TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』四巻目 堀江宇治屋市蔵住居の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字四巻目。
放蕩が過ぎた宇治屋の若旦那・市蔵は、隠居した父親・教貞によって蔵へ閉じ込められてしまう。市蔵を心配する手代・半七は毎日蔵の外からに話しかけていたが、市蔵は半七がいないと泣いてしまうまでに。そんな宇治屋へ、小勝・三勝姉妹がこっそり忍んでくる。……って、文楽に出てくる娘さんはもれなく恐ろしくカシマシイので、予想通りの大騒ぎになります。

 

 

いままでの翻刻

 

 

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四巻目

世の中は。一トつかなへば又二つ。三津のうらはに隠れなき堀江の浜に一ト構。表付キさへ

かうばしき其名も宇治屋市蔵は。ほたへ過たる身の奢。親教貞の耳に入こらしめ

の為押シ込て。日のめも見へぬ蔵住居。見る目笑止と半七が。廿日斗の逗留に内と

外トとの咄伽。案じに心草臥て。昼寝の夢を結び居る。儘ならぬ身も儘なるも。人

目のせきがふたと成リ。逢れぬ首尾に逢たいは。色と情の一ト病。小勝はぬしの内の品聞クつら

さより日をかさね。顔見ぬ胸の晴やらではでな所体を町風に。作るとすれど取リ形を。よ

 

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そめ包の頰かぶり風にも。心おく庭の露路の戸口にしよんぼりと。佇跡よりヲ丶イ/\。小声

に呼ンで忍び足。顔を隠せし古今綿。かざす袂のあどなさに。かはゆらしさそまさりけり。ほんに

姉さん嗜んせ。何ぼ心がせくにもせよ。しらぬ所へめつたむしやうに咎られたらどふさんすと。いへば

小勝は吹出し。市蔵様ンに逢たい。連レていてたもらんかと。頼んだわしより頼まれたそなたが。半七

様ンに逢たかろが。利口そふにやられるは。そりやおまへ知レた事。跡月から夕■迄。独ばつかりねた

物と。指合くらず兄弟が。色を取リ持ツ粋な同士。それはそふと折角きても。ぬしのござる所が知レ

ぬ。誰レぞ馴染の男衆が。内になら頼たいとしほり戸覗て。ア誰レやらねて居る人が有ル。ドレ/\

 

と指覗き。ア丶待んせや。着物に見しりが有ル。あれは慥に半七様ン。おこさふにも戸はしめて有ル

爰からは呼れまいし思案はないかとあせる内。小石ひらふて三勝は。障子目当にばら/\/\。目を

さまして大あくび。子供めからがほでてんがうあつたら夢をさまさしたと。つぶやき/\起上るを。爰じや/\

とこて招き。半七見るより興さめ顔。是は何ンじや兄弟づれ。爰へはどふして来りしと。露路の鐉

はづす間も。待チ兼て走リ入。コレ市蔵様ンに逢にきた。早ふ逢してくだんせとと。取リ付クよりも涙声。ヲ丶

道理/\。ふかい馴染の市蔵様。廿日余り逢はずじや物。顔の見たいは尤じやが。見付ケた物はなかつたか。

ひとりさへめに立ツ風。ふたりながらひつそろへて向ふ見ずなわろ達。マアそなたは何しにおじやつた。めつ

 

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ほふな嗜みやと。呵れば寄ツて胸ぐら取リ。コレかさから出てしからんすな。内かたのもめが有レは市蔵

様は見へぬ筈。それに又お前迄。なぜ長町へござんせぬ。子持チに成ツてもふいやか。わしにばつかり気を

もまし。落付キ顔が憎い故。姉様ンと連立ツて。お前をこんやは連レにきた。そふ心得て居さんせと。子のある

中は遠慮なく。ほんの女夫のごとく也。ア丶いかに女子じやとて。よう物を合点しや。生れてから今日

迄。堅い物には筆の軸。ほんにやれ/\。あらい風にも当テぬ様に。そだてられた若旦那。此蔵へ押シ込

て鍵は隠居の腰に付ケ。朝夕の食事さへ窓からの出し入。寒うても着の儘に。夜ルは薄い木綿

蒲団たつた一枚。おいとしいやら悲しいやら。ア心からとは言ながらあんまりなと思ふ故。親旦那に訴訟す

 

