TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 ルード戦士 ラスタパイ

狩撫麻礼[原作] + 守山大[作画] 双葉社 1986


 


┃あらすじ
とある雀荘でボロ負けしてしまった下村春樹。鉄砲(無銭)で打っていたのがバレて勝ったオッサンにとっちめられ、謎のブローカーに7万円で売られてしまう。ホモ関係の仕事だけは勘弁という下村に、ブローカーは相手は女だと言う。風呂に入れられ、おめかしされ、高級ホテルのスイートルームへ連れて行かれる下村。一晩5万円のその「仕事」とは――!?(「眠れる黒眼鏡」より)




麻雀青年漫画
すみません。今、嘘つきました。
……麻雀、してないです……。
同じ作者コンビの『パワーフール』という作品のキャラクター・舞台を使った麻雀漫画(麻雀はほとんどしてないけど)。1話読み切りタイプで、毎回再語のコマに「oh ラスタ牌」という歌?が必ず出てくることが特徴。ラスタ(rasta)とは、聖なる、俗なる、高貴な、捨て身の、の意味。純度100%まじりっけなしの狩撫節が堪能できる一作*1。最終回がめちゃくちゃなことになっていることでも有名。




昔のおしゃれ漫画。漫画としておもしろい。
主人公の下村とその仲間たちのダラダラした日常を描く、昔カッコよかったであろうストーリー。とりあえず、連載当時の「別冊近代麻雀」のなかでは最もおしゃれだったことは間違いない。いま読むと「なんだこのニート」と思ってしまうが、当時の若者は「こういうふうに生きたい」と思って読んでいたのだろうか……?
時代の空気が強く、その頃を知らないとそれに憧れると同時に置いていかれる。話とか絵が古いというわけじゃない。ただ、こういう「平和というか、だらだらした日常が恒久的に続くだらだら物語」はいまの青年誌ではもうやれないだろうと。ここまで生活にリアリティがない舞台&主人公設定は*2。それが80年代にはありえたのだろう。自分はごくフツーの人なんだけど、自分はそこらへんのやつらとはちょっと違うんだ、ちょっとだけドロップアウトしてるんだ、まあちょっといい歳こいちゃってるけどね、ということをある程度マジで思ってる人、あるいはその若さ、若かった自分を抱き締められる人向けの作品なのかな。
私は昔のマンガの教養が皆無なので、間違ったことを言っていそうな気もするが、間違ったこと言うついでに言わせて頂けば、ゆうきまさみ究極超人あ〜る』が好きな人にはおすすめ。




麻雀はほとんどやってない。あらすじに引用したのは、最も麻雀漫画らしいエピソードのもの。麻雀具合としては『セイガク暴牌族』と同レベル。麻雀牌や役名を並べているくらいで、闘牌を見せるタイプの麻雀漫画ではない。麻雀がヤングの一般的な遊びだった頃の物語ということか。むしろ一般誌で連載したほうがよかったような気が……。




守山大の緻密な絵が魅力的。当時はこういう大友克洋のパチモンみたいな漫画家が多かったのかもしれないが、今となってはこれだけ画力がある漫画家は貴重だと思う。躍動感と緊張感のある、シンプルで美しい手描きの描線がとても良い。




漫画内部での整合性……たとえば下山はアパートの何階に住んでいるのか、主人公が通っている雀荘の名前は、といった設定は話に関わってくるにも関わらずしばしば破綻している。昔の漫画はその多くがこのようなアバウトさを含んでいるが、これ、漫画それ自体のおもしろさとは関係ないとは言え今の漫画のように設定や世界観の密度が高いものを見慣れていると少々引っ掛かる。




……ってかこれ、抄録じゃんかよおぃぃぃ〜〜〜っ。
「別冊近代麻雀」1985年1月号では"STAGE.20"になっている「10番街の殺人」がこの単行本では"Vol.6"になっている。これってすさまじい勢いで未収録があるということなのか。さすがにそれだけの量を国会図書館でサルベージしたり、知人に聞いて回ったりするのは不可能と判断したため、現時点では未収録分リストは掲載しないことにした。ご了承ください。




80年代当時、『ぎゅわんぶらあ自己中心派』や『スーパーヅガン』は別として、こんなふうにヤングでアーバンだった麻雀漫画ってそんなに多くないと思う。と思ったのだが、当時のキンマ連載を見ると、ちょっとマニア受けしそうなのが載っていたりで思いのほかナウい。むしろいまよりおしゃれだ。そして、『あぶれもん』『勝負師の条件』『哭きの竜』などの連載がはじまるのはこれより後のこと。
『あぶれもん』たちがマンガとして古いタイプというわけでは決してないのだが、なんか、掲載作品が時代に逆行してないか? 竹がこのとき世間の流行のヤング路線やおたく路線にいかず、漢路線に走ったのはなぜなのか? ヤング路線で突っ走っていれば、きっとヤングコミックのような後世に残るシャレオツ雑誌になっていただろうに……(というのはさすがに言い過ぎか)。竹が漢に走ったのはなぜなのかは、今後の研究課題である。

*1:以上、「麻雀の未来」2号、田中太陽「美は境界線上にあり―狩撫麻礼の麻雀漫画紹介、あるいは狩撫的価値観と「麻雀を打って生きる」ということ―」を参考にさせていただきました。http://www.mansengo.net/beginner/mirai_sell.html

*2:現代でもオタク向けマンガには存在する題材だが、あれは読者も完全にファンタジーだと了解した上で(ファンタジーだからこそ)買っているだろうから、ちょっと違う。サブカル漫画(僭称)では本気でやってるやつがあるのかも知れんが、知らん。