TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

酒屋万来文楽『傾城阿波の鳴門』十郎兵衛住家の段 西宮白鷹禄水苑

恒例、西宮の酒造会社・白鷹主催の酒屋万来文楽

今年の公演は11月末日のたいへん寒い日に行われた。開演前、会場の中庭にいたら、楽屋口から出てきた着付姿の津駒さんが「ヲヽこの冷えることわいの」とつぶやいて腕を袖に入れてちぢこまり、人形のようにチョコチョコと庭を歩いていかれた。そのお姿が古民家を再現した建物とマッチしていて、まるで昭和30年代の日本映画みたいで、とても良かった。昔の映画だとこういうシーンよく見るけど……、いまでもこんな世界があるんだなと。文楽っていいなと思った。

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今回の演目は『傾城阿波の鳴門』。おおまかなあらすじはこんな感じ。

十郎兵衛は阿波徳島、玉木家の家老・桜井主膳に仕える中間だったが、酒の過失で処刑されるところを主膳の計らいで勘当・追放となり、阿波を離れて6年の時が経過していた。江戸では阿波の殿様・玉木衛門之助が葦原で放蕩三昧し太夫高雄を見請けしたという悪評が立っており、江戸家老となっていた桜井主膳はその犯人を探していた。また、そのころ主膳の預かっていた阿波の家宝・国次の刀が紛失。勘当を赦してもらおうと妻・お弓とともに江戸を訪れた十郎兵衛は主膳の危機、ひいては玉木家の危機を救うため、盗賊稼業に身をやつしお家転覆を狙う悪人と刀の行方を探ることに。いろいろあって十郎兵衛・お弓夫妻は大坂へやってくるが、十郎兵衛はお家の難事を救ってくれた商人・伊左衛門のため武太六から50両を借金しており、その催促に来た武太六とともに外出。家に残ったお弓は追っ手が迫っていることを仲間からの手紙で知るが、というのがここまでの話。

 

今回は、巡礼の娘・おつるが物心つかない頃に別れた実の母・お弓の家に偶然訪ねてくるも、母と名乗れないお弓が泣く泣くおつるに路銀を与えて帰す「巡礼歌の段」の部分だけでなく、その後、お弓の夫・十郎兵衛が道端でおつるに出くわし、娘とは知らず彼女が持っている金を借りようと家に連れ帰るも、もみ合ううちに過失で殺してしまうという後半のくだりもフルで上演するプログラム。
このように「十郎兵衛住家の段」フルのかたちで出るのは珍しく、文楽劇場では平成10年(1998)以降上演されていないという*1

毎年のことながら、会場が狭く、舞台に奥行きがないので、大道具は超コンパクト。客席と舞台の仕切りとしてかなり低めの手摺を立てているほかは、下手側に家の戸口のフレーム、上手側奥に、奥の一間へ続く障子のついた囲いがある程度。ただ、この障子が本当にずっと使っているものらしく、経年変化でかなり古色を帯びていて、古びた民家の雰囲気が出ていた。それ以外には、赤い針山がにゅっと伸びた針箱が上手手前にチョコンと置かれていている。それも舞台で使い古したボロボロのもので、その家でずっと使われていたもののよう。簡素な舞台装置・小道具ながら佇まいがあり、変な意味でのコンテンポラリーなそれにはなっていない。

 

和生さんはお弓役。あまりの美しさに、本当に驚いた。
目を疑うほどの清楚な美貌に、鳥肌が立つ。和生さんの老女方はすべての女性が憧れる情緒ある知的な美貌を湛えている。あんな美しい人はこの世にほかにいない。添加物的な飾りによる美しさではなく、ただ「美」がそこに存在しているという印象。普遍的な「美」で、そこにまざりものはない。そして、生っぽさはなく、かといって無機質ではない。なんとなく、本物の美人というのは無個性な顔をしているという話を思い出した。

