TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 上方文化講座2019(5)『心中天網島』−太夫・三味線・人形の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎) 大阪市立大学

2日目4限目は、引き続きご登壇の津駒さん・清介さんに、勘十郎さんが加わってのお話。治兵衛・小春・孫右衛門の人形をお持ちいただき、それぞれの着付の解説もしていただいた。

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心中天網島』−太夫・三味線・人形の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)INDEX

 

 

 


┃ 最近の出演

桐竹勘十郎 4月は『仮名手本忠臣蔵』で高師直、7月は七段目の由良助をやらせて頂いた。茶屋場(七段目)は初めてで、楽しかった。お客さんからは「遊び慣れてはりますな」と言われた。あんなとこで遊んだことはありません!(笑)

七段目は、由良助の出番の中でも一番難しいのではないか。自分なりに工夫した。千鳥足で出てくるところは工夫せんでも出来るかもしれませんけど(笑)、本当は酔っ払っているわけやないんで。初代吉田玉男師匠も、初めて通しで由良助の役がきたときは、躊躇したそう。「四段目、九段目は出来るけど、七段目はちょっと」と思われて、考えてから受けはった。わたしもあちこち出来ていないところがあったので、七段目はもう一度やってみたい。由良助は、玉男師匠のイメージしかない。いつか通しで由良助をやってみたいと思います。

七段目の由良助がもらえたのは、年間三分割して通し上演する企画のため。はじめはこういうやりかたはどうかと思ったが、いろんな人がいろんな役をできるから、お客さんにも評判で。11月は九段目の本蔵。こんなふうに違う役を出来るというのは、嬉しいです。いままでは平右衛門が来ることが多く、平右衛門ばっかりだったので……(汗)。

おかるは1回やったことがある。由良助に予定されていた玉男師匠が休演されて、うちの師匠(吉田簑助)が由良助に回り、わたしがおかる。玉男さん(当代)が平右衛門。その千穐楽に、玉男師匠は亡くなられた。*1

1月の大阪、2月の東京、7月の長門では『壇浦兜軍記』の阿古屋。この講座でも10周年のときに『壇浦兜軍記』の阿古屋をやらせて頂いたが、そのときと同じメンバーで劇場でやれて、嬉しかった。今年は阿古屋、阿古屋で、まだこのへんに音が残っている。本当に弾いてるわけやありませんけど。

ぼくは、入門して初めてもらった役が阿古屋の水奴だった。水奴というのは、4人出てくる、楽器を運んでくる役。あの役は難しい。中学を卒業して半年、昭和43年4月1日初日の毎日ホール。朝日座でなかったのは、ヨーロッパ公演の凱旋公演だったから。阿古屋役は(桐竹)紋十郎師匠だった。当時はビデオ等はなかったので、阿古屋を生まれて初めて見て、浄瑠璃を聞いたはそのときだった。だから何をしていいのかわからない。緊張した。足が、わたしの親父(二世桐竹勘十郎)(笑)。隣の人の足が、玉男師匠(笑)。そうでないと出来ない。楽器を弾き終わっても、誰も合図してくれるわけではないので、足の親父や玉男師匠が「立て!」「行け!」「渡せ!」と全部言ってくれる。阿古屋が出ると、それを思い出す。いまは、水奴をやっている若い子に「んんん、チガウ、角度がチガウ、向きがチガウ」と思いながら受け取って、あとから「ココはこうやで」と自分が教えている。
「行けた!」と思うのは、1公演で、1、2回。人形の動きと本物の演奏の音が合っているかは、客席からしかわからない。阿古屋は、女方では非常に難しい役。

