『艶容女舞衣』の先行作である浄瑠璃、 『女舞剣紅楓』の翻字六巻目。
大和の酒屋・茜屋半兵衛は、息子・半七の放埓ゆえに病に陥った嫁・お園の養生のため、大坂へ転居した。半兵衛とその女房はお園を必死に看病していたが、お園の容体は思わしくない。とある夜、そんな茜屋へ不審な輩が入り込む……。
『女舞剣紅楓』でも出色となる聞きどころの段で、特に後半は『艶容女舞衣』では「酒屋」にあたる内容となっている。確かに面白い内容ではあるが、これを読むと「酒屋」の完成度がいかに高いか、よくわかる。
本作と「酒屋」との大きな違いは、本作ではお園と半七が直接顔を合わせ、お園が面と向かって恨み言を言う点。「酒屋」ではそこにいない半七に向かって語りかけ、自己完結して突き抜けた次元にいってしまっているお園さんだが、本作のお園は人間味があると申しますか、DV受けがち体質の女、相当男に都合のいい設定になっている。つまり、結構「普通」な印象。このあたり、本作がやがて上演されなくなり、「酒屋」が生き残った理由なのではという気がしないでもない。(実は『艶容女舞衣』でも、現代では断絶している段で半七とお園が顔を合わせるが、そこでのお園さんは結構狂っている)
もうひとつ気付くのが、プロットが『心中天網島』「紙屋」に似ているということ。
だらだらと不貞を働く夫をよそに家に仕える妻。彼女は義両親と親戚関係にある。妻は夫の不貞をなじるが、なぜか許している。別の男のもとへ走ったと思われた夫の不倫相手は、実は死ぬ気である。しかし夫は不倫相手の裏切りにばかり気を取られて、それを察せなかった。それに気づいた妻は不倫相手が死ぬのを止めて欲しいと願い、その捜索に夫を送り出す。この要素は天網島と共通している。
当時、どれくらい天網島系作品が存在していたかはわからないが、本作は延享3年(1746)初演で、『置土産今織上布』安永6年(1777)、『心中紙屋治兵衛』安永7年(1778)よりはかなり早い。*1なお、後半に登場する子どもの服に手紙がついているというのも後の「天網島」系作品にみえる設定だ(『天網島時雨炬燵』など)。
本作は天網島感を相当感じるが、「酒屋」には全くと言っていいほど感じないよね。換骨奪胎のうまさを感じる。おさんのキャラクターがお園に昇華されていると思うと、興味深い。「酒屋」でお園のパパ・宗岸がブチ切れて婚家に乗り込み、お園を連れ帰ってしまったという設定も、天網島と共通する設定である。「酒屋」は、親に無理やり連れ帰られたさらにその後に、やっぱり婚家で暮らしたくて帰ってくるという物語なので、「紙屋」の後日談とも言えるのかな。
また、物語の転機を作る「手紙」の設定も、天網島なら舞台が「紙屋」だからこそ面白いのだが、本作ではそのあたりが忘れられているのに比べ、「酒屋」では酒樽に手紙がついている設定を前に持ってきて、物語の舞台に着地させているのが面白い。「酒屋」は半七の書き置きの手紙を読むくだりが長すぎと感じる人がいるようだが、本作がそれ以上に直接会話で長々とまわりくどく展開させているのを見ると、逆に手紙で一括処理したテクニックはスゴイと思ってしまう。
あと、本作の半七は、治兵衛より相当のドクズでやばい。治兵衛のようなクズ可愛さが一切なく、参謀気取りでネットでイキってる痛いヤツみたいな感じがある。ここまでのイキリ野郎は玉男様が演じても相当厳しいかもしれない。
以上、最近図書館へ行けていないので、先行研究一切確認せず書き散らしてます。
