TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

黒川能 王祇祭 2019[二日目・春日神社]山形県鶴岡市黒川

王祇祭一夜目・当屋の記事はこちら。

一夜目の演能を観終え、上座当屋から雪道を歩いて王祇会館へ戻ると、休憩所内は明かりが落とされており、先に戻っている人たちは仮眠をとっていた。すでに5時半を過ぎていて時間的にあまり寝られないので、ちょっと休憩するくらいにした。7時頃、事前に申し込みしていた朝食の弁当(1000円)を受け取る。昨夜の仕出し弁当の朝食版(ものすごい辺鄙な場所にあるほぼ親戚の家状態の民宿の丁寧だけど雑な朝ごはん風)と味噌汁。アツアツの手作り味噌汁がありがたかった。

 

 

 

春日神社へ 〜朝尋常〜

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2月2日。二日目の春日神社は事前申し込み不要のフリー参加、当日神社で受付すれば誰でも観覧ができるという案内だった。

春日神社は王祇会館のすぐ隣にある小さな神社。上座側から下座側に向かって土地が小高くなっていくような場所にあり、黒い木立に囲まれた、いかにも地元の鎮守といった佇まい。真っ赤な鳥居の両脇に背の高い「奉納 春日神社」と書かれた白い幟が立てられており、凍る風を受けてはたはたとたなびいている。お祭りらしく、数軒ではあるが鳥居前に屋台が出ていて、現代的な意匠のけばけばとした原色のテントが静かな雪の風景に眩しい。神社向かいの雪の山には穴が掘られていて、中に長い木材が突っ込んであり、火があかあかと燃えていたが、それが何なのかはわからなかった。

春日神社の祭事は8時から受付、8時30分から祭事と案内があったので、8時ジャストくらいに拝殿に着ければいいかと思い、神社の石段(雪で埋まってひとりしか通れない極狭通路)をノロノロ上がる。途中、上座の人たちの行列が木立の隙間から見えた。どうも王祇様を運んでいるようである。

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そうこうしているうちに階段の一番上、拝殿前へたどり着くが、受付時間だというのにあまり人がいない。そもそも拝殿正面の扉が閉め切られていて、どこから入ったらいいかわからない。中に出入りしているのは地元の関係者ばかりのようで、みなさん衣装や道具が入った風呂敷包みやらトランクを持ち「おめでとうございます」と声をかけあって拝殿に上がっている。しかし扉をすぐにぴしゃりと閉めてしまうので、一般の観覧客が入れる雰囲気ではない。どこで受付をしているのだろう? 拝殿の周囲は全部雪で埋まっていてよくわからないし、拝殿の中を小窓から覗いても人気はなく、地元の人しかいないみたいだし……。しばらく拝殿の軒下に立っていたら、参道脇の両サイドに高く土手状に盛り上げられた雪の上に民俗芸能・祭事マニアらしい人や観光客が徐々に陣取りはじめてきた。昨日受け取ったプログラムで「朝尋常」と書いてある何かは、どうも社殿前で行われるようだ。しかし今日の私のメインイベントは演能なんだし、この神事の見学のための場所取りより先に演能の受付をしたほうがいい気が……?

結局、「行ったれ」と思って拝殿の周囲に巡らされている縁を伝って拝殿下手側へ周り、社務所を発見。なんとか受付する。受付おっちゃんズ、紋付袴姿なので祭事・神社関係者かと思ったら臨時のお手伝いの人だったようで、ローカルルールしかわからないおっちゃんとローカルルールがわからない私とでまったく話が通じ合わなくて、面白かった。ここ、地元の人か、「わかってる」人しか来ないんでしょうね。私も文楽の小規模なイベントに行くと独自のローカルルールでの運営ぶりにびっくりすることがあるので(先方も余所者の出現にびっくりされているだろうが)、こういう待遇は慣れている。事前に「玉串料と、写真を撮りたい人は撮影料が必要」ということがわかっていたので、文楽での経験を活かし、玉串料(5000円)と撮影したい旨を話して撮影料を渡し(3000円)、なんとか手続きをしてもらう。というか、自分で会計した。

受付をしたはいいが、拝殿への通路はすべての扉が締め切られていて中へ入る方法がわからなかったため、一旦、なにかが始まるらしき拝殿前へ戻る。すると、いつの間にか両側にある雪の土手上に黄黒のロープが張られていて、一般客はそのロープの外へ退避させられているではないか。何がはじまるのか? 雰囲気的にロープの内側にいるとまずそうだなと思ってロープをくぐろうとしたら、脇にいた男性がロープを上げてくぐらせてくださった。雰囲気から外来者かつ民俗芸能・祭事マニア関係と判断、毎年の常連客かもと思い「これってどうなってるんですかね?」と話しかけてみたところ、その方も初めて来たということでわからないらしい。「上座・下座で何かを競う」ということだけご存じで、何が起こるのか一切わからずそのまま待機。しばらくすると地元の若いモンが来て、ロープのキワキワに立っている私たちを制して「危ねっからもうちょっと下がって」と声をかけてきた。「危ない」とは……? 「何かを競う」とは、よほど勢いがあることなのか……? 深まる謎の中、次第に大粒の雪が降りはじめる。参道を通るのは演能の出演者らしき風呂敷包みを持った人ばかりだったが、それも途切れ、雪の土手にたっつけ袴に襦袢姿の若い衆が集まってきて、円陣を組んでジャンプしながら回転して気合を入れている。寒くないのだろうか*1。若者たちは土手上に散って一般客をガードしはじめる。土手上で待機している一般客(というか祭事マニアのおじさんたちと私)に流れる「これヤバいんでは……?」という空気。

