TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 銀色の夏

  • 来賀友志[原作] + 嶺岸信明[作画]
  • 竹書房「漫画777」2号(1990.6)掲載
  • 巻頭2色カラー、読み切り、単行本未刊

┃あらすじ
家の手伝いもせずパチンコ三昧のそば屋の息子・直樹は、ある日パチンコ屋で妙な老人に出会う。釘の打ち方がひどいと嘆くその老人は、床に落ちていた玉わずか5個を元手に大当たりさせた。その様はまるで神業だった。翌日、直樹と老人は商売しか頭にない店の横暴でイカサマの濡れ衣を着せられ、外におっぽり出される。家に老人をかくまった直樹は、老人のために超一流の釘師を探すため旅に出る……



超一流の勝負師たちを描くパチンコ劇画。
無意識のうちに来賀嶺岸作品=麻雀漫画だと思っていたので、発見したときは驚いた。少年が偶然パチ屋で出会ったパチプロの老人、一本の釘で客を魅了する釘師を求めて名古屋-大阪-岡山-広島を放浪、そんなこんなでやっとの思いで見つけた超一流の釘師と老人が対決、すごいパチンコに感動して感涙など、内容がかなり麻雀漫画テイストを帯びている。
この作品、最後は老パチプロと昭和最後の釘師のパチンコ対決となる。釘師vsパチプロという構図はいまではそうそうありえないだろう。これはどうも意図的にやっているようで、他の来賀パチ漫画作品も読んでいくと、対決を話の主軸にするとしてもそれをパチプロvsパチプロの構図にならないように工夫している気配がする。意図的に回避しているというか、ただの力押しのパチンコ対決にはならないよう相当気を付けている様子が見て取れる。勝負を左右する要因である運と技術の描き方にもかなり気が払われており、その点は同誌掲載のほかの作品から抜きん出ていた。これは麻雀漫画の経験が活きているのだろう。




ただ、この作品自体に関してはいろんなことを詰め込みすぎという印象。そのため話をかなりはしょっており、なぜ主人公が行きずりのジジイのために旅に出てまで超一流の釘師を探すのか一切説明されていないところがすごい。しかしながら誌面から漂ってくる本気度に圧倒され、なぜか納得してしまっている私がいる。いやほんと、常々「なぜ来賀先生は麻雀漫画と同じノリと本気度で他の作品を書かないのか」と思っていたが、麻雀漫画と同じノリと本気度でパチ漫画を描くとこうなるというのがよくわかり申した。
あと、これはもう嶺岸先生の絵柄上どうしようもないことだが、パチンコ台の描写が渡辺みちお地引かずやなどの細密な絵の作家に比較するとやや甘いのが気になる。パチ劇画って、パチンコ台の描写が(私でも感じるほどに)甘いと萎えますな。




この作品、話が恐ろしく古臭いと思われるかもしれないが、この作品が載っていた「漫画777」という雑誌自体が恐ろしく古臭い話のパチ漫画で埋め尽くされている。具体的に言うと、パチンコ対決中に釘を打つハンマーで腕を台に打ち付け、勝つまで台を離れねえ決意を示す(タイトルは「鮮血乱れ打ち」)とか、離れ小島の悪のアジトでパチンコ対決をするとか、看板連載が北野英明とか、そういうバタ臭い漫画がたんまり載っていた。どのページを開いてもこのノリ*1で、コロコロ・ボンボン状態。うーん、パチ漫画恐るべし。

*1:同時期連載で最も有名な作品は山根泰昭+西蓮史郎『ジャック』か?