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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『奥州安達原』全段のあらすじと整理

2022年9月東京公演で上演されている『奥州安達原』全段のあらすじをまとめる。

INDEX

 

┃ 概要

初演
宝暦12年[1762]9月 竹本座

作者
近松半二、竹田和泉、北窓後一、竹本三郎兵衛

 

近松半二の作品の中では中期にあたる頃のものだが、人形入り現行上演がある演目ではもっとも早い時期のもの。復曲を含めると、四段目まではほぼすべて上演可能。

かつて源氏に滅ぼされながらも、奥州に独立国家を打ち立て朝廷に反逆しようとする安倍一族の野望を軸に、善知鳥伝説や安達原の鬼女伝説といった有名な奥州の説話が取り込まれている。これらの要素を無理に接木したり、そのまま流用するのではなく、話の流れ、すなわち登場人物たちのドラマにうまく組み込んでいるのが特徴で、全体通して話がまとまっている。魅力的な叛逆者や、暗黒面に落ちながらも気高い人物への賛美など、近松半二らしいキャラクター設定も魅力。ストーリー自体の求心力が高く、全段上演時に最大の効果を発する構成となっているので、ぜひ全段で上演してもらいたい演目である。

 

 


┃ 登場人物

環の宮
当今の弟。ちびっこ。

匣の内侍
環の宮の乳人。匣は「くしげ」と読む。

大江大将維時
帝の権威をカサに着てふんぞり返る蟹公家🦀。鳥貴族とは関係ありません。八幡太郎義家の妻、敷妙を狙っている。

八幡太郎義家
鎌倉の武将、源頼義の子息。平傔杖直方の娘・敷妙を妻に持つ。

安倍貞任・宗任
安倍頼時の息子兄弟。頼時が滅びた際に行方不明となったままだが、近頃都近くで叛逆の噂が流れている。

八重幡姫
八幡太郎義家の妹、生駒之介に片思いしている。スーパーお姫様であるにもかかわらず、夜に出歩く。

瓜割四郎糺
義家の家臣だが、維時と内通し、主君を陥れようとする。傾城恋絹に横恋慕してキモくつきまとう、言われなくてもわかる三枚目。途中から突然「いざというとき、全身がところてんのようになる」という奇病にかかる。どういうこと?

志賀崎生駒之介英
義家の近習。イケメン。傾城恋絹と恋仲。まあ特にこれといって自分で何かするとかはできないタイプの若造ですね。

傾城恋絹
九条の里の遊女。生駒之介の子を身ごもっている。もともとは町人出身ではないらしく、出生の秘密を隠したお守りを大切に持っている。

平傔杖直方
老武士。元平家だが、現在は源氏方・八幡太郎義家の家臣。かなり真面目でもの堅い性格だが、実は娘たちが可愛くて仕方ない。孫はもっと気になる。

敷妙
平傔杖の姉娘で、八幡太郎義家の妻。格式高い女性。

中納言則氏?
かつて勅勘を受け、奥州へ流された桂中納言則国の息子。則国が没した後も島守をしていたというが……?

善知鳥文治安方
外が浜で猟師を営む。元は武士で、安倍頼時の家臣・鳥の海の前司安秀の息子。達筆。

お谷
文治の女房。貧乏の中、息子・清童を精一杯看病している。

長吉
外が浜の海士。お谷に横恋慕している。海に入るとイキる。奥さんは結構屈強な感じの方。

鵜の目鷹右衛門
外が浜の素直ネーム代官。義家が放った鶴がいないか探しにくる。

南兵衛?
外が浜で金貸しをしている無頼漢。文治に金を貸しており、期限が過ぎたと言って取り立てに来る。

清童*1
文治とお谷の息子。熱病で床に伏せており、食欲もほとんどない。高価な人参がなければ治らないと言われている。病気で苦しんでいても、不在がちな父を気にしている。

浜夕
平傔杖直方の妻。もう随分立派な大人のはずの敷妙を、小さな娘かのように可愛がる。男を作って家出した妹娘・袖萩のことを今でも気にしている。

袖萩
平傔杖の妹娘。かつてある男と恋に落ち、身ごもったゆえに実家を出奔した。やがて娘・お君が生まれるも、6年前にその男と別れ、いまは朱雀堤で袖乞いをして暮らしている。非人仲間からは「お袖」と呼ばれている。

お君
袖萩の娘、10歳。最近は目の見えない母をかいがいしく介助している。袖乞いらしい言動をする。朱雀堤のアイドル。

かさの次郎七、とんとこの九助、六
朱雀堤をホームにする非人三人組、袖萩の友達。普段は茶屋の前の掃除など軽い手伝いをして食べ物や酒をもらっているが、あんまり面倒なときはさぼっている。次郎七と九助はアル中の六を「しょうがないな〜」と思っている。

薬売り?
「あんぽん丹」を商う旅の薬売り。薬の飲み方(いっしょにとってはいけない飲食物)も説明してくれる薬剤師タイプ。

老婆?
安達原に一軒だけポツンと建つ家の主。家の前に志の高灯籠を灯し、旅人を迎え入れているが……?

娘?
安達原の一つ家の娘。老婆から丁重に扱われている。

 

 

 

┃ 初段

大序 鶴が岡仮屋の段

後朱雀院の時代。奥州の豪族は源氏によって平定され、世は穏やかになったかに思えた頃。
都よりの勅使・大江大将維時は、鎌倉の八幡太郎義家を訪れ、奥州の流人・桂中納言則国を大赦により召し返すように命じる。また、紛失した十握の剣の詮議をなぜ行わないのかと難癖をつけ、義家の家臣・鎌倉権頭景成と大揉めをはじめる。
そこへ農民たちがやってきて、鶴のつがい10組が神社にたかってどかないし、でかすぎて迷惑なので、あげます!!と言って帰っていった(いらんからって拾った動物を安易に人にやったらいかん!! っていうか20羽って、多すぎだろ!!!! )。鶴を受け取った義家は、源氏にとって鶴は縁起のよい鳥だとして、鶴たちの足に金の札をつけ、空へ解き放った。このことから、小林の岡にある神社を「鶴岡八幡宮」と呼ぶようになったという。

 

吉田社頭の段

京都・九條の里の太夫・恋絹は、吉田神社を参詣していた。彼女は恋人の志賀崎生駒之助英に会おうと出かけてきたのだ。そこへ、当今の弟・環の宮とその乳人・匣の内侍、そしてそれを追ってきた生駒之助がやってくる。生駒之助は義家の命により、環の宮を護衛せんと密かについてきていたのだった。環の宮は平傔杖直方が守護していたが、直方は堅苦しい性格だったため、環の宮らは自由がきかなかった。匣の内侍は環の宮の気晴らしの御幸の間、御所を守護しといてんかと直方を丸め込み、やっとのことで出てきたようだ。環の宮や匣の内侍が外の風景を楽しんでいると、なにやらヒョコヒョコ首を出す者が。恋絹の姿に焦った生駒之助は、あれが古今集にもある遊君というものだと滔々と説明しはじめ、恋絹はそれに応じて八文字歩きを披露し、「廓の口説」と称して生駒之助に張り付く。そうしてお付きの女中たちがへーへーへーとしているところへ、瓜割四郎がやってくる。生駒之助は瓜割から義家が呼んでいると聞かされ、やむなくその場を立ち去る。すると瓜割はここぞとばかりに横恋慕している恋絹にまとわりつき、嫌がる恋絹はキモ男から逃げようとする。
そこへ、餌竿を持った鳥刺が通りかかる。女中たちは宮様のお慰みにと、瓜割四郎に命じ鳥刺を前へ呼び出す。鳥刺は環の宮の前で歌を披露するが、突然、匣の内侍の袖へ付け文を投げ込む。匣の内侍は鳥刺の無礼な振る舞いに、環の宮を連れて立ち去ろうとするが、鳥刺がそれを追いかけるので、女中たちは大騒ぎになる。その場を逃れた匣の内侍と環の宮だったが、追ってきた鳥刺は内侍に「首尾よう参りました、様子は今の文の通り」と告げ、二人はいずかたへともなく姿を消す。
追いついてきた女中たちが鳥刺にわめき立てていると、平傔杖直方がやってくる。傔杖は環の宮らの帰館が遅いのをいぶかしく思い、様子を見にきたのだった。傔杖は鳥刺を捉え、女中たちから様子を聞くも、鳥刺は隙をついて自害する。宮の行方の手がかりを失った傔杖は狼狽するが、彼の懐中に「環の宮を盗み出し給わるべし」という何者からとも知れぬ状があるのを見つける。悔しがる傔杖だったが、この状が詮議の手がかりとして懐におさめ、館へと帰っていくのだった。

 

