TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『桜御殿五十三駅』二段目 田中村茶店の段

近松半二ほか作の浄瑠璃『桜御殿五十三駅』二段目の翻刻。たくさんの登場人物が次々に登場し、物語が本格的に幕を開ける。

 

舞台は、京都・田中村(現在の出町柳付近)の道端に開かれた茶店へ移る。

鷹狩りの仕事が終わった鷹匠・太郎治は、休暇をもらって久々の帰宅。田中村で茶店を開いている女房・お蘭のもとを尋ねると、同僚の犬引きの早助が通りがかる。早助は犬を使った狩りの仕事がないので暇すぎのため、休暇をもらって叔母の家へ飯をたかりに行くところだった。太郎治が用事があるので後で行くと答えると、早助は気を利かせて退散。久々の夫の帰宅を喜ぶお蘭は、酒を買いに出かけていく。

そうして太郎治がひとり留守番していると、九条町の傾城・雪の戸がやってくる。雪の戸は義政の弟・左馬之助の恋人で、最近左馬之助が会いに来なくなったことに痺れを切らして突撃してきたのだった(勢いがある女その1)。大騒ぎする雪の戸に、太郎治は薫姫との婚礼の事情を話してなだめようとするが、雪の戸はよその女に左馬之助を取られる!!!と一層大興奮。そこへちょうど帰ってきたお蘭は、夫が知らん女といちゃこいてる!!!と思い込んで大騒ぎ(勢いがある女その2)。お蘭は雪の戸に食ってかかるが、よく見ると、雪の戸はかつて別れたお蘭の実の妹・お縫だった。

お蘭は子供のころに大病を患い、その治療費を作るため、お縫は九条の廓に売られた。やがてお縫は太夫職にまで出世し、雪の戸と名乗るようになったが、お蘭や家族は廓の掟で面会ができず、これが久々の再会。姉妹は互いの健康を喜び合い、お蘭は太郎治へ雪の戸を左馬之助に会わせてやって欲しいと頼む。太郎治は思案があるから待つようとに言い、雪の戸は一旦九条へ帰っていく。そして太郎治も早助の叔母のもとへ出かけていくのだった。

そうしてひと騒ぎが収まった茶店へ、将軍の上使の若侍・浅川左膳と、年若い局頭・初柴がやって来る。ふたりは最近造営された金閣寺へ宗純法親王を招くため、その迎えに彼がいる比叡山へ向かうところだった。二人は礼儀正しく挨拶し合い、北の方からの内密の伝言があるとしてお付きの家来たちを払うが、実はこの二人、こっそり付き合っていた。初柴が、山名宗全の子息・治部太郎がキモく言い寄ってくる、ほんまにまじキモい!と左膳に相談していると……?

 

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 これまでの翻刻

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  • 捨て仮名、句読点はそのままとして、字体は現行に改めている。
  • 文中■は判読できない文字。
  • 画像引用元:<亭主は東山殿/上客は一休禅師>桜御殿五十三駅(東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵 黒4142-0449)
  • 参考文献:国立劇場芸能調査室=編『浄瑠璃作品要説<3>近松半二篇』国立劇場/1984

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第二

弥生半の。花盛り爰も名にあふ都路や。田中村の桜木に往来の人の足休め。茶店女房の器量よしや。葭簀の茶の端香。色を含みし優姿。折柄来タる鷹匠の。太郎治を夫レと見るよりも。ヲ丶こちの人。何ンとしてござんした。ホ丶女房共。日和がよさに見世出したな。若殿の御内用けふ一チ日お暇を貰ひ宿へさがつて見れば。見世を出して居ると聞イた故。直に爰へ出かけて来たと。聞クよりお蘭は会釈して。此間タはお鷹野で御用もしげく。休まんす暇もない。そんな事なら気もせくまい。けふは緩りと休まんせコレ。出端一トつと汲で出す。

 

 

 

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女夫が中カの濃茶也。同し傍輩犬引キの早助もぶら/\と。爰へ来かゝり顔見合。ヤア早助か何所へ行。ヱ太郎治。けふはお暇を貰ふたげな。コリヤ内義と二人リさし向カひしつぽりとヱうまいな/\。おらは楽しむ相イ人はなし。お預カりの白犬を抱て寝て。巨燵の替りするがせいさい。此日はお鷹野斗リ。牧狩がない故に。おれも犬も尾を降ツてほつと退屈。夫レでけふはおらもお暇を貰ひ。此田中村の伯母貴の所へ押シかけて。麦飯と出かける趣向。幸イな所で逢たサア貴様もいつしよにおじや往ふ。ホイヤ是も味い趣向。ガわしは叶はぬ用が有ル。夫れしまふたら跡から行ふといへば早助早合点。皆迄いふな込ンだ/\。わりや白米を喰ふ気じやな。コリヤ粋を通して先へ行クは。

 

伯母が所はアレあの向ふの松。我木が色は真ツ黒な。麦飯嬶を賞玩と。ちやりちらして出て行。跡にお蘭は吹キ出し。ホ丶丶丶丶モいつでも/\じやら/\言ふお人ト。シタガお前の気晴し。酒なと買てこふかいな。ヤソレハ御馳走。ガこれ迚もの事に諸白を。そんなら買て来やんせう。徳利は借て戻らふと。夫トに一トつ諸白の。酒やをさして行跡に。端手な取リ形リ。抅帯ぬめり姿も白絖の。古今帽子も。