TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 上方文化講座2019(4)『心中天網島』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介) 大阪市立大学

2日目3限目はみなさまお待ちかね、技芸員さんのお話授業。まずは津駒さん、清介さんのご登壇で、『心中天網島』についてのご自身の出演、あるいは名演の思い出などの話題。授業末尾に素浄瑠璃での「大和屋」実演がついていたため、「大和屋」の話が厚めになっている。

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心中天網島』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介)INDEX

 

 

 

┃ 最近の出演

竹本津駒太夫 7・8月公演では、『仮名手本忠臣蔵』七段目、一力茶屋の段のおかるをやらせて頂いた。七段目のおかる役は(鶴澤)寛治師匠と一緒に何度か勤めさせていただいたことがある。七段目は掛け合い。掛け合いではお互い意地を張り合い、張り切るので、終わったあと、とても疲れる(笑)。八段目の道行旅路の嫁入はまだいいが。おかるの役をもらったら、エエ声出して、平右衛門と張り合って、由良助をトバしてやろと思っている(笑)。

(長年組まれていた寛治さんが昨年9月に亡くなりましたねと振られ)寛治師匠と最初に組ませて頂いたのは、寛治師匠が団六から寛治を襲名された2年後。「弾いてやろ」と言って頂いた。寛治師匠は彦六系*1を自認されていて、他の方とは手や足取りが違っていた。同じ曲でもフシ数が違っており、それに合わせるのは大変だった。寛治師匠は、先の寛治師匠(先代。六代目)とも違っていた。六代目は(竹本)津太夫を弾いていましたので、三段目を弾きたいと仰っていたが、寛治師匠(当代)は四段目を弾きたいと言っていた。

まず、こういう足取りでいこうというのから勉強した。どこでどう折り合いをつけたらいいのか……。「津駒くん、こーやで」と言われたら、「ハイ」(笑)。「昨日と言うてること違うがな」と思っても、ついていくのが礼儀(笑)。日によって違うのが当たり前(笑)。そこ(そういう境地)にいくまでに、時間がかかった。

わたしがそれを出来るようになったころには、寛治師匠の体力は衰えていて、小さなところ(役)しか取らないようになっていた。しかし、わたしは切場が語りたかったので、寛治師匠に「わたしも太夫になったからには切場やりたいんですけど!!」と言ったら、「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん😠」と言っていた(笑)。義太夫は、人によって良いところ、悪いところがある。演奏が良かったのか、悪かったのか、選ぶのはお客様。自分で選びたかったら、自分がエラくなってモノ言えるようにならなきゃならない。

鶴澤清介 蝠聚会*2で『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋」を語った。やっぱり、名作中の名作。ようできたもんですね。本公演では半分ずつに分けて語るが、一段まるごと語ると、しんどさが半端やない。むかしはこの陣屋、岡崎(『伊賀越道中双六』)、盛綱(『近江源氏先陣館』盛綱陣屋)、なんでも一段まるごと語っていた。むかしの人は慣れてはったんかもしれんけど。今回は、本番の10日前から毎日お稽古。夏の盛りにこんなんえろうて。お稽古終わってうちに帰って、お風呂に入って、ご飯を食べると、そのあと9時10時まで起きてられへん。早起きはしますけど。「熊谷陣屋」は、子どもの頃からいろんな人を聞かせてもろて手数も頭に入ってますけど、とにかく大変な曲。マクラだけで大変。(竹本)綱太夫さんは「マクラで90%の力を使います!!」と言っていたが、ほんまかいなと思う。でも、言いたいことはわかる。

三味線の立場から言うと、「熊谷陣屋」は「用事」が多い曲。笛が演奏されている間は太夫は何もせんでもエエネンと言うが、三味線は気を遣う。弥陀六が出てきてからは、三味線はエライ(しんどいの意)。「柊に置く初雪の〜」あたりも、たいそうな手やないけど、なんべんやったかて、このあと段切どうなっとったっけと思う(すみません、このあたりあいまい)。とにかく暑いさかりにやるもんやない。

