TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『国性爺合戦』国立文楽劇場

ぶおんぶおん! はまぐりの季節!! 

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第二部、『国性爺合戦』。
最初に、今回の上演部分へ至るまでのあらすじを、簡単にまとめておく。

大明国の思宗烈皇帝は、ウェイウェイしながら暮らしている。そこへライバル国である韃靼の将軍・梅勒王が使者としてやってきて、思宗烈皇帝の后・清華夫人を韃靼大王の妻として渡すようムチャ振りをしてくる。臨月の清華夫人を渡すわけにはいかないと困惑する家臣一同。そこへ右軍将・李蹈天が歩み出て、先年の飢饉の際、密かに韃靼と交渉して救援の穀物を受け取った経緯があるため、その恩返しに清華夫人を差し出すべきだと言い出す。大司馬将軍・呉三桂は、そんな話は信じられないと言って、逆に、民の飢えに構わず皇帝へ浪費を勧める李蹈天を批判する。梅勒王は怒って席を蹴立てるが、李蹈天が突然左の目をえぐって韃靼の大王に捧げると言う。梅勒王は李蹈天を忠臣と褒め称え、后を娶ったも同然と言って帰っていった。

帝の妹・栴檀皇女は、思宗烈皇帝から李蹈天の妻になれと言いつけられていた。皇女はそれを拒否し続けていたが、帝は女官たちに花戦(女たちが二組に別れ、桜や花の枝で打ち合う遊び)をさせて嫁入りするか否かを決めるという。皇女は自らも梅花を取って戦うが、女官たちは予め帝に言い含められていたため、皇女が負ける。呉三桂は戦の真似事はやがて本物の戦を引き起こすとしてそれを諌め、かつて思宗烈皇帝が追放した忠臣・鄭芝龍が今は日本の肥前平戸にいることを語る。そして、李蹈天は韃靼と内通していると見破る。思宗烈皇帝は呉三桂を李蹈天への嫉妬ゆえの言動だとなじるが、そうこうしているうちに、韃靼の大軍が城へ攻め込んでくる。

混乱の中、呉三桂の妻・柳歌君は栴檀皇女を連れて城を脱出する。呉三桂は韃靼軍に応戦するが、その裏で李蹈天の弟・李海方が思宗烈皇帝を突き刺す。帝は鄭芝龍や呉三桂の諌めに耳を貸さず李蹈天の甘言に乗せられたことを悔やみ、清華夫人のお腹にいる我が子だけは助けてほしいと願うが、李蹈天に首を打ち落とされる。駆けつけた呉三桂は、清華夫人を捕縛していた李海方を真っ二つにして后を奪還する。呉三桂は帝の遺骸から皇帝の証である印綬を回収し、清華夫人、そして柳歌君が残していった生まれたばかりの我が子を連れ、城を出る。

呉三桂と清華夫人は海登の港へたどり着くが、清華夫人は韃靼軍に撃たれて命を落としてしまう。呉三桂はやむなく后の腹を切り開き、赤子を誕生させる。そして、身代わりとして我が子を后の腹に押し入れ、港を後にする。
一方、栴檀皇女を連れた柳歌君も海登の港まで落ち延びてきていた。柳歌君は李蹈天の家臣と戦い、瀕死の重傷を負う。柳歌君は栴檀皇女を船に乗せて沖へ押し出し、陸で敵軍を防ぐのだった。

帝が殺され、滅亡の危機に瀕した大明国、どうなっちゃうの!? というのが、ここからの話。 

 

  

ここで舞台は日本へ移り、今回上演部分、平戸浜伝いより唐土船の段。

日本、肥前の国は松浦の里。ここでは和藤内〈吉田玉志/前期〉と小むつ〈吉田清五郎/前期〉という夫婦が海人仕事を営み仲良く暮らしていた。和藤内の父は大明国の忠臣で鄭芝龍という名だったが、帝から遠ざけられたため日本に渡ってきたという経緯があった。鄭芝龍は老一官と名を変えて日本人の妻を得、そのあいだに生まれたのが息子・和藤内。老一官が大明国を出てから、二十数年の月日が流れていた。

和藤内と小むつが浜辺で貝拾いをしてイチャついていたところ、信じられないくらいデカいはまぐりと鴫が嘴と貝殻を挟み合って「絶対離さん!!!!」と大喧嘩をはじめる。それを見た和藤内は、両軍を戦わせてその隙を討つという「漁夫の利」の軍法を悟る。様子を見ていてキモくなってきた小むつは笄ではまぐりの貝殻を開き、鴫の嘴を外してやる。鴫は飛び去り、はまぐりは海へと帰っていった。

