TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『仮名手本忠臣蔵』八段目〜十一段目 国立文楽劇場

年間通しての『仮名手本忠臣蔵』も最終回、八段目〜十一段目。なんだかえらいツウ好みな段だけになってしまっている気がするが、ついていけるだろうか……。

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八段目「道行旅路の嫁入」。

びっくりしたのは、戸無瀬〈吉田和生〉の覇気。小浪〈吉田一輔〉はぼや〜っとしているけど、戸無瀬には鋭さがあり、踊っているときも、どことなく気迫が感じられる。戸無瀬はこの旅が自分たち母娘にとってどういうことなのか重々わかっていて、もし大星一家に受け入れられなければ娘を殺して自害する覚悟をこの時点で持っているのだと感じた。戸無瀬の九段目はもうここから始まっているのだろう。

しかし津駒さんは濃すぎるというか、貫禄のある小浪だな。語りだけなら人形の戸無瀬と同じくらい覚悟完了しておる。小浪だって本当は後には戻れない心境で旅をしているんだから、そりゃそうだが。声に華があって小浪役が合うからこの配役、というのはわかるけど、最近の津駒さんの「他人、一切、関係ありませぇ〜〜〜〜〜ん!!!!!!」ぶりからすると、(相対的に織さんのほうを戸無瀬にしているのはわかるとはいえど)むしろ戸無瀬をやっていただいたほうがよいのではと思った。

あと、文楽名物「小石のぬいぐるみ」が出てきて、よかった。「小石のぬいぐるみ」、グッズとして売店で売って欲しい。

 

 

 

九段目「雪転しの段」、「山科閑居の段」。

和生さんの戸無瀬がすごく良かった。ものすごい威圧感、強烈な気迫。戸無瀬は自分でも言っている通り、同じ武家でも本来大星家とは格がぜんぜん違うはずだが、もう格の違いとか関係なく、人間としてここへ勝負しに来ている。すさまじい芯の強さを感じる。その芯の強さに血の通ったあたたかみを感じるのは、年齢を重ねた、(義理であっても大切にしている)子どものある女性だからか。お石と競り合う場面での気迫は圧巻。まっしろな顔が紅潮し、瞳は情熱に輝いて、体温が上がって汗が滲んでいるよう。眼光の鋭さを感じた。正月の政岡は色々な兼ね合いが悪く、ちょっと盛り上がりきれない印象だったが、今回は床がとてもよく、千歳さんの語りと和生さんの人形が予想外の方向にマッチしていて、とてもよかった。千歳さんは歳を重ねた女性の鋼のような気迫が語りに出ていて、よかった。

本蔵〈桐竹勘十郎〉はとても良かった。脈打ち、蠢めく生きた内臓をそのまま目の当たりに見ているようだった。本蔵の顔色、「そういう色が塗ってあるから」ではなく、人形の顔に本当の血色が浮かんで、あのようなたまご色になっているように思えた。文楽人形浄瑠璃だから、人形でこそできる表現が至高の芸だと私は思う。この本蔵の生々しさは、逆説的に人形で演じていることを最大限に生かしたリアルさだと思う。この感情の蠢きは人間の芝居では表現できないと感じた。
本蔵は、浄瑠璃にある人物造形そのものがとても人間らしい。戸無瀬のような若い妻がいることや、小浪のために若狭之助を捨てて山科へやってくる(若狭之助、ほんと、本蔵いなかったら今後どうすんだろうね?)といったことだけではない。由良助に突然「計略といひ義心といひ、かほどの家来を持ちながら、了簡もあるべきに、浅き工の塩谷殿。口惜しき振る舞ひや」と言い出すところが一番すごい。ほかの登場人物は由良助の本心や意向を探ろうとはすれども、誰も由良助を個人として扱おうとはしない。言うまでもなく塩谷判官もそうだった。由良助もまた個人であるはずということをわかっているのは本蔵だけで、だからこそ最期にこの言葉をかけたのだろう。そういう、一種、浄瑠璃のお約束を破ってくる人間らしさを持っているのが本蔵だから、突然ナマの臓物を突きつけてくるような勘十郎さんの演技は本当合っていたと思う。本蔵を演じる上で、人形が大きく見えるようにかなり差し上げて遣っていたり、細かい工夫をされていることはわかるんだけど、そういうことより、感情まるだしの生々しさや脈動が表現されていることのほうが、すごいことだと思った。これはほかのどなたもできないので。

由良助〈吉田玉男〉は、最後に庭に降り立って雨戸外しの技を本蔵に見せたあと、庭先にすっくと立っている姿がとても良かった。あれが由良助本来の姿なのだなと思った。由良助は体がちっこいのが、むしろ、よい。孔明のかしらで着付も普通の武士程度なのに由良助には巨大なオーラがあり、サイズ的にはちょこんと立っているだけのはずなのに、そうは見えないのが、本当にすごい。大きな人形を使う美麗な武将とはまた違う、強靭な精神を持っていることを感じる。快晴の冬の朝に見る、冠雪した大山のような凛々しい美しさ、峻厳さだった。
本蔵はさいごに体面をかなぐり捨てて小浪のために本心そのままで行動するが、由良助にとってそれは羨ましいことで、由良助には決して出来ないことだろうなと思う。由良助が力弥を思う気持ちは本蔵が小浪を思う気持ちと変わらないはず。それでもそんなこと一言も言わず、すっくと立っているのが良い。
あと、雪転しの段で家に帰ってきてお石にじゃれかかったり、コテンと寝るところ、なんともいえない玉男さんらしい可愛らしさがあってよかったです。ああいう愛嬌はなかなか出せないと思う。自分が観たうちの1回、出のところで被っている頭巾がずれて顔が見えなくなったんだけど、酔っ払ってフラフラしたせいで頭巾が乱れたように演じておられたのもよかったな。しばらくしてから、これまた「ウェ〜イ」と酔っ払い風仕草で直してらっしゃいました。

ほか、お石〈吉田勘彌〉も楚々としたそぶりを見せながらも夫に代わって戸無瀬と渡り合う怜悧な覇気がすばらしかった。芝居が美麗なタイプの勘彌さんが、威圧感や重厚感ある和生さんと張りあえるのだろうかと思っていた部分もあったが、戸無瀬とはまた違う強さを感じて、かなり驚いた。たとえるなら、竹の葉は薄くて軽いけど、エッジが鋭くて下手に触ると手が切れ、葉脈の繊維が強いから力任せに引きちぎろうとしても横に割くことはできない。戸無瀬が面としての勢いで押してくるなら、お石はそれを斬り払う強さがある。強さの質が違うと思った。持ち前の美麗さとしなやかな強さが同居していていて、すごく良かった。類型的になっていなくて、勘彌さんらしい表現に落ちていたのが一番よかったです。

先にも書いた本蔵のセリフ、「計略といひ義心といひ、かほどの家来を持ちながら、了簡もあるべきに、浅工の塩谷殿。口惜しき振る舞ひや」、これ、私は本当にすごいと思っていて、はじめて聞いたときは衝撃的だった。『仮名手本忠臣蔵』自体としても重要なセリフだと思うけど、映画などの忠臣蔵でこの内容を受けているものってあんまりないような気がする(そもそも『仮名手本忠臣蔵』を受けた内容のもの自体が少ないけど)。どうしてこのくだりは忘れられているのだろう。歌舞伎では九段目はあまりやらないようだが、どうしてなのかしら……。演技自体が地味で、特定の人の見せ場が設けにくいから……?

