TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『一谷嫰軍記』弥陀六内の段、脇ヶ浜宝引の段、熊谷桜の段、熊谷陣屋の段 国立文楽劇場

 

『いちのたにふたばぐんき』の「ふたば」の漢字表記は、よくある「女束」ではなく、あくまで「女束」なのが、国立劇場系列での上演時のポイントです。
国立劇場系列が『一谷軍記』と表記しているのは、初演時の丸本がそうなっているからという理由のようです。

ですが、世の中には慣例というものがあり、『一谷軍記』表記も平行して存在しているため、検索のときには『一谷軍記』『一谷軍記』両方を調べると、情報が引っかかってきやすいです。(突然のしらべものまめ知識)

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第二部、一谷嫰軍記、弥陀六内〜脇ヶ浜宝引の段。

「弥陀六内」は、敦盛〈吉田清五郎〉が出オチ状態だった。この時点では「神秘的な謎のイケメン✨」という設定だと思うが、どこからどう見ても平家の公達。徳弘正也の漫画のように「そのまんまやんけーっ😂👆」と飛び上がりそうになった。さすが清五郎さん、気品に溢れすぎています。ただの貴族のおぼっちゃまではなく、やや武張っているところもニクイ。これで敦盛じゃなかったら、宗盛か、重盛の若き日の姿の亡霊でしょう。

にょっこり出てくるおふく女子〈桐竹紋吉〉は、てっきり下女だと思っていたのだが、役名を見ると「女房お岩」。弥陀六の奥さんってこと!??!?!! 今月最大にびっくりした。

 

「宝引」は「金的で死ぬ人がいる」ということしか覚えていなかったが、本当にそういう話だった。初日の開演直前、お囃子さんが音の確認をしていて、あの「チーン」という音のお試しが聞こえたのには笑ってしまった。
宝引のお百姓役ツメ人形6人。ツメ人形がいっぱい出てくると、怖い。っていうか、この話、実際に、悪意のない集団リンチによる殺人事件が起こるし。市民運動を描いた映画『百万人の大合唱』(1972)で、ヤクザの峰岸龍之介が「善良な市民」に追い詰められ、悪意のない集団リンチで殺されるシーンを思い出した。事故として処理されてうやむやになるのも、一緒です。

このツメ人形たちは、演技時間が長く内容も複雑なため、「それなり」の人が配役されると言われている。確かに、上手の2人はかなり上手い。では「それなり」とは一体誰のことなのかというと、6年前の東京公演で出たときはtwitterで配役が発表(?)されていた。今年はどなたが演じられているのか。上手から2番目の丸顔の人は、ムーブ・アンド・スタイルで、お客さん全員に"中の人”がバレていると思います。

↓ 6年前のツメ百姓配役。ツメ人形の顔と"中の人”はソックリにしてある説。ソックリすぎて、怖いんですけど……。

 

ただこの2段、全般的には若手会のような雰囲気だった。みんなが頑張ってるのを見る段❣️というか……。気楽な内容のはずだが、観ていて疲れるものがあった。
ひとつ指摘をするならば、床・人形ともに、弥陀六の年齢が若すぎる。後半日程に観たときは、年齢の不自然さに気づいたらしい人もみられた。今後にいかして頑張ってもらえればと思った。

あと、あちゅもりの石塔が、おでんみたいでした🍢

 

 

 

熊谷桜〜熊谷陣屋の段。

熊谷次郎直実〈吉田玉志〉は優美な雰囲気。かなり落ち着いて演じられており、スマートな雰囲気を活かした、ゆったりとした佇まいだった。玉志さんの熊谷役は、地方公演を含めて3回目。余計な気負いや力みが消えて、人物描写を追求する方向へきていると思う。

玉志さんの熊谷のよいところを書くとすれば、まず、内面表現として、

  1. 思いつめた内向的な佇まい
  2. 相模を思いやる優しい雰囲気
  3. 義経への敬意、真面目さ

の3つが挙げられると思う。
このうち、相模への優しさが濃いのは特徴だ。熊谷は坂東武者という設定で、人形がどでかく、顔も卵色に塗られているため、一見、荒武者のように見える。しかし、言葉の端々から、彼が本当はとても繊細で、他者への心遣いのある人物であることが感じられる。玉志さんの場合は、それが人形の演技としてもあらわれている。あの繊細感は、独特。他人のことを心配そうに見ている目線の雰囲気が、ほかの人の熊谷とはちょっと違う。帰館したときの「妻の相模を尻目にかけ」が決して睨みつけでないこととか、その直前に数珠をさっと隠すところの慌て方とか。「熊谷陣屋」が悲劇たり得るには、熊谷がいかに小次郎・相模を大切にしていたかが観客に伝わる必要があるので、非常に重要なことだと思う。