八幡太郎館の段

西洞院左女牛に構える八幡太郎義家の館は、義家の鎮守府将軍再任の祝いで賑やかである。忙しく立ち回る女中たちも、暇さえあればイケメン話に夢中であった。中でも個性的な顔立ちの楓は生駒之助に夢中で、鏡台を持ち運んでのメイク研究に余念がない。非モテ・瓜割四郎がそれに対してうるせ〜!と騒いでいると、玄関先に派手な身なりの女がやってくる。生駒之助に会いたいという女に瓜割がわめき立てていると、何事かとやってきた生駒之助は女を見てびっくり。詮議がぬるいと言って瓜割を追い払う。
人がいなくなると、生駒之助は訪ねてきた女=恋絹に、格式高い屋敷へ昼日中に来てはならないと言って追い返そうとする。しかし恋絹は、何者かが自分を身請けしようとしている、生駒之助が駆け落ちしてこいと言った……と瓜割から聞いたと言ってそわつく。もちろんそれは瓜割の嘘であった。恋絹をどう隠そうかと生駒之助が思案しているところへ、女中の楓がやってくる。ひとまず恋絹を陰へ押し込み、しがみついてくる楓を口八丁手八丁で誤魔化していると、大江維時が館を訪れる。維時は雑掌・笠原軍記に、義家と平傔杖直方を始末する野望を語り、己の恋心をガン無視してくる義家の妻・敷妙への艶書を「頼むわ!」と預け置く。それを瓜割が出迎え、依頼の通り恋絹を騙して館へ引き入れてあり、それを落度に生駒之助をしくじらせる(そして自分が恋絹をゲットする)準備は万端と語る。
悪人たちがウッシッシしているところへ敷妙が姿を見せ、取り込み中の義家の代理として用事を伺うと出迎える。維時は威儀を但し、間もなく東国へ出立する義家への門出の祝いとして、白木の箱を差し出す。敷妙が蓋を開けると、中には切柄された新身の刀が入っていた。首切りに使う刀に敷妙は驚くが、維時は義家には胸に覚えがあるはずと言う。敷妙は刀を慇懃に受け取り、維時を伴って奥へ入る。
そうこうしていると、今度は九條の傾城屋、文字屋の友三と請人・惣助が生駒之助を訪ねてやってくる。焦った生駒之助はその場を取次の女中に任せ、楓が散らかしていた鏡台を持って奥へ引っ込む。白洲へ腰をかがめた文字屋は、身請けの決まっている恋絹が逃げたからには、深い仲であった生駒之助のもとへ駆け込んでいるに違いないと、「その筋の方」感溢れる惣助のパワーをチラつかせる。ところがそこへ「八幡太郎是にあり」と声がかかり、大紋姿の義家(?)が姿を見せる。驚いて這いつくばる文字屋らに、目線が胡乱な感じの義家(?)は、恋絹は好いたやつに添わしてやれと言いつける。ところが勢い込んで足拍子をした拍子に、立烏帽子が落ちて櫛払(櫛の掃除道具、針金を束ねてブラシ状にしたもの)でできたヒゲがポロンチョする。あーーっ生駒之助!と騒ぐ文字屋に生駒之助は奥へ逃げ込み、文字屋もそれを追おうとする。
そこへ現れたのは、義家の妹・八幡姫だった。八幡姫は、恋絹は自分が身請けすると言う。お金をもらえればなんでもOKな文字屋は姫から身請金を受け取り、あっさり九條へと帰っていった。一間に隠れていた恋絹は姫の情に顔もあげられなかったが、八幡姫は礼に及ぶことはないと言う。ただ力を貸して欲しいことがあるという八幡姫の様子を察した恋絹は、好きな人がいるなら何でも協力すると意気込むが、八幡姫の思い人というのは、生駒之助だった。恋絹は、自分と生駒之助との仲を知った上での姫の頼みは見捨て置けないとして、生駒之助との仲を切って姫に協力すると誓う。八幡姫は喜び、あとを頼んで頼んで去っていった。
それを影で聞いていた生駒之助は恋絹に掴みかかり、引き回して打ち叩く。恋絹はすがり泣き、やはり別れたくないと言って、これまで取り交わした誓紙を持っていると肌の守りの中身を示す。しかし生駒之助は、まだ手紙が入っていると言い立て、嫌がる恋絹から守り袋をひったくる。残された紙に書かれていたのは、「奥州六郡の主安倍太夫頼時 法名大了院殿喜山大居士」の文字だった。恋絹は、義家の父・源頼義に討たれた奥州の主・安倍頼時の娘だったのだ。いま帝に弓引く朝敵、安倍貞任・宗任兄弟の妹と結んでは武門の穢れという生駒之助は、恋絹に絶縁を告げる。恋人との仲の邪魔になる兄たちとは絶縁すると恋絹は嘆き悲しむ。
そこへ、影で様子を聞いていた義家が姿を見せる。生駒之助と恋絹は姿を隠し、義家は召し寄せていた奥州の流人たちを呼び出す。非常の大赦により赦免が下りたことを告げると流人たちは喜び勇んで去っていくが、そこへもう一人、しおしおとした様子の流人がやってきてうずくまる。それはかつて勅勘を被り流配された桂中納言則国の子息・則氏だった。父則国はかの地で相果て、そのまま自らも島守として朽ちていくところを救われたと語る則氏に、義家は父の官位を継がせ桂中納言則氏と名を与える。
冠装束を与えられ、義家の上座に移った則氏は、義家に三つの不審を問い立てる。一つには紛失した十握の剣の行方を追わないこと、二つには環の宮失踪は近頃都近くにあらわれた逆賊の仕業であること、そして三つには、それに関与が疑われる平傔杖直方は舅であるがゆえに、義家が見逃しをかけているのではないかということだった。すべてを聞いた義家がその返答は参内の折にと返すと、則氏は悠々と内裏へ帰っていった。
そうしているところへ、大江維時が姿を見せる。維時はさきほど敷妙に渡した刀の答えとして、環の宮の失踪の責任を取り、傔杖の首を討って渡すよう義家に迫る。行方詮議の手がかりとなる傔杖をおいそれと殺すわけにはいかないと、義家は維時をやり込める。義家は雑掌軍記に生駒之助・恋絹の二人を引きださせ、さほど抜け目のない義家がなぜ家中の不義を放置しているのかと問う。義家は二人を白洲に蹴落とし、敷妙にさきほどの刀を持ってくるように言いつける。ところが、義家が斬ったのは維時の雑掌軍記だった。維時は何事かと騒ぎ立てるが、義家は軍記の持っていた維時から敷妙への艶書を示し、傾城狂いは時の興であるが、主ある女に言いかけるのは畜生と言う。そして生駒之助は勘当して追放とし、二人で恋絹の故郷へ落ちて添い遂げ、かの国で環の宮の行方の手がかりを探るように言いつける。生駒之助と恋絹は義家の恩に感謝しつつ、館を去るのだった。

 

 

 

┃ 二段目

外が浜の段

津軽・外が浜では、海人の女房たちが男の話でもちきりであった(またかい)。ワイワイ騒ぐ女たちを海人・長太がおのおのの家へ追い立てていると、文治の女房・お谷がいそいそとやってくる。お谷は病気の息子のために薬をもらいにいく途中だった。お谷へ下心のあった長太は自分の女房を海へ入らせ、どさくさに紛れてお谷に抱きつく。お谷がバタバタ騒いでいると、代官・鵜の目鷹右衛門(突然のヤケッパチネーム)と庄屋がやってくる。代官たちは、八幡太郎義家が鶴が岡で放った金の札をつけた鶴がこの浦に舞い降りていないか探しにきていたのだった。長太は泣き叫ぶお谷を舟へ引き摺むが、様子に気づいた長太の女房が「なんかこういうの道成寺でみたことある!」って感じに激泳してきて、長太をとっつかまえてグルグル巻きにしてしまう。お谷はその隙にやっとのことで逃げ出すのだった。
そこへ、お谷の夫・善知鳥文治が山の猟から帰ってくる。文治は、今日は獲物こそなかったが、子供の薬になる人参を買う金のあてができたと語る。お谷が喜んでいると、浜の金貸し・南兵衛がやってくる。まだ金を揃えられないという文治に、それなら金の代わりにお谷を連れていくという南兵衛。ところが海の中から長太がぬっと現れ、お谷は渡さないと南兵衛と取っ組み合いになる。その隙にお谷は逃げていき、長太と南兵衛は大喧嘩。海へ投げ込まれた長太は「海の中では海士に勝てないだろ〜」とドヤりまくり、金を回収しそこなった南兵衛は白砂を蹴散らしムシャクシャと帰っていった。
夕闇が迫る頃、洲崎に舞い降りた鶴を簑笠姿の男が狙っていた。鶴を射殺した男がその足についていた金の札を外して押し頂いていると、鶴殺しの曲者と取り囲まれる。男は舟に飛び乗り、追っ手を撒いてそのまま行方知れずとなる。

 