 

 

 

十段目「天河屋の段」。

近年上演されていた「天河屋」は、実は原作通りではなく、昭和31年(1956)の野澤松之輔作の短縮版。今回、錦糸さんが原作にもとづいた復曲を行い、大正6年(1917)10月御霊文楽座公演以来の原作上演とのことで、今年度の年間通しの目玉企画のひとつ。

天河屋の段(原作通り)あらすじ

港湾都市・堺に廻船問屋を構える天河屋義平〈吉田玉也〉は、物腰は軽快だが着実な手腕で財をなした商人。きょうも店先には大船の船頭らが来ていて、積荷の長持七棹を搬出していった。
仕事がひと段落した義平が店の奥へ入っていくと、彼の息子・芳松〈吉田和馬〉とそのお守りの丁稚・伊吾〈吉田簑紫郎〉が店先へやってくる。伊吾はお守りより自分の遊び・人形廻しに夢中で、芳松相手に「泣き弁慶*1の信太妻」なる演目を語りながら人形芝居を見せている。芳松はカカサンを呼んでくれと言うが、彼の母は義平に離縁されて実家に戻されていた。そればかりか手代や下女は難癖をつけて暇を出されており、天河屋に残されたのは主人義平と芳松のほかには伊吾だけなのであった。寝たいと騒ぎだす芳松に伊吾は自分まで眠くなってくるが、芳松は添い寝が伊吾ではイヤだと言う(ビコーズ乳がないから)。

そうこうしていると、店先へ二人の侍がやって来る。侍は原郷右衛門〈吉田文司〉と大星力弥〈吉田玉佳〉だと名乗り、主人義平への取次を頼んでくるが、名前を「はらへりえもん」「おおめし食い」と聞き間違えたアホは、ケッタイな客が来たとばかりに慌てて義平を呼びに行った。
伊吾・芳松と入れ替わりに迎えに出た義平が二人を店へ上げると、郷右衛門は義平のおかげで討ち入りの準備が整ったことに礼を述べ、今日明日にも鎌倉へ出発することを伝える。義平が後送にしている武具も今夜の船に乗せて送り出すと言う。また、義平は職人にはこちらの住所を明かさず手付金を渡して作らせたので発注元の足はつかないし、店中の者たちには暇を出したので、発送が明るみに出ることもないと説明した。それを聞いた郷右衛門と力弥は納得し、由良助らに報告して安心させるとして宿へと帰っていった。

二人を見送って義平が戸を閉めようとしたところ、妻・おそのの父・太田了竹〈吉田簑一郎〉が割り入り、家の中へ上がり込んでくる。義平が病気療養にやったおそのの様子を尋ねると、了竹は斧九太夫からの扶持も途絶えたというのに嫁入りさせた娘を養生に返されたのではたまらないと言う。そして、おそのに何かあっては大変なので、世間体用に離縁状が欲しいと義平に迫る。その様子に不審を感じながらも、居座られて由良助らのことが知れてはと思った義平は去り状を認めて了竹へ投げつけた。了竹は近頃天河屋には浪人が出入りしていて様子がおかしい、おそのは今晩中にでも口がかかっているところへ嫁にやると嘯くが、義平に蹴飛ばされて戸口から締め出されると、憎まれ口を叩いて夜闇の中へ去っていった。

夜も更け、周囲も寝静まったころ、天河屋の周囲を捕手が取り囲む。捕手たちは取引のある船頭だと名乗って義平に戸口を開けさせて天河屋へ押し入り、塩谷判官の家臣・大星由良助に頼まれて武具を鎌倉へ送ろうとした咎で義平を召し取ると言う。知らないと言う義平に、捕手たちは長持が不審であるとして蓋を開けようとするが、義平はそれを蹴散らして長持の上へどっかと座り、これはさる大名の奥方より頼まれた品で、具足櫃に入れる笑い本*2や笑い道具*3にまで名を記してあるため、それを見ては誰にも差し障りがあると一喝する。ますます不審がった捕手は芳松を捕えて喉に刀をつきつけて義平をさらに脅迫するが、義平は顔色を変えず、殺さば殺せ、こっちを一寸刻みにするならするといいと言う。義平は芳松をもぎ取り、子にほだされない性根を見よとして息子の首をしめようとする。するとそこに「待て」の声がかかり、長持の中から由良助が姿を現わす。義平は驚き、捕手たちははるか下手にすさった。
由良助は義平の心底の偽りなさを褒め称え、同志たちの中に町人である義平に万が一のことがあってはと心配する者がいるので、義平の性根を証明するためにこのような芝居を打ったと詫び、義平の性根は並の武士以上で、主人存命であれば取り立てられて一国を任せられるほどの器量であると頭を下げる。義平はいまの自分は塩谷家に取り立てられてこそあると語って皆に顔をあげさせ、討入の手伝いをできただけでもありがたく、仇討ちができ、冥途でまで塩谷判官に奉公できる塩谷判官らが羨ましいと語る。そして、今夜鎌倉へ出立するという由良助らに縁起をかつぐ蕎麦切りと酒を振る舞うと言うのだった。

先発の者たちを先に帰し、由良助が大鷲文吾〈吉田文哉〉、矢間十太郎〈吉田勘市〉とともに奥の間へ入ったのと入れ替わりに、小提灯を提げた義平の女房・おその〈吉田文昇〉が天河屋の門口へやってくる。おそのは眠っていた伊吾を呼び立て、家の様子を尋ねるが、アホすぎて要領を得ない。そして芳松がひとりで寝かされていることを知ったおそのはわっと泣き出すのだった。そうこうしていると、奥の間から伊吾を探す義平が姿を見せる。おそのは義平に言うことがあると門口から呼びかけるが、義平は取り合わない。そこで何やら一通を中に投げ込み、義平がそれを拾っているすきにおそのは家の中へ入り込む。その一通は先程義平が了竹へ渡した去り状だった。おそのは嫁に行くふりをして油断させた了竹からそれを盗み出し、息子会いたさに天河屋へ帰ってきたのであった。義平は病のふりをして実家にいろと言ったはずだ、里へ帰したのにはある理由があり、了竹が斧九太夫の旧臣である以上その理由は 明かせないと語り、病人のように振る舞えと含めてあったのに、おそのがその言いつけを破ったことを詰る。そして、芳松がいつもおそのを恋しがって泣くのを身を引き裂かれる思いでなだめすかしていることを明かし、それでも義父了竹の許しなくおそのがここへ戻ることは不義であると言って、芳松を一眼と懇願するおそのに離縁状を押し付けて戸外へ追い出してしまった。
おそのは了竹の許可が得られるならこんなことはしないと戸を打ちたたいていたが、他家へ嫁入りする気はないとして自害を覚悟し、天河屋を後にしようとするが、そのとき、突然頭巾の男が現れて彼女の島田髷を切り取り、持っていた離縁状まで奪って姿を消す。髪も離縁状も失ったおそのは、櫛笄を盗むにしてもあまりにひどいやりかた、いっそ殺してくれと泣き叫ぶ。
それを聞いた義平は思わず駆け出でようとするが、すんでのところで思いとどまる。するとそこに奥の間にいた由良助が声をかけ、暇を告げて小判と一包みを義平と妻おそのへ贈ろうとする。義平は金のために世話をしたわけではないと言うが、由良助は後々顔世御前のことも頼みたいためのものと告げて外へ出る。むっとした義平が汚らわしいと進物を蹴飛ばすと、中からあらわれたのは、おそのがしていた櫛笄と切られた髪、そして離縁状だった。それを見て駆け込んみ、驚くおその。実は、さきほどの櫛笄泥棒は由良助が大鷲に命じてさせたことだった。髪を切った尼法師の形であればどんな親も嫁入りさせようともしないし、嫁に取ろうとする者もいない。由良助は、彼女の髪がもとのように伸びる100日後には由良助らも本懐を遂げており、そのときにはこの櫛笄と添え髪で笄髷を結って天河屋の花嫁として冥途の由良助を仲人に祝言を挙げよ、それまでは大鷲と矢間を仲介人に尼の乳母天河屋の“奉公人”になれと告げる。義平とおそのはその由良助の志に深謝する。由良助は町人ゆえ討入に同行できない義平の義心を讃え、夜討ちのときに家名「天河屋」を合言葉とすると言う。そうすれば、義平も討ち入りに加わったも同然というのである。のちに「天河」の合言葉は「山・川」と言われるようになり、由良助の兵法は「忠臣蔵」と呼ばれるようになったが、このように世の言葉がはかなく移り変わっていくように、由良助たちは天河屋の人々と別れゆくのであった。