和生さんのお弓には、まぶたや額、頰や唇にやわらかな表情があった。今回は客電を一切落とさず、休憩時間等と同じように普通に電気を煌々とつけたままで上演していたので、照明効果によるごまかしは一切きかない。にも関わらず、清楚で神秘的な霊気が彼女を包んでいた。おつるの巡礼の苦労を知り、おつるからちょっと顔をそむけてうつむいたときの、憂いを帯びた額の優しく悲しげな表情は本当に素晴らしかった。美しい眉根を少ししかめているように見えた。ゆっくりと目を閉じる仕草も美しく、涙に濡れて黒々と輝く細く長いまつげが見えるようだった。袖のかげに隠した反らせた指先の気品、そこから漂うわずかな迷いと焦りの気配も美しい。おつるを送り出したあとにお弓がひとり後悔する場面や、娘の遺骸を抱いて嘆く場面では、大粒のきらきらした涙がお弓の目からぼろぼろとこぼれ落ちているよう。自分も涙ぐんでしまった。

和生さんは子どもを抱っこする仕草が本当に愛おしそうなのが、良い。「葛の葉子別れ」でも子どもを抱き上げ、胸元をくつろげてお乳をやり、寝かしつける一連の動作の優しさに感動して、「なぜお乳をあげたことがない人がこんなに自然に愛おしそうにできるのか!?!?!?」とまじびっくりしたが(いや、やってたらスイマセン!)、今回もおつるを抱く仕草が本当に愛おしそうで、驚いた。それと、人形って、女方であっても至近距離で見るとかなり迫力があると思うんだけど、和生さんの人形はそういう意味での威圧感がないのは不思議。なんか、優しそう。日本の母って感じ。

そして、これは人形関係ないんですけど、ふとしたときに和生さんを見たら、ちょっと目を潤ませておられたのも、印象的だった。

 

和馬さんのおつるもとてもよかった。いじらしく、純粋で、ちょっとぼーっとした感じ。なにより、演技が義太夫の間合いに乗っているのが良かった。ダンスのように合わせているのでなく、自然に合っている印象。義太夫の間合いを見極めるのって、難しいと思う。あの若さであれだけできたら、将来が楽しみ。和生さんが後半のトークタイムで若干親バカ入ってたのがわかる気がする。

 

十郎兵衛役は玉佳さん。十郎兵衛は背をすっと伸ばし、やや弓なりに胸を張った凛々しい姿勢が美しい。キラキラ感あるわ……。衣服は貧しくとも、十郎兵衛の清々しい内面がその姿勢にあらわれているようで、良かった。(しかし、復習で『傾城阿波の鳴門』全段読んだんだけど、十郎兵衛、やばくないか。立場が大変なのと真面目なのはわかるけど、短慮ゆえの過失多すぎだろ。団七と同じ匂いを感じる)

 

床、津駒さんのお弓はものすごく自然で、驚いた。義太夫演奏というより、あの空間は『傾城阿波の鳴門』の世界であって、その世界の中でそういう音が本当に聞こえているという印象。音楽演奏に聞こえない。お弓の思いがそのまま直接伝わってくるように感じた。劇音楽を聞いている気がせず、彼女の声を直接聞いて、気持ちを直接感じ取っているイメージ。本公演でもたまにそう感じることがあるけど、不思議な感覚。あまりに自然すぎて、津駒さんが語っているということを忘れて、上演中床を見そびれた。ものすごく良かった。

今回、津駒さんの掛け合い相手は呂勢さんの予定だったが(というか、この会自体、本来は呂勢さんの仕事だが)、11月本公演に続き病気療養のため休演。津駒さんが全部おひとりで語るかと思っていたら、芳穂さんが代演とのアナウンスがあった。芳穂さんはおつると十郎兵衛を語ってくれた。声の線が太いのでおつるは結構大変そうだったけど、十郎兵衛は凛々しくおおらかな雰囲気で、良かった。

 

三味線は藤蔵さん。メリハリのきいた音でとても良かった。演奏中、下手側をご覧になっているのは、去年拝見したときは人形を見て間合いを図っているのかと思ったが、もしかして津駒さんの床本をご覧になっているのかな。去年の廓噺もだけど、本公演であんまり出ない曲を1回きりの単発公演で暗譜演奏するのは大変そう。

 

 

