TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 ばっくれ

来賀友志[原作] + 渡辺みちお[作画] 日本文芸社 1990
全2巻


┃あらすじ
悪名高き風雲高校の2年F組に、ふたりの男子学生が転入してきた。菊村真佑、そして刃谷喬司。ふたりは転入初日から不良番長に目をつけられるも、菊村は得意のボクシングで番長を返り討ちにする。一方の刃谷はというと菊村にその場を任せて、料亭で行われるヤクザの麻雀勝負の卓につく。実は刃谷は、いまは零落し組員も3人となった故・刃谷組組長の遺児だったのだ。さて、菊村は荒れた校風を変えるため、ボクシング部設立を決意する。風雲高校のマドンナ・村松詩織がマネージャーとなり、部員も増えてボクシング部は軌道に乗り始めた。菊村は刃谷をボクシング部に誘いたいと考えているが、当の刃谷は……。




ボクシング麻雀漫画。
番長×ボクシング漫画かと思って買ったら麻雀もしていてびっくり。上記あらすじではわかりにくい書き方になってしまったが、刃谷がボクシングと麻雀、学校生活とヤクザ社会のそれぞれどっちつかずの中で、どれを捨てることもなく前進していく姿を描いている。




ボクシングと麻雀の比重が5:5くらい。
来賀友志+カツミ『俺の選択』(1998 竹書房)の未単行本化部分に、「麻雀とボクシングは似ている」という台詞があり、この作品はそれを具現化したものか。『俺の選択』では確か「ボクシングのプロ/アマは全然違う。麻雀も同じだ」という話だったかと思うが*1、この作品では戦術面(いかに隙を突くか)の話かな? ボクシングやストリートファイトのシーンでは、渡辺みちおの迫力ある作画がカッコよく、おもしろい。




全体的にボクシング/麻雀どっちつかず。刃谷がボクシングか麻雀のどちらかを捨ててどちらかを取るということはしない、両方を取れる男だということが描かれるのでこれは野暮なツッコミか。
むしろボクシング漫画に附随する麻雀パートが妙にシッカリしすぎなだけなのかもと思った方が納得がいく。後半は麻雀濃度もあがるが、刃谷以外のキャラが全面に出てくるによってボクシングに賭ける青春濃度が上昇。いじめられっこボクシングを通じて自信をつけたり、不良だった子が自分の取り柄を発見したり。そして、風雲高校の一般学生たちが彼等の頑張りに勇気づけられて変わっていく姿に、麻雀漫画にはないさわやかさを感じる。そしてボクシングを通じた新たな友情が芽生え、さわやかに終幕。
……。
……え? 麻雀は……?
物語途中、菊村がヤクザに襲われたときに負ったケガが原因でボクシングの道を断たれてしまう。これを機に、それまで麻雀一辺倒だった刃谷は菊村の代わりにインターハイに出るため、ボクシングを本格的にはじめる。で、この代わりとして菊村が麻雀の道に入るのかと思った(刃谷から麻雀入門書を渡されるシーンもある)ら、菊村は最後までボクシング一筋だった。普通の麻雀漫画ならここで夢を失った菊村が裏麻雀の道に足を踏み入れ、やがてボクシング世界チャンプ&競技プロとなった刃谷と再会し、「菊村……昔のお前は輝いていたぜ。それがどうだ。すっかり饐えた老人になってやがる…… 死に体っ…」「黙れ刃谷! いまこそ俺のアドゥレッセンス!!」「お前の運命を賭けて、麻雀で勝負だ!」……とかになるはずなのに……。




麻雀はソフトめ。
雀熊同士の激突や「そこに北はあるんだよ」的カッ飛びはなく、相手の手を読みきっているとか、あたかも次のツモがわかるような打ち方をする等、刃谷の他との格の違いを見せつける闘牌が多い。よく読めば凝っているのだろうが、ライバルキャラもいないため、ボクシングパートに比べて地味。そのわりにページ数の関係なのか「倒さなくてもわかるな」的高度な端折りがあり、これ、麻雀わからん人はさっぱりんこわからないのでは? という不安が募る。最後のほうに麻雀100人抜きみたいな『天牌』伊東編を思い出させるパートがあるも、やはり地味。残念。




後半、刃谷の対抗馬としてチロッと出て来たまま不発だった大友勝利的ポジションの野獣ヤクザ、いつの間にか消えていったが、あれは一体なんだったのだろう? 打ち切りにされて不発のまま終わったのだろうか……。
あと、最後のほうで刃谷のボクシング上のライバル・茂木が試合中に刃谷に「俺はお前が好きだ」と言った?のにはびっくらこいた。直球!

*1:あれ? この話が出てくるのが『ばっくれ』か?