そういえば、阿古屋が帯の上につけていた蝶の飾りは自分で作った。阿古屋の帯は、遊女が道中など正式な場で使う「俎板帯」という帯の結び方。俎板帯自体は梅ヶ枝(『ひらかな盛衰記』)、夕霧(『曲輪文章』)などほかの役でも使う。
文楽の傾城の衣装は、打掛、衣装(中に着ている着付)、帯それぞれ2〜3種あり、自分で選ぶことが出来るが、組み合わせに限度がある。歌舞伎の坂東玉三郎さんは、自前。どれくらいかかるのか。凝ってはる。
あるとき、玉三郎さんが文楽の阿古屋を観に来られたらしい。ぼくの時やったと思う。そのとき、「阿古屋の衣装は特別なほうがいいわね!」と言わはった。あっ、ぼくが直接聞いたわけやないですよ! そう言うてはったと聞いたんです。それで、何かやってみたいと思っていた。しかし、文楽では人形の衣装を人形遣いが勝手にいじることはできない。
そこで、衣装と制作にことわって、帯の上につける飾りを作ることにした。忙しい忙しい言うて、なんでも自分でやりたいので(笑)、自分で作った。お正月、ずっと家で作っていた。阿古屋の帯は牡丹柄なので、それに合わせるとなると、獅子か蝶々。平家の紋をイメージして、蝶々にした。2匹あしらったうち、上の蝶がメスで、下の蝶がオス。メスの蝶=阿古屋が覆いかぶさって、オスの蝶=景清を隠しているんです。……自己満足!! どこででも言うけど、自分しかわからん(笑)!!

 (参考 阿古屋の帯飾り)

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夏休み公演の親子劇場の『かみなり太鼓』も手伝っている。新作はいろいろ作られるけど、続かないので(繰り返し舞台にかかることはないので)、再演は嬉しい。来年も新作をやるそうです。

 

 

 

┃ 「河庄」の孫右衛門

勘十郎 『心中天網島』では、ほとんどの役を勤めたことがある。最初は三五郎。それから下おなご、善六、太兵衛、花車、全部やらして頂いた。その次に、いきなり孫右衛門(笑)。一暢さんの代役だった。「河庄」では、孫右衛門が一番難しい。そのときは、治兵衛が玉男師匠、小春がうちの師匠。そんなんで孫右衛門遣えて言われても(笑)。代役は前半玉女さん(現吉田玉男)と自分で、前半後半、半分ずつやることになって、二人で「どーしょー、どしょー💦」と言って(笑)。緊張しか覚えてない。それから平成18年、治兵衛をやらして頂いた。その年に改作の治兵衛もやって。最後に小春。平成24年の5月公演だった。こんなふうにいろいろな役をやっていると、相手役に回って初めて気付くということがある。主遣いだけでなく、左、足でも気付くことはできる。両方できるというのは、大変勉強になる。

竹本津駒太夫 明日、「河庄」を語ることになっているが、じつは「河庄」は今回がまったくの初めて(久堀先生から、「無理を言ってお願いしました」とコメント)。うちの師匠(四世竹本津太夫)の孫右衛門は情があってよかったんですけど、ちょっと「武士」が強かったかな。孫右衛門は、武士が町人に化けているのではなく、町人が武士に化けているので、そこは区別しないといけない。

孫右衛門は、お兄さんだけど、親。まるっきり保護者。あーせー、こーせーと親代わりにやってしまって、それが水臭く聞こえてしまう。親がなんだ、家業がなんだと社会的な規範ばっかり言って。でも、「弟ゆえに身を砕く粉屋孫右衛門」とあるように、本当は親身に親身に、こんなアホな弟やけど、ワシ可愛いねんと思っていることが伝わらないと。そう聴こえるように演奏するよう勤めるつもりです。

鶴澤清介 『心中天網島』は、「自分の好みがあんまいらんな」という認識(演奏者、あるいは名人の演奏を聴く側として、いろいろと納得しがたいものがあるというニュアンス)。ホンマのホンマの近松さんの曲は残っていないという「憾み」がある。半二さんの曲(改作上の演出追加)は、ご都合主義的なところがあって、「やらしごと」や「隙間」が出る。道行はリアルすぎていまひとつ。どんな演奏でも素晴らしいですが、あんまり期待せえへんのですわ。