今回はかなり良い席が取れ、間近で人形の演技を見ることができて、本当によかった。十郎兵衛が刀を振るう刀が目の前を通過していくような席。まるで本当にあの家の中にいる気分になった。大道具自体は簡素なものだし、人形もあくまで人形のはずなのに、義太夫の魔力かものごとの縮尺感覚が狂い自分も人形サイズになってすべてが本物サイズで見えるようになり、自分もあの家の中に居合わせている感覚というか……。狭い会場に狭い家屋が舞台の演目であることがマッチして、臨場感があった。

今回の公演、人形も床もほんとにすごく良くて、ずっと拍手していたら、和生さんがすごく嬉しそうにカーテンコールで出てくれて、嬉しかった。「まあまあ……ウチはカーテンコール慣れてませんから……」と、和生さんらしい簡素な挨拶だったけど、津駒さんも呼んでくれて、二人で挨拶してくださった。津駒さんは着付の胸元が汗でビシャビシャになっていて、大雨の中を歩いてきた人のようになっていた。

上演後の休憩時間、設置しっぱなしにされていた床をよく見てみたら、敷いてある緋毛氈の太夫席のところにボツボツと水濡れの大きなシミができていて、「……!?!? これは……、汗……????」と、周囲のお客さんとざわめいた。床に水たまりを作る男・竹本津駒太夫。津駒さんは、「津駒太夫」の名前で出るのはこの公演が最後だったそう。「津駒太夫」の名前の最後を飾る、本当に素晴らしい舞台だった。

 

 

 

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後半はこれも毎年恒例、和生さんのフリーダムなトークタイム。以下、お話内容の簡単なまとめ。

 

和生 ここ2、3日、急に寒くなったので、天気もどうかなと思っていたんですけど、お運びいただき、ありがとうございます。

『傾城阿波の鳴門』を「巡礼歌の段」の部分だけでなく、その後も含めた「十郎兵衛住家の段」でやってくださいと言われて、最初は考えた。普段の公演で「鳴門」が出るときは、お弓がおつるを追っていくところ(巡礼歌の段の段切)で終わる。その後は残酷で可哀想。でも、巡礼歌の段だけだと上演時間が短いしということで、最後までやらしていただいた。

昔は、『傾城阿波の鳴門』の「巡礼歌の段」の「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」のくだりは、人形浄瑠璃を観たことがない人でも知っていた。今では本公演でも『傾城阿波の鳴門』自体が滅多に出ない。

「十郎兵衛住家の段」は大阪の玉造が舞台。おつるは徳島から大阪まで旅をしてきた。今日はおつるを弟子の和馬が遣っていた。おつるの出について、この会場の出てくるところからお弓の家の大道具までの距離は短いけど、おつるは徳島から大阪までの長い道のりを歩いてきたんだから、その距離を考えて歩けとだけ言った。出来てたかどうか、わかりませんけど……(これを言ってる和生さん、ちょっと親バカっぽくて、よかった)

 

−−−−−和生さん、ここで津駒さんを呼び込む。津駒さん、ビシッとした背広にネクタイをしめたメガネ姿で登場し、客席に挨拶。老舗企業の常務風。

和生 着付が汗だくになって、そのままでいたら風邪ひいてしまうということで、着替えていただいた。

津駒太夫 『傾城阿波の鳴門』「十郎兵衛住家の段」は、35年ぶりにやらせていただいた。そのときも緑太夫さん*2、喜左衛門兄さん*3で掛け合いだった。そのときも大汗……、夏で暑かった。舞台が終わって汗だくで楽屋へ戻って襦袢を脱いだら、汗でびっしょりの襦袢が置いてあった緑太夫さんのズボンの上に落ちて、緑太夫さんに「津駒クンッッッッッ😱👉😱👉😱👉」と言われた(笑)。「阿波の鳴門」というと、それを思い出します(笑)。

来年1月の初春公演で、「六代目 竹本 錣太夫(しころだゆう)」を襲名する。本当は「襲名」とせず、「改名」だけでひっそり終わらせようと思ったが、諸先輩方のところへ改名の挨拶に伺ったら、「キミ、それは了見が違うんじゃないの?」と言われた。というのも、「錣太夫」のような大きな名前は文楽の財産で、名前をおおやけに出して世間様に知っていただくのは後輩の勤めという考えがあるから。そこで、「襲名」という形をとることになった。