善知鳥文治住家の段

海の漁師町の中に一軒だけある山の猟師・善知鳥文治安方の家に、浦方の年行司・庄右衛門が訪ねてくる。庄右衛門は病気の子供の茶粥を用意しているお谷を励まし、文字の読めない彼女のかわりに触書きを読んでやる。それによると、先日黄金の札をつけた鶴を殺した者がおり、もしそれを訴人すれば、黄金10枚の褒美があるという。夫がそんなことをするはずもないと言うお谷に、庄右衛門は安心する。この浜から科人が出たら、同伴で京都出張になるからほんと困るんだよねとつぶやきつつ、庄右衛門は帰っていった。
お谷は、出来上がった茶粥を伏せている息子・清童のもとへ持っていく。清童が食事より父の不在を気にするのを聞いて、胸を痛めるお谷。そこへ傾城屋を連れた南兵衛がやってくる。借金のカタとして、お谷を青森の傾城屋へ売ろうというのだ。お谷と南兵衛が揉めているところへ、文治が帰ってくる。文治は金なら返すと言って金細工の札を差し出す。潰せば3両の目方はあるという文治に、南兵衛はフムフムと受け取り、足りない分は居催促で待ってやると言って勝手に奥の間へ入る。(傾城屋は実は南兵衛が雇った芝居のバイトなので、帰らはりました)
金の札は拾ったものという文治に、お谷はやはり自分が傾城屋へ身を売って清童の人参代にして欲しいと懇願する。しかし元は武士であった文治は、浪人しても女房を売りたくないと言い、金なら工面の方法があるとなにやら手紙を認める。文治はこの手紙を代官所へ持っていけば、鶴殺しの訴人の褒美で黄金10枚がもらえると言う。人を陥れて金をもらうのは普段の夫の心がけに合わないと嫌がるお谷。しかし文治が訴人の相手は悪者の南兵衛だと言うので、お谷も納得して代官所へと出かけていく。
文治が仏壇を開き、香華を供えて鉦を叩いていると、清童の苦しむ声が聞こえる。薬を飲ませようとする文治に、清童はどこへも行かないで欲しいと懇願する。金と引き換えに鶴殺しの罪を負い、いまにも拘引されていかんとする父を慕う清童の姿に、文治の胸は張り裂けそうになる。文治は、父は行かなければならない用事があるゆえ、そのときは決して泣かず、はやく元気になるようにとなだめる。そして、いまから看経する父の主人の名を覚え、大きくなっても忘れないようにと言い聞かせる。文治が拝むその名は、安倍太夫頼時であった。文治は安倍太夫頼時の家臣・鳥の海の前司安秀の息子で、栗坂の戦いで頼時が散った際、彼の父もまた没し、今日がその命日であった。
ところが、奥の間から同じく安倍太夫頼時への看経の声が聞こえる。不思議に思った文治が障子を開くと、そこには素袍立烏帽子姿で位牌を拝む南兵衛の姿があった。実は南兵衛の正体は、安倍太夫頼時の子・安倍三郎宗任であった。父頼時の死後、領国を義家に奪われ、兄貞任とも離れ離れになった宗任は、13年間の流浪を経て、父の怨を晴らす報復の機会を伺っていたのだった。文治はその言葉に力づけられ、ともに回向をつとめる。
そうしていると、お谷が代官所から金をもらって帰ってくる。鶴殺しの罪人を取り逃がさないようにとお谷が勇んでいると、文治の家を捕手が取り囲む。ところが捕手に呼び出されたのは、夫・文治の名だった。驚くお谷に、鶴を殺したのは自分だと告白する文治。お谷は、文字が読めないばかりに知らずに夫を訴人した自分の無知を嘆き悲しむ。引かれていく文治を見た清童は驚いて枕屏風に伸び上がり、倒れてそのまま言切れてしまう。文治は、子を助けようとして自らの命と引き換えに罪を犯したにもかかわらず、その子に先立たれた貧しさの辛苦を嘆き悲しむ。引き立てられていく文治にすがりつくお谷を突き飛ばす役人に、南兵衛が突然、鶴殺しの科人はここにあると言う。南兵衛は、文治を犯人だと決めつけるには証拠はなく、義家が鶴の首に下げた金の札を持つ自らが鶴殺しの科人であると言い放つ。主人を差し出すわけにはいかないと慌てる文治だったが、南兵衛は捕らえられて都へ拘引され八幡太郎とまみえる機会があれば日頃の願望成就と、のちの備えを文治に言い渡す。ところが文治は突然山刀を抜きはなち、切腹しようとする。驚く南兵衛に、実は清童は文治とお谷の間に生まれた子ではなく、安倍貞任の息子で、その子の大病を治せず殺してしまっては、文治は貞任に合わせる顔がなかったのだ。南兵衛は死んで忠義がなるものかと文治を叱りつける。
こうして南兵衛は役人に引かれてゆき、死んだ子の本当の父を明かせないまま葬いをする文治・お谷夫婦は深く嘆き悲しむのだった。

 

 


┃ 三段目(今回上演部分)

朱雀堤の段

京都・七条の朱雀堤の仮橋のたもとに、10歳ほどの娘を連れた女の袖乞いがいた。お袖と呼ばれる女はこの春眼病にかかってから盲目となり、可愛がっている娘・お君の介抱でようやく暮らしているのだった。今日はお君の誕生日ということで、お袖はみなに振る舞う酒を用意していた。そうして非人仲間の次郎七、九助、六(アル中)とワイワイ騒いでいると、瓜割四郎がやってくる。瓜割は非人らに、頼んどいた生駒之助・恋絹の詮議はどないなっとんねんと言い、男のほうをいてこまして女のほうをコッチに渡せば、肴つきでたらふく酒を飲ましてやるとけしかける。実はいろんな茶屋で余りを貰っていて結構グルメな非人たちは、瓜割の豪華(?)奢りにワクワクしつつ出かけていくのだった。
人通りもなくなり、今日は商売仕舞いとお袖・お君が小屋へ入っていくのと入れ違いに、あちらからは八幡太郎義家の妹・八重幡姫、こちらからは平傔杖直方がやってくる。二人が意外な遭遇に挨拶していると、その火影を見た生駒之助・恋絹が近づいてくる。生駒之助は追われているゆえ恋絹を預かって欲しいと頼む。ところがその火影の主が傔杖と八重幡姫だと気づくと、生駒之助は己の身を恥じる。粋をきかせた傔杖は、下部を連れてその場を外す。
畏まった挨拶をする恋絹に、八重幡姫は、生駒之助のことはもう諦めていると言う。恋絹はお腹に子を宿しているので今生では生駒之助を借り、来世では姫に男を返すと誓い、その証拠に盃がさせたいと考える。すると小屋の中から打掛を羽織ったお袖が現れ、お君の誕生日の祝いに買っておいた酒で盃をさせると言う。姫はお君に酌をしてもらい、生駒之助と盃を交わして嬉しそう。そこへ酒の匂いを嗅ぎつけた六がやってくる。余った酒を全飲みする六はひとまず置いといて、お袖は、本来ならばお君も武士の子ゆえお姫様のようにもてはやされ大切に育てられたはずと涙をこぼす。そこへ次郎七と九助がやって来て、いやいや探しとった奴らがおるやん、はよせーやと六をせり立てる。ところが完全に“ガソリン”が入ってしまっている六は生駒之助たちの味方をすると言い出し、次郎七たちと大揉めしつつ走り去ってゆく。お袖はさきほどの侍が来ては危ないと、生駒之助と恋絹を小屋の中へ隠してやる。
やがて血眼になった瓜割四郎がやってきて、どこへ行ったと大騒ぎ。傔杖もやってきてなだめようとするが、瓜割は小屋の中が怪しいと言って呼び立てる。這い出てきたお袖の顔を見た傔杖はびっくり。お袖は、実は10年前に家出してそのままとなっていた傔杖の娘・袖萩だった。元は武家の娘で夫も浪人ながら東国の武士と言う袖萩に、瓜割はそれなら親か夫の名前を言えと迫る。それを言っては不孝の上塗りと言う袖萩に傔杖の胸は締め付けられ、なおも強い詮議に及ぼうとする瓜割を引き止める。傔杖のあまりに強い態度に瓜割も引き下がったすきに、袖萩は生駒之助・恋絹を小屋の影から逃す。
そこへ傔杖の郎等が使いに現れる。行方不明となった環の宮の詮議として、傔杖に切腹させるか宮を尋ね出すかという大江維時からの返答要求が来ていると言う。傔杖と八重幡姫は急いで帰っていくが、忘れがたい父の名を聞いた袖萩は瓜割にすがりつき、傔杖とは平傔杖直方ではないか、一大事とは何事かと尋ねる。瓜割は邪魔な袖萩を突き飛ばして去っていくが、父の一大事と聞いてそのままではいられない袖萩もお君の助けを受け、雪の中を走っていくのであった。
(現行では冒頭部分一部カットあり。今回上演では途中から突然出てくるとんとこの九助も、実は最初から出てきます)

 

環の宮明御殿の段

敷妙使者の段

主人のいない環の宮の御殿では、平傔杖直方とその妻・浜夕が館を守っていた。浜夕は雪の中庭に出ている夫に火へ当たるよう勧めるが、傔杖の胸のうちは、環の宮、そして、八幡太郎義家に嫁ぎながら、不覚をとった父のために肩身が狭いであろう娘・敷妙のことでいっぱいであった。敷妙のことを聞いた浜夕は10年前に出奔した妹娘・袖萩を思い出し、今頃どうしているかと呟くが、傔杖は不孝者の話を出すな、業が尽きぬゆえにいまは朱雀堤の橋の上でと言いかける。妙に具体的な夫の話に不思議がる浜夕を傔杖がごまかしていると、姉娘・敷妙が御殿へとやってくる。愛娘のにわかの訪れで浜夕は喜ぶが、敷妙は夫・義家の使者として訪れたと告げる。傔杖に上座を譲られた敷妙は、環の宮の行方詮議の日延べも今日限り、言訳がなくば聟舅であっても容赦なく、勅諚をもって敵味方となると義家の言葉を告げる。それを聞いた傔杖は、義家の配慮に感謝する。かつて敷妙を嫁入りさせたとき、平家の流れを汲む傔杖と源家の棟梁である義家は互いの旗を取り交わしていた。傔杖は環の宮失踪の件で娘敷妙が義家に離縁され、旗を戻させられないよう、源氏の白旗を神前に飾っていた。しかし今日、娘敷妙を使者にして寄越したからには、たとえ傔杖と敵味方になっても敷妙を離縁することはないという義家の厚情を察する。傔杖は、義家の来訪を待って回答すると伝える。しかし実は義家はすでに御殿の裏門口までやって来ていた。
義家を招き入れた傔杖は、これまで隠していた匣の内侍宛の環の宮誘拐の書状を義家に示し、安倍頼時の子息、貞任・宗任兄弟の仕業に違いないと語る。義家もうなずき、先ごろ引かれてきた外が浜の鶴殺しの罪人が安倍宗任に違いないとして、残る兄・貞任を捕えれば宮の行方がわかるだろうと語る。そして傔杖には、宗任をこの館へ引いてくるゆえ、禁庭の沙汰が及ぶまでに詮議するようにと言いつける。