- 底本は早稲田大学演劇博物館所蔵本、東京大学教養学部国文・漢文学部会黒木文庫所蔵を合わせて参照している。
→早稲田大学演劇博物館『女舞剣紅楓』ほか複数所蔵
→東京大学教養学部国文・漢文学部会黒木文庫『浮名茜染/五十年忌 女舞剱紅楓』 - 画像出典『<浮名茜染/五十年忌>女舞剱紅楓』東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵
いままでの翻刻分
六巻目
古郷は大和五条に名のみして。難波の里の冬籠まだ咲キ初ぬ白梅の。娘の病気
養生に二タ親添ていつよりか。二つ井戸に借座敷。手づから母の介抱も。所向キよける
薬鍋あをぐ。扇の風さへも身にしみ/”\とひつかけて。心一ぱい半分ンの。せんじやうさへ。常
ならぬ。心づかひぞやるせなき。奥よりそろ/\立出る親半兵衛は六十の。髪も半は白/\と。
一ト間を見やりなふ嬶。娘おそのが心持はどふじや。ちつと今夜はしづかなか。とろ/\とねよふ
としても。娘が咳が胴身にこたへおれも胸がいたふおじやる。ヲ丶道理其筈。半七が言号
といひ。根がこなたの姪なれば。我子よりは深い縁。気つかひは此わしも同し事。若もの事が
あつたら本ンの親御が麁抹にもしたかと思はしやろかと。思ふのはまだ義理づく。花のさかりを
かはいそうふに。逆さまな事見よふかと。案じ置がせらるゝと涙ぐめば。ハテそふじやと言て何ンと
せう。大和中の医者にかけてもげんがない故。此大坂に出養生。芝居でも見せたら
気もはれうかと思ふたに。次第によはる顔の痩。そなたやおれが如在もなふ祈きたう
もして見れど。神仏ケの力ラにも助からぬ命はぜひがない。アノ病のもとは半七め故。三勝と
やらいふ舞子に喰付キ。祝言もせず嫌ひおる故。それからの気のかた。にくいやつとは思へ共。たつた一人
の忰。勘当もしられず。子は三界の首かせとはア丶よふいふた物でおじやる。御主人宇治屋市蔵
様は。奢の咎で。御代官さたと成ル。其騒動から半七めも。廿日余り内へ戻らず。ろくな事は仕
出しおるまいと。ぼさつもろくに咽を通さぬ。此寒いのにどこにおると案じるはまだ親の因果。
ア長カ生は恥多し。片時も早ふすくひ取リて給はれと。老の涙もしぶ/\と親子の道ぞせつ
なけれ。ア丶これ親父殿声が高い。半七が事を苦にやむおその。どこへじやと問る故。そなたの
命乞にたがへ参つたといふたれば。常からあどない生れ付キ。きつう嬉しかつたかいつにない笑ひ顔。
むごたらしいアノ半七を。あれ程迄に大切がりやる。心根がいぢらしいと。深き心をくみてしる。夫婦誠
の水入ず胸をいためる折からに。一ト間の内にこつ/\と。せくにせかれぬ半七が。あだし心を苦にやんで。
痩おとろへし娘のお園。障子をそつと押シ明ケて。お二人リ様まだお休遊ばさぬかへ。私も今ン夜は快ふ
ていつにないとろ/\と一ト寝入。モウおまへ方も御寝なつて下さりませ。久々の此病気。おあいそも
つきず様々の御気苦労。私が致す筈成ルを逆さまな御介抱。冥加ない勿体ない。わたしや。
それが悲しうござります。ハテ扨コレわつけもない事いやる。早ふ息災にして。こちら二人リか六十日の
面倒を見て貰ハにやならぬ。モウ其様な心づかひがやつぱり病のさはりに成ル。随分とこちとら二人を。
遣ひ倒そふと思やいのと。心休める一チ言は仏の慈悲にもまさるべし。そんなら嬶アノ何仕やれ。今ン夜
はお園は顔も見直した。是といふも神仏のおかげ。あれが大和の氏神様へ。お神酒でもそなへて
お礼申。洗米を病人に戴かしや猶御利生がつよいげな。おれが宗旨は旦那からの付ケ渡りで。こんな