「錣太夫」というのは、かつて、六代目鶴澤寛治(当時・竹澤団六)が弾いていた太夫。錣太夫・団六でたくさんのレコードを残している。錣太夫には家族(後継)がおらず、六代目寛治に「錣太夫」の名前を預けて亡くなった。わたしは津太夫師匠に入門した当初、津太夫師匠の相三味線を弾いていた六代目寛治に稽古をつけてもらった。六代目寛治は「錣太夫ちゅうのがおってな〜、おもしろい奴やったわ〜」と楽しく語っていた。その六代目寛治も「錣太夫」の名前を気にしながら亡くなり、「錣太夫」は七代目寛治が預かった。七代目寛治も六代目から頼まれた「錣太夫」の名前を世に出したいと考えていた。六代目、七代目の寛治師匠の縁(?)に応えるつもりで、「錣太夫」を頂く(このあたり、私が津駒さんの話から受け取ったニュアンスです。正確な言葉ではありません)

襲名にあたり、錣太夫のご家族に名前を頂くお願いに上がったら、「おとーちゃん喜んではるわーーー!!ありがとーーー!!!!」と言われた。

わたしはこのたび71歳になる。より一層、一生懸命勤めて参りたいと思います。

和生 (おまえは襲名しないのか視線を察した和生さん、突然喋り出す)太夫さんの名前はそういうことですが、ウチ(人形)は違うんで……。人形は名前がどうこうとあまり言いません。「玉男」も「文雀」も自分で勝手に作った名前ですし。玉男は二代目が襲名しましたが。ぼくも襲名しないのかと言われるが、するつもりはない。「かずお」というのは師匠(吉田文雀)の本名。師匠は「和男」だが、新しく生まれるという意味で「和生」にしてもらった。ぼくは一生これでいく。

最初に「錣太夫」を襲名すると伺ったときは、「しころ・だゆう、語呂がええな!」と思った。

津駒太夫 「錣」というのは、兜のうしろの垂れのことで、矢や刀を受ける防具です。「錣山親方」の「錣」と同じです。

 

−−−−−ここでネタ切れした和生さんが突然質疑応答タイムを開始。会場から質問を募る。

Q 襲名する名前にはほかの候補もあったのか?

津駒太夫 義太夫年表などを見ても、どの名前もいま誰かが名乗っている…………。…………。申し訳ありません。差し控えさせて頂きますッッッ!!!!!!(ビシッッッ!!!)

 

Q 若い人にはどのように教育しているのか? 最初は太夫・三味線・人形すべてを習うのか?

津駒太夫 国立劇場の研修生制度では、最初の1年はすべてのパートをやる。進路を決めたら、それ以外はやらない。

和生 ただ研修生は、実際には「太夫志望」「人形志望」という名目で入ってくる。

津駒太夫 ほかのことを知らなくてもいいということではない。太夫志望でも、三味線がわからなくていいというわけではない。三味線のメロディ、ツボの押さえどころが人によって違うことを知らなくてはならないし、逆に三味線は太夫の息を引き取って(息継ぎのタイミング等の間合いを推し量って)弾かなくてはいけないことをわかっていなくてはいけない。また、太夫は人形さんがどういう振りで、どこにいて、誰に向かって言っているかを心得ていなくてはいけない。

 

Q 口上で「相勤めまする太夫、〇〇△△太夫〜」と言われたあとにかけ声が飛ぶことがあるが、あれについてどう思っているか?

津駒太夫 ちょっと嬉しい❤️ 三味線の名前が呼ばれる前に、いい「間」でかけて頂くと嬉しい。「やった✊」と思う。

和生 人形については、上演中だと、歌舞伎にはかけ声をかける「間」があるが、文楽にはない。ウチはかけづらい。
芝居の途中で盛り上がったときに手がくる(拍手が起こる)のは嬉しい☺️ やりやすい。

津駒太夫 床も同じ。三味線さんが「拍手ください!ください!」と弾いているのにお客さんが「シーン‥‥」としていると、あああーー😱と思う。

和生 大落としとかなぁ。

津駒太夫 是非お願いします!!!!!!!!!!