そうこうしていると、浜辺に見慣れぬ作りの船が流れ着く。
船には、唐の装束を来た若い女……栴檀皇女〈吉田簑一郎/前期〉が乗っていた。不思議な言葉で話す栴檀皇女に小むつは笑い転げるが、和藤内は彼女の語る大明国の危機に驚く。和藤内はよその女に構ってばかりの夫にプリプリ怒る小むつを説得し、家へ父母を呼びにいくよう頼む。

小むつが家に向かったのと入れ替わりに、浜辺へ老一官〈吉田玉輝〉と母〈桐竹勘壽〉がやってくる。大明国の危機と栴檀皇女が逃れてきたことを知った老一官は、軍術に親しんだ和藤内とともに大明国へ渡ってその危急を救うことを決意するのだった。

定式幕が開くと、大海原を描いた浅葱幕に波を描いた手すり。浅葱幕が振り落とされると、平戸の浜。下手は浜辺、上手は砂浜と岸壁で、舞台中央奥に大岩。その前に、備中ぐわを持った和藤内、バスケットを持った小むつ夫妻が腰蓑をした海人姿で立っている。

第一の感想。

デカはまぐりデケエ!!!!!!!!!!!!!!

デカはまぐりがデカすぎて、話がまっっっったく頭に入ってこなかった。
私は玉志サンの和藤内を見に大阪へ来たのであって、デカはまぐりを見に来たのではないと思いつつ、デカはまぐりに目が釘付けになった。

そもそも鴫と喧嘩するデカはまぐりが出現する以前に、小むつが拾うベージュの貝(あれが一般に言うところの大サイズのはまぐりだよね?)や和藤内が拾うサルボウ貝のデカさも相当やばい。でも、波間から出現する「大蛤」、あまりにデカすぎる。鴫は普通なのに、なんではまぐりだけそうなるねん。
人間のスケール感に置き換えると、洗面台のボウルくらいあるジャイアントぶり。あんなデカかったら、鴫がどうとか以前に、和藤内に食いついて首捻じ切れる。デカはまぐりは貝殻をパカパカ開いてリラックスしておられたが、二枚貝ってリラックスしたときパカパカするのか? リラックスした貝からお口や足が出ているとかはわかるけど、開いてる貝って、普通、死んでないか?
いやそれはもうここでは置いておいて、開いてるとき、身、上側についとんの? 貝柱の筋力すごすぎだろ、と思った。

和藤内はデカはまぐりと鴫の喧嘩を頬杖つきながらウオッチしていたが、玉志サンご自身がデカはまぐりを凝視していたのが気になった。普段、玉志さんは自分に関係ない役の演技中は目を伏せていることが多いのに、なぜデカはまぐりは見ているのか。はまぐりがお好きなのか?デカはまぐり役の人の指導役なのか?と思っていたが、どうもデカはまぐりが鴫のくちばしを咥えた瞬間、和藤内のポーズを変えるためのようでした。

小むつに助けられたあと、デカはまぐりは砂に潜って海へ帰っていくが、デカはまぐり見すぎて、ここでやっと私も落ち着いた。人形の演技に全然集中できなかったわ……。
ただ、デカはまぐりのサイズ感は、『国性爺合戦』初演当時の資料(古典籍)でも文楽現行相当のジャイアントぶりなので、これらの同時代資料をもとに小道具を作っているのではないかと思う。*1

 

始終、和藤内と小むつがどうでもいい痴話喧嘩を延々しているのが良かった。この人ら毎日このノリでやっとんの!? 仲ええな!! と思った。ラブラブすぎる。少なくとも、普通、船が漂着して、中に弱った人が乗っていたら、水あげたり介抱したりする気がするが、ヨヨヨ……となっている栴檀皇女を完全無視して、完全に自分らの世界で痴話喧嘩をはじめていた。その様子を「え……?無視……?」という表情で見ている栴檀皇女も良い。

小むつは清五郎さん。清五郎さんらしい、背筋の伸びた品がよくスッとした雰囲気の、婀娜っぽい奥さん。なぜだかやっぱり面長な感じがするな。夫和藤内・玉志サン、父老一官・玉輝さん、母・勘壽さんと揃うと、ファミリー感があって良かった。こういう一家、いそう。

しかし、小むつが家に戻っていくと同時に老一官と母が「偶然通りかかる」という意図のわからない御都合主義展開には、「なんで?」と思った。小むつ、一回帰る必要あるか?

