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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『摂州合邦辻』全段のあらすじと整理

4月大阪公演第二部で上演される『摂州合邦辻』全段のあらすじまとめです。

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INDEX

 

┃ 概要

作者 菅専助・若竹笛躬
初演 安永2年(1773) 北堀江市の側芝居 豊竹此吉座

本作は、謡曲『弱法師』・説経浄瑠璃『信徳丸』の筋を大幅に取り込んだ展開となっている。

主人公の若君が癩病ハンセン病)を得て盲目となり、実家を離れて四天王寺近辺を彷徨するくだりは、謡曲『弱法師』・説経浄瑠璃『信徳丸』に共通してみられる題材。義理の兄弟との家督争い、許嫁の姫君が追いかけてきて看病してくれるくだりは、『信徳丸』によるもの。また、若い継母から恋慕を受けるくだりは、説経『愛護若』から取り入れられている。

『弱法師』『信徳丸』系列の作品としては、先行作である並木宗輔・並木丈助作の浄瑠璃『莠伶人吾妻雛形(ふたばれいじんあずまのひながた)』の影響を色濃く受けている。ライバル(『莠伶人吾妻雛形』では兄弟ではなく、他人)との争いの末に癩病を得て彷徨する基本設定のほか、主人公の人工的な病が「寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻生まれの女の血」で癒されるという展開も、『莠伶人吾妻雛形』を引いている。こちらでは、犠牲となるのは主人公に恋慕していた普通の娘(この子は本当に惚れている)という設定。『莠伶人吾妻雛形』は帝の前で舞を舞うのが誰かという、帝に仕える楽人たちの権力争いをめぐる筋が別にあって、どちらかというとそっちのほうがメインストーリーの印象ではある。
そのほか、近松門左衛門にも『弱法師』『信徳丸』系列題材の、『弱法師』という作品がある。こちらは、直接的にはそこまで関係ない印象。

特に説経『信徳丸』は、本作を理解する上で、ぜひ抑えておきたい作品。読むには、東洋文庫の『説経節』が手軽。kindke版もあります。一方、黄金期浄瑠璃としての先行作『莠伶人吾妻雛形』は、玉川大学出版界から翻刻が出ています。近年の刊行ですが、現在バラ売りがされておらず全10冊セット売りという特殊な体裁のものなので、図書館利用等も含めて検討してみてください。

 

 

 

┃ 舞台MAP

ピンをタップすると、説明が出ます。

万代池の段:ブルーのピン
合邦住家の段:赤のピン

 


┃ 登場人物

今回登場する人物には * をつけています。

高安左衛門通俊
河内の城主。高齢で病も多いため、俊徳丸に家督を継がせることを考えている。

玉手御前(お辻)*
高安左衛門通俊の現在の正室。元は先の正室(俊徳丸の母)に仕えていたお辻という腰元だったが、その没後、正室に引き立てられた。出自は合邦の娘で、本名はお辻。

俊徳丸 *
高安左衛門通俊の息子。イケメン。亡くなった正妻が産んだ子で、惣領(長男)として扱われている。陰山長者の娘・浅香姫を許嫁と定められている。

次郎丸 *
高安左衛門通俊の長男だが、下戚腹(妾が産んだ子)のため、次男として扱われ、相続権がない。俊徳丸を陥れて家督を奪い、ついでに浅香姫ももらっちゃおうと思っている。

坪井平馬
次郎丸の金魚のフン的家臣。

桟図書
坪井平馬がスカウトしてきた京都の浪人。金魚のフンのフン。

浅香姫 *
陰山長者の娘で、俊徳丸の許嫁。和泉から天王寺へ走ってくる程度なので、文楽に出てくる娘さんにしては激走度は低い。

入平 *
浅香姫に付き従う奴(やっこ)。

お楽
入平の女房。常に一緒に行動している。そもそも奥さんいたことにビックリする。「合邦住家」にも本当は登場するのだが、現行上演では存在が抹消されている。*1

誉田主税
高安家の家老。おいしい立場のキャラだが、ほとんど出張中のため、たいして何もしない。

羽曳野
誉田主税の妻。玉手御前や次郎丸を異様に激しく罵ってくるが、よくクビにならなかったな……。*2

合邦 *
玉手御前の父。閻魔堂を建立すべく、オリジナル辻説法(?)を披露して寄進を集めている。現在は道心となっているが、元は武士。その親は北条時頼に仕え、武士の鑑として名高い青砥左衛門藤綱だった。(『太平記』に登場する超まじめ・まともキャラ。川に落ちた小銭を高価な松明をもって探させた人です)

合邦女房 *
玉手御前の母。一見、夫に付き従う大人しいママのように見えるが、合邦をなかなかうまくコントロールしている。

 


┃ 上の巻

住吉社参の段

  • 玉手御前と俊徳丸の住吉大社参詣
  • 次郎丸の企て
  • 浅香姫と俊徳丸の恋
  • 玉手御前の邪恋

霜月の下旬。河内の城主、高安左衛門通俊の妻・玉手御前と息子・俊徳丸は、病気の通俊の名代として、住吉大社へ訪れていた。

それを陰から見ているのが、俊徳丸の兄弟、次郎丸だった。次郎丸は本来長男だったが、妾が産んだ子であったために次男とされ、家督を継ぐことができないのであった。家督を狙う次郎丸は、家臣・坪井平馬、そして平馬がスカウトしてきた浪人・桟図書とともに何やら悪巧み。家督のついでに、俊徳丸の許嫁と定められている和泉の陰山長者の娘・浅香姫もゲットしようという思惑であった。

社人から振る舞いを頂いた俊徳丸が涼んでいると、突然、美しい村娘が抱きついてきて泣きしおれる。村娘の正体は、許嫁の浅香姫だった。俊徳丸は、父の病気が治れば輿入れもすぐにできるとなだめるが、姫は名残惜しそうにしている。そんな二人を浅香姫のお供、奴・入平とその女房・お楽が「いけいけやっちゃえ」とばかりに、わりと具体的指示をもって応援するのだった。そんなこんなでいい感じだったんですが、玉手御前の腰元たちがやってきて、神前のお神酒を頂いた奥様が来ると知らせるので、浅香姫は慌てて身を隠す。

お神酒の銚子と鮑の貝殻の盃を持って現れた玉手御前は、打ち解けての盃と、俊徳丸に酒を勧める。それを飲み干した俊徳丸の手を取り、兼ねてから恋心を抱いていたと打ち明ける玉手御前。俊徳丸は驚いて拒絶し、涙をもって諌める。それでも玉手御前が取りすがってくるので、俊徳丸はそれを振り払って逃げる。

入平らがもとの場所へ戻ってくるが、俊徳丸の姿は見えないため、諦めて浅香姫を連れて館へ帰ろうとする。そこへ次郎丸と坪井平馬が現れ、姫を奪い取ろうとする。しかし入平に痛めつけられ、アホ2人はスタコラと逃げていくのだった。

 

高安館の段

  • 俊徳丸の病と家出
  • 玉手御前の出奔
  • 家督相続の綸旨の行衛

師走。俊徳丸は住吉参りの下向以来、病に伏せている。病床は父・高安左衛門通俊、家老・誉田主税、典薬以外の立ち入りが禁じられていた。玉手御前は、主税の留守を預かる妻・羽曳野へ見舞いに行かせて欲しいとせがむが、許されない。

そんなところへ、内裏からの上使・高宮中将茂満が、家督相続の綸旨を持参の上、俊徳丸を参内させるようにという催促をしにやってくる。出迎えた通俊らは俊徳丸の病気を理由に延期を頼むが、茂満は聞き入れない。しかし、🌟黄金色のお菓子🌟を差し出されると、茂満は多少遅くなっても大丈夫だよ☺️とスマイルし、去年渡してあった綸旨だけもらって帰るワ🤘と言う。