 

Q 三味線さんが時々「はっ」等の声を出すことがあるが?

津駒太夫 きょうの藤蔵さんは声の大きい方。時々「うるさい……」とは……………………………………わたしは思いませんッ!!! ちょうどいい間でかけてくれます!!!

 

Q 文楽と歌舞伎では「くろこ」が文字も仕立も違う。それはなぜなのか?

和生 ウチの言い伝えでは、「黒衣」というのは宮中へ行って上演するときに、お公家さん方の前で顔が見えたままでは畏れ多いということで、直衣(のうし)の袖を切って頭巾にして被ったことからきていると言われている。歌舞伎とは仕立も違い、文楽の黒衣には裾の両脇にスリットがある。黒衣は神聖な衣装なので、いまでもウチではトイレに行くときは頭巾を取り、黒衣も脱ぐ。

頭巾の素材は麻。黒の麻は昔は畳の縁等に使われていたが、いまではそのような用途もなくなっているので、入手が難しい。なので、特注で布を作ってもらっている。何十mを注文し、切ってみんなで分ける。

 

Q 錣太夫襲名の口上幕*4はないのか?

津駒太夫 口上幕はせず、「床口上」のかたちを取る。簡素にお金をかけずやります。ぶっちゃけて言いますと、わたしもこのあと10年やれるのか、15年やれるのか……、襲名にかけたお金を回収できないッッッ!! これは大切なことですよッッッ!!!

師匠から最初にもらう「〇〇太夫」「△△太夫」というのは、改名前提でつけてもらっている名前*5。錣太夫にしても、むかしの人は出世魚のようにポンポン変えていた。そこには襲名興行にお金をかけて役者を縛る松竹のカラクリがあった。わたしはあえてそこを外れて、後輩にお金をかけない方法を教えるッッッ!!! むかしは襲名となったら切符をたくさん買ってくれる「旦那衆」がいたが、今はそういう時代ではないッッッ!!!

襲名披露でやる『傾城反魂香』「土佐将監閑居(とさのしょうげんかんきょ)の段」は、伊達路太夫さんが伊達太夫を襲名したときにもやった演目。以前は通称「吃又(どもまた)」と呼ばれていたが、差別用語なので今はその名前は使えない。吃又という絵師がいて、師匠に名前を貰いたいと頼みに行くが断られる。しかし最終的には筆の力でもらえて、吃りが治る。大変おめでたい演目でございます。

 

Q 襲名の演目は選べるのか?

津駒太夫 劇場からは「好きなものをいくつか候補として出してください、こちらでも検討します」と言われたので、「土佐将監閑居の段」をやらせて欲しいと頼んだ。「土佐将監閑居の段」は七代寛治師匠と素浄瑠璃の会でやり、思い入れのある曲。

 

Q ここの会場のように客席と舞台が近いところでの上演についてどう思うか?

和生 やりにくいです……(笑)。この距離だと目線が……。どこを見ていればいいか……、人形見てればいいんですけど。よそ見ができませんし。ただ、ウチはどういう会場であっても、やることは同じ。ここは横長の会場なので、上下の端の方からも見えるように、人形の向きに配慮しています。

津駒太夫 こっちも「ウワーーーー!!! こんな距離でツバ飛んだらどうしよ!!!!!」と思ってやってます。

 

Q 錣太夫襲名にあたって、定紋は変更するのか?

津駒太夫 いまは「釜敷梅鉢(かましきうめばち)」を「剣片喰(けんかたばみ)」に変えて使ってまして、こんど錣太夫の紋「太井桁(ふといげた)」になる。ただ、五代目錣太夫も若い頃の写真を見ると違う紋をつけている。それが「太井桁」になったのは……、錣太夫さんというのは本名が「井上」さんで、その井上の「井」を、こう……斜めにしてこさえられたんじゃないかと……(笑)。「わりとかわったお方」と聞いてますので……(笑)。このみちょう(よく聞き取れず)という本にも出ていたので、正式なものと捉えて「太井桁」を使います。

↓新しい紋

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五代目錣太夫は、40分の浄瑠璃を1時間に膨らまして語るお方だったと聞いている。その日のお客様を見て、演奏時間を決めていた。人形さんがついていたらできないので、素浄瑠璃ですよ。六代目の寛治師匠のおかみさんは、錣太夫を「浄瑠璃はうまいんやけど、姿が汚のおてなぁ……」とおっしゃていた。ブルドッグみたいな見た目で、汗とよだれと鼻水でグシャグシャになっていたらしい(笑)。

 

Q いまはメガネをかけていらっしゃるが、舞台ではコンタクトですか?