舞台に出てくるところでの、内面的で暗く沈んだ孤独な目線も、館へ入ったあとの「虚飾」を表現するうえでは、重要だと思う。出での熊谷は、取り繕いのない彼の本心。その深刻さが出ているのはよかった。また、最後に出家姿になっても、義経への敬意を決して忘れない振る舞いであるところも、真面目な彼らしさが出ていて、かなり良い。兜を手にしたとき、義経に涙は見せられないので、ちょっと背を向けるのとか、細かいけれど、良いですよね。(義経も、見ないふりをしてくれるのが、良いです)

これらの内面表現の総体として、シーンごとの区別が演じ分けられているのは良かった。熊谷がひとりのとき、帰館して相模に会ったとき、藤の局まで出てきてしまったとき、義経があらわれたとき、出家の姿で現れたとき、相模を伴って旅立っていくときと、その区別がうまく出ていた。

 

人形の遣い方、所作・動作の面では、

  1. 無駄を省いたスマートさ
  2. 動きの精緻さ、型で止めるところの的確さ
  3. 野生的な雰囲気、ゆとりを持ったおおらかな動作の両立

の良さが指摘できるだろう。
「物語」では、この特性が活きていたと思う。人形の体の高低、左右への振りのメリハリが出ており、スマートな雰囲気。何をやっているのかが格段にわかりやすくなっている。急激な姿勢の転換もスムーズ。演技の描写力も上がって、所作が何を示しているかがわかりやすくなっていた。それによって、ご本人の特性の、生真面目な雰囲気がよく出ているのも、良かったですね。物語での熊谷は、藤の局(相模)のために嘘をついているんだけど、それが取り繕いや誤魔化しのための汚わしいものではなく、彼女らのための嘘である誠心が伝わってくる物語だった。
物語(陣屋の「前」)では、左・足もしっかりした人がついていたと思う。左は、立役の大役の左をやらせたら一番上手い人だろう。決まる瞬間の緊張感が左にかかっている「中に一際優れし緋威」が、蒼点に閃く雷電のようにバリバリと決まっていた。玉志さんのシャープさについてきてくれるのは、この人ならではだと思います。

 備考   「物語」の人形演技については、以下の記事にて、図解入りで詳しく解説しています。

 

おおらかな動きは優美さにつながるが、それ以外の特殊な動きとして、玉志さんの人形は、時々、「にょっ」と伸び上がる点がある。たとえば、「物語らんと座を構へ」で下手にかしこまっていたところから舞台センターへ踏み出すときとか、「軍次はおらぬかはや参れ」で立ち上がり上手の一間へ向かうところとか、急激に大きく背を伸ばしたり、足をぐっと踏み出す動きが時々挟まる。動物のようで、不思議な迫力やメリハリがあり、面白い。本物の人間は伸びないので、人形ならではの演技だと思う。

 

そして、いつものことながら、研究熱心さと、こだわりの強さを感じた。
たとえば、これまでの熊谷役と今回とでは、演技がやや異なる部分がみられた。何回か熊谷役を重ねてきた上で見えてきたものが反映されているのだと思う。
意図がわかりやすい点として(?)、最後、熊谷が陣屋から旅立とうとする際の「堅固で暮らせの御上意に、『ハ丶丶丶ア』有り難涙…」での振りが挙げられる。
「ハ丶丶丶ア」は義経に対する熊谷の返事だが、2019年12月公演の初役の時点では、目線は顔の方向正面向きに固定したまま、きびきびと左・右に振っていた。つまり武士の首の振り方になっていたのだが、ここでは熊谷は出家を遂げているので、本来、武士のときとは所作を変えるべきである。とはいえ、まあ、玉志さんは元々こういう動きの人だし、演技そのものは綺麗なのでまあいいかと思っていた。が、2021年秋の地方公演では、振りをやや小ぶりにしていた。若干中途半端ながら、意図はわかる、と思った。そして2022年11月、今回公演では、振り方そのものを変えていた。左右への首かしげ的な振り方*1
そうきたか……。っていうか、人形の首振りに、そんな振り方あるんか……。もしかしたら、私が理解できなかっただけで、地方公演でもすでにこう振っていたのかもしれん……。
とにかく、一般的な武士の振り方と区別はなされている。真剣さというか、思いつめというか、執着心というか、「正気にては大業ならず」的なものを感じた。