しばらくすると参道階段の下がざわつきはじめ、人の気配が……? と思ったら、王祇様を担いだ上座・下座両座の若者たちが両サイドの雪の土手の上を駆け上がってきた。「ここを通るの!?まんなかの通路じゃなくて!?!?!?」と驚く見物一同、ふたつの王祇様は一瞬にして社殿扉の左右にある小窓へそれぞれ打ち込まれ、「バシン!!!!!」とものすっごい勢いでその扉が閉じられた。王祇様がまじで目の前、数十cm先を走っていくので、びびった。このあたりすべて無言で進行。完全に置いていかれる部外者。

↓ 階段の両サイドの雪の土手部分を駆け上がってました。

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┃ 拝殿内

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社務所の脇の木戸から拝殿内に入れるらしいことを察し、拝殿に上がる。

春日神社拝殿内はよくある普通の神社とは構造が異なっていた。拝殿内の参道側、つまり通常の神社でいう上り口の部分には、拝殿奥の祭壇に向き合うようにしてつややかに光る大きな能舞台が設置されている。昨夜のような臨時式ではなく、据え置きなのか、重厚な設備である。舞台は拝殿床面からは20cm程度高くなっているだけだが、よく手入れされ磨き上げられているので、その上だけ空気が違っているように見える。能舞台の上には無数の棟木が渡され、能太夫の肖像や演能を描いた多数の扁額が絵馬堂のように所狭しとかけられている。能舞台左右両翼の空間には扁額に加えて春日神社の紋が入った巨大な提灯、金属の黒い灯篭も吊り下がっている。拝殿内の空間を重く古めかしい印象にしているのは、この入り組んだ棟木と重厚な扁額、古びて文字もかすれた提灯やいかめしい灯篭の光によるものだろう。

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能舞台直上を見上げると、舞台左右両側、高さ2m強ほどの位置に、1畳ほどの広さの棚のような台が吊られていて、ござのようなものが畳まれてそこに置かれている。さらにその上の左右の棟木には、松の葉を添えられた薄く平たい餅が縄によって銅鑼のように縦に留められている。この台と餅は後々の祭事に使われるもののようだ。

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再び床面に目を戻す。能舞台奥の中央には太い柱が立っていて、そこに上座・下座の王祇様が立てかけられ、その側に両座の当屋頭人、提灯持ちの若者たちがそれぞれの正装でシンメトリーに居並び、控えている。能舞台奥の左右には廊下状の板敷きが伸びており、低い手すりが設置されて橋掛かりになっている。春日神社の能舞台能楽堂や神社等に設置されているそれと異なるのは、この橋掛かりが舞台左右シンメトリーに設置されていて、合計2つあること。橋掛かりの先にはそれこそ文楽の小幕にような暖簾がかけられていて、その先はそれぞれの楽屋になっているようだ。舞台向かって下手(左側)が「上座」、上手(右側)が「下座」の楽屋になっているらしい。さきほど拝殿正面から出入りしているのが関係者だけなのはそういう事情だったのか。上座・下座の配置が客席側から見た場合通常の舞台・撮影用語でいうところの「上(かみ)「下(しも)」と逆転しているのは、神社祭壇に対しての上下なのだろう。

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そして、能舞台周囲には、多数の柱の間を埋めるように、高さ70cmほどの大きさの春日神社の紋入りの提灯がびっしりと置かれている。この提灯の橙色がかった光が能舞台の床面をつやつやと光らせているのだ。能舞台と拝殿奥の祭壇のあいだは、他の床面とは異なる材質の板で廊下のように結ばれていた。そこはとても座れるような雰囲気ではないので、上手側の舞台キワ、提灯守り(? 村の役員さんらしい)のおじさんの背後に座らせてもらうことに。場内前方部かなり混み合っていてほとんど身動きが取れず、おじさんのものすごい真後ろになった。関係者でもないのにこんなところにいていいのだろうかと思いつつ、腰を下ろして、周囲をよく見回してみる。舞台の縁に並べられた提灯は、よく見るとひとつひとつ大きさや骨組みの作りが異なっている。同じ提灯は昨夜当屋に置かれているのを見かけたが、歴代の当屋で使われたものを並べているのだろうか? この提灯を守っているおじさんたち、肩衣の色が山吹色の人と栗色の人がいる。私が座っている舞台右手はみなさん山吹色。左側はみな茶色のようだ。上座側・下座側で色が異なっているということだろうか。