れど。おれ次第にして捨ておけと。呵られてしやうことなし。せめてものうさはらしと蔵の窓と縁先キ

から。夜もすがらの浮世咄し。それ故今ては半七が。片時も傍に居ぬと。力ないやら泣てばつかり。

是が外へ出られる物かと。語る内にも。小勝は涙。親は子を憐むが浮世のならひじやないかいな。

いかにこらしめなれば迚あんまりむごいなされかた。よもや夫レではお命もたまるまい。どふぞ思案をし

て下さんせ半七様ンと取付ケば。とかうの詞三勝も涙に袖をあらひけり。折から勝手に人音はなむさん

宝親旦那。見付ケられては叶はぬとうろたゆれば。ふたりも倶にうろ/\と。三勝は奥の庭。小勝は直ク

に縁の下。別れてこそは隠れ居る。程なく隠居教貞は始抹にかたまる堅親仁。常精進

 

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も算用づく。夜昼わかぬたのしみは。念珠の数と紙屑の世話に浮世を遁れしが。遁レがたきは

恩愛に気強くいへどおもやつれ。おも手代の長九郎と御堂参りの道よりも。今市の善右衛門

打列て立帰り。半七けふも奇特の留主番。したがのらめをあまやかし。馳走などはせなんだかと。

問れて半七。イヤ昼食をまいつてから。御寝なつたやら音トも致さず。淋しさにとろ/\と致しました。

したがけふは早いお下向。いかなる事やと尋れば。コリヤ半七息子の泥房にかゝつて。一チ門ン中へ世話をか

け。後生所で有ルまいと。引ずつて戻つた物。早ふなうて何ンとせう。此善右衛門は用人ン。こゝらの様な楽人

とは違ふはやい。ノウ長九郎そふでないか。おつしやればそんな物。何ンのよとくもない事に。御一ツ家衆廻り

 

番。毎日/\いかひ御苦労。サテあの蔵の封印は。何故とうらどへば。ハテ家の名前の市蔵を。押シ込

て置クからは。たとへ親でも金銀を。自由にしやう様はない。ヲ夫レでマア当分ンは。世間ンの取リ引は元トより。

豆板一つの出し入もせまい為。相談して金蔵に。付ケて貰ふた一門ンの封印ン。改メにくる隙ついへと。機

嫌の悪ルいも理り。けふは何ンぞ御馳走申そふ。コリヤ半七。ひしこと芋の焚たので善右殿に御酒一トつ。

進ぜる用意言つきやれ。サア世話ながらこなたへと。行んとせしが立どまり。ソレくはつと奢て花鰹。忘

れまいぞと先キに立。三人打列入にけり。半七跡を見送クりて。サアしてやつた此間に。早ふ/\と手を取レば。

こはさ寒さに身もふるひ。もふよがありかへと立出る。折もこそ有レ長九郎が。小戻りして見る共しらず。

 

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小勝が塵を打はらひ。最前もいふごとく鍵は隠居の腰に有レば。お側也はどふも叶はぬ。窓から

ちよつと逢斗。それでよいかといふ後に。半七夫レはわるからふと。声かけられて恟りし。小勝をちやつと押シ

かこへば。仕やんなとふから見て置イたと。いふにふたりも手持なく。もぢ/\してぞ居たりけり。是は又いつに

ない半七のうぢ付キやう。長九郎と女郎の一トつ買もする男。ぶ粋な事もせぬわいの。深いなしみ

の若旦那。逢たさに見へたであろ。迚も世話をやく気なら。かはいそふに窓からとはいはず共。合鍵して

なと戸前を明ケ。長九郎が逢してやろ。ヤアすりや貴様が飲込で。ハテ長九郎は男じや。ならぬこと

はならぬといふ。成ルといふたら金輪際。詞違へる者じやない。爰はおれに任せ置キ。教貞様が呼ンでご

 