そのほか、物語での扇の扱いも、いろいろと試行しているのかなと思った。「早首取れよ熊谷」での扇の掲げ方を、顔正面に平行におく以外に、相模側へ垂直にかかげ、完全目線遮りタイプにしている場合があった。「定めて二親ましまさん」で同じく顔のそばへ扇を掲げる所作との重複を避けるためだと思うが、探りながらやっているんだなと思った。

 

それにしても、今回発見だったのは、熊谷の見栄えって、こんなにも相模〈吉田和生〉の影響を受けるのかということ。
さすが和生さん、自分のことだけでなく、ほかの人を配慮した芝居、ベテランの技。熊谷と相模がペアで演技をする際の所作が大変スムーズだった。そして、単に手順として円滑なだけでなく、相模の演技は、熊谷の人形が綺麗に見えるよう、細かい配慮がなされていた。
たとえば、首実検。熊谷が首桶を開け、その首を目にした相模が驚いて駆け寄り、熊谷に踏み伏せられる場面。ここの瞬間的な処理の的確さ。倒れる相模の位置を「先回り」になりすぎない程度にすぐに下げ、熊谷の動作に余裕が持てるよう(ある程度悠々とした動きで相模を押さえつけられるよう)にしている。これまでに観た舞台では、動きがモタついてなにやってんだかわかんなかったり、無駄に先回りしすぎて「段取り」自体が丸見えになって興ざめだったことが多い部分だけど、いままでに見た陣屋で一番美しく決まっていた。ああ、本当はこういう演技だったんだ、と思った。
この部分、これまでの玉志さん熊谷は、相模を右膝で軽く抑えるように見えるやりかただった。玉男さん熊谷だとおもいきりハッキリと足の裏(長袴の裾の板になっている部分)で相模をドシッと踏むが、玉志さんがそうしてこなかった。それはわざとだったと思うんだよね。どの場面でも、熊谷は他人に手荒いことはしない描写になっている。しかし、今回は足の裏を乗せているのがわかる演技に変えている日があった。自分でそう改めたのか、それとも、和生さんが「ちゃんと相模を踏みつけないと熊谷にならない」と注意したのか……。最終的には、長袴をすっと引き上げてから、ゆったりと足の裏を乗せ、ひざを深く折る演技になっていた。それでも「踏む」ではなく「乗せる」程度にしているのは、意図なのかな。
熊谷が左右に制札と首をかかげたのち、相模は熊谷に蹴られて舟底へ落ちる。そのとき、和生さんが小さく「はい」と声をかけているのが微笑ましかった。確かにあそこ、全員で一気に動かなくてはいけないので、失敗しやすい。ベテランの人に仕切ってもらうと、みんな安心して自分のすべきことに集中できるのだろう。

相模ソロとしても、その優美さと悲劇性は絶品。余計なことはせずとも、相模の内面、感情の揺れ動きを存分に表現した演技。
和生さんは、手数を減らしているとはいっても、メリハリをしっかりとつけてるので、大味、薄味にはならない。門口にきている藤の局を見たとき、藤の局から夫こそ敦盛の敵と聞いたときなど、序盤部分でも感情の起伏が細かく描写されている。だからといって、無駄や過剰演技はない。和生さんの上手さというのは、やはり、この、人物の内面描写を基礎としたメリハリ付けですね。美味しいコース料理のような、全体バランスをみた上でのディティールのコントロールの的確さを感じる。芝居が上手いわ。
相模がこれくらい上手いと脇がガッチリ締まる。熊谷の見え——彼が何を考え、何をしようとしているのか—​​—も、浮き彫りになっていた。(掘っている 和生のパワー マキタ並)

今回の相模のクドキは、口に紙をくわえるのは「ナシ」だった。あのアリナシは人によって違うと思うが、どういう考えで決まってくるんだろうか。
義経の出で、相模が両袖を広げて迎えるのは、和生さんならではの演技? 他の人は普通に平伏してたような気がするが、うーん、忘れた。
打掛は柄ありタイプだった。

 

 

