TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 北の狼

木村直巳 竹書房(1989〜1990)
近代麻雀オリジナル 1988.3〜1990.2連載
全3巻



┃あらすじ
雪子は旅先の札幌で、右手に刀傷を持つ麻雀打ち・朝倉仁と出会った。勝つことに執念を燃やす仁は、ありえないアガリを次々と決める。雪子は仁に惹かれ、東京に帰らず札幌に残って仁と同棲をはじめる。しかし、雪子には白山智という婚約者がいた。雪子は仁に智の面影を見ていた。やがて仁は東京へと旅立ち、雪子もまた迎えにきた智とともに帰京する。雪子は智と距離を置き、東京のどこかにいる仁を探しはじめる。一方、智は競技麻雀の道に足を踏み入れ……。




漫画度の高い麻雀漫画。
闘牌原作は馬場裕一。
麻雀は重要な役回りを果たしますが、それよりも漫画としてのクオリティが高いです。




話がかなりスタコラサッサと進むので、ダイジェストで読まされているように感じます。
1巻はいろいろ唐突すぎてちょっとついていけないかな。
ただ、その分、話が説明くさくないところがよいです。仁は本気のときはなぜ傷のある右手を使って打つのか、仁と智が似ている理由、仁がいつも食べているトマト、智と雪子の関係など、説明しようとすればいくらでもごてごて飾り付けられるところをスパッと省略しているのがいいです。
物語の核心に迫る部分、仁と智が似ている理由まで意図的にはしょったのはすごいです。確かにいま現在の智と仁がどう対峙するかが重要であって、それには過去は一切関係ありませんからね。わざとらしい過去話は不要です。全部こまごまと説明するより、わからないことが残っているほうがおもしろいです。




雪子は物語進行上は重要な役回りにも関わらず、感情描写がはしょられているため変な女に見えます。FF8でいうと、リノア。
描写がはしょられているせいで、逆に雪子という女がリアルに見えるという点もあります。自分がないというか、ちょっと中身なさすぎじゃないですかね……*1。むしろ恐い領域に到達しています。こういう女って現実にいますよね。端的に言うと、チェックのミニスカにストッキング穿いて無意味なバックルがついた合皮のピンヒール合わせてそうなそうな女。描き方がいかにも男性作家ぽくて古典的だし、絵ヅラの問題やはしょりのせいで結果的にそうなっているだけでしょうけど、でも、雪子みたいな女を見ると、「ああ、人間ってこうやって増えるんだ〜」と思います。
この話で一番現実主義者で冷静でシビアなのは智。なにごともどうでもよさそうにふるまうのは、ホントにどうでもいいから。これもはしょりすぎのせいかもしれないけど、うまいなあと思いました。智と津神と蛭子さんは似ています。自分以外を一切信じない超現実主義者であるというところ。雪子とは正反対の価値観ですね。仁は無頼なふりをしていても、智に比べそのあたり他人からの評価や他人との関係性で自己評価を決めようとしているのが感じられてガキッぽく、これまた智とは対極的だなあと感じます。最後まで読むと、はじめはパーそうに見えた智のほうが遥かに無頼でカッコいいです。
昔のイモい(=普通の地味な)人たちの青春劇という意味では、かなり秀逸。「ああ〜こういう女やカップルおるわ〜」と思えて。もっと歳をとったら心底純粋に楽しめると思います。




麻雀は馬場裕一闘牌原作というだけあってちゃんとしてます。仁の意味不明の裏ドラ刻子乗りとか役満とかは多いですけど、後半の智の競技麻雀と対比させているのかしらと思うと、なんとなく説得力があります(?)。関係ありませんが、「史上最大麻雀大会」(←これが大会名)っていくらなんでもとんますぎと思います。




北海道が舞台でも東京が舞台でも、それぞれの街の雰囲気がすごくよく出ていて、しみじみ読めます。仁の部屋の変なレース模様のついたかけぶとんカバー、雪子がイモいエプロンで給仕をしている喫茶店のクリームソーダなど、昭和感溢れるディティールもすばらしいです。この作家、最近やってた現代が舞台のホラー漫画『朧』もすごく昭和っぽかったし、舞台が大正時代の麻雀漫画『あさすずめ』もすさまじく(なぜか)昭和だったので、天然かもしれません。




しかし、仁の「〜だぜ!」っていう喋り方は一体何なんですかね?
東京モンでもそうそうこんな喋り方はしねぇんだぜ。北海道弁で喋ってほしかったです。

*1:「リスキーエッジ」の春香も同じような描かれ方ですけど、春香のほうがはるかに自分を持ってますよね。というか、私は春香こそが吉岡を倒し得る唯一のキャラだと思っています。