ところで、あたかもはじめから人がびしっと揃っているように書いていますが、当屋頭人とか提灯持ちの若者とか、その他提灯守りのおじさんとかは、まばらに集まってきます。ほかにも神主さんなどざわざわ人が出入り。時間通りに段取り良く進行とかそういう概念はこの世界にはない。このあたりのフリーダム感がいかにも地方の祭事っぽくていい。あと、柱に立てかけらた王祇様が時々倒れそうになるのがドキドキした。転倒しないよう、若者が時々位置をメンテナンスしていた。で、提灯守りのおじさんたちはキリッとした顔で舞台を見守っているかと思いきや、めちゃくちゃリラックスしておられます。各自大きなポットをご持参で、それを横に置いて座っていらっしゃるんだけど、そのポットの中身が酒であるということは昨夜の状況からすると明白。みなさん仲良しらしく、隣の方と楽しげにキャキャキャキャキャとお喋りされている。そして、やっぱりその場でたばこ吸ってますし、時々、いなくなります。

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┃ 神社祭事のはじまり

春日神社での祭事も、一番最初は神事からはじまる。祭壇の左右に設置された壇に神社関係者や祭事関係者が正装で並んで座り、順番に祝詞を上げるなどして何かをやっていたのだが、このあたりの記憶すべて揮発。最後に神職さんの指示で拝殿に上がっている人全員が祭壇に向かい、礼をしたことだけは覚えている。玉串料自腹で出して拝殿へ上がるなんていうことをしたことがないので、何が起こっているのかまったくわからない私。とりあえず言われたままに従う。

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宮司さんらの指示にしたがってアッチを向いたり、コッチを向いたりするうち、天井に細かな装飾画が描かれていることに気づく。だいぶ古びてよく見えなくなっているが、格子状になったそれぞれのマスに細かな絵が描かれていた。牛や虎などの動物や、植物、富士山などの絵のようだ。また、祭壇のほうは能舞台より一段天井が低くなっているのだが、その段差になっている部分(なんていうの?建築用語わからず)にも豪華なあしらいが施されている。何の絵だろう? 天岩戸? この拝殿も出来た当時は相当華麗な内装だったのだはないだろうか。

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┃ 演能

 

上座 能「絵馬」

春日神社の演能では、前夜の当屋とは上演順が逆転し、各座の脇能一番ずつ、合同で式三番、各座の大地踏という番組になっている。

まずは上座の「絵馬」。囃子方がそれこそ神への供物を持つように楽器を高く掲げ、恭しく入場してくる。同じ演目を昨夜上座の当屋で見たばかりだが、囃子方の一部を除き、出演者はすべて変更されている。また、昨夜は公民館での演能だったので習い事の発表会っぽい見た目になっていたけれど、古びた神社で演じられるとかなり雰囲気が出る。橋掛かりがあるためか、役者が舞台へ入ってくるときの印象も大きく変わっていた。昨夜は蛍光灯の白い光のトップライトの印象が強かったが、今日は足元にある提灯の橙色の光(と言ってもこれも電球だけど)に照らされてのフットライトでの演能になり、装束や面が美しく映えている。天井に蛍光灯もあかあかとついているが、天井や梁の木の色を受けて光全体は赤みがかっているので、人工的な白さがそんなにも気にならなかった。

昨日から気になっていたのだが、普通(というか五流では)、能面は能役者の顔より小ぶりなものを用いて、顎が出るようにしてかける。顎が出ていることによって、そこからその能楽師の歳ばいや体格等を読み取ることができる。あれ、はじめは「おっちゃんは顔がでかいからはみ出てるのかな……」と思っていたのだが、能楽師のインタビューで読んだところによると、これは意図的なことで、出ていないとむしろ落ち着かないそうだ。しかし、黒川能では面は役者の顔をすべて覆い隠しており、役者がどのような人であるのかを察することはできない。一夜目の記事で、黒川能の面をかけた舞い手が文楽人形のように見えると書いたが、血肉を持たない人形のように見えるのは、面自体ののっぺりとした印象に加え、生きた人間の肉体性を感じさせない面のかけかたもひとつあるのだろうと感じた。

しかし「絵馬」、長すぎて、かなり、疲れた(正直)。2時間以上あった。謡を伸ばし気味に平坦に唱えるので(もはや「唱える」なんです)、五流の同演目より時間がかかっているのではないだろうか……。そして、拝殿内、とにかく寒い。暖房設備がないので、室内でも外気温と同等と思われる。吐く息が白い。しかも床は板張り。玉串料をおさめたときに貸してもらった座布団をお尻の下に敷いているけど、極寒の中ずっと座っているのはかなり辛い。とはいえ、きついのは体勢だけで、周囲の人と仲良くなったので変な緊張や遠慮はいらず、気持ちの上では過ごしやすかった。

それにしても場内騒々しい。いや、率直に言う。めちゃくちゃやかましい。謡聞こえんがな。さすがに前列のほうにいる外来者は舞台を見ているばかりなのだが、能舞台から離れた後方、火鉢(というか炭火が入った箱)の側等にいる地元の方々は演能中でも楽しげに歓談されていて、かなりざわついた状態になっている。昨夜の「これ喋らないほうがいいな……」という状況とは打って変わっての喧騒。当屋での観覧応募の当選者に送られてくる書類に「二日目の春日神社は祭事のため騒々しい中での上演になる」という注意が書かれていたが、こういうことか。地元の方々的には、地域の面々全員が会する二日目のほうが盛り上がるようだ。

