TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『壺坂観音霊験記』国立劇場小劇場

第四部は、「文楽入門~Discover BUNRAKU~」と題し、初心者向け公演として設定されていた。

パンフレットが配布され、イヤホンガイドを無料貸与する体制は、例年の12月鑑賞教室公演と同様のシステム。
ただ、19:45開演といういままでにないレイトショーで、客入りがまばら……というか、後ろ半分ガラガラだった。東京公演でこんなに入っていないのは初めて見た。時勢柄というのと、開演時間や演目設定によるものだと思うが、えらいこっちゃ。

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壺坂観音霊験記。英語でいうとThe Miracle at Tsubosaka Kannon Temple。

上演前に、簡単な解説あり〈解説=豊竹亘太夫〉。定式幕を引いたままの状態で、簡単に文楽自体と演目について解説。
浄瑠璃」「義太夫」とは何か?の説明があったのが良かった。初心者は、まずそこがわからないから。
こういうレクチャー、自分だったら何を言うだろうと、時々、考える。どこを押さえておけば、気楽に観てもらえて、かつ、次へのとっかかりが作れるのか。自分が文楽見始めのころ、何がわからなくて、何を知りたかったのかとか、だいぶ忘れはじめている。

 

 

 

本編。これ、素浄瑠璃でもいいなと思った。

ヤスさんは沢市の詞部分がよかった。全体的には低音が出ていなかったりと不安定だったが、沢市がお里に語りかける部分になると自然な印象に。ヤスさんは世話物の気の優しい男性に真実味がある。親しい間柄の人たちがプライベートで会話している印象なのも良かった。
あとは錦糸さんはやっぱり上手いなと思った。一見透明のおつゆなのに、ひとくち飲むといろんな複雑な味がするぅ〜!って感じの演奏だった。(語彙力なし)

 

錣さん*1は、あのテンションMAXぶりは何なんだ……?? 錣さんは後(山の段以降)なんですけど、もしかして、裏で「前」から語ってましたか??? って感じのテンションMAXで語り出していた。壺阪寺がある山はのどかな観音霊場だと勝手に思っていたが、かなり峨々とした雰囲気だった。沢市はちゃらちゃらとふざけて振舞っているが、この時点で心は決まっているだろうから、その峻厳さを山の風景になぞらえて写し取っているということだろうか(SHIKORO YARISUGIに惑わされてる?)。でも、電気もなく道も整備されていない時代の山って、きっとそういう雰囲気の場所だったんだろうという気がする。

お里と沢市が気さくな関西人カップルになっているのは面白かった。なんだか楽しそう。壺坂寺への坂道を登ってくのもピクニック気分?で、もちろんカラ元気でそうしているのだが、普段からこうして二人仲良く過ごしていたんだろうなーということが感じ取れた。ふざけて歌うところ、御詠歌をうたうところも良かった。観音様に助けられ、目が治るくだりも超嬉しそうで、良かった。

そんなこんなで、悲惨な展開にもかかわらず、そこに引きずられることなく、陰鬱だったり湿っぽかったりといった影がなく、パッと終わる感じになっていた。暗さを掘り下げる解釈もあると思うけど、深刻ぶらないところがよくて、うまく言えないけど、理屈っぽくなかったり、疑いの気持ちがないあたりが不思議と昔の人の信心のありかたのように感じられた。ずっと以前に読んだ、高橋揆一郎の小説、『観音力疾走』を思い出した(これ自体は、戦後に書かれたものだけど)。

明治時代の人は、こういう話を聞いて喜んでたのかな。むかしむかし、浄瑠璃をみんなが聴いていた時代の、「昔」の空気をそのまま切り取ったような浄瑠璃だな、と感じた。

 

 

 

今回注意して聴いてみたのは、「観音様」をどう発音するかという点。

ヤスさんはすべて「んのんさま」。錣さんはお里の最初のセリフ「サア/\沢市様。観音様へ来たわいな」のみ「くゎんのんさま」(直後の沢市のセリフは「んのんさま」)。また、最後のほうの観音様のセリフ「この上はいよ/\信心渇仰して…」が「くゎっこう」の発音だった。