そのころ、俊徳丸はそっと病床を抜け出していた。癩病に蝕まれた俊徳丸は、これ以上館にいれば家名の汚れ、また玉手御前の恋慕も恐ろしいとして、家出をして日本中の寺社巡りをしようと考えていた。玉手御前がそれを見つけ、自分も連れていって欲しいとすがりつくが、逆に縄で縛られてしまい、そのすきに俊徳丸は館を抜け出してしまった。俊徳丸の出奔を知った通俊や一同が涙に暮れているところ、高宮中将が家督相続はどうする気か、俊徳丸が家出し、しかも難治の病であるなら、家督として次郎丸を参内させるようにと迫ってくる。通俊は、次郎丸の家督相続の願いは、外出中の家老・誉田主税の戻り次第として、一旦、継目の綸旨のみ預けて高宮中将を帰らせるのだった。

日暮れ時、羽曳野は玉手御前が館を抜け出そうとしているのを見つける。俊徳丸を追おうとする玉手、引き止める羽曳野は激しく争うが、あばらを打たれた羽曳野が気を失ったすきに、玉手は走り去っていく。

それと入れ代わりに、出掛けていた家老・誉田主税が急いで帰ってくる。意識を取り戻した羽曳野から事情を聞いた主税は、家督を次郎丸に定めるとして綸旨を持ち帰った勅使が怪しいとして、とって返すように館を駆け出ていくのだった。

 

 

龍田越綸旨奪返しの段

一方、奈良街道の龍田越では、次郎丸と坪井平馬、そして桟図書がコソコソ寄り集まっていた。実はさきほどの勅使の正体は、図書だったのである。次郎丸は図書に継目の綸旨を一旦預けおき、館へと帰っていく。図書がバイトに雇った行列のみなさんへお賃金を払っていると、誉田主税が走り込んでくる。主税は図書をとっ捕まえてコテンパンにする。図書は行列の衆に主人を助けんかいと騒ぐが、一同は「わたしらバイトなんで関係ありません」と言って帰っていった(素直)。主税は綸旨を奪い返して図書の死骸を谷底へ蹴り込み、高安の家の復興を決意するのだった。

 

 

 

┃ 下の巻

天王寺万代池の段(現行上演あり/復曲)*3

  • 四天王寺を彷徨する俊徳丸
  • 俊徳丸と浅香姫・入平夫婦の出会い
  • 合邦道心の助け

彼岸、参拝の人々で賑わう四天王寺。そこには、入平とお楽の姿があった。俊徳丸の出奔後、浅香姫も間もなく家出をしてしまったため、入平夫婦は浅香姫と俊徳丸の姿を求めて方々へ訪ね回っていた。下向客たちに声をかけると、椎寺で癩病人が子供達から「弱法師」と囃し立てられているのを見たという。俊徳丸に違いないと、入平夫婦は椎寺のほうへ走ってゆくのだった。

それと入れ替わりに、盲目となり杖をついた俊徳丸がやってくる。梅の香に世の悲しみを感じながら、俊徳丸は小屋の中へ入っていった。

さらにそこへ、閻魔の首を手押し車に乗せ、閻魔堂建立の寄進を集める道心・合邦がやってきた。合邦は、地獄極楽、仏の教えをおもしろおかしく語り、人を集める。見物人から奉加銭をひとしきり集め、くたびれた合邦は、車に乗って薦を被り、閻魔様とともに一寝入りする。

一方、俊徳丸を慕って家出した浅香姫は、万代池のほとりにたどりついていた。乞食の姿を見つけた浅香姫は、俊徳様という美しい若衆を見なかったかと尋ねる。しかし、実はその乞食こそが尋ねる俊徳丸で、当人は答えられずにひたすらに泣くばかり。もしやと思う浅香姫に、俊徳丸は、その病人は癩病の身を儚み万代池に身を投げたと答える。嘆き悲しんだ浅香姫が後を追おうとするので、俊徳丸は姫を引き止め、訪ねる人は三十三所の巡礼の旅に出たと語る。そして、妻への来世の約束をしていたと言い聞かせ、再び小屋の内へ入る。

浅香姫が嘆いていると、俊徳丸を探しに行っていた入平夫婦が戻ってきて、姫を見つける。浅香姫から話を聞いた入平夫婦は小屋の乞食をあやしみ、立ち去るふりをして小陰に身を隠す。浅香姫が去ったと思った俊徳丸は小屋を出て、姫との別れを名残を惜しんで悲しむ。それを聞いていた浅香姫や入平らは、思わず泣き声をあげてしまう。驚いて隠れようとする俊徳丸。姫は俊徳丸に縋りつき、入平は2人にどこか養生できるところへ身を隠すことを勧めるのだった。

しかしそこに次郎丸が現れ、姫を奪い取ろうとする。入平夫婦は次郎丸の家来たちを追い払うが、隙をみた次郎丸が姫を奪い取ろうとする。止めようとした俊徳丸が痛めつけられているところ、昼寝から目を覚ました合邦が現れて次郎丸を取り押さえ、俊徳丸とともに逃げるよう、浅香姫に手押し車を預ける。合邦の助けを借り、浅香姫は俊徳丸を乗せた車を引いて逃げていく。合邦は次郎丸と取っ組み合い、次郎丸を万代池に投げ込むと、悠々と家へ帰っていくのだった。

 

 

合邦住家の段(現行上演あり)

  • 合邦庵室を尋ねる玉手御前
  • 邪恋と毒酒の真実
  • 俊徳丸の病の回復
  • 悪人の成敗と俊徳丸の家督相続

合邦の庵室では、同行衆を集めての回向が行われていた。戒名は「大入妙若大姉」、振る舞いを受けていた客は、身内の仏だろうと推測する。夜食と酒を頂くと、同行衆は帰っていった。
合邦の女房は、ひとり娘も大名の奥様にならず、実家にいたままなら死ぬこともなかっただろうとつぶやく。その娘とは、お辻、つまり玉手御前のことだった。実は合邦は玉手御前の父だったのである。合邦は嘆きを戒め、夫を捨てて俊徳丸を追い回すお辻は追っ手にかかって殺されたであろうと叱りつける。しかし合邦もまた内心では娘を心配しており、涙声を含んでいるのであった。

そんな庵室へ、玉手御前が訪ねてくる。その後ろには、彼女を密かに尾行する入平夫婦の姿があった。玉手御前の呼び声に驚く母。合邦は、娘は生きていればこの家へ入れることはできないが、「幽霊」が来たのならと、戸を開けることを許す。玉手御前の無事な顔を見た母は嬉し泣きして娘を抱きしめ、合邦もまた心の中で喜ぶ。母は、俊徳丸への不義の恋の噂は嘘だろうと問いかけるが、玉手御前は真実恋い焦がれているとうっとりとして語る。それを聞いた合邦は怒り、娘を斬りつけようとするが、母がそれをとどめ、玉手には尼になるように言い聞かせる。しかし玉手はそれも聞き入れないので合邦はますます怒り、母はさらに説得するとして、無理矢理に娘を納戸へ連れていくのだった。

騒ぎがおさまったところへ、浅香姫に手を引かれた俊徳丸が姿を見せる。俊徳丸は浅香姫・入平らと共にここから立退くことを心に決めるが、それを見つけた玉手御前が走り出て、俊徳丸にすがりつく。癩病病みの姿では愛想も尽きたであろうと諌める俊徳丸だったが、玉手御前は、その病は住吉社参の折に飲ませた毒酒によるものだと語る。容貌を崩して浅香姫に愛想を尽かさせ、俊徳丸を独占しようと考えていたというのだ。驚き怒る浅香姫と玉手御前は激しいもみ合いになり、見かねた合邦が飛び出して、玉手御前を刀で突く。嘆き悲しむ母をよそに合邦は娘を激しく叱りつけるが、玉手御前はそれをとどめて真実を打ち明ける。

俊徳丸を亡き者にしようとする次郎丸の陰謀を耳にした玉手御前は、俊徳丸が家督さえ継がなければ次郎丸の悪心も止み、殺されることはないと考えた。そこで俊徳丸へ心にもない不義を仕掛け、毒酒でもって病を得させ、家督相続をできなくしたという。それは、次郎丸の悪心が高安左衛門通俊に知れれば切腹は免れないとして、継子の命を二人とも助けるために夫には次郎丸の陰謀を告げず、一人で考えたことだった。そして、俊徳丸を追ってきた理由というのは、毒薬の癩病は「寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻」に生まれた女の肝の臓の生き血を同じ盃で飲むことでしか治せず、そのゾロ目の生まれ女というのが、他ならぬ玉手御前だったからだと語る。