自分が演奏する上で注意しているのは、孫右衛門の町人と武士の変わり目。それと、「間」の取り方。越路師匠(四世竹本越路太夫)は、孫右衛門が治兵衛に説諭するところの間の取り方がうまかった。
微塵も心に残らぬな。(間)ハイ。ええな。(間)ハイ。」
絶妙な間だった。この間にどういう意味があるかというと、越路師匠は「人間はまだばたきするやろ」とおっしゃった。この間はまばたきしている時間だと。ほかにもいろいろ言わはったけど、それだけは覚えてますわ。

勘十郎 孫右衛門を演じる上で重要なのは、「町人が武士に化けている」ところ。武士のふりをしていても、ちょっとしたところに町人の所作が出てしまう、という演技をする。孫右衛門には、「孔明」というかしらを使う。これを使うのは「動かせない」、そういう役。このかしらを持つと動きが自然になくなる。あんまり大きく見せてはいけない。ハイここ町人!ハイここ武士!とはできない。ちょっと町人が出てしまったら、ウッと我に返って武士になる、としなければいけない。孫右衛門は心底(しんてい)を隠している人物。町人が武士に化けているのでも、『夏祭浪花鑑』の小道具屋の義平次とは違う。義平次は、帰ろうとして立ち上がって「アーッ忘れたー!」と慌てて刀を取り上げたり、どんどん「見せて」いく。孫右衛門は逆にそうした仕草を少なくする。

玉男師匠の孫右衛門、うちの父の孫右衛門、人によってやりかたが違っていて、面白い。

 

 

 

┃ 今回実演部分、治兵衛の出以降について

津駒太夫 わたしはあんまりエラソウに言われんので(笑)。どなたに稽古してもらったかも忘れたし……。治兵衛の出「天満に年経る千早振る」は、マクラの「ハルフシ」*2が語るお方によって違う。派手にやる方(実演。テーンが上がる、色街の華やかさを感じさせる高音)、地味にやる方(実演。太く重い調子で「テンマ」と出る。先ほどとまったく違う質素な印象)。考え方、曲の捉え方で違う。成立の仕方から掘り起こして、どうするかを検討しなくてはならない。わたしはなぞっただけ(笑)。

勘十郎 治兵衛は……。近松のほかの世話物の主人公、忠兵衛(『冥途の飛脚』)、徳兵衛(『曾根崎心中』)と比べても、いちばんしんどい。いちばんアホ(笑)。おさんという素晴らしい奥さんがいて、小春も賢く、女性は素晴らしいのに、いちばんダメなのが治兵衛(笑)。徳兵衛は最後にはちゃんとするし、忠兵衛もまだわかるけど、治兵衛はいちばんしんどい。「河庄」の治兵衛には、気がのぼってしまって、刀を抜いてしまったり、激しい動きがある。しかし治兵衛は二枚目なので、やりすぎはいけない。世話物、世話物。動きは抑えて、気持ちだけ出して(と、自分に言い聞かせる)。治兵衛は孫右衛門に説教され、畳の上でズーッと泣いている。そのあと起き上がってからが面白い。やる人によって、作りようがありますので。中の巻(「紙屋」)になると、何考えてるかわからん。「河庄」終わると「ハーーーッ💨」ってなるけど、「これからですよ」って(笑)。

小春も難しい。うちの師匠の小春がよすぎるので、自分にはできない。師匠は、「河庄」の段切で、お酒をバッとあおる。2杯くらい(立て続けに)飲んで、柝の一チョウ目が鳴るまで????して(すみません、ここ、記憶あいまい。小春の所作の説明)、障子をサッと開けて、裏向きで泣いている姿を見せる。これ以上のことはできない。難しすぎて。小春はそれまでも火鉢を火箸でいじったりする仕草で、いろんな気持ちを出さなくてはいけない。明日、「河庄」の実演をするが、今回は舞台設営の事情で火鉢等が出せず、詞章も大幅にカットしている。おかげで、小春役を頼んだ勘彌くんもホッとしてると思うんですけど(笑)。

