TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『寿柱立万歳』『碁太平記白石噺』浅草雷門の段、新吉原揚屋の段 国立劇場小劇場

浅草にあるのは松屋だろ!!!!!!!!!!!

 

 


寿柱立万歳。

詞章がアレンジ版で、国立劇場改修を祝う内容になっていた。
素で聞きたいのだが、一体、祝っているのは誰で、誰に向かってそのアピールしているのだろう?

まず、国立劇場の建て替えって、こっちにゃ迷惑な話なわけですよ。客の立場からすると、7年もの休館は、あまりにもデメリットが大きい。そこを断りの挨拶もなくしょっぱなから顧客へ「祝い」を押し付けることに違和感がある。まずは、これまで頑張ってくれた建物にも、いままでの来場者に対しても「いままでありがとう」といえる演目にしたほうが、誰にとっても自然なのではないだろうか。
少なくとも、「やむなくやってる」演目に変な屁理屈つけるのはやめたほうがいいと思う。せっかく観劇に来ているのに、文楽自体や技芸員さんと関係ないところで「おや?」と思ったり、「なんだかなあ」と思ったりしたくないよ。

三輪さんはそこを違和感のないように、ことほぎ感を保持してまとめており、良かった。しかし、三味線はどうなってるのか?

人形は良かった。簑一郎さんはやっぱり動きが安定している。動き出す瞬間などに不要なブレが発生せず、非常に自然な所作。配役として、ペアのお二人のタイプがちょっと似すぎかなと思った。上手いけど、かなり渋い印象。ただその分、人形たちに「芸人」らしさがあったのは、とても良かった。祝い行事として本当に芸人呼んだらこういう人らが来るだろうなという、その点は史上最大級です。

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    太夫 竹本三輪太夫、才三 豊竹希太夫、豊竹薫太夫、竹本文字栄太夫/竹澤團七、鶴澤寛太郎、鶴澤燕二郎、鶴澤清方
  • 人形役割
    太夫=吉田簑一郎、才蔵=吉田文哉

 


ここから第一部のつづき。
太平記白石噺、浅草雷門の段。
下手に茶屋、上手に雷門。雷門は2021年1月大阪公演とは異なり、門の左側の仁王様が描かれているのみ。五重の塔は見えず、門前のみにフォーカスしたものだった。

門前で大道芸を披露するどじょうは大阪公演に続き、勘市さん。愛らしくのびのびとした動き。のろりんとしていて、春の小川をうねうね泳ぐ「どじょう」(fish)っぽい。メタリックお花手毬をカゴでキャッチするのを失敗し、勘市さんがちょっと笑っちゃってたのがレア? どじょうが一旦帰っていくとき、最後に出すものは、今回は三越の手提げ紙袋。大阪では近鉄の袋だったが、劇場最寄りの百貨店でもろてくるルールになっているのだろうか。なお、今回は手品の場面にアレンジはなく、通常の詞章での上演だった。

おのぶ〈吉田一輔〉は第一部同様、芋娘の雰囲気はとても良い。芋っていうか、ブロッコリーみたいだな。色的に。「もす!」って感じの言動が山出しオーラにあふれている。「新吉原揚屋の段」では洗練の極致といえる和生さんの宮城野と好相性だった。
第二部のおのぶは、第一部以上に演技の繰り返し感が気になった。おのぶは言動そのものがやや単調なので、わざとらしくなく見応えをつけることは非常に難しいだろう。宮城野よりも格上の人が遣ってもおかしくない役ということがよくわかった。
なお、「浅草雷門」のおのぶは、坂東巡礼の姿をして登場する。わたくしごとながら、この夏、西国三十三所をクリアしまして、いろいろと巡礼のコツを掴んだのですが、「着る笈摺に御朱印を受けるのはやめたほうがいい」ということは言える。汗・湿気・雨などグシャグシャになってしまうと思う。

おのぶをだまくらかそうとする観九郎は、紋秀さん。なんか、メルカリでスニーカーを転売してそう(この出品者は平均24時間以内に発送しています)。「悪者」感はちょっと薄めで、普通の人っぽい。いいお父ちゃんだなぁという感じ。観九郎に売り飛ばされるのと惣六に買い取られるのとでは、どっちがヤバイかはわからない。それ自体が紋秀さんの良さだが、そこに加えて、酔っ払い感や居眠り感をいかに出すかがキモかと思う。

観九郎をだまくらかすどじょうの地蔵コスは、なんと、ちゃんとお地蔵さんになっていた。赤色の、ベレー帽というか、給食帽というか、還暦祝い的なふんわりキャップと、これも赤色のフリルつき前掛け。2021年1月大阪公演での、あのピグミンみたいな触覚は何だったんだ? しかし、プログラムのかしら一覧写真を見たら、さらにすごい姿のどじょうが載っていて、腰を抜かした。地蔵コスがどう「地蔵コス」なのかは、人形遣いの好みや裁量でやっているのだろうか?
あと、どじょうが顔にうどん粉を塗ってるのって、石像風に見せかけるためだと思ってたけど、もしかして、関西に時々ある化粧地蔵のつもりなのかな?

f:id:yomota258:20220928171808j:image

2021年1月の錫杖は忘れちゃったので適当に描いてます。今月のは形状自体は合ってると思います。わっかの数はよくわからない。

 