藤の局〈吉田一輔〉は、一輔さんにとってチャンスになる配役だったと思う。何度か書いていることだが、一輔さんは、演技の丁寧さはとてもいいんだけど、感情の起伏の表現がなく、ノッペリしている。端的にいうと、振り付けは合っていても、芝居にはなっていない。それをいかに解決するのか。今回は横に和生さんの相模がいるため、藤の局に何が足りないのかがはっきり見える。そこをご本人もわきまえていて、今回の藤の局役では、いろいろとやろうとしているのかなと感じた。
女方の主役級は、感情の変化をいかに情感をもって表現するかがポイントだと思う。簑助さんは、感情の起伏演技が抜群に上手かった。師匠の良いところを自分のものにして欲しいと思った。

義経はさすが玉佳さん、義経すぎる。義経本人としか言いようがない。なんであんなに義経が上手いんだ。演じているというより、「ご本人登場」状態なのが、すごすぎる。軍装であるゆえの武張った雰囲気と、貴公子らしい清潔感のバランスが良い、良すぎる。
でも、玉佳さんご本人は、ちいかわ化しているときがあるのも、良いです。なんでかしらんけど、「ワ…ワ…💦」となっているときがあって、かなり良かった。(いそがしすぎだからだよ💢)

今回の「陣屋」は、会期前半(初日、二日目)、会期後半(楽前日、千穐楽)と前後期観たが、後期も観てよかったと思わされたのは、梶原平次景高、ダブルキャストで後半配役の紋秀さん。
上手い! 大型の人形であることをいかしたスマートな姿が新鮮。バランスが崩れやすい人形だと思うけれど、しっかり持てていて、動いてもブレがない。紋秀さんは最近とても頑張っていらして、またそれが具体的な形となってあらわれていて、大変に良い。今回の梶原平次役に関しては、お世辞ではなく、立役系の人でもここまでしっかり持てる人はわずかだと思う。普段から持ち慣れていない人形でここまでしっかりこなせるのは、本当にすごい。後期日程は玉志さんを観たくて行ったんですけど、ほかにもよいものを見られて、よかった。


陣屋前の床には、錣さんが配役されていた。錣さんの師匠である津太夫の録音は、普段からよく聞いている。大きな流れは近しいけれど、少しずつ違うところがあって、ご本人の研究を感じ、面白かった。こだわりの違いもあるだろうが、錣さんは大きくざっくり派ではないこともあって、相模や藤の局の描写は師匠より上手いですね。逆に、熊谷の陰影描写のほうは、意外と津太夫のほうが「わかる」感がある。そのあたりの聴き比べができたのも、面白かった。

 

 

 

  • 義太夫
    • 弥陀六内の段
      豊竹睦太夫/竹澤團吾
    • 脇ヶ浜宝引の段
      豊竹咲太夫全日程休演につき、代役・竹本織太夫/鶴澤燕三
    • 熊谷桜の段
      豊竹希太夫/鶴澤清𠀋
    • 熊谷陣屋の段
      切(前)=竹本錣太夫/竹澤宗助
      切(後)=豊竹呂太夫/鶴澤清介
  • 人形
    無官太夫敦盛=吉田清五郎、娘小雪=吉田簑紫郎、女房お岩=桐竹紋吉、石屋弥陀六 実は 弥平兵衛宗清=吉田玉助、藤の局=吉田一輔、番場忠太=吉田勘市、須股運平=吉田玉彦(前半)桐竹勘介(後半)、庄屋孫作=吉田文司、妻相模=吉田和生、堤軍次=吉田玉勢、梶原平次景高=吉田文哉(前半)桐竹紋秀(後半)、源義経=吉田玉佳

 

 

 

「熊谷陣屋」は、文楽で最も好きな演目。ストーリーを通して熊谷はずっと孤独だったけど、陣屋の最後で、彼は多くのものを失い、出家したにもかかわらず、逆に彼は1人ではなくなるのが、とても好き。やはり、相模を連れて、あの世界から去っていくというのが、いいですね。*2

玉志さんの熊谷初役の2019年12月公演からはまだ3年しか経っていなくて、その間にコロナでの長期休演などいろいろなことがあったけれど、もう、あのときとは全然違う人になったなあと感じる。明らかに上手くなったわ。その役、その場面で、なにがやりたいのかも明確になった。改めて、年がいってから急激に上手くなる人って、文楽では結構いるんだなと思った。そこまで陽の目を見なくとも、地道に積み重ねてきたことが、いい役を(しかも連続で)得ることによって、形としてあらわれてくるのだと思う。
そして、玉志さんの熊谷の描写は、通し上演したときのトータルでの人物像を考慮して構成されている。今回は、青葉の笛がいったいどこから出てきたのかをわからせる狙いの番組編成だったと思うけど、ぜひとも「組討」をやって欲しかったな。玉志さんの「陣門」「組討」は、ある意味、「陣屋」以上の工夫を感じます。

