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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

映画の文楽3 木下惠介監督『楢山節考』の義太夫 ― 木下惠介の浄瑠璃世界

ひさびさ更新「映画の文楽」。今回は文楽座から太夫・三味線が音楽出演し、義太夫節が効果的に使われている作品について紹介する。

木下惠介生誕100年 「楢山節考」 [Blu-ray]

 

 

木下惠介監督の映画『楢山節考』(松竹大船/1958)は、深沢七郎*1の同タイトル小説を原作とした映画。「姥捨」の風習のある信州の貧しい山村を舞台に、まもなく「姥捨」=楢山参りを迎える老婆・おりん(田中絹代)と彼女を捨てねばならない息子・辰平(高橋貞二)、そしておりん一家の面々や近隣に住む村人たちの日々が描かれている。

寒村の口減らしの陰惨な因習という前時代的でセンセーショナルな内容を扱っていることで有名な作品なのかと思いきや、この作品の名を高くしている最大の特性は、美術・音楽・演出に舞台演劇(歌舞伎)の技法を用いていることだろう。たとえば舞台美術家・伊藤熹朔を起用した美術。いかにもロケが栄えそうな題材ながら屋外撮影を一切行わず、オールセット。背景には書割を使用し、極端な遠近パースのかかったセットを用いる等、舞台を思わせるセットが使われている。また、場面転換では手前にいる俳優に当たった照明を落としてセット(大道具)を左右に引き、背後の幕を振り落としてそのさらに後方に組んだ次のシーンのセットへ直接移行する等、演劇的な演出で映像が進行する。

 

 

 

このような演劇的演出で特に印象的なのは、ナレーションにあたる部分に義太夫が用いられている点。既存曲の流用ではなくオリジナル新曲で、義太夫の作曲と演奏は文楽座から出ている。当時二派に分裂していた文楽座のうち新作作曲に意欲的な三味線奏者が松竹(因会)に残っており、また、ほかのメンバーも外部とのコラボに意欲的だったことから実現したのだろう。*2

  • 作曲=野澤松之輔
  • 演奏=竹本南部太夫/野澤松之輔、野澤錦糸(先代)、竹澤団六(七代目鶴澤寛治

野澤松之輔は文楽座の三味線弾きで、多くの浄瑠璃の復曲・新作を手がけた作曲家でもある。昭和20年代後半から30年代の近松復曲期にはその中心となって活躍した。この『楢山節考』もそんな時期の作品だ。

また、オープニングで定式幕*3を前に口上する黒衣も俳優ではなく文楽座からの出演で、人形遣いの吉田兵次というこだわり。むかしの文楽の映像を見るとかならずこの人が口上をしているので、声を聴いたことのある方も多いだろう*4。口上は「東西、東西、このところご覧に入れまするは、本朝姥捨の伝説より、楢山節考楢山節考、東西、東西」。この声と拍子木の音とともに定式幕の上にタイトル・スタッフロールが表示され、それが終わると定式幕が引かれてゆき(歌舞伎踏襲らしく下手から開く)、義太夫の語りで本編が幕を開ける。

そのオープニングから冒頭部分にかけての3分間は以下で見ることができる。(Youtubeムービー・松竹公式提供映像)


楢山節考(予告)

 

音楽はすべて和楽器を使用。クレジットでは長唄の出演者の名前も並ぶが、基本的には義太夫か太棹三味線の独奏が入る。

木下惠介作品で音楽の特殊な使い方をしている作品といえば、話が狂っている上にそのナレーションとして熊本弁のフラメンコが入る『永遠の人』(松竹大船/1961)を思い出すが、この義太夫もそれに張るほどすごい。というより、その原型となった作品なのだろう。

 

 

 

義太夫の使い方は基本的に歌舞伎の義太夫狂言と同じで、セリフでない地の文の部分が義太夫になっているのだが、その義太夫の入れ方が抜群にうまい。というのも、すべてのシーンのナレーションを義太夫で入れているのではなく、いかにも浄瑠璃に描かれそうな情の行き違いを描く哀切的な部分のみに、効果的に義太夫が使われているのだ。

本作は老婆おりんとその息子辰平を中心にストーリーが展開するというのは先述の通り。この村では70歳になれば「楢山参り」といって、子どもに背負われて楢山へ行く(=村から離れた山の頂へ捨てられる)という習わしになっている。もう間もなく70歳を迎えるおりんはその「楢山参り」を受け入れており、山へ行く日に備えている。おりんは高齢ながら体が大変に丈夫でそれをつねに恥じており、楢山参りを待ちかねているようでもある。しかし、おりんの楢山参りについての本心は語られない。だがおりんの一家は辰平に後妻が来たり、孫・けさ吉が妊娠した女を嫁に迎えたりと、家族が急に何人も増え、口減らしをせずにはいられない状況である。けさ吉とその女房はおりんの楢山参りを心待ちにしていて、早く行けと露骨に進言してくる。辰平はおりんの楢山参りについて何も言うことはなかったが、あるとき、ふと涙を見せる。内心では、おりんに楢山へ行かないで欲しい、ずっと元気で家にいて欲しいと思っているのだ。おりんと辰平の親子は本心を見せあわずにいるため、表面上、言動がすれ違い続ける。このような親子のセリフなしでの感情のやりとりが行われる部分にナレーションとして義太夫が入り、浄瑠璃が効果的に使われている。語りや三味線に胡弓がかぶってきて、いかにも浄瑠璃といった哀切な雰囲気をかもしだす。

逆に義太夫が使われてないのは、浄瑠璃にはないような、人間の心のうちにある醜い闇=えげつなく生々しい人間味が描かれる部分だ。たとえば、おりんの家の隣に住む一家。この一家の親子はおりん親子とは真逆の性質である。おりんの幼馴染・又やん(宮口精二)は楢山参りを嫌がるために家族からひどく疎まれ、ろくな食事も与えられずこき使われている。又やんは、楢山参りをするくらいなら、このまま人間以下の暮らしをするのでいいと思っている。彼の息子(伊藤雄之助)は父に冷淡で、最後には無理矢理又やんを楢山へ連れていき、崖から突き落として殺してしまう。この一家が登場する場面には義太夫は入らない。また、近所へ盗みに入った男とその一家に村人たちが制裁としてリンチを加えるくだりがあるが、その部分にも義太夫は入らない。浄瑠璃もなかなかに怖い話が多いが、双方とも、浄瑠璃どころの騒ぎでない恐怖をおぼえる場面だ。ある意味、おりんと辰平の心のやりとりに匹敵するような人間味のあるシーンだが、浄瑠璃が描く清浄な世界観からかけ離れているため、義太夫を使わなかったのだろう。

 

 

 

義太夫を使う以上は、演技の間尺を義太夫に合わせなくてはならない。

例えば、孫・けさ吉が最初に登場するシーン。戸外から家の中へ体を左右に振りながらノシノシと入ってくるという動作は、義太夫に合わせてちょっと人形振りっぽくなっている。その出てくる間合いの音楽への合い方がなんとも映画とは思えないほど“カンペキ”すぎて、面白い。けさ吉役は三代目市川團子(三代目市川猿之助/二代目市川猿翁)で、本職だ。