天河屋室内のしつらえが以前に観た「天河屋」とは少し違うようだった。「天河屋」の屋号の入ったのれんがなく、屋号は普通の世話物の商家のように外へ幕状にはってあった(確か……)。長持に座る部分など、人形の演技の段取りもなんだかちょっと違う感じ。義平は丈の長いどてら(?)のようなものをロングコートを流すように羽織っていて、イメージが少し違った。長い丈の羽織ものを打掛とは違う着方で着ている人形はあまりいないと思うので、おもしろかった。

それにしても、朝の第一部の河庄から始まってこのかた、11月公演、人形が全部標準サイズのやつらばっかりなので、突然義平がドーーーーーンと出てくると、「でか!!!!!!!!!!」感がはんぱない。身長2m以上あるだろと思った。
しかし、爽やかでサラリとした義平で、とてもよかった。玉也さんにこういうみずみずしい役は普段あまりないよね。「天河屋の義平は男でござるぞ」のところ、もっと講談っぽく、濃い味の芝居味をされるかなあと思っていたけど、かなりさらっと流していて、意外だった。素地が清冽な人(玉志サンとか)ならわかるけど、玉也さんがこうするとは、粋な感じ。
それと、玉也さんの義平には目線の動かし方に結構特徴があって、面白かった。動作自体はかしらに合う品のあるものながら、顔を動かさずに目でだけ注視すべき対象を追うといった「目」での演技で表情をつけている。義平は、戸口のあたりでウロウロする場面が多い。戸口からあやしいやつが屋内へ入ってくると、顔は客席側に向けておき、目線だけ屋内のその人物の行動を追うという演技をかなりシッカリとつけてあった。至極普通に振舞っているようで、その目線から義平には慎重さや警戒心があることが客にもはっきりとわかる。
玉也さんは武士系の役でも目線の演技をピンポイントで効果的にやっていらっしゃると思うが、武士ではここまで頻繁にじろじろぎろぎろはできないところ、義平は町人・この段は世話的な話でもあるので、目線自体で芝居をさせることが成立しうるのだと思う。あと、「立役の目線の送り方の演技」にはそれ自体に高い難易度があるなと最近本当よく思うので、これが独立した演技として成立していること自体、興味深い。

この段でおもしろかったのは、通常の短縮版には登場しない登場人物である丁稚・伊吾が、「人形廻し」にハマっているという設定。子守でやっているのではなく、完全にヤツの個人的な趣味(天河屋をクビになったら人形廻しになろうと思っているアホ)。伊吾は法師姿(?)の弁慶のちっちゃな人形を持っていて「泣き弁慶の信太妻」というオリジナル演目を披露してくれる。弁慶の人形は白い頭巾に黒い法衣?を着て、両手で薙刀を持っており、この手が仕掛けで動くようになっていた。人形は棒を芯にしたつくりになっていて、その棒を人形遣いが直接握り、下部につけられた輪っか状のヒモ×2を親指・人差し指にひっかけて引くと、手がぱたぱた上下して薙刀をふりかざすことができるという仕掛けっぽかった。20cm程度の人形だけど、結構細かい細工がしてあり、最初に見たときはびっくりした。ここまで凝ったつくりの小さい人形を出すことは知らなかったが、大阪公演は前列席でも一応オペラグラスを持っていくようにしていたので、2回目にはじっくり見られて、よかった。よく見ると顔もちゃんと描いてありました。

伊吾が「こゝに哀れをとゞめしは」と語る部分は原作だと文弥節がかりになる指定がしてあるけど、今回 のコスミさんも文弥節がかりだったのかな? 文弥節自体を知らないので、よくわからなかった。

 
 
 
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先述の通り、ここは錦糸さんによる復曲で、口を小住さん・寛太郎さん、奥を靖さん・錦糸さんが演奏していた。文楽劇場のプログラム、今回なら、どうして天河屋を復活したのかの経緯を企画者(文楽劇場制作)が語るとか、あってもいいんじゃないかと思った。もうちょっとお客さんと興行企画側とのコミュニケーションを増やしたほうがいいんじゃないか。文楽はせっかく(良い意味で)アットホームなこじんまりとした興行なんだから……。復曲を担当した錦糸さんはどういう点に注意して曲を作って、それをどういう稽古でみんなに共有したのかとか、カンタローやコスミさん、ヤスさんはそれを受けてどう考えて、どう取り組んだのかのインタビューを取るとか。襲名披露や派手な演目ばかりが技芸員の売り込みの手法じゃないと思う(もしかして詳しいことはキンシ・ホムペに載ってる!?)。
ところで、口の部分の上演中、舞台袖の暗がりに座って床本を開き、人形を少し見ながら本を読んでいる太夫さんを見かけた。ベテランの人。こういう人でも、わざわざ残って袖で人形確認しながら本を勉強するんだとちょっと驚いた。

しかし、この段が1時間あるのは長いね……。間延び感がすごいし、内容的にも正直言っておもしろくないし……。八段目からしかやらない公演で、あれだけ引き締まった九段目の後にこれいるの?って感じだった。

 

 

 

十一段目「花水橋引揚の段」「光明寺焼香の段」。

通常どちらかしか上演しないところを、両方やります!という企画。「天河屋の段」を原作通りに復活する意図はわかったが、「花水橋引揚の段」「光明寺焼香の段」は原作通りじゃなくて、増補だよね。謎の混在……。原作だと討入の場面と焼香の場面が連続した一段になっていて、焼香は高師直邸でやるはず*4。現状の文楽では討入の場面を人形遣いの人数的な事情でまず上演できないので、改作上演している理由はわかる。でも、内容がなんかカブってる感あるので、普段はどちらか片方しかやらない理由がわかる気がした。原作を尊重するなら、いずれは討入の段の後半(首を討ってから)を復活するのがいいような気がする。

あと、さすがにお人形さんはみんなオソロの格好で並んでいると、なんか、かわいい……。「よかったね……」って思った。歌舞伎でも映画でも、人間だとあの衣装着て並んでいても別になんとも思わないのだが(忠臣蔵に一切興味なしの進なので)、人形だと「がんばって……いきてる……💓」って感じがして、キュンとする。あの衣装、よく見ると由良助だけ黒の部分にも織りの模様が入ったちょっといい布で出来ているのもよかった。そして、勢揃いで並ぶ場面で人形遣いさんたちが一生懸命間合いをつめて並ぼうとしているのが本当にいい。すみっこのほうの人が入りきれなくてきゅうきゅうしているのもいい。初日近くに行ったからだと思うけど、由良助の演技に合わせてみんな一緒の演技をするところで、普段、ほかの人を覗き込むなんてこと絶対しないような人形遣いさんたちもみんな一生懸命由良助の人形を見ているのも味があった。そして一人悠々と通常営業の玉男様……。ザ・文楽って感じで、のどか……。
以上、上演内容と一切関係ない素朴な感想でした。

 

 

 

今月はやはり九段目がおもしろかった。

ほんと、和生さん、勘十郎さん、玉男さんの3人がいままでずっと人形遣いを続けてこられてよかったと思った。それぞれ別々の個性があって、力が拮抗している3人が揃っていること自体がミラクルなんだなと思う。よくもまあ見事にばっちりはまった形で個性が別れたなーと思う。戸無瀬、本蔵、由良助、全員まっすぐな心の持ち主だけど、そのまっすぐぶりが違うことが、舞台から自然に伝わってくることがよかった。いまの文楽がなしえるベスト配役だと思った。