 

 

 

┃ 『心中天網島』の役

津駒太夫 「大和屋」を初めて勤めさせて頂いたのが平成12年6月、文化庁交流基金(?)で「義太夫を世界中に広めよう」というえらい大層な(笑)企画があり、ドイツで「紙治」(「紙屋」)と「大和屋」をひとりでやった。この稽古のために綱太夫師匠のところへ行ったが、相手にしてもらえなかった。「オマエガコンナモンヤレルカーッ」って態度が、もう、ありありと(笑)。それでもなんとか稽古してもらった。その9月に(五世豊竹)呂太夫さんが亡くなり、すでに呂太夫さんで配役が出ていた11月の「大和屋」を「直近にやったことがある」ということで、代役することになった。ようやらして頂いたな。忘れられない。そのときは、「紙治」の端場に本役がついていた。

「大和屋」では人形の出入り、振りが少なく、ほとんど素浄瑠璃状態になる。実に素晴らしい文章。人物がコロコロ変わる詰所(きっしょ。この字で合ってる?)に気が行き届いていて、瞬間瞬間で人物が変わる。メチャ難しいけど、やれたら楽しいだろうな!……と言うだけが精一杯(笑)。「ワシャ楽しみですわーー!!!」と言ったら、アチラの世界に行ってしまう(笑)。

原作の「紙屋」は平成21年に(竹本)源太夫さんの代役で初めてやった。これもいいもんですね。原作のほうは前受けを狙ったストーリーではない。非常に書き込まれたストーリー。やるほうは改作(『天網島時雨炬燵』)より原作のほうがやっていて楽しい。改作のほうは小春の書き置きもあり、五右衛門がじつはいい人だったり、善六たちが刺し合って死んだり、「お定まり」。でも、(歴史的には)お客さんは原作を敬遠して改作に走ったんですね。芝居はお客さんに合わせるのは当然。

おさんはいまのわれわれの感覚で言うと「けったいな女」。家のことばっかり言ってて、ヒステリー(笑)。「わたい、一緒にいられへんな」と思う(笑)。ちょっち、敬遠してしまう。子どもの世話、家の仕事、町内会の用事、旦那のメンツを立てる、ぜんぶおさんさんがやっているけど。子どもを叱りつけるのでも、「そんな言い方する!?」と思う。

清介 地方公演も含むと、全部の役をやらして頂きました。「紙屋」で実(じつ)があるのは原作。筋が通っている。「河庄」は原作でやったことはない。改作は、好みで言うと、やってるほうはあんまりおもしろない。曲は改作のほうがおもしろいけど、話があざとい。「泣く」手がついている。安もんの浄瑠璃になってしまう。特に後半が増補ものみたいな手になってしもて。

「紙屋」は昔は改作一辺倒で上演していたが、いまは原作で上演している。これが覚えにくうて。以前、住さん(竹本住大夫)、燕三さん(先代)が1日で原作と改作を演奏する会に出たことがあった。原作と改作はちょっとずつ違うだけで、「間違えそう」と困っていた。

心中天網島』(の上演)で、「コラヨカッタナー!」と思ったことがない。綱太夫師匠の「大和屋」は別だが、(桐竹)紋十郎師匠、(竹本)越路師匠が出ていても、「ボクこれすっきゃねん!」とならない。「大和屋」以外、食指が動かない。原作の「紙屋」の端場は面白くて、奥になると小春と治兵衛に一本筋が通るんやなと思うけど……。

例えていうなら、材料のええもんをつこて、お料理をやりはるんやけど、もーちょっとダシ効かして欲しかったな、火ぃ入れて欲しかったな、わさび効かして欲しかったなと思うような印象。曲、内容の面で。