っていうか、このやかましさに関して一番ウケたのは宮司さんらしいおっちゃんがMYコップを持って提灯守りのおじさんたちのところを回ってきて、がばがば酒飲みながら最前列でキャキャキャキャキャと歓談しておられたことだ。おっちゃんおっちゃん、舞台に神さん出とるがな。天照大神住吉明神は他人なんでしょうか。確かに鶴岡からはだいぶ遠くに住んではる(?)けど。宮司さんはかなり出来上がっていらっしゃった。どのくらい出来上がっていたかというと、藤蔵さんくらい出来上がっていた(藤蔵さんは出来上がっていません)。

 

 


下座 能「高砂

下座の番になると、囃子方の座順が上座とは逆転する。右側から太鼓、大鼓、小鼓、笛。役者の入場も舞台右側の橋掛かりからとなり、後見も右の橋掛かりに座ることになる。ふだん観る演能と左右逆転しているので、少し不思議な雰囲気。今日も翁のおだんごはミイのように縦長で、嫗はちびっこちゃんである。熊手を肩にかけた翁の立ち姿は端正で、印象的だった。

後シテの住吉明神が出てからは、神社での演能ならではの荘厳な雰囲気。住吉明神は濃いネイビーブルーに金で大きく紋の入った狩衣、輝くような朱色にこれも大きな金柄の半切袴をつけ、透冠(?)に長い黒髪を両脇に垂らして、色黒のマイケルジャクソンのような面をかけている。住吉明神ってあんなハワイ帰りみたいな感じの人(?)なのだろうか。大阪在住だから派手なんでしょうか(?)。調べると五流では「高砂」の住吉明神には「邯鄲男」という面を使うことが多いようだが、ああいうすっと上品な色白の貴族風の顔ではなくて、肌はかなり濃い茶色、小さな金の目をやや下向きに剥いていて、口を四角く開き歯を見せてつけているかのような表情の面だった。そして、ゆらゆらとした黒い前髪が面に描かれている(これがマイケルジャクソン感をかもしだす)。何の面なのだろう。装束の色彩の強いコントラストとあいまって、異界の鬼神のような、不思議な神の姿だった。

ちなみに「高砂」で一番有名であろう「♪高砂や この浦舟に帆を上げて」の部分、ここを謡うワキのみなさんがお若すぎて、「♪海は広いな 大きいな」的な唱歌童謡の世界になっていて、可愛かった。うーん、楽しそう。橋掛かりに控えている後見の方も一緒に地謡を詠っていたのが印象的だった。

普段、能楽堂で能を見ていると、登場人物に対して背景が動いていくような、絵巻物を繰っているようなイメージを受ける。特に道行は、その謡に合わせて背景……鏡板の松のことではなく、桜が満開の吉野の風景や波の音が響く静かな海辺の風景が見えるのである……が左から右に向かってゆっくりと流れていくように見える。しかし、ここでは背景は一枚ずつの絵になっていて、場面ごとに屏風を取り替えていくようにパタパタと切り替わっていくようなイメージ。能楽堂のほうが背景が整理されていて、抽象度が高いせいだろうか。それとも所作等の違いによるものなのか、不思議だった。

このあたりで12時頃。舞台に出ている人が頑張ってやっているのはわかるんですけど、空腹の限界、玉串料をおさめたときにもらった軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込みご飯)を食べる。もぐもぐもぐもぐやっていると、提灯守りのおじさんがなんとお弁当を分けてくださった。提灯守りの方々は一日中そこに座りっぱなしになるハードなお仕事なのだが、そのぶん、重箱に詰めた素敵なお弁当を持参されている。というか、祭事の最中に奥様が届けにきたりする。私の隣にいた人がそのおじさんたちと仲良くなっていたので、私もおこぼれを頂戴できたのである*2。おじさんは重箱一段をまるごと分けてくださったのだが、中身は謎の山菜(ザーサイと白菜の中間みたいな柔らかくくにゃっとしたもの)をあっさりとした薄味で煮たもの、食べやすい小ぶりなサイズの塩味の卵焼き、自家製のお漬物などなど、おじさんの奥様が作ったであろうごくごく普通の家庭料理がいっぱいに詰まったもので、とても嬉しかった。アルミホイルの仕切りに包まれてぎゅうぎゅうにされた、すべていちから手作りのおかずたちがたまらなく愛おしい。冷えてもおいしいメニュー。謎の山菜の煮物が特においしかったのだが、私には正体がわからなかった。お弁当を分けてくださったおじさんが名前を教えてくれたけれど、それは地元での通称で、私は知らないものだった。あとから横にいた別の提灯守りのおじさんが「〇〇〇〇とも言う」と教えてくれたんだけど、それもわからなかった。周囲の人はわかっていたので、メジャーなものなのかも。さんざんむさぼり食ったが、おじさんご自身はそのお重に手をつけていなかったため、まるごと全部食っていいかわからず、微妙に少し残した(謎の遠慮)。

全然関係ないが、このあたりで目の前に座っている提灯守りのおじちゃんの肩衣が曲がっていて気が気でなくなる。文楽人形の塩谷判官のように「ぴっぴっ☆」と自分で直してくれればよかったのだが、まったく意に介していらっしゃらないご様子で、昭和のロボットアニメの巨大ロボの肩飾りみたいな感じで最後まで曲がり続けていた。

