TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『心中宵庚申』国立劇場小劇場

11月大阪公演で観てあまりのありがたさに合掌しそうになったかんたま『心中宵庚申』、再び。

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今回は、11月大阪公演での同演目と比較しつつ、再度観劇して改めて感じたことなどを書いていこうと思う。

↓ 2017年11月大阪公演レポ。

 

 

 

上田村の段では、11月大阪公演配役から父平右衛門=吉田和生→吉田玉也、姉おかる=吉田簑助→豊松清十郎に変更。この配役変更にそれぞれの人形遣いの個性の差が出ていてよかった。

11月の和生さん平右衛門は「病気を気の強さで抑えているのか、それとも無理に気丈に見せているのか」と感じさせる、シャキッとした線の強い偉丈夫風の姿だったが(大百姓感がすさまじかった。武家の出ですかって感じ)、玉也さんの平右衛門は障子が開いたときから体を伏せ気味に、巻いた布団にかなりもたれかかって病の重さを感じさせる姿勢。その後のやりとりでもしんどそうにしている。可愛い娘が帰ってきて辛そうにしているのを、自分が苦しい中でも放っておけない父親のイメージだろうか。お千代のこととなると辛いであろうに姿勢を正して向かい合い、在所の強気の爺さん感が出ていた。

一方の姉おかる、清十郎さんは真面目でおとなしげなお姉さん。きちんとしてそうな居住まいは良いんだけど、人形の表情が少しきついように思われて、あんまり本調子でいらっしゃらないのかな。ピントが合いきっていない感じがした。清十郎さんはお千代タイプなんだろうな。なんかそこはかとなく悲壮な感じがするし。

11月から変わらずの勘十郎さんお千代は打ち沈み、疲れたような表情で駕籠から降りてくるのが心を掴む。暗く凍った心もさることながら、在所の冷たい風で肌も冷え切っているようだった。別に普通のかしらなんだと思うけど、面痩せて見えて顔色も青白いかのように感じる。「しぱ…しぱ…」とした伏目のまばたきが哀れを誘う。よく見ているとけっこうリアリスティックなまばたき。国立劇場小劇場って、文楽劇場よりステージが客席と近い気がして、同じような席でも細かいところまで見られた気がする。

 

 

 

八百屋の段。

伊右衛門女房=吉田簑二郎→吉田文司、八百屋伊右衛門は吉田簑一郎で変わらず。『心中宵庚申』は初週と最終週の2回観たのだが、文司さんの因業ババアぶりがパワーアップしていて笑った。初週に観たときは、武智豊子のごとき因業ババアぶりを発揮していた簑二郎さんとは異なり、もうちょっと大御所女優のコミカル演技風で清川虹子?って感じだった。なのでお千代がかなり悲惨な感じに思えて怖かったのだが、最終週では文司さんも乗ってこられたのか、ちょっとおちゃめさのある因業ババアになっておられた。最後、半兵衛がお千代に離縁状を突きつけたあと去っていくのが上手の別の間でなく、のれんの奥側というのも簑二郎さんとは違う点。文司さんは、一度のれんをくぐった後も、もう一度半兵衛たちのほうを気にするように人形を少し悲しげに振り返らせておられた。

この段の途中、ウキウキと小走りに嫁ぎ先へ帰ってくるお千代の表情が上田村よりもぱあっと明るいのが印象的だが、まるで娘のように可愛らしい(本来のお千代の人となりであろう)演技に加えて、ここの段になると襟が変わるのね。上田村にはなかった蛍光オレンジ色の襟を胸元に覗かせている。それでお人形の顔が明るく見えるのかしらん。桃色に上気したほおに若々しさが溢れ、みずみずしくはずんでいるように見える。上田村では襟はくすんだピンクとグレイッシュな水色だけだったはずだから、同じお人形を使っているかと思いきや、胴を交換しておられるのかな。

半兵衛も優しい旦那さん風でとても良かった。これはもともとの玉男さんの持ち味なのか、大阪、東京共通しての良い点だった。お千代の背中を抱いてぽんぽんしてやる手つきが自然で優しく、男性不信になっていてもおかしくない境遇の彼女が一心に信じている人というのがよくわかる。ちょっとしたしぐさなんだけど、この手つきだけで半兵衛がどういう人なのかわかるのが良い。最後に柱にしがみついて泣き崩れるところは今回観た回のほうがより印象的だった。客席から見えないくらいにまでずり落ちて体を小さく伏せていて、本当にお人形が泣いているみたいでかわいそうだった。