事は難行とて同行衆が嫌ふけれど。仮御開山のおしかりを受ケる共どふぞ本ン復がさせたい。ア丶
いかふひへてきた。粥でも焚ておまそふぞ。其間に奥の巨燵へおじや。嬶もおじやゝと打連レ
て奥へ伴ひ入にけり夜も早ふけて。しん/\と軒端は白く置ク霜に。店の足さへ寝入ル花。人の宝ラ
を当テにして。うそ/\来る大の男。うさんな形に頬かぶり家々見廻し茜屋の。戸口に耳寄セ又
立退。足でぐはつたり当タつて見。内の様子を窺ひすましうまい/\と小うな付キ。ぢんどうばらしの手垂
の刃。袖壁ぐつすり切リ明て。鐉はづし戸を打明ケ。内へはいつて悠々と。腰銃卵の火鐩出し。かち/\
打て火縄に付ケ。振廻し/\家内のすみ/”\。忍び足。長持の錠ねぢ明ケて。中をさがせど衣類斗リ。
こりやすこたじやと衣厨の引出し明ケても。/\ヱ丶どんな。びたひらなか入てない。ア表テ付キとは格別。
人の内にない物は銀じや。したが是程の暮しによもやないという事はと。奥の一ト間へ目をくばり大
胆ふ敵を里姓にしてぞ忍び入ル。捨草のよるべ定めぬ半七は。人をあやめて顔さへも浮世を忍
ぶ頰かぶり。お通を連てうと/\と心一トつに二つ井の我カ門ト口へ立戻り入んとすれど敷居高く。うろ/\
すればぐはんぜなき。子はやすかたの安からで。とゝ様。かゝ様の内へいんで。早ふ乳飲で寝たいわいなふ。何
あほうめが。あの様なふ所存な。畜生面のかゝめに。何ンの逢イたい事で。やんがてとゝが抱て寝るぞ。
とはいひながら親故に。此寒いのに連レあるき。我子が手足の釘よりも。胸に打込ム生釘の憂
目に逢がぜひなやと。心からふる村時雨さらに。晴間もなかりける。折節我家の足音トに誰レか
はしらずとお通を抱。小かげに忍べば以前ンの盗人。金箱だかへ逃ケ出る奥より声をかけ。ヤア半七め。
盗迄ひろぐかと。追ツかけ出る親半兵衛我子と思ひおどしの抜キ身。肩先ちよつきり切リ付クれば。
さすがの盗賊せんとられ。つまづきころぶを引とらへ捻付クれば。アイ/\もふ御赦されて下さりませ。
ひよつとした出来心といふも聞ずくら満ざれ打つたゝいつする所へ。行燈提て母は立出。肩先キ
の血を見るよりも。ヤアこれ親父殿。いかにこらしめの為じや迚胴欲な刃物ざんまい。気は慥なかと
親の闇。てらす灯かげにすかし見て。ヤアわりや半七じやない。ヤアどれほんに。扨は儕レ盗人かと。初メて
ぞつとこはげ立夫婦はおど/\ふるひゐる。弱を付ケ込盗賊は。金箱だかへ立上り。ヤイくさり親仁め。
ようちよつきりやりおつたなア。したが是程のかすり疵。一ト箱には売リ値じや膏薬代に持ツて
いぬ。おど骨立ると蹴殺すと。いふを立聞ク半七も。すはといはゞ赦さじとお通をかたへに窺へは。盗
人様がお帰りじや。そこ退きあがれと立行。裾をひかへてマア待た。待テとは親仁金が惜いか。イヤ惜しう
ない金やらふ。が。其かはりに異見がある。といふて又そちにゆかりかゝりの有おれでもなけれど。我
子の放埒にあぐみ果て。人の親の事迄思ひやられる。コレ嬶。三千世界に親子程有がたい
物が有ふか。年寄ツたおれが。あさがらの様な此手で。アノ究強な男に何ンと手むかひがしられう
ぞ。殊に盗人と知ツたら夜着引かぶつてかゞんでゐる。娘お園が煩ひを案しくらすに付ケても。此半
七めはどこにうろたへて居おるぞと。思ひ/\とろ/\寝入。仏壇の下タ戸棚捻切ル錠の音トに目
がさめ。なむ三半七めが忍び込。悪ル遣ひの金につまり。盗ひろぐと気か付イて。ヱ丶憎いやつ。