 

矢の根の段

そこへ、桂中納言則氏が来訪したとの知らせが入る。則氏は見舞いとして持参した白梅の枝を傔杖へ贈る。則氏の視線に義家は、傔杖のところにいるのは依怙によるものではないとして、捕らえ置いてあった外が浜の南兵衛を呼び出す。義家は南兵衛の正体を安倍宗任であると喝破し、源家への報復のためわざと捕らえられたのだろうと告げる。しらを切る南兵衛に、義家は、かつて源頼義安倍頼時が射かけられ、白旗で受け流した矢尻を投げかける。矢尻は南兵衛には当たらず、庭の手水鉢に突き立つ。則氏は白梅の枝を示し、南兵衛がたとえ安倍宗任であろうと匹夫下郎であり、この花の名も知らないであろうと嘲笑する。南兵衛はさきほどの矢尻を口にくわえて肩を切り、血で白旗に歌を書き示す。「我国の梅の花とは見たれ共大宮人はいかゞいふらん」という見事な歌に、やはり南兵衛は安倍宗任に違いないと見定める則氏。悔しがる宗任は義家へ矢尻を投げつけるが、間一髪梅の枝で受け止められる。義家はさらなる詮議があるとして、宗任を奥へ引かせる。則氏は、場に残った傔杖に再び白梅の枝を手渡す。花に限らず切る時期が肝心という則氏の言葉に傔杖は覚悟を決め、奥へと去る。

 

袖萩祭文の段

雪空の下、袖萩とお君が御殿の庭先の裏門口へたどり着く。しかし勘当の身の上では取り次ぎも頼めず、袖萩の気は逸るばかり。物音を聞きつけ庭へ出た傔杖は、垣の外にいるのが袖萩だと気づく。何事かとやってきた浜夕も枝折戸の外を覗いて、久しく合わなかった娘の姿に驚き、あまりの落ちぶれように涙を滲ませる。やってきた女中たちは袖萩を追い払おうとするが、浜夕はそれをとどめ、物貰いなら願いの筋を歌で聞かせるようにと告げる。袖萩はそれに応え、これまでの自らの境遇と、お君という今年11歳になる娘がいることを三味線で弾き語る。孫と聞いた傔杖と浜夕はお君を気にするも、勘当した娘たちを館へ入れるわけにはいかない。袖萩はお君を非人の子と思い、声をかけてやって欲しいと懇願する。利口なお君は祖父母に袖乞いのように語りかけるが、その言葉を聞いた浜夕は嘆き悲しみ、傔杖は源氏の棟梁に嫁いだ姉の敷妙とひきかえての何者とも知れぬ男と契った袖萩の放埓を咎める。しかし袖萩は、夫と別れた時に預かった文にその筋目と本名が書いてあると言う。受け取った傔杖が書状を改めると、そこに記されていたのは奥州安倍貞任の名だった。そしてそれは匣の内侍への環の宮誘拐の書状と同筆。傔杖はいよいよもって面会することはできないとして、浜夕を伴って奥に入る。
取り残された袖萩はそれでも父の難儀を事情を知ろうと泣き叫ぶが、降りしきる雪に体が冷えきり、ついに倒れてしまう。母を心配したお君は着物を脱いでかけてやり、気付に雪を含ませようとする。お君の介抱に袖萩は意識を取り戻すが、娘が何も着ておらず、元着ていたものを自分に着せ掛けていることに驚く。抱き合う母子の姿に、様子を密かに見ていた浜夕は思わず打掛を投げてやり、悲しみの中、立ち去るのだった。

 

貞任物語の段

雪明かりの中、縄をねじ切った宗任が密かに庭先へやってくる。その姿にお君は怯えるが、自分は叔父の宗任であることを教える。袖萩と宗任は面会したことがなかったが、彼なら知っているかと、袖萩は別れたとき貞任に預けたお君の弟・清童がどうなったかと尋ねる。宗任から清童が病で死んだことを聞き、袖萩は悲しみに打ちひしがれる。宗任は、一家すべての敵は義家であるとして、父傔杖の首を討つようにと懐剣を預ける。
そこへ「曲者待て」の声がかかり、義家が姿を見せる。宗任は観念しようとするが、義家が投げかけたのは縄ではなく、真紅の紐に結わえつけられた金札だった。「源義家これを放つ」と書かれたその金札があれば日本中どこの関所も通ることができるという義家に、宗任は頭を下げてその場を後にする。
入れ替わりに、切腹の白装束に身を包んだ傔杖、白梅の枝に矢尻をくくりつけた腹切刀を三方に掲げた浜夕が入ってくる。傔杖が腹切刀を手に取ると同時に、袖萩も懐剣で喉を突く。様子に気づいた浜夕は驚き、袖萩もまた父傔杖が切腹したことを知る。袖萩はやっと館へ入り、傔杖と袖萩は親子の最後の別れを交わす。その様子を見届けた則氏は、倒れた傔杖から密かに環の宮誘拐の書状を抜き取り、後の詮議はよきように計らうとして立ち去ろうとする。
しかしそのとき、打鐘の音が鳴り響く。御所へ陣太鼓を打つとは何者かといぶかしがる則氏の前に、武装した義家が姿を見せる。安倍貞任に見参せんという言葉に、則氏は桂中納言に向かい何をもって貞任と怒りの色を見せる。義家は、則氏が幼い頃に見た頼時に生き写しであること、そして、さきほど宗任に梅の枝を示したのは梅=花の兄=兄貞任であることを問いかけ、源氏の白旗を兄弟の血判で汚し源氏調伏の願をかけたのだと読み解く。
貞任は無念の牙を噛んで、奥州で病死した則氏に成り代わって都へ入り込み、舅傔杖から環の宮誘拐の証拠となる書状を奪い取った計略が水泡に帰したことを悔しがる。貞任は太刀を取ろうとするが、義家は、勝負は戦場で決すると言う。そして、いまわの際の袖萩そしてお君に暇乞の情けをかけるよう促す。袖萩は6年ぶりに再会した夫の顔を見られない無念を悔やみ、お君は父にすがりつく。妻と娘の姿に、さすがに勇猛な貞任も涙を零すのだった。
そしてまた傔杖も、お君を引き取るという義家の言葉に安心し、平家の先祖に背いて源氏と縁を組んだ果ての我が身の不幸を嘆く。腹切刀の梅の枝は、血に染まって平家の紅梅となっていた。傔杖と袖萩はみなに別れを告げ、残された人々は涙に沈む。そこへ宗任が現れ、本意を遂げるときと勇み立つも貞任が制し、浜夕に白旗を返す。義家と貞任・宗任兄弟は再会を約し、お君や浜夕の嘆きに曇る冬空の下、別れいくのだった。
(現行では末尾に一部カットがある。傔杖が死ぬタイミングがだいぶ早まって、原作末尾にあるいまわのきわの言葉がなくなっているのが一番大きい。そのため、血に染まって赤くなった梅の枝の意味が非常にわかりづらい。また、現行上演では、お君を引き取るのは人形演技上、浜夕であることになっている)

 

 


┃ 四段目(一部今回上演)

道行千里の岩田帯(今回上演部分)

薬売りに身をやつした生駒之助と恋絹は、環の宮の行方を尋ね、奥州への旅路につく。

 

奥州白河の関の段

奥州の玄関口といわれる白河の関を厳重に守るのは、えばりまくり瓜割四郎だった。瓜割四郎と聞いて恋絹は慌てるが、生駒之助は下部たちを言いくろめて誤魔化し、二人はなんとか関所を抜けられそう。ところが瓜割四郎は抜け目なく、恋絹を置いて立ち去れと彼女の手を取る。謎の長口上を無視して恋絹はそれを突き飛ばし、瓜割は生駒之助にコテンパンにやられてしまう。そうして逃げていく生駒之助と恋絹を追おうとしても、瓜割はいざ戦となるとなぜか体がトコロテンのようにぐにゃぐにゃになってしまい、足腰が立たない。
そこへ「あんぽん丹」なる薬を商う薬売りが通りかかる。瓜割は薬売りを呼び止め、ぐんにゃり症状に聞く薬はないかと尋ねる。薬売りは、「あんぽん丹」がまさしく気ばかり焦って体が動かない者に有効だと言う。試しに瓜割が薬をなめてみると不思議や五体にシャッキリと力が満ち、スーパームキムキ瓜割四郎になる。薬売りは茶を飲むと元にもどると注意し、喜ぶ瓜割から代金を受け取って去っていった。
さてその様子を影から見ていた生駒之助と恋絹は何からごにょごにょ。恋絹は「生駒之助様〜!!」と声を上げ、瓜割の前にわざとらしく迷い出る。恋絹に抱きついて喜ぶ瓜割だったが、恋絹が胸をさすって苦しみ出すので驚いて心配する。水を欲しがる恋絹に瓜割は水は毒だと言って、番所から茶を持ってくる。茶は温いのか熱いのか試しに飲んで欲しいという恋絹に瓜割が茶碗の茶を飲み干すと、たちまち体がグニャグニャに戻ってしまう。影から出てきた生駒之助はヤーイヤーイバーカバーカあんぽんた〜ん🤣と瓜割をコケにする。番卒たちが集まってくる物音に、生駒之助は着ていた薬売りの衣装を瓜割に着せかけて影に隠れる。番卒たちはそれに気づかず薬売りの衣装を見て大騒ぎ。その隙をつき、生駒之助と恋絹は白河の関を逃れゆくのだった。
(現行上演なし)

