TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 鬼哭雀士

水谷潤[原作] + 浜田芳郎*1[作画]

┃あらすじ
北陸T県の鬼哭村の旧家・天堂家の嫡男・凶児は面をつけた父や母、いいなづけと麻雀を打ち続ける日々に嫌けが差していた。怒りを露にする凶児に父は天堂家の使命を語る。天道家は麻雀によって「怨憎(おに)」を調伏する修験者の一族であり、凶児はいいなづけであり実の妹である麻鬼(まき)とともに一族の使命を全うせねばならないと。凶児と麻鬼に使命を伝えた父母は燃え上がる天堂の屋敷とともに消えた。凶児と麻鬼は新しい生活をはじめるため東京に向かう。しかしその頃、新宿の雀荘には怨憎が現われていた。そしてその雀荘に入った凶児と麻鬼は……




伝奇ホラー麻雀漫画。
絵が超うまいので一見ちゃんとまとまっているし、事実第3話のまんなかあたりまでは普通におもしろい麻雀漫画なのだが、最後がパネェ。
麻雀とは怨憎(おに・鬼のこと)が人間の怨念や憎悪の感情を喰うためにもたらしたものとか、麻雀によって怨念や憎悪の感情が生まれる限り怨憎は復活するとか、麻雀によってのみ怨憎は封印できるとかいう設定で話は進む。そんなちょこまかした発狂設定は志村裕次原作とか来賀友志原作で馴れているのでたいしたことではない。志村アンド来賀は大海原を雀卓にして船で麻雀とか、闘牌により麻雀牌の中に封じ込められた反物質が大爆発とか、本当に意味わからんことを真顔でぶちかましてくるが、麻雀は至極誠実でまっとうである。この作品は設定はまあギリギリセーフだが、麻雀そのものがわけわかんねぇという不思議な味わいを持っている。では、どんな麻雀なのかをご紹介しよう。





最大のみどころはラストの鬼ヅモ勝負。
鬼ヅモとは一般的に本来薄いはずの牌を引くことを指すが、この作品ではそれが先鋭化しまくり、いかに愚形でテンパイしていかに少ないアガリ牌をツモるかの勝負となっている。いや、別にそれを競ってるわけじゃなかったんだけど、いつの間にかそういうことになってたんです。鬼だけに鬼ヅモ!*2とか言って。



例えば怨憎の愚形リーチはこんな感じ。

5巡目で↑の形でツモ。捨て牌はなので地獄のようにひどいわけでもないが、88年の麻雀にしては軽すぎと推測されるナイス愚形。
↓愚形であればあるほどいばる鬼。

鬼はこんな感じでむしろそんな形でテンパらせたことのほうががすごいとしか言えない愚形でアガり続ける。*3



しかし、土壇場で8門張でテンパってしまう怨憎。

鬼ヅモでなくともツモれると思った矢先、ピンズの九蓮宝燈をオリてテンパった凶児にマンズの九蓮宝燈9門張をツモられてしまう!!

それのどこが鬼ヅモだと言う怨憎に、凶児は自分と怨憎の手牌と場に出た牌でマンズはすでに1枚を残して枯れており、残り1枚だったを引いたこのツモこそ「超鬼ヅモ」だと宣言する。

凶児捨て牌:*4
麻鬼の捨て牌に、おんぞう(凶児と麻鬼の召し使い)の捨て牌にがあるため、9門待ちでありながら実質残り1枚という超愚形!! しかも5牌もフリテンしちゃってんだからね!! すげーだろ!! 怨憎の愚形テンパイの上をいく愚形でテンパればよりすごい鬼ヅモ「超鬼ヅモ」が発動、先にツモることができるのだ!!!
こうして鬼ヅモ合戦で負けた怨憎は凶児によって再び1000年の封印を施されたのであった!!! おしまい!!!!!






この鬼ヅモ合戦は斬新すぎて腰を抜かした。
麻雀でカッコいいとされるアガリ形は待ちが広くて形が美しいもの。しかしこの作品はその正反対で勝負している。いかに愚形でテンパるか、いかに狭い待ちか……。なぜそんなことになったのかサッパリ意味わからん。確かに麻雀漫画では3門張がカンチャンに負ける展開がよくあるが、だからと言ってカンチャンそれ自体がカッコイイと言いたいわけではないからね……。あれがもっと頭悪くなるとこうなるのだろうか。いや、ある意味カッコいいけど……。わずか3回で打ちきられてしまったようだが、この頭が悪すぎる闘いをもっと繰り広げてほしかった……。*5




この作品では、麻雀は怨憎が人間の負の感情を喰うためにもたらした遊戯であるという設定になっている。天堂家はかつて怨憎を封印することはできたが、怨憎をはびこらせる麻雀を封印することはできなかった。歌舞伎町に現われた怨憎は凶児に麻雀で勝負を挑む。
鬼は人間を遥かに凌駕する身体能力を持っているので、本当は凶児などひとひねりのはず。事実、麻鬼をひねりつぶそうとするシーンもある。なので読者は当然「なぜ麻雀で勝負ですか?」と思ってしまうのだが、読者がツッ込む前に凶児が先にツッ込んでくれる。

それにさらにツッ込む麻鬼。
うーん、マンダム。




ちなみになぜ麻雀で勝負とか麻雀で封印とかそういう話になったかというと、1000年前に天堂の一族と怨憎でそういう約束をしたかららしいです。なので、天堂も怨憎もそれについて反論は一切できないそうです。




この超展開に比べれば凶児がうじうじ悩んでいる「いいなづけである麻鬼は実の妹」とかいうことなどたいしたことがない。そんな漫画死ぬほどようけあるわ!! 鬼と鬼ヅモ勝負!鬼ヅモを超えるのは超鬼ヅモ!!とか抜かしとるのはお前だけじゃ!! と、そういう思いでございます。死して屍拾う者なし。

*1:風狸けん?

*2:怨憎はテンパればツモれるらしいです。

*3:しかもそういうシーンの柱に「傑作麻雀劇画で麻雀が強くなる!うまくなる!!」とか書いてあるのがしゅごしゅぎ

*4:ん? 一切鳴きが入ってないのにこの枚数だとハイテイ通り越してないか? ギリギリセーフ??

*5:これが坂本タクマ『ぶんぶんレジデンス』なら、待ちが狭いほど点数が上がる方式を採用していることだろう。ペンチャン・カンチャンは1翻UP、残りが2枚以下は2翻UPとか。