此果がろくな者には成リおるまい。おどしの抜身でこらそふと。くらさは暮し我子じやと思ひ
詰た一念ンで。雲つかむ様な男を。六十に及だおれが手迄負せて捕へたは。親の威光を切
にきた。天道様の力ぞや。コリヤこな男よふ聞。盗人に成ル人ン間迚別にはへる種もない。そち迚
も生れし時は。男の子が出来ためてたいと分相應に心祝ひ。千ン年ンも万ン年ンもと思ふは世
界の親のならひ。其二親が有ルか。ないかもしらね共。そふいふ身分に成たと聞カば。此世にあらば
涙の渕。先キ達ツたらはめいどの迷ひ。憎やかはいの雲霧に覆はれよもうかむせは有ルま
いぞ。すべき人の異見は其筈。家尻切れて金盗まれ。後立る所を此様に。異見の仕人が
新しいか。此詞を用ひて。今から心を持直しふつ/\盗を思ひとまれ。かういふも皆我子のかはいさ。
此異見した功徳で。半七めが心を直れかしと。思ひ廻してよその子でも悪業者はふ便ンなと。しん
みの異見に母親も。年寄ツたこなたやわしが。此の様に苦にするとは露程も思ひおるまい。こちら
は当テねど此ばちが。ひよつと。あいつが身に当タらふかと。そればつかりが悲しいと親の慈悲心恩愛を。
表テに立聞ク半七が。胸にしみ込有がた涙身もよもあられ霜氷。肝につらぬく親と子
の心ぞ。思ひやられける。さすが無法の盗賊も。思ひがけなき異見に逢イ。しほ/\そろ/\ひざ
まづき腰かけて居た金箱を。突出し/\目をこすりしよげに成ルこそ殊勝なれ。半兵衛は
涙をはらひ。折角はいつてたゞもいなれまい。といふて此金皆やつては。旅がけの娘が養生入用
の程もしれぬ。望姓ほどおまそふと。箱の蓋取リ封押シ切。金取上て老眼にためつすがめつ。
ヤアこりや。十日戎の贋小判。是はといふに盗人も。ドレ/\/\私もと見て又恟り。ハアはつと斗にあ
きれ果。赤面の体見るよりも。夫婦はふ思議にコレ盗殿。此贋小判をきつい驚キ。様子知ツて
か何故と。問れてハット座を居直り。ア丶世の中に人の身の。因果も報へば此様に的面にむ
くふ物か。もと私も。後からの盗賊でもござりませぬ。ちいさいから放埓ゆへ。幼少にて勘当請。
終に親も私を。苦に病ミ死の後チ迄も。産付イた我性根。是迄なしたる悪ルだくみ数も限り
も尽されず。女子兄弟もござれ共。こちにはしれどあつちには。ちいさい時に別れし故傍で見て
さへしらぬ同士。親の事も妹が事も。塵共灰共思ひ出さず。積る悪ク事の其中に。コレ此贋
小判は。いつぞや宇治屋市蔵殿で。八十両の二重取。其時作りし此小判と。聞て扨はと半七が。お
どろく内に二親も。其市蔵殿といふは。こちらが為には三代のお主。其又小判が。跡の月大和から取
寄セた正真とかはつたは。ハテめんようなどうしてと。夫婦目と目を見合せて。此摺かへ人は半七め。そち
斗か悪ク業でもおじやらぬ。現在の我子でさへ。親を掠る此しだらと聞に付ケても面目なく。内へ
も入ラれず半七は消も。入リたき風情なり。ムウそんならアノ此内は。宇治屋のお手代半七殿の
所か。テモ天命の恐ろしや。最前ン奥へはいつた時は。大まいの金盗負せた。ヤレ嬉しや仕合せやと
悦びいさんだ此金が。我手で贋た小判とは。よく/\運に尽たるか。非常の宝ラは身に付カぬと亡
父母が手引にて。此家へ這入最前より。結構な御教訓を聞た上。人をだました其罪が。我身
に報ふといふ事をしらしめ給ふ親の慈悲。ハア勿体なや。恐ろしや。是より心を入レかへて。真人間に
成リますぞ。是もあなたの御異見故とほつくり折ツた発起の心。テモ出かさしやつた合点がいた
かと思ひがけなき悦びは。余所の卒塔婆に水手向回向をするもかくやらん。モウいかふ更まし