娘の話を聞いた合邦は、娘の貞心とそれに気づかなかった自らの愚かさに泣き叫び、一同は涙に暮れる。玉手御前は合邦にみぞおちを切り裂いて欲しいと頼むが、父にはそれが出来ない。俊徳丸に血を飲ませることを急ぐ玉手御前は懐剣に手をかけるも、合邦はそれを留め、百万遍念仏(大きな数珠を多人数で回して唱える念仏)で娘を送ろうと言う。玉手御前はみなの南無阿弥陀仏の声の中で鳩尾を切り裂き、その血を受けた鮑の盃を飲み干した俊徳丸の癩病はたちまちに癒え、目が開く。息絶えた玉手御前のため、俊徳丸は彼女の母を尼公として月江寺を開くことを決める。また、合邦はこの住家を閻魔堂とし、娘の往生を願うことにした。四天王寺の西門通りに残る合邦が辻とはこのことである。(現行上演ここまで)

そこへ、次郎丸と坪井平馬を縛めた誉田主税が訪れ、俊徳丸の病平癒を喜ぶ。俊徳丸は玉手御前に免じて次郎丸を許し、悪の根源として平馬の首を討つのだった。

(おしまい)

 

 

 

┃ 現代での改作 寺山修司身毒丸』(1978)について

『摂州合邦辻』をはじめて観たとき驚いたのは、寺山修司の戯曲『身毒丸』との類似性。『説経節の主題による見世物オペラ 身毒丸』は、1978年、紀伊国屋ホールで上演された演劇作品だ。一般的に、寺山修司の『身毒丸』はサブタイトルに「説経節の主題による見世物オペラ」と入っているため、説経節の『信徳丸』を題材にしていると言われている。確かに、詞章面では『信徳丸』からの取り込みは多い。そして、実子を贔屓し、継子を蔑む継母という構図も『信徳丸』に近い。

しかし、実は『摂州合邦辻』のほうが、はるかに色濃く影響しているのではないだろうか。最大の特徴である、継母と義理の息子の欺瞞的な恋愛設定(説経『愛護若』の取り入れ)は、『摂州合邦辻』から着想を得たアイデアなのではないかと思う。そして、継母を中央に置いて大きな数珠を回す(百万遍念仏)舞台演出も、「合邦住家」そのままである。さらには、ロックオペラという形態も、義太夫狂言を思わせるものがある。母へのアンビバレンツな思慕は寺山修司の重要な作品モチーフだが、『摂州合邦辻』もまた、彼の着想源やコラージュの素材になっていたのだろうか。

寺山修司作品でいうと、映画『田園に死す』(1974)には、川を流れる雛壇が登場する。雛流しの風習は普遍的にあるにはせよ、演劇としての着想は『妹背山婦女庭訓』の「妹山背山の段」からきているではないかと思う。『國文學 解釈と教材の研究』1976年1月号に、寺山修司塚本邦雄の対談が乗っている。そこに、近松半二作品(妹背山)についての話題に出ていた。寺山はかつて、近松半二をテーマに近世文学専門の国文学者・松田修と対談をする企画があり、半二作品を読み込んでいたらしいが、急病で企画が流れてそのままになったとのことだった。惜しい、ぜひその対談を読んでみたかった。

「山の段」では、雛人形吉野川を一文字に横切るように流れる。しかし、『田園に死す』だと、ちゃんと川の流れに乗って雛壇が流れてくる。水流を無視した「山の段」の雛人形の流れのほうが自然に見えて、『田園に死す』が異様に見えるのは、不思議。いや雛壇は川流れないですけど。

文楽では、出演者側は「雛人形やミニ嫁入り道具が川を横切って流れるっておかしくね?お客さん大丈夫かな?」と思っているらしいが、コッチとしては別に違和感ないよね。そもそもあの川、時々しか流れないし、川幅めちゃ狭だし)


身毒丸』と説経節『信徳丸』の関連性についての記事

 

寺山修司身毒丸』戯曲台本

ただ、この作品、音楽を大幅に取り込んだロックオペラ形式になっていて、映像+音声ありで見ないと面白さが非常にわかりづらい。ぜひ1978年版を見ていただきたいが、VHSしか出てないはず(近年発売されたDVD・CD BOXの映像は再演版)。私もVHS版を持っていたけれど、見すぎてテープが切れた。

 

 

 

┃ 参考文献

┃ 画像出典

立命館ARC所蔵 摂州合邦辻 下の巻

 

 

 

*1:原文を読むとわかるが、本当に添え物程度の行動しかしない。そのために、上演を重ねるうちに省かれてしまったのだろうか。明治時代にはすでにいなくなっている。

*2:突然生々しい話になるが、かなり不自然なキャラクターのように感じる。正室や妾腹といえど主君の子息に対して繰り返し激しく罵倒するというのは、この時代、ありえなさすぎるんじゃないですかね……。羽曳野のこの言動があるからこそ、玉手御前の恋は完全に虚偽だということが引き立つ面はあるが、もうちょっとなんとかならなかったのか……。しかも、このあたり、同じようなやりとりが全編にわたって繰り返されるのがかなり気になるんだよねえ。趣向上何の変化もなく、単調なやりとりが重複する状態になっているが、そこが菅専助の甘さなのか……。以上、突然の生々しい感想でした。

*3:この段、入平・お楽、俊徳丸、合邦、浅香姫が偶然同じ場所に集まってくるという話のはずなんですけど、四天王寺と万代池って、結構離れてますよね。昔は四天王寺の寺領がものすごく広かったとか、それとも万代池がメチャデカだったとか、それともこの「万代池」はいまの万代池と違うとか……? 文化3年の地図(増脩改正攝州大阪地圖 - 国立国会図書館デジタルコレクション)で確認したところ、四天王寺の南大門のすぐそばに、「万代池」と書かれたちっちゃな池があるのを発見しました。舞台mapも改定しておきました。

文楽 3月地方公演『一谷嫰軍記』『曾根崎心中』所沢市民文化センター ミューズ

今回の地方公演は、例年開催されていた府中がなくなってしまったため、所沢公演へ行った。
ひさしぶりに乗った西武線の車両内モニタでは、『鎌倉三代記』の佐々木高綱みたいなキャラが出てくるアニメが流れていた。

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所沢市民文化センター ミューズは、埼玉県所沢市の航空公園にある大型文化施設
アークホール、マーキーホール、キューブホールの3つのホールを備えており、文楽はそのうち中ホールにあたる「マーキーホール」で上演された。中ホールといっても吹き抜けで3階層647席ある、空間としては大きなホール。馬蹄型の設計で、2階以上の客席は逆アーチ状に張り出しており、ヨーロッパの歌劇場風だった。

音響はそこそこ良く、細かく小さな音もはっきり聞こえた。太夫の声は抑えた表現までよく聞こえた。しかし、三味線の音は空間の大きさゆえか、かなり拡散して、低音が飛んでいる印象だった。

天井高が相当にあるため、定式幕は引けず、備え付けの大きなカーテン幕の引き上げ・引き下げで幕を開閉していた。文楽は幕の開閉速度が変だと興を削がれるが、降りる速度が速めで、極端に不自然ではなかった。

最前列と床前は空けて、1階席をすべて販売(2階以上は販売なし)。昼も夜も、お客さんはほぼ満席まで入っていた。
入場時、カラー印刷の写真入り配役表を配布していた。モノクロコピーのあらすじ・配役資料を配布するところは多いけど、カラー印刷物配布をくれた施設ははじめてなので、驚いた。

 

 

 