また、辰平のあたらしい女房・玉やん望月優子)が祭りの日に初めて家を訪ねてくるシーン。ここでおりんは貧家にはとっておきのご馳走を彼女に振る舞うが、その食事の支度が映画にしてはかなり長い。普通の映画ならお膳が瞬間的に出てくるところ、義太夫がゆったり語られながら進行するので、「いつまで飯よそってんねん!! 政岡の飯炊きか!?!?」ってくらいに時間がかかる。文楽の場合、時間は義太夫の語りにあわせて伸縮するので飯の支度に時間がかかっても気にならないが(むしろ本当の食事のときのようなのんびりした気分になって好ましい)、映像で観るにはなかなか新鮮な間合いだった。

ただ、不思議な印象があるのはこの場面くらいで、ほかのシーンは風景ショットを長めに回すなどで義太夫の間合いがうまく処理されており、ほとんど違和感を覚えさせないつくりになっている。

浄瑠璃とのマッチングといえば、おりん役の田中絹代は人形の婆のかしらのような顔をしているので、浄瑠璃の世界にしっとりと馴染んでいる。むしろ映画としては、ものすごい田舎のものすごい貧家の婆さんがこんな上品な顔してるか?ってくらい。嫁・玉やん役の望月優子は人形でいうとオフクチャンみたいな顔ながら、性根が世話物の心優しくおとなしい奥さん風、かしらは細面の老女形って感じなので違和感があってちょっと面白かった。歌舞伎をよく観る方なら浄瑠璃に個性ある外見の生身の人間が乗っていることに違和感がないと思うんだけど、私、基本的に文楽しか観ないので……。辰平役の高橋貞二文楽人形にはいないタイプの性根と顔立ちであるが、清浄な雰囲気が浄瑠璃の世界に馴染んでいた。 

 

 

この義太夫の詞章は、実は木下惠介自身によるもの(脚本=木下惠介)。浄瑠璃ながら近世風の古語・漢語等は使わず、近代〜現代風の言葉遣いで聞き取りやすいようになっている。ニュアンスとしては明治作の『壺坂観音霊験記』をもうちょっと現代の言葉遣いに近づけたくらいの感じ*5。たとえば映画冒頭、さきほど動画を貼った部分の浄瑠璃はこんな詞章。

〽山また山の信濃路に、人も知られぬ谷あいの、流れも細き糸川の、川蝉の声哀れなる、日陰の村の物語

木下惠介義太夫の使い方のうまさもさることながら、浄瑠璃の詞章をこんなにうまく書けるとはなぜ?と思っていたら、実は子どものころから歌舞伎、とくに義太夫狂言が好きだったそうだ。長部日出雄による木下惠介の評伝『天才監督 木下惠介』(新潮社/2005, 2013)には、木下惠介が幼少時にどのような歌舞伎を観たかはわからないと書かれているが、実は幼少期の歌舞伎の思い出を木下惠介自身が語っている記事が存在する。

『演劇界』1958年8月号(演劇出版社)に掲載された、「映画と歌舞伎について」と題した木下惠介の本作撮影中インタビューの抜粋を以下に紹介する。

日本人にもっとも親近感のある、伝統の日本音楽だけで映画を作ってみたいという考えは、かなり以前からもっていました。小さいときからわれわれがききなれた、あの太棹の三味線の音や琴の音、笛の音など、みんななつかしいものばかりで、また日本映画の音楽として十分に表現能力をもっています。たまたまこんどの『楢山節考』という適切な原作をえたので、これを試みてみることにしたわけです。

(中略)

ぼくの生れた浜松というところは、芸事のさかんなところで、ぼくの子供の頃から、東京や関西の歌舞伎がよく巡演してきてましたね。ぼくのうちは両親が芝居好きだったので、ぼくもずいぶん小さな子供のころから、芝居小屋に通っていたわけです。桝で仕切られた桟敷の仕切りをとびこえながら、廊下の売店に行って、センベイやキャラメルなんかを買いに行った、なつかしい記憶がありますよ。そのころ浜松で人気があったのは、先代の幸四郎(引用者注:七代目)でした。年に二回、定期的にやってくるのが、いつも超満員。ぼくもこの幸四郎が好きで、来るのが待遠しいような気持でいたのを憶えているけれど、やはりいまのファンの気持とおんなじかもしれませんね。出しものでは、天狗の出てくる芝居、あれはなんといったかな……、そうそう『高時』という狂言だったかしら。それに『大森彦七』なんかも、ずいぶん何度もみましたね。

それからやはり同じころだけど、関西歌舞伎もよくきていましたね。先代の雁十郎、いまの鴈治郎(引用者注:初代)の大きな顔がまたいまだに印象に残っていますね。女形では梅玉(引用者注:三代目か)や秀調(引用者注:三代目か)も憶えています。関西歌舞伎はお得意の“上方もの”をよく出していて、ぼくもそのころ中学生になっていたのかな……。『紙治』*6や三勝、半七の『艶容女舞衣』なんかがとても好きだった。中でも三勝半七の後半の心中行のところなんか、二人の愛情の表現の、いわゆる色模様というやつがとても美しかったのを今でも思い出しますね。映画界に入ってからも、これをいちど映画にしたいな、と思ったこともあるくらいです

(中略)

近松ものに興味をもちはじめたのも多分中学二三年生のころだったように思います。あの心中物は、やはりそのころにひどく感動したものです。それからそのころ好きだったのは『朝顔日記』*7と『壺坂観音霊験記』。朝顔ではあの川止めのところ*8になるとさんさんと、涙を流したものですよ。壺坂ではあの川底の観音様が現れるところ*9が、なにか子供心にひどくひかれて好きになった。田舎に来る芝居の出しものには、これに『寺子屋*10や『先代萩*11といった悲劇調のものが多く、またそれがいちばんよくうけていたから、ぼくの好みもそんな方向に向いていったのかもしれないけど……。

このころからぼくは義太夫のあの太棹*12の音がとても好きでしたね。寺子屋の例の“いろは送り”*13のところなんか、今でもきくたびにいいなあと思うくらい……。まったく歌舞伎のチョボ*14の効果はじつにうまく作られている。そんなところからこんどの『楢山節考』の音楽構成のヒントが生まれたといってもいいでしょう。つまり子供時代から見ていた歌舞伎が、いつの間にか身についていて、それがこんどの映画に義太夫をとり入れるときに、とても役立っているわけですね。自分の知らぬ間に義太夫の素地ができていたのかな……。

こんどの映画の『楢山節考』には広い意味では歌舞伎のものをとり入れているといっていいかも知れません。セリフが義太夫の調子に合うよう苦心して書かれていることもその一例で、またこのセットの遠景が芝居の画割りみたいな感じを出しているのも、そうしたねらいの一部でしょう。本当は俳優さんもどちらかといえば歌舞伎の役者のように、うんと調子の高い、極度にはりつめたような感じの演技が欲しいのですが……。もし出来れば全体を歌舞伎調の衣裳と台詞でやってみたいという考えもありました。

