘十郎さんの団七、玉也さんの義平次はナイスな配役。人形だけで演技し続ける部分の多い演目にぴったりだと思う。義平次は一般市民の爺さんなだけあって人形も小柄で、背筋をしゃんともせず、体をかがめるようにしてちょこちょこ歩いているのもいかにもといった風情。昨年の鑑賞教室の勘十郎さんで義平次を見たときは婿さんに甘えかかるウザ可愛いジジイという感じで、長町裏でも無駄に団七に甘えるように肩をドンドンぶつけたり(玉男さんの団七はひたすら静止……)、股間をわざとらしくパタパタしたりと可愛いらしかった。しかし今回は語りもあってピュアネスにまじキモい妖怪ジジイになっていた。

ウザく団七に纏わりつく義平次だったが、もみ合ううちに団七の脇差で耳を切ったところで「人殺し〜!!!」と大騒ぎをはじめ、口をふさがれてもまだわめくので、団七に本当に斬りつけられてしまう。仄暗い闇の中、大蛇のようにうねる団七の裸身、いくら斬られてもしぶとく団七に纏わりつく化け物めいた義平次の姿。お二人とも演技の手数の多い役でもそのつなぎが綺麗でスマートなので見栄えして格好良い人だけど、二人ペアならより一層。千穐楽の近い日に行ったこともあって息も合っている。勘十郎さんはやっぱり一線を超えた人の役がよく似合う。ご本人的には狐の役、死にかけの役(切腹する役)に凝っておられるとのことだが、個人的にはお三輪、八重垣姫、福岡貢のような鬼気迫る常軌を逸した役が一番の当たり役のように思う。常軌を逸する前と後の演じ分けもあって、劇場の雰囲気もそれに従って一変する。団七は当初は義平次を立てて婿さんに徹しまともげな感じで、何故こんなちゃんとできるのに元々はだらしない生活をしていたのか?こんだけまともならちゃんと堅気でやっていけるのでは?と思うのだが、後半で成る程これは堅気ではやってはいけまいとわからせる芝居だった。

 

 

 

次第に高まるお囃子の音色やクライマックスで突然舞台に現れる宵宮のお神輿など、季節感ある高揚を感じる面白い構成の狂言だった。勘十郎さん&玉也さんのスピード感あるスタイリッシュな立ち回りは古典芸能ということを忘れさせる洗練を感じる。古典芸能というものはつねに現代的であり、新鮮なものであると改めて感じた。

それにしても、やはり人形の配役ってとても重要で、ペア役は技量が拮抗しているか、慣れた人同士でないとどうにもペア役に見えづらいなと思った。若い人同士ならそれはそれで良いのだが、技量に差がついたペアだとどうしても上手いほうの人が気を使っていたり、リードしていたりするがわかる。特によくわかるのが演技の速度とテンポ、これがぜんぜん違う。これは芝居の盛り上がりに直結する。上手い人と中堅以下を組み合わせて、これからがんばって成長してねというのはよくわかるけど、客の立場としてはやっぱり上手い人同士のペアで観るのが一番盛り上がるので、良い配役のときによーく観ておこうと思う。

 

 

 

おまけ

開演前にちょっと寄り道。長町裏には高津神社の宵宮が登場するということで、高津宮へ行ってきた。高津宮は文楽劇場からは10分かからないくらいの場所にある。周囲から小高くなった丘の上にあり、長い参道を登っていくと本殿前に着く。

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高津宮からほど近くに生國魂神社もある。

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当日は気温38℃と猛暑の大阪だったが、こういう気温の中、公演成功祈願等で紋付姿で人形持って参拝している人形遣いさんは本当に大変だと思った。60代とかの人のやることじゃない。

最後は劇場でもらったうちわでパタパタ涼んだ。フィルムセンター(国立近代美術館)や国立能楽堂は空調やる気なしだが、文楽劇場はちゃんと涼しくしてくれるのでありがたい。

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*1:ところで今年のながと近松文楽も演目夏祭だったそうですが、配役どうなっていたのか、どなたか教えてください……。勘十郎様が団七だったことはわかったんですが、玉男様は義平次だったんでしょうか……。

*2:ここでは魚の焼き串