TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

 少林寺雀法

綾小路綾子[原作] + すずき弘光[作画] 桃園書房 1977

  • 全1巻

┃あらすじ
都内の大学の少林寺拳法部で稽古に励む月形潜。函館出身の彼が東京の大学に進学したのは、ある女性を探すためだった。その女性とは彼の中学生時代の家庭教師・佐久美保子。彼女は親の借金を返すため上京したまま行方がわからなくなっていた。大学の先輩に誘われて初めて麻雀を打ったとき、月形はのなめらかな感触に、別れの前に一度だけ結ばれた美保子のパイパンを思い出す。との運命的な出会いにより、彼は少林寺拳法にのめりこむのと同じように、麻雀にものめりこんでゆくのであった。




武道を修める*1主人公が麻雀を打つ麻雀漫画。
予め申し上げておくが、武道麻雀漫画ではない。一瞬『雀剣示顕流』の仲間かと思わせるタイトルだが、別に少林寺拳法の技を取り入れた麻雀を打つわけではなく、少林寺拳法と麻雀はそれぞれ独立した要素。カレーうどんを頼んだらカレーライスとたぬきうどんが出てきたような感じ。




収録作は1話づつ読み切り形式になっていて、それぞれに違う味付けがされている。例えば第4話「放火魔を追え」はちょっとした推理もの。
主人公はごみの中から拾われたノートに書かれた謎のメモ書きが、近頃巷を騒がしている連続放火事件の犯人の手がかりであることに気付く。主人公は放火魔に次に狙われる店として「お座敷麻雀 竹」*2を探し出し、犯人が現れるのを麻雀を打ちながら待つ。はっと気付いた主人公が天井を蹴破ると、なんとそこから放火魔が落ちてきた。危うく大火事になりそうだったところをボヤ程度で消し止められてめでたしめでたし。さあてさっきの麻雀の続きをやるっぺ。というような話。本当におめでたすぎる。
犯人が "竹" に関係する名前の店を狙ったのはかつて "竹子" という女性に逃げられた怨みからだったりとディティールの詰めはしょうもないが、犯人が「(火が燃え広がっていくのを見る気持良さは)あんたにはわからねェよ」と笑いながら連行されていくシーンを見るに実は深いのかもしれない。




上記が最も話の完成度が高いエピソードで、ほかは推して知るべし。
「こういうのがやりたい」という気持ちはよくわかるが、演出や作画の力が追いついていないというか、既知の漫画文法で描かれていないためにとても読みづらい。もしかしたら、のらくろクラスに古い時代の漫画文法なのかもしれない。まあ、この作品は1977年発行で、1977年の時点でこんなことやってもらっても困るんですけど……。
設定自体は良いアイデアに溢れている。主人公が少林寺拳法部に入っていることもそうなのだが、主人公は夢の島のゴミ埋立場でバイトしていたり、最後のほうは京都や神戸への旅打ちになっていたり。にも関わらずこれがほとんど活かされないのが勿体ない。構成力と演出力と画力とその他もろもろがアイデアに追いつかなかったばかりに……ナンマンダヴ。
……というふうにあげつらって小馬鹿にされることが多い作品だが、77年当時の麻雀漫画としては話に工夫がなされているのは事実。当時の麻雀漫画に多かったのは雀ゴロが主人公のもので、要は「こんなに無頼なポクリンってかっこいいでしょでしょ〜!?」というものであり、そのような抹香臭い要素を排したヤング向けのおしゃれな麻雀漫画として注目に値する作品である。




麻雀のみどころとしては、手牌が完全に理牌されておらずちょっとひっくり返った牌があったりという微妙なディティールがよい。それ以外のみどころはない。




おまけ
かわいい女の子が急に恐い顔になるというギャグがよくある(このギャグっていつごろからあるんだろうか……)。この漫画にもそういうギャグがあるのだが、もしかしたらギャグじゃないかも知れない。むしろギャグであってほしい。「小説の執筆に青春を賭けたが認められず失意の中自殺した文学青年の霊」にしか見えない。とりあえず、強烈な違和感があります。


この人、なんかキュンとくる。夜は墓場で運動会してそうで。




最後になりましたが、「少林寺」成分は以下のような感じです。察してください。

*1:日本語間違ってる?

*2:「お座敷麻雀」という雀荘の営業形態はおしゃれすぎてびっくらこいた。70年代にはこういう雀荘が実際にあったのだろうか。しかもフリー営業らしいです。