TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 1月大阪初春公演『良弁杉由来』『傾城恋飛脚』新口村の段 国立文楽劇場

初春公演ははじめのほうの日程に行くと、第一部・第二部それぞれのごはん休憩時間に手ぬぐいまきがある。若手出演者3人が新年の挨拶とともに丸めた手ぬぐいを投げるイベントで、争奪競争が激しそうなイメージがあったが、意外と個数があるのと、おねだりがかなり有効であること、「遠くまで投げたヤツがカッコエー」と思っているらしい技芸員さん方の男子校メンタル(?)のおかげでどの席にいても取れる可能性があった。カンタローに至っては一番後ろの補助席まで飛ばしていてむしろ引いた。寛治さんが見たら卒倒しちゃうと思った。肩を大切にして欲しい。

 

 

 

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『良弁杉由来』志賀の里の段。

志賀の里の茶畑で、渚の方〈吉田和生〉が亡き夫の忘れ形見である一人息子・光丸〈吉田玉俊〉や乳母〈桐竹紋秀〉、腰元たち〈桐竹紋吉、吉田玉誉〉とともに茶摘みを楽しんでいると、突如大風が吹き下ろし、飛来した大鷲に光丸を攫われてしまう。雲間に消えた大鷲を追い、渚の方は腰元たちが止めるのを振り切って走ってゆく。

茶畑で乳母や腰元らが遊んでいる優美で華やかな幕開け。和生さんの気品溢れる優しげな渚の方がそれはもう素晴らしかったんですけど……。そんな和生さんに一切目がいかなくなるレベルに驚くのが、鷲の、スッゲーーーーーーーーーでっかさ!!! あまりのデカさに、鷲が舞い降りてきたとき客席騒然だった。ハリボテの妙に透明感のある鷲なのだがとにかくクッソ巨大で、人形じゃなくても、マジ、子どもが攫われるサイズだった。人形たちが子どもを取り返そうと地表でワアワア騒いていたけど、絶対無理だと思った。

上演中は気づかなかったが、渚の方が舞う場面では特殊な二弦琴(八雲琴)の演奏が聞けるとのこと。普通に琴だと思ってましたがちょっと違うんですね。友之助さんのインスタによると『増補大江山』戻り橋の段でもこの八雲琴の演奏があるそうですが……、こないだにっぽん文楽で見たけど全く気づかなかったです……すいませんでした……。

 

 

 

桜の宮物狂いの段。

それから30年後の時が流れたが、渚の方は物乞いの老婆の姿になってもなお攫われた光丸を探して方々を彷徨い続けていた。桜咲き乱れる桜の宮へたどり着いた渚の方は、里の子どもたちに囃し立てられ、また里の者たちに憐れまれて身の上を語り、泣き伏せる。その川の水面に映った自らの姿を見て正気づいた渚の方は、鷲に攫われた息子はもう殺されているだろうと思い故郷へ帰って子の菩提を弔おうと考えるが、乗合船で「東大寺の大僧正・良弁は幼い頃鷲に攫われてきた」という話を聞きつけ、奈良へ向かうことにする。

奥に桜並木のつらなる土手、手前に川の流れるセット。冒頭に登場する物売り二人、花売娘〈吉田簑紫郎〉と吹玉屋〈吉田勘市〉が可愛らしい。花売娘は棒に藁を巻きつけたのに桜の小枝と普通の簪を刺したものを持っている。簪を売っているということかな? 吹玉屋はしゃぼん玉屋。江戸時代からしゃぼん玉ってあったんだ……。しゃぼん玉をどう再現するのかと思っていたら、遊園地とかお祭りとかで売っていそうな、銀の吹雪が入った透明で虹色に光る風船を何個も連ねて振るという趣向だった。

そして老婆の姿になった渚の方が現れる。婆のかしらに病鉢巻、貧しい身なりで片方の袖を外した姿。焦点の合っていない人形の目が上方を見て泳いでいる。まだなおあの鷲を探しているのだろうか。能の『百万』のレクチャーで教わったが、「物狂い」って単に気が狂っているという意味ではなく、親しい者を失った等の理由で精神が乱れている状態を言うそうだ。『百万』やこの『良弁杉由来』の場合は子どもの行方がわからなくなったゆえの狂乱。能だと物狂いの人物は笹を持っているが、渚の方は小さな草履がついた桜の枝を持っている。当初は心配して話しかける里人も、渚の方の常軌を逸した受け答えにたじろぐ。しかし、渚の方は狂態ではあるが気品ある姿で清潔な雰囲気があり、かつての身分を感じさせる芝居だった。

 

 

 