 

太夫はみんな良かった。どの方もひとりよがりにならず、登場人物になじんでいたと思う。一家の雰囲気が自然に感じられた。

 

以上、「平戸浜伝いより唐土船の段」は、とにかく「え?」「なんで?」ということが多すぎて、内容自体にまったく集中できなかった。

 

 

 

千里が竹虎狩りの段。

大陸に渡った老一貫・母・和藤内は、千里が竹で落ち合う。老一貫は、かつて大明国の臣下であったときに設けた娘が、今では高名な武将・甘輝の妻になっていると言う。彼女を頼るため、一家は甘輝の居城・獅子が城へ向けて、二手に別れて出発する。

和藤内が母を連れて千里が竹を歩んでいると、太鼓や笛の音で周囲がにわかに騒がしくなる。和藤内が身構えていると、巨大な虎が姿を見せる。虎を叩きのめそうとする和藤内だったが、母は畜生と力づくで戦って怪我をするな、異国にいても神は共にあると諌める。和藤内が伊勢神宮の守りを掲げると、虎は大人しくなり、和藤内や母に懐く。

そこへ、虎狩りの役人・安大人〈吉田勘市〉と勢子たちが現れる。その虎は韃靼王に捧げるため李蹈天が狩り出しているのだと騒ぐ安大人だったが、和藤内は李蹈天とはちょうどいいとばかりに奮起。和藤内が虎に伊勢神宮の守りをかけてやると、虎は天照大神の威徳で勢子たちに襲いかかって大騒ぎ。安大人は和藤内に従うことを誓う。和藤内は安大人たちのヘアスタイルを日本風にアレンジ&日本風ネームをつけて、一行は悠々と千里が竹を歩んでいくのだった。

舞台奥に竹林と岩の書割。舟底をあげて、ステージ一面平らにした上での上演。前列席だと、人形遣いの足首くらいまで見える状態だった。一番大きい和藤内の人形を遣っている玉志さんで、足首以下が手すりに隠れる程度。後列席だと足元まで見えたんじゃないかな。和藤内役は舞台下駄を脱いだり履いたりで、忙しそうだった。

 

虎が暴れまり、それを和藤内が取り押さえる荒物的なシーンだが、玉志サン和藤内は持ち前の真面目オーラをそのまま活かした、キリリと知的で果敢な人物といった雰囲気。単に派手な役に落とすのではなく、「軍法に心寄せる若者」という設定をいかしているようだった。玉志さんらしい、野生のプリンス感が出ていた。真面目感が強く、国民年金を滞りなく納めてそうだった。
時々、玉志サン特有の、動物のようにプルプルッ!と首を素早く振る動作をしていた。鱶七でもプルプルッ!としていたが、あれは玉志サン的なワイルド表現なのだろうか。ほかには誰もしていない、不思議な仕草である。
虎の背中をマッサージするようにススーッと長く撫でてあげる場面は、『一谷嫰軍記』組討の段の段切で熊谷が馬の背中をナデナデしてあげる仕草と同じだった。ネコにやってあげると、しっぽをピーンとするアレだな。ママは虎の首あたりをナデナデしてあげており、勘壽さんのネコ科動物愛を感じた。

この段から和藤内の衣装が突然ド派手になったのが面白かった。縄柄の黒い上着に、赤に金の水玉柄の襦袢。すそからは金の馬簾が覗き、エメラルドグリーンの房飾りのついた刀を挿している。髪型も変わって、サリーちゃんのパパのようなダブルツノスタイルに、ロングヘアを後ろに流していた。
また、ここから和藤内は、人形の首が襟元に埋まったように遣っていた。もうちょっと首をスッと伸ばせばいいのにと思っていたのだが、ここまでくるとわざとやってるのか?と思い始めた。筋肉の塊の猪武者のようなイメージなのだろうか。確かにこうしていると、わりと人形がスラリとスマートに見える玉志サンでも、マッスル・ダルマ・ボディのように見えるな。安大人に降伏を迫るときに、左肩をピクリといからせて遣っているのが上手かった。
また、通常後ろに流している髪を頭を振ることで部分的に前にもってきていた(胸元にかける)のは、人形の見た目に少女漫画的な華麗さが出て、有効だった。

なお、パパ&ママも大陸に到着して以降は、お着替えしていた。ママの衣装が帯を後ろで結ぶタイプになったのは、あとで縛られるシーンがあるから? 日本にいたときは、前にループ状の手を差し込む部分がある結び方だった気が。

 