た。私はお暇申ます。御縁もあらば又重て。そんならモウいにやるか。必今のを忘れまいぞ。女
子兄弟も有ルとやら。倶々かせいで。立身して今の恥をすゝぐが肝心。用が有ラば遠慮なふ。ちよこ
/\ござれと挨拶も始メにかへてほれ/\と。妻もせめては酒でもと。いへど長居も恐れぞと。
出行跡は鐉をかけても胸はしまりなき。半七を苦にしほ/\と。一ト間にこそは入にけれ。表テに見
合す顔と顔。半七殿か。勝二郎か。委細は表テで聞て居た。意趣の有ルわれなれど。今のを聞
て夢にすると。隔なければ。イヤもふきつい親御の気苦労。早ふいんで逢しやんせ。わしらが
やうにさつはり殺して仕廻ウては。取かへしがならぬぞやと。いふに恟り疵持ツ足。ソリヤ誰レを殺して。ハテ
二親を殺しては。跡の祭りと気がゝりの詞は様子しつてかと。問もとはれず気もどまくれ。
イヤモウ廿日余りいにそゝれくれ。権柄そふに戸も扣かれまい。いつそどこで泊ろかい。ハテやくたい
もない。そんならおれが仕様が有ルと。以前ン切たる袖壁から戸口を明て。サアはいつてモウ寝やんせ。又
其中と足早にもときし。道へ立帰る。半七お通を抱上て。思ひも寄ラず盗人に引入レられて我内へ。
戻れど親の気も兼て。奥を見やりてしよんぼりと。障子の内にほそ/”\とお園が閨の灯
を。見るに付ケてもいとゞなを。おもき病もいかゞぞと。心がゝりの故々に。只ぼうぜんとたゝずみて。寝入し
お通を抱おろし。下に寝させば目をほつちり。あたりうろ/\見廻して。とゝ様。爰はよその内じや。おりや
かゝ様とねたいわいなふ。かゝ様なふと泣出す口に袖あてコリヤ/\/\。かしこい者じや泣クな/\。コリヤとゝがいふ
事よう聞ケよ。アノかゝはな。大和といふ遠い所へわれを捨ていきおつて。わが内はモウないぞよ。それ
でもおりやいにたい物。かゝ様/\なふとじだんだふみ泣さけべば半七も。何とせん方おろ/\涙。子は此
様にしたふ物。母共子共思ひおるまい。ヱ丶むごいやつ。畜生めと。子のかはいさにいとゞ猶胸にせ
きくる。憂思ひ。コリヤよふ聞よ。爰はな。ばゞ様やぢい様の所じやはい。今から泣ずとおとなしう。御あ
いその尽ぬやうに。大きう成ツて此とゝが五十年忌も弔ふてくれ。かしこい者じや合点せよ。ア丶
思へば/\此娘は果報つたなき生れ性。母めはつれなし此親は。人をあやめてあすしれず。嘸お二タ
人の親達チの。お世話に成ルでござりませう。是迄つくすふ孝の上。逆様な御回向受ケるが。何ン
ぼう悲しい/\と。ふ覚の涙にかき曇声をも。立ずないじやくり。それとしりてや障子の内。お
園が影にお通をば。見せじと隠すかく袖の。我身も倶に肘枕。空寝入して居たりける。おそ
のがおもきやまふより。恋の重荷の現なく。布団持ツ手もたよ/\と。半七が身に引きせて
枕あてがい傍に寄リ。顔つれ/\と打守り。心から迚いとしぼや。いかふやつれさんしたなふ。此寒いのに我カ
内で。着の侭で寝る様な身の持やうがござんすか。最前盗人に親御様の御異見。聞いてゞ有ツ
たかしらぬが。わしやあの一ト間で泣てばつかり。お年寄ラれしおふたり様に御孝行こそなされず共。
ちつとはお心やすめる様に。気を入レかへて下さんせコレ手を合しておがみます。何ンの女子の出過た
と思しめすもしりながら。かういふも皆お前のいとしさ。わしや。もふどふで死る命みぢんも未
練は残さねど。お前のことが案じられ是一つが思ひの種。いへば恨もたアんと有レど。けし程もいわ
ぬぞへ。いはぬ心を推量して。たつた一ト言かはゐやといふて給はれ半七様ン。わしや片時もヱ丶忘れぬ。