ざる。そなたは早ふ奥行きや。ヱ丶夫レは忝い。あなた方より半七が。骨身にこたへて忘れはせぬ。コレ小勝

様教貞様の呼しやるのに。いかずにゐては首尾が悪ルい。わしは奥へ行程に。てきを頼んでゆるりつと。

逢たら直クにいぬるやう。ナ合点か。いぬる様にと飲込せ。一ト間の内へ入にけり。小勝は嬉しさ飛立ツ斗リ。忝い

長九郎様ン。かふした所を世話やいて下さんすのがほんの情。どふもお礼の詞がないと。いふ顔つく/“\打守り。

イヤ礼には及ぬ。去年ン十月十五日。ぽんと町の借座敷で。いふた事覚てか。ヱ丶其時はむごい返事

それからてうど百日余り。夜に増日に増惚てはゐれど。じつとこたへてしんぼうするは。こんな時節を

待ツたのじや。コレ/\/\長九郎様ン。そりやさもしいム丶聞へた。そふいわんすりや市蔵様ンに。逢してやらふと

 

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いはんしたも。ヲ丶嘘も嘘まつかいな赤嘘。何ンと相談する気はないか。夫レ共にいやなれば。半七が此

内へ。昼中カに女郎を連レて参りましたと。我等が注進。夫レいふたら市蔵殿は。ア丶よいざまで有ふがなア。

但見物なされるか。どふじや/\とせり立テられ。あれ程きつい御異見に又悪様にいかれなば。いか成ルうき

めに逢給はん。是は又よしない所へきた事では有ルぞいなと。心一トつにおさめ兼。暫し詞もないじやくり。ム丶返事

のないはいやさふな。さらば注進申そふと。立て行を引とゝめ。ヲ丶せはしない。どふせうやら今思案の最中と。

和らぐ詞に。コレ/\/\もふ物いふまい相場がしれた。きつう高下のない先キに。手付ケ渡そと抱付クを。突

のけてヲ丶上ミずり。どふせうも知レぬ内に。それならば注進せうか。手付ケ渡そか返がへかと。のつ引キならぬ

 

此場のしぎ。胸にやき金さすごとく。きうびへ登るかんしやくを。おさへ兼しが。コレ長九郎様ン。ハテ夫レ程に

思ふてなら。どふなとじやわいな。したが爰を聞て下さんせ。お前も知ツてゐさんす通リ。突出しの初メから。

深い御恩に預つた市蔵様。たつた一トこと是切で。思ひ切て下さんせ。おまへの為にならぬ故。わたしは

思ひ切ましたと。訳立た其跡で。直クにおまへと抱れて寝よ。夫レ迄のしんぼうを迚もの事にお情

と。誠しやかになたむれば。さすが鬼神に横道なし是ばつかりはうなづいて。夫レてはこちもさつぱりと。心が

晴て忝い。たつた今市蔵に逢せ。直クにのかすが合点か。ハテ疑の深いお方。何ンのうそをつかふぞと

口にはいへど心には。今一チ度お顔を見るならば。それが此世の暇乞。死るが高と究たる。心ぞ思ひやら

 

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れたり。折もこそあれ。悪者の勝次郎門口より。長九郎様。/\と大声にて入来れば。是はと驚く

其内に。首尾を見合せ物かげへ。小勝は隠れ入にけり。長九郎は覚有疵持ツ足の気味悪く。

逃んとするをア丶これ/\。こなさんの名はいふたれど。用事の有のは市蔵殿。贋金仕に逢にきた。逢せ

て貰をとわめく声。半七も三勝も何事やらんと立出て。身をひそめてそ聞ゐたる。わりや

仕業師の勝次郎じやないか。大それた事いふが。こちの旦那市蔵殿が。贋金をしられた。何ぞ

証拠が有か。コレお手代。ない事をいふ物か。いつぞや京の先斗町て。大納言様の冠装束。ノソレ。

ヱ丶悪ルい呑込。貴様も覚へて居られる筈。其時奥で市蔵から。直キにおれが受ケ取た。八十両

 

