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TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 劫の修羅

90年代 日本文芸社 麻雀ゴラク

安藤満[原作] + のなかみのる[作画]

  • 日本文芸社「麻雀ゴラク」1993年10月〜1994年10月、1995年1月〜2月連載
  • 全15話
  • 単行本全1巻(未完)*1



┃あらすじ
藤巻劫は、競技プロ雀士・安藤満に憧れ、いつか彼をいつか打ち破ろうと、日々安藤満の対局ビデオを見ている高校生。高校2年生の夏休み前日、担任教師の真柴から試験の成績が落ちた理由を聞かれた劫は、「勉強では日本一になれないから」と答える。では何で日本一になりたいかと問われれば、競技麻雀プロになって日本一になりたいというのだ。真柴は、麻雀には確かに夢があるが、それは修羅の道であると言い、自分に麻雀で勝てなかったら大学入学まで麻雀は禁止だと告げた。その夜、劫は親友の黒瀬とともに真柴の家を訪ね、真柴の元教え子たちと卓を囲むことになる。その卓で、劫は今後の自分の運命を示唆するような手牌を経験する……。




亜空間青春麻雀漫画。
『阿羅漢』のプロトタイプ的内容で、安藤満に憧れる少年を中心に麻雀のテクニックをレクチャーしつつ、次世代のプロの姿を描いている。安藤満原作としてはごく初期のものと推測されるが、手探りな印象がありながらも話作りがうまく、爽やかな読み応えは『阿羅漢』や『麻雀無限会社ZANK』(原案)へのつながりを彷佛とさせる。




登場人物の若者たちは、いずれも純粋で瑞々しく、爽やかに描かれている。
どの子も普通の若者だ。しかし、それぞれにそれぞれの人生や考え方・意志があることが見て取れる。主人公の劫をはじめ、彼の親友の黒瀬、裏プロの神谷、競技プロで雀荘に務めている武田、劫の同級生の伊王野、プロ試験で一緒になる学生の法木、同じくリーマンをしつつプロを目指す小薮など、いずれもか彼ら自身の手で切り開く未来の可能性を感じさせる。若さが眩しくてたまらない。
主人公・劫は安藤満に憧れ、いつか安藤を打ち破ることを目標としている。こう書くと熱血主人公のようだが、実際には歳に見合わないほど落ち着いたクールな子だ。彼はあるとき街中で偶然安藤満を見かけるが、「麻雀を打っていない安藤満はただの人間、卓を囲んだ時プロは輝いて見える」と言ってその場では話し掛けず、後日、安藤満が出勤している雀荘に出直す。このくだりのいじらしさにキュンとしてしまった。

彼等を見守る大人たちの描写も優れている。登場する大人全員がものすごくちゃんとした大人なのだ。大人は、若者の成長を暖かく見守る導き手として描かれている。こどもをちゃんと見守ってあげられる大人は少年漫画には欠かせないポジションだが、麻雀漫画に登場するのはとても珍しい。




もうひとつ面白いのは、競技プロを扱う麻雀漫画としての面。
本作では、実在の競技プロ、実在の雀荘が登場しする。その競技プロ感は非常にシビアであり、現実的。どこが現実的かというと、食えないならどう食っていくのかを考えろということが示される点。プロ試験を受けに来る子がすでに別に生計を立てる手段を持っていたりするのだ。「プロって食えないんだよ」と言う麻雀漫画は現在ではわりとあるが、じゃあどうやって収入を得るのか考えている人物が登場するのは……となると、今でも少ない。こういった問題に対し、現実がどうであるかや作者の考えが提示できている麻雀漫画はほとんどないので貴重である。あと、表プロなら社会保険に入れると言う麻雀漫画は初めて見た。
なぜこういう展開が出てくるのかは、この作品と同時に連載していた安藤満のコラム「亜空間を撃て」*2を読めばわかる。当時、安藤プロは連盟のプロ試験の面接を担当していて、その面接をした感想がコラムに載っているのだ。それは、最近はサラリーマンなど麻雀とは別に就職し収入を得る手段を持って生活基盤を作ってから受けにくる若い子が多い、自分たちの若い頃はそういう考えがなくて麻雀で一生をダメにした人が多かったから、生活設計のしっかりしているいまの若い子は安心する、というような内容だった。その実感からプロ試験の場面でリーマンをしながらプロを目指す子が登場するのだろう。