歌舞伎でも、鴈治郎(三代目、現坂田藤十郎?)がようやってて、何度も見たけど、妙に喜劇チック。妙に吉本的。「そーかー、歌舞伎てやつは、こないやるんやなー」と思う。ええかっこしはるんやけど、どっか喜劇。上方歌舞伎の延長線上に吉本があるというのがわからんことはないと思った(このあたり、津駒さんが斜め上を見て「?」顔になっていた)。うち(文楽)でやると前半は演劇だが……、歌舞伎でやると、どこかズッコケますねん。

津駒太夫 (杉本文楽*3の「近松原作通り」の上演について振られ)あそこまで変わると、やりやすいとかやりにくいとかではない。まったくの別物。寛治師匠も「自由にやって、自由に作っていい」と言っていた。

※注:演出があまりに違いすぎるので、「原作通り」とは認識していないというニュアンス。

 

 

 

┃「大和屋」の難しさ

清介 ずいぶん早くにやらして頂いたが、大変だった。29とかの頃かな。そのころ、偉いお爺ちゃんがどんどん亡くならはって、若い者にも役がつくようになり、先代の燕三師匠と一緒に(豊竹)咲太夫兄さんのところへお稽古をつけてもらいに行った。「……もっぺん。……もっぺん。……ここがこう違いま。……それでええでっしゃろ」と教えてもろて。でもそのころは言われたことを理解する引き出しがのうて「それでは(舞台)出られまへん⤵︎」と言われたり。いっぺん通して聞いてもらうのに、何時間かかったかなァ。奥で手数が多くなってくると、大変。ちょっとおもしろなってきたんは、10何年か前。

太夫さんが亡くなったとき、追善にテレビとラジオで名演が放送され、そのうちラジオが(竹澤)弥七師匠と演奏した「大和屋」だった。「ああやったらええやろな」という演奏。でも、その通りには演奏できない。(自分で演奏するのを聞いてくださいとは言えず)「アレ聞いといてくだはる?」という世界。

燕三師匠は「なんんの気なしにやって、なんの気なしに鳴っといたらよろし」と言っていたが、「なんの気」て。燕三師匠から、「ツーンとやったら、(弦を竿に押さえつけて)手を離したらあきまへんで」とか習うて帰ってくるんやけど、それで実際の演奏で効果が引き出せるかは、別の問題。

小春のセキ*4も、「エヘン(可愛く)」をあざとくならないようにして、自然に聞こえないかん。小春はそんなエエ着物を着ている女郎やないし、「それらしく」ならなアカン。治兵衛と小春が大和屋を出るくだり、車戸を「三分、四分、五分、一寸の」と開いていくところでは、戸が開いていく音のあいだの「音のせんとこ」が大事やねんと教わった。「ハ!(掛け声)」とか言うたらあかんでと。そんなんの連続。

「大和屋」は情景描写が難しい。行灯がついてて、静かやけど、繁盛してて、しっとりとしていて。治兵衛が出てきて、ハラがあって、孫右衛門が愁嘆をやって。弥七さんがやらはると、「こういう感じ」がする。ABC放送の解説で「闇を穿ち、閑を感じさせる演奏」と言っていたが、その通り、闇が感じられた。弥七さんの演奏は、十人おったら十人泣く。
聞いたっておくんなはれ!!!!!!!!!!!!
(と突然口三味線で弥七さんの演奏を再現しはじめる)
(長い)
(長いぞ)
(めちゃくちゃ長い)
(もしかして全部演奏する気?)
(会場全体、もう三味線弾いてくれたほうが早いんちゃう?という空気になりはじめたところで口三味線をやめて)
……団平はん(?)がエエこと言わはりました。
「口ほどに手は回りかねる。」
そのとーり!!!!!!!!!! このとーり、三味線弾けたらええんやけど!!!!!!!! 咲さんにも散々言われた!!!!!!!!!