清介 マクラが難しい。足速いような(? 聞き取れず)運びのところがあって、そこが「しどころ」やけど、やりにくい。段切は良い。大変な名曲。いろいろな手があって、今回はわりとシンプルなもので演奏する。うちの師匠(鶴澤清治)はそれをいろいろ知っていて、こんな手があったんや、いろんな伝承が残ってたんやなと思ったと聞いている(このあたり、あいまい。現在は伝承が途絶えた演奏がいろいろあり、清治さんはそのような先達のいろんな演奏を聞いたことがあって、それを清介さんに話したということだったかと思う)

(久堀先生からどの手でいくかはどうやって決めているのか尋ねられ)なにを弾くかは、お稽古に行ったお師匠さんの手による。どれ弾いてもエエということきは、自分のやりたいことをやればいいという腹づもりでいればいい。

津駒太夫 今回、わたしは綱大夫・弥七の手でいくと思て準備してたんですけど……、清介さんに「越路・清治でお願いします!!!」と言われた。

清介 それしか頭に入ってませんねん。

津駒太夫 (そんなに違うんですかと久堀先生から尋ねられ)全然違います。節数、音のいきかた、拍子のこさえかた、カウントの盛り方。本(床本)、書きなおしましたから! もともと本を持っていて、そこに綱・弥七のやりかたをちょこちょこ書き込んでたんですけど、越路・清治はそれとあまりに違いすぎて。新しく本を作りました。

 

 

 

┃ 治兵衛のわかりにくさ

勘十郎 性根がつかみにくいので難しい。演技の上では、力の抜け具合に気をつけている。河庄の店の前で小春に憤っているときは力が入っているが、家の中に入ってしまうと、力も入れん。力を入れるのは、左足で小春を蹴飛ばすときくらい。

立役は特に時代物だと型が決まっており、それをこなしていけば誰が遣ってもそれっぽく見えるが、治兵衛はココがコレ、ココでコレというのが約束されていない。人がどう遣われようが関係なく、自分で考えてできる。あ、でもここで「腕まくり」するとかは決まっている。孫右衛門に異見されてからは自由。ここで顔を落としてみよう、もうちょっと上げてみようと、自分で演技を検討できる。

津駒太夫 治兵衛という人がわからない。「可愛や小春が灯火に、背けた顔のアノマア痩せたことわいの。心の中は皆俺がこと」て、どういうこと!? 自信過剰……。どうしてこういう発想になるんでしょうね!? そういうところがまったくわからない。

勘十郎 治兵衛をやり続けて、前より力が入らずやれるようになった。時代物と世話物は人形の遣い方がまったく違う。世話物のほうがはるかに難しい。浄瑠璃がよっぽど頭に入っていないとギグシャグしてしまう。治兵衛以外の役もやっているので、慣れてきている。スッと入ったらサッと動けるようになった。最初はできなかったことが、ある回、フッと「これでええんかな!?」と気付くことがある。人形同士のやりとりも、日常生活で普通に会話しているようなものなので、深堀りして考察してどうこうというものではない。

 

 

 

┃ 治兵衛の人形について

勘十郎 治兵衛は、ちりめんの縞の衣装を着ている。忠兵衛など他の世話物の二枚目と同じ。衣装の(帯を挟んで)上下が繋がっているのが特徴。普通の衣装は半腰で、下半分がない半襦袢

帯は貝の口に結んでいる。治兵衛は途中で帯がほどける展開があるため、左遣いが引くと簡単にほどける仕掛けがしてある。また、襟元を乱れさせなくてはならないため、通常の着付とは異なり、糸で留めることはせず、肩に針で止めておく。出番でずらすたび、都度、着付を直す。

かしらは「源太」。源太には4種類あり、「河庄」で使うのは、動きのない描き眉、目が動かないもの。「紙屋」「大和屋」では、描き眉・ネムリ目のものを使う。アオチ眉(動く眉)に目が動くなど、動きのある源太は、『絵本太功記』の十次郎などに使う。

髪型は町人髷。「ガッタリ」という仕掛け(結い方)で、栓を抜くと髻の部分が切れて、結い上げている部分がずれて動くようになっている。『冥途の飛脚』の忠兵衛もこれと同じ。