そして、今回は年間通し上演の最終回ということで、客席もそわそわしていた。
具体的に言うと、討ち入りするかどうかで……。
十段目の開演直前、近くの席のお客さんが「討入するのかな……💓一年見てきたから、ここまできたら盛り上がるね……」とつぶやいていたのにはドキドキした。そのお客さん、天河屋が終わって大道具転換の幕がしまっている最中に、さらに「いよいよ討入するのかな……」とおっしゃったのでさらにドキドキしてしまったが、同行者の方が「人形そんなにもたくさん出せないから、討入の場面はないと思うよ💦でも、討入の格好はしてると思う!」と励ましておられて、ホッコリした。
「討入の格好はしてる」、確かに。あの衣装着てるだけで「なんか観た!!」感がある。私も今後ぜひとも使っていきたいフォローワードだと思った。文楽劇場もぜひ使って欲しい。
そして、終演後の帰り際、「討入しなかったね……。そりゃそうだよね……(人形的な意味で)」と話しながら歩いておられる方もいらっしゃった。4月公演でお見かけ申し上げた、討入を楽しみにしていたおじさんは今頃どこにどうしてござろうぞ。私も今回はもしかしたら頑張ってくれるのかなと思ったけど、頑張れなかったみたい……。原作に討入の場面そのものは、ある。でも、原文を読むと、登場人物が大変多く、かつ出入りが激しくて、人形がものすごく大変。用事が済んだ人形はすぐ引っ込んで次の役に回るにしても、人形遣いの人数が全然足りない。これ、やってた頃はどうしてたんでしょうね。観ても面白い内容とも思わないけど、せっかくなのでチャレンジして欲しかったですね(無責任)。

上演の構成としては、相当、文楽好きな人向けの印象だった。4月は殿中刃傷・切腹があるので、いわゆる「忠臣蔵」しか知らない方でも見やすいし、7・8月は七段目があるので歌舞伎が好きな方も入りやすいと思ったけど、今月の九段目をメインにした構成はもう文楽好きな人超ピンポイントのような気が……。そして天河屋・花水橋・光明寺も、あれを全部出すことに意義が見出せる人向けにファンサービスでやってるのかと思った。いままで文楽を観たことがなくて、今回の企画ではじめて文楽を見て、かつ継続して今月まで来てくれたという方がいらっしゃるようだったら、今月のご感想を伺いたい……。今月は第一部も地味だし、どうせいっちゅうねん感がある。

年間3分割通し上演企画自体については、当たり前の感想だけど、普通に1日で通し上演したほうが面白いと思った。バラバラに上演されたことで、『仮名手本忠臣蔵』は全段通して緊密な構成に作られていることがよくわかった。余計なものがなくスピーディーで、全編通して物語が張り詰めている。バラバラにして上演すると雑味が入って、ものすごい間延びを感じるんだなと思った。どの人にもある程度良い配役をまわすメリットは感じたけど、「通し狂言」と銘打つのは無理があり、全段通していっきに観たときに感じるエネルギーやおもしろさは損なわれるなと感じた。あとはやっぱり今月の間延び感は相当つらいですね。少なくとも、九段目で帰っても見応えにかわりがない(むしろ九段目で帰ったほうがいいまである)ようなやりかたは、避けたほうがいいと思った。

↓ 春・夏・秋と全段通し観劇するともらえる記念品の手ぬぐい。イラストは勘十郎さん。絵が凝りすぎていて、勘十郎さんのただならぬ意気込みを感じる。クオリティが高すぎてむしろ若干怖い。

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↓ 春・夏公演の感想。

 

 

 

 

2階売店の新メニュー「文楽パフェ」。

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ちょっと豪華なカップアイスに文楽せんべいを刺したもの。文楽せんべいの柄はアドリブなのかな。私は弁慶だった。注文するとカウンターの人が店の奥に消え、しばらく時間がかかってから持ってきてくれるのだが、何をしているのだろう。首を討っているのかもしれない。フレーバーはチョコと抹茶がある。文楽的にはストロベリー味を期待したが、なかった。380円。

 

 


おまけ。

仮名手本忠臣蔵』のパロディ、十返舎一九黄表紙『忠臣瀬戸物蔵』(享和2年 1802)について。

薩摩土瓶は墨消壺の妻・染付茶碗に横恋慕するが取り合われず、殿中で墨消壺を愚弄してフタを打擲して割る。怒った墨消壺はファイヤー、擂鉢に消火されながらも土瓶にタックルして欠けさせてしまう。墨消壺はその咎で切腹、お家は断絶。墨消壺の遺臣・丼は祇園の茶屋で遊興に溺れるフリをしていたが、亡君の逮夜のため中身に綺麗な水をくんでいたところ、貧乏徳利に頭の水で盃を洗われてしまう。そこで水を汲みかえようとするが、遊女となっていた土鍋の妻・水飲みがそれを目撃、頭に差していた砂糖さじを落としたため、丼はびっくりして水をこぼし、縁の下に忍んでいた貧乏徳利に水替えを勘付かれてしまう。擂鉢の娘・小皿は丼の山科の閑居へ発送されるが、そのあとを鉢をひっくりかえして虚無僧に化けた擂り鉢がひそかについてゆく。色々あって丼らは土瓶の館へ討ち入り、ついに亡君の仇をとる。

というあまりにひどい話で、『仮名手本忠臣蔵』の全段を知っているとメチャクチャ笑える。食器になったせいか全員性格が大味になって、与一兵衛(備前徳利)・勘平(土鍋)・本蔵が別に死なないのが最高。食器ワールドは平和だった。

↓ 擂鉢(本蔵)の娘、小皿(小浪)。割れてしまう前にこじんまりとでも嫁がせたいと、擂鉢は小皿を丁寧に梱包して山科へ発送するのでした。
擂鉢が小皿に下げている札には「われもの」と書いてある。あと、小皿、ほかの瀬戸物キャラに比べて皿サイズがほんとにちっちゃいのがまじ笑った。(なぜ擂鉢から小皿が生まれるのかは不明)(この話には戸無瀬はいません)

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↓ 鉢をひっくり返して笠にして、すりこぎを尺八に山科閑居へ現れた擂鉢。
お石がいなくて誰も「ご無用」の声をかけないため、え???わし、金もらえるの???な状況になってしまう。(ひどすぎ)

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↓ 山科閑居の段の後半の内容が複雑すぎて作者が投げやりになり、突如奈良茶碗(力弥)が擂鉢をひっくり返して味噌を擦りはじめる。
(もう誰もなぜ味噌を擦っているのかわからない)(右下のにょろにょろした文字は「こゝはなんだかさつぱりとわからねへ」、摺鉢の下のにょろにょろは「さくしや(作者)わからねえはずよ おれもわからねへ」と書いてあります) 

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ところでこの話、導入部に「天河屋の段」で「はらへりえもん」「おおめし食い」が来たと思い込んで騒ぐ伊吾のセリフが引かれているんですが、あのシーン、江戸時代には有名だったんでしょうか。『仮名手本忠臣蔵』を部分的にではなく全段知っていないと全然意味わからない話で、江戸時代後期にはそんなにメジャーだったんだと思わされました。歌舞伎でも相当全段上演していたとかなのでしょうか。『仮名手本忠臣蔵』の受容史を勉強したいところです。

 

『忠臣瀬戸物蔵』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。

 

 

 

*1:関西特有の言い回しの一種。負けず嫌いで、人に負けると泣いて意地を通す者のことだそうです。「涙弁慶」ともいい、「泣き不動」といった類語もあるようです。

*2:春画。鎧や兜を入れる大型の箱に入れる風習があったらしい。

*3:房事の道具類(文化デジタルライブラリーにアップされている床本注釈によるマイルド表現。もと豪速球の解説をしている注釈書もあります)。

*4:話の流れとしては、高師直邸の床の間で一同が焼香していると、若狭之助が高師直の弟がこちらに向かっていることを知らせにやってくる。由良助らは光明寺で自害しようと思っているのでそれは若狭之助に任せ、光明寺へ向かおうとするが、そこに薬師寺次郎左衛門(いたね〜!そんな人!!)と鷺坂伴内が現れるも雑魚らしく力弥にすぱっと殺され、物語は唐突に終わる。花水橋や光明寺といった別の場所へ移動することはない。