昼の部、一谷嫰軍記、熊谷桜の段、熊谷陣屋の段。

事前解説は藤太夫さん。
ここまでの年配ベテランが解説を担当するのは珍しい。しかも(いや、だからなのか)上手い。
なにがいいかって、話す内容が、ネットで検索してすぐ出てくるような内容ではないことだ。これから始まるのはすごく良い演目で、とても価値がある。文楽の中ではこういう位置付けをされている。だから、ここに来たアナタはすっごくトクしたよ、楽しんで帰ってね、と。来てくれたお客さんに、お客さんにとってこの公演にどんな価値があるかを伝えるのは、大切なことだよね。地方公演での「解説」に、いったい何が求められているかがよく考えられた話だった。そして、単なるウケ狙いではなく、作品や作者の価値、段の重要性を解説しており、誠実だった。
並木宗輔の話を含めていたのが良かった。「若木の桜の前に、“一枝を伐らば一指を切るべし”っていう制札が立っとるんですわ! これを書いたのが!!」……「あの有名な、弁慶さん!!!」に繋げるのかと思ったら、「並木宗輔!!!!!!!!!!」と、浄瑠璃の段切かのように突然現実に話を戻して、並木宗輔について説明していた。
太夫さんは、このおっさん、昼飯に入った中華屋で、天津飯と一緒にビール中瓶注文しはったんか? って感じのテンションだった。もともとこういう人なのかもしれないが、自分はなんとなくぼや〜っとそこに座っていたので、あまりに前のめりなテンションにびびってしまった。


陣屋の床〈前=竹本千歳太夫/豊澤富助、後=豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵〉は、いずれも、とても良かった。
ストレートに、それぞれの考え、個性が出ていたのが、何より良かった。その人にしかできない、その人ならではの独自性と考えが感じられた。
だからといって、単に好き勝手にやっているということでもない。熊谷は、デッカい図体をしていながら、心根が細やかで、他人に対する気配りも繊細な人だと思う。相模も知らない(?)その性格を、わかってあげている、わかちあっている感じがした。また、相模、藤の方の嘆きは、彼女らが本当にそう泣き叫んでいるというより、人形たちの心の声が聞こえ伝わってくるように感じた。

太夫さんは、数年前なら、こうは語らなかったと思う。自分らしさを追求できる心境や立場になれて、本当に良かった。

あとトミスケはやっぱり上手い! 牽制があるのも良い!!

多少早まったり、太夫三味線が噛み合ってないところも、むしろ美点になっていると思った。大落としの噛み合ってない感は、なんでやねん!って感じで若干おもしろかったけど、それでこそ「コイツラ!」感ある。
魅力的な義太夫は、テクニック的に優れているとか、内容に対して正確で巧妙であることだけでは、足りない。そこにプラスされた何かがいる。そこにいかなる個性があるか。いかに観客を惹きつけるか。ワクワクさせられる、楽しい舞台だった。

 

 

人形は弥陀六〈吉田玉也〉に圧倒的な情緒が感じられた。唐突なまでにうまい。解像度がまったく違う。舞台の屋台骨になっていた。玉也さんの弥陀六は、やはり、腕の動きがダイナミックで、綺麗。弥陀六の人形は小さいが、彼の内面には巨大なものが秘められている。「テモ醜しい眼力じやよな」で頭巾を脱いで階に足をかけ、義経を強く睨む所作には、気持ちがめいっぱいにせり出しているのが感じられた。
しかし、以前、玉也さんが弥陀六を演じたときとは、少し演技が変わっているか? 雰囲気が変わっているのか? ちょっと違うものを感じた。
弥陀六の額のほくろは、ペイントになっていた。前までは、立体的だったよね。かしらの都合があるのか? どことなくシャープな顔をしていたようにも思ったが。
そして、弥陀六を引いてくるツメ人形は、やっぱり、弥陀六役の人に似せているのだろうか。

 

熊谷〈吉田玉助〉、相模〈吉田簑二郎〉、藤の局〈吉田一輔〉は、かなりちゃんとしていたと思う。同時に、この人たちが等身大でやったら、こうなるよな、と感じた。この段、雰囲気そのものは大きなスケールを求められるわりに、語りとの高い整合性を必要とする微細な段取りが多い。それぞれの動きも細かいので、所作の意味を理解し、その意味に沿わせて描写していかないと、ぼやける。
「御実検下さるべし」で熊谷が首桶の蓋を開け、下手から走り寄ってきた相模を右足で組み敷いて扇を首の前に置き、さらに寄ってきた藤の局を右手に持った制札で遮り、藤の局がそこに取り付いて跳ね返され、なおも寄ってくる藤の局を制札でせき止めて「諫めに遉はしたなふ」で、熊谷・相模・藤の局の全員で左右に揺れ始めるところ。書いているだけで複雑だが、ここ、型自体はできても、行為の意味として何やってたんだかわからなくなること、多くないですか。ことに、有名な演目に背伸び配役をされた出演者は、型自体を極めること自体に注意がいってしまう。客も、有名な型が極まっているかを確認している感覚があると思う。だから、それでOKと思う場合もあるのだが……、型は大切なんだけど、それだけのために来ているわけではないからなあ。今後、どうなっていくんだろう。

 

個別の演技では、熊谷の立ち位置が気になった。物語の途中で下手に向く際、人形の右肩を奥側に引くのではなく、人形自体を本当に下手へ振ったため、人形の位置自体が下手へ大きくずれてしまい、舞台センターで演技する威風堂々とした印象に欠けた。また、義経の出で下座へ平伏する際、屋体の上がり口ギリギリまで下がりすぎて、制札を抜くのに「ハッと答えて走り出」で走る距離自体がなくなっていた(短い距離でも走っているように見せるかの問題もあるけど)。演技のやり方自体は配役された人の判断だと思うが、このあたりは客からすると見栄えが「?」で、しんどい。左が慣れている人のようだったので、そういう経験ある人が引っ張るしかないのかもしれないが。

そう! そうなんだよ!! 熊谷の左、かなりうまかった!!!
秋の地方公演のとき卒倒しそうになった、物語の「中には一際優れし緋威」で、右手で扇を下にして持ち、左手で肩衣をしごき上げて極まるところ、今回は左手がかなり綺麗に極まっていた。むしろ、信じられんほど綺麗に極まっていた。なぜ秋の地方公演ではこれができなかったのか……。いや、もう、今回の左は、そもそも陣屋へ入ってすぐ、左手に刀を立てて持ち、下手に座る相模に向き合うところの、その刀の持ち方からして緊張感と熊谷の受け答えが虚構であるゆえの威圧感があり、相当良かったのだが、これくらいの人が秋にも左をやってくれれば……。経験が少ない人ができないのは不可抗力だし、地方公演の出演者都合上、ベストな配役ができないのはわかってるんだけど……、虚無……………………。

 

簑二郎さん相模は、以前見たときより、かなり良くなっていた。簑二郎さんは、演技の意味を考えてやっていると思う。そして、しばしば芝居が固くなるのは、それに気を取られすぎるせいだと思う。今回は、緊張が薄れて、自然な雰囲気になっていた。いまの佇まいのままに、相模の情熱を大きく押し出して欲しい。

玉佳義経、立教かICUに通っていて、マラソンサークルの部長をしていそうな感じがした。ノシ!ノシ!としているのも良い。鎧着てるからね。玉佳義経は、良い。

堤軍次〈吉田玉翔〉はプロテイン飲んでそうな感じだった。チョコ味とミックスフルーツ味が好きそうな感じだった。なんだ、この玉誉さんとの違いは……。いや、どっちも軍次らしくて、いいんですけど……。
ただ、梶原平次が来たときに下座へ下がって左手に持っていた刀を置くときの所作は、もっと真面目に出迎えた風になおしたほうがいいと思う。「普段の仕草」っぽすぎる。改まった場で相手から目をそらし、ながら風の整わない所作になっているのは、熊谷が陣屋に連れてきている家臣の役目をなしていない。軍次はかなり頭が良く、機転がきく人物のはず。彼は熊谷の策謀を知っている可能性があるほどの人と考え、出番が少ない役だからこそ、ひとつひとつの演技を考えて丁寧なものに欲しかった。若手に細かいこと書いても仕方ないかもしれんけど、玉翔さんは改善できる人だと思うので、誰かなんとか言ってやってくれ。(誰かなんとか言ってやってくれシリーズ)

 

  • 解説=豊竹藤太夫
  • 義太夫
    熊谷陣屋の段
    豊竹靖太夫/野澤勝平
    熊谷陣屋の段
    前=竹本千歳太夫/豊澤富助
    後=豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵
  • 人形役割
    妻相模=吉田簑二郎、堤軍次=吉田玉翔、藤の局=吉田一輔、梶原平次景高=吉田文哉、石屋弥陀六 実は弥平兵衛宗清=吉田玉也、熊谷次郎直実=吉田玉助源義経=吉田玉佳