もちろん、子どものころに観ていたというだけでなく、映画監督になってからも歌舞伎を観に行っていて、好きな歌舞伎役者として中村勘三郎(十七代目)、松本幸四郎(八代目)、中村歌右衛門(六代目)の名を挙げている。映画に向く歌舞伎俳優はと訊ねられると、すでに映画に出演歴のあった幸四郎は映画俳優としても立派に通用すると答え、また、多くの歌舞伎俳優が映画でも実績を出せるだろうと語っている。『瞼の母』での勘三郎の演技を見て映画でもいけると感じたと話すくだりも。実際、十七代目中村勘三郎はこの『楢山節考』の3ヶ月後に公開された山本薩夫監督の映画『赤い陣羽織』(松竹/1958)で映画へ初出演し、さらに1960年には木下惠介監督の映画『笛吹川』(松竹)へ出演することとなる。

それでは、木下惠介は古典芸能原作の映画にも挑戦する意欲があったのだろうか。インタビュアーは歌舞伎狂言で映画化したいものはないかとも質問しているが、それに適当なものはないとの回答だったようだ。

 

 

 

浄瑠璃では親の立場から子殺しの哀切が語られる名作が多い。木下惠介が少年時代に観たという義太夫狂言『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段」と『伽羅先代萩』(「御殿の段」)はともに親子の別離を描く浄瑠璃であり、子どもを殺さざるを得なかった親の立場からの悲しみや煩悶が描かれている。この二つの作品では、劇中で殺される幼い子どもが自らは死ぬべき境遇にあることをわかっており、親の心中や状況を察して自ら死を選んだという設定になっている。しかし子どもが自ら死に直面した心中、あるいは親から見殺しにされることへの心中を語ることはなく、その内面は伏せられたままで進行する。そして、その子どもの心中を察した親は、子どもを見殺しにせざるを得なかった社会境遇と、それを受け入れ犠牲になった子どもの健気さを嘆き悲しむ。

この映画『楢山節考』はそれをまるで反転したよう内容だ。つまり、境遇上死を選ぶことになる親=おりんの心中は徹底して伏せられ、子ども=辰平の立場からの葛藤や煩悶を中心に描かれている。このことが本作の浄瑠璃使用の理解のポイントになると思う。*15

この作品での義太夫の使い方を見ていると、木下惠介の戦時中の作品『陸軍』(松竹/1944 昭和19年)のクライマックスを思い出す。それまでは息子の出征に対し無反応かのように見えた母・田中絹代が、ついに息子との別れとなるラストシーン、軍歌の合唱の中、出征の式典で行進する息子を見送りの大群衆をかき分けて走って追いかける場面は、木下惠介の『伽羅先代萩』だったのだろう。主君を守るため、目の前で幼い息子・千松が殺されても動じない忠烈の乳母として振舞っていた政岡が一人になった途端に急に泣き崩れて心中を吐露するという「先代萩」でもっとも名高い場面を思い出す。『陸軍』は戦時中の国策映画であり、陸軍からの依頼で制作されたものなので、本来であれば息子の出征を母が喜んで送り出す内容になるべきだろう。しかし木下惠介は素直にそうせず、田中絹代が政岡のように、目の前で子どもが死を選ぶことになったとしてもそれをそのまま見殺しにする、せざるを得ない、「本心とは真逆の態度を取る」ことで、内容に文句がつけられないギリギリのところを攻めている。よくあれを作ったなと思う(っていうか、こんなん納品されて、陸軍の担当者、まじ困惑したと思う。そのうえ突然のBL入りだし)。

そう思うと、「……とは言ふものの、可愛やな、君の御為かねてより、覚悟は極めていながらも……」という政岡の語りは、ほんの数十年前までは生々しい言葉だったんだなと感じる。

 

 

 

 

*1:高校生のころに『楢山節考』を読んだとき、「この作家、露悪的なポーズを取っているのかな」と思った。若者が戦略的に前時代的でセンセーショナルな話題を扱っているようで、鼻白んだ。深沢七郎には、ハスに構えた態度で無邪気さ・無知性を押し出し、ひょうひょうとした現代的な態度を作為的に取っているようなイメージがあった。しかし、今回いろいろと調べてみると、深沢七郎は相当歌舞伎が好きらしいということに気づいた。木下惠介との対談企画(『中央公論』1958年6月号掲載「楢山を越えて」)でも歌舞伎の話をしているし、『楢山節考』が歌舞伎化されときの歌舞伎座の筋書きへの寄稿でも歌舞伎好きの人向けに文章を書いている。木下惠介は深沢との対談で『楢山節考』をはじめて読んだとき、子どもの頃に見た見世物の安達ヶ原の鬼婆−−妊娠した女の腹を裂き、鮮血にまみれた胎児を取り出す−−を思い出した、『楢山節考』にはそのような血のイメージがあると話しているが、深沢はドン引きして、僕は歌舞伎の『黒塚』のほうがイメージに近いというようなことを語っている。ふーん、ああ見えて(?)露悪的でえげつないものは嫌いなんだなー、と思った。この対談の中で深沢が「歌舞伎は歌舞伎、文楽文楽、映画は映画で、それぞれ違うものだ」と語っているのも印象的だ。

*2:この映画が制作される前に、『楢山節考』は菊五郎劇団ですでに歌舞伎化されていた(脚色=有吉佐和子。1957年6月歌舞伎座、7月大阪歌舞伎座で上演)。当時の歌舞伎座の筋書を確認したが、演奏者の記載がなく、純歌舞伎として上演したのではないかと思う。観劇した原作者深沢七郎の手記(該当公演の筋書に掲載)によると、突飛なことはせず、ごく普通に歌舞伎化されていたようだ。そのような「マネ」ととられかねない前例があったにも関わらず、浄瑠璃義太夫狂言)としてまったくの新境地を切り開いた木下惠介のガッツがすごい。
この歌舞伎座での『楢山節考』の公演に、当時文楽三和会の三味線弾き・野澤喜左衛門(二代目)が来場していたという話がある(『演劇界』1957年7月号、安藤鶴夫歌舞伎座の幕間 “楢山節考”と喜左衛門と」)。これは単なるシュミで来ていたわけではなく、武智鉄二演劇評論家)が小説『楢山節考』の発表(1956年)直後、喜左衛門へ『楢山節考』の作曲を依頼したことによるらしい。
経緯としては、この前年に武智プロダクションで企画した朝日放送近松」(石川淳原作)に豊竹つばめ太夫(後の四代目竹本越路太夫)・野澤喜左衛門が出演しており、同作が芸術祭で奨励賞を取ったことから、その次の作品として『楢山節考』を考えていたらしいのだ。喜左衛門はその参考にするために公演を観たらしい。当時三和会は三越劇場公演中で、その日は百貨店の休業日=休演日で、稽古のあいまにやって来たのだったそうだ。喜左衛門は内容に感銘を受けて帰っていったようだ。この武智鉄二の計画のその後については、私に当時の劇壇・放送等の知識がなくて詳細が追えず、どういう内容を意図していたのかや実現したかどうかはわからなかった。
もし喜左衛門が『楢山節考』を野澤松之輔よりも先に義太夫として作曲していたらどうなっていたのだろう。おそらくこの映画の企画自体が存在しなかったと思う。この映画は義太夫ありきで作られていて、かつ、野澤松之輔が引き受けたからこそ成立した企画だと思うので。喜左衛門が作曲していたら、東映など他社が手を出したかもしれない。それこそ内田吐夢あたりを立てて。それにしても、喜左衛門へいちはやく作曲を依頼した武智鉄二はさすがの慧眼だと思う。武智も『楢山節考』のもつ浄瑠璃性に気づいていたのだろう。
ちなみに、野澤松之輔は木下惠介義太夫使いのうまさに感心し、文楽のために新作を書いてくれと頼んだそうだ。これも実現していたらどうなっていたでしょうね……。この映画は浄瑠璃としてなんとかうまくまとまっていると思うけど、木下惠介大先生の叙情性というのは文楽が扱う浄瑠璃に描かれる情の世界観とはまた違いますからね……。
逆に、いま『楢山節考』を文楽で上演することになったら、おりんの人形配役は間違いなく和生さんだな。