床も大阪から変わらずの千歳太夫さん&富助さん。千歳さん絶好調、最終週はお声が心配だったけど大元気であられました。短スパンでの2回目ともなると体力管理も万全か。

 

 

道行思ひの短夜。

ここはやっぱり床の配役、三輪太夫さんがお千代っていうのが良いよね。お声の良さもさることながら、心からしぼり出されたような語り口でお千代の哀切が身に沁みて感じられる。三輪さんって女声なわけじゃないし、作り声してるわけじゃないけど、本当に女性が喋ってるみたいじゃない? 人形の声? と、魔性を得た人形が喋っている声のように思えて、どきっとすることがある。この段は三輪さんだけじゃなく、太夫さん三味線さんともに雰囲気づくりがとってもよかったと思う。やっと二人きりになれた半兵衛とお千代がお互いにだけ聞こえるように囁きあっているような、静かな雰囲気がとても良かった。客席全体に聞こえてるんだから小声というわけではないんだけど、囁き声に聞こえるような語り方。観客みんなが二人の囁きにそっと耳を傾けている、とても良い時間だった。

そしてやっぱり心中って綺麗事じゃなくて、人を刺して殺したりするわけだから、綺麗事では済まず生々しいことなんだと思った。血が吹き出て一面にたまっていくのがわかるよう。これ人形だから綺麗事じゃなく演じているけど、生身の人間が演じるとここまで出来ないと思う。

さて、大阪でよくわからなかった半兵衛が矢立を銜える仕掛けだが、わかった。矢立の軸にΩ型の細い針金のフックがついていて、それを半開きの人形の口に引っ掛けてるのね。これも国立劇場の近さだからわかったことだと思う。

ところで冒頭に出てくる庚申参りのカップル、玉翔さんと簑太郎さんだったんだけど、まったくカップルに見えなくておもしろかった(失礼)。いや、お二人とも愛くるしくて、お姉ちゃんとその尻に敷かれてる弟って感じだった。

 

 

 

大阪公演の感想の繰り返しになるが、お千代と半兵衛、ふたりの絆を感じさせるしみじみと良い舞台だった。なんで心中までするのか? お互いが良くて周囲が許さないだけなら、駆け落ちでもすればいいのではないか? という話ではあるんだけど、それがなんとなくわかるような。お千代も半兵衛も、それまで苦しいことばかりだったけど、やっとお互いの中に安息の地を見つけて安らいでいたのに、引き離されてもとの地獄に戻るなら……。半兵衛ママの冷たさもはいはいわかりましたわかりました〜ってかわし切れない二人の繊細さ純粋さゆえの悲しさを感じた。

 

 

 

今日はバレンタイン💖そんな今日、紹介するのは一組の夫婦愛を描く『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』だよ✨ と言って「#バレンタイン」タグをつけながら心中宵庚申の写真貼ってくる国立劇場のインスタ。そりゃ病気のおとっつぁんと孝行娘の図だよ。変なところで世間にガンガン便乗しようとしてくるのがやばい。Twitterのほうはバレンタインタグをつけて心中シーンを貼っていたので、インスタのほうがまだましか……。

 

 

 

 

吉田玉男インタビュー『心中宵庚申』編。ちょっとだけ人形遣ってるカットも入っている。この動画を見すぎて、玉男さんは人間国宝になるだろうか、認定されたら、認定式はともかく宮中のお茶会に呼ばれたとき、陛下とちゃんとお話しできるだろうかと、自分の人生には一切関係のないことで悩みはじめて眠れなくなった。


国立劇場2月文楽公演『心中宵庚申』吉田玉男インタビュー

 

 

 

 

 

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『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』弁士説明付上映(弁士・大蔵貢)

現在行われている東京国立近代美術館フィルムセンターの上映企画「発掘された映画たち2018」で、1908年(明治41年)にMパテー商会によって制作されたサイレント映画『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』が上映された。

映像自体はフィルムセンターがすでに所蔵していたものであるが、これに対し、弁士説明の音声を合成した新規上映用プリントを制作したというのが今回の企画である。

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http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/hakkutsu2018-2/

旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段[弁士説明版](17分・HDCAM-SR・白黒)
1908(Mパテー商会)(出)市川左喜次、中村歌扇、中村歌江(弁士)大蔵貢

http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/hakkutsu2018-2/#ex-18795

 

 

 