 

新吉原揚屋の段。
出演者効果で、相当高級感のある雰囲気になっていた。「大名が屋敷へ傾城を呼び出していま流行りの芸を見せてもらってる」感がある。それを良いと取るか悪いと取るかはあると思う。

宮城野〈吉田和生〉が非常に典雅で美麗。宮城野が引き締まっているので、ひとつの舞台として大変華麗な印象になっている。いかにも遊女というよりもお姉様感、元々の身分(武士の娘)を感じさせる佇まいで、ゆったりとした時間の流れを感じるゆきとどいた繊細な所作。あくまでたしなみのある女性として演じているのが和生さんらしい。クドキからちょっとした動きまで舞踊のように楽しめる。特におのぶが妹だと気づくまでのあいだは非常に上品で、頰と唇からあごにかけての雰囲気がとても綺麗。伝統芸能らしさと、そのよいところが出ていると思う。
それと、和生さんの傾城は、顔そのまんまの中身をしていそうで、良い。傾城ってよく見ると結構複雑な顔をしているけど、その通りそのまま。単に綺麗な服を着て豪華に髪を結っているいるだけではないということがよく出ていると思う。
宮城野が本のページをめくるとき、指先につばをつけるのは不自然に感じる。はしたないし、年齢にそぐわなく感じるが(20代の娘さんは指に脂あるで)、単に本をめくる動作を強調しているのか、指先にまで白粉をつけている表現なのか、遊女の色気を演出するものとして実際にそういう所作があったのか。それとも、武士の娘とはいえ田舎育ちなところがさりげない所作の中に見えるということの表現? 誰か和生に聞いてくれ。
それにしても、露骨に出さないとはいえ、和生さんは大元気だし、しっかりしてるよなと思った。宮城野はクドキなどで体勢を大きく変えるが、あのゆったりした動きで、あの人形が、しっかり安定しているのがすごい。人形自体の重量をまったく感じさせることがない。少しでも下がる人がやったら、衣装や体勢、顔の角度が極端になるか、それを防ぎたいばっかりに動作に勢いつけてやることになると思う。宮城野は陰影に富んだ内面がさほどあるわけではないし、なにも和生さんがやらなくてもいい役だと思ってしまうけど、ごまかしのない和生さんならではの芸だと思う。

舞台の佇まいのよさは、惣六やおのぶが物語の雰囲気に沿っているという点も大きいだろう。
勘壽さんの惣六はモダンな雰囲気。脚本上は若干クドいキャラクターのところ、引き算的な演技で、こざっぱりとしている。『曲輪文章』の喜左衛門と同様、少し肩をすくめて羽織に首を埋めるような猪首っぽい構え方だったが、勘壽さんの中で茶屋(揚屋)の亭主は猪首というイメージがあるのだろうか。それとも、何か古いセオリーに則っているのだろうか。
しかしやっぱり勘壽さんの町人男性は明治っぽい印象がある。正しく言うと、明治大正期に生きていた人が撮った昔の日本映画のような雰囲気。勘壽さんは普通に戦後生まれだと思うが、若い頃に薫陶を受けた人の影響等なのか。あの加藤泰的な世界観、本当にすごい。和生さん、勘壽さんで加藤泰の明治ものを文楽化してやってくれないかなと思った。

 

↓ 見よこの和生宮城野の美貌

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
  • 人形役割
    豆蔵どじょう=吉田勘市、大黒屋惣六=桐竹勘壽、茶店亭主=吉田和馬、悪者観九郎=桐竹紋秀、妹おのぶ=吉田一輔、傾城宮城野=吉田和生、禿しげり=吉田簑之、新造宮里=桐竹紋吉、新造宮柴=吉田簑太郎

 

 

 

第二部は、9月公演でもっとも安定していた。それ自体が貴重に感じるとも言えるし、万事ソツがないとも言える。メインどころの配役が2021年1月大阪公演と同じで新味がないし(それは私が勝手に観に行っただけですけど)、何度見ても面白い演目とは言い難いし。ただし、人形は配役が若干底上げされているので、その点において見応えが上がっている。

番組としては、第一部とセットで観てなんぼという気がした。通し狂言とするための部またぎ自体は仕方ないが、この演目の部またぎは厳しいと感じた。というか、この演目自体が、通しに耐えられないもののような気がした。私が生きているうちに、もう二度と観られないかもしれない。

なんだか今月は、全般的にモヤモヤがある感じだった。もっとも、第二部は国立劇場の問題であり、『寿柱立万歳』の位置付けがどうなのよという話であって、技芸員さんが悪いわけではない。国立劇場側の問題としては、公演自体に加え、国立劇場休館中の文楽公演の代替会場は北千住という話が国立劇場発信でアナウンスされていないことも、かなりモヤモヤした。

そして今月は、三味線について、演奏ミスのある若手や、いまの音ぬるいのではというベテランがいたのが気になった。普段より稽古ができない状態だったとか、なんらかの事情があるのだろうか? 人形なり太夫なりがシッチャカメッチャカになるのは恒例行事的な部分があるのでいいのだが(よくねえよ)、ここしばらく、三味線に崩れが出てきている気がするのが心配ではある。

地方公演と11月公演は、できるだけ気分よく観たい。

 

 


↓ 2021年1月大阪公演『碁太平記白石噺』感想