文楽の場合、治兵衛はちょっと小走りで出てくる。これは、初代吉田栄三師匠の「治兵衛は煮売屋で小春に客がついた噂を聞いて焦って来た」という解釈によるもの*3。玉男師匠もそうやっていた。父は「とぼとぼしたほうがえーんちゃうかなっ!?」とやってみたが、合わなくて、やめた。

治兵衛には気持ちが高ぶってきたとき、「腕まくり」の所作がある(河庄の前で脇差を抜く前)。「腕まくり」は、だいたい時代物の人形がやる型。勇んでいくという気持ちを表現していて、鎧とか、まくれない衣装でもやる(笑)。二枚目のかしらでやるのは珍しい。まず右横向きになってから、くるっと逆を向いて右腕をまくって足をにじり、後ろを向いて左腕をまくる(実演)

畳にへたり込んでからは、腰輪だけを持ってそこで人形の重さを支える。固定せず、ゆらゆら揺れるくらいにする。オカンのこと言われて、「ハァ……⤵︎」(がっくりする仕草を実演。ふらふらした動作)

 

 

 

┃ 孫右衛門の人形について

勘十郎 孫右衛門は羽織がけの紋付、羽二重。平織の袴。かしらは先ほど話した通り、孔明。髪型は町人髷で、袋付き二つ折れ。これが見えないように、ずっと頭巾を被っている。

正体を明かすときは、町人に必要ないものを外していく。後ろを向いて頭巾を取り、羽織を脱ぐ。羽織を脱ぐと下に着ている石持が見える。石持というのは紋を入れる部分を白く抜いてあるもので、町人が着る。袴には仕掛けがある。普通の文楽人形用の衣装だと、袴の腰板の下に人形遣いの手の差し込み口があるので脱ぐことができないが、舞台上で脱ぐ袴の場合は腰板の左下が外れるようになっており、落ちるようになっている。

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┃ 小春の人形について

勘十郎 小春は黒ちりめんの衣装。裾にすすき柄が入ったものなどを使う。遊女なので、返し襟をして、緋色をのぞかせる。帯は白の献上。かしらは10代に使う娘がしら。つぶし島田に笄をさし、???を紅白にかける(髷の根元を結んでいるリボンみたいなやつ。名称忘れた)。おかるも同じ髪型。

小春には、コレという動きはない。蹴飛ばされて上手に倒れるところをやってみます。蹴飛ばされる、上手に倒れる(実演)女方で特に大事なのは、「丹田(おへその下)を動かさない」ということ。動いているとおかしく見えるので、絶対に動かしてはいけない。倒されて右にずれたように見えても、丹田は動いていない(再び実演)。動かしてしまうと、見ていられない(悪い例を実演。めちゃめちゃ元気のありあまった雑な性格の在所の奥さん風になっていた)。これは若い頃にイヤというほど言われる。

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「ナガス」(立った状態で懐手になり、袖を広げて肩を振って両袖をひらひらさせる所作。新口村の梅川などがやるやつ)。これは手の力を抜いた演技。懐手をしている設定。実際には手が袖の中に入っている状態だが(本当に懐に差し込んでいるわけではなくても)あたかもそこに何もないかのように、ゆらゆらにしておく(実演)

 

 

 

–––––講義ノートここまで–––––

 

 

 

去年も本を清介さんに合わせていた津駒さん、今年も清介さんに合わせていて笑った。お話中に突然津駒さんが「♪天満に年経る千早振る」とやりはじめたのにはめちゃくちゃびっくりした。講義室(レセプション用会議室みたいな感じの場所)の日常感が突然吹っ飛んだ。普通にお話しされていたところから突然テンションを切り替えていきなり語り始められるとは、さすが。鑑賞教室などでの太夫の語り分け実演っていまいちピンとこないことも多いが、セリフでなく地の文での実演で、雰囲気が明らかにぱんと変わるというのが面白かった。