文楽 11月大阪公演『心中天網島』国立文楽劇場

11月大阪公演第一部は9月東京公演に続き『心中天網島』、一部配役を変更しての上演。

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北新地河庄の段。

河庄の中は東京から配役変更で織さん・清介さん。東京とは少し違う詞章でやっていた。具体的には、小春が太兵衛を罵って呼ぶ名前が毛虫客→李蹈天と、近松原作通りになっていた。それと、太兵衛・善六の口三味線が地獄のように下手になっていて笑った。東京の三輪さんは美声をいかした素人天狗風にしていたので、ギャップ。あのヘタクソで騒いでは、確かに花車に止められると思った。

奥は東京から引き続き呂勢さんのはずだったが、呂勢さんが病気療養のため全日程休演。ピヨピヨの若いモンが代役やるんだろうなと思っていたら、津駒さんになっていて見て仰天した。それでは呂勢さんの立場がないと思ったけれど、結果的に河庄は成功した。陰影の深さ、冬場の湿気の高い寒い夜の空気感と不幸への予兆、淀みと暗い華やかさがある河庄になっていた。程よく俗な雰囲気で、江戸時代の上方の空気ってこんな感じだったのかなと思わされる。津駒さんは俗悪に転ぶことを辞さないからこういうことができるんだと思うけど、しかし、そういう精神性自体がすごいものだなと思った。あと津駒さんの得意技「性格悪い人の作り込み」が冴えており、太兵衛がなかなかに性格悪い人になっていた。治兵衛が格子にくくりつけられているのに気づいたときの笑い声が小声の失笑風で、完全に下に見て小馬鹿にしている感を強めているのが細かい。

治兵衛〈桐竹勘十郎〉は東京よりかなり物語に馴染んでいるように感じた。なにより治兵衛の雰囲気が河庄-紙屋-大和屋と筋が通った印象になっていた。演技に浮いた感じがない。河庄の治兵衛は、孫右衛門が隣にいるときだけ正気、社会性を取り戻した状態で、孫右衛門とちょっとでも離れるとたちまち社会性を失い、自分しか見えなくなるのだと思う。そのうち正気でない部分、気が急いての出にも若作りのようなこしらえた色気が下がって、自然に内面が表現されているように感じた。行動の派手さが自分のことしか見えていないゆえの空虚な印象に落ちていたというか……。自分のことだけになっているときには目線の向け方に特徴があって、格子に縛り付けられているときに太兵衛に顔を見られたくなくて極端にうつむいているのとか、孫右衛門に戒めを解いてもらって手首をさすっているときとか(そこはまず「ありがとうございます」だろ!)、極端に近い距離しか見えていない様子。逆に孫右衛門に説教されているときは、伏せてうつむいていても、目の前の畳の向こうにもっといろんなものを見ている感じだった。
治兵衛の派手さが浮ついていないと感じられたのは、津駒サン・簑助さん・ミノジロオ・玉志サンのような演技派手めな人がこの段に来たから、そこに調和して派手さが浮かなくなったからなのかもしれない。ただ、不要な気負いが消えたことはあるのではないかと思う。勘十郎さんは確実にご本人が自分で思っていらっしゃるより上手いと思う。ご本人のそのままが一番いいと思った。
それにしても、振り付けそのものは派手でも、精神性まで派手に(チャラく)見えてはいけない役って難しいなと思った。仮にその人形遣いのファンであったとしても、その浄瑠璃に描かれた性根と一致した表現を期待して見に来ているわけだから。治兵衛は河庄とそれ以外で精神の状態が違い、求められるものが異なるので、なおさら難しいと思う。

孫右衛門は玉志さん。玉志さんが世話物でここまで良い役に配役されているのは初めて見たが、河庄の孫右衛門の人物像「武士のふりをした町人」に落ちていた。あれは武士の芝居を打っている町人。町人のふりをした武士ではない。なぜそう感じるのだろうとしばらく思っていたが、座り方と肩から二の腕にかけての表情だろうか。背筋はぴんとまっすぐ伸ばしているが、武士ほどに肘を張っておらず、肩をすっと落としている。それと、商人としての居ずまいの正しさ、端正な雰囲気があって、治兵衛に懇々と説教をするところでも、感情が高ぶりすぎそうになると思い直してそこで止める。端正さというのは具体的に言うと、うつむくときは目を閉じてからうつむくという段階を踏んで思案の時間を感じさせたり、うつむいた姿勢では背筋を伸ばして肩を張ったまま首を直角に落としたり(これをやると額に出る微妙な陰影のせいなのか、人形に本当に表情があるように見える)、悔しげに首を左右に振る幅を狭めにして末尾を早めに止めたりするという動作の整理。玉志さんは首の微細な仕草に演技上の個性があると思うが、そこはとくに活きていた。普段は浄瑠璃に対して演技がかなり速い印象がある方だけど(動作のタイミングが浄瑠璃ジャストなのはそういう方針なんだと思うけど、演技の速度自体が浄瑠璃の間尺に対して速すぎて間が持っていないことがある)、かしらの動かし方が浄瑠璃に乗っていて良かった。
あとは小春にきせるを渡された時の不自然な反応が良かった。弟を思う一心で芝居を打って茶屋へ来たが、どうしたらいいか若干わかってない人って感じだった。これはほんまに玉志さんがあんまりこういう役をやったことないから、初日の段階では(アホなんで初日に行ったのです)間合いを読みきれてないんでしょうけど……。玉男さんはちゃんとある程度遊びを知っているようにやっていました。
治兵衛とはからみのある演技のタイミングが合っており、瑞々しくキリッとした印象が勘十郎さんと合っていて、ちゃんと兄弟に見えたのもよかった。
なにはともあれ、時代物のほうがお得意かなと勝手に思い込んでいたので、びっくりした。『心中宵庚申』の半兵衛とか、清潔感があるナヨナヨした二枚目、真面目さで破滅する役を見てみたい。

小春は2回目の出まで簑二郎さん、3回目の出のみ簑助さん。配役表が「紀の国屋小春(河庄・後半)吉田簑助」になっていたので、治兵衛の出以降が簑助さんで孫右衛門に偽りの本心を打ち明けるところが簑助さんで見られるのかと思っていたが、治兵衛が孫右衛門に河庄の中へ引き摺り込まれて以降、座敷の様子に慌てて出てくるところからだった。それでも、少しでもご出演が見られただけでありがたい。ああなるほど小春ってこういう人なんだなと自然に思える。心の中いっぱいに治兵衛のことを思っているんだけど、どうしたらいいかわからなくなって混乱している様子がよくわかった。改作の河庄は原作と違い、一瞬治兵衛に本当のことを打ち明けようとする心の揺れがあるけど、それに沿った造形だと思う。簑助さんが『平家女護島』の千鳥役や『嬢景清八嶋日記』の糸滝役を演じるとき、彼女らのいっしんな気持ちは人形から溢れ出そうで、ちいさなからだを船からめいっぱい乗り出しさせ、岸にいる人を最後の一瞬まで一生懸命見ようとしている。小春にもああいう感じがあった。治兵衛とはもう会えないだろうという悲しさがいっぱいにあふれて、人形からこぼれていた。あの二人と違って、小春は義理ゆえに自分の思ったままの行動はできず、治兵衛のほうを見ることができないのが大人なのだが……。下手の格子に背中を押し付けて泣いている姿が哀れだった。
あと、簑助さんって、動きに子猫のような独特のうにゃうにゃした感じがあるなと思った。あのうにゃうにゃ動作、相当クセが強いと思うが、出番が短いのに一本調子感がないのがすごい。