*3:古典芸能や演芸の舞台で使われる、くすんだオレンジ・グリーン・黒の三色の太い縦縞の幕のこと。

*4:口上って、誰にでも出来るようで出来ませんからね。現在の文楽公演では若手や中堅の人形遣い数人が交代で口上を行なっている。しかし、出番や人手の都合などでたまに慣れていない人・初めての人が臨時でやっていると、間合いや声の調子・スピードなどに違和感があり、客は「こいつ初心者やな」とすぐにわかってしまう。本物と真似との違いを木下惠介はよく知っている。

*5:楢山節考』の構造は『壺坂観音霊験記』に似ている部分があると思う。草深い田舎の貧家で肩を寄せ合って暮らす主人公たち、お互いを思いやりあっているのに表面上すれ違う気持ち、神仏的存在がまつられた山、二人での山参り、相手を思うための自己犠牲、山での自死、残される側の悲しみ。文楽の『壺坂』では座頭・沢市が妻・お里とともに壺坂寺のある山へ登っていく(=死に向かっていく)道行が印象的だが、本作でも辰平がおりんを背負って山を登っていくシーンがクライマックスにくる。ただ、本文では触れなかったが、この映画がおもしろいのは実はこの楢山参りよりも前の部分であって、楢山へ登るシーン以降は正直言って陳腐というか、過剰演出だと思う。浄瑠璃風でまとめるなら、もう少しやり方があるはずだが……。『壺坂』もあの生き返りの展開はどうかと思いますけど、曲自体がいいのでなんとなく納得してしまう。

*6:心中天網島』。改作を含む場合がある。

*7:『生写朝顔話』。

*8:『生写朝顔話』四段目「大井川の段」のこと。

*9:『壺坂観音霊験記』「山の段」の最後の部分のこと。

*10:『菅原伝授手習鑑』四段目切「寺子屋の段」のこと。

*11:伽羅先代萩』。

*12:義太夫節に用いる太棹三味線のこと。長唄等に使う細棹三味線に比べ大型で、低音で大音量が出ることが特徴。……って、文楽鑑賞教室の三味線さんの解説みたいなこと書いちゃった。

*13:寺子屋の段」段切で、松王丸・千代夫婦が息子・小太郎の野辺送りをする場面の通称。いろは歌になぞらえた詞章がついていることからこう呼ばれる。

*14:歌舞伎での義太夫(竹本連中)の演奏。

*15:この映画、歌舞伎や文楽の知識があるかどうか(見慣れているかどうか)で見方がかなり変わると思う。古典芸能サイドからの映画評としては、歌舞伎評論家・郡司正勝による評(『映画評論』1958年8月号掲載「日本人の尾骶骨について『楢山節考』」)が的確であると感じた。たんに古典芸能の技法を取り入れているから云々というありがちな切り口ではなく、木下惠介浄瑠璃義太夫への理解がありすぎて、逆にこの映画の精度が鈍っているのではないかという「わかってる」感炸裂のキレまくった評である。そのうえ、のっけから『楢山節考』は『二十四の瞳』『野菊の如き君なりき』『喜びも悲しみも幾年月』に続く語り物映画の系列だと書いているのはことによかった。突然のオレの妄想開陳大会。郡司センセイが歌舞伎文楽ヲタというだけでなく、木下惠介大先生ガチ恋ヲタということが本当によくわかってとても良かったです。郡司センセイ落ち着いて。この映画、義太夫が使ってあるからアナタ批評に呼ばれたんです、木下惠介大先生ファン枠じゃなくて古典芸能枠ですから。それはともかく、『楢山節考』原作は古浄瑠璃的であるとの指摘には膝を打った。また、演劇評論家・尾崎宏次の、この映画は人形浄瑠璃であるという指摘も鋭い(『キネマ旬報』1958年6月号掲載「人形浄瑠璃と映画」)。ほかにもごく普通の婦人雑誌の「今月の映画♪」みたいなコーナーなのに書いているのがやばい文楽ヲタ(松之輔様命)というのがあって、細かいところまで実によく「聴いて」記事をものしていたりと(一般誌であの映画について簡単に説明するとしたら、一番誰にでもわかりやすいであろう映像を切り口にすると思うんですけど、そうではなく、胡弓の使い方をグイグイ説明している)、当時の文楽ヲタが好き勝手喚いている映画評が散見されて、どれも味わいがあって、良い。なかでもこの映画の義太夫は現代的であると書いている人がいたのは、さすがヲタの耳。

文楽 3月地方公演『義経千本桜』椎の木の段・すしやの段・道行初音旅、『新版歌祭文』野崎村の段 府中の森芸術劇場

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今回初めて知ったことがある。

地方公演では浄瑠璃の詞章字幕を舞台下手袖に設置した専用装置に表示しているのはみなさまご存じの通り。あの字幕表示機の名前を、上演前の解説時に技芸員さんが必ずドヤ顔で紹介してくることがずっと不思議でならなかった。字幕表示機を開発している企業が実は地方公演のスポンサーで、助成を受けているからには是が非でも宣伝せねばならない状況なのかと思っていた。しかし、今回、夜の部の小住さんの解説でやっと気がついた。あれは「G・マーク(じー・まーく)」=「字幕」という高度な小学生ギャグになっていたんですね。技芸員さんたち大阪弁に訛って発音してるから全然気づかなかった。小住さんは解説時に標準語で喋るからやっとわかったわ。なんで関西の人って外来語まで関西弁イントネーションに訛っているのか。あの人ら「テレビ」とかも訛ってるじゃないですか。わけわからん。(と言いつつ、自分も関西弁圏出身なので外来語も訛っているクチ)

解説つながりで言うと、公演パンフレットを手にした芳穂さんが「字幕があっても浄瑠璃は昔に書かれたものなので、難しい言葉が出てきます。たとえば権太が“台座の別れ”と言いますが、台座というのは笠が乗っている“台座”、つまり首(頭)のことで、荷物に粗相があったならば首と胴が“別れ”ても文句は言いません、という意味です。こういうわからない言葉は……」パンフレットに説明が載っているからパンフを買うてくれと言うのかと思いきや、「メモしておいて、家に帰ってから自分で調べてください」と素でおっしゃっていたのがとても良かった。
 
 
 
 