しかし、なんというか、『心中天網島』自体にはあまり話題がないのかなと思った。今回の講義では「紙屋」をカットしており、そうなると上演に歴史的な厚みがあるのは「河庄」だけになるからかな。技芸員さんは既存の価値観や他人の言葉にはあまり乗っからず、自分の考えていること以外は話さない点、誠実だなと思った。

勘十郎さんの解説にあった「女方丹田を動かしてはいけない」、実演を見るとなるほどと思わされる。重心(動作の原点)がないと動きが粗雑に見えるということだと思う。

 

 

 

 

 

┃ 参考文献

 

┃ 上方文化講座2019記事 INDEX

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おまけ
2日目は帰りに京都まで行って、ギオンコーナーで文楽の出演を見てきた。

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ギオンコーナーというのは祇園甲部歌舞練場に併設されている観光客向け常設劇場で、日本の伝統芸能等を7種見られるというもの。文楽は『伊達娘恋緋鹿子』「火の見櫓の段」を上演している。ただし出演は人形遣いのみで、義太夫は録音。人形遣いは若手から結構上の人も出演していると聞いていたが、私が観た回はかなり若い方かなと思った。お七のかしらはかなりむくっとした雰囲気の娘がしらで、本公演で普段使っているものとはなんだか違うようだった。大江巳之助さんのものではないとかなのだろうか。

しかしここ、上演環境がなかなかすごい。上演中でも立ち歩いてる人がいるし(懐かしの浅草新劇のノリ)、上演中撮影可能のためフラッシュが光ったりするので、これでは出演者もやりにくいだろうなと思った。

それと、出ている人のピンキリ感もすごい。観光客にはどうせわからないという判断なのか、演目によっては客前に出すのはどうかと思うレベルの人が出ているような気がしてならないのだが……。狂言は相当な早送り状態でやっていて、出演者もよく受けたなと思わされる条件での上演になってしまっているものも。茶道、華道、琴を同時上演(?)するのは一体どうなってるの。琴に後見がついてるのかと思ったら、その人がおもむろに前に進み出て花を活け始めたときの衝撃がすごかった。異種格闘技戦のようで、なんというか、すごい光景だった。

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ところで、文楽からの出演は若手から「結構上の人も」と書いたが、具体的に誰が出ているのか。

インスタで検索したところ、勘壽さんが出ている動画を見つけてしまった。

か、勘壽さん!?!?!?!??!?!??

そんな限界MAXレベルの人まで出てるの!?!?!?!?!!?!??!?!

と衝撃的だった。動画の勘壽さん、めちゃくちゃフラッシュを浴びていたが、そりゃ勘壽さんがやってたら全然知らん人でも「す、すごい!!!!!!」と思って写真撮るよなあと思った。勘壽さんとか、普段お七役やるような人よりうまいやん……。インスタ映えどころの騒ぎじゃないよ……。この世全体に対して映えてるよ……。

私が観た回は人形遣い黒衣だったが、インスタを探索したところ、中堅および若手でも上のほうの人(番付で文字が中堅についで太い人)は出遣いでの出演になることがわかった。見ていくと、本公演なら絶対お七はやらないような立役の人も出ていて、面白い。京舞だけは入口に出演者名が発表されてるんだけど、文楽も名前を出して欲しいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:2006年(平成18)9月東京・国立劇場公演。

*2:情景が一変したところで使われる曲節。

*3:このあたり聞き間違いかも。一般的に治兵衛がとぼとぼ出るというのは歌舞伎の型で、文楽では従来(近代以前)より小走りで出てくることになっているはず。武智鉄二の評には確かに「吉田栄三の考案で改めた」というようなことが書かれているが、これはあやしく、『吉田栄三自伝』では以下のように述べられている。初代栄三は新聞記者に「なぜ小走りなのか、詞章はとぼとぼなのに走って出てくるのはおかしい」と言われ、とぼとぼと出てみたが映えなかった。とぼとぼというのはやはり煮売屋に行く前であり、煮売屋から河庄までは小春のことで気がせいて急いでいるはずであると解釈し、従来通りの小走りに戻したと。初代吉田玉男文楽藝話』にもそう書かれているので、従来から小走りであったことは間違いないはず。