 

 

 

夜の部、曾根崎心中。

生玉社前の段。

徳兵衛は、出てきた瞬間、ダメムーブをかます。やっぱり玉男さんのしょうもないヘタレ男役は最高だ。お初以外の人からはなんの価値も認められていない感が溢れている。

そう、徳兵衛は、「お初以外の人からはなんの価値をも認められていない」と思うんだけど、浄瑠璃の文章や徳兵衛の演技だけで、それがわかるわけではないんだよね。それは、冒頭で徳兵衛が連れている丁稚長蔵〈吉田玉彦〉のリアクションによるものだ。
徳兵衛が出茶屋にいるお初に気を取られているときは、長蔵は首だけこくっと俯いていて、半寝。徳兵衛に話しかけられると一応話を聞いて、自分のこと棚に上げすぎの徳兵衛の言葉に「やれやれ」とばかりにプイプイ首を振り、話の途中で出ていきそうになる。徳兵衛が話終わると彼に向き直り、それこそツメ人形の丁稚みたいな素直風の顔になって、「アイアイ合点」と言って去っていく。
お初は徳兵衛に思い入れがあるし、九平次も徳兵衛を悪意で利用する立場なので、2人のリアクションからは、徳兵衛の客観的な人物像を得ることはできない。しかし、長蔵は徳兵衛を冷静に見ている。徳兵衛は、まあ、周囲から、こういう評価を受けてるヤツってことなんだろうな。
長蔵は一言しかセリフがなく、若手がやる、一種どうでもいい役のように見える。こういうショボ顔の端役で、抑えつつも伝わるように遣うのって、かなり難しいと思う。抑えすぎて何やってるかわからないとか、逆に、目立たせるべき役でもないのに大振りにやりすぎていてうっとおしいと思うことは、よくある。このあたりは、当人のセンスによるものが大きいだろう。長蔵は、かしらだけでの小ぶりに抑えた所作の中に長蔵の心のツブヤキを感じさせ、上手い芝居だった。長蔵には確定した振り付けがあるわけではないと思うが、よく考えられている。あいつ、このあと道頓堀へ遊びに行くだろうな。

九平次〈吉田玉志〉は、すでに2軒ほど回っていて、あとはラーメン食って帰るか!って感じに酔っ払っていらっしゃった。ちょっと背中を丸めて前のめりによたついてる、ヤカラめいた姿勢。
そして、玉志さんにしてはというべきか、予想外に角の丸い雰囲気だった。九平次としての角ばりはあるが、世話物の市井の中に生きている人物である意識がなされた、自然な柔らかみのある所作。ある意味、徳兵衛より優美な雰囲気がある。勘壽さんと同じく、内田吐夢加藤泰の時代劇に出られそうな、どこか矜持や気品がある町人だ。『心中天網島』治兵衛の兄・孫右衛門役でも思ったけど、玉志サン、世話物、上手いな。
そして、九平次という人物の、背景を感じた。九平次は内面描写がほとんどなく、かなりシンプルな悪役だが、よくよく考えてみればこの人にもバックグラウンドがあるはず。それでいうと、この九平次はどこかエエ商家の手代で、少なくとも徳兵衛よりは仕事ができ、遊びを遊びと割り切る賢さがあるという解釈で演じているのだろう。玉志さん自身の特性もあるけど、所作がすっきりとして品がある。羽織の裾の直し方とか、座り姿勢で手を置いている位置とか、洗練されている。九平次はそこそこ出番があるわけだし、よく考えられているなと思った。
なお、よく九平次をやっている玉輝さんとは、演技の細部が異なっていた(くわえている楊枝をどうするか、徳兵衛への息の吐きかけ、羽織の扱いなど)。玉輝さんのほうが遊び人感というか、遊侠めいたところがある。あれは玉輝さん独特のものだな。玉志さんはもっとリアリストな印象。『冥途の飛脚』の八右衛門的に近い感じ。玉輝さんと玉志さんのキャラクターの違いは、九平次にとっての、金への意識の違いなのかもしれない。

話は玉男さんの徳兵衛に戻って、この徳兵衛にある一種の線の強さというのは、単に遣い方や人物像に対する考えがヌルいのとは違うだろう。彼の癇癪、社会不適合性の表現だよな。徳兵衛は近松物の男性主人公の中でも、とりわけ何考えてんだかわかんないし。何も考えてないかもしれないし。本人にも自覚のあるクズの忠兵衛とはまた別の方向性のダメさというか、無自覚にアレな人というか……。玉男さんは徳兵衛をどう解釈しているのだろう。玉男様は人形以上に言葉を発しないから、わからないけど……。

お初〈吉田和生〉は、自然でふんわりとした雰囲気。ちっちゃなちっちゃなことりちゃんのように儚いお初だった。大人しげで、常に徳兵衛のことが気になるのか、元気がない。お初はよく「くたっ……」となるけど、それが「がっくり」ではなく、「くたっ……」なのが、和生お初。着物と身体の暖かさ、柔らかさを感じる。
お初には、うなじ、首筋、肩に匂い立つ表情が見え、薄幸の美人オーラがあった。上手い人形遣いの人形は、彼や彼女の背中が、そう、本来ほとんど見えないはずなのに、あたかも見えるように感じるよなぁと思った。

 

『曾根崎心中』に登場する人形たちは、端役でも、それぞれの趣味の存在を感じさせるものをちゃんと着ている。それは、昭和の復活初演時、衣装考証の外部専門家がいたからなのかな。九平次とか田舎客とか、独特。田舎客の着物の丈が短めでスネが出がちなのって、わざとなのかな。ちょっとマヌケっぽくて、良い。

 

 

天満屋の段。

天満屋の徳兵衛は、お初にだけわかる愛らしさがある。お初(と観客)だけが、彼の愛らしさを理解できる。お初の打掛の裾にスポ……と隠れてるのが、本当、愛らしい。お初の着物の裾をなんとなく整えてあげたりといった、チマチマした動きが良い。
そして、本当に隠れなくちゃいけないときは(よそへ飲みに行く九平次たちや、下女お玉が前を横切るときとか)、玉男様までヒソ……と縁の下へ入るのが、一生懸命身を縮こまらせているようで、可愛い。お初の打掛の裾に入って隠れているときは、わりとはみ出しているのに。「入れるんだ……」という感動がある。

玉男さん・和生さんは、長い年月を共にしてきただけあって、抱きつきのタイミングが上手い。かなり自然に抱きついている。よく見ると、お初の人形の位置がかなり低いのだが、その位置に一発で持っていって、2人が抱き合った姿勢を綺麗に決めるのが、さすがベテラン。そして、玉男和生カップルだと、燃え立つように情熱的なカップルというより、ひっそりと可憐な感じがするのが、いい。まあ、玉男様は相手役いっぱいいて、浮気者だけどさ。

天満屋九平次は、生玉社前のあとにさらに飲んできた人状態で、ラーメン屋でもさらにジョッキのビールを頼み、帰るには思ったよりまだ時間が早いので、近所のスナックへ寄り道しに来たのかなと思った。煙管を手に徳兵衛の悪口を得意げに言い散らすところは、かなり角ばった印象に寄せていた。セリフが自分の番でなく、姿勢としては静止するところで、まじで静止し続けていたのはすごかったが、ちょっと、端正すぎかな……。もうちょっと高いところで遊ぶ人の感じというか……。神経質さが謎の方向にいった、玉志サン特有の「俺は絶対動かん」が炸裂していた。

朋輩女郎シスターズ〈桐竹紋臣・桐竹紋秀〉は、髪型がオソロで良かった。主体的な動きがほとんどなく、背景でずっと小芝居やリアクションをしているのは、大変だ。
しかし、屋体(天満屋の建物)の中の照明はなんだか変で、朋輩女郎たちは真っ暗だった。冒頭部など、和生さん自体にやたら光が当たっていた。地方公演では照明に不自然さを感じることがそこそこあるが、技師さんが慣れていないからなのか、ホールの構造の問題なのか?

