TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『菅原伝授手習鑑』吉田社頭車曳の段、佐太村茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段 国立劇場小劇場

国立劇場の前提に植えられている「菅丞相お手植えの梅」*1にたくさん花がついていた。

一方、私の愛樹・鉢植えのレモンは最近やたら葉っぱが散りまくっている。にもかかわらず、信じられないほど巨大な実がなっていて、怖くて摘めない(去年のゴールデンウィークくらいからなってる)。

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第一部『菅原伝授手習鑑』吉田社頭車曳の段。
梅の咲き乱れる吉田神社藤原時平〈吉田勘市〉の参詣を聞きつけた梅王丸〈吉田文司〉と桜丸〈車曳=吉田簑紫郎〉が神社の前で待ち伏せしていると、時平の牛車が到着する。

 

車曳、文楽で見ると派手さが文楽のそれと合っていなくて、不思議な感じがする。歌舞伎の演出を取り入れているようだが、それが逆効果になっている気がした。「文楽と歌舞伎は本質的に違う」ということがハッキリわかる段だった。
そしてなにより、全体的にものすごいガチャガチャ……。みんな手探りなのか、人形はかなり混沌としていた。

車曳の松王丸は数年前に若手会で観たとき、あまりのガタガタぶりに「ヒエエエ」となった。そのときは若手だから仕方ないと思っていたのだが、今回、普段かしらにぐらつきのない玉輝さんがやっていても結構不安定だったので、車曳の松王丸自体が根本的に難しいということがよくわかった。佐太村に入るとそうでもなく、安定していたので、おそらく車曳の松王丸のかしらと衣装の特性によるものだろう。あのメチャクチャ凝りまくった編み込みの髪型、重そう。それに対して衣装がペナペナで、重量バランスが悪くて持っているのが大変なのかなと思った。あと、左の人がうまかった。

梅王丸の文司さんはかなり安定していた。こざっぱりとした雰囲気の梅王丸だった。崎陽軒シウマイ弁当に入ってる梅って感じ……。

杉王丸の玉翔さんはかなり良かった。役自体は出てくる意味ほとんどなしの雑色だけど、ピンと凛々しい雰囲気。スタンバイ姿勢もきちんと行儀のよい子だった。 

時平〈太夫=竹本津國太夫〉につられて笑ってしまうお客さんがいるのがよかった。妹背山でも入鹿につられて笑う人がいるが、気持ちはわかる。佐太村でも白太夫や八重の笑いにつられて笑ってしまっている人がいて、文楽のお客さんは素直……。と思った。津國さんの悪人役、独自の味があって良い。昭和の特撮感がある(?)。
勘市効果で時平は真面目そうだった。その通り、文楽世界では真面目じゃなきゃ悪事は働けない。サクっとしていて下郎に全然興味なしの気配があり、梅王丸や桜丸どころか松王丸・杉王丸すら全然視界に入っていなさそうでよかった。さすが貴族の生まれ。ピシッとしていた。それにしても、時平が姿をあらわすところ、牛車がパカーーーーーーーーンとなるのがおもしろすぎて、良い。どういう状況やねん。牛さんがいつのまにかいなくなるのも良い。そしてなにより、時平が徒歩で退場していくのがものすごく良い。牛車が壊れたから歩かざるを得ないのでしょうか。あれだけド派手に登場し、豪華な衣装を着た大型の人形のくせに、トコトコと地味に下手に去っていく姿は愛らしい。

 

 

 

佐太村茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段。

佐太村では、梅王・松王・桜丸〈佐太村=吉田簑助〉の父・白太夫〈吉田和生〉が菅丞相の愛樹、梅・松・桜の木を守って暮らしていた。きょうは白太夫の誕生日、その祝いに三兄弟の妻、千代〈豊松清十郎〉・春〈吉田一輔〉・八重〈桐竹勘十郎〉が訪ねてくるが、彼女らの夫たちはなかなか姿を見せない。

 

太夫役の和生さんが白太夫の人形に似すぎていてびっくりした。
和生さんの顔も白太夫の人形も今まで何度も見てきたはずなのに、ものすごく似ていることに気付いた。まゆげと目元がそっくり。あえて言えば白太夫のほうが若干目が怖い。和生さんって、普段は出遣いでも和生さんの顔は気にならないのに、「人形遣いさんが人形にそっくりすぎてそこに目がいく」「自分にソックリな人形に芝居をさせる大変特殊な伝統芸能状態」という忠臣蔵の文司さん=鷺坂伴内と同じ現象が発生していた。
太夫は何度か桜丸の運命を象徴する不吉な予兆に出くわすが、和生さんの白太夫はそれを見ても平静を保ったままの演技だった。八重が差し出す真新しい三方、折れた桜の木に視線は向けても大きなリアクションはしない。白太夫は桜丸の意思を最初から知っているので異様な驚きはありえないという理解だと思うが、わかりやすいリアクションをここまで拒否するのは渋い、和生さんらしいなと思った。白太夫は訴訟の段で松王丸を追い払うとき、ほうきで壁板をばんばん叩く。それもあまり極端でないのが、逆に印象に残った。
太夫は嫁たちが作ってくれたごはんをもしゃもしゃと美味しそうに食べているのがよかった。あと、訴訟の段で梅王丸と松王丸の差し出した訴状を読むとき、ひょこっと取り出したメガネをかけるが、メガネのレンズの感覚が白太夫の目の感覚と全然合ってないのも可愛くてよかった。新口村の孫右衛門の目隠しの素早さ的確さはもはやプロの域に到達しているが(プロがやってます)、白太夫は若干もぞもぞして慣れてなさそうなのが微笑ましい。