津駒太夫 雰囲気が全て。声張ったらいけない、張ったら(それらしく)聞こえない。陽が落ちて、満月。寒くて、治兵衛は死ぬ覚悟で忍んできて。大和屋の亭主とのやりとりのうちで、死ぬ覚悟を見せないかん。でも、はっきり見せたらいかん。

「大和屋」は、『曾根崎心中』の「天満屋」とよう似てますね。(「天満屋」はこれを)そっくり剽窃したもんなんでしょうけど。著作権なんてものがないからできることで。「大和屋」は三代目野澤吉兵衛の作曲だったと思うが(清介さんうなずく)著作権持ってたら絶対クレームつけてきますよね! マクラもソックリ!!(なぜかエキサイトする津駒さん)……つい著作権が気になってしまう……。(法学部出身だから?)

清介 (復曲の際に元にされた譜が)三代目吉兵衛作曲というのは聞くとはっきりわかる。もう一つ説があったけど、何やったっけな(津駒さんも「うーん?」顔)

津駒太夫 西風? らしくない。

清介 (原曲は、本来「風」が)練り上げられる前(の成立)やねんけど、そんなんほったらかし。至って技巧的。『冥途の飛脚』や『国性爺合戦』は朴訥とした古い曲やのに、江戸時代後期の曲になっている。初期の趣はない。初代義太夫、(初代豊竹)駒太夫の匂いもしない。チフネさん(?)の派手なところがある。西風にしようとしたけど、地味すぎて東っぽくしたんやないか。類似曲があんまりない。アシが速いけど、緻密な計算がしてある。こういう曲はほかにない。駒太夫や(初代竹本)大和掾に、こんな切羽詰まったように派手な曲はなく、独特の曲になっている。

津駒太夫 現代邦楽の香りがする。間の処理、空間の処理、距離感の処理、時間の処理、空気感の扱い……。現代の我々が納得する曲と調子が調和している。

※注:「大和屋」現行曲は大正6年に六代目広助が復曲・再演したもの。新規作曲でなく、江戸時代後期の譜をもとにしているのではとの説がある。江戸時代の古い譜は残されているが、現行曲と朱を照合するなどのアカデミックな研究はまだ進んでいない。

 

 

 

┃ そのほか床の事情について

津駒太夫 近松の文にある字余り、字足らずについて尋ねられ)だいたいそういうところは「ごまかして」、大雑把にさっとまとめる。字足らずをかわし、字余りをまとめる。太夫と三味線の呼吸の合わせ方? 三味線さんを意識していては、こっちの仕事が出来ない。お互い勝手に仕事して、ピタッと合うのが理想。

 

 


┃ 「大和屋」の聴きどころ

津駒太夫 治兵衛の気持ち。「お兄ちゃんゴメンナゴメンナーーー!! ウーーーーーーーー!!!」とやってて、次の瞬間「ソヤ! ワシ、小春と死ににいくねん!」とキレイにポカンと変わるところが伝わればと思う。

清介 綱太夫・弥七の録音。あんなもんが残ってしまうと、我々は太刀打ちできへん。居直るわけやないけど、「一生勉強さしてもらいまーーーーー!!!!!!!」。録音が残っていなくて「あれが素晴らしかったなー!!」と言っているだけならいいが。あの通りやって下さいと言われても出来ません。ご寛容のご見物をお願いします。

 

 

 

−−−−−以下、素浄瑠璃「大和屋」実演−−−−−

 

 

 

演奏者からみた近松時代の曲、後世の改作の曲、あるいは現代で復活した際の新規作曲に対する感覚の話が面白かった。音曲面は私には比較できるレベルまでなかなか受け取れないので、お話はとても興味深かった。復曲というとどうしても原文通りかどうかに注目が集まるが、やはり義太夫は音楽、音曲面からの検討も欠かせないと感じた。

そして、演奏者側は、復曲ものであっても、初演者の「風」を踏まえての演奏を考えているんだなと知った。お話のなかで清介さんが「三代目吉兵衛の曲であることははっきり分かる」とおっしゃっているのは、後日更新分の談話に出てくるが、どうも演奏上必要になるテクニックの盛り込み方のくせ(例えば弦を押さえる左手の使い方がうまい人でないと弾きこなせない譜面になっている等)のことのようだ。