日本映画黎明期には歌舞伎をそのまんま撮りました的な映画が制作されていたが、それって映画館で上映するときどういう活弁をつけていたの?というのがかねてより疑問だった。特に義太夫狂言のように、映画の台本でない、一般庶民にも共有された「もともとの語り」が存在しているものは映像に合わせてそのもとの物語を語っていたのだろうか?と。調べりゃわかるんだろうけど、アホゆえになんも調べずのうのうと数年を過ごしてきたが、本特集の上映の中に『絵本太功記』の映画版『旧劇 太功記十段目 尼崎の段』が紛れ込んでいることに気づき、スハ天下の一大事とばかりにスタコラとフィルムセンターに行ってきた。

上映用素材の成り立ちとしては、1908年制作の映像に対し、1950〜70年代に文部省芸術祭主催公演として行われていた「映画の歴史を見る会」での1962年の弁士説明付上映の音声を合成している状態。なので、実際にはサイレント期そのままの録音なわけではない(サイレント期を再現しているわけではない)。また、当時上映に使われたフィルムはすでに失われており、フィルムセンターが所蔵するフィルムに無理矢理(!?)合成しているため、映像もしくは音声がジャンプする箇所がある。という状態だった。また、前述では歌舞伎と書いたが、本作の「旧劇」というのはいま松竹が興行しているもののような意味での歌舞伎ではない。いまの感覚からすると一般の演劇、大衆演劇的なものかしらん。

 

 

 

結論から言うと、活弁義太夫だった。

活弁の形式はメインの男性弁士(光秀、操、秀吉)+サブの女性弁士(さつき、初菊、十次郎)+太棹三味線の伴奏。ほかにツケ打ちの音が入っていた。

歌舞伎の義太夫狂言って、だいたい人物のセリフは俳優が普通に喋る/ナレーション部分は太夫義太夫節で語るという形式だと思うけど、この録音の場合はセリフも文楽のように節回しをつけて語る、ほぼ全編義太夫節状態だった。ほとんど文楽感覚というか……。ただ、登場人物の名前や一部のセリフは文楽にはないものだから、歌舞伎の台本なのかな。歌舞伎で絵本太功記観たことないからわかんないけど……。それともオリジナルアレンジか。

内容としては『絵本太功記』十段目、尼ヶ崎の段の、光秀の出(ここに刈り取る真柴垣〜)からだいたい最後まで(〜睨み別るる二人の勇者)が入っていた。上映時間17分に。

17分!?

文楽でやったら40分くらいかかるのでは!? って感じだが、ものすごい勢いで巻きまくっていて、超速かった。当時の映画の上映時間限界の長さにおさめるための対処だと思うが、すごい根性を感じた。しかしそのおかげで有名な部分は全部入っているので、せわしないけどぎゅっと楽しめるとも言える。まずテンポ自体が速めなのと、義太夫節だと言葉の末尾にかなり長い伸ばしが入ったりするけど、そういった要素は切り詰めて、映像に合わせて次々にぽんぽん語っていく。時代物っぽくない。加えて三味線だけで演奏表現する部分(例えば人物が泣き崩れるさまを三味線で表現している部分)を全部切っていた。そのためか、三味線の伴奏はかなりオリジナルになっているようだった。末尾のほうはおそろしく巻きまくっていて、特に初菊はセリフがかなり切られていて「この女、誰?」って感じの謎キャラのまま、何がなんだかわからないうちに光秀と秀吉が別れて終わっていった。最後の最後は義太夫の体をなしてなかったので、追いつかなくなってオリジナルでつけていたのかもしれない。

 

映画自体に関して。フィルムセンターの所蔵作品検索では武智光秀と操、さつきしか配役が出ていなかったけど、実際には初菊と十次郎、真柴秀吉(久吉)、加藤正清も登場する。どこかの庭先で撮ったみたいで、スタンダード・FIXの画角の中に登場人物とセットがびっしりひしめいていてやばかった。すんごい狭い画角のため、さつき、まじ、侘び住い状態。せめて母御のご最後に「善心に立ち返る」とたった一言聞かしてたべ。って感じだった。その掘っ建て小屋の右横に卒爾ながらという感じでにょっとほっそい松が生えており、その横に小さな切り株みたいなのがあるので何かなと思ったら、物見の場面でその切り株に光秀がチョコンと乗っかっていて可愛かった。映像が荒れているので細かいところは見えないんだけど、衣装等はちゃんとしたもののようだった。また、残念ながら十次郎が戻って来る場面の前半は映像が欠落していた。音声はあったので、60年代にはその部分があるプリントが存在していたんだろうな。

 

 