私の手持ちの綱太夫・土佐太夫の録音だと、お里のクドキ「この壺坂の観音様へ」「観音様も聞へぬと」の部分は、すべて「くゎんのんさま」。(どれだけあからさまに「くゎ」にするかには差はある)

この「くゎ」は合拗音と呼ばれる発音で、近世にはあったが、だんだん直音化し(「」になる)、現代日本語にはなくなってしまった発音。義太夫には一部残存しているが、文楽の場合、発音の伝承が厳密ではないため統一的にはなっておらず、人によってそう発音するかどうかが異なっていているようだ。

義経千本桜』のすしやの段の過去の様々な録音を調査すると、山城少掾の大正時代の演奏では、正しく「くゎ」が使われているそうだ(維盛のセリフ「栄華(えいぐゎ)」権太のセリフ「三貫目(さんぐゎんめ)」「代官所(だいくゎんしょ)」)。これが越路太夫になると「栄華」のみ合拗音、住太夫になると合拗音は消えてすべて直音()化しているとのことだ。

すしやは時代物の中の世話風の場面だが、もっと本格的な時代物の中の時代物的場面、『本朝廿四孝』十種香の段の八重垣姫のセリフ「果報(くゎほう)」「名画(めいぐゎ)」は、摂津大掾・土佐太夫(七世)は両方とも合拗音、綱太夫は「果報」のみ合拗音になっているらしい。

越路太夫や綱太夫、住太夫は色々なこだわりを語る芸談を残しているが、この発音には特に注意はなかったのかと、気になる。

山城少掾の録音で検証すると、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段では、坂東武者の熊谷のセリフは直音だが(「無官(むん)」)、院に仕えていた過去を持つ相模のセリフは合拗音(「むくゎん」)という使い分けが見られるらしい。うーん、去年の12月の陣屋はどうだったかなあ。熊谷の喋り方はもともと武者ナマリとして特殊な発音になるというのは芸談でも聞かれるが、このようにあからさまに設定されている部分以外は、なくなっていくのだろうか。

個人的には「くゎ」のほうが古風な印象で好きだが(やりすぎると下品だけど)、これからの文楽では、どうなっていくのかな。錣さんが誰から習ったのをもとに「くゎ」を使っているのかはわからないが、若いヤスさんが「」でやっているのなら、文楽座としては特に「くゎ」を(少なくとも壺坂では)伝承しようとしていないのか。注目していきたい。

 

 

 

人形は、良いんだけど、これ、どうしたらよかったんだろうねえ。

とくに沢市内の部分。個人的にはここが壺坂のいちばんの見所だと勝手に思っていたが、ちょっと人形の間が持っていないというか……。味気なさが拭えない印象だった。2人(+観音様)しか登場人物がいない話で、この状態だと、ちょっと辛いかな。全然できてません、客前に出せる水準じゃありませんとかいうことじゃないんだけど。壺坂はそもそもの内容が薄いので、印象を掘り下げたり、膨らませたりする表現力や描写力を持った人でないと、どうしようもないのかなと思った。浄瑠璃の内容を自分はこう解釈したっていう陰影が人形についていないとちょっと厳しい。以前、和生さんがトークショーでおっしゃっていた「密度」というキーワードが少しわかったような気がする。

お里役の清十郎さんは、清楚で真摯な雰囲気がお里に合っていて良い。内容に対する素直さがお里の虚構性を担保していた。冒頭の針仕事のまめまめ感は清十郎〜って感じで良かった。ああいうキャラクターを単に男に都合のいい女に見せない描写力はすばらしいと思うが、ただ、前述の通り、この演目は掘り下げが必要になると思った。どうも歯がゆい。