東大寺の段。

渚の方は東大寺へと辿り着くが、身を恥じて中に入ることが出来ない。そこで、通りかかった僧侶・雲弥坊〈吉田幸助〉を呼び止め良弁の身の上について尋ねると、確かに渚の方の言う身の上に一致していると言う。雲弥坊は彼女を哀れむも、自分では多数の従者にかしづかれている良弁に拝謁することはままならないので、大僧正が毎日参拝しているという二月堂前の杉の木に手紙を貼っておくようにと、懐紙に彼女の身の上を認めて渡してやるのだった。

登場人物が2人しかおらず、会話のみで成り立っているため、出演者の技術が問われる段。書いて申し訳ないが門前の1枚絵の書割がちょっとアレで、これ、和生さんじゃなかったらマジ間が持たないだろうなと思った。渚の方がそっと門の奥を気にして覗き込む仕草など、彼女が気にするような「門の奥の世界」があることをイメージできるのは和生さんの演技力によるものだと思う。

 

 

 

二月堂の段。

東大寺二月堂には多数の近習らを従えた良弁〈吉田玉男〉が日課の参拝に訪れていた。二月堂前の杉の大木こそ、彼が幼い頃鷲に攫われて食われそうになっていところを先代僧正に救われた謂れのある木なのである。良弁は行方も生死もわからない両親のため、日々杉に参拝し涙していた。杉の木に貼られた紙に気づいた良弁は、紙を貼った者がいないかあたりを探させる。そうして良弁の前に引き出された老女こそ渚の方であった。良弁に子細を尋ねられ、渚の方は自らの身の上と鷲に攫われた息子を探し長い年月訪ね歩いてきたことを物語る。渚の方の話に我が身を重ね、その息子に何か証拠になるものは持たせていなかったかと聞く良弁に、渚の方は錦の守り袋に入れた如意輪観音像を持たせていたことを思い出す。すると良弁は「もしや」と錦の守り袋を取り出した。果たしてそれはかつて渚の方の夫が自ら拵え幼い息子にもたせた如意輪観音の守り袋であった。二人は涙を流して抱き合い再会を喜ぶ。良弁は三十年間の不孝を詫び、再会の縁となった如意輪観音像をおさめた寺を志賀の里に建てることを誓う。渚の方が故郷に帰って尼となり夫の菩提を弔うと言うのを良弁は引き止め、少しの間だけでも孝行させて欲しいと母の手を取り輿に乗せ、二月堂を伏し拝むのだった。

玉男様、なぜ第一部でも第二部でも坊さん役???????????? と思ったけど、良弁は俊寛とは全く雰囲気が異なり、色白のかしらに緋色の衣と錦の袈裟で高貴な雰囲気。この良弁の人形、輝いて見えるほどに美しくてびっくりした。肌の塗りが明るい色(ほぼ白?)で、坊主にした頭も薄水色、顔のパーツの描いた色も淡い墨色、緋の着物とのコントラストが鮮やかで、まるで内側から光り輝いているように見えるからかなあ。まじ、淡い色で描かれた仏画が動いてるみたいで、リアル来迎図って感じの清浄な輝き、こんなふうに見える人形もあるんだ〜と驚いた。良弁は立ち居振る舞いもとても静かでほとんど動かず、動作もゆっくりしていて最小限の身振りしかしない。たいへん清楚な気品に満ちており、怜悧な輝きはいつもの玉男様とちょっと違っていてこれはこれでいい、のだが、あまりに動かなさすぎてどうしようかと思うほど動かなくてどうしようかと思った。連れている弟子僧〈吉田文哉、吉田玉翔〉もほとんど動かない。文哉さんのほうは母子の再会に先に泣き始めるのだが、玉翔さんのほうが本当に最後の最後まで泣かずに動かないままで、みなさん根性がすごいと思った。上演時間1時間以上あるので、じ〜っと動かないというのは大変だと思う。

そのぶん楽しいのが冒頭に登場する沢山の近習たち。毛槍を持った二人組、台傘(?)を持った二人組、立傘(?)を持ったツメ人形が登場し、曲芸を見せてくれる。毛槍と台傘は舞台左右からのパス(ただし台傘は後ろ向きに投げる)、立傘は一人で高く投げる&頭の上で回すという芸を見せてくれるのだが、毛槍のおふたりは大成功!! 台傘は1回目のパスの飛距離が短くて落とすかと思ったら、相手役の人がものすごい勢いで走って取りに行って見事ご自分の体でキャッチされていて、笑った。正月一発目は絶対失敗せんというすさまじいガッツを感じた。立傘さんは1回キャッチに失敗していたけど、つなぎが自然で違和感なかった。頭の上でクルクル回すかわいい演技にはお客さん大喜びだった。