虎は中に人が入ったデッカい着ぐるみで、お客さん大喜びだった。顔がデカく、毛がめちゃくちゃフワフワしていた。毛並みがとても綺麗だった。ちゃんとクリーニング&ファブリーズ(?)されてる感があった。
虎は安大人一行をマジパンチする他(吹き飛ぶツメ人形、巻き起こる風)、上手側で手すりを乗り越えて観客に肉球をアピールしたり、床に乗ったりと活発に動いていた。一度、虎が乗り出す場所の目の前の席になったんだけど、隣の席の方は、手すりを乗り越えた虎に手を振っていた。虎の中の人の知り合いだったのだろうか。床では、間合いを見計らって、三輪さんが扇子で叩いて追い払っていた。虎ぬいぐるみは足元(中に入っている人にとってはひざ)がフワフワの毛で滑るのか、舞台上をつるつる滑るような、不思議な動きをしていた。

それにしても、和藤内が掲げたり、虎の首につけたりする伊勢神宮のお守り、いわゆる「お守り」というか、神棚に置いておくお札みたいなサイズ。和藤内が降伏した虎に足をかけて極まるときに持っているときのお札と、虎に首輪的につけられるお札は、違うものだった。首輪をつける直前にすり替えて、首輪には小さいお札を使っていた。

 

安大人はどこかで見たような、そうでないような、ぽやーんとした顔をしていた。手代や祐仙とはまた違うほんわかフェイスだなと思っていたら、かしらは釣船なのね。三婦はインパクトのあるピンク顔だから、プログラムに書かれていなければ、そうだとわからなかった。

パンピー男子役ツメ人形の頭部が奇抜だった。あの藁を束ねたようなものは何なんだ。藁で包んである高級納豆とか、ポン菓子の包みを思い出した。果たしてあれは帽子なのか? 髪型なのか? 仕掛けとしては帽子状態だけど、「月代を剃ってちょんまげにしてやる」という話の流れからすると、ムーミンのミイみたいなヘアスタイルだって言いたいのかな。和藤内と母が勢子たちの髪を断髪してやるシーンでは、藁部分をスポッと抜いて、中のちょんまげを見せていた。

 

 

 

楼門の段。

老一官一家は、ついに五常軍甘輝の城の門前へ到着する。甘輝の妻に面会させて欲しいと頼む老一官だったが、衛士は一家を怪しみ、銃口を向ける。

騒ぎを聞きつけ、楼門の上に甘輝の妻・錦祥女〈吉田簑助〉が現れる。錦祥女は衛士らを諌めて、日本から来たと名乗る老一官らに事情を話すように求める。老一官は錦祥女が2歳のときに別れた父であることを名乗り、頼みたいことがあると言う。錦祥女が衛士の目を憚り父である証拠を求めると、老一官は逆に証拠はそちらにあると言う。錦祥女は大切に持っていた父の絵姿を開き、手鏡に映した老一官の姿と見比べる。門の下にいるのがまさに朝夕恋い慕っていた真実の父であることを確かめた錦祥女は涙を流し、楼門の下で同じく涙する老一官と、手に手を取り合えない再会を果たすのだった。

和藤内は錦祥女に甘輝将軍への取り次ぎを頼むが、甘輝は現在は韃靼の幕下についているため、城内に他国者を入れられない掟。そこで、老母が縄を打たれた上でなら韃靼への申し訳も立つとして、母のみが錦祥女の預かりとして城内に入ることになる。錦祥女は母の話を聞いて甘輝に取り次ぎ、遣水に流す色水で返答をすると告げる。夫の返事が応なら白粉を溶いた水を流し、否なら紅を溶いた水。こうして老母は縄をかけられて城内へ入り、老一官と和藤内は場外で返事を待つことになった。

舞台中央、長崎の崇福寺のような、1階が饅頭状の漆喰造りで2階に勾欄つきの楼閣のある、唐風の門。左右には石造りの城壁が伸びている。

錦祥女は簑助さん。官女ツメ人形の唐風の扇の陰から現れたその姿は、まさに蝶の化身のごとき可憐さ。輝くばかりの美麗さに、衝撃を受けた。あのヘン(失礼)な衣装でも、ここまで可愛く、美しいとは……。艶やかでいながら高い透明感。楼閣の上にいるというだけではない高貴さを放ち、輝いて見える。水晶の御簾がかけられ、翡翠でできた畳と瑠璃珊瑚の柱をしつらえた王宮に住まう姫君って感じ。王冠についた、蝶の触覚のような飾りから垂れ下がった部分を輝かせながらシャリシャリ揺らす仕草が効果的で、錦祥女の周囲にキラキラが浮かんでいるようだった。そして、そのきらめきが、錦祥女の涙のようにも思えた。