いふ金。上包にしつかりと。名判が有レは先キ様にも。慥な出所の小判じやと此比迄打込。此間封を切

て見たれば皆贋金。こんなこはい事して置イて。鼻はさんで済か。サア市蔵を爰へ出しや。金

をかへて貰はにやならぬ。夫レ共いやなら思案が有ルと。腰をすへたるねだり者持テあましてそ見へにける。

事がなふへの長九郎。よい事にして打うなづき。ハテ夫レは一大事。ワリヤ旦那にあはざ済ムまいと。蔵へしら

せの窓の戸を。たゝけば内より押開き。顔の色さへ青さめて日かけに咲し朝顔の露にしほれしごとくに

て。涙ながら指覗き。誰レじや。おこしたは誰レじやいやい。イヤ誰でもない勝次郎じや。ヱ丶有リさまは。身

体に似合ぬ。よふ贋金を遣やるなふ。隠れて居すと爰へ出や。顔ふみにじつて礼いふと。わめく

 

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をじろ/\打守る。其元トはさいつ頃。京都先斗町において。桜川大納言殿よりの使イ。今川大学殿

といふ。雑掌にてはあらざるかといふを打けし。ヤアそりや何の事じや。今川の大学のと。爰の内で

はやる書物の事。こちらは夢にも見た事はない。脇道へすべらすな。コリヤ大盗人めとわめきごゑ。

聞キ兼て半七がずつと寄ツてコレ若カい人。ハテよい所へよふこそ/\。ヱ其装束の事に付イて。こつちにも詮

義が有ルと。いへ共さらに驚ず。そちの詮義は扨おいて。こちのせんぎは。市蔵に頼れて。冠装

束買てやつた代金に。贋金をつかんだ故かへにきたと。いふに市蔵ふしぎはれず。其装束は。某を取

かへ子の印シとして。桜川大納言殿より下されたではなかりしか。ハテどめつそうな事いふわろ。八十両で誂

 

買てやつた証拠を見せうと一ツ通を取出し。爰でよむ聞はれや。一札の事。一ツ其方殿を頼ミ。大納

言家の冠装束。代金八十両にて我等買もとめ候所実正也。跡はよむに及ぬ。あてなは此勝

二郎。買主宇治屋市蔵判。ナント覚が有ふがの。此上に酢のこんにやくのと。埒が明ぬと是からすぐ。

此一ツ通に小判を添。代官所へ一ト走リ。返ン事次第じやサア/\と。いやおふいはせぬせつぱのなんぎ。訳を知ツたる

長九郎が空うそふくぞ恐ろしし。市蔵ハツト驚きて。扨は其時装束を。頂戴せしとの墨付キに。

我印ン判を居させしは。アノ証文で有しよな。スリヤ。大納言の種といふは偽り事か。ハア。ア丶勿体なや

教貞様を。誠の親でないと心得。言こそせね心では。町人に養はれし。此身のふ運と明ケくれに。ふ足

 

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で暮せし冥加しらず。御赦されてと斗リにて。夢のさめたる心地にて涙に。むせぶぞ道理なる。半七は

始終を聞キ。扨は大勢一トつに成リ。若旦那を衒しな。代官所へ引ずり出し。一チ々に詮義せうか。イヤ/\夫レでは市

蔵殿。ばつと沙汰する奢の段。一ト先ツ此場は納めんと胸押シなでゝ傍に寄リ。段々聞ケば御尤。贋金子

十両。只今替て進ぜたいが。見らるゝ通り市蔵様も。あのごとくに押シ込られて難義の中カ。暫く

の内用捨して下され。コレ此形が目にかゝらぬか。八十両といふ金を。手に持て居る身体なら。こんな

世話はせぬわいの。装束屋への立テ金。おれが待ツてもあつちに待ぬ。代官所でかへて貰をと立上る。今

暫しと留てととまらぬ悪ル者は。足元見ての高ゆすり。隠れて聞居る善右衛門。ずつと出て懐

 