義経千本桜』椎の木の段。

3月の地方公演で一番楽しみにしていた配役、権太=吉田玉男。権太の、何を考えているかわからない、本心の見えない不気味な大男ぶりが映えていた。作為の透けない、ナチュラル粗野な仕草。たとえば小金吾から受け取った金を足で引き寄せる動作。体をあまり傾けず、すこしだけ足を出してささっ……と素早くいやらしく引き寄せる。本来は小金吾を怖がっている表現だと思うが、シンプルな雑さや下卑さがある。権太が最後に合羽をかぶるのは小金吾におびえているという意味のようだが、玉男さんの権太だと紋秀さんの小金吾の首を簡単にねじ切りそうで、なんで怖がってんのかわからない、そこも別の意味で良い。性根の見えなさ、あいまいな雰囲気があり、このあと善太と突然遊びはじめるくだりも活きていた。玉男さんは本心が見えない(あるいは伏せられている)役がうまい。

うまいなと思ったのは、小金吾から受け取った荷物を改めるとき、行李の中の浴衣をきれいに広げなかったこと。ぐしゃぐしゃの状態のままに左右に引っ張っていたが、それが正しいと思う。なぜならおにんぎょうさんのいしょうのゆかたはせなかにおおあながあいているから……。それがバレると、金がどうこう以前に、現代人は「着物に穴をあけられた!」とタカるのかな、と思っちゃうからね……。というか、浴衣を人形の衣装の流用ではなく、小道具として別途用意できないところに文楽の悲哀がある。しかし小道具の扱い系で言うと、このあと「すしやの段」で梶原景時から受け取った陣羽織を広げなかった(内側に書いてある句を見せなかった)のはなぜだろう。受け取ってすぐなどの広げやすいタイミングで見せるのは不自然であることは確かだが。

そのほかの登場人物では、冒頭、小仙〈桐竹紋吉〉と善太〈吉田簑悠〉の出で、小仙が善太の鼻をかんであげるのは詞章の「女房盛の器量よし。五つか六つの男の子、傍に付き添ひ嬶様と、言ふで端香も冷めにけれ」にかかってるんですね。ぽわっとした可愛い親子だった。

若葉の内侍〈桐竹紋臣〉はふんわりと優美な雰囲気。苦労の多い旅の中にも気品を失わない優しいお母さん。しかしあんなのが延々真横にウゴウゴしていて、小金吾は気が狂わないのだろうか。結構色っぽい感じがあって、小金吾は2回権太にいきり立つところで若葉の内侍に腕につかまられて引き止められるが、あんなに寄ってこられたら困るのではないか。討死する前に正気を保てなくなって自害しそう。それと、小金吾の足の方、どなたかわからないですけど、うまい。きりりとまっすぐに足を下ろす仕草、血気に逸るみずみずしい若者感ある足取り。ちょっとした動きでも、ピタッ!と揃えて立ち止まる足元の行儀良さだった。もちろん紋秀さんもぴりっと一本気な感じに凛々しくて良かった。

上演内容とは関係ないが、この段の名称は「椎の木の段」なので、六代君〈吉田玉彦〉たちが実を拾う舞台中央の大木は椎の木だと思っていた。が、帰ってから角田一郎・内山美樹子=校注『新日本古典文学大系93 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(岩波書店/1991)を読んでいたら、あの木は栃の木とあった。詞章を確認しなおしたら、たしかに浄瑠璃に「機嫌取榧(きげんとるかや)栃の実を……」とある(脳を全然使わずに見ている奴)。では椎の木はどこに? 謎。
 
 
 

すしやの段。

配役が大変に良く、誰か襲名披露でもするんですかという感じだった。床にしても人形にしても、すしやに人を固めているのかな。

床は前・津駒さん、後・織太夫さんで両方よかった。津駒さんは10月公演の後に続き前を担当ということで、今回はお里のクドキのところが当たって、お声の質にも合っていてとても良かった。権太がママ〈桐竹勘壽〉を騙して泣き真似をするところ、三味線〈竹澤宗助〉は泣きのメロディ(?)を演奏しているものの、どうにも「ポロリ」といかない絶妙なラインをいっているのがおもしろかった。津駒さん&宗助さんはますます「しあわせをよぶマスコット」感が増していて眼福だった。織太夫さんは先月、今月とかなり良い。表現の幅が広がった気がする。

お里〈吉田簑二郎〉、めちゃくちゃ元気。勢いがすごい。弥助〈吉田和生〉が帰ってきてからははしゃいでグルグルついて回って顔を覗き込みまくっているが、簑二郎さんの相手の男を覗き込む・覗き込まないの加減が全然わからん。こないだの『壺坂観音霊験記』のほうのお里では全然沢市の顔を見ていなかったのに。あれとはまた別の意味でものすっごいハイテンション娘だった。ボディで維盛をつっつくところはえらい大胆やなと思ったけれど、弥左衛門〈吉田玉志〉が「今日は離れで寝るわ」と言うところで過激な返答をかますので、田舎娘というのは別にウブである必要はなく、こんなもんなのかもしれない。いや、簑二郎さんの辞書に恥ずかしがり屋のおなご萌えの項目がないだけかもしれないけど。とにかく勢いがすごい。いかにも在所娘なお里でおもしろかった。失恋から速攻立ち直りそうな感じも良い。

維盛の和生さんは出のさりげなさが印象的。さらりと出てきてさらりと帰宅するけれど、まさしく「絵にあるような」美しく浮世離れした姿。お里が元気一杯の在所娘である分、より高貴さが際立つ。ものすごい身分違い感だった。本当に「雲井に近き」オーラ。あのメンツの中では和生さんは確かに浮くよね……。若葉の内侍もそうだが、ほかの人物とは時間の流れが違っていた。

弥左衛門は玉志さん。田舎者ながらちょっと品のある雰囲気のカクシャク・ジジイで、夜の部の久作〈吉田玉也〉より結構若そうなイメージ。あとあと出てくる、弥左衛門はかつて重盛卿の御用を受けただけのことはある身分(船頭として)ということを踏まえているのかな*1。でも単に玉志さんの個性のような気もする。お里と弥助を残して一旦奥へ引っ込む直前に、ひょいひょいとちょっとだけ踊る仕草が可愛かった。権太がおどけて踊るところも可愛かったけど、可愛さの質が揃っていて、親子って感じ。動きのせわしなさでは、弥左衛門とお里も親子って感じだった。

そして梶原平三景時が清五郎さんで衝撃的だった。清五郎さんがあんな大きい人形持っているの初めて見た。というか、普段全然あんな役来ないのに、よくあんな大きい人形をあれほど安定して持っていられるなとびっくりした。そりゃ清五郎さんは体格良い方だけど、立役で身長があって体格が良くても、人形がガタガタしていたり華奢に映ってしまうことがあると思うが、慣れていない人ならますますそうなりそうなところをきちんと安定して持って、威厳を示されていた。梶原景時は出からずっと横向きのままで浄瑠璃が進行し、家に上がるまでなかなか真正面を向かないので、その中で威厳を出すのは結構難しいと想像するが、立派な鎌倉武士ぶりだった。驚いた。