津駒太夫 ふだんはコンタクト入れてます。わたしは本が頼りなので。

 

Q 床本は自分で書くのか?

津駒太夫 基本的には、師匠の本を借りてきて、自分で書きます。ぼくは本を汚す(書き込みをする)ので、勿体のぉて師匠の本は使えません。
師匠は役が当たるたびに床本を書き直してました。何度も来る演目はそのたび書くので、「これ何冊目や!?」となってました。

 

Q 『傾城阿波の鳴門』の作者は誰?

和生 誰やったかなあ……。いつも言うんですけど、「ボクらは研究者やないですから」(笑)。演目の名前でも、幕内では「新口村」で通るから、「外題は何ですか?」と聞かれると出てこず、「何やったかなぁ〜???」となる。
(会場から近松半二ではという声があがり、津駒さんと顔を見合わせて)半二? もうちょっと下るかなあ……。
(会場から半二、八民平七、寺田兵蔵、竹田文吉、竹本三郎兵衛の合作と聞いて)そのころの浄瑠璃は合作で書かれていた。『菅原伝授手習鑑』を段ごとに分担して書いたら変化が出て大当たりし、合作制が広まった。

津駒太夫 『傾城反魂香』は、原作は近松門左衛門。ただし、原作では吃りは治らない。それを吉田冠子が改作し、治るストーリーにした。ちなみに、吉田冠子は人形遣いの吉田文三郎。太夫人形遣いが喧嘩した事件*6の当事者だった人。

和生 今月の大阪公演の『心中天網島』でも、「紙屋」は『天網島時雨炬燵』のほうが「芝居になっている」。近松物は江戸時代から改作が入っている。近松の当時は人形一人遣いで芝居が全然違うので、三人遣いではそのままでは上演できない。

津駒太夫 お客様の好みもある。近松以後の浄瑠璃には、決まり事で太夫・人形の技量を見せるというお客さんへの当て込みがある。その当て込みで芝居がギュウギュウになる。お客さんが好まれたからそうなった。

和生 こないだも勘十郎くんと言うてたんやけど……。「これ……心中に行くきっかけがあんまりハッキリせんな……」と。「時雨」は紙屋の最後に治兵衛が太兵衛たちを殺してしまうので、心中に行くきっかけがわかるようになっているが、大和屋のあれではわからない。

 

Q 「吃又」は放送禁止用語だという話が出たが、TV放送はできるのか?

和生 放送はNHKの判断。言葉を変えればいいだけなら変えられる。「めくら」を「目の不自由な方」に言い換えて通るならやれますが。(物語の根幹に関わる場合は対応できないというニュアンス)*7

 

Q 女性のセリフが本当に女性が喋っているように聞こえた。太夫の発声について、女性の声・男性の声の演じ分けはどうしているのか?

津駒太夫 意識せずにやっていたらそう聞こえない。どうしたら変わって聞こるのかを考える。人が前にいて、「キミ、それは違うで」と言ってもらうのが稽古。

和生 わたしには詳しくは分かりませんけど、こちらは「声色」じゃないから。

津駒太夫 「息そのもの」で変える。

和生 声帯で変えるわけではない。

津駒太夫 「ハーッ」と息を放り出したときに、どの高さまで行けるか。…………、こんなん言うても、わからないですよね。

 

 

 

という感じで、今年のトークタイムは気さくすぎる和生さんと正直すぎる津駒さんのデンジャーコンビによるお話し会だった。国立劇場でやったら関係者の首が文楽並みに何個か飛びそうなノリのトークで、良かった。