架空の美貌の簑助さんに対し、前半の小春役の簑二郎さんはかなりリアルな印象。もともと普通の人っぽさがお得意な方かと思うが、小春って確かにそんな高い女郎じゃないよなというのがよくわかるというか、実写映画なら小春はこうなるだろうなという、どこか煤けたような印象だった。述懐のあと、孫右衛門のひざにどこまでもたれかかるかは人によって違うようだが、簑二郎さんはかなりもたれかかっていた。和生さん(9月東京)、勘彌さん(8月上方文化講座)は手を膝に乗せる程度で重心は孫右衛門に預けないかたちにしており、かなり上品に寄せていた。

太兵衛は配役変わって勘壽さん。この太兵衛、めちゃくちゃカッコよくないですか!? 太兵衛は金持ち設定だが、本当に金持ってて洗練されている粋な遊び人風だった。線の強い品があるというか。確かにこれは毛虫ではない。少なくとも商売で付き合うとすれば、金払いがいいなら性格が多少悪くてもこれでええやんって感じ。速度とメリハリをつけたキレのある辛口の所作で、スタイリッシュな雰囲気。止めるところはピッと止めるのが良い。拵えでも襟巻きを高めに巻いていたり、歩くときは足をはねあげて履物の裏が前から見えるような足取りなのもちょっと気取った感じがあって良かった。11月公演で一番カッコよかったです。

河庄主人夫妻は変わらず主人・玉翔さん、花車・紋臣さんで品があり、それぞれ出番は少ないものの、この配役によって場が大幅に俗悪に傾かず均衡を保っていると思う。高級店じゃないけど、調度とか料理のちょっとしたところに店主のセンスがあって、通好みの店って感じ。それと、花車、東京公演のときから「なんかこういう婀娜っぽいんだけど上品ですらっとした美人ママ風の人、どっかで見たような……」とずっと思っていたが、わかった。草笛光子だわ。襖を閉めるときにはちゃんと襖へ向き直って座ってゆっくり閉めるが、お辞儀は丁重すぎずさっとする仕草がそういうバランスを感じさせるのだと思う。紋臣さんには往年の宝塚・松竹歌劇団出身系女優のオーラを感じる。

 

 

 

天満紙屋内の段。

おさんは配役変わって清十郎さん。持ち前の不幸オーラMAXで、年若そうなのが特に不幸さを増していて良かった。若く見えるからか、生の人間っぽい感じがある。清十郎さんと勘彌さんが具体的にどう違うのかは言葉ではうまく言えないが、やはり佇まいがぜんぜん違う。勘彌さんのおさんは家の切り盛りをしている時と治兵衛と二人きりになってからのメリハリが強く、建前を十分わきまえていたはずの貞女がこらえきれなくなって嘆いている感じがあったが、清十郎さんの場合は前後がシームレスな印象で、建前をまだ知らない、半分まだ娘さんみたいな感じがあった。本当に本心を言っちゃっているというか。おしとやかな若妻って感じ。香りでいうと、上品なお香の香りと、切りたての生花の香りの違い。東京・大阪で左遣いの人はおそらく同じだろうと思うが、主遣いでかなりの差が出るものなんだなーと思った。清十郎さんは所作を綺麗に整理しすぎていないところが儚げな透明感を生んでいるんだと思う。儚さと生っぽさが両立しているのは現代的な印象。
それにしても、できることならもうすこし精度が上がった状態で見たかったが……。いろいろと困難はあると思うが、どうか頑張って欲しいと思った。

治兵衛は社会性のあるクズぶりが発揮されていて、良かった。玉男様のクズは本当に社会性がゼロだが、勘十郎さんのクズには社会性がある。叔母と孫右衛門が来ると聞いて番台に座って仕事のふりをするところ(一応本当に仕事してます!)では、お客さんが受けまくっていた。東京で自分が見た回では全然笑いが起こっていなかったのに……。東京と大阪の文化の違い? 床のノゾミ効果? そのとき以外はずっとしな〜っ……としていた。おさんに声をかけられ、起こされるところは少しぼんやりした感じがあって、よかった。

孫右衛門は叔母〈桐竹亀次〉を丁寧に案内して紙屋へ来るところとか(叔母が前を通るときは微妙に頭を下げる)、最後に庭(土間?)へ投げ捨てたそろばんを拾い、治兵衛の目を見て「ちゃんとするんだよ」とばかりに少しうなずきながら渡すのとかが良かった。上品なお兄ちゃんって感じ。このあたりの演技を東京公演で玉男さんがどうしていたかの記憶がないが、叔母がおさんに説諭している隣に座っているときの佇まいはほぼ同じ印象に感じた。玉男さんと玉志さんって言われなきゃ兄弟弟子だとわからないくらい人形の雰囲気が違うと思うけど、こういう品のある町人役だと結構近いんだなーと思った。それでいうと玉男さんは町人の演じ分けバリエーションがかなりあるなと思った。治兵衛役も観たかった。

アホ丁稚〈吉田玉勢〉は鼻水を手の甲で擦ったあと、甲も手のひらも着物の胸元で拭き拭きするのがアホそうでよかった。しかしみかん5個ってよく食うな。私、みかんは1個でも量が多いと思う。江戸時代のみかんはちっちゃかったんでしょうか。

ところで、最近すごい気になるんですけど、紋秀さん(役は下女お玉)って日によって髪型違うことありません? どういうこと? 私の心がかき乱される。確かにほかにもセットしているときとしていないときのブレがある人形遣いさんいてはりますけど、紋秀さんはその落差がすごくないですか。私はペカッとしている時が好きです。

あと、文楽特有の怪現象「四次元ポケット状態に無限にモノが収納できるコタツ」もやっぱり良い。あんなちっちゃいコタツにあんなデカいこども二人絶対入んないだろ。治兵衛はだいぶはみ出して寝ているのが良かった。

 

 

 

大和屋の段〜道行名残の橋づくし。

大和屋、道行ともに床が良かった。道行は若い雰囲気で透明感があった。題名には「名残の」と入っているが、小春も治兵衛も始まった時点でほとんどもう死んでいるのではという現世から浮いた感じ、フィクショナブルな感じがした。紙屋が終わったところで二人ともすでに社会的には死んでいるので、これも正しいのかもしれない。

ただ人形は狂言全体から見ると「???」な感じ。これは出演者の技術がどうこうではなく、小春の人形が河庄の最後のみ配役が違うためだと思う。小春の人物像がぷつりと途切れている印象を受けた。床や治兵衛役は変わらないのに人形の緊密さがなくなって、小春が大和屋で死を決意しているのがすごく唐突な感じ。二人配役にしている以上どうしようもないけど、人形の演技は全段通しての設計あってこそ映えるものなんだなと思った。

 

 

 

今回、河庄はかなり良かった。濃度があった。2回観たけど、もう1回観たかったな。

全段通しての印象は、東京公演ではのっぺりして「当時の浄瑠璃は素朴だったんですね〜」と感じたが、大阪公演では河庄の密度が上がって紙屋の淡々とした雰囲気が引き立ち、三つの段がそれぞれ見取りのような印象になった。

ただ三段がバラバラなのはやはり残念。この演目で全段通してひとつの狂言としての抑揚がつくのは難しいのかな。浄瑠璃も後期の作品になると、どういう配役での上演でもそこまで気にならないあたり、演劇としての抑揚や密度が本文だけで計算されているだなと思った。

9月東京公演と近接しての上演なので、比較して観てる部分が多く、上演内容そのものというより、自分自身の感じ方・見方やその傾向、クセに気づかされる部分があった。加えて、人形に関しては、自分がどういう人を好きか、どういう人をうまいと感じるかの傾向がわかった気がする。
人形の演技がどう見えるかというのは、人形でやっているぶん、人間のそれより観客側の解釈の幅が広く、観ている自分の心のもちかたが見えているのだと思う。自分の心が鏡に映ったように人形の演技を通して見えてくるのだろうと思った。自分に集中力があるときとないときでも、全然見え方が違ってくるように感じる。

