TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

 バード 砂漠の勝負師

青山広美 竹書房
近代麻雀 2000.3.15号〜11.15号連載
全2巻

以前、人様に「おもしろい」と教えて頂き、近所の古本屋にポツンとあった2巻を買ってきて中途半端に後半だけ読んでいたのですが、1巻を読むことのできる機会に恵まれたので通読。


┃あらすじ
ラスベガスの凄腕マジシャン、「バード」。彼のマジックにはテクニックがあったが、エンターテインメントがなかった。日本の博徒系ヤクザ・般若一家は、彼に不敗の代打「蛇」との麻雀勝負の代打ちを依頼。かつて「蛇」から死ぬほどの屈辱を受けた元マジシャンにして代打ちの沙羅とともに、バードは「蛇」との対局に臨む。「蛇」はなぜ不敗なのか?「蛇」の必殺技、自動卓天和のトリックは? バードはその不敗神話を突き崩せるのか。



話がしょっぱなからずれますが、一緒に読んだ佐藤秀峰示談交渉人M』は、ドラマ重視で読みやすかったものの、正直競技種目は麻雀じゃなくていいだろこれ、と思ってしまいました。個人的には麻雀の技術がなってるかなってないとかそういうことについてはグデグデでもありえなくても特に構わない(というかわからない)が、話の構成に必然性がないと辛く感じてしまいます。別にポーカーでもいいのでは、と。つまりは逆に言えば麻雀でもいいわけですが、それなら「命とは何か」というテーマと「(それなら)麻雀(で勝負だ)」というモチーフが関連していて欲しいわけです*1。ドラマ重視だとそうなってしまうのかなと思いつつ、出来れば関連性があると読んでいて楽しいです。唐突すぎる話の持っていきかたが面白かった分、残念。


そういうわけで、今回感想を書きたい『バード』はどうなのかというと、「それなら麻雀で勝負だ」自体に物語の核心があるわけではありません。そうではない切り口がとてもおもしろかった。「自動卓にどうやったら天和が仕込めるか」という超ピンポイントなテーマと、「マジック」というモチーフがうまくくっつき、それのみが描かれていることによって、とてもおもしろい切り口になっている。限定空間や制限された設定を活かした話は面白いものが多いけれども、これもその部類の漫画なのでしょうか。無理だろとか、嘘くさいとか、説明不足とかいうのは抜きにして、エンターテインメントに特化していて、華やかでおもしろかったです。ごく普通の漫画好きの方にもおすすめできる漫画ですよね。


この漫画の話のメインは、蛇不敗の理由である「自動卓での天和」の謎を解きあかす事。サイコロまですべてデジタルの全自動卓なのに、「蛇」は天和、しかも字一色などを複合する天和を仕込んでくる。物理的にどのように仕込んでいるのかは勿論、私が興味深かったのは、なぜ「蛇」が摺り替えや通しといった自動卓でも可能なイカサマを使うのではなく、自動卓での天和という困難なイカサマを使うのかということ。だったんですが、これにははっきり答えが書いてあるわけではなく、ただの(されど)「妄執」としか説明しようのないところもおもしろかったです。「狂気」の描き方が論理的でない分、鬼気迫っていてよかったです。そして、「蛇」の農園のくだりは実によかった。単純にああいう描写を入れるだけの漫画はつまらないと思いますが、この漫画だと他の部分と相まって「蛇」の正体不明さ、狂気が出ていてよかった。そして、「バード」の、テクニックはあるけどエンターテイナーの素質はない、というキャラクターはすごくよい、個人的にすごくいいと思った設定です。ここで言われている、マジックで(テクニックよりもずっと)一番大切なことは、ほかのことであっても同じだと思います。


最後に、青山広美さんの(例えが悪くて申し訳ないが)レディコミっぽい絵柄はマジックという華やかなモチーフに似合っていてよかったです。






ところで、劇画って、どのような要素から判定して劇画と言うのか?麻雀漫画と麻雀劇画って何がどう違うのか?と最近思いました。

*1:命を賭けるのは関連性とは言わない