 

 


式三番

春日神社の式三番で特徴的なのは、囃子方を両座から出しているため、各パート2人ずついることだ。小鼓の人が3人くらいいたような気がするけど、幻覚かもしれない……。

翁の袴は白ではなく浅葱色だった。昨夜も思ったけれど、洗練されていないというか、技量が異様に秀でていない人がやっていないことが逆に効果的で、神に身近感があるというか、翁にすごく親近感が湧く。三番叟は昨夜より若い方だった。個人差だろうか、籾種撒きの所作ではより深く腰を曲げていて、能舞台すみずみまで丹念に種を撒いていた。鈴の段って、やっぱり、種撒いてるんだなということがよくわかった。

パンフレット等の解説ではよくわからなかったのだが、帰ってから調べてみると、黒川能王祇祭の式三番は五流の演じる式三番とは異なっており、上座では翁が「所仏則翁」、下座では三番叟が「所仏則三番叟」といって、特殊なものとなっているらしいことがわかった。そして、春日神社の式三番では翁は上座、三番叟は下座から出すというしきたりになっているらしい。それで三番叟が当屋(上座)と違ったわけか。

 

 


大地踏

上座・下座それぞれの大地踏みを再び行う。配役は昨日から変更され、上座はもう少し声の大きな子になったが、やはり何を言っているのかはわからなかった。広げた大きな扇を見つめて、何かを一生懸命唱えている。下座の女装の子はかなり可愛くて(化粧されてるのかな?)、観衆にサービススマイルを振りまいていた。しかしこの演目のイイところは、神事の最中ではございますが突然鶴岡市の市長サンが登場し(一応紋付)、大地踏をした子がそのまま能舞台で市から額入り感謝状と箱みかん等の副賞をもらえることだな。「感謝状」というのがよくないですか。ローカルイベント感もりもりで、癒された。

このあたりで提灯守りのおじちゃんにオヤツのかっぱえびせんをいただく。めっちゃ食いもん持ってる。

 

 

 

┃ 王祇祭のクライマックス 〜棚上がり尋常/餅切尋常/布剥ぎ尋常〜

ここからが祭事の大詰め。このあたり、興奮しすぎて記憶が混沌としているので、間違っていたらごめんなさい。

式三番が終わると能舞台宮司さんがやってきて、提灯の電球の火を本物のロウソクの火に差し替えていく。ここまでは能舞台の縁に置かれている提灯は舞台台座についているコンセントから電気を吸って点灯しているのだが(ついてるんですよ、コンセントが。能舞台に。祭事中に提灯守りのおっちゃんがザツに座ったためかプラグが抜けて、提灯が消えたのを見た見守り人が焦って飛んできたのめっちゃ笑った)、宮司さんが提灯の覆いをはずし、電球をどけて中に仕込まれたロウソクに神灯から取ってきたらしき火を移していく……んだけど、宮司さん酔っているのか、1個目の提灯をつけるために神灯をつけたロウソクを傾けたそのとき手元が狂い、垂れてきた自分のロウでロウソクが消えた。

宮司さん、提灯守りのおっちゃんズ、私&見物一同「「「「「「あらあああああああ!!!!!!」」」」」」

するとすかさず肩衣姿の世話役のおっちゃんが飛んできて、自分のたばこ用ライターで点火したのでめちゃくちゃ笑った。神灯をとりなおしに行かんのかい。このざっくり感、最高だと思った。宮司さん&肩衣のおっちゃんはその後も舞台を回ってせっせと提灯に(おっちゃんの私物ライターで)本物の火を点火していった。これを一個ずつやるのでかなり時間がかかる。点火しながら提灯の位置調整が行われ、能舞台と祭壇をつなぐ通路に降りる部分に人が通れるよう空きを作っている。また、見物客はその通路部分からどくようにという指示がくる。いよいよ何かがはじまるようだ。ぎゅうぎゅうになる見所。

……と、しばらくぎゅうぎゅうにされたまま、謎の時間が経過。世話役の人がやってきて、通路キワに座っている人に「もう少し下がって、この板くらい」等言ってくるのだが、これから何が起こるのか。また何か勢いがある行事なのか。ふと祭壇側を見ると、何かお膳のようなものを通路中央に並べて支度をしている。頭に白い布を巻いて、黒い蘇芳のような着物に縄でたすき掛けをした若者が4人おり、2人ずつ左右に別れてそのお膳を挟んで向かい合って座っている。舞台の上には襦袢にたっつけ袴姿の若者が上座・下座に別れて集結し、朝と同じように円陣を組んでぴょんぴょん跳ねながら「わ〜〜〜〜っ」と叫び、クルクル回転して気合いを入れている。「祭壇の前にいる4人の若者」「通路の人払い、提灯をどける」「能舞台上に集結している若者」……これはもしや、と思ったら、祭壇の前にいた4人……というか、上座・下座各2名の若者が盃を一気に飲み干し、能舞台に向かって走り出す! 舞台上の若者たちは彼らをリフトし、能舞台上の棚の上へ飛び上がらせる!! さらには王祇様をかつぎ上げて棚上の若者へパス、棚の上の梁へ横向きにして乗せた!!! この間数秒、一瞬で終わる競合祭事に驚き。これがプログラムに書かれていた「棚上がり尋常」というものらしい。