しかし今回、一番気になっていたことは義太夫云々と別のところにあった。プログラムに書かれた「弁士音声・大蔵貢」の文字。

大蔵貢って……………あの新東宝の……??? と思っていたら本当にあの新東宝大蔵貢で、上映前のトークショーでご子息・大蔵満彦氏が登壇され、大蔵貢の興行師としての経歴を紹介された。それによると、若い頃に父が田舎を追放された都合(?)で上京し、さーて何やって食ってくかなーとなったとき、当時は浪曲の絶頂期で、よく通る声を活かして浪曲師になろうとしたそうだ。しかし、弟子入りを断られたので、その頃流行りはじめていた活動弁士になり、そして色々と事業を盛り立てていくうち、新東宝を任されることになった。ということだった。大蔵貢はどんな広い場所でもマイクなしで大丈夫だったというその声の良さを活かして義太夫に凝り始め、衣装を作ったり、会を開いたりしていたらしい。義太夫の稽古を自宅でやられるのはたまったもんじゃなかったそうで、家族は逃げ出したそうだが、なんとその義太夫竹本津太夫に習っていたらしい。えええええええーーーーーーーーーーーーーーー!!! じゃあ津太夫がやってよって感じだった。いや、ド下手ではないんだけど。大蔵貢がメインの弁士だったんだけど、サブでついている女性の弁士の方は義太夫結構うまい(というか、聴きやすい)と思った。

 

 

 

サイレント期に制作されていた義太夫狂言の映画の伴奏は果たして義太夫だったのか?という疑問が完全に解決されたわけではないが、その一端として義太夫活弁を聴くことができてなかなか面白い体験であった。要するにシネマ歌舞伎ではあるんだけど、そのころは映画館でかかっていたら観に行くほどに、一般の人も有名な義太夫狂言を知っていたんだろうなと思った。

 

今回上映されたプリントでは、親切なことに、頭に「3分でわかる❤️絵本太功記十段目のあらすじ☺️✌️」みたいなミニ説明がついていた。文楽鑑賞教室で技芸員さんがパワポで説明してくる感じのやつ。フィルムの原本を所持している川喜多記念映画文化財団が制作したものっぽかったが、この映画が制作された当時はどんな人でも絵本太功記を知ってたんだろうなあ、でも今や映画好きの人(戦前の作品を観るような、ある程度ムカシのことにも教養がある)ですらこんな説明をつけないともう話がわかんなくなってるんだなあと思った。私も文楽で観てなかったら1ミリも話わかんなかったと思う。弁士説明の音声には会場の音も入っているのだが、その音声を聞いていると文楽でも拍手が入るようなところ(操のクドキなどの名場面)で拍手が入っていて、60年代には義太夫ってまだメジャーだったのかなと思った。ああいう「聴きどころ」で拍手するのって、どこで拍手するかわかってないとできないよね……。

先述の通り録音音声は太棹三味線の伴奏付きという豪華なもので、一緒に上映された他の作品でもなかなか立派な楽団伴奏付きった。現在ここまで豪華な弁士付きサイレント上映は存在しないが、国立劇場あたり金にものを言わせてやってほしいものである。いや、去年、小劇場でやってたな。あれは生伴奏付いてたのかしらん。

9月特別企画公演「映像と語り芸 幻燈機が生んだ芸能」

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文楽 2月東京公演『女殺油地獄』国立劇場小劇場

出かける前に始太夫さんの訃報を聞いて驚いた。まだお若い、これからというお歳なのに……。とても悲しい。

 

 


2月公演はまずは第3部、女殺油地獄を観た。第1部〜第2部は登場人物人口が少ないためか、第3部に人形配役がダンゴになっちゃった結果、人形がどこを見たらいいのかわからない超豪華配役になっていた。そして配役表にすごい勢いで「吉田」さんが並んでいた。