 

一つ家の段

奥州・安達原の荒涼とした風景の中に、不気味な風貌の一軒家が建っていた。黄昏時、このあばら家を訪れた旅人が煙草の火を無心する。紡いだ糸を巻き取る手を止めた主人の老婆は、旅人が福島まで急ぎの為替を持っていくと聞き、このあたりには追い剥ぎが出て、昨日も一人殺されたと語る。怯えた旅人は老婆に一夜の宿を頼み込む。ところが老婆が懐の金を預かるといって財布を奪おうとするので、この老婆こそ追い剥ぎとみた旅人は逃げ出そうとする。しかし老婆は旅人を打ち倒し、喉笛に食いついて殺してしまう。老婆は財布を掴んで離さない腕をもいで桶に投げ込み、畳をめくって死骸を蹴落とし始末する。
そうしていると、娘が帰ってくる。娘は「あんぽん丹」の薬売りを連れており、男にここで待っていて欲しいと言う。家に入った娘に、老婆は大切な身で不用意な外出は危ないと嗜め、用があるなら呼ぶように言って奥へ入らせる。戸の外で待ちぼうけを食らっていた薬売りは家の中を覗き込んでいたが、老婆に見つかり、娘を送ってくれた礼だけ言われて締め出されてしまう。薬売りは頰を膨らせるも、何かを思案し、柴垣の中へ隠れる。
日も暮れた頃、生駒之助と恋絹が安達原にやってくる。癪を起こして苦しむ恋絹を気遣う生駒之助は、松の木に掲げられた高提灯がともるこのあばら家を見つける。生駒之助が声をかけて宿を無心すると、出てきた老婆が二人を家の中へ招き入れる。老婆がどこからどこへいくのかと尋ねると、生駒之助は松島見物だと言いくろめ、話のごまかしに家の前の不自然な高提灯の理由を尋ねる。老婆は、この安達原では道に迷う往来の衆が多く、その助けのためにやっており、それは亡くなった連れ合いの未来を照らす明かりの意味があると語る。
そうしていると、恋絹が腹が痛いと言って苦しみ出す。慌てる生駒之助から恋絹が臨月であることを聞いた老婆は彼女の懐に手を差し入れ、まだ今すぐには生まれず、痛みはおさまると言って胸を撫でさする。恋絹も痛みが消えたというので生駒之助も安心するが、老婆はもうすぐ生まれることにかわりはないと言い、野の外れにある庄屋の持っている薬が出産の促進薬になると語る。老婆は生駒之助を連れ、奥の部屋は絶対に覗いてはいけないと告げて恋絹をひとり残し、家を出ていく。
取り残された恋絹は、都暮らしから陸奥へ旅に流れ、その先で赤ん坊まで産むことになった身に思いを馳せる。生まれてくる子のことをいろいろと考えていたものの、老婆と生駒之助の帰りの遅さにそわついて、つい出来心で奥の部屋の障子を開けてしまう。何気なく手にとった白いものは、なんと人間の髑髏。跳びのいてぶつかった桶には人の腕、恐怖を覚えた恋絹が表へ飛び出ると、そこにいたのは主の老婆であった。
老婆は生駒之助はまだ帰らないと告げ、恋絹に無心があると言う。路銀は生駒之助が持っていると言って立ち去ろうとする恋絹だったが、老婆は恋絹が持っているものが欲しいという。老婆が欲しがっているのは、恋絹の腹の中にいる赤ん坊だった。胎児は妙薬として高く売れると言う老婆の口は耳まで裂け、そのすさまじい姿に恐怖する恋絹に老婆は懐剣を振り下ろす。恋絹はせめて赤ん坊が生まれて親子の名乗りをするまでと懇願するが、老婆は聞き入れず、恋絹の心臓を突き刺す。老婆は倒れた恋絹にまたがり、腹を十文字に切り裂いて胎児を取り出す。
そうしていると、表口に生駒之助が帰ってきた声が聞こえる。老婆は慌てて胎児の血を絞り取るが、そのとき、かたわらにあった髑髏に血が染み込むのが見える。老婆は恋絹が首にかけていた守り袋を引きちぎると、奥へと忍び入る。
いくら声をかけても返事がないのを不審に思った生駒之助が家の中を覗き込むと、そこには血に染まった恋絹の死骸が。生駒之助は驚いて戸を踏み開け、恋絹を抱いて嘆くが、腹が暴かれているのを見て不審に思う。怪しんだ生駒之助が奥の間の襖を開けはなつと、そこは朱玉で飾り立てられた御殿になっていた。
巻き上げられた御簾の内には環の宮が微笑み、そのもとには禁庭の女官姿に改めた老婆がかしずいていた。老婆の正体は、源氏に滅ぼされた安倍頼時の妻・岩手であった。岩手は頼時の没後無念の年月を送る中、安倍家再興の軍用金を調達するため、この安達原のあばら家に旅人を誘い込んで殺し、金を奪っていたのだ。さらには子息貞任・宗任に環の宮を誘拐させ、奥州に内裏を作ろうとしていたが、ここへ来て以来、環の宮は言葉が喋れなくなっていた。岩手はその特効薬となる胎内の子の血潮を求め、妊婦を探していた。そこへちょうど通りかかったのが恋絹、つまり頼時と岩手の娘だったのである。驚いた生駒之助は恋絹を娘と知っていたのかと問うが、知ったのは殺した後、その血が頼時の髑髏に染み込んだのを見たときだという。守り袋の中の系図書を見て娘であることを確信した岩手は、知っていれば君のために死ぬことを褒めて殺したと語り、何も知らずに死んだ恋絹へのやるせなさに涙を流す。
岩手はこの家の娘と思われていた匣の内侍を呼び出し、器に満たした胎児の血に月影を写させる。ところが内侍はその器を谷底へ落としてしまう。岩は血に染まるが、不思議なことに谷間から水が昇り立ち、内侍はそこに汚れを跳ね返す十握の剣があると告げる。実は匣の内侍の正体は八幡太郎義家の弟・新羅三郎義光で、宝剣の行方を探るため女姿に化け、環の宮に扮させた義家の息子・八つ若に付き添ってここまで来たのであった。十握の剣の行方がわかったのは恋絹の功として、義光は兄に代わって生駒之助の勘当を許し、生駒之助も喜びに平伏する。岩手は娘を殺しておきながらすべてが無に帰したことに地団駄を踏み、八つ若を殺して冥途の道連れにしてやると言う。ところがそのとき、八つ若を抱いた義家の執権・鎌倉権五郎景政が襖を踏み開けて姿を見せる。景政は義家の命により、「あんぽん丹」の薬売りに身をやつして奥州へ入り込んでいたのだ。岩手は無念の歯噛みをなして、夫の無念を息子兄弟に晴らさせ手柄にさせようとした非道が報い、実の娘を殺して地獄畜生餓鬼修羅道に堕ちたことを悔やんで腹に懐剣を突き立てる。死んだ娘と孫の後を追い、岩手は懐剣を口にくわえて谷底へ身を投げる。

 

谷底の段

新羅三郎が十握の剣を回収するため谷底へ飛び込むと、安倍の伏兵らが姿を見せる。義光と谷の上の生駒之助・景政のはたらきで数多の伏兵はすべて倒されるが、そこへ宝剣を携えた安倍貞任が現れる。貞任は、捕らえられた弟・宗任を解放してくれた義光の恩義に報いるため、ここでの戦いはせずに宝剣を返すと言う。貞任は母の遺骸を抱き上げ、戦場での再会を約束する。義光は老婆の罪科への手向けとするため、生駒之助に高灯籠の火を消すように命じる。生駒之助が高灯籠が掲げられた松の木を切り倒すと、陣太鼓が鳴り響き、多数の軍勢が現れる。驚く景政、生駒之助。高提灯の火は安倍一族が仕組んだ狼煙であり、消えれば多数の軍勢が集まる手筈になっていたのだった。しかし貞任は軍勢を制止し、八幡太郎の陣屋まで宝剣を送り届けるように命じる。
母を亡くした貞任は涙を流し、義光・景政・生駒之助は勇み立つ。一同は鬼が住まうという伝説を残すことになった安達原を後にするのだった。

 

 


┃ 五段目

小松が柵の段

八幡太郎義家は、新羅三郎義光・鎌倉権五郎景政らとともに、安倍貞任・宗任の守る小松が柵に押し寄せる。義家は貞任と差し向かい、宗任の命の恩を忘れず、十握の剣を禁庭へ返した功績により自らの首を進上するので、父頼時の妄執を晴らすように告げる。ところが貞任は腹に刀を突き立て、30年来、父の敵として源氏を恨んできたものの、義家の恵みにその鉄石の心も解けたと語り、弟・宗任を家臣にして欲しいと願う。弟を思う貞任の心に感じ入った義家は宗任を幕下に迎えると語り、安倍の家を再興させるよう命じる。その言葉を聞いた貞任は願いが達したとして、人々に別れを告げる。
そこへ、裏切り者・瓜割四郎を捕らえた鎌倉権五郎景政がやってくる。逃げようとする瓜割だったが、忠義の手始めとして宗任に絞め殺される。そして謀叛の張本人・大江維時を高手に戒めた生駒之助が、環の宮・匣の内侍を供奉してやってくる。生駒之助は維時が宮らを奪って奥州へ逃げようとしていたと語り、維時は成敗される。こうして朝敵は滅ぼされ、源氏の世はいよいよ栄えるのだった。
おしまい
(現行上演なし)

 

 

 