八重役の勘十郎さんは、大根のヘタ切りのヘタぶりが凝っていて、単に厚さがまばらなだけでなく、斜めに刃を入れて乱切り風に切っていた。勘十郎さんらしいやばい執着心を感じた。しかし文楽の大根切り、最後には必ず執拗に千切りしているけど、一体何を作っているのだろう。台詞からするとなます。みじん切りみたいに切ってるけど……と思ってクックパッドを見たら、八重より包丁の使い方がやばいと思われる方も写真を上げておられたので、あれくらいでいいのかもしれない……。
八重にしても、第二部野崎村のお光にしても、包丁で指を切ったあと袖の中をなにやらゴソゴソしているが、あれは袖の中にたまっているホコリを取り出して傷口につけているのだと聞いたことがある。いまでは不潔に感じるが、当時は血止めだったそうだ。いろんなものを隠してそうな感じに、すごいごそごそしてはった。

桜丸は簑助さん。会期はじめのほうに観たときは、正直、これは最後までもつのかと思った。かなり儚い印象で、切腹する前からもうだいぶ力なくなっていた。儚さがいままでとは違う次元で、私に危機感を抱かせた。しかし、千穐楽では力ない美青年に落ちていた。以前観たときと同様、はじめから最後までやや上向きで、ほかの人にあまり目を合わさないのが桜丸の今生から切り離された雰囲気を醸し出している。桜丸ははじめから死んでいて、桜丸が切腹するとき、八重が妙に間近でうずくまっているのが今までどういうことなのかわからなかったが、桜丸は取り付いてくる八重を膝で抑えて切腹したということだとわかった。
桜丸の左、変な感じに浄瑠璃とずれている気がした。最近、浄瑠璃の間合いからずれている人が気になるようになってきた。なぜそんなに気になるのだろう。逆に気にならない人というのはどうやっているのかを観察してみたら、ちょっと袖を振るとか、かがむにしても、浄瑠璃に乗せてやっていることに気づいた。音楽がすべてを支配している世界ならではの動作だと思った。ただ、ずれているように感じるのは、私の感じ方なのか、意図的な演出なのかはわからない。

八重は全体的にはクセ控えめ、桜丸を立たせる方向での演技で普通の娘さん風、千代の清十郎さん、春の一輔さんともおとなしげな雰囲気だった。ところで千代や春が道中で摘んでくるおかず用の草、菜の花のほうはわかるけど、もうひとつ、完全に道端の草では? あれが嫁菜?

 

 

 

第一部は全体的にシック、安定して落ち着いた印象だった。

それにしても、2月が3部制なのは時期的に客が減るから……なのかもしれないが、3部制で割高で、その上、番組編成が微妙だから、客が減っている気がしないでもない。せっかくの良い配役でも、一日におなじ人形演技が重なる番組編成だと不要な飽きを感じてしまう。料理で指を切るといった目立つ演出が複数並ばないようにプログラムを作って欲しいと思った。

2月は新型コロナウイルスの影響で、いつもよりお客さんが少ないようだった。かなりの前方席でも空席がぼつぼつとできていて、キャンセルも多いようだった。来ているお客さんはみんな、入り口や館内にあるアルコール消毒液でちょこちょこと手を消毒していた。客はともかく技芸員さんの健康は心配。おじいちゃんが多いし、人形遣いさんたちとか、どう考えても濃厚接触してるから……。

久しぶりに清十郎ブログを見たら、3月は無職と書かれていた。清十郎は無職じゃないよ……。分裂して欲しいくらいだよ……。グレムリンみたいに夜中におかしをあげたり、水をかけたら増えないかな? と思っています。

 

 

 

 

*1:私の大好きな名物「〇〇手植えの植物」のひとつ。1996年、国立劇場開場30周年を記念して、初代吉田玉男が遣う菅丞相&竹本住太夫によって植えられたもの。国立劇場のウェブサイトでは、「小田紅(おだべに)と貴山白(きざんはく)は、国立劇場開場30周年記念公演「菅原伝授手習鑑」(平成8年9月)を上演する折に、梅と縁の深い菅原道真にちなみ、太宰府天満宮より寄贈されたもの。人形浄瑠璃文楽の出演者らによって植樹されました。」と紹介されています。→https://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/2019/3956.html