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徳庵堤の段、あらすじ。

本天満町の油屋、豊島屋の女房・お吉〈吉田和生〉は姉娘・お清〈吉田簑之〉を連れての野崎詣りの道中、徳庵堤にある茶屋で一休みしていた。ふと見やると、向かいの油屋・河内屋の極道息子・与兵衛〈吉田玉男〉が与太者仲間〈刷毛の弥五郎=吉田玉翔、皆朱の善兵衛=吉田玉彦〉を連れて歩いてくる。与兵衛は入れあげている遊女・小菊が田舎客に連れ出されているのが気に入らず、ここで待ち伏せしようというのだった。お吉は彼を窘めてお参りへ向かうが、与兵衛は聞き入れない。そこへ小菊〈吉田清五郎〉を伴って会津の大尽〈吉田文哉〉がやって来る。与兵衛の姿を見てゲッと思った小菊と花車〈桐竹紋吉〉は取り繕うが、会津の大尽がこっちにも同じこと言うたやろ的ツッコミを入れてしまい、結局喧嘩になってしまう。会津の大尽をボコろうと取っ組み合う与兵衛だったが、会津の大尽は意外と強かった。暴れるうちに偶然通り掛かった立派な身なりの侍の一行に泥を跳ねかけてしまい、お供の侍に取り押さえられ斬り捨てられそうになる与兵衛。根がドヘタレにできている与兵衛は平伏して命乞いをするが、よく見るとその徒士頭は伯父の山本森右衛門〈吉田玉輝〉で、馬に乗った立派な侍・小栗八弥〈吉田簑太郎〉は高槻家の野崎詣りの代参なのであった。状況を察した小栗八弥から代参を血で穢しては叶わないとなだめられ、森右衛門は帰りに手討ちにする!と思いつつ一行とともに立ち去っていく。そこへお参りを終えたお吉が戻ってきた。手討ちにされる→死んじゃうことを恐れる与兵衛はお吉にピーピー泣きつき、大坂へ連れ帰ってくれと頼み込む。お吉は泥に汚れた与兵衛の着物を洗ってやろうと、彼を連れて茶屋に入る。さてそこへやって来たのが寄り道を終えて帰ってきたお吉の夫・七左衛門〈吉田玉志〉。茶屋の前で番をしていたお清が「かかさんは〜、ここの茶屋の内に〜、河内屋のよへ〜さんと二人〜、帯といて〜、べべを脱いでござんするぅ〜〜」と正直すぎることを言ってしまったため七左衛門は大仰天、茶屋の暖簾の前で大声をあげるが、出てきたお吉から逆に子どもの食事時にどこへ行っていたのかと言われてしまう。追って出てきた与兵衛からも事情を聞いた七左衛門は、お節介も大概にして人に疑われるようなことはするなとお吉に言いつけ、一家は仲良く帰っていくのだった。

与兵衛のヘタレクズぶりがすごい。あのヘタレクズぶりは感動的ですらある。会津の大尽に対するド横柄で粗暴な態度と、侍の一行に対するコメツキバッタの如きヘコヘコぶりのあまりの落差、ヘタレクズはこうでなくてはいけない。そしてうって変わってのお吉への甘えぶり。ゴミ……という言葉が口をついて出るナチュラルなドクズぶり。そうそう、玉男さんはこういうもうどうしようもないヘタレ役もいいんだよね。去年の『冥途の飛脚』のときも忠兵衛のヘタレ演技に「情けなさがすごい」と休憩時間の話題を独占していた玉男様であるが、今年も「情けなさがすごい」とお客さんみなさん絶賛されていた。普段は勇壮な武将役が華やかなイメージだけど、真反対に思われるドヘタレ役も良いのが不思議である。そして、そのヘタレに色々な種類のヘタレグラデーションがあるのも良い。今回はメンタルがまるでガキなド腐れヘタレでますます良かった。ちょっとかわいげがあるところもクズで良い。

和生さんのお吉は優しいお姉さま風。近所の美人お姉さんって感じ。ある意味和生さんの素なのではないかと思わせるところがある。いや当然和生さんの素は存じ上げないが、こんなふうに世話を焼いてくれそうなイメージ。

あとは七左衛門はほかの登場人物とちょっと髪型が違うよね。髷を斜めにしていて。洒落者という設定なのだろうか? けっこう若そうに見えるが、いくつの設定なのかしらん。

 

 

 