権太は自分なりに色々手を尽くしたが、何一つ報われずに悲惨な末路をたどる。にも関わらず、それが同情を誘うような、お涙頂戴でない雰囲気になっていた。人形浄瑠璃的な世界観だ。話そのものは悲哀に満ちているけれど、そこでもって共感されることを拒絶しているように思う。時代の大きなうねりの中ではそれも仕方ないと思えるようなドライさを人形が体現しているというか……。涙を誘う共感性、「泣ける」的なもの、そういった、ある意味でのわかりやすさを突き放している。誘導をせず、判断を観客にまかせているような。表現として面白い。これは装飾性や過剰さを避ける玉男さん個性と人形浄瑠璃の特性、そして戯曲の特徴が複合した結果このような状態になっているのだと思う。人形ならではの表現で、寺子屋の松王丸でもこのような演技をしていると思うが、どういう効果を生んでいるか、もう少し研究したいところ。幸い6月大阪の鑑賞教室公演で寺子屋がまた出るので、そのときに他の方と比較して見てみようと思う。

浄瑠璃では内面が徹頭徹尾変わらない登場人物が多いと思うけど(たとえば松王丸は寺子屋の前と後で行動は変化するが、内面は変わっていない)、権太は途中で内面が変わる。途中と言ってもその変わり目は観客の見えないところであり、おいおい何箇所か本心を覗かせるところがあるとはいえ、どこからが本心を隠して行動しているのか、表現が難しいと思うが……、どこで内面が変化したとしているのか、演技をどう設計しているのかも興味深い。

あっ、でも、ママからお金をもらって(というか自力で戸棚をピッキングして)ウシシとなっていたところに弥左衛門が急に帰ってきて、慌ててお金を入れた鮓桶に腰掛けて隠すところはピュアに💩しそうで、可愛かった。
 
 
 

義経千本桜』道行初音の旅。

清五郎さんが狐忠信役というのが衝撃的だった。いや、清五郎さんがいつも頑張っていらっしゃるのはようわかってます。これくらいの役がいつ来てもおかしくない人やと思います。去年の大阪鑑賞教室の十次郎もとても良かったし。でもすごい。こんな派手な役が来るとは。クルッとターンする等、急激にポーズを変える所作が綺麗に決まっていて、凛々しくてとても良かった。狐の部分が微妙に迷い気味というか、照れ気味というか、ドキドキ感があるのも良かった。左も慣れてない人をつけてるんだと思います。本当大変だと思いますが……、あれくらいの歳の方が(いえ、清五郎さんがおいくつか存じ上げませんが)本当に一生懸命頑張ってる姿を拝見できるのって、すごいことで、文楽ならではだと思います。
 
 
 

『新版歌祭文』野崎村の段。

衝撃の床配役。もう、太夫が全員「ここは若手会か!?!?!?!?!?」状態のso youngぶりで仰天した。椎の木の段とすしやの段にベテランを固めた結果、こっちがすごいことになっていた。中(いちばん最初)の碩太夫さんと富助さんとか、孫とじいちゃん状態。もうほんと頑張っていらっしゃった。フレッシュだった。

そして、人形も小助が紋臣さんで「そこ!?!?!??!?」と思った。紋臣さんって普段の配役はほぼ女方で、立役があったとしても舞踊演目だと思うんですが、衝撃の1ミリも可愛くないキモ手代……。わ、私の姫が……。いや、動作は紋臣さんらしくクルクルしていてとってもウザカワなんですけど、顔がキモくて不思議な時空に……。玉也さんの久作は声はピチピチなのにものすごいジジイぶりでウロウロしてるし(あの「もう歳で体がこわばってよう動きません」の範囲でシャキシャキ動いている感)、清十郎さんのおみっちょは素早さ&おきゃん度が上昇しているし、久松の玉佳さんは困った顔してるし、床も人形も情報量が多すぎて脳が処理しきれなかった。 

清十郎さんのお光はとても可愛かった。やっぱり悲惨な役は清十郎さんにやってもらわなくては。たとえば勘十郎さんがやったらお染〈吉田一輔〉を威圧して自殺に追い込みそうなので(失礼)。お光は可憐で清楚な雰囲気なのだけれど、在所娘らしく仕草が速くて、ちょっと粗野なところがあるのがキュート。清十郎さん的にも調子がとても良さそうで、今年度最大クラスの可愛さだったと思う。まわりの席の方々もしきりに可愛い、可愛いとおっしゃっていた。

久作を囲んで久松が肩を揉み、おみつが灸を据える場面はとてもとても可愛らしかった。お人形さんたちがきゅっと寄って人形遣いの姿がほとんど見えなくなり、絵本に描かれた風景のよう。そして、ここの部分を聴いて、小住さんて良くなったよなと思った。
 
 
 

3月公演は安定配役と衝撃配役の混在ぶりがおもしろかった。人数が少ないのか、基本的にみなさんランクアップした配役が来たり、二役ついていたり、床も人形も普段は絶対ありえない意外性のある配役がたくさんあって楽しめた。ある意味、マニア向け?

それとやっぱり勘壽さんが働きすぎなんですが大丈夫でしょうか。人数少なくて人形はみなさん大変だと思うけど、勘壽さんまでこんなに働くなんて……。勘壽さんて結構なご高齢だと思っていたが、実はそうでもないのか。帰りに勘壽さんをお見かけ申し上げたが、まったく追いつけないレベルのものすごい速さで歩いておられて一瞬で遠ざかっていかれてしまい、元気すぎると思った。あれを拝見すると玉志サンの遣うジジイの異様なカクシャクぶりも間違っていないと思う。好き。あと、この方には私服ではピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いていていて欲しいと思っていたお方もお見かけしたが、ピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いておらず、フツーのおじさん風だった。でもきっとあのコートの裏地は紫とエメラルドグリーンとエンジ色のペイズリー柄だろう……と新たな夢を持った。

ところで今月から巡業系の仕事では太夫さんの見台は全員共用になったのだろうか。いままでは個人のものをお使いになっていたように思ったが、今月はみなさん文楽座の紋(小幕と同じもの)が入ったもので統一されていた。にっぽん文楽も多分そうだったと思う。輸送費の節減対策とかなんでしょうか……。あと、パンフ掲載の出演者顔写真が新調されたようなので、来月パンフ買うのが楽しみ。
 
 
 

↓ 10月地方公演の感想

 

 

 

 

 

*1:弥左衛門の過去について、今回上演の床本では「船頭として預かった時に過失で金を盗まれた」としているが、原本では「弥左衛門ら船頭が共謀して盗んだ」という設定になっているらしい。時折原本で上演することもあるようだ。

にっぽん文楽『小鍛冶』『日高川入相花王』渡し場の段 明治神宮

ひさびさのにっぽん文楽・東京公演、今回は明治神宮での開催。

前回の上野公園での開催時、雨天中止でチケットが払い戻しになり、その手続きがあまりに面倒だったため、今回は天候が見えてからチケットを買おうと思っていた。ところが天候の見通しが立った頃にぴあを見たら「予定枚数終了」。あれだけデカい会場で売り切れるとは?と思い調べてみたら、明治神宮の境内ではなく、一の鳥居と神宮橋の間にある小スペースでの開催となっている。なるほど、有料席が少なくて無料の立見席を設置するというのはこういうことか。