沢市役の玉助さんも、生真面目感が良かった。演技が生硬なのだが、それが悪くは出ず、沢市の一本気な真面目さにつながっている。が、それだけではちょっと一本調子で、難しいかな。沢市は、気遣いのあまり言い出せない嫉妬で陰鬱→ひょうきんでいつも通りのふり→内省的で真剣と、表情が移り変わっていく人物で、山の段の冒頭でひょうきんに見せかけているところが鍵になるんじゃないかと思う。今回は錣さんがかなりチャラつかせていたので、総合的に愛敬のある印象にはなっていたが。あとは、沢市は三味線上手く弾いて欲しい。とくに冒頭で障子が開くところは、浄瑠璃は沢市が語っているというテイだと思うので、そこは人形が本当に演奏しているようなってるといいのではと思った。

あとは、この二人の配役上の組み合わせだろうか。登場人物数が少ないと、配役もかなり工夫がいるなと感じる。清十郎さんと玉助さんだと、姉弟って感じだね。でも、「三つ違いの兄さんと♪」なので、年の上下が逆だけど、ある意味正しいとも思った。

 

 
 
 
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  • 義太夫
    前(沢市内)=豊竹靖太夫/野澤錦糸
    後(山)=竹本錣太夫/竹澤宗助、ツレ 鶴澤燕二郎
  • 人形役割
    女房お里=豊松清十郎、座頭沢市=吉田沢市、観世音(黒衣)=桐竹勘介

 

 

冒頭に書いた通り、第四部は客入りの寂しい中での上演だったが、逆に、壺阪寺のある山の夜の静かで寂しい雰囲気が出ていて、良かったような気もする。日本むかし話的な、ものすごい簡素な山とお堂の書割(本物の壺阪寺、もっといかついだろ)の上にぽかんと浮かぶ月の光に味わいが出ていた。

 

それにしても、この内容をピンで上演するとなると、2部制の見どりのひとつとして出すのとはまた違ったものが必要になるよなあと思った。いかにして、ピンでの鑑賞に耐えうる濃度を出していくか。

少し話が逸れるが、先日、細田明宏『近代芸能史における『壺坂霊験記』』という本を読んだ。
それによると、壺坂寺の霊験譚は人形浄瑠璃以外の芸能分野にも広まっており、人形浄瑠璃より後発の歌舞伎・講談・浪曲では内容が増補されて、なぜお里があそこまで沢市に尽くすかの説明パートがついているそうだ。
たとえば、かつて沢市が疱瘡にかかったときのエピソード。一緒に育てられていたお里も疱瘡になってしまったが、沢市のパパが実の息子の沢市をなげうってお里を一生懸命看病したため、お里はあばたが残ることもなく回復した。しかし沢市は失明してしまった。お里はその恩を返すため、沢市を一生介抱すると決めたという設定が増補されているらしい。また、お里に惚れた格式高い武士が求婚してくるが、お里は沢市の面倒を見ると決意していたためにそれを断るなどの、沢市に尽くす態度の強調を示すエピソードが足されているようだ。あと、お里に横恋慕して追いかけ回してくるチンピラとかも出てくる。ヲ丶しつこ。

ここまでくどく説明されるとお里の重すぎる思念もわかるのだが、文楽現行ではそのような説明パートは存在しないので、二人の関係を描写するのが難しいと思う。あるいは、教条的な古臭い美談や、ご都合主義にならないようにどう見せるか。出演者の演出力を試される。ピンでの上演ならなおさらのことだ。

いままでに観た中では、にっぽん文楽で、和生さんお里・玉男さん沢市で見たときが一番二人の関係がよくわかったな。家の中でわずかに話すあの短い間では伝えきれないものがあることが匂わされていて、「二人のあいだには観客には知りえない深い絆がある」というのがよく伝わってきた。沢市を気遣うお里の仕草が本当にまめまめしく、家の中では立たせたりする前にチョコチョコ……と沢市の耳元で囁いたり、外へ出たらちゃんとついてきているか様子を確認しているのがよかった。いま思うと、あれは和生さんのうまさだな……。なんだか、今月は和生さんのうまさを実感する月だった。

↓ 『近代芸能史における『壺坂霊験記』』の内容紹介と感想をnoteに書いています。

 