これは昭和の時代に『曾根崎心中』が復活されたときにもあったようで、作曲者の野澤松之輔は「天満屋」の曲を当時配役された三味線弾き・竹澤弥七の技量をふまえて作ったため、若手にはなかなか弾けない曲になっているらしい。「三味線で雪が落ちる音を表現するのは難しい」等はなんとなくわかるけど、曲そのものが難しいかどうかは私にはまったくわからないので、とても参考になるお話だった。

 

それにしても津駒サンのおさんdisにはびびった。おさんをそんなふうに受け取る人、いるんだ……。確かに改作の「紙屋」のおさんは勢いがすごい女だけど、津駒さん独自の感性と、それを客前でペロッと言っちゃうことに、やっぱ津駒サンてやばいなと思った。

そして清介さんの「歌舞伎の天網島はズッコケ」「吉本は上方歌舞伎の流れを引いているということになるほどと感じた」発言も相当やばくて良かった。隣で津駒さんは斜め上の宙空を見て「???」顔してるし、久堀先生もコメントできず、だれひとり清介さんの話についていけていなくて最高だった。何言ってるのか自体は全然わからなかったが、言いたいニュアンスはなんとなくわかる我々なのであった。

でも清介さんの話で一番興味深かったのは、清介さんご自身が『心中天網島』自体をそんなに評価していなさそうなところかな。昨年の講義テーマ『妹背山婦女庭訓』とは全然トーンが違い、あんまり盛り上がって話されないというか、どこか納得いかない部分があるニュアンスが滲んでいた。それはこのあと登場する勘十郎さんからも同じ印象を受けた。(津駒サンはテンションが動かざること山の如しなのでわからず)

 

「大和屋」実演では津駒さんの小春のセキがめちゃくちゃ可愛かった。「エヘン……💓」って感じで、超可憐だった。15歳くらいの国民的美少女アイドル風だった。70のおっさんがやっているとは思えなかった(いま冷静に津駒さんの年齢記入して「こわ!」と思った)。3日目の「河庄」でもそうだったが、孫右衛門はかなり渋かった。治兵衛は相当幼稚な28歳だと思うけど、孫右衛門は相当しっかりしている。10歳くらい上なのかな。治兵衛があんなクズになったのは孫右衛門が甘やかしすぎたせいだと思う。治兵衛がニーチャンゴメン!って言った次の瞬間、小春と心中することを思い出して孫右衛門への反省心を忘れ豹変するくだりは、聞き逃した(アホ)。気づいたら反省の色ナッシングになってた。車戸を開く音の「間」はよくわからなかった。その直前の音が引いていて、間が空いていなかったため、緊迫感や静まり返り感がちょっとよくわからず。本公演でも確認してみようと思った。

 

 

┃ 参考文献

 

┃ 上方文化講座2019記事 INDEX

上方文化講座2019 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

*1:彦六座の流れを汲む系統。現在の文楽座三味線演奏者には継承者が少ない。

*2:三味線演奏者が義太夫を語る会。有志で構成され、年一回大阪で発表会がある。清介さんのほか、燕三さん、宗助さんなどが謎のすさまじいやる気を見せつけてくる。去年の10周年記念東京特別公演レポはこちら(記事末尾参照)→文楽 9月東京公演『夏祭浪花鑑』国立劇場小劇場 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

*3:外部公演。現代美術家杉本博司の演出で近松原文を復活させる企画。個人的には文章が原作通りってだけで、「やってみた」(しかもやりっぱなし)にすぎない印象。文楽公演としてのクオリティがかなり低いのが致命的。でも、清治の演奏だけを聞く清治スペシャル公演だと思うとクオリティ高い(わかって、このニュアンス)。参考 2017年の『女殺油地獄』公演→文楽 杉本文楽『女殺油地獄』世田谷パブリックシアター - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

*4:咳払いをしている人物は文中に明示されておらず、治兵衛がしているという注釈書もあるが、文楽座では小春として解釈している