錦祥女が上手を向いて左手に手鏡をかかげ、ぐっと体を引いて腕を伸ばし、鏡に写した楼門下の父の姿を見つめる姿の愛おしげで切実な様子には、心を打たれた。漠然と、故郷の月を仰ぎ見るかぐや姫って、こんな感じなのかな?と思った。
赤い手鏡*2にはおもちゃみたいな仕掛けがあって、最初は普通の鏡だが、手元の操作で、老一官の顔が描かれた鏡面にパタン!と切り替わっていた。
錦祥女と老一官は楼門の上・下に隔てられ、お互いの姿がよく見えないような、距離のあるかたちでしか再会できない。が、あの楼門の大道具、物理的には別にそこまで高くはないよね。老一官の人形が背伸びすると、勾欄の下部に届きそうだ。それでも、数十mの高さのある壮麗な高楼のように見えるのは、簑助さんの演技の力だろうなと思った。最後、母が縛られるところで、緑の扇で悲しげに顔を覆うのも印象的だった。

それにしても、錦祥女はあれだけ客席から遠い位置での演技でも、「何やっとるかよーわからん」とならないのが、衝撃的。2回観たうちの最初の1回目は、舞台奥で高い場所という客席からの遠さを知らなかったので「双眼鏡持ってこればよかった!もっとよく見たかった!」と悔やんだ。それで2回目、双眼鏡持参の上で見に行った。双眼鏡を使うとたしかによく見えるんだけど、印象は双眼鏡ありなしでさほど変わらないのがまた驚きだった。むしろ、人形の演技って、双眼鏡で拡大して見るとアラがわかることがあるんだけど、それがないのがさらに衝撃的だった。

父・老一官は、錦祥女の演技にちょこちょことリアクションしていた。お父さんはこのあと出てこなくなっちゃうのが勿体無い。

 

床の呂勢さんは肩衣と見台につけたフサフサが史上最大のド派手さだった。そんな勝頼みたいな肩衣、バッチリメイクの歌舞伎役者が舞台で着るならともかく、スッピンで座ってる人が着ることあるんだ!?と思った。フサフサにメッシュが入っているのには、メッシュ流行がこんなところにも!!!!!と思った。ロセサン、髪型といい、どんどん独自のクセが強まってきている。見てのお楽しみということで詳細は書かないが、意味わからないくらい派手だから、みんな見に行って欲しい。

実は、楼門に関しては、ある太夫さんの芸談を読んで細かい予習をしてから行った。ただ、呂勢さんは芸の系統が違う等があるのか、それとは留意点が違うようだった。建築物としての楼門の高さ表現や、壮麗さの表現は、やりたいことはわかった。人物が高いところにいる/低いところにいる差をつけるのは、もっとあっていい気がした。というか、この点に関しては、ご本人はやってるつもりでも、簑助さんの表現力に競り負けているのだろうと思った。実際問題として、素人が聴いてわかるレベルにやりすぎても、うざいだろうなとも思う。
近松ものはツメ人形の語りに特徴があるらしいんだけど、衛士たちは、ツメ人形にしてはちゃんとした(?)喋り方をしていた。

 

 

 

甘輝館の段。

城内に入った老母は、縄を打たれながらも錦祥女の手厚いもてなしを受けていた。母が「むすび」が食べたいというのを「関取」と勘違いした腰元たちが廊下で立ちさわぐのを錦祥女〈ここから吉田一輔〉が注意していると、城の主・五常軍甘輝〈吉田玉男〉が帰館する。

甘輝は錦祥女に、韃靼王から加増を受け散騎将軍*3に任じられたと告げる。錦祥女はそれを祝い、日頃会いたいと願っていた父とその新しい家族が日本から来たこと、韃靼王を憚り縄をかけた母のみを城内に招いたことを報告する。

甘輝は母と対面し早速打ち解けるが、母の「大明国の再興を目指す和藤内に協力して欲しい」という願いにはすぐ返事ができないと言う。即答を迫る母に、甘輝は剣を抜いて錦祥女に差付けた。驚いた母は錦祥女を押しのけて娘を庇う。実は甘輝が散騎将軍に任じられたというのは、和藤内を討ち取るという命のもとのことだった。しかし錦祥女と和藤内が姉弟だとわかった今、妻の縁にひかされて命に背いたと思われては先祖の名を汚すとして、甘輝は錦祥女を殺してそうでないことを証明しようとしたのだった。先祖の体面に妻を殺そうとする甘輝、父と義母への孝行に殺されようとする錦祥女、血の繋がらない娘への義理のために彼女を守ろうとする母で、三人はもみ合いになる。