津駒さんの登壇は事前予告されていなかったので、突然のご登場、嬉しかった。そういえば和生さんと津駒さんって歳近いんですね。去年は「和生津駒ってどういう組み合わせなん? 芸風違いすぎでは???」と思ったが、意外と仲良し(?)なのだろか。和生さんは始終とても嬉しそうで、津駒さんの襲名をとっても喜んでいらっしゃるようだった。文楽は芸能として容姿が関係ないのでこういうことを言っては誠に失礼なのだが、私は和生さんと津駒さんの外見がめちゃくちゃ好きなので(なぜなら私、進藤英太郎とか曽我廼家明蝶とかハナ肇みたいな顔立ちの人が大好きだから)、最高なコンビだった。

津駒さんの背広姿は、往年の東宝サラリーマン映画に出てくるハナ肇のようでまじ最高だった。妙にビシイーーーッとしていて、人形配役:吉田勘市って感じで爆笑した。津駒さんは爽やかシティボーイ風の喋り方ながら、言ってることが正直すぎてまじやばいのが最高。でも社会性はあるのがすごい。

「錣太夫」襲名について、なぜ津駒さんが錣太夫の名前をもらうのか不思議だったが、よくわかった。今回津駒さんがご自分でご説明くださった内容と、先日読んだ四世津太夫芸談本の内容からして先代錣太夫はいろんな意味でものすごい人だったようで、「うん!!!」と思った。津駒さんに最適な名前かもしれない。
なにはともあれ、私としては、襲名披露という形を取る判断になったこと、本当に嬉しいです。心よりお喜び申し上げます。

 

 

 

今回は本編もお話も、本当によい公演だった。

この公演はやはり人形や床と客席との距離の近さが醍醐味。文楽で不思議なのが、自分から人形までの距離が近ければ近いほど、人形がひとりでに動いているように見えること。人形まで2m切ってる距離で観ていると、うしろにおもいっきりでっかいおじさんis人形遣いが立ってるのはわかってるんですけど、その姿は全然視界に入ってこず(本当に全然気づかない)、ただ、悲しげな美しい人だけが(なんかちょっとちっちゃいような気がしないでもないが)そこに佇んでいるように見える。その人が木でできているとは気づかない。

客席の雰囲気もとてもよかった。先日、東京での国立劇場主催の素浄瑠璃のとき、三味線さんが最後のひとばち下ろしてないのに拍手している方が結構いらして、「素浄瑠璃でこれは???」と首をかしげた。でも、この公演では、最後のひとばちの後に拍手が起こった。この会は和生さん主体なので、観客も人形さんのファンの方が多いと思われるが、そういうのとは関係なく、ここにいるお客さんみんな文楽が好きで、浄瑠璃も最後まで聞くのが自然なんだなと思った。気持ちよく観劇ができて、本当によかった。

また来年も、楽しみ。

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  • 第十二回 酒屋万来文楽
  • 『傾城阿波の鳴門』十郎兵衛住家の段
  • 浄瑠璃=竹本津駒太夫・豊竹芳穂太夫/鶴澤藤蔵
  • 人形=吉田和生(女房お弓)、吉田和馬(娘おつる)、吉田玉佳(十郎兵衛)、吉田玉勢、吉田玉誉、吉田玉翔、吉田玉路、吉田玉延、吉田玉峻、吉田和登

*1:国立劇場では平成24年(2012)に上演。本公演ではそもそも『傾城阿波の鳴門』自体の上演が少なく、国立劇場開場以来の53年間で東西合計10回しか公演されていない。

*2:竹本緑太夫。津駒さんの師匠・四世竹本津太夫の子息。早世されたため、いまの技芸員にはいない。

*3:三世野澤喜左衛門。

*4:襲名披露口上。舞台上に関係者が並んで挨拶するアレ。

*5:いま在籍されてる太夫さんの実名でしたが、一応伏せます。

*6:寛延1年(1748)、竹本座で起こった「忠臣蔵事件」。『仮名手本忠臣蔵』の演出をめぐって太夫人形遣いそれぞれの有力者が衝突し、座元が人形遣いを優先したため怒った太夫が退座。豊竹座の太夫との入れ替わりが起こり、芸風の混交につながった。

*7:私からの補足。現代の倫理観に照らし合わせて絶対許されないレベルの差別的内容の演目は、国立劇場では現行上演していません。