夢に見るのを楽しみに。暮すわいなと声くもりふとんにひしとしがみ付キ。かこち涙の露雫。
きゆる間ちかき半七が。歯を喰ひしばるふとんの内枕も。倶にうきぬべし。泣寝入リせしお通は
目を明き。コレおば様。/\。爰はおまへの内かや。ヲ丶お通ようおじやつたのと。いだきよすればいだかれて。
なじみし様子ふしぎさに半七は起直り。コリヤお通あれはよそのおばじやはやい。ついに見もせぬ
人をめつそふな。女子さへ見りやおば/\と。子供では有わいと。いだきとらんと立寄ルを身をすし
かいて涙ぐみ。ヱ丶あんまりじや半七様ン。いかに気にいらぬわしじや迚爰へきてからモウ三年ン。
祝言もせず他人向。つい言事さへとが/\しう。笑ひ顔も見せもせず。三勝殿へ心ン中立テ。わし
は。死ンでもしまへかしと。思はんすはしれて有レ共。在所生れの此わしと。人馴さしやつた三勝殿。譬
ていはゞ深山木と都の花。粋とやらぶ粋とやら訳さへしらぬわしなればお気に入ぬもむりな
らず。ふつつり悋気。せまいぞと嗜んで見ても情けなや此マア。女子には何が成ル。さりと
はつれないどふよくなと。女心のぐど/\とか。こち歎ケくぞ道理なり。半七も目を押シぬぐひ。何ン
にもいはぬ誤つた。去ながら此お通は。どふして又近カ付キと。ふしぎはれねばさればいな。いつぞや芝居戻り
に長町で。みのやといふ暖簾の外トに。一人リ遊びのこのお通。扨は三勝の所ぞと兼て聞イたる目
印シに。見れば見る程此子の面ざしお前に其侭生キ写し。悋気する気も打忘れ。いとしや内でうま
りやつたら。分ン相應に守リでも取ツて。一人リ遊びはさせまいにと思ふよりいとしう成。住吉参り
や生玉の慰にかこ付ケて。此子の顔見によそながら人形やつたり愛したり。夫レ故かわしを見
りや。おば様が通らしやるとなじむ程猶かはゆふなり。コレ此着て居やるつぎ/\も。私が此春
振袖をとめた時の切れはしで。縫て着せたる此小袖。殿御は傍に置キながら祝言もせす。
年たけてとめがひもなき此袖。涙をつゝむばつかり。女房の着ル物さへ見しらぬ様なお前を
ば。是程迄にいとしいかとつもり/\し恨をば。一チ度にわつとせき上る心そ。思ひやられけり。始終を聞
て半七は。指うつむいて居たりしがやう/\顔を上。ヲ丶尤じやこらへてたも。そなたを嫌ふと
いふではなけれど。五年ン以来なじんだ三勝。世の浮名にも立テられて娘迄有ルやつを。人手に遣
ては男が立ぬとゑしれもない義理立テて。そなたと言親達チに苦労をかけ。迷ひ迷ふた
三勝め。人らしいうあつでも有ル事か。土根性がくさつて。善右衛門が所へうせおつた。お通を付ケやつては。
猶一分ン立ぬ故。それで連レてきたわいのと。いふもそなたへ面目なく。一ツ寸遁れに隠したも。隔る
心はみぢんもないと聞て驚き。ヱ丶そんなら三勝は縁切ツて。善右衛門が所へいてか。ヱ丶人でなし畜生
面。嬉しがりそなわしでさへ腹が立てならぬ物。お前の心が思はるゝふ心中者義理しらず。此子は
かはゆふなかつたかと夫トの心思ひやり。倶に恨のくどき言上に上こす誠なり。いやまだ其上に。何や
らかやら間違ひの有たけ。此あげくは千日で。首斗の正月かなするであろと。人を殺した身の
上を。とはず語りの詞の端。それとしらねど気にかけて。ヱ丶めつそうな半七様ン先キ折リをす
る様な。仮初にもいまはしいと。詞の内に奥よりも。ドレ/\夫婦がいつ迄も。かみのかたいやうに
祝はふと。のし/\出る母親は。昔小袖のいつてうらうちかけ着ながし神棚の三方携へ傍に置キ