この後、長〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い待ち時間が発生。棚の上に上がった4人の若者はそのままあぐらで座ってじ〜〜〜〜っとしている。いったい何の待ち時間なんだ? あの子たちトイレ行かなくて大丈夫? と思ってふと振り返って祭壇のほうを見たら、神前で両座の代表者らしき肩衣姿の人が派手な飾り花の鉢の前に正座して、何かゴソゴソしている。よく見ていると、飾り花の鉢に挿してある無数の小さい飾りを取って細い竹の棒に取り付け、小さな造花のようなものを拵えている。何本も、何本も、何本も。ここでわかった。一夜目の王祇会館での事前説明の際、「二日目の春日神社へ行く方は帰りに“小花”を受け取ってください」と言われるのだが、”小花”が何なのかは説明されず、“小花”って何?と思っていたら、もしやあれがその“小花”。ということは、この拝殿にいる玉串料をおさめた全員分をいまここで生産しているということである。そりゃ時間かかるわ!と納得した。そしてこの小花作りは、この後1時間ほどかかることになる。

ところで、祭壇前では小花作りと同時並行して食膳のようなものも用意されており、祭事の関係者に配ったり、それを上座・下座の楽屋等へ運び込んでいるようだった。それを受け取ったらしい楽屋から声が聞こえたりするのだが、何をしているのかはやはりわからない。この最中、青い肩衣姿の若者が人や祭具を持っていったりきたりするのに神職さんたちが付き添っていて、進行を知らなけど運搬等をしなくてはならない若者ズが女性の神職さんに「早い!! まだ!!! 待って!!!!」とビシバシ指導されていたのが面白かった。それにしてもこの時点でもう4時半過ぎてるんだけど、まだまだ見物から見えないところで延々何かが進行中。声だけが聞こえる。この祭事、いつ終わるんだろう。隣の方と「5時終了って聞いてたけど、これ、めっちゃ押してますよねえ……」と会話。

一方、能舞台奥では襦袢姿の若者たちがやっぱり円陣を組んで「わ〜〜〜っ!!!!」と叫びながら飛び跳ねている。もしかして、あれは気合い入れではなく防寒対策なのだろうか。若い子は本当元気だねえ。みんな今っぽい普通の子なんだけど、かっこつけてる子もおとなしげな子もみんなピュアそうで、一緒になってキャキャキャキャキャとずっとはしゃいでいる。きゃーきゃーやってみんなのウケを取ろうとする子、酔ってテンションが上がってる子(途中から酔いつぶれて寝てた)、それをちょっと離れて見ていて世話を焼いている子……、みんな仲良しでいいねえ……。みんなが着ている襦袢はおばーちゃんの古い着物のリメイクとかなのかしら。純粋な下着的なものではなく、セルリアンブルーや紺等、落ちついた色味ながら、ちょっと華のある細かな柄が入ったものなんだけど、よく見ていると柄がお揃いの子がいたり。ご兄弟とかいとこ同士とかなのかな。いいねえ。そして、その若い子たちの中に、仲良しらしいおっちゃんが混じってたりするのも良い。おとなしくさせようとしているのかと思いきや、一緒にはしゃいでいて、混ざっているようで混ざっていないようでやっぱり混ざっているって感じで味がある。

きゃーきゃーやっている若者たち、延々続く小花作り、楽屋から聞こえる挨拶の声に注意を引かれていたが、ふと周囲を見回すと、午前中には報道のカメラしかいなかった能舞台両脇に、いつの間にか観覧客が増えている。服装や様子からするとほとんどが地元の人のようだ。若い女の子も多い。そしてしきりに皆スマホ能舞台に向かって構えている。いよいよ何かが始まるというのか。

このあたり記憶が完全にあいまいなのだが、何かの合図をきっかけに突然舞台上が混沌として、棚の上に座っていた若者たちが棟木に固定してある餅を落とした! 固定している縄を切らなければ落ちないわけだが、あまりに一瞬で落ちたので、どうやって縄を切って(外して?)落としたのかわからない。上座側はすぐに落ちたのだが、下座側がなかなか落ちない! 下座の若者たちは餅に向き合って一生懸命なにかをしているが、餅はびくともせず、能舞台脇にいる地元の女の子たちがもはや怒号とも言えるものすごい声で叫んでいる! 彼氏や旦那さん、幼馴染、同級生への応援!? すごい騒ぎ!! この餅落としと同時に、梁の上に上げられていた王祇様を舞台上へ下ろし、下で待ち構えていた若衆たちが巻きつけられていた細長い白布を持って祭壇へ走る! このあたり本当に一瞬で、ものすごい喧騒の中行われるので、何が起こったかまったくわからなかった。