┃ 善知鳥、安達原の鬼女伝説について

前述の通り、本作では、善知鳥、安達原の鬼女という奥州にまつわる有名な伝説が取り入れられている。

善知鳥[うとう]は実在する海鳥だが(検索してみたら思ったより変な顔しとった)、伝説上の鳥として語られる善知鳥は親子の情が深い鳥とされる。親鳥が「ウトウ」と鳴くと子鳥が「ヤスカタ」と答えると言われ、もし子鳥が捕らえられれば親鳥は血の涙を流して飛び回るとされており、その猟には笠と簑が欠かせないという。
謡曲の『善知鳥』では、善知鳥をとる猟師が、親鳥の鳴き真似をして子鳥を探し出して取っていた罪で死後亡霊となり、自らの子供とは隔てられ、化鳥となった善知鳥に啄ばまれる苦しみに苛まれる様が描かれる。生活のために殺生をせざるを得ないことを苦しんでいたことが語られるが、猟(殺生)に魅了される一面も描かれている。
本作の文治は、山鳥をとる猟師であり、同時に、子のために罪へとおびきよせられる親鳥でもある。文治は多くの鳥を殺してきた報いでこうなったと語るとともに、貧苦ゆえに子供(正確には主君の子どもだが、本人は実の子のように扱っている)を不幸に陥らせたことを強く悔やんでいるのが特徴。なお、文治には猟を楽しむ側面はない。謡曲をダイレクトに取り入れているというより、善知鳥にまつわる伝承のふんわりとしたイメージをうまく利用しているという印象だ。
元武士であった主人公が都落ちして賤の業につき、瀕死の重病の家族のために禁じられた獲物をとって罪に問われるも、無頼漢と思われていた善の人物が謎の頓知屁理屈をこねて身代わりになる展開は、阿漕浦の伝説を取り入れた『勢州阿漕浦』(寛保元年[1741]9月豊竹座初演『田村麿鈴鹿合戦』四段目)と近い。物語構造としては、こちらがベースになっているのではないかと感じる。


安達原の鬼女伝説を取り入れた四段目「一つ家の段」は、一般的には謡曲の『黒塚(安達原)』を取り入れたように言われることがある。しかし、内容はそれほど類似していない。謡曲でのあらすじはこのようなものだ。安達原を訪れた修行僧が、そこで一人わびしく住まう女に宿を乞う。女の留守中、修行僧は見てはならないと言われた閨を覗いてしまう。そこには無数の死体が積まれており、修行僧は驚いて逃げ出そうとする。女は鬼女の姿となり修行僧に襲い掛かるが、祈祷によって力は弱まり、姿を消す。ドラマとして本作ともっとも異なるのは、『黒塚』の鬼女は生まれながらの本当の鬼で、それを恥じて安達原に引きこもっていた設定であること。人間であるはずが、心が闇に占められて鬼へと変じてしまった岩手とは異なるのだ。
『黒塚』とは逆に、「一つ家の段」とかなり類似した設定の伝承も存在し、福島県二本松市の観世寺の縁起として残されているものが広く知られている。そこでは、岩手という乳母が口のきけなくなった姫君の治療薬として胎児を求め、恋衣という妊婦を殺すが、守り袋の中を見て実の娘だと気づいて狂気をきたし、鬼に変じるという内容になっている。ただ、この縁起が実際にいつ作られたのかというのははっきりわからないらしい。この伝説が先にあって『奥州安達原』が書かれたのではなく、『奥州安達原』から伝説が生まれた可能性が高いようだ。

先ほど『勢州阿漕浦』(『田村麿鈴鹿合戦』)について述べたが、この作品は阿漕浦の禁忌をめぐる“平次伝説”をもとにした筋書きになっている。平次伝説は一般的には謡曲『阿漕』で有名で、能では主人公が(そこまではっきり断言はされていないけど)禁を破る快楽のために神宮の禁漁区に網を入れ、死後苦しみに苛まれる展開になっている。しかし、地元で膾炙する伝承では、主人公は病気の母のために禁漁を犯す設定になっている。これは『勢州阿漕浦』と同一である。少し調べてみたが、伝承の主人公=母思いの孝行者という設定はまさに『勢州阿漕浦』から派生したとみられているようだ。
これら以外にも、伝説の真実を語っていた浄瑠璃が伝説と現実を侵食し、あらたな伝説を生み出すという逆転現象は多く起こっているのではないだろうか。『一谷嫰軍記』から生まれた須磨寺の「弁慶の制札」、『壷坂観音霊験記』から生まれた壺阪寺およびその周辺のお里・沢市関連の様々など(お里沢市身投げの崖とか、お里沢市の菩提寺とか、いろいろ観光化されてるんですよ!)、かなりグッときますね。そして、地元に根付く伝説へ展開されるほどに、「昔」は本当にみんな浄瑠璃(歌舞伎にせよ人形浄瑠璃にせよ)を知っていたんだなーと思うと、感慨深い。

 

 

画像:『奥州安達原』東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵

 

 

*1:文楽現行の役名。院本初版では「千代童」。

文楽LINEスタンプ作りました[文楽はんこ蔵]

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突然ですが、文楽をモチーフにしたLINEスタンプを作りました。

義経、団七、きつね、阿古屋、俊寛などがいます。
24個入り、120円です。

 

販売ページ

https://line.me/S/sticker/20453906

 

スタンプ名: 文楽はんこ蔵(Bunraku Stamp Box)

クリエイター名: yomo

 

 

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いいよ!というときの、義経(一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段)

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尊い…!というときの、梅川(傾城恋飛脚 新口村の段)

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疲れた…というときの、三番叟(二人三番叟)

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まじでありがたい…!というときの、勘平(仮名手本忠臣蔵 早野勘平腹切の段)

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ショック…!というときの、清姫日高川入相花王 渡し場の段)

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見て!というときの、熊谷直実(一谷嫰軍記 熊谷陣屋の段)

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え?というときの、梨割(いろいろなところに出現)

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ん?というときの、きつね(義経千本桜 道行初音旅)

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自分が欲しかったものを作っているので、微妙に使いにくいヤツいますが、よかったらチェックしてみてください。

文楽 7・8月大阪夏休み特別公演『鈴の音』『瓜子姫とあまんじゃく』国立文楽劇場

ある意味、文楽劇場イチの辛口玄人が集まる親子劇場、今年も元気に開演です。

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鈴の音。

勘十郎さん作の子供向け演目。一見、ほのぼの、のそ〜っとした話ながら、異様な強迫観念が見え隠れするのが勘十郎さんらしい。

あらすじ

まだ寒さの残る山の中。沼から上がったカッパの河太郎〈吉田簑紫郎〉は、落ちている大きな鈴を見つける。素敵な音に大喜びの河太郎が鈴をカラコロ鳴らしまくっていると、キツネのカップル、コン平〈吉田簑太郎〉とはつね〈桐竹勘次郎〉がやってくる。コン平は鈴を欲しがるが、河太郎は沼の仲間に見せびらかしたいからと断り、鈴を持って沼の中へ帰っていく。
はつねは、コン平がやたら鈴を欲しがったことを不思議がるが、実はコン平は鈴をはつねの首につけてやりたかったのだった。それを聞いたはつねは喜び、二匹はイチャイチャしまくる。すると、河太郎が沼から上がってきて、鈴を二匹にやるという。水の中では鈴の音は鳴らず、無用の長物だったのだ。
河太郎に鈴をつけてもらったはつねは大喜び。続けてコン平も鈴をつけてみたいと言うので、河太郎はコン平の首に鈴を結わえてやる。二匹ははしゃぎまわって山のほうへと駆けていった。

そうこうしていると、山に鉄砲の音が鳴り響く。コン平が首につけた鈴の音を聞きつけ、狩人〈吉田玉彦〉が二匹を追いかけ回していたのだ。沼まで走ってきたコン平は河太郎に鈴を外してもらおうとするが、結び目が固くしまっていて、なかなかほどけない。そうこうしているうちに狩人が迫ってくる。河太郎はコン平に、自分の頭の上へ乗るように言い、皿にコン平を座らせて沼へ入る。
やがて、コン平の首の鈴の音をしるべに、狩人〈吉田玉彦〉が沼まで追ってくる。そこで狩人が見たのは、水面に浮かび、シッポをピン!と立てたキツネの姿だった。コン平は自らを稲荷明神の使いと称し、それに鉄砲を向けてはバチが当たると宣言する。驚いた狩人が謝ると、ちょっと調子に乗ったコン平は鉄砲を置いていくように告げる。商売道具だからと戸惑う狩人も、コン平にバチが当たると脅され、やむなく鉄砲を差し出す。満足するコン平だったが、狩人がじろじろと沼を覗き込んでくるので(ネタバレする〜!!)、今度は服も置いていくように言いつける。脅された狩人はやむなくフンいち……どころかスッポンポンにさせられ、もと来た道を帰ってゆくのだった。

狩人がいなくなって三匹は大喜び。危ない鉄砲は土を掘って埋めてしまい、やっとコン平の首から外れた鈴は、木の枝にひっかけて風が吹くたび鳴るようにした。やがて吹いてきた春風に鈴の音がコロコロと鳴り響き、沼のまわりは春のいぶきで彩られるのだった。