これ以上是非もないと悟った甘輝は、母を和藤内らのもとへ帰すよう促す。錦祥女はそれには及ばず、前々の約束があるとして、拒否の返答の紅を遣水に流すと言うのだった。

舞台全面に甘輝の館の大道具。舞台奥・中央に瓦燈口。上手のちょっと高くなったところに、錦祥女の化粧殿。障子が閉まった状態で、中は見えない。

ツメ人形に赤い傘をさしかけられて入ってくる甘輝は、検非違使のかしらに髪はお団子を結い*4、豊かな髭を蓄えている。堂々とした優雅な雰囲気、玉男さんらしい謹厳さがあり、突然コーエーテクモの歴史SLGの登場人物来たって感じ。ごん太武将オーラ、安定感と安心感がすごい。私が玉男様に求めているもののすべてがあった。

この段はどうにも冗長な印象があって、出演者は十分なパフォーマンスを出しているのに、観ていてきつい。左右のお客さんが寝ているのもわかる。甘輝が言う錦祥女を殺すべき理由は「芝居進行のための設定」以外のなにものでもない、かなり無理のあるもの。でも、そこいらあたりは、TAMAO・謎の・威厳でなんとなく疑問をさしはさむ余地がなくなっていた(文楽特有の激重説得力)。

錦祥女はここから髪型・衣装チェンジ。楼門のほうがヘアスタイル・衣装とも可愛いけど、このあと自害するから、それがしやすい拵えになるのは仕方ない。

 

 

 

紅流しより獅子が城の段。

ひとり化粧殿に籠もった錦祥女は、瑠璃の鉢に貯めた紅の水を遣水に流して涙する。

一方、遣水が流れ込む川にかかった橋の上で待ち構えていた和藤内は、紅の水が流れてくるのを見て甘輝の拒否を知り、城内に踊り込む。

甘輝と対面した和藤内は、改めて錦祥女の縁で加勢を頼むが、甘輝は女の縁に絆さないと受け入れない。二人が剣を抜きかけ、一触即発となったとき、錦祥女が現れる。錦祥女が着物をくつろげると、胸元は朱に染まっていた。彼女のために和藤内に加勢しない夫を説得するため、錦祥女は肝先を切っていた。さきほど川を流れてきた赤い水は、紅を溶いたものではなく、彼女の血だったのだ。

甘輝は命を賭しての錦祥女の勧めに従い、和藤内に味方することを誓う。甘輝は和藤内に延平王国性爺鄭成功の名を与え、共に将軍の装束に着替える。
その様子を見た母は安心し、娘だけを死なせては国の恥として、錦祥女の剣を取って自らの喉に突き立てる。母は和藤内・甘輝に対し、韃靼王を母の敵・妻の敵と思って討つようにと告げ、錦祥女とともに息絶える。和藤内と甘輝は勇み立ち、母と妻の言葉に従って韃靼を滅ぼし、大明国を再興することを誓うのだった。

錦祥女のメイク道具・瑠璃の鉢は、100均で売ってそうだった(失礼)。「紅を水に溶いて流す」って、小道具としてどうするんだろうと思っていたら、両手におさまるくらいの大きさのボウルの底部分に赤い水面を貼りつけておく→水面に入っているスリットから、色水に似せた赤く太いリボンを引き出して落とす→川の底で待機している黒衣が引っ張り、赤い水を流し込んでいるように見せる、という方式だった。

 

紅を流した錦祥女が障子を閉めると、大道具転換。舞台中央を流れる川にかかった石造りの橋の上に、上着をもろ肌脱ぎになって蓑をまとい、金のハチマキをしめ、笠と松明で顔を隠した和藤内が姿を見せる。勇猛な衣装ながら、キリッと爽やかに決めてくるあたりはさすが玉志サンだった。大団七のかしらでなぜあそこまで颯爽とした印象にできるのか、不思議。所作にキレがある以上の何かがある。ひとくちに同じ「キレがある」と言っても、勘十郎さんや玉也さんではこうはならないだろう。そのあたりは本当に個性としか言いようがない。

紅が流れてくる仕掛けは先ほどと基本的に同じで、川の水面(書割)上部に入ったスリットから赤いリボンを出し、下部から引っ張るというものだった。

 