河内屋内の段。

本天満町の油屋、河内屋では山上講が開かれていた。そのもてなしに立ち回る主人・徳兵衛〈吉田玉也〉は与兵衛の実父ではなかった。彼は人に乞われ番頭上がりで主人となったためか、いくら与兵衛の素行が悪くとも主人筋であり義理の息子である彼に強く出ることはできないでいた。そんな河内屋に、与兵衛の兄で今は順慶町で店を開いている太兵衛〈吉田幸助〉がやってくる。彼は伯父・森右衛門から野崎詣りでのいきさつ、そしてその一件から高槻家にはいづらくなって暇を乞い今は浪人していることを記した書状を受け取っていた。太兵衛は徳兵衛のぬるさを窘め、与兵衛が実の子でないからといって遠慮がすぎる、グーパンのひとつでもしてウチへよこしてくれれば性根を入れ替えられるような先へ見習いに出してやる、勘当なさいと告げて帰っていった。そうこうしているうちに、門口に稲荷法印〈吉田簑紫郎〉が現れる。このあやしげな僧職は、ここ10日ばかり臥せっている末娘・おかちの病気平癒の祈祷のために呼ばれたのだった。そこへ続けて与兵衛が帰宅。うさんくさい法印を罵り、野崎参りの折に出会った森右衛門から使い込みの穴埋めに3貫目の金を貸して欲しいと言われたと嘘をついて徳兵衛から金をせびろうとするが、太兵衛からことの真相を聞いていた徳兵衛はそれには取り合わないまま、法印を奥へ通す。奥の間には徳兵衛の実子・おかち〈吉田簑助〉が病の床に伏せていた。稲荷法印が錫杖を振り立てて祈祷をはじめると、おかちが突然起き上がり、自分は先代の徳兵衛だと名乗って語り出す。曰く、おかちに婿取りさせるのはやめて、与兵衛の思う女を請け出させて嫁に取り、この家督を継がせるようにと。法印がますます祈祷の声を高めると、与兵衛がむっくりと起き上がって法印を落間へ突き落とす。逃げて行く法印を尻目に、与兵衛は先代の魂を迷わせてでもおかちに婿を取るかと徳兵衛ににじり寄るが、実はおかちに婿取りするというのはそうでも言えば与兵衛が真面目に商売に身を入れると思ってこその徳兵衛の狂言であった。徳兵衛が聞く耳持たないと知るや否や、与兵衛は父を踏みつける。驚いたおかちは、今のは兄に頼まれた芝居であり、そう言えば商売に精を出して父母を敬うと彼が誓ったからこそであるのに、父様を蹴るとは何事と与兵衛に取り縋る。逆上した与兵衛はおかちをも踏みつけ、止めに入った父をまたも蹴り飛ばす始末。そこへ帰ってきた母・お沢〈吉田勘彌〉は驚いて与兵衛を引っ掴んで張り倒し、もう勘当だと言いつける。それを止めようとするおかちともみ合いながらもお沢は天秤棒を取って振り上げるが、逆に与兵衛に奪われ、打たれてしまう。いままでは辛抱していた徳兵衛だったがこれには堪えかね、ついに勘当を言い渡す。振り向きもせず去っていく与兵衛の後ろ姿を見て、先代との生き写しぶりに夫婦ともども涙するのであった。

病に細った身体をよじり、苦しげに起き上がるおかちが恐ろしいほど美しかった。障子があいたとき、口をきくのも辛そうに布団へよりかかる、儚げで色っぽいおかちの姿しか目に入らなくてぼーっとしてしまったが、拍手の音で、ああ簑助さんここで出演だったんだ……と我に返った。青白いほおに垂れたひとすじの髪がなまめかしく、その目は熱っぽく潤んでいるよう。初々しい桃色の寝間着もまた悩ましげである。そのおかちが、父親を足蹴にする与兵衛を止めようと、別間のふとんから這い出て座敷をやっとのことで這っていき、与兵衛にすがりつこうとする場面。おかちの人形の手が与兵衛の人形まで届かないので、おかちは与兵衛を遣っている玉男さんにすがりついていたんだけど、その姿にすごくドキっとした。人間の腕にしがみつく小さな人形の体、人形と人間の超えてはいけない一線を超えたところを見てしまったというか……。簑助さんは柱かタヌキの焼き物*1に抱きついてるくらいのつもりなのかもしれないけど、師匠、いけません。このときばかりは玉男様になりたかった……。

↓これ 

簑助さんの人形にしなだれかかられたら、生きている人間とかどうでもよくなりそうである。簑助さんは、人形がずっと顎を上げ気味にしているのも色っぽい。普通そんなことしたら、このド下手が、人形どこ見てんだ!?って感じに見えてしまうだろうけど、簑助さんがやると、その表情が憂いを帯びて、ああ、彼女は「どこか」を見てるんだなと思わされるんだよね。と同時に、恍惚としているように見えるというか……。いまの簑助さんは配役上短い出演時間に全力投球されてると思うので、その分、滲み出るものも濃厚なんだろうなと感じる。

ところで私、おかちの色っぽさに見惚れてみんながワーワー騒いでる話をまったく聞いていなかったため、おかちが妙に与兵衛に肩入れするのは兄に惚れているからだと思っていた。だって色っぽすぎるんだもん。あと、おかちに「歳はいくつぅ?」と尋ねる稲荷法印が完全にただのエロオヤジでおもしろかった。津駒さん、とても良かったです。

それと、稲荷法印が変な祈祷を上げている間、与兵衛はごろっと寝転がってるんだけど、その寝姿がなかなか可愛かった。最初は袖で顔を隠し、徳兵衛の膝に足を乗せて寝ているのだが、途中で一度起きて、普通に寝なおすのも可愛い。ところで与兵衛ってつるんでる友達連中と顔全然違くない? イモヤンキーの中にイケメンが突然混じってる、掃き溜めに鶴ポジ?(いやそれは文楽だから……) オニーチャンとは似てるけど、よく見ると与兵衛のほうが顔がほっそりしている。おなじ種類のかしらでも、意外と顔が違うなと思った。