今回のお玉ちゃん〈吉田文昇〉は、相当眠そうだった。眠い〜!眠い〜!!も〜!!!って感じだった。

 

 

 

天神森の段。

天神森の生き物たちが、二人の行末を悲しんで歌っているような道行だった。池のブラックバスとかが……。(江戸時代にはブラックバス日本におらん)
錦糸さんの三味線の雰囲気は、葉っぱの揺れや水面の静かな波のようで、良かった。

最後のほう、お初が帯をカミソリで割くときに、手を怪我してしまうくだりがあるよね。あそこで、お初が「あ!痛!」という動きをした瞬間、徳兵衛がものすごい勢いで吸い付いていたのが、びっくりした。前からこんなに勢いあったか!? 和生さんのお初のリアクションからすると、ほんの少し切れたかも?くらいのことなのに、そこまでおとなしげにしていた徳兵衛の本気というか、必死さを感じた。これから刃物で死のうというのに、ちょっと手を切っただけであんなに大騒ぎするのかという矛盾に、怖いものがあった。

 

 

 

  • 解説=竹本碩太夫
  • 義太夫
    生玉社前の段=竹本小住太夫/鶴澤清𠀋
    天満屋の段=竹本織太夫/鶴澤燕三
    天神森の段=お初 豊竹睦太夫、徳兵衛 豊竹咲寿太夫、竹本碩太夫/野澤錦糸、野澤錦吾、鶴澤燕二郎
  • 人形役割
    手代徳兵衛=吉田玉男、丁稚長蔵=吉田玉彦、天満屋お初=吉田和生、油屋九平次=吉田玉志、田舎客=吉田和馬、遊女[下手]=桐竹紋臣、遊女[上手]=桐竹紋秀、天満屋亭主=吉田玉勢、女中お玉=吉田文昇

 

 

 

「熊谷陣屋」終演後の拍手は、地方公演とは思えないほど盛大で、長いものだった。本公演でも襲名公演などでない限り、あそこまでの拍手が起こることはないだろう。固定客が多そうなコンサートホール系劇場なので、ホール自体にそういう習慣があるのかもしれないけど(アンコールがある興行が多いという意味で)、結構驚いた。でも、実際、上演内容もとても良かった。

今回の観劇は、ちょうど、一昨年の秋からゆっくり読んできた並木宗輔全作品講読の最後、最終作の『一谷嫰軍記』にたどりついたタイミングでの「熊谷陣屋」上演だったので、思い入れをもって舞台を観た。
並木宗輔作品に登場する武士の男性は、特に前期作品においては、「傍観者」だ。たとえ自分の子を身代わりにするとしても、それに対する煩悶や悲しみといった感情はすべて妻に負わせていて、「当事者」たりえない。彼自身は、社会のパーツに過ぎず、また、パーツになりきることにしかアイデンティティがない。
しかし、この作品では、「当事者」であることを引き受けた熊谷直実が、自分の命を捨てることをせず、残された家族である相模を連れて、義経の前から去っていく。この結末は、並木宗介作品をずっと読んでいると、本当に、感無量…………。
並木宗輔が豊竹座で『北条時頼記』の合作者としてデビューしてから、歌舞伎作者時代を経て竹本座に移籍し、現代に残る数々の名作を手がけ、最後に豊竹座のために作品を書いて亡くなるまでの46作品(本が残っていて、読めるものの数)の最後に、この、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段がある。最後にしか書き得ない、必然的なものだと思う。並木宗輔は、生涯を通して、人間は人形であること、人形は人間であることを描いた、本当にすごい作家だと思う。全部読んで、本当に良かった。


と陶酔していたところで話は突然現実に戻るが、今回の公演に限ったことではないが、人形は、体より先に感情が動いていないと、どうにもならんわなと思った。ひとまずポーズを取ってから、「それ」っぽくしても、間に合わない。太夫は、言葉を発するよりも前、息を吸うところから語りが始まっていると聞いたことがある。できすぎた話に聞こえるが、しかし、前受け狙いの芸談としての作り事や、高尚に見せかけるためのもったいぶった嘘ではないと思う。人形にも、同じことが言えると、実感として思う。そして、気持ちが変化するポイントがどこなのかを意識することが、重要なのではないかと思った。

若手の太夫は、客席に自分の声がどれくらい、どのように聞こえているのか、把握が難しいのだろうなと思った。これも今回の公演に限ったことではないが、特に外部公演だと、声の出し方そのものに違和感がある場合が散見される。ベテランにそういった違和感はないのは、経験則によるホール形状ごとの特性なり、その場で自分の聞こえの感覚で瞬間的に調整してるんだろうなと思った。

まとめると、「みんな、がんばって……」と思った。

 

あと、唐突だけど、初代吉田玉男師匠って、やっぱり自分のうまさをわかった上で、演技をしてたんだろうなと思った。復曲の新作曲は、実は演奏者のテクニックがいかせる作曲になっていると聞く。新規につけられた人形の演技の一部にも、それが言えるのではないだろうか。実は本人にしかできない演技をやっていて、後代に受け継がれたとしても世代が下るにつれ、元の意図や技術が伝わらず、崩壊するものが出てくるんだろうなと思った。

 

 

↓ 秋の地方公演の感想

 

 

 

春の地方公演から、府中がなくなったのは悲しい。お客さんは毎回たくさん入っていたので、イベントとして採算が取れないとかではないと思うのだが、2年も連続で中止になると、リスクがある状況でさすがにもう次はなかったということなのだろうか。自分が住んでいる自治体ではないのでリクエストしづらいが、来年はぜひ開催して欲しい。

今回の所沢のホールは、今回のお客さんの入りや盛り上がり、チケット販売状況を見ると、地元の人に愛されている場所なんだなと感じた。今後も公演が続いて欲しい場所だ。
地方公演などで、このようなローカル文化会館的な場所を訪ねることがしばしばあるが、自治体がよほど文化施策に力を入れているところでない限り、どこも老朽化が進んでいる。今回のホールも、いかにも平成初期の佇まいで、むかし世の中の景気が良かったころに、地元にも土地の広さをいかしたちゃんとしたホールを、と考えて建設されたんだろうなと感じた。
文楽の地方公演は今後いつまで継続できるのかと思ってしまうが、その理由のひとつとして、こういった文化施設の存続如何がある。今後、リニューアルや建て替えなどをされて、こういう施設を継承していくことは、どこまでできるのだろうか。かつて春の地方公演の会場だった大田区民ホールはいま、リニューアル工事をしているようだが(確かにあそこ、かなり厳しめの古さだった)、どうなるんだろう。
最近、自分が住んでいる地域の公共施設で、老朽化のため、改装工事をしたところがある。ところが、再開館したら、リニューアル前よりショボく安っぽいものなってしまった。世の中はこうやってどんどん貧しくなっていくのだなと思いました。(突然の悲観END)

 

↓ なぜ和生様サイン色紙? 施設側に和生様オタの方が? それとも和生様=人間国宝=えらい!から一座の代表として書いてもらったという素直リーズン? 和生様は和生様でなぜ「夢」? 疑問が尽きません。

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それにしても、航空公園、めちゃくちゃ久しぶりに行った。15年ぶりくらい……?

