TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 武闘派雀士ナギサ

海斗湧氣[原作] + 土光てつみ[作画]


┃あらすじ
腎神組のプッツン組員・渚真一は対抗組織・超山組の組長のタマを殺ってくるテッポウダマに指名された。渚は司法試験受験生の双子の弟・心郎の身の保証を組長に託し、「おおブレネリ」を口ずさみながら超山組を壊滅させる。心郎と共に住むアパートへと舞い戻ったところを超山組の残党に襲われた渚は、心郎を抱いて窓から飛び下りる……。
――翌日、超山組は壊滅、証拠の渚も死んだとあってこれにて一件落着大笑いの腎神組組長の前に渚が現れた! 組長は約束通り渚を若頭に据えたが、若頭となった渚は昨夜までの彼とは全く異なっていた。麻雀、仕手、抗争、すべてに頭が切れまくる渚――、彼は一体どうなってしまったのか!?




清く正しく美しいヤクザ麻雀漫画!
恐るべし、土光てつみ!




すべてを勢いだけでつっきっている。
いや〜、勢いだけでつっきるのもここまでいくとさわやかですな。拡大再生産になっていないのがすごい。こういったノリの漫画は普通、一定のネタを何度もなぞりなおすだけになるのに、常に勢いの方向性が違っていてもはや誰も理解できない境地に……。近オリ改変に巻き込まれ、3話で打ち切られてしまったためのヤケッパチでしょうか?
実は渚は弟を抱いて窓から飛び下りた衝撃で兄弟が一心同体になっており(というか、真一が死んで心郎に魂が憑依し守護霊化している)、仕手や抗争の采配は心郎が行い、麻雀のときは真一が山や他家の手牌を読んでいたという設定。まあそれはそれで結構なのだが、これを「元々双子の俺達、こんなことがあっても別に不思議じゃないよな」「ま、世界中にいくつも例はあるからな」とサラッと流しているのがすごい。「世界中にいくつも例はあるからな」って……。




見どころは最終話。
仕手戦で統一連合と対立した渚は、取得した株を賭けて統一連合代打ちの「蛇」、会長の一人娘にして代打ちの「蘭」と勝負することになる。蛇に追い込まれた渚だったが、ラス親を天和で連荘しまくる。
一般誌ならまだしも、麻雀漫画の専門誌で天和を引かせるには相当の技術と覚悟がいる。麻雀漫画において天和を引くにはテンションの高まり(流れ)を必要とする。それを突き詰めたのが安藤満+しもさか保『阿羅漢』であり、或いは来賀友志+嶺岸信明『天牌』の四川編である。で、この作品はどういう「天和の根拠」をもってきているかというと、これがなかなかすごい。皆言いたくてもなかなかできないですよ。これは。


どうしてもマンガン和了りたい時、マンガンマンガンって思ってたらマンガンの手が入ることってあるだろう? だったら天和が入ったっておかしくねえ。人間の想いの力ってのは結構強いもんだ。大抵のことは想えば叶う…… 叶わないのは心のどこかで無理だと思ってるからだよ!!



これ、今ぱっと聞きの方は「なわけねーじゃん!」と思われるかもしれないが、リアルタイムで読んでいた近オリ読者は「Yes!! 想えば天和は実現する!」と思ったはず! それはなぜか!




というのも、実は最終回(2007年1月号)の前号(2006年12月号)に掲載された片山まさゆき『雀賢者ポッチカリロ』第2話「氷山の九角」に全く同じテーマが扱われていたのだ。
『雀賢者ポッチカリロ』では主人公・ポッチカリロは部屋中至る所に「九連宝燈」と書いた紙を貼っていた。ポッチは「九蓮宝燈」という手役を潜在意識に落とし込み、「九蓮宝燈」を実現させようとしていたのだ。 人間の行動の90%は潜在意識に支配されており、はっきり意識してとる行動は氷山の一角の10%に過ぎない。Gリーグプロ・千曲は、九蓮は現象であり行動とは無関係だと主張するが、麻雀雑誌記者・ミザリーは言う。

ミザリー
現象は人の意識で創られる……。脳の中のイメージは具現化する!と言われてるわ。決して九蓮も例外じゃないのよ。奇跡はね、マジに信じてる者だけが起こすのよ。


……しかしポッチは「九宝燈」を「九宝燈」と書いてしまっていたため、実戦で九蓮を引くことはできなかった。間違いに気付いた千曲が心遣い(という名のイタズラ)で「九連宝燈」のはり紙をすべて「一盃口」に張り替えてしまったため、ポッチは「一盃口」を刷り込まれることとなってしまい、公式戦で高目・多面張を捨てても常に一盃口に受けるようになってしまい、一日に16回も一盃口和了する大挙?を成し遂げたという……。




というわけで、「武闘派雀士ナギサ」の「思えば天和も引ける」理論は前号からの "流れ" によって達成された、歴然たる麻雀漫画王道の天和であった。
連荘するときに出す点棒がなぜか千点棒だったり、圧勝した渚がシマの権利も勝ち金も放擲して蘭を娶ったり、突然の雷撃を受けて己の過去・未来が見えたと同時に兄が成仏したりとすさまじいテンションで突き進み、一人になった心郎が「おおブレネリ」を歌いつつ雨の街を歩いていくところでこの物語は幕を閉じる。うーん、元気よすぎ。




土光てつみって本当にすごいよね。と思わせる逸品だった。
絵だけでおもしろくて反則というか、山口正人に続く、ヤングにも受け入れられる清く正しく美しいヤクザ漫画の描き手として今後も活躍してほしい。あと、こういう劇画チックな絵なのにトーンを使いまくるのもすごいよね。清く正しく美しいヤクザ漫画ならではのわけわからん柄のシャツやネクタイがトーンによって活きていると思う。やたら目ががキラキラしているところもナイス。
あと、土光てつみって木村知夫と絵の傾向が似ているが、何か関係あるんですかね。