…………………なにがなんだかわからず座っていたら、提灯守りのおじちゃんに「終わったよ〜」と言われた。おじちゃんたちも帰ろうとしているし(っていうか私より先に帰った)、地元の人たちはすでにだいぶいなくなっている。プログラムには祭事の最後の部分に「餅切り」「布剥ぎ」というのが書かれていたが、何だったのだろう。と思っていたのだが、帰ってから調べてみると、どうも「餅切り」というのは本当に餅を切るのではなく、先ほどの餅を落とす神事のことで、「布剥ぎ」というのはそれとほぼ同時にゴッチャゴチャの中で行われていた、王祇様と王祇様に巻かれた布を祭壇へ運ぶ動作(布は祭壇の前にいる人が受け取るというか、巻きつけられていたらしい)を表しているようだった。「餅切り」って、餅を固定している綱を切るってことだったのね。餅を切り分けて食わしてくれるのかと思い、周囲の人とワクワクしてた……。しかし、朝見た参道を駆け上がるやつもそうだったけど、両座で競うような神事でも、どっちが勝ったとか、そういうことじゃないのね。別に勝敗の判断はされていなかったし、誰も気にしていないようで、若衆たちは両座とも、終わったらまたみんなで円陣を組んで飛び跳ね、「わ〜〜〜〜〜〜〜っ」と叫んで盛り上がっていた。両座で同時にやること、みんなで盛り上がることに意味があるのね。

このあたりで午後5時過ぎ。タイムテーブルに「午後5時頃終了」となっていたその通りに終わった。意外。終了後、祭壇側をふと見たら、祭壇前に座って祭事を見届けていた一番格上らしき神職のおじいちゃんが爆睡していたのが良かった。笏を持ったままめっちゃ傾いていらっしゃった。誰も起こさんのかい。

帰り、社務所へ立ち寄り、玉串料をおさめたときに受け取ったIDカードホルダーを返却すると(よく考えるとすごい管理方式だけど、玉串料をおさめたかどうかはIDカードを下げているかどうかで判定されるのです)、さきほど神前でせっせと生産されていた小花がもらえた。三色の薄紙を重ねて花びらを作り、長めのお箸くらいの長さの竹の棒の上方に小さな豆で留めた、風車状のアイテムだ。昨日の王祇会館での説明によるとこれには厄除けの効果があるんだそう。拝殿内で床に落ちていたIDカードも一緒に渡したら、「拾ったのー? まいっかー」と1輪おまけ(?)してくださって、2輪いただいてしまった。

 

 


┃ 王祇祭の終わり

一日神社の中で過ごしたので時間の概念がまったく消えていたが、外に出ると周囲は薄暗くなっていた。雪はもう降っていない。帰路については、黒川・JR鶴岡駅間のバスは土日運休(衝撃)なので、タクシーを呼んだ*3。王祇会館前でタクシーを待っていたら、王祇会館のスタッフさんが「このあと地元の人だけでの行事があるので」と帰っていかれた。やっぱり地元の人全員参加で祭事を行っているんだな。地元の人は翌日も事後行事などがあるようだった。周囲はもう誰も歩いておらず、車も通らない。普通の田舎の集落に戻っている。暗闇の中にヘッドライトが見えて、タクシーが来た。きょう一日を一緒に過ごした方と握手して、挨拶をして別れる。路面にまったく積雪がないほど天候がよく、渋滞等もなかったため、スムーズに鶴岡市街へ戻ることができた。王祇会館からJR鶴岡駅まで迎車込みで4000円弱だった。いや、迎車料入っていたかわからん。運チャン、そもそもだいぶ走ってからメーターのスイッチ入れてたし……。

こうして私の王祇祭、黒川での濃密な2日間は終わった。

 

 


┃ 祭りの高揚を後に

私感だが、結果的に、一番話題性のある(?)一夜目の当屋での演能より、二日目の春日神社のほうが面白かった。何が起こるか一切わからないのがとにかく最高だった。一夜目と違い、本当に誰も何も説明してくれないので、目の前で起こっていることが何なのか、まったくわからなくてめちゃくちゃ面白かった。もう、なにがなんだかよくわからないけど、興奮。なにがなんだかわからないって、楽しい。

二日目の観覧客は客層が変わり、玉串料を納めて拝殿に上がっている人にはかなりやる気のある人が多いようだった。拝殿内は狭いので、観覧客の絶対数も減っていると思う。玉串料は安くないし、演能は当屋と同演目だし、朝8時半から夕方5時までの長丁場なので、こっちはさすがに「本気」の人しか来ないのだろうか。私は気まぐれ、興味本位にしか過ぎなくて、もともとは当屋を見終わったら山形県内を観光して帰ろうと思っていた。「でも、せっかく鶴岡まで来たんだし……」という貧乏性的な気持ちで参加したのだが、本当、行ってよかった! もし王祇祭を観てみたいという方がいて、当屋の観覧に落選した*4or応募期間が過ぎてしまって観られないとしても、二日目の春日神社だけ観るのでも十分楽しめると思う。地元の方々がより楽しそうだったのも二日目である。一夜目は本気、二日目はお楽しみ、なのかな。*5

しかしすごいのは、やっぱりこの日も観光客扱いは一切されないことである。観光客扱いどころか案内もしてもらえないのですべて自力解決。「←受付こちら」くらいの張り紙をしておいてくれてもいいのに。ここまで観光的な概念と隔絶されているとは思っていなかった。本当、あくまで地元の祭事なんですね。それにしても地元のおじさんは、お弁当まで分け与えてくれながら、こちらの細かいことには全然干渉してこないのはすごいと思う。お弁当を分けてくださったのは、おっちゃんのただの「素」なんだと思う。