ただ、そもそも論として、初心者向け公演で『壺坂観音霊験記』をやるのが適切なのかは疑問。
「わかってる人」向けにレパートリーのひとつとして上演するなら何も思わないけど、私はこの演目、初心者の方に見てもらって、文楽はこういう話ばっかだと思われたくない。つまんないのもあるけど、テーマ。特に、いまどきこの内容を「いい話」かのように喧伝してしまうことには首をかしげる。夫に殉じる後追い自殺を肯定化・美化する内容を、いい話として捉える(捉えられかねない提示をする)のは、違和感がある。お里が後追い自殺したことによって貞節が認められ、二人が生き返り、沢市の目が治ったっていう展開そのものに「ハア?」と思ってしまう。解説パートの内容説明、「このデジタルな時代にわたしたちが忘れてしまったものが……」という発言、本気で思って言ってるのかな。安易な言葉を使うのはよしたほうがいいと思う。

 

何はともあれ、休演が2日で済み、無事千穐楽を迎えられて、本当によかった。いまの状況下で公演が出来て、本当によかった。変則的な開催状況は、客席千鳥ですばらしくラクだし静かだし、休憩時間はロビーで座れるし、トイレも並ばす済んで快適でたまらんかった。休憩時間を長めにとるのは(30分以下にはしない等)、今後の公演でも検討して欲しい。

今回の事態は、文楽が公的保護を受けていて、本当によかったと思わされた。高水準の技芸を有し、大規模公演を行なっている人形浄瑠璃文楽のこの一座しかないので、何かがあった場合には、伝承ごと断絶するリスクが常につきまとう。客としては、今後社会がどのような変化を遂げていくにせよ、文楽が絶え間なく公演ができるよう、支持し続けるのみだと思った。とにかく応援しかできないので、応援します。

 

 

↓ 無料配布のパンフレット

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今回は4部制というこまぎれプログラムで、1部だけで帰るのでは物足りないためか、第一部+第二部など、数部ずつ見ているお客さんが多いようだった。

各部のあいだには1時間半程度入れ替え時間があった。長いと思いきや、意外とこの長さが休憩の充実をもたらしてくれた。食事もゆっくりととることができて、食べるのが遅い自分にはありがたかった。また、客席半減とのW効果で、毎回恒例のお手洗いの大行列もなく、かなり快適だった。あれに並ぶのがほんと苦痛だったので……。

いままで通り場内でも待機できるのだが、ロビーに人が固まってしまうのを防ぐため、2階の食堂の一部、3階の喫茶室を無料休憩所として解放していた。3階の喫茶として出していたメニューは、2階の食堂に合併された。でも、いつも3階の喫茶室を一人で回していた背の高いおじさんはいなくなっていた。どこ行っちゃったんだろう。
また、これだけ時間があいていると、場内での休憩だけでなく、みんな大好き永田町のエクセルシオールまで行けるのも良かった。あそこ、いつもすいてていいんだよねえ。店員さんが、この時間帯急にお客さんが増えるのは、国立劇場終わりのお客さんが来てるから、でも小劇場のほうだから、そんなにたくさんの人数ではないと、妙に詳しいことを知っているのが面白かった。

↓ 2階食堂の新メニュー、きじ焼き弁当。ムチムチしていました。添えられたカニカマが哀愁漂っています。

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↓ やっぱりこれは食べたいよね、元3階喫茶のカレーライス。昭和感溢れる味わいがたまりません。

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↓  ロビーは飲食不可だけど、売店は営業中(店員さんはいつものおふたり)。私の愛するおにぎり弁当や柿の葉寿司のような米系弁当は取り扱い中止されていたが、サンドイッチやアイスクリームなどの軽食は売られていた。2・3階の無料休憩所へ持っていって食べられる。いままでは全然食べ終われなかったこのサンドイッチも、入れ替え時間が長いおかげで完食。これすら食べ終われない普段の自分はやばいな。

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*1:今回は客席が千鳥空けでお客さんが少ないため、冷房がかなり強めに効いていた気がするが、錣さんは床が回った時点でかなり汗をかいておられた。そしてやはりビッショリボタボタ化していた。国立劇場の空調設備●vs竹本錣太夫○って感じだった。