暖かく晴れた日で、公園内ではたくさんの親子連れが思い思いに遊んでいた。子供用のミニテントを張るのが流行っているのか、アポロチョコのようなポップアップ式のテントがポコポコあちこちにあった。そのテントが、時々、動き回っていた。水路の水に落ちたチョウチョを、お母さんに言って助けてもらった子供が、飛んでいくチョウチョにばいばいをしていた。

公園内にドッグランがあり、敷地も広大だからか、犬を散歩させている人がものすごくたくさんいた。常に犬が往来しており、ありとあらゆる種類の犬がいた。犬たちは犬同士で社交していた。

犬を散歩させている人に混じって、猫を散歩させている人がいた。気品のある灰色の長い毛をもったその猫は、ハーネスのついた緑色のメッシュの服を着せられており、敵意ある目をして、意地でも動かんモードに入っていた。飼い主は辛抱強く見守っていた。

文楽とは、真反対の世界だった。

 

 

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航空公園駅を降りると、飛行機がお出迎え。

 

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スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」のようなのどかさ。

 

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狭山茶ソフトクリーム。みんな食ってたから私も食った。ツメ人形だから付和雷同しちゃう。

 

 

 

文楽 2月東京公演『加賀見山旧錦絵』草履打の段、廊下の段、長局の段、奥庭の段 国立劇場小劇場

奥庭にいるカエルの鳴き声を聞いて突然思い出したが、初春公演の「尼が崎」の光秀の出で、「めっちゃカエルおる!!」って言っているお客さんがいた。

いや勘十郎を見ろよと思ったが、確かに、カエルめっちゃおった。なんなら、いままでにないくらい、相当めっちゃおった。いつもより相当余分に鳴いておられた。
なお、こちらの奥庭に住むカエルさんたちは、普通だった。

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加賀見山旧錦絵、草履打の段。

人形配役で、岩藤を清十郎さんに変えたのは正解だった。
嫌味らしさと気品が少女漫画的に融合している。性格が曲がったヤツでも作画が少女漫画タッチなので、繊細で華麗な雰囲気。また、「嫌なヤツ」が良い意味でテンプレ表現されており(たとえば幕が落ちた時に顎をあげて若干斜めに上を向いているとか)、ストレスがない。岩藤には内面考証の必要はないから、これくらい割り切っているのが好ましい。よしながふみの漫画に出てきそうな感じというか、身綺麗で厳しい雰囲気の中年女性に見えるのも良かった。
単独の技芸としての良し悪し、今後の研究等はともかく、配役の方針は今後も女方から出すということでいってくれと思った。やっぱり、玉男様は、素直なキャラクターのほうが似合うので……。

尾上〈吉田和生〉は、最後に立ち上がり直したときの目が良かった。

最後、ツメ人形の尾上の腰元たちが尾上に走り寄るとき、三味線が三人遣いの腰元が出る間合いのある手になっているが、かつては三人遣いの腰元がいたのだろうか。

床はかなり不安定な状態だった。ひとまず公演再開のかたちを作った、ということなのだろうが……。腰元のセリフを地謡のように小さく抑えていたのは、よく設計されていると感じた。

あとは鷲六のパンチが気になった。

 

上演部分だけではわからなかったこと その1

今回は、『加賀見山旧錦絵』全段を読んだ。(原作。「又助住家」などが混入する前の元々のもの。上演の歴史が重なる中でいろいろいじられていて、現行とは若干違うのですが)

原作を読むと、上演部分だけでは不明瞭になっている部分の理由やいきさつがわかるのだが、書いておかないとすぐ忘れるので、メモしておこうと思う。

岩藤はなぜいきなりキレてくるのか。のちに語られる、尾上が密書を拾ったのではないかという疑惑以外の要因について。岩藤は、文楽現行上演部分に出てこない桃井求馬という武士の青年にかねてより付け文をしているのだが、求馬は腰元の早枝という娘とすでにデキている。岩藤は求馬と早枝が密会しているところを御家の法度と取り押さえるが、求馬から付け文はどうなのかと反撃される。それだけならまだよかったが(?)、現場にいた早枝までもが一緒になって言い立てる。この展開が直前にあるので、岩藤は最初からイラついていたという設定。『仮名手本忠臣蔵』の恋歌の段〜殿中刃傷の段の高師直の八つ当たりと同じプロセスになっているのかな。
ただ、求馬も早枝もこのシーンにしか出てこない人物なので、『仮名手本忠臣蔵』と同じ流れにせんがために出しているに過ぎないのでは?という印象ではある。(元々が歌舞伎なので、登場人物の人数稼ぎなのかも)

 

 

 

廊下の段。

噂話に励んでいる腰元2人〈吉田玉彦・吉田玉路〉の衣装は、抹茶色にオレンジの縁取りという変わったものだった。「腰元」にしては粗末なのは、お初と同じく、下っ端の子ということだろうか。中学生女子みたいな所作で、良かった(?)。

今回、玉志さんの叔父弾正を見て、やっぱり、玉志さんって師匠(初代吉田玉男)を理想としているのかなと感じた。初代吉田玉男師匠は、映像で見る限り、その人形の佇まいや感情に、「塊(かたまり)」ともいうべき印象を受ける。思念が、内側に向かってギュッと凝縮している。人形の見た目として、かしらと胴体の関係、そこに対する肘・手首・膝・足首といった人体のアクセントとなる重要なパーツの位置・胴体との相関性が常に的確で緊密というか。不用意にバラバラ動かず、つねに人体として正確な位置を保っている。
今回の弾正、あるいは第三部の瀬尾太郎は、その方向にかなり寄っていて、肘や手首の位置がかなり強く意識された所作だったと思う。グッと全身に力を入れ、不要な余白が詰まったような姿勢で、思念が凝縮した雰囲気が感じられた。白塗りにグレーの目張りをした、悪の利いた口あき文七の雰囲気にも似合っている。人形というより、本当にああいう化粧をした悪役の役者って感じだった。ただ、弾正は所詮脇役なので、ある意味やりすぎだと思うが。玉志サン特有のはみ出るやる気。衣装の見せ方が綺麗だったので、これはこれでいいんだけど。
あとはやっぱり小道具(扇子)の扱いが異様にうまい。非常に華麗な手元のこなしで、身分が高い人物であることを示す気品演技を通り越していた。熊谷の煙管の扱いなんかでもそうだったけど、ご本人が手先が異様に器用なのか、それとも趣味が手品とか、そういうこと……? 手品やって、手品!!! 鳩出して、鳩出して!!!!

 

上演部分だけではわからなかったこと その2

叔父弾正が言っている「家督相続の候補は2人いる」「そのうち花若が内定している」というくだりについて。
まず、ここまでにいろいろなことがあって、大殿・足利持氏が死んだんですよね。それで館は混乱している状況。悪人たちはそこに乗じようとしているわけですよ。実際には、大殿が死んだのも悪人たちの暗殺によるものなんですが。
弾正のセリフの理解には、2人いる後継者のうち、ここでの話に出てこない月若の出生の秘密が鍵になる。大殿には2人の奥方がいて、花若のほうは本当に大殿と花の方(奥方1)のあいだに生まれた子供。だが、月若のほうは、雪の方(奥方2)と弾正が密通して出来た子で、弾正は花若を追い落とし、月若を押し上げて、家督を横領しようとしている。上演される「廊下の段」だけだと岩藤と弾正が密通しているのかと思うが、そうではなく、純粋に利害一致で協力しあっているということのようだ。

上演部分にかかわる人物相関図(伯父弾正は、原作では「大膳」)

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長局の段。

千歳さんは、まずもって、場の品格がしっかりと表現されていた。本当にここまで硬くやるべきなのか、という部分もあるが、品を担保しているのは立派だ。言いたいことはいろいろあるんだけど、そこに尽きる。過去に感じた、前半の尾上・お初のやりとりの中のプツプツ切れた感じはなくなっていた。
舞台としてはやはり、富助さんの三味線が支えている部分が大きい。太夫が表現しきれていないと私が感じたものとして、状況(お初がいるとき、出て行ったあと)による尾上の感情変化がある。特に、一人になって手箱を取り出してどんどん思いつめ、叫ぶに至るまでの微細な部分。しかし三味線でしっかりつないでいる。尾上の表現は、人形と、この三味線によるものが大きいと思った。

 

お灯明はお初〈桐竹勘十郎〉が消しているのだろうか? 以前に見たときは、お初が文使いに出ていこうとしたときに自然に消えてたように見えて、不吉な前兆のように思った。しかし今回はそれよりだいぶ前、準備をしたお初が振り返る前に消えたので、お初が消したように見えた。

尾上が手箱を取り出すところは、なんだか以前と印象が少し違うようだった。最後に上手の仏間へ引っ込むとき、人形が両手で三方を持っているが、遣い方としては右手を左遣いに預けて左だけで持って、観客側の袖(尾上の右手)を主遣いの腕で遮らないようにしていた。去っていく尾上の姿が美しく見えた。

 