あと、自分は見たいところしか見ていなくて、しかもそれに対してどう思うかはすべて主観だなと思った。

↓ 東京公演の感想。あらすじもこちら。


 

 

 

第一部の幕間、和生さんが小浪を遣って募金活動をされていた。咲さんは自著を売っていた。文楽では普通の自主活動風景ではあるが、人間国宝がなぜ募金活動で客と記念写真撮ったり、同人誌即売会みたいにスペースに座ってたりしているのか(咲スペの人々は募金活動の声かけを手伝っていた)、冷静に考えると謎の空間だなと思った。

募金活動は、私が見たタイミングだと、玉也さんがおその(義平の妻)を遣っていたり、玉男さんが小浪を遣っていたりした。人形陣はわざと普段の配役と違う人形を持ってお客さんを喜ばせようというコンセプトなのだろうか。

募金は休憩時間が深くなってくると、記念写真希望の人の行列ができはじめる。列が形成されると記念撮影を断れない雰囲気になるので、終演直後のロビーグッチャグチャのときにすばやく近づいて募金した。ただ、以前それやったら、お金を入れて速攻離れようとした瞬間、和生様に(人形で)掴みかかられ、人形の握力の強さと和生様の眼光の鋭さに威圧されたが、今回私がお金を入れたときに立っていらした玉男様は玉男様がこっちをじっと見つめてくださるのみだったので、よかった。あと、津國さんとか燕三さんとか清志郎さんとかも参加しておられて、ほのぼのとしていた。横っちょにどんどん集まってくる床の若者陣、良い。気づいたらカモが行列を形成して道路を渡っている感じ……。

 

 

文楽《再》入門 文楽の「現在」を知る本[『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽−人形浄瑠璃への招待−」学燈社]

かねがね、文楽の中級者向けの本を探していた。

というより、中級になるための本、といったほうが正しいか。

文楽は興行規模や観客人口のわりに初心者向けの本はそれなりにあると思う。しかし、中級者向け書籍となると途端に心当たりがなくなる。隣の芝はなんとやらしてなんとやらなのか、歌舞伎・能楽・落語等は研究書からエッセイから芸談からそりゃもうボウボウに生えに生えまくっているような気がするのにと、隣の庭は釧路湿原くらいあるんちゃうかと思いを馳せていたが、最近は、自分が読みたい「中級者向けの本」ってなんだろう?と思うようになっていた。

自分にとっての「中級者向けの本」とは、現行の舞台に興味を抱いている自分に対して、別の角度・切り口からの見方があることを示唆してくれるものだと思う。次の興味への端緒を発見できる本。その「次の興味」が現行舞台の技芸そのものへの理解を深めることにあるのか、それとも上演史にあるのか、あるいは近世文学にあるのか、義太夫の音曲面にあるのか、違うジャンルからの観点なのか、それはわからないけど、そこで知ったこと・感じたことを経て文楽をもう一度新鮮に見られる本がいいなと思っている。その循環の繰り返しが理解と愛着を深めることにつながると思っている。そういう観点から、自分が読んでよかったと思える文楽《再》入門本について書きたいと思う。

 

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『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽人形浄瑠璃への招待−」 学燈社

書籍ではなく、『國文学 解釈と教材の研究』という学術雑誌の増刊号で、ムック的なつくり。

人形浄瑠璃への招待」とマイルドな副題がついているものの、内容は一般によくある文楽の初心者向け本とは大きく異なる。有名演目解説や三業の役割解説はなく、現在の文楽という芸能がどのようなものであるのかを多方面からの解説によって理解できるようになっている。文楽は遠いところにある古いものだから、その遠く古いものを現代の感性で感じてみましょうという捉え方を超えており、文楽はつねに現在形で存在し続けていて、受容側がそれに気づいたとき、その価値が目の前に現れるというか。文楽の現代性(現代まで継承され続けてきた、現行の古典芸能であること自体)が重視されている内容だと感じた。文楽の観客対象の教本ではなく、国文学の雑誌なのでこういうスタンスなのだろうけど、古典芸能本で「現在」であることに意義をおくというのは、興味深い切り口だと思う。

この本の構成を要約すると、以下のようになっている。

  • 吉田文雀談話(文楽という芸能の実践・現場)
  • 実際の公演の詳細(国立劇場の制作意図/舞台見たまま聞いたまま/CD・映像ソフトガイド)
  • 人形浄瑠璃略史(古浄瑠璃から現代までの興行史)
  • さまざまな観点からの文楽へのアプローチ(言語学音楽学/近世演劇/歌舞伎・大衆芸能・民俗芸能など他の芸能との関係性)
  • ブックガイド 

 これらの内容のうち、とくに感銘を受けたものについて少し詳しく紹介したい。

 

 

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人形遣い吉田文雀師の談話では、芸談というより、「文楽という芸能がどのように伝承されているのか」がリアルタイム目線で語られている。いちばん印象的なのは、人形の役作り、すなわち「人形の演技はどのような考え方にもとづいてなされているのか」という点。

ここで語られている「人形の演技はどのような考え方にもとづいてなされているのか」には、大きく2つのものがある。

まず、人形の演技にはすべて理由があるべきで、それは本(浄瑠璃)に基づいていなければならないということ。演技に理由があるべきなのは当然だが、それは手前勝手の解釈や理由ではなく、必ず浄瑠璃に基づくものでなければならない。従来「刹那的・感覚的な芝居である」と言われていた吉田文五郎も、実際には浄瑠璃に基づき緻密に計算された芝居を行っていたという。具体的には、「合邦庵室」で玉手御前が実家へ入るときの所作それぞれのターゲットの考え方、「酒屋」でお園が父宗岸とともに婚家へ戻ってきたときにどういう振る舞いであるべきかの考え方、お園のサワリの演技を生涯検証し変化させていたことなどが語られている。

また、演技が観客にどう受け取られるかは時代につれ変化していくものであり、演者はそれに自覚的であらねばならないということ。「いままではこうやっていた」としても、時代の変化でお客さんが理解できなくなっていることはするな、と教えられていると。

これを突き詰めていくと、古典芸能といえど演技を変化をさせなくてはならないときがくる。実際、人形の演技を変更したとか、詞章を一部変更したというのは、芸談本を読んでいるとしばしば出てくるエピソードだ。

それでは、芸の変化を許容する考え方の元にある、文楽としてここは動かせないものはなにかというと、文雀師匠はそれは本(浄瑠璃)だという。本を読み、その役を突き詰めて考えて表現すること。その考え方・突き詰めるやり方は、時代に合わせて変わっていくという。「文楽で一番重要なのは本(浄瑠璃)」ということは、入門本類にはなかなか書かれていないし、鑑賞教室等でも言及されないけれど、文楽を理解する上でもっとも重要な事項だと思う。ここではそれが具体例を交えて繰り返し語られている。

それにしても、文楽は思っている以上に実務的・合理的な話が多いね。かしら割りにしたって、舞台を見ているだけでは、人形ってなんだかいっぱいうぞうぞしてるぞということしかわからないが、よく考えてみると、60人くらいひしめいているアレを毎月毎月用意するというのは大変なことだ。床山さん(当時は一人。いまはどうなってるのかしら?)の作業時間を考えて早期にかしらを決定して指示、次回公演・各位の個人仕事での単発使用発注も踏まえてかしらの運用を管理し、次の公演でも使い回せるものはそのまま使う等の工夫をしているという。文楽は古典芸能の中でもかなり不思議ちゃん度が高いし、なんだかおっとりしているように見えるので、なんとなく、フンワリしているのかな……? サンリオキャラがうぞうぞしている的な……? 言われてみれば体重をりんご換算できそうな……? という印象を受けるが、技芸員にしてもスタッフにしても少ない人数・固定のメンバーで毎月舞台を回さなくてはいけないという観点から、実情はものすごく合理的な運営になっていることに驚かされる。