より。金八十両投ケ出し。コレ半七。難義の体じや借てやる。埒明ケていなしてしまや。ヱイそれは忝や。然ら

ば暫し借用と。金取リ上るをコレ半七。お手前も知ル通り。大和中に隠れもない。金借の善右衛門。もしも

の事が有ツた時。こつちから望んで借金。あてがなうて言出そか。コレちよつと証文さしやらぬか。ア丶それは

よい御念。サア市蔵様。預リ手形と硯料紙を取リ出せば。コレ半七。てきが手形は望にない。借リ主はみのや

の三勝。請判は茜屋半七。それでなければ借サれぬと。思ひも寄ぬ手形の望。ハット思へど手詰の難

義。夫レはお安い事ながら。此所に三勝がとうぢ付クを長九郎がイヤこれ半七。三勝はきてそふな。マア呼

出しあたつて見や。ヲ丶それ/\。天に口。壁に耳を揃て出した八十両と。いふにぜひなく。三勝はおめず

 

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臆せず立出て。私が手形で済事なら。何枚なりと致しませうと。硯料紙を引寄スれば。善右衛門

ゑつぼに入ハア出来た。半七の主なれば切て出ねばならぬ所。扨と手形の文言ンは。八十両を銀に直し。

四貫八百目也。ソレ/\。ホウきつい手も見事じやは。時にと。右之銀子慥に預リ申候。来ル霜月

晦日に相済マして申候。万ン一チ日チ限に相済ミ申さず候はゞ。我等其元ト様の女房に成リ申べく候。と

いふに三勝ぎよつとして。コリヤまあ何ンの事じやいな。其様な証文を書事は。いやでござんす。アタめつ

そふなと筆も紙も投ケ付クれば。ム丶いやか。いやなら金といやでござんす。ドレこつちへ戻して貰はふ

と。取上るを半七がちやつとおさへて待ツた/\。いかにも。証文書せましよと。三勝が傍に寄リ。コレ其

 

手形を書イてたも。それでも済ねば女房に。ハテそれ迄には金を済す。でもマアよう思ふて見て

下さんせ。お前の為なら今爰で。火に入ル迚もいとはねど。現在夫トの見る前で。サアそなたの其。せつ

ない心根を。知ていふ半七じや。サアこれお主の為。夫トの為。頼ム/\と持添る。筆の命毛きへなばきへよ。

銀が敵のうき身ぞと。すゝめるおれが胸の内。思ひやつてたもいのと頼ム心を市蔵も。隠れし小勝

もそつと出。つらきは同じ夫マ思ひ。我故かゝる御難義と。声も得立ず忍び泣。末は思ひとかきく

もる。おぼろ月日の其下に。我名と宛名。書キ認め。半七も名判をすへ。是でよいか御らうじませ。

ドレ/\。ヲ丶よし/\。印ン判は筆の軸でも。手形の書人が三勝慥ゝ。扨我等はお暇申。長九郎。其内

 

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逢ふ。モウお帰りなさるか。ア丶善右衛門様きつい仕合。歩のよい金を慥な借物。ちつと飲に参ふかい。

ヲ丶いつなりと振舞/\。勝手におしやと証文を押シ戴て立帰る。サア金の工面がよくば。早ふかへて

貰ひたい。お手代殿どふでごんすと。せり立るに半七は口惜ながら金取上。此贋金の出所も。装束の

作者も。詮義すれば忽に。しれるとは知ツたれど。了簡して今は帰す。重て此家へふん込ムと。たゝきの

めすぞ早帰れと。金打付クれば取リ上ケて。是さへ取レば言分ンなし。詮義があらば勝ツ手になされ。お暇申スと

悪ル者は。長九郎とうな付キ合イ足早にこそ立帰る。半七件の贋金を人に見せじとおさめ置キ。コレ三勝。

モウ爰に用はない。小勝殿を連レてきて。市蔵様にちよつと逢せ。くれぬ内に早ふいにや。アイそん

 

なら姉様ン呼出して。逢せましたらいにやんしよと。身つくろひして居る所に。三勝に用が有ル。いなせ

てくれなと立出るは。思ひも寄ぬ教貞老。書物箱を小脇に抅。十徳着ながら座敷を

杖。つく/“\見廻す顔色に市蔵も気味悪ルく。窓をしめれば三勝半七。隠れ所も中庭の。

穴にも入たき風情なり。教貞どつかと座に直り。舞子の三勝とはお手前か。ハテめづらしい能

女房。此親仁は此年シ迄。終に茶屋揚屋の座敷。上つた事もおじやらぬ。元トより舞子も。

媚人も一座した事がない。一生の思ひ出。願ふてもなきついて。盃なりとしてみたい。ヤイ/\銚子

盃持ツてこいと案の外なる機嫌の体。心済ねど半七が気転きかして酒肴。取合せてぞ

 