いわゆる「人形劇」感が強い作品。愛らしい(けどよく見ると顔が怖い)カッパやキツネの人形・ぬいぐるみはもちろんのこと、妙にリアルなフナの小道具、水や土の飛び散りエフェクト板のユーモラスな動き、効果音(お囃子)を多用した演出で、子供さんにもわかりやすい作りだった。
出演者も若めで、技術的な面の素朴さ、言ってみれば一種の稚拙さが、のんびりモッサリした物語の雰囲気に適合していた。カッパもキツネもどう動いたら一番可愛いかをよく研究してみてって言いたいのが正直なところだけど、このどんくささがちょうどいいのかもしれない。
おヤスの鈴voiceがヤバすぎて、客席の子供さん方がめちゃくちゃ床を振り返っていたのも良かった。

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河太郎は、三人遣いのカッパの人形。くすんだ淡いセージグリーンのちりめんの肌に、完全に妖怪テイストなまんまるのぱっちりおめめ、とんがった口元。腰に毛皮なのか木の皮なのかという巻きスカート状のものをつけていた。気になるヘアスタイルは、「カッパ」と思えないくらい、フッサフサだった。そして、カッパって、背中に甲羅あるけど、人形遣いが手ェ差し込む穴、どうなっとるんや……?と思っていたら、わりと小さめの甲羅(亀仙人の半分以下的なサイズ)の下から差し込んでいた。甲羅に穴開いてるわけじゃないんだ……。と思った。帯の下に差し込む感覚なのだろうか。
カッパの皿って、上にキツネが乗っても大丈夫なくらい丈夫なんだ、と思った。調べたところ、本州にいるようなキツネは体重5〜7kgらしいが、うーん、デカネコ程度の体重なら頭に載せても大丈夫かなあ。皿以前に、首をいわしてしまいそうだが……。
あと、河太郎、それキュウリやない。夕顔の実ぃや。こないだ、尼崎に生えとった。切り落とされたのをもろてきたんか。と思った。

 

コン平とはつねは、いわゆる文楽の白いキツネのぬいぐるみ。『本朝廿四孝』奥庭狐火の段の最後に出てくる眷属キツネだと思う。
コン平はまんま・きつね・ぬいぐるみだが、はつねはごちゃごちゃと色々な飾りが付け加えられていた。いくらなんでも、はつね、ケバくないか……? 左耳に手毬状の小花の飾り、ほっぺにチーク、しっぽには超巨大なピンクのリボンを結んでいたが……、メスだからってことだと思うが、今時、そこまでするか……? それとも、単なる大阪センスなのか……???

 

狩人だけ普通の文楽人形。いわゆる三枚目の雑魚顔で、『仮名手本忠臣蔵』五段目の勘平のような格好をしている。ただ、蓑のほか、フワフワファーを羽織っているなど、愛らしくわかりやすい衣装に改めてあった。最後にヌードになるので、わりと難しい役。

 

大道具の仕掛けは通常の古典演目とは異なり、子供向けにわかりやすく、また変化が出る工夫がされていた。
下手3の1程度に池、中央から上手に野山の風景、二重に桜(?)の木や低木の茂み、山々の風景。かなりほのぼのタッチで描かれた世界。冷静に見ると、普通の文楽より、絵柄が複雑ではある。
手すりに描かれた池は、一部がスライド式になっていた。スライドを引くと手すりの衝立部分が青のアクリル板になり、水面下が見えるようになる。コン平を頭に載せた河太郎が池へ潜るシーンでは、水中でふんばる河太郎(と、それにちょっかいを出すフナ)の姿を見ることができた。
また、河太郎が水中から上がったり、潜る際には、水しぶきを描いた板を左右に出し、「どんぶらこ」って感じの表現をしていた。同じように、最後に土の中へ鉄砲を埋めるときにも、キツネがかき出す土を板で表現していた。

それはいいけど、最後に出てくる筋斗雲みたいな黄色の雲は何? 金毘羅大権現の子分?
そして、全裸になった狩人が股間に当てていた木の枝、第三部のお辻が持っていた樒にそっくりなのだが、やめとけや。股間にくっついてる葉っぱとサイズ感違いすぎやし。普通にハスの葉っぱをもう1枚用意しとけよ。
もう、本当、なんなんだ、このセンス??????
文楽劇場は、終始、幼児がそのまま60代になったセンスで、本当にすごい。

 

プログラムの解説では、アニマルたちは音が鳴る玉を「鈴」だと知らないことがポイントになると書かれていた。しかし、人間とは異なるアニマルならではの鈴の捉え方、意外性のある価値観の転換があるわけではないので、そこは物語の本質とは関係がないように感じた。
私は、のんびりしていたアニマルたちが、猟師が出てきた途端、突然、人間世界の摂理に巻き込まれるところがこの物語のおもしろさだと思う。また、鈴の音が目印になって射殺されそうなのに紐が固結びで取れないという、子供にでもわかる妙にリアルな強迫観念が、良いと思った。

1階展示室には、この『鈴の音』の初演当時の絵コンテが展示されていた。撮影不可だったので写真はここに載せられないが、いわゆる動画絵コンテに近しいものだった。
四つ切り画用紙くらいの結構大きな紙を使っており、縦書きで数枚にわたって描かれている。動画絵コンテのようなマスを割って、右に簡単なシチュエーションの文章説明、左に人形の動きの図解イラスト。人形の動きのイラストはかなり大まかなもので、寄りめのキャラクターイラストに対し、こういう振りをするとか、どういう方向に向かって移動するとかのおおまかな概要だけが矢印などを使って書かれていた。詞章に対してこういう動き、というベタ付きの振り付けというわけではない(作詞・作曲の前に描かれたもの?)。また、シーンによっては、舞台への人形の配置や大道具の図解などが書き込まれていた。
よく見ていると、今回上演とは演出が一部変わっているところがあった。物語の本筋に関係ないところでの複雑さをなくしている等で、改訂になるほどと感じた。

 

↓ 今回の舞台の動画を文楽劇場サイトで少し観ることができます。

  • 作・演出=桐竹勘十郎/作曲=鶴澤清介/作調=望月太明蔵
  • 義太夫
    河太郎 豊竹靖太夫、コン平 竹本小住太夫、はつね 豊竹亘太夫、猟人 竹本碩太夫/鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清方
  • 人形役割
    河太郎=吉田簑紫郎、コン平=吉田簑太郎、はつね=桐竹勘次郎、狩人=吉田玉彦[前半]桐竹勘介[後半]

 

 

解説:文楽ってなあに?。

今年はやや子供向けの語り口になっていて良かった。
解説で、人形が泣く姿の実演のとき、客席の子供がおもくそ泣いていた。人形、負けてるね。

  • 吉田簑太郎[前半]、桐竹勘次郎[後半]

 

 

 

瓜子姫とあまんじゃく。

こちらは木下順二作、ぱっと見、民話風で素朴そうでいながら、内実は観念的で高度な物語。天邪鬼というと、私は「コッチが言ったことを反対言葉にして返してくる」というイメージがあったのだが、本作でのあまんじゃくは「コッチが言ったことをオウム返しにして返してくる」パターン。このような行動をとる「あまんじゃく」とは何かを考察するのがひとつのテーマになっている。

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本作では、山中で誰もが体感する自然現象である「やまびこ」が、あまんじゃくと重ね合わせられている。原作戯曲の台本ト書きをみると、冒頭部から瓜子姫の機織りの音がやまびこで響いているという情景指定があり、機織りの音や瓜子姫の声が絶えず反響していることに意味が与えられている。やまびこの効果は繰り返し使用されており、読んでいくうち、物語におけるやまびこの存在の意味や重要性に気づく*1。しかし、文楽現行だとこれがかなりわかりづらく、太夫の語りやお囃子の音が、本物の声や音なのか、やまびこの反響なのか区別がまったくつかないので(今回が技術的にできていないということなのかもしれないが)、物語のニュアンスが非常にわかりづらいことになっているようだ。
では、あまんじゃくは所詮「やまびこ」の擬人化だったのか? そう断定するわけでもない。そのように科学的にとらえられることばかりでなく、ここは、人間には理解の及ばない不可思議なものがすぐそばに存在する世界なのである。あまんじゃくの正体への分析が、山父という山中の怪異を交えて語られるのが面白いのだ。山父とあまんじゃくには共通点があり、彼らは同一人物なのかもしれないし、親子なのかもしれない。想像力を刺激させられる。どちらかというと大人向きで、文楽という枠にとらわれず、物語自体としても楽しめるストーリーだ。*2

へー、じゃあこれ文楽じゃなくてもいいんじゃない?と思われるかもしれないが、文楽ならではの演出も盛り込まれている。すべては浄瑠璃で表現されているはずの文楽なのに、床の語り(語り手やあまんじゃくの主観)の外で起こる事象が描かれているのが面白い。
クライマックス、あまんじゃくは、帰宅した瓜子姫の祖父母が「そんだらふうではちごうがな」と言ったのだと思い、反射的に「そんだらふうではちごうがな」と返してしまう。文章では、祖父母が瓜子姫フレンズのトンビ・カラス・ニワトリの口調で「そんだらふうではちごうがな」と言っている……ことにはなっているのだが、おじいさん・おばあさんの人形は「エ???」というリアクションをしている。このあたりが巧妙で、この言葉を喋っているのが誰なのか、舞台を見ると逆に判断ができないようになっている。人形の演技で語られるこの違和感は、文楽の人形はかならず床の語りに従って物語を表現するというルールをハズしてきているかのようで、新作の演出としてかなり興味深い。

「そんだらふうではちごうがな」という声は、あまんじゃくが聞いた幻聴なのか? 祖父母が打った「芝居」なのか? 瓜子姫の嘆きを口移しにしたトンビ・カラス・ニワトリの声なのか? それとも、裏山の柿の木に吊るされた瓜子姫の心の叫びが、「やまびこ」で里まで響いてきているのか? それが混迷し、説明されないのが、魅力的だ。*3

 

そんな感じで、話はかなり面白いです。話は。脚本はいいんです。
ただ、問題は、演奏にそれがいかされるかどうかだと思う。

チトセ、字余り、字足らずの処理がメチャクチャとちゃうか!??!??!!?

