TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ぜ、ぜすさま!

イムリーな話題でなくて申し訳ないのですが、諸星大二郎の漫画『生命の木』を映画化した怪作『奇談』のDVDが発売されています。この映画は昨年11月頃公開され、一部で話題騒然となりました。

ぱっと見ただのハヤリに乗った聖書探究ものやジャパニーズホラーものかと思ってしまいそうですが、そんな気持ちでこの映画を見てしまうと、あっという間にむこうの世界に連れ去られて体が裏返ります。


ストーリーをかいつまんで言うと…
東北の寒村に伝わる聖書異伝「世界開始の科の御伝え」。徳川幕府キリスト教弾圧下でも教義を捨てなかった隠れキリシタンらの信仰は、その長きに渡る潜伏時代に仏教・神道・土俗信仰が入り交じり、もとの教義とは異なる独自の混成宗教となっていた。この物語の中心となる聖書異伝「世界開始の科の御伝え」もそのひとつである。

「世界開始の科の御伝え」
そもそもでうすと敬い奉るは 天地の御主 人間万物の御親にてましますなり
はじめに 天地万物を つくらせたまい また土より五体をつくりて人となし
これ あだんとじゅすへるのふたりなり (以下略)

物語は、「妖怪ハンター」とあだ名される民俗学者?考古学者?、稗田礼二郎が「世界開始の科の御伝え」が伝わる村に現われたところから始まる…。村はずれの軽張山・別名「骨山」で起こった猟奇殺人事件、定期的に起こる子供の神隠し事件、「はなれ」と呼ばれる隔離された集落の住民の謎、聖書異伝と実際の聖書の相違点に隠されたもの…、数々の謎を踏み倒し(あれ?)、ついに稗田礼二郎は「世界開始の科の御伝え」の真実を目の当たりにすることとなる…


のはいいですが、この映画の見どころはなんと言っても諸星漫画1、2を争うアレな台詞、
「おらといっしょにぱらいそさいくだ」
です。
ヤバすぎます。
映画館で観てたとき、観客みんな笑ってたぞこのシーン。
ほかにも主演の阿部寛の顔が恐過ぎ、おまけになぜか入浴シーンがある(女性キャストの入浴シーンはありません)、神父が無意味にかっこいい、映画のオリジナル設定が意味不明などいろいろカオスでしたが、諸星大二郎ファン、伝奇ファン、民俗学好きは見てハズレはないかと思います。ちなみにオープニングナレーションは津嘉山正種さんです。鷲巣様っ…!


この映画の公開が決定された当時アホだった私は、限定前売り券を買うため、卒制のプレゼンが終わった瞬間学校を出て、歌舞伎町のど真ん中にあるちっこい映画館までうき…うき…と出かけ、複製原画付き前売り券を買って手に持って歩いていたら、同行者に「生でソレ(複製原画)を持ち歩くなっ…」と言われたので、紀伊国屋書店に入って『銀と金』を買って複製原画も入るよう大きめの袋に入れてもらったら、その袋がスケスケで、うちに帰るまでの西武新宿線の中、福本と諸星がまるみえでメチャクチャ恥ずかしかった覚えがあります。


この漫画及び映画では、限り無く土着信仰に近い混成宗教の教義が物語のメインになっています。混成宗教と言えば、中世の神仏習合の時代に異国から日本に渡ってきた神格もなかなかおもしろいですね。牛頭天王新羅明神、魔多羅神、赤山明神、宇賀神といった記紀神話や仏典等に名がなく出自のはっきりしない神格は、歪んでいるのかそれとも狭い世界の中で完成されているのか?*1
こういった民間信仰のなかから自然発生したもの、あるいは何らかの権力が捏造したものには大変興味をそそられます。私はこういった民俗学的な信仰の形態に比べ、仏教では比較的その尊格の出自は明確にされているのかと思っていましたが、東洋美術(仏教美術)の研究会で、観音菩薩の原点についていろいろと調べものをしていたところ、これがなかなか複雑でかなりおもしろかったです。仏典での定義は別として、観音菩薩の信仰の原点は最新の研究でも意見が分かれており、明確にはされていません。仏典講読はまじで辛かったというのもありますが、経典研究より、仏教美術や考古学・民俗学文化人類学の側面から信仰の姿にアプローチするのはおもしろかったです。これもひとえにあのパックン(私の東洋美術の先生。密教美術の研究者。)のおかげ。こういったことは自学自習には限界がありますね。キリスト教美術ももっと真剣にやってればよかった。

*1:こちらについては山本ひろ子の『異神』(平凡社)という本に詳しいです。ちくま学術文庫にも収録されているのでぜひ。