何と半七。しんみの女房程誠な者は有まいがな。三勝と縁切ツたら。お園と祝言いやとはいはれ
まい。コレ此三ン方は。そなた達チの氏神様へ。お園が病気も平癒し。そなたの心も直つてめで
たく祝言する様にと。夫婦が祈つた御利生で。けふといふけふむつまじい夫婦合の挨拶此一対の
神酒徳利はながゑとくはゑの銚子の心。此折リ形は蝶花形。洗米のかはらけは取リも直さず
祝言の盃キ。此母は酌人やら仲人やら取結ぶ日が大赦日。暦見るにも及ぬサア嫁御呑ンで
さしや。おれも嫁入した時はモウとつとむかし。盃キの仕様も忘れた。せめてまねび斗リ也と二タ親
か心休め。お園の胸も落着ク為耆婆扁鵲の薬より。此盃キの一滴は嫁御の為には寿
命の薬。養老の滝菊の酒にも勝らんと嫁にすゝむるかはらけの。土に成ツても此御恩忘れ
はせじと戴いてさすも今さら。恥紅葉。染てかいなきゑにしとは。思へど母の気休めと。取上る手も
半七が。涙にふるふかはらけの酒。よりさきにひたすらん。ヲ丶めでたい/\。親父殿も嘸悦び。是から
お通はそなたの娘。親子の盃さそふと思や。かはゐや寝入てたはいがない。嘸便なふ思はふと。せな撫
さすり撫おろし。ハテめんようなとつぎ/\の。小袖の縫目ときほどき。中より出る一ツ通の上がき
は。半七様三勝より。見るより半七取リ上て。又まいすめがたは言かと。思ひながらも封押シ切ひら
き見れば書キ置キの事。是はと三人驚く中チ。母は気をせきトレ/\ちやつとゝ。倶に立寄リよみ下せば
何々妻をしたふ秋の鹿。子を思ふ夜ルの鶴我身一つにせまり候へ共。浮世の義理にからまれ
て。添に添れぬ品と成思ひ設ぬ憂別れ。馴初し始よりつゐに一度も御機嫌もそこ
なひ申さず。死る今端に詮方なく。御腹立テさせまし別れしが。是のみ悲しさ限りなく候。只ふ
便なるは娘お通。くれ/”\宜しう頼上参らせ候。よし/\我身はかいなき御縁ンお園様と御ン中よう。
かへす/”\も親御様へ御孝行のみ頼上参らせ候。御なつかしさの較々は。海を硯とくみなす共つきぬ
名残のもしほ草。涙にかきくれわかちなく。惜き筆。とめ参らせ候。サテハ。善右衛門所へ行気で
はなかつたか。ハアはつと斗に気も乱れとやせんかくやと当惑に。お園も倶に憂歎き。いとし
やそふいふ心かと。三人顔を見合せてさらに。わかちはなかりけり。母は涙の顔を上。譬どのやうな
事が有ツても。一生いふまいと思ふたれ共いはねばならぬ今のしぎ。三勝にふ心ン中させたは此母が拵へ
事。何角の様子を打明ケて。義理詰にしてのかしたが。死る覚悟で有ツたかい。さ程悲しい退去も。義
理にはかたれぬ物かいのとわつと斗に泣くどけば。初メて聞たる半七も。そふいふ事とは露しらず恨
だ我身が恥しいよしない犬の畜生のとかはいそふにいふまい物。コリヤまあどふした因果ぞと。
立たり居たり狂気のごとく悔歎ぞ哀なり。お園も涙押シぬぐひ。コレ申半七様。三勝
殿を殺しては此園がどふも立タぬ。お通に迷ひお前にひかされまだうろ付イてゐさしやるも
知レまい。早ふ尋てとめてたべわしや気がせけると気をもめば。母も倶々ヲ丶それ/\。もしもの
事が有ツたらば此母は人殺し。そふしやといふてどこを当テにハテ長町の裏通リ木津難ン波の外
へは行まい跡の間ではせんがない。サア/\早ふと引立て気ならねばうてうてん。そんならちよつと
いてきませう。必お通を頼ますぞへハテそれいふに及ぶ事か。三勝殿の事故にお前の心に遠
慮が有。たとへどふいふ義理づくも命にかゆる事有ふか。そんならいきます母者人。お園さら