昔の芸談を読んでいたら、尾上の部屋に岩藤をイメージさせる藤の花が飾ってあるのはおかしいという意見を受けて、違う花に変えたという話が載っていた。技芸員からの反論として、こういうものは元々伝承されている芝居の作法なので、自分も自然に見えるように芸を磨くが、お客様にも伝統的形式を理解して欲しい旨が語られていた。クレームを入れた人が言わんとすることはわかるが、でも、それならあなた、たとえば「米原」さんという人と折り合いが悪かったら、米を一切食わない……ってコト!?
ただ、こういったものが悪目立ちに見える技芸の未熟という観点があるのはわかる。人形に限らず未熟な人が出ているとだんだん暇(?)になってきて、いらんことが気になって仕方なくなるから……。(プラス、伝承されているものすべてが全面的にベストなわけではないのもわかる。私もあの藤、花自体が何なのはともかく、吊ってある位置がわざとらしすぎて、ずいぶん泥臭いなって思うもん)

尾上の部屋は、仏壇の前にあんな大きな長持が置いてあるのが不思議。それこそ、お葬式のときのお棺みたいになっていた。

 

上演部分だけではわからなかったこと その3

お初が武士の子で、尾上は商人の子という設定について。
お初は頑固な痩せ浪人・高木十内の娘で、父の病気治療のため、鷲の善六から大金を借りていた(善六、チョイ役かのように出てきますが、実は結構話に食い込んでるんでやんす)。やがて父十内は体調を持ち直し、借金の返済期限になるが、金を返すことができない。善六はお初に気があったので、女房になれば棒引きにしてやると持ちかけるが、お初は拒否し、女郎勤めをしてお金を作ろうとする。そんなお初の様子を見た十内は自害して借金を帳消しにさせようとしたところ、尾上の父・坂間伝兵衛が偶然通りかかり、十内の誇り高さに感銘を受けて、善六からの借金を肩代わりしてくれる。尾上の実家は米問屋であり、鎌倉一の分限者で、殿様にも大きな出資をしているほどの家だった。坂間伝兵衛はお初を預かり、ちゃんとした身の処遇をつけさせてやるということで、御殿奉公に上がっていた自分の娘・尾上につけて行儀見習いをさせることに、といういきさつ。お初が尾上へ「そこまで?」と思うほどの忠義心を持ってかしづいているのはこのためで、単なるバイト感覚でやっているわけではない。

 

 


奥庭の段。

立ち回りで、清十郎さんがビックリ顔してたのは何だかよかった。普段は顔に出るなんてこと、ないのに。立ち回りの噛み合いは、さすがにお初勘十郎さん・岩藤玉男さんでやったときのほうが明らかに華麗。初役の人入れて普通にやったら、こんなもんか。

ここで演奏されるメリヤスは、「カサヤ」というそうだ。傘を使った立ち回りだからそのように呼ばれているようで、同じく傘を使って戦う『薫樹累物語』土橋の段でも使用されているそう。

安田庄司は、「玉佳チャンが着替えて出てきたッ!」状態だった。なんで第一部とかしらが同じ役なんだよ!! いや、演技の区別はちゃんとつけられていましたが、もうちょっと配慮して配役してくれよ!!! あと、玉佳さんはなんか嬉しそうに書状をしまっていた。(書くな)

 

上演部分だけではわからなかったこと その4

お初は尾上の遺体を観てから即座に走り出し、岩藤を討ち取る。現行上演の都合で途中をカットしたためにヤクザ映画並みのスピード感になっているのかと思っていたのだが、中抜きなどはなく、原作からしてこのスピード感ある展開だった。悪・即・斬すぎる。

最後に唐突に登場し、観客の「誰?????」視線を一身に浴びる安田庄司は、国の家老。『加賀見山旧錦絵』原作には登場せず、系列作『加々見山廓写本(かがみやまさとのききがき)』のほうに登場するキャラクター。『加賀見山旧錦絵』は今回上演部分以外に「筑摩川の段」「又助住家の段」をつけて上演することがあるが、その又助のくだりはこの『廓写本』のほうから『加賀見山』へ流用された状態になっている(又助は『廓写本』のほうではわりとメインキャラ張ってます)。安田庄司は家老を勤めるほか、又助が住む村を支配しており、領民たちにも信頼されている聡明な人物という設定。「又助住家」にも、最悪事態連絡係として出てくる。しかし、散々混乱が起こっている中で、最後になって颯爽と登場されても「こいついままで何してたんだ?」って感じで、いろいろ謎。

外題が『旧錦絵(こきょうのにしきえ)』なのは、二代目尾上の名を授かったお初が、豪華な衣装で立派な土産を手に、占い師をして暮らしている父の侘び住いに帰るくだりがこのあとにあるため。そこでお初はパパに「主人を死なせておいて自分が栄耀栄華して喜ぶとは何事」とめちゃくちゃ怒られるという展開になる。(パパ、かなり硬い性格なので)

 

↓ 過去上演時の感想

2020年1月大阪公演


2017年5月東京公演

 

 

 

  • 人形役割
    局岩藤=豊松清十郎、中老尾上=吉田和生、鷲の善六=桐竹勘介、腰元お仲[娘のほう]=吉田玉彦、腰元お冬[お福のほう]=吉田玉路、召使お初=桐竹勘十郎、伯父弾正=吉田玉助(前半)吉田玉志(後半)、忍び当馬=桐竹亀次、安田庄司=吉田玉佳

 

 

 

やはり、ストーリーを見せる演目というより、出演者の技芸を見せる演目という印象で、それについては和生さんの尾上、勘十郎さんのお初には満足。指向するものはまったく違うが、それが同居する姿が見られる良さがある。普通の演目ではこれはできない。
和生さんと勘十郎さんは、普段は個性として組み合わせにくいと思うんだけど、『加賀見山』で見ると、昭和の少女漫画感があって、良い(最近、アマプラで配信している『おにいさまへ…』に夢中)。和生さん尾上、勘十郎さんお初は、姉妹というか、親戚の美人おねえさんと、そのおねえさんに憧れる女の子という感じで、可愛い。

和生さんや清十郎さんは、時々、何かを指示しながら遣っていた。初日あたりに行くとそういうこともしばしばあるが、幕が開いてから1週間程度過ぎて舞台上で注意がある状況は珍しいと思った。

次に『加賀見山』が出るときには、尾上かお初の配役を変えて欲しい。和生さんの尾上、勘十郎さんのお初は素晴らしいが、他の人のチャレンジを見たい。

 

今回の2月公演で最初に公演中止のアナウンスが出たのは、第三部だった。しかし、公演中止に至った状況の影響をもっとも強く受けたのは、第二部ではないかと思う。
床は、普段ではありえないほどの崩れがみられる部分があった。「散らかってるな」と思うことはしばしばあるけど、「崩れてるな」とまで思ったことはなかったので、今回はちょっと衝撃的だった。状況柄、稽古や詰めができなかったということだろうと思っている。逆に言えば、普段はもっと稽古をしているのだろう。やはり義太夫にはある程度の分量の継続的な稽古が重要で、それを失えば技芸を支えられないのかと思った。技芸員さんには、不本意な方もかなりいると思うが……。

 

全体の印象としては、場ごとの雰囲気のバラけが大きく、つながりのなさが気になった。なんだかバランスがいびつになっている印象だった。演目の特性なのか、パフォーマンスが不安定になっている影響なのか、配役の問題なのか。

 

2月公演は、半分程度でも上演できただけよかったのかもしれないが、クオリティの低下は否めなかった。
公演中止に至るまでの経緯、再開状況に関しては、不誠実な印象を受けた。不安感や不信感、疑心暗鬼を生まないようなやりかたをもう少し検討することはできなかったのだろうか。

最近、ぱらぱらと昔の文楽批評を読んでいる。それにはいろいろと考えさせられることがある。その第一は、昔は批評が存在していたのだということ。それが実際の舞台にどのような効果を及ぼしていたかはわからないが、公演が不安定になり、それによってクオリティがばらける可能性が出ている現況を見るに、現在に批評が存在していれば、どうなるのだろうかと思う。

 

 

 

先日、鎌倉へ行き、鶴岡八幡宮を訪問しました。

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マスクド・コマイヌ。

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倒木して植え替えられたイチョウは、だいぶ成長していました。

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┃ 参考文献