TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 殺気ゆえ 〜遠くから呼ぶ声あり〜

不動チカラ[原作] + 木村直巳[作画] 竹書房 1998年

 

┃あらすじ
一匹狼の裏プロ・深見は、幼い頃に見たある光景に囚われている。それは、夕焼けの海岸で出くわした異様な風体の男の姿。そして、存在しない137枚目の牌の悪夢にうなされていた。あるとき、深見は超高レートの卓で心理カウンセラーの沼部という不思議な男に出会う。沼部は彼の悪夢を見抜き、カウンセリングへと誘った。心を読むような沼部のカウンセリングに、深見は次第に自らの心の深淵と欲望を知ることとなる。そんな彼に、沼部は深見と同じ《病理》であり、医者と患者の関係は逆転することもあると語る……




サイコサスペンス麻雀漫画。
原作の不動チカラは狩撫麻礼の別ペンネームであると言われている。




サスペンス漫画として非常におもしろい作品。
幼い頃に見た原風景、海辺の殺人者、精神科の闇医者、雀ゴロ集団を抜けたという過去、肥大化する欲望と妄想、殺人への渇望、エロい人妻など、惹き込まれるようなキーワードがふんだんに盛り込まれている。キーワードだけでなく、はじめは深見を圧倒していた沼部が第三の男の登場によって立ち場が逆転してゆく展開も魅力的で、ストーリーメインの麻雀漫画としては出来が最上位の部類。霧がかかった暗闇にチラチラする明かりを追っているかのような緊迫感を味わうことが出来る。




闘牌は非常に凝っていて、作品の雰囲気を高めるのに一役買っている。これは巧いわ。ストーリーを重視する麻雀漫画では、あまり麻雀に凝り過ぎると麻雀がストーリーを阻害してしまう(と思われている)が、これは麻雀に凝ることによって作品自体の雰囲気を高め、ひいては一般性や読み易さを与えているという非常に良い例。自分の深淵を覗くにつれ変化していく深見の打ち筋を読んでいくのも面白い。

ただ、台詞による闘牌解説の解説が長いのが気になる。土井泰昭作品でもネームでの解説が多いが、あれはもうストーリー一切なしで麻雀しかやってないので、闘牌解説ネームが多くても「そういう作風」と解釈できるものの、ここまでストーリーが立った作品で解説が長いと興醒め。ネームを増やす以外の方法で処理すべき。私は闘牌解説のネームをいかに少なくするかが麻雀漫画作家の技量の見せどころだと思っている。この作家の場合、作家本人が闘牌を考えているわけではないのでこうなってしまったのか……。

プラス、麻雀に関して、ストーリー系麻雀漫画として致命的な問題がある。それはキーワードになるはずの「存在しない牌」にリアリティがまったくない点。日本で一般的に売っている麻雀牌セットに含まれない奇妙で不思議な図柄の牌が存在することは、麻雀博物館に行ったり、「麻雀祭都」を見たことがある人なら誰でも知っているし、そうでなくとも想像の範囲内だろう。その牌ってのがまた取り立てて言うほど奇妙でもない。なので、この牌に物語性が感じられない。もう少し工夫して欲しかった。原作者は麻雀それ自体にあまり関心がない人なんだろう。だが、それも、ストーリーとしてこの「存在しない牌」にオチがついていればその限りではないのだ。
一番の問題は、最後が超ちゃぶ台返しになっていること。




この作品、途中まではそういった麻雀漫画としての欠点が覆い隠されるほどにサスペンスとしてのストーリーが面白いのだが、最後が打ち切りかと思うほどの急展開で、そのサスペンス要素がすべて投げっぱなしになっているのがすごい。すごすぎる。あれだけ引っ張った「存在しない牌」も、沼部の《病理》とは何なのかも、なぜ深見が「海辺の殺人者」に惹かれたのかも、彼を呼ぶ声は何だったのかも、一切説明しないで「麻雀で勝負だ!!!!!」→(中略)→「エロ人妻がエロいことに!!!!」で終わる。スゲエ!!!!! ここまで「麻雀で勝負だ!!!!!」が強引な麻雀漫画も稀。

しかもそのただでさえ稀な「麻雀で勝負だ!!!!!」具合が稀に見るほどの面妖さで、なんとサンマ。しかも特殊ルール。

『殺気ゆえ』サンマルール

  • 一般的なサンマとは異なり、通常通り全種類の牌を使用する。マンズ抜きや抜きドラ等は一切なし。
  • 全ての牌は3枚ずつにする。(つまり1種類につき1枚ずつ抜く)
  • は常にドラ扱い。
  • ポン・チーあり、カンは枚数上不可。
  • 一荘を一区切りとする。
  • 3万点持ち3万点返し。箱割れ終了のペナルティあり。

ちなみに特殊ルールの意義は一切なし!!!!!!
何がスゲエって、この最後の勝負のためにサンマ用の全自動卓が開発されたことがスゲエ。失礼ながら爆笑。『あぶれもん』旅打ち四国編の三角形の麻雀卓で爆笑した人はここでも絶対爆笑。麻雀であることの唐突さと当然具合がある意味『あぶれもん』と張れるくらいのバカ(褒めてます)。
深見と沼部は同じ《病理》で、その《病理》によて辿り着いたのが高レート麻雀あったとかいう設定も、《病理》とは何なのかの説明がないせいで「そりゃただのギャンブル中毒でんがな」で終了している。うーん、すごい。私は、伏線の回収やストーリーの構造の完成度、ギミックの技巧如何で麻雀漫画を評価することはしないが、さすがにサスペンスはそこは押さえてもらわないといかん。

サイコサスペンス麻雀漫画としては他に土井泰昭+木村直巳『ダブルフェイス』があるが、『ダブルフェイス』もまたオチがヤバい。雰囲気があっておもしろい滑り出しで、途中までは実際非常におもしろいのに、打ち切り?の余波で最後がムチャクチャ強引な「麻雀で勝負だ!!!!」になる点は同じ。あと、最後はコスプレ女子が飲み物を配ってくれるところも同じ(木村直巳の趣味?)。ストーリーを完遂できなければ完成度が格段に落ちてしまうサスペンスものは、打ち切りの多い麻雀漫画には向かないのだろうか。純然たるサスペンスではないが、サスペンス系麻雀漫画としてはほかに来賀友志+本そういち『ウァナビーズ』がある。私、まだ最後まで読んでいないのだが、ちゃんとオチついてるのかしらアレ……。