ばと言捨て逸散に走リ行。コレ申早ふ戻つて下さんせへきつさう聞して半七とかげ見ゆる
迄のび上り/\。どふやらめつたにやりとむないと血筋の虫にこたへてや。後チの哀を白露の末は。
涙の種ならん折から表テへ。捕手の役人捕ツた/\と込入レば。母もお園も何故と思ひ寄ラねば
驚くにぞ。親半兵衛は走リ出。此家には左様な覚なし外を御詮議下されと。いはせも果ずヤア
あらがふまいぬかすまい。宇治屋の手代長九郎を殺したるそちが忰半七。此家におる事よくしつ
たり。遁れぬ所是へ出せと。聞て二親嫁諸共ハツト思へど合点行ず。其又長九郎を殺したと
は何を証拠に。ヤアこいつ慮外なる証拠のせんぎ。長九郎が息有ル内相手は茜屋半七肩
先キにかすり疵。それを証拠と有からは。遁れぬ所と聞クより三人ハアハツト。胸もだく/\気も
うろたへどぎ/\するを突のけ押シ退。サア半七めを家さがしと奥へ入んとする所へ。すつくり出くる
以前ンの盗人。長九郎を殺したは半七ではない此勝二郎。証拠は則コレ見られよ肩先キのかす
り疵。サア縄かけて引れよといふに半兵衛。ヤアあの。そちはさつきに来たア丶これ/\さつきには
いつたおりや盗人。必何ンにもいふまいぞと。覚悟の体は最前ンの恩がへしとぞ悟れ共。それ共いわ
れず三人が顔を。見合す斗也。捕手の役人とつくと見定め。扨は儕レは先キ達ツて。夜番彦六
を殺したる勝二郎といふやつな。悪事の次第露顕の上早とくよりのお尋者。長九郎を殺せし
と自身の白状神妙/\。それ縄かけといふ間もなく捕ツたとしめる三寸ン縄。ア丶コレまあ
待ツてと半兵衛がよらんとするをコレ/\爰な人。聞イての通り先キ達ツて。夜番彦六を殺したる
お尋者の勝次郎。一人切ツても。千人切ても解死人にとらるゝは命一トつ。長九郎殺したはいにがけの
駄賃。何ンにもいふて下さんなと。覚悟はすれど心根のうきは涙に顕はせり。そふいふこなたに何ン
にもくど/\とは言ませぬ。コレ此半兵衛が手を合して拝ます。何ンぞ。言置ク事でもござらぬか。
ふしぎの縁でふしぎの別れ。おりや。悲しうて成リませぬと我子のかはりに立ツ恩を顔で礼いふ。ば
かり也。ヤアむやくの諄隙どると引立れば勝二郎。暫く御待チ下されと顔を上ケてコレ申シ半兵衛
様。此。私が懐に入レて有ル物取リ出して。彼人が戻つてなら。かんまへて見せて下さりませ。ヲ丶見せま
せうと手をさし入。懐中より取リ出すは思ひがけなき迷子札。書キ付ケ見れば。長町三丁目。みのや
平左衛門内勝次郎。ヤア扨は小勝や三勝が兄貴か。思ひがけなき縁のはしと母もお園も
驚けば。面目もなき此形リとはら/\落る涙の下。ちいさい時から悪ク業でかうじ隠れの悪ル性
根。迷子札を付ケながら勘当しられた勝二郎。ついに縄目の親の罰。勘当なれば。妹に縁
はなけれど。三勝が。ゆかりかゝりの此縄目。せめて迷途の二タ親に。妹が為に成リましたと。いふ
て昔の勘当が赦されたいと涙ぐみ。明ケてはいはねど三勝によしみ重ねし半七が。かはりに立し
真実の。血筋にかゝる憂縄目心の内のせつなさを。ふ便/\と半兵衛も。母もお園も
一時に。わつと涙の露おろし。袖や袂に肌さむき。早引立る捕リ手の者よその哀をしら波の。
罪もむくひも身一トつに引や真弓の弦切レて。見送クる思ひ。行思ひ。残る涙の乱れ原結ぶ夢か
や現かと。見上ケ見おろす有為無常さだめ。なき世のならひかや
(七巻目へ続く)
*1:『天網島時雨炬燵』は、もっとも早くこの外題が見えるのが寛政3年(1791)だが、この外題でいま『天網島時雨炬燵』と呼ばれている内容を上演していたかは不明。