さらに大道具転換、甘輝の城の壮麗な大広間(?)。舞台中央に、獅子が大口を開けたようなレリーフのついた間口の広い出入り口、左右の壁には唐獅子が描かれている。

なんといっても、玉男さん・玉志さんお二人のペア役は映える。
玉男さんのほうが悠々とした上手(うわて)のキャラクター、玉志さんが血気に逸った駆け出しのキャラクターになったときのペア役は、大変に相性が良い。数年前に大阪鑑賞教室で観た『絵本太功記』で、玉男さんが久吉、玉志さんが光秀をやったときのことを思い出した。こうやって玉男さんと玉志さんが並んでいるのを見ると、やっぱり玉志さんは相当若く見えるよなあと思った。同じように立ったり座ったりしているだけでも、だいぶ雰囲気が違う。人形の見た目の違い、芸歴なり経験の多寡、ご本人がたの年齢差ではなく、元来の持ち味として、玉志さんの人形には若々しく、みずみずしい雰囲気があるんだろうな。現実世界の一生懸命な若い人を見たときのような、若さゆえの生真面目さと懸命さがめいっぱいに溢れていて、この人の純粋な気持ちを守ってあげなくちゃ、という気分になる。

衣装の扱い、扇の扱い、あるいは体の前で両手をクロスさせ扇左肩に当てる姿勢は、やっぱり玉男さんのほうが圧倒的に上手い。豪華な衣装に似合った悠々とした所作も良い。玉志ぃ〜〜〜〜頼むぅ〜〜〜〜〜もうちょっと扇の位置を左肩側に下げてくれぇ〜〜〜〜〜扇の陰に和藤内の顔が隠れとるでぇ〜〜〜〜と思ったけど、まあ、和藤内クンも、唐の将軍の衣装は初めて着ますから。ということにしておいた。こういった細かい仕草は、どうにも甘輝の玉男さん、左・玉佳さん(だと思う)のように経験値を積まないと、難しいのだろうな。あとで今回の記録映像見たら、ご自分で気づくだろうけど。

それにしても、玉佳チャンには和藤内の左をやってほしかった。でも、みんなのアイドル・玉佳チャンはひとりしかいないから、しかたない😿

 

ところでこの段、甘輝と和藤内の衣装チェンジ後に、ツメ軍兵たちが椅子を出してくれるんだけど、木のフレームに座面・背面を張っただけの異様に素朴な椅子なのが謎だった。あと、ヤンキーが車に敷いているようなモケモケがかかっているのも面白かった。和藤内・甘輝の衣装チェンジ後の将軍風ファッションのうち、和藤内の冠のおでこ部分についているシールのような飾りがパイナップルのラベルみたいで、面白かった。

 

この段の床は藤太夫さん。藤太夫さんって、荒物的キャラがどんどん謎の方向にいってやしないか。和藤内も、妹背山の鱶七のような喋り方になっていた。さすがに鱶七ほど“べらんめえ”口調ではなかったけど、あの喋り方、謎。和藤内はそういう意味で卑俗なキャラなわけではないと思うが。鱶七は良かったけど、今回は玉志さんの和藤内のイメージとは相性悪いなと思った(すべての中心に玉志がある感性、それが私)。

 

 

  • 人形役割
    和藤内=吉田玉志(前半)吉田玉助(後半)、女房小むつ=吉田清五郎(前半)吉田簑一郎(後半)、栴檀皇女=吉田簑一郎(前半)吉田清五郎(後半)、鄭芝龍老一官=吉田玉輝、一官妻=桐竹勘壽、安大人=吉田勘市、錦祥女・吉田簑助(楼門)吉田一輔(甘輝館より)、五常軍甘輝=吉田玉男

 

 


国性爺合戦』、なんだか、SFCスーパーファミコン)末期のRPGのような内容だった。極端な話なのにどこか詰めが甘くてゆるい、不完全ゆえの思いつめに満ちた世界観を思い出し、懐かしかった。
空想上の「異国」のビジュアル、人形であることのマスコット感が、あのころのドット絵グラフィックと2頭身キャラを彷彿とさせるのかもしれない。妙に単純化されたキャラクターの性格、意味不明の極端な悲惨展開も、『ファイナルファンタジーVI』、『ロマンシングサガ3』、あるいは『聖剣伝説3』、『ルドラの秘宝』といったような、あのころのスクウエア的センスを感じる。
まさに、ロマサガとか聖剣に、こういう話が混じっててもおかしくない。そう思うと、FFVIとか、浄瑠璃にできそうだよなあ。シドにうまい魚を食わせられなくて殺してしまうあの感じとか、魔大陸崩壊までどれだけシャドウを待てるのかとか、リルムとストラゴスのあまり説明されていないない関係とか……。あのころのゲームは、古典叙事詩的な性格が強かったのかな……。