この作品、おそらく原作者あるいは初演演出者(初演企画者の武智鉄二?)の意図として、元の文章を崩さない条件で文楽化(義太夫化)しているのだと思う。口語体で、かつ、「だ・である調」の、かなり現代的なもの。もちろん、七五調ではない普通の日本語文になっている。そこがこの作品から感じるモダンさで、いわゆる「子供騙し」や「(古典芸能であることの「それっぽさ」による)権威騙し」を払拭していると思う。
これを魅力として義太夫として演奏するならば、七五調でないことを活かした語り口にしなくてはいけないと思うのだが……、単純にブツ切れになってないか????? ものすごく中途半端で聞きづらいし、瓜子姫の機織り歌も怨霊のうめき声みたいになってるし。
山父があらわれるくだりなどのナレーション状態になるところは良いのだが、そりゃ、ナレーションとして読んでいるから良いのであって、“義太夫ガカリ”的な部分が良くなくては、意味ないんじゃない……?

前回上演2018年7・8月大阪公演のプログラムには、本作の成り立ちについて、詳しい経緯が書かれている。
木下順二の原作は民話劇として知られているが、文楽はその元となっている放送朗読劇の台本をベースとして、1955年(昭和30年)11月に演出家・武智鉄二によって企画されたようだ。この時点では人形入り試演というかたちだったが、翌年1月、三和会の本公演として、大阪三越劇場で初演された。
朗読劇でよさそうなところ、“義太夫ガカリ”になっているのは、意図的な演出のようだ。作曲した二代目野澤喜左衛門は、義太夫から離れた朗読風のものなら曲をつけるのは楽だと思ったが、義太夫調でという注文を受け、最初はどのようなものになるか見当がつかなかったそうだ。初演を語った四代竹本越路太夫は、浄瑠璃にはない口語体の詞章、「口に出して言った」のような説明的な文章がそっけなく聞こえないよう、ラジオの朗読番組などで随分研究したという。(この談話、おそらく引用元の文献が存在するはずなので、捜索してみようと思います)

私がこの演目を観るのは2回目で、2018年に観劇した呂太夫さんの語りは、違和感の記憶がない。むしろ、非常に自然な印象を受けた覚えがある。民話の世界のような、しかしどこか現代的で、いわゆる朗読劇でない印象だったのも、良かったのだが……。

まあ、人による向き不向きがあるのかもしれないですね。と言えば聞こえはいいが、普通に稽古・研究の問題なのではと思った。前も書いたけど、千歳さんにある稽古不足のいい加減さ、なくして欲しい。いや、単なる勉強不足ならまだよくて(まったくもってよくないけど)、本気で頑張ってこれだったら、なおのこと困惑するが……。そこは知りたくない。

現在、千歳さんが濃厚接触者指定を受けて休演になり、ヤスさんが代役をしているそうだが、どうなっているのだろう……。カオス!!!!!!

 

人形は、メインキャストに真面目キャラの人が集結しており、堅実な出来。
瓜子姫〈桐竹紋臣〉は、素朴系だった。文楽のお客さん全員(巨大主語)が紋臣さんに対して抱いている妄想を具現化したような娘さんだった。普通にしているときはモッサリちょこちょこ系の女の子だが、あまんじゃくにとっ捕まってバタバタしているあたりは、かなり良かった。裏山の木に吊るされるくだりは、もうひと押し、身をよじる仕草などを過激にしてもいいのではと思った。縛られキャラといえば、雪姫(祇園祭礼信仰記)が思い浮かぶが、宙吊りは珍しいので、若めの人には難しいのかもしれない。

あまんじゃくは2018年と同じく、玉佳さん。おおらかで愛くるしい動きが魅力。独特の動物的緩慢さは、タマカ・ムーブとしか言いようがない。瓜子家の戸口をばりばり引っ掻くところと、調子をぶっこいて機織りするところが特に可愛い。
しかし最後だけ突然しっぽ出すの、やっぱおかしいだろ!!!!!! 最初から出しとけ!!!!!!!!!! と思った。出てたらごめん。

ジジババ〈じっさ=吉田勘市、ばっさ=吉田清五郎〉は渋すぎるッ。完全に玄人向けッ。最後に住吉明神になって出てくるかと思ったわ。文楽高砂やったら翁と嫗はこの二人でという感じだった。

一部の役は、2018年上演とは若干振り付けを変えているようだった。例えば、前回は権六と一緒に火にあたるかのように(?)一本足にもかかわらず頑張ってしゃがんでいた山父は、今回は立ちっぱなしだった。人によるプランの違いかもしれない。
瓜子姫フレンズの鳥類3匹の段切での動きも、前回とはやや違っていた。今回はあまり気ままに動き回っておらず、それぞれの動物の本分なりの振る舞いだった。

以前の上演では、逃げるあまんじゃくを遠見の人形で表現していた気がするが、今回はなかった(多分)。『鈴の音』のほうに遠見の人形が使われているので、調整したのだろうか。
なお、段切にあまんじゃくが顔を出す場所は、前回上演とは異なっていた。上演のたびに変えているのだろうか? 今回はコロナ禍ということもあってか、客席からは遠い場所だった*4

 


↓ 2018年7・8月大阪公演での感想。

 

 

  • 作=木下順二/作曲=二代野澤喜左衛門
  • 義太夫
    竹本千歳太夫(7/27-休演、代役豊竹靖太夫)/豊澤富助、野澤錦吾、鶴澤燕二郎
  • 人形役割
    瓜子姫=桐竹紋臣、じっさ=吉田勘市、ばっさ=吉田清五郎、杣の権六=吉田和馬、山父=吉田玉路、あまんじゃく=吉田玉佳

 

 


今年は純新作2本立てで、人形劇感が強かった。

『鈴の音』は、なんかこう……勘十郎さんが作った話って、強迫観念が見え隠れすることと、キャラクターのとぼけというか、パーな感じに、独特のものがあるよね……。至極素朴な、原初的な恐怖というか……。と思った。
私なら、自分から離れたがらないはつねを巻き込まないために、コン平に自害させるな……。それが三段目。四段目では、山に旱魃が訪れ、河太郎が住んでいた沼へ水を求めにいった初音は、干上がった沼の底にコン平がつけていた鈴が落ちているのを見つける。はつねはコン平を殺したのは狩人と組んだ河太郎と思い込み、河太郎に食ってかかるが、責任を感じていた河太郎はわざとはつねに討たれる。しかし、すべてを知っている鮒がやっと這ってきて事実をはつねに知らせる。恋人も友人も失ってしまったことを知ったはつねは、悲嘆に暮れる。その嘆きで山には大雨が降り、このことが初音の鼓の説話を産んだのだった。(何の話や?)

『瓜子姫とあまんじゃく』は、とにかく、しっかり稽古してくれと思った。これをやるなら、うまい人が稽古した上で舞台にかけてくれ。この状況では、今後の新作は七五調ベタ付きにしておかないと、できんのかもしれんと思った。七五調を外して緊張感を云々とか、そもそも無理、と思った。


今年のおこさま名言集。
「あの人、変顔?」
「なに言うてるかわからん」
「カラスに見えへん」
ご指摘事項が的確すぎて、やばい。見巧者すぎるッ。と思った。

なお、今年のおこさま(18歳以下)プレゼントは、保冷剤だった。配布している様子を見ていて、丸いので缶バッジかなと思っていたが、文楽劇場twitterによると「保冷剤」だったらしい。なんで? カッパのひんやりイメージから?? 去年の「のり」に続き、えらい実用的なモン配っとるなと思った。でも、お弁当保冷用などにとっても便利そうなサイズだった。

 

 

 

第一部の開演前に、高津宮へ行った。ちょうど夏祭りの会期中だったため、拝殿では祭事が行われていた。
というか、知らずに行って、なんか雅楽な人がスタンバっとるし、人が微妙に集まってきてるなと思ったら、そういうことだった。神主さんの前をおもいきり横切っちゃったよ!!
集まっている人は、別に氏子さんとかではなく、単なる野次馬のようだった。神社の方が「どうぞ上がっていってください」と声がけしていた。おじさんがひとり、「ええですか!?」と言って本当に上がっていて、良かった。

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文楽劇場の前にものぼりが出ていました。

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*1:国会図書館デジタルコレクションでも読めるので、利用者登録している方はチェックしてみてください。

木下順二『民話劇集 第3巻』未来社/1953
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1357897
朗読用台本。文楽とほぼ同一内容。

日本文芸家協会=編『戯曲代表選集 第2 1954年版』白水社/1954
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1358167 
文楽とは構成などが異なる、舞台用台本。こちらだと、やまびこの効果がより一層書き込まれている。あまんじゃくに対する瓜子姫の恐怖心も細かい。また、最後のおうむ返しの応酬の描き方が、放送版とは異なっていて、意味がかなりわかりやすくなっている。

*2:っていうか、おこさまたちの反応は微妙だった。「最初のやつのほうが面白い」「去年のほうが面白い」など、かなりの玄人のご感想を遊ばされていた。文楽劇場にきているおこさまというのは親や祖父母がガチ勢で、その影響で、そんじょそこらの大人では太刀打ちできないほど、何度も文楽を観たことがある方が多い印象がある。

*3:ただしプログラムの解説には書かれています。書かないほうがいいのになあ。

*4:上手の御簾内。