私は、玉志さんの熊谷の「青さ」がとても好き。すごく若い雰囲気で、16歳の子供がいるとは思えない純粋さ、まっすぐさ、そして、若さゆえの真面目さを感じる。「なあなあでいいだろ」「しょうがないだろ」が言えない人というか。そんなことしてたら生きにくすぎて社会人(「武士」)は務まらんだろと思うんだけど、『一谷嫰軍記』は自分の本心のために社会人を辞める話なので、合っていますね。

 

今回は、かなり、いや、相当、「物語」の予習をしてから観に行ったので、自分自身もしっかり舞台へ向き合えた。

今回予習の参考にしたのは、DVD『人形浄瑠璃文楽 名場面選集』*3に収録されている、初代吉田玉男師匠の熊谷の物語。本当に上手い。物語全体像としてのテンポ感が大切にされていて、浄瑠璃に合わせて動くところ、浄瑠璃に先行して動くところの判断が抜群に上手い。描写が的確で、変にせわしない動きがまったく混入しないので、清潔感と艶麗さを兼ね備えた所作になっている。
ただこれは、何度も熊谷を演じ重ねた人だからこそできること。さきほどは玉志さんをかなり褒めたけれど、上手い人の映像を観て比較すると、いまの舞台を手放しで絶賛することはできない。特に「物語」に関しては、もっと克明な内面描写が必要だと思うし、ひとつひとつの言葉を丁寧に描いていってもらいたいと思う。また、床の間合いが早すぎるところは、交渉してなおしてもらうか、いまの演奏を肯定するのであれば、人形の演技を調整して、無意味に動きが速まるところを作らないようにしてほしい。若い頃から役に恵まれてきたわけではない玉志さんはまだ熊谷初心者、今後にかかっていると思う。常に、お客さんから「前より今回のほうが良かったね」「次のチャンスはもっと上手く演じられるに違いない」と思われ続ける人であってほしいと思う。


さらに、今回の陣屋では、和生さんの上手さが具体的にどのようなものであるのかが非常によくわかって、良かった。その人の個性による良し悪しの次元を超えており、言っても仕方ないけど、近年の相模役の人とはまったく格が違う。まじで上手い。本物だと思った。

 

第二部は、「話が進んでいくうちに、その人物の喋り方が意味もなく変わってしまう」という段がいくつかあるのがかなり気になった。ただそれは、ある程度若い人たちのことだから、理由はそれぞれ個別にあれど、根本的な原因は自分がなにをやっているのかを俯瞰的に・冷静に見られていないからということで、すぐ直らないのは仕方ないと思っている。
しかし、良い役をもらっている、ある程度年がいっている人は違う。弥陀六の人形は型を型として整えて欲しい。袖の翻し(そもそもやってなかったが)、体の左右振りや高低のメリハリがないと、人形を振り回していても大きな動きには見えず、モタモタと感じてしまう。床は「言上す」を言上して欲しいのは言うまでもないが、三味線は三味線だけが目立つように弾いても客にとっては聞き苦しいのでバランスを考慮して欲しい。床に関しては、楽前日は噛み合いを欠いて、かなりごちゃごちゃになってしまっていた。いずれも、自己顕示欲が変な方向に出ているせいでこうなっているのではと思ってしまう。それぞれいいところもあるのに、会期末になっても改善がみられないのは、残念だ。

 

↓ 過去の公演での玉志さん熊谷の感想。


 

↓ 展示室にあった熊谷の人形。舞台で見るイメージよりかなり小さくて驚き。飾り人形として小さめに作ってあるのかと思うほど。舞台で大きく見えるのは、人形遣いの力なんですね。

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*1:文で説明するとわかりづらいのだが、顔のまんなかを円の中心として、30度程度のわずかな角度、反時計回転・時計回転に首を軽く傾けて振る。現在配信されている映像でも確認できます。

*2:実際には「陣屋」のあとに四段目・五段目があるんですが、まじでクソなので、なかったことなってます。試しに読んでとも言えないほどのクソです。私の中では、『一谷嫰軍記』は熊谷が物語の外の世界へエグゾダスして終わる話ってことにしています。

*3:人形浄瑠璃文楽 名場面選集 -国立文楽劇場の30年- [DVD]