競技麻雀に対する安藤満の考えは、プロ試験(連盟)の面接の場面に出ている。劫はプロ試験の最後に、安藤満・伊藤優孝・灘麻太郎の面接を受ける。そこで、彼は「1勝99敗の男を認めるか?」と問われる。曰く、99敗は点5で計30万の負けだが、1勝が1000点1万円だったため500万円の勝ち。プラマイして470万の勝ちだが、彼をプロと認められるかというのだ。劫はこれに、彼をプロとは認められないと答える。
「昔の安藤プロの時代にはそういうことがあったかもしれません。でもオレが目指すプロの麻雀界ではその人は最低ランクの人でしょう。その理由は麻雀はバクチでなくゲームだからです。プロとして認められるにはゲームでなければ成立しないと考えています。」
ここまではわかる。しかし、安藤プロが返してくる言葉に驚いた。
「その通りだ! キミの父*3がプロ麻雀の世界に入ってこなかったのもその辺に理由があると思う。昔は仕事もなく食えなくてネ、その1勝99敗の男は私でもあり伊藤プロでもあるんだヨ。バクチでないゲームとしての麻雀! そんな麻雀界をぜひキミたちの時代に達成して欲しいと願っているんだ。私たちはそのための捨て石なのだから。」
当時、安藤満は誰がどう見てもトッププロだったはずなのに、なぜこんなことを漫画の中の自分に言わせたのだろう。でも、そういう人が書かないと説得力がないことだから、この場面は印象深い。




本作はわずかではあるがレクチャー的色彩を帯びている。主人公の劫(上級者)、女裏プロの神谷(中級者)、劫の親友・黒瀬(初級者)と、それぞれのレベルからのレクチャー的要素が随所に挟まれる。ただ、いずれの場合も限定的な状況の捨て牌読み説明が多く、いま読むと時代を感じる。もともとレクチャー漫画ではないのでそんなもんなんだろうが、亜空間の説明がすんごいザックリなのは残念……。亜空間殺法のレクチャーはこの後に「近代麻雀オリジナル」に連載される『阿羅漢』を待つことになる。
掲載誌が休刊したため最後を端折っていること、話の構成がブツ切れなことがかなり気になるが、内容はそれに目を瞑れる佳作。とにかく安藤満が本格的に原作仕事をする前に亡くなったことが本当に惜しい。




ところで、主人公の友達の黒瀬クンは主人公のことが大好きすぎてまいっちんぐ。最初の先生との対決でも「この対決で劫が負ければ麻雀やめることになるから、俺といつも遊んでくれるようになるんだけど、でも、劫がほかの奴に負けるのはヤダ」と言い出したり、別に打つわけでもないのにフリー雀荘についていったり(うしろで見ているがやかましくするので店員に追い出されて喫茶店で待っていたりする)、最後は競技プロになった劫と一生いっしょにいるために麻雀雑誌の編集者になったり、なんか……すごい。主人公が麻雀を打たない友人を常時連れているというのはわりと斬新な設定だ。劫も劫で、「のどかわいた、お茶しよう」という黒瀬クンに「雀荘で飲めばタダ」とか言って雀荘に連れていくのはスゲーと思った。
あと、背景が変なのが……。亜空間をイメージさせる(?)宇宙はまだいいとして、トリケラトプスとかティラノサウルスが描いてあるのはなぜ? それに、運がどうたらこうたら言うコマの背景がまきぐそとか、頭が小学生としか思えないんですが。

*1:単行本は京恵出版・P-PRESS COMICSより『麻雀亜空間伝説 劫の修羅』として1995年に1巻(上巻)が出ているらしい(下巻は未刊)。福地誠「雀画バカ一代」第18回によると「パチンコの景品として単行本化されました」とあるが、それのことか? 私はこれを持っておらず、すべて「麻雀ゴラク」本誌で読んだ。

*2:後に「飲む、打つ、食う」というコラムになる。食べ物ネタの描写がとてもうまい。グルメコラムをやればよかったのに……

*3:劫の父は安藤プロの旧友で、裏プロだったという設定。劫が安藤満大好きになったのは父の影響。