春日神社では、周囲の方々(祭事・民俗芸能マニアの方々)と一日中わいわいお話しできたのも楽しかった。自分は趣味を社交ツールとは捉えておらず、趣味を通じて友人友達を作りたいとは考えていない。しかし、趣味関係の場で偶然出会う人って、初対面でも盛り上がれて楽しい。趣味そのもの、例えばこの王祇祭なら民俗芸能、能楽の話だけでなくその他の興味領域も近かったり、逆にいままで興味がなかったことや知らなかったことに関してお話を伺えたり。謎の待ち時間も楽しく過ごすことができた。

とにかく、純粋に楽しい2日間だった。

民俗芸能は地元の祭事に付随していることが多くて、開催日や場所柄なかなか観に行くことができないけれど、今回の王祇祭に参加できたことは自分にとって貴重な体験だった。一夜目の感想にも書いたけれど、民俗芸能というのは観劇でなく「体験」で、「参加」なんだね。よそ者ではあるけれど、その地域や地元の人々の暮らしにほんの少しだけ、触れることができた気がする。過度に神聖視して持ち上げるのは、不誠実な気がした。

 

 


個人的な二日目のチェックポイント。

  • 玉串料奉納でもらえるもの
    拝殿に上がるには玉串料5000円が必要。玉串料をおさめると授与品がもらえる。内容は、春日神社のパンフ、お札、お神酒の小瓶、神饌(お供え物的な砂糖菓子2個)、軽食(プラパック入りのしょうが味の炊き込み御飯)、あとお茶の小さいペットボトル(ホット!)。これらのものを袋に入れて渡してもらえる。ほか、座布団を貸してもらえる。

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  • 防寒対策
    拝殿内はむちゃくちゃ寒い。火鉢やストーブはだいぶ後ろに下がったところにしかないので、能舞台キワで見物したいとなると外と同様の防寒具、カイロ必携。とにかくものすごく寒い。室内だけど息が白い。温かい飲み物を入れた水筒は本当に役に立ってくれた。
  • 荷物の整理
    事前に特にそのような案内はないが、場内とくに前方(いわゆる正面席)はかなり人が密集する。自分ひとりコンパクトに座るので精一杯、大きな荷物を置く場所はないので、手荷物を小さくまとめて行ったほうがいいと思う。ただ、荷物預かり等をしてくれる場所がないので、近隣の民宿に泊まっているor王祇会館の休憩所を申し込んでいる(一夜目・当屋の観覧申し込みをしていると、荷物を置いておかせてもらえる)or自分の車で来ている等でないと、どうしようもない問題だと思うけど……。
  • 撮影許可とカメラ
    春日神社も許可制で撮影が可能(要撮影料3000円)。社殿内、かなり光量があるので、コンデジで十分な撮影ができた。一夜目に続き、ここでも演能中・祭事中の撮影ができる。ただ、祭事中はともかく、神社の儀式に属するような神事中(宮司さんから脱帽等の指示がある)はさすがにシャッター音を立てるのはマナー違反だと思うので、遠慮したほうがよいと思った。
  • 資料ゲット
    一夜目からずっと「何が起こっているのかわからなかった」と書きまくってきたが、実は王祇会館では黒川能や王祇祭の祭事を解説した書籍が販売されているらしい。買ってこればよかった……。五流の定例公演等に行くとロビーに「本日の使用面リスト」が張り出されていて、使用している面の種別(名称)がわかるけど、当然ながらここにはそういうサービスはない。そして、提灯守りのおっちゃんや世話役の肩衣姿の人、各座の提灯持ちの若者にも役職名があるらしくて、そういう地元の人しか知りえない情報も書かれているのかもしれない。

 

*1:やっぱり寒いらしい。寒いと言っていた

*2:我々がきゃっきゃと話しているので、おじさんが「あんたらお連れさん?」と聞いてきたが、隣の人は「赤の他人です。さっき会いました」と本当のことを真顔で答えたので、おじさんは「……?」となっていた。

*3:王祇会館受付にタクシー会社の電話番号を聞いたら、すでに呼んでいて割り勘相手を探しているという人を紹介されたが、遠慮した。割り勘相手を探している人は何人もいらっしゃった。私とは逆にタクシーに相乗りしてくれる人を探したい方には楽な環境だと思う。交通の便悪すぎの件に関しては、民宿等に泊まっている人は宿の方が送迎してくれるようだった。タクシーは早めに予約しておいたほうがよさそうだった。タクシー会社は何社かあるのだが、地方なので台数自体が少ないため。

*4:王祇祭当屋は収容人数に制限があるので事前応募制で、当選者のみが観覧できる。しかし、春日神社で知り合った方に伺ったところによると、今年は応募が少なく、全員当選だったらしい。当日ビジターでの観覧の受付もしていたそうだ。

*5:次回また来るとことがあれば一夜目は下座へ行ってみたい。王祇様の配置の仕方や能舞台の構成が違うらしいので。