ほか、文雀師匠の子ども時代、まだ客として文楽を見ていたころの戦前の大阪の芝居茶屋や芝居小屋の様子が仔細に語られているのも興味深い。文雀師匠のご実家は芝居茶屋へ布団を手配する商売だったという。当時の文楽の客は道頓堀川から船で芝居茶屋へ乗りつけて、預けておいた布団を出してもらってそこへ泊まったそうだ。そして翌早朝、芝居が始まる時間になると、茶屋から芝居小屋へ渡した板を歩き、足袋のまま直接芝居小屋へ入っていたという。もう、あまりに隔世の感がありすぎて、本当、驚き……。むかしは朝6時くらいに開演して大序から通しでやっていたと聞くが、そんなん客みんな三段目くらいからしか来ないのでは?と思っていたが、文楽好きな人は近隣在住なら暗い中を籠で乗りつけたり(籠!?)、遠方在住なら前ノリして前泊、朝イチから見ていたそうだ。公演の状況は変わろうとも、やる気のある人のやる気だけは時代を問わないと思った。

 

 

 

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以上は技芸員側からみた現代の文楽公演の状況だが、続いて、国立劇場文楽劇場で制作にたずさわった山田庄一氏から、文楽本公演の準備進行過程、上演演目の制作意図や施策が解説される。国立劇場は設立時、なぜ通し上演を復活させようとしたのかや、文楽公演における新作の意図や東京公演/大阪公演の観客の違いによる公演企画の検討等、興味深い話題が多い。技芸員の談話にしてもそうだけど、現場の人はコチラ(客)が思っている以上に文楽公演はあくまで客あっての興行という意識が高いと感じる。誰のために何をするのか、最終的に何を目指しているのか、誰に何を伝えたいのか。技芸員は目の前にいる客との芸を通したコミュニケーションを重視しており、国立劇場側(というか山田庄一氏)は集客とともに将来を見据えた文楽・客の双方の育成を意識していると感じた。

ところで、文楽には、かしらが火災に遭って大量に焼失した場合、興行ができなくなり、最悪芸能が断絶するおそれがあるという大きなリスクが存在している。大江巳之助さんの存命時の話だが、文楽劇場設立前はかしら・衣装は文楽協会の所有で、国立劇場は手が出せなかった。そこで、当時始まっていた研修生育成事業の教材費を名目にかしらの製作費用を捻出。最低忠臣蔵が打てるだけのかしらを国立劇場サイドで保有する計画を進めていたようだ。現在、かしらは文楽劇場が所有・管理していると思うが、いまでも緊急時に備えて、どこか別の場所へかしらを保管しているのかな。

 

 

 

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以降は知識編で、人形浄瑠璃略史のパートでは古浄瑠璃の時代から現代に至るまでの浄瑠璃の歴史を概観できる。

浄瑠璃の歴史は『岩波講座 歌舞伎・文楽』シリーズに詳説されているが、詳しすぎて基礎知識がないまま読むと大変。本書は歴史のアウトラインをつかんでおくのに好適だと感じた。時代別に4人がリレー式に書いており、書き方が統一されていないところもおもしろかった。読みにくいっちゃ読みにくいんだけど、その時代時代によって着目すべき点や興行の変遷の状況・スピード感が違うので、単純な年表形式でなくてかえってわかりやすいように思う。文楽関係の書籍は竹本義太夫からその歴史を解説することが多いが、本書はそこに至るまでの時代・古浄瑠璃パートを設けているのが特色で、現行の舞台では知り得ない時代の大いなる厚みを感じた。

 

 

 

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文楽から発展しての興味関心という点では、近世演劇史以外の観点から見た文楽や、人形浄瑠璃の周辺文化への目配りがされたパートがアツい。

いままでの自分にまったくなかった観点を与えてくれたものを挙げるとしたら、言語学サイドからみた文楽に残る近世語を調査した記事「近世語と文楽」。「か」を「くゎ」と発音する等の音韻、あるいは、登場人物の身分等によるアクセント位置の違い(演出上の「訛り」)などの発音の側面から、近世語が文楽にどこまで現存しているかの調査が報告されていた。発音に関しては通常、義太夫大阪弁であるべきという話題が多くなるので、近世語という観点からの解説は興味深い。謡曲は音声問題を重視し、古い発音を保持するために謡本・稽古本等が発達したが、義太夫では清濁・アクセント以外の発音が重視されることはなかったという。そのため、発音面では「演者による」現象が結構発生しているようで、登場人物の身分や来歴の区別に近世語の古態を用いているらしい人と、法則性なくそれが出現する人がいるという例は、興味深かった。(ただし、太夫に聞き取りをしたとかではなく音源比較による調査なので、記事中には太夫の実際の意図等は書かれていない。)

古典の研究と現代の上演をつなげるという観点からは、「近松文楽」が興味深い。内容は、近松門左衛門と初代竹本義太夫による当世浄瑠璃の嚆矢『出世景清』を浄瑠璃史の中で捉え直すというもの。礎となった古浄瑠璃「景清」→『出世景清』→そこからさらに発展させた『壇浦兜軍記』を通して、一連の景清もので描かれる趣向の変遷から、浄瑠璃の先行作の取り入れ・アレンジの手法が理解できるようになっている(と私は受け取った)。また、昭和60年に行われた『出世景清』の復活上演がなぜ失敗したのかの考察も興味深い。って、もう失敗したこと前提なんですけど(これ、褒めてる人見たことないんだけど、どんなことなってたの? みんな理由を国立劇場の企画自体の失敗だと言ってるようだけど、ここまで批判されてると逆にどういう上演だったのかが気になる)、そこには現代の文楽公演で近松作品を扱うことの困難が端的に現れている。それにしても、文楽浄瑠璃)の作者の中でもっとも有名な近松の作品が実は現行文楽には合っていないって、文楽好きな人にはその理由がわかっていても、ご覧にならない方からしたら信じられないことだと思う。

 

 

 

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この内容を2019年版にアップデートした本が出たらいいのにと思っている。これ自体10年ほど前の本なので文楽公演の現状は変わってきているし、また、特にブックガイド等は内容が古くなってきていて、いまでは入手できない本やさすがに古く感じる本も多い。最新の知見や状況を知りたいことも多いし、いま第一線をつとめる現役技芸員の率直なことばを聞きたいと思っている。どこかの出版社がこういう本を出してくれないかしら。

 

 

 

 

『國文学 解釈と教材の研究』2008年10月臨時増刊「特集 文楽人形浄瑠璃への招待−」目次
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[インタビュー]
 吉田文雀師に聞く 人形の役作りとかしら割り(聞き手・後藤静雄)
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[コラム]
 文楽の配役 (横道萬理雄)
 四つ橋文楽座 (肥田晧󠄁三)
 文楽の面白さ (水落潔)
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舞台が開くまで (山田庄一
[舞台鑑賞」
 『本朝廿四孝』十種香の段・奥庭狐火の段 (富岡泰)
文楽のCD (大西秀紀)
文楽の映像資料 (飯島満)
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人形浄瑠璃略史]
 古浄瑠璃から近松へ 演劇空間の創造 (坂口弘之)
 人形浄瑠璃黄金時代 戯曲の時代 (内山美樹子)
 浄瑠璃の十九世紀 フシの変遷 (倉田喜弘)
 大正・昭和・平成の文楽史 今日への歩み (高木浩志)
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文楽研究とその周辺]
 民俗芸能と文楽 (齊藤裕嗣)
 近松文楽 (井上勝志)
 近世語と文楽 (坂本清恵)
 義太夫節の音楽的研究 (垣内幸夫)
 「趣向」と「虚」 近世文学に人形浄瑠璃全盛時代がもたらしたもの (黒石陽子)
 歌舞伎と文楽 (河合真澄
 寄席芸と文楽 (荻田清)
 操り人形考古学 (加納克己)
 五行本の世界 抜き本についての覚え書 (神津武男
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文楽読書案内 (児玉竜一
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