 

 

 

豊島屋油店の段。

夜の豊島屋。お吉が娘たちの髪を梳いてやっていると、櫛の歯が欠けてしまう。不吉な予感にお吉が心を曇らせていると、得意先まわりに出かけていた七左衛門が帰宅。またすぐに集金に行くと言う夫にお吉は酒でも飲んでからと勧めお清に酒を用意させるが、七左衛門は土間に立ったままで酒に口をつけようとした。まるで野送りの酒のようなその忌々しい仕草にお吉は身震いし、七左衛門に座って飲むように言うのだった。集金を預け置いた夫がまた出て行くと、お吉は蚊帳を吊って娘たちを寝かしつけ、自分も寝支度を始める。

その頃豊島屋の店先には懐に脇差を忍ばせた与兵衛が姿を現していた。与兵衛が豊島屋へ近づこうとしていたところに、綿谷小兵衛〈吉田玉誉〉が通りかかって声をかける。小兵衛は、貸している金200匁を今夜中に返せなければ貸金の額面が手形の通り5倍の1貫目になると告げる。その金は与兵衛が徳兵衛の印判を勝手に持ち出して作った借金であった。朝までに持って行くと返す与兵衛、しかしそのような金はたとえある所にはあっても彼にはないのだった。与兵衛がそのへんに200匁落ちてないかなーときょろきょろしていると、提灯の明かりが近づいてくる。見るとそれは徳兵衛であった。与兵衛は気づかれまいとそっと店の陰へ身を隠す。豊島屋を訪れた徳兵衛はお吉に苦しい胸の内を話し、与兵衛が来たら、父は心得ているから母に謝り、性根を入れ替えて家に帰るよう意見してくれと頼み込む。そして服をあらためる小遣いにと妻の目を盗んで持ち出して来た金300文をお吉に預けるのだった。そこへ聞こえてきたのは女房お沢の声。慌てて隠れようとする徳兵衛をたしなめたお沢は、徳兵衛が義理の親だからといって遠慮するから与兵衛がつけあがるのだ、産みの母の自分はもう彼がどうなっても構わないと言う。徳兵衛がそれに反論しわたわたとやっているうちに、お沢の袖口からちまきと銭の束が落ちる。実はお沢もまた与兵衛を心配し、自分がわざと冷たくあたれば徳兵衛が与兵衛を構うだろうと考えていたのだ。そして、端午の節句ちまきと小遣い500文をお吉に預けようと用意していたのだった。二人の子を思う心にお吉は涙し、誰ぞが来たら拾わせましょうと言って金とちまきを預かった。

二人が去ったのち、与兵衛が豊島屋の門口をくぐる。お吉は金とちまきを渡すが、与兵衛は親からのものだと承知しており、いきさつは全て聞いていたと話す。それなら親の気持ちがよくわかったかと言うお吉に、真人間になって親に尽くす合点はいったが、肝心の金がないから売掛から200匁貸してくれと頼み込む与兵衛。お吉は確かに売掛の金500匁はあるが夫の留守に貸すことはできないと固辞するも、与兵衛はこの金を返せないと自害するほかないが、そうすれば親に金の難儀が降りかかる、どうしても貸して欲しいとたたみかけて頼み込む。真実らしい与兵衛の様子にほだされそうになるお吉だったが、いつもの手かと思い直し、重ねてどうしても貸すことはできないと断った。ならばと与兵衛は油を貸して欲しいと、提げていた樽をお吉に渡す。それなら商いのうちと柄杓を取るお吉の背後で、与兵衛が脇差を抜く。恨んでくれるなと言いながら油を詰めようとするお吉だったが、油の表面に映る刀の光に気付き驚いて振り向く。脇差を背後に隠し懐柔しようとする与兵衛だったが、受け付けず叫んで逃げようとするお吉についに斬りかかる。吹き出る血と倒れた桶から流れ出た油で一面は海となり、与兵衛は逃げ回るお吉を追い回してなおも斬りつけつづけた。お吉が息絶えたのを見届けると与兵衛は恐ろしさに膝も立たなくなるが、彼女の持っていた鍵を奪い、戸棚の580匁を盗んで闇の中へ走り去っていくのだった。

ここの段が一番有名だと思うが、これ、直前の段を観ていないと話の流れの意味を味わうことができないのね。親たちが与兵衛のためを思って持ってきた小遣いを合わせてもとうてい借金の額には足りないのが悲しい。