ここの段は全部通して千歳さん&富助さん。丁寧でしっとりした床で良かった。話が劇的ではない分、穏やかで丁寧な語りが活きていたと思う。

しかし私、渚の方と良弁は身分が違いすぎて、てっきり親子の名乗りはできないと思っていた。立派に育った息子の姿を見たからもういい、いま名乗り出ては息子の足を引っ張ると、渚の方がしらを切り通すかと。『砂の器』みたいな感じで。私、『瞼の母』でも親子の名乗りができないエンドが好き派のド悲劇大好き人間なのだが、本作に関しては名乗りあえてハッピーエンドでよかったと思う。文楽で生き別れの親子が再会するときはだいたいどっちがが死ぬときだと思うが、誰も死ななくてよかった。文楽なりの正月補正だろうか?(瀬尾太郎と玉手御前は死にましたが) 渚の方が早々に良弁を息子ではと気づいているにもかかわらず、お互いを親子だと認識する手順が微妙に回りくどくてヤキモキしたり、も少し葛藤がないと物足りない気もするけど、正月からすっきりした気分になれる良い話だった。

 

 

 

傾城恋飛脚、新口村の段。

人形の配役は結構12月東京鑑賞教室と似ていて、梅川・忠兵衛も鑑賞教室であった組み合わせ、清十郎さん&勘彌さんの少女漫画風キラキラカップルだった。大阪でもキラキラしていた。個人的な趣味を言わせてもらえば、清十郎さんと勘彌さんの配役は大阪ではひっくり返してほしかったな。梅川=清十郎さん、忠兵衛=勘彌さんも良いんだけど、梅川=勘彌さん、忠兵衛=清十郎さんのほうが色っぽくないですか。男を破滅させそうな梅川と自身のしょうもない意地と女の色香に負けそうな忠兵衛で。私は勘彌さんの配役は女方の役のほうが好きで、遊女役がある演目なら遊女のほうをやって欲しいな……。清十郎さんのファンの方は清十郎さんに女方やって欲しいと思ってると思いますけど……。でも「この組み合わせ……イイ……👍✨」と思えるカプを発見できたからこれはこれで良い。

孫右衛門は待ってました、ジジイ役ナンバーワン・玉也さん。やはり12月東京鑑賞教室の玉男さん・勘十郎さんとは演技が違っていた。梅川が目隠しの手ぬぐいを取ってくれるところで梅川に目をやったあとすぐに忠兵衛に視線を移さずしばらくじいっと梅川を見ていたり。直前の、孫右衛門と梅川二人だけでやりとりする部分を受けての演技だと思う。一番違うのは最後。御所街道へ抜ける二人を見送るところで傘を持たずにすぐ外へ出て、羽織をかぶってその場にうつむいてうずくまるという演技だった。なるほど、孫右衛門の感情の高ぶりの解釈が人によって違うのね。玉也さんの孫右衛門は「お父さん!」って感じで良かった。

 

2017年12月東京 文楽鑑賞教室公演『傾城恋飛脚』新口村の段の感想

  

 

昨年は小正月に行ったら大雪でひどい目にあったため、今年ははりきって初日&二日目に行ったが、初日早々に行ってよかった。お正月ならではの華やかな雰囲気が味わえてイベントも色々あるし、また、いらしている知り合いの方々にもたくさんお会いでき、とても楽しかった。あとは技芸員さんたちがみなさん散髪したてって感じでめっちゃおもしろかった。来年も是非正月早々のうちに行きたいと思う。

 

 

 

床に飾られた鏡餅。第一部開演前と第二部終演後に見られました。

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休憩時間にロビーで咲さんが売っていた八世綱太夫の著書『でんでん虫』の復刻版、フォトブックつき。たぶん咲さんの自費出版、一般には販売してないと思う。買ったら咲さんがサインしてくれました。

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帰りに寄り道して、グランフロント大阪メルセデスショールームに飾られている痛ベンツ(新口村柄)を見に行った。すごいセンスだと思った。

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同じくグランフロントのカフェで出されている、うめだ文楽コラボドリンク。「梅みるく&ももスムージー」。上にかかっている梅味?のザラメが血飛沫にしか見えなくて怖い。折角だから小判をイメージした金箔のほうがいいんじゃないか。封印切り上演しないと思うけど。コラボドリンクはほかにもホットのサングリアがあったが、文楽時空的にはなんかこう、干支的なものがゾロ目に揃ってる人の血が入った盃にしか見えなかった。文楽劇場の食堂でもこういうコラボメニュー出して欲しいなあ。首桶パンケーキとか。

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