というわけで、今回は着座できる有料席ではなく、立見で行ってきた。

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開演1時間45分前。JR原宿駅から神宮橋へ出ると、もうそこから定式幕が引かれた宮型の舞台が見えている。「歌舞伎やるの?」「文楽だって!」「人形劇だよ」と行き交う人々が話題にしている。それくらいのモロなド往来に会場は設営されていた。いつものような幔幕囲いはなく、道(っていうか神宮橋)に向かってやっている状態。近づいて見てみると有料席はかなり少なく、過去の三分の一以下。これでは売り切れて当然だ。しかし、この時点では立見スペースは封鎖されていた。「いまこの瞬間文楽に興味を持った通りすがりの興味津々の人💖」を装ってスタッフさんを呼び止め尋ねてみたところ、開演30分前には入れるとのことだった。

明治神宮を参拝して時間を潰しそれくらいの時間に戻ってみると、すでに立見スペースは解放されており、モリモリ人がいた。が、私の姿を発見したさきほどのスタッフさんが前方に入れる場所に誘導してくださったため、無事に最前列を確保。ありがとうスタッフさん。私、実は「いまこの瞬間文楽に興味を持った通りすがりの興味津々の人💖」ではなく、「清姫よりクソヤバな執着心トグロまきまきのキモ野郎🐍」なんです。文楽なら後半髪をさばいて正体を顕し、衣装が派手に変わるやつです。

開演を待っていると、上演中でも撮影可能というすごいアナウンスが入った。写真・動画ともにOK、ただしフラッシュ不可とのことだった。というわけで、今回は当ブログ初のオリジナル舞台写真付きでお送りします。

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┃ 小鍛冶

今回のにっぽん文楽は1日3公演の設定で、演目は『小鍛冶』と『日高川』を交互に上演するという方式。それぞれの前に人形or床の解説パートを入れるのは従来通りだった。まず最初に観たのは『小鍛冶』、解説パートは玉翔さんによる人形解説。

人形解説の内容は鑑賞教室と同じだが、今回は解説に使用している人形が赤姫のため、いつもやっている「走っていって、小石にけつまずく」の演技の前に「袖を腕に巻きつける」が入っていたのがかわいかった。それと「ちょっと変な位置に膝が入ってしまった立膝ポーズ」、お園さんの人形でやると確かに変なのだが、姫でやると「そういうもんかな……?」みたいな凛々しい姿勢になっていた。文楽だと姫は商家の奥さんよりかなり活発だから……。そして、玉翔さんの持ちネタ(?)「お尻で踏み潰しちゃうメガネ」がなんと本物のハズキルーペに進化していて爆笑した。勘十郎さんに私物を持ってきてもらったそうです。玉翔さんはにっぽん文楽プロジェクトについても解説していた。この宮造りの舞台は1億円かかっているとのことだった。1億あったら本公演の大道具何回分作れるのでしょうか。おふねのきょうそうがだいすきなおじさんたち、ありがたや、かたじけなや。

↓ 玉翔さんはおなかがすいているのでさしいれがほしいそうです。左は勘次郎さん、足は玉征さん。

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『小鍛冶』本編。

同題の謡曲からの移入。京三条に住む刀鍛冶・宗近は帝の命により刀を打つことになるが、それに相応しい相槌を打つ者がいないので氏神の神助を得ようと稲荷明神へ参拝する。その下向道、不思議な老翁が現れて十握の剣の故事を語り、宗近はそのような名剣を打てる家柄であるとして、帰ったら祭壇を作って待てと言って姿を消す。宗近が言われた通りに祭壇を作り、幣帛を捧げて礼拝していると、稲荷明神が現れて相槌をとる。稲荷明神の力添えによって宗近は刀を打ち、二人の銘の入った名剣・小狐丸が完成する。宗近が剣を掲げて君の世を寿ぐと、稲荷明神は雲に乗って帰っていった。という話。

文楽って、室内環境で上演することを前提とした芸能で、ほんとはこのような屋外公演には向いていないと思う。床の音が拡散して生音でできなくなることは勿論だが、人形の見栄えの低下が甚だしい。屋外は余計な視覚情報があまりにも多く、文楽人形の小ささがそのノイズに対抗できないからだ。

ところが、この悪環境に負けないほど人形が見映えする人もいる。老翁実は稲荷明神役の勘十郎さん。屋外、しかも立見席という遠距離からでも人形がくっきりと美しく映えている。老翁も稲荷明神も小さい人形だけど、存在がはっきりと浮き上がって見える。現代の風景の中に、突然、異様なものがいる感じ。この違和感はある意味劇場上演以上の効果を生んでいた。とくに後場の稲荷明神、佇まいそのものに加えて、狐役独特の異様な動き。周囲に視覚的ノイズが多すぎるからか人形遣いが全員出遣いでもあんまり目につかず(!?)、宙に浮いて激しく動き回る人形だけが目立っていた。たしかに浄瑠璃通り、あの金色に輝く人形は神仏や超常現象のたぐいだった。

でもさすが人形だなと思う微笑ましいところもあって、トントンカンカンとリズミカルに刀を打つところは、こびとのかじやさんのようで可愛らしかった。うーん、突然おとぎ話風。サイズ感でいうと、稲荷明神は冠に乗っているきつねちゃんが小さすぎるのがかわいくて良い。あとは、刀が打ち上がるのを上手でじっと見守る勅使役の道成が全然動かなくておもしろかった。

義太夫は能から移入された演目だけあってか、前半は謡ガカリの部分が多くて面白かった。そういえば、前場での人形の扇の広げ方も、ふだん武将の人形がするような勢いでバシッと広げる所作ではなく、水平にかざしてゆっくり手で開く、仕舞のような所作だった。

この『小鍛冶』、衣笠貞之助監督の『花の長脇差』(大映/1964)という映画の劇中劇で、歌舞伎版が演じられているのを観たことがある。二世市川猿之助が後半の稲荷明神を舞うのだが、その義太夫がなぜか文楽から出ていて、豊竹松太夫(後の竹本春子太夫)・鶴澤清六が演奏していた。レベルが高い劇中劇で、いくつか入っている劇中劇の中でも浮いていた。

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日高川入相花王 渡し場の段

開演前、かなり早めに会場に着いたら、スーツ姿に中年風肩掛けバッグを下げたサラリーマンがダイソーのポリ袋を下げてこっちに向かってズンズン歩いてきた。土曜なのに仕事とは大変だなー、それでも文楽が好きでわざわざ見に来たんだろうなーと思った。が、「それにしてもなんか見たことあるなこの人」と思ってじっと見てみたら、日高川に出る技芸員さんだった。何をどう見てもリーマンにしか見えない完璧な擬態だった。

このころには日も落ちて夜になり、じっとしていると体が冷えてくる。するとスタッフさんが貼らないカイロを配ってくださった。冥加に余る御情。阿古屋ばりにおふねのきょうそうがだいすきなおじさんたちを深々と拝んだ(カイロを手に挟んで)。

こちらの解説は咲寿さん&清公さん。おふたりとも鑑賞教室でよくあるものとは異なる内容の解説で聞き応えあり。慣れてしまえば当たり前だと思ってしまうようなシンプルな事柄(たとえば文楽座は全員男性であるとか)を切り口に、例え話を盛り込んだわかりやすい構成だった。