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持出る。ドレ近カ付キに成ル為。呑でさそふ。半七酌といつにない一トつ受ケてついとほし。年寄リの盃キ。気

にいらずお一トつ参れと。三勝が前に置キ肴鉢引寄スれば。コレハ/\冥加ない思い設ぬお盃キ。下さ

れませうと取リ上る。それは過分なさらば祝ふて生ぐさ物。ハア久しぶりでひしこに対面。かげん見て

からはさまふと。手に受ケれは長九郎。ア丶申御隠居様。常精進なさるゝ身で。鰯をなぜにあがり

ますといふをも聞ず口にいれ。常精進を取リ置イて。此教貞は還俗する。証拠を見るかと十

徳を引退れば。郡内の裾も見じかき昔羽織。あたまはかますの投頭巾興はさめ。てこそ見へ

にけれ。教貞膝を立テ直し。年寄つて此姿。気違ひか共思はふが。めつたにとぼける親仁じや


ない。家の主ジ市蔵は。此かいに又と有ルまい大たわけ。押込ンで置イたれば。けふからおれが宇治屋の市蔵。

身体を取リ戻し。家の仕置キはおれがすると。心詞も達者作り朝寝嫌ひと見へにけり。長九郎

は今迄の我儘が成ルまじと。気の毒ながら手をつかへ。是は尤至極な御思案。そふなされすば成リま

すまい。しかし。其義を私共へ仰られるに。其は箱は何故御持参なされました。ヲ丶おれもけふから寺

入して。そちに学文ン習為。サアお師匠と書物箱引寄セて。行義つくるぞおかしけれ。コレハ又かはつ

たお望ミ。成ル程御師範申シませうが。何をお習なされます。ヲ丶夫レにはおれが望有ル。家の旦那をそゝ

なかし。あほうにする学文を。教てくれい長九郎と。ぐつと言出す一ト■に。恟したる二人より。長九郎が

 

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胸板に。釘打たるゝよりこたゆれど。じつとおさめてハア丶丶丶。いつにない御酒をあがり。御酔狂を遊ばすか

と。いひも果ぬに教貞は。立上つてたぶさをつかみ。ぐつと引よせじだんだふみ。ヱ丶扨々につくい儕レはなア。

何ンじや。おれを酒の酔にしおるのか。是迄は隠居役。今市蔵に成ルからは。隅々迄構はにやならぬ。

かういへば躮めが。ひいきする様なれど。まんざらあれ程のあほうでもなかつた。儕レが見せの頭をして。物

事自由にする段から。色々のたわけを教へ。マア有ふ事か有ルまい事か。氏系図もなき町人が。お

公家様の落し子じやと。冥加なや勿体なや。百万ン宝の宝ラをも子にはかへぬ世のならひ。金は躮

が砂とする。躮はうぬがあほうにする。アレ見よふ便ンや市蔵めが。心からとは言ながら。日のめを拝ぬ

 

夜国の住居。天の網のかゝらぬ内。捕てしめたは親の慈悲。じひと思へど寝覚にも。屋の内

でひへはせぬか。若気の短気が出よふかと。思へば願ふた後生も涙であへて仕廻たはやい。憎い

やつと突放し。いかりつ泣つ腹立涙せぐり。上たるむせび泣御心共お道理共。詞はなくて半七が。背

撫さするも涙なり。元来根づよふ仕込ミし悪ル者みぢんもひるまず。そりや御隠居様御むた

いじや。善にもせよ悪にもせよ。主の御意はそむかれませぬ。こなたの子のあほうはしからず。おれ一人リを

悪ル者になさるゝは。わるい/\ずんど悪ルい。ム丶すりや。善悪に限らず。主の言付ケ背ぬな。サアそこが

君ン臣和するの道理。気に入ルが道じや物。何ンの詞を背ませう。ム丶面白い/\。主の詞を背かすば。

 