思わず「不義になつて貸して下され」と迫るときに与兵衛がお吉の腕を取るのがなおも甘ちゃんな感じがしつつも色っぽくて良かった。

与兵衛、お吉が床に零れた油に滑る表現は、本当に「つーっ」って感じで滑るのね。なんとも自然に滑っていくので「……??」となった。どこまでどう演じるかは人形の配役にもよるんだろうけど、河内家であれだけ大騒ぎしていたのとはまた違う印象で、近代以前の暗闇の時間帯、油の波立つ音以外はすべて無音である世界をイメージさせるような、静かな雰囲気だった。

 

 

 

豊島屋逮夜の段。

それから27日、豊島屋では近隣の者が寄り合いお吉の逮夜が行われていた。七左衛門が娘たちの不憫さをこぼしていると、梁の上でねずみが騒ぎ始め、ひらりと一枚の書付が落ちてくる。血に塗れたそれは野崎詣りでの借銭を記したものだった。日付といい筆跡といい、与兵衛のものに違いないと人々がざわめいていると、門口に当の与兵衛がひょっこりと姿を現す。七左衛門の追求に、書付は自分のものでないとシラを切り暴れる与兵衛だったが、そこへ伯父森右衛門と捕手たちがやって来る。森右衛門が事件の当夜与兵衛が来ていた袷に酒をかけると、そこにありありと血痕が浮かび上がってきた。与兵衛はついに観念し、罪人として引っ立てられ、豊島屋を後にするのであった。

これ、原作ママなのか、復活の際に手を入れられているのか知らないですけど、刑事ドラマみたいですね。推理物の時代劇みたいだった。ここだけ突然話の流れが普通で妙に見やすい。血痕が異様に鮮やかだった。

与兵衛もよく観念したよね。解説には近松儒教的理想主義的によるものとあったが、ああいうヘタレクズは実際には絶対観念しないと思うわ。あそこで観念するようなヤツはヘタレクズらねえ。ここだけは「こうだったらいいのにな」という物語上のファンタジーだなと感じた。

 

 

 

与兵衛がお吉を殺したのは安易な衝動殺人かと思っていたけど、実は親への歪んだ孝行心のため、しかもそれが安易な思いつきというのが悲しい。その意味では、豊島屋の前に立っていた時点ですでに結末が決まっていたんだろう。いろいろ解釈はあろうが、私はそう受け取った。

玉男さんが予告動画で「(与兵衛は)愛があると思っとります。心のある人やと思って最後は遣おうと思っとります」とおっしゃっていたのがあまりに唐突すぎて意味不明だったけど(まあ「元気」もわけわかんねえけど)、多分、これが言いたかったんだよね……? これを愛と表現するのはあまりにすさまじすぎる、人形浄瑠璃的ロマンティシズムであると思うが……。この世であれば世間は彼を軽薄と捉えるだろうけど、浄瑠璃の世界はそうではない。人形浄瑠璃の世界は近世になって書かれた話にもかかわらず、ほとんど神話の世界観だと思う。

しかし五〇〇雄と堀〇〇通の映画版『女殺油地獄』は、好きな人には悪いけどかなりキビしかった。とにかくこれとか篠〇〇浩とかがアレだったせいで、文楽でやっているような「昔の話」はつまんないと思っていたが、それは逆で、文楽でやっているような気が狂ったド悲惨話を映画的リアリズムで表現するのが無理なんだな、と今では思う。それに、人間が演じるのと、浄瑠璃のような「第三者によって語られる物語」とでは同じ切り口の演出にはできないと思うわ。だから映画化するとなったら話自体やテーマを改変せざるを得ないのだが、カタルシスの方向性がズレて、私の好みから外れて気に食わなくなる(自己中)。ピントずらしてもカタルシスの快感がズレずに成功してるのって増村保造曽根崎心中』とか内田吐夢『妖刀物語 花の吉原百人斬り』あたり? あとは去年夏の杉本文楽はやっぱり無理があったなと改めて思った。

 

 

 

吉田玉男インタビュー動画、『女殺油地獄』編。

玉男さんは与兵衛初役とのことで、私は2日目に観たこともあって徳庵堤は本領発揮ではないかな?と思ったけど、後半にいくにつれ良くなっていっていた。短時間でも変わるもんなんだねえ。第三部は後半日程でもチケットを取ってあるので、観るのが楽しみである。


国立劇場2月文楽公演『女殺油地獄』吉田玉男インタビュー

 

 

 

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*1:あの信楽焼のタヌキの焼き物って江戸時代にはなかったんだって!