咲寿さんは「父(とと)さんや母(かか)さんに会いたい」というフレーズの語り分けを幼い女の子、姫、品のある豪傑の三つの役から実演。文楽というのはうちの一座の固有名詞なんですというアピールと(これはやっぱり積極的にした方がいいですね)、『日高川』のあらすじ解説もなさっていた。清公さんはかなり細かめに義太夫三味線について解説。義太夫の三味線は大音量を出す必要があるが、長唄常磐津だと音が小さくていいのはどうしてなのか(=義太夫は芝居小屋での単独演奏が基本だが、長唄常磐津はお座敷での演奏や合奏を前提としているから)など、邦楽の中での義太夫節の特性を踏まえながら解説していて、わかりやすかった。また、実演は感情表現だけでなく、「春のうららかな日差し」「桜が満開の風景」「ちょうちょがひらひら飛んでくる」「急に北風が吹いてくる」など、情景表現関係をかなりの数を弾いてくださった。「男性の悲しみ」を表す一音を「ちゃんと弾いた場合」「てきとうに弾いた場合」の二通り繰り返し何度も弾いて説明してくださったが、最終的には「“言われてみればそう聞こえる”の世界」「自己満足」と自爆なさっていたのが実に良かった。

ところで、咲寿さんが「文楽を初めて見る方〜?」と会場に質問していたが、手を上げる人がほとんどいなかったのには笑った。そりゃそうだろうな。この公演の告知、文楽公演の会場くらいでしかされてないもん。でも、私の周囲の立見席の人は結構挙手していて、みなさん解説中「へぇ〜っ」と盛り上がってらっしゃいました。

↓ 咲寿さんはちゃんとシャッターチャンスを作ってくれました(シャッターチャンスじゃないところを撮るヤツ)

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↓ 目付柱現象が発生し見えなくなってしまった清公さん

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日高川』本編。

清姫は日本一かわいい勘彌さんだった。こちらは逆に屋外上演であることが功を奏して清姫の人形をよりちんまりと見せ、ふわふわとか弱く可憐な雰囲気に引き立てていた。文楽だと姫の表現に「あら風に肌をさらしたことなどない」的な文句が出てくることがあるが、繊細で儚げな雰囲気の清姫は、まさしくこんなやかましくてゴシャゴシャな場所(原宿)には来たことなさそうな、守ってあげたくなるような姫だった。襟元をふんわりと乱れさせて出てくるところなど、まだ熟れきってはいないがもうだいぶ色は濃くなってきている桃の実の、甘く瑞々しい香りがするようだった。とはいえ、あいつは日高川を泳いで渡りきるようなクソヤバ女なわけですが。その川を泳ぐところも人形の姿を大変美しく見せていて、さすがベテランだと感じた。水に沈んでいる時間も短く、人形の交換もスムーズで自然。川を渡りきったあとの最後の決めもキリリとわかりやすく見せ、今回のような雑多な環境・観客の中での公演でも映えていた。となりで立見していたお爺さん(文楽初めて見る方〜?に挙手していた)もしきりに拍手されていた。どうですかわいいでしょう日本一かわいいでしょうそうでしょう。日本一かわいかった。

床のみなさんはかなり良くて、聞き応えがあった。呂勢さんの清姫は早々のうちからなんというかちょっと言動がおかしい感じのヤバさがあった。そういえば、先月、赤坂文楽の『生写朝顔話』へ行ったのだが、そのトークショーで呂勢さんは朝顔について「あんな格好になって追いかけきたら“うわっ!”と思いますけどねぇ」とヤバ女呼ばわりしていた。みんな思ってたけど言わないようにしていたことを……。技芸員さんは文楽の登場人物を結構disってくるのがやばい。燕三さんも以前、塩谷判官が普通の格好の下に白い裃を着ているのを指して「そんな奴いないですね。ジャミラかお前は」とおっしゃっていた。自分が判官切腹弾くのに。睦さんの船頭は金で動く下賤な奴のわりには微妙にイイ男風で艶男(死語)だった。

あと、口上で、太夫さんへのフリーなメッセージを叫んでいる方がいらっしゃったのが味わい深かった。ここは自由の国、文楽

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どちらの回も最後にカーテンコールがついていたが、技芸員さんたち、カーテンコールに慣れていなさすぎてちょっとギグシャグしているのと(人形遣いさんたちは自分のかわりに一生懸命人形に手を振らせるのが良い。女方の人形はちゃんと小ぶりに振るのである)、最近はカーテンコール撮影可能で撮影ポイントを作ってくれる舞台も多いが、当然それにも慣れていないから全員正面向き等ができていなくて、とてもほっこり。ほんわかした気持ちになった。ほんと、この世に残された最後のお花畑だよ……。

見終わって思ったこと。普段はわりと前方席で見ているので気づかないが、たまにこういうときに後方から舞台を見ると、環境や距離に負けない人形の見栄えというのがあるのだなと実感する。それと、いついかなる時も丁寧に安定して演じられるかという人形遣い自身のポテンシャル。相当のメンタルの強靭さが必要なことだろうけど、これ本当重要だと思う。その点勘十郎さんはやっぱりすごいわ。華があるし、ゆらぎがない。床はみなさんすごく安定されていてさすがだった。にっぽん文楽はマイク使用・スピーカー音声になるのが個人的ネックなのだけど、呂勢さんとか希さん、睦さんあたりは元気すぎて、普通に肉声聞こえました。

往来での上演で立見客もかなり多かったのに、お客さんがみんな静かだったのも印象的だった。やはり飲食している人もあまりいない。撮影マナーに関してはかなり良いと思った。日高川であきらかに人形の決めがくることが予測できるタイミングでスマホをそろっとかざす程度。主催者は宣伝・SNS拡散目的で撮影許可したのだろうけど(勿論ありがたいですが)、お客さんは文楽が好きな人が多数だからか、結構みんな上演に夢中って感じだった。やっぱり普通に観ちゃうよね。自分も結局あまり撮らなかった。特に一番フォトジェニックなところの勘十郎さんは人形の動きが結構速いので、写真撮ってたら見逃す。文楽は普通に観るのがいちばん楽しめる。 

 

 

ここまで読んでくださった方へのおまけ。『日高川』で清姫安珍への恨み事をくどきたてる部分の動画です。
※音声あり。呂勢さんの声がかなり大きく入っていますので注意して再生してください。

 

 

 

 

  • 『小鍛冶(こかじ)』
    太 夫:稲荷明神=豊竹呂太夫/宗近=豊竹希太夫/道成=豊竹亘太夫
    三味線:鶴澤清介、鶴澤清𠀋、鶴澤清公、鶴澤清允
    人 形:三条小鍛冶宗近=吉田玉助、左・吉田文哉、足・吉田玉征/老翁実は稲荷明神=桐竹勘十郎、左・吉田簑紫郎、足・桐竹勘介(全員出遣い)/勅使橘道成=吉田勘市、左・吉田玉翔、足・吉田簑之
  • 日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』渡し場の段
    太 夫:清姫=豊竹呂勢太夫/船頭=豊竹睦太夫/ツレ=豊竹咲寿太夫
    三味線:鶴澤藤蔵、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清允
    人 形:清姫=吉田勘彌、左・吉田簑一郎、足・吉田簑之/船頭=吉田簑紫郎、左・吉田玉翔、足・吉田玉征
  • 他 人形部=吉田簑太郎、桐竹勘次郎、桐竹勘昇
    ※人形の左・足の配役表記は、3/9(土)16:00、19:00の回のカーテンコールの目視確認によるものです。