 

出演者陣では、なにより、ママ役の勘壽さん大活躍だった。
勘壽さんでないとできない役だと思った。地味な外見、控えめな言動、でも、芯のしっかりぶりは和藤内より上を要求される。出演時間も長いし、大役。ママがしっかりしていないと、もともとゆるい話が崩壊する。

そう、この『国性爺合戦』、ずいぶん話がゆるいなと思った。
派手な舞台装置やトラ着ぐるみ・デカはまぐりといった奇抜な演出、和藤内や甘輝将軍の華々しさで見た目はスペクタクル的だけど、内容は「はぁ……」って感じ。錦祥女の心理とか、ママが自害する説得力とかを文面だけで見たら、ずいぶん粗雑だなと思う。
錦祥女の自害は、そういうお涙頂戴設定が書きたかっただけとしか思えない。ママの自害に関しても、日本の誇りのためにと言われてもそれは「外国」を意識しはじめた初演当時の、「日本」と「外国」の対比への興味本位であろう、以上の理解は難しい。身を切るような差し迫った緊迫感や高揚感がない。

彼女らの悲劇あくまで設定であって、内面の発露や葛藤がもたらしたものではない。そのうえでかなり難があるのは、彼女らに共感し、それを受け取る人物が不在であることだな。古典というのは基本的に時代を超えた普遍性があるからこそ残っているわけが、この作品は時代を超えた普遍性がないものの一例だと思う。

でも、こういう話こそ、出演者の力でドラマになり、緊迫感や高揚感が出て、面白い舞台になるんだなと思った。それが舞台モノの一番エキサイティングなところだと思う。勘壽さんは、その意味で、今回の舞台の面白さにもっとも貢献している人だと思った。

 

途中から中国が舞台になるためか、三味線のヲクリ、メリヤスなどの演奏が、いつもとちょっと違うのも面白かった。お囃子もドラが入ったりと、(想像上の)中国風。人形の衣装も全員特殊だし、ツメ人形たちも、男性は髭を描かれて足を吊っていたり、女性も大きな半円状の襟がついた衣装だったりと、日本にいる人々とはだいぶ違った。個人的には、とにかく、男性のおツメたちの独自すぎる頭部が気になった。

 

 

 

後半日程の最初の日の夕方、突然、簑助さんの引退が発表された。

今公演千穐楽をもっての引退。あまりの突然さに驚いた。最近は移動の少ない役の一場面だけのご出演だったり、東京は休演されたりしていたが、ここまで急に宣言されるとは。この告知を見た時、最初は「錦秋公演を以って引退」かと思ったもん。

あの銀河一の可愛さがもう見られなくなるなんて、あまりにも寂しい……。

私は、簑助さんは一生芸人を貫くと思っていた。それに、客だって、(こんなこと言ったら簑助さんに対して本当に失礼だけど)どんなにほんのちょっとの出演しか叶わなくなったとしても、簑助さんが舞台に立ってくれているだけで嬉しい、それだけで大きな価値があると思っていただろう。今回の錦祥女にしても、これ以上の演技ができる人は存在しない。

それを、「人形遣いとして持てる力はすべて出し尽くしました」と本人が言い出すとは……。

その引き時を宣言できる芸人であるということが、すごい。勇退だと思う。

急遽、千穐楽のチケットを押さえた。現状、大阪府の感染状況は悪化が続いていて、このあとの日程、上演続行可能かはどんどん危うくなってきていると思うが……、とにかく、無事に千穐楽を迎えて欲しいと思うばかり。千穐楽、どういう気持ちで幕があくのを見ればいいのか、まだ、心が定まっていない。

 

↓ 4月公演は、イープラスで4/26〜5/16動画配信中です。配役は前期日程です。

 

 

 

*1:江戸期に描かれた『国性爺合戦』イラストのデカはまぐりvs鴫バトルシーンを集約した論文を見つけました(そういう趣旨の論文ではありませんが)。5ページ目(125P)に載っています。
黒本・青本と浄瑠璃絵尽し本一黒本『こく性や合戦』をめぐって一
上記で集約されている以外にも、ジャパンサーチなどで「こくせんや」等で検索し、検出された古典籍を見ると、たくさん潮干狩りできます。

*2:おかるが持っているような折りたたみ式ではなく、四角のフレームの下部にハンドルがついているタイプ。

*3:天子を護衛する軍の長官。

*4:あのお団子のてっぺんに刺さってるカエンタケみたいなやつは何?と思っていたのですが、昔の役者絵を見たら、珊瑚の簪を挿しているということがわかりました。