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太義ながら半七。此杖で長九郎が。どう腰のぬける程。ぶつて/\ぶちのめせ。長九郎たゝかれい。

市蔵といふ主人の言付ケ。サアいやおふは有ルまいといふに恟りイヤ夫レは。主の詞を背くのか。ソレ半七と

杖投ケやり。早ふ/\とせり立れば。願ふてもないお主の御用と。杖追ツ取て振リ上れば。わりや見事お

れをぶつか。イ丶ヤおれはぶたね共。旦那の言付ケ。せう事ないといふ内に投ケてくれんと取付クを引ぱづし

てもんどりうたせ。起上る胴骨を。おれよさけよと遠慮なくたゝみかけて打のめせば。三勝は小気

味よくもちつとたゝいて/\と。そばであせるも道理なれ。長九郎顔をしかめてアイタ/\。旦那さま。

おつしやつた通たゝかれました。ヲ丶てかした/\。ついでに暇をやる程に。すぐに出てうせおらふ。ヱ丶。但シいや

 

なら召シ遣ひ。又半七に言つきよか。ア丶いやゝの/\。命在ツての奉公じや。コリヤ半七。覚ておれと

にらみ付ケ。へらず口して出て行。かゝる所へ町の役人あはたゝ敷クかけ来り。代官所より市蔵様を。明

日早々連レてこいと町中へのお使。おしらせ申スと言捨てとつかはとして立帰る。教貞ハツト胸ふさ

がり。扨は天命まぬかれず。奢の沙汰が聞へしかと。がつくりと成ル有様に。二人リも[革可]*1て顔見合倶に。

胸をぞいためける。思案を極め半七が小声に成ツて申御隠居様。若旦那を代官所へ出しまし

ては覚束ない。今宵の内いづかたへもお供致しませう。イ丶ヤさふは成リにくい。三勝の志。物かげで聞たが。

戻したい物も有レど。市蔵めを正さぬ内。長九郎めに金銀を。自由にさせまい為ばつかり。

 

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一チ門中と相談して。金蔵ラに封を付ケさせ。いかに自分ンの金じや迚。気儘に封も切ラれず。三勝へ

の礼も得いはず。是程迄義理ばつて。一生偽りいはぬ教貞。親が子をぬけさせて知ラぬとはいはれぬ。

どふであいつは。此宇治屋の家に疵をかな付ケおらふ。ハテ何ンとせう。憂目を見るは躮も覚悟。あす

うせたら十ヲが九つまんそくでは戻るまい。聞ケばあいつが相かたに。小勝とやらいふ女郎が有ルげな。此箱を

筐にながめよと。渡してたもれ頼んだぞ。ア丶五六年生キ過キた。くるしうおじやると言捨てなく/\奥へ入に

けり。小勝は夢かと転び出。現在憂目に逢イ給ふをしつて居ながら恐ろしい。代官所へやります

とは。ほんに気づよい親御様。それにマア何ンじややら。死ンだお方か何ンぞのやうに。筐とはいまいましいと。

 

書物箱を投ケ付クれば。ふたもはなれてばら/\と。砕ける中に鍵一トつ。半七目早くヤア是は蔵の

鍵。ヱ丶有がたしといたゞけば。二人リも案に相違して伏拝/\。戸前の錠を引明ケて。早ふお出と市蔵が。

手を引出んとする所へ。長九郎取てかへし。市蔵が奢の様子。早代官所へ聞へし故。明日お呼ばさるゝをちく

でんせうとはのぶといやつら。そふはさせぬと取リ付クを。半七得たりと身をかはし。腕捻上ケてゑりがみつ

かみ。蔵の戸前へねぢ付ケてよは腰どうと踏とばし。又取リ付クをひつ掴蔵へ投ケ込ムさそくの早

わざ。外トよりひつしやり戸前に錠。サア/\此間に/\と四人打連レ逸散に跡をも。しらずして

 
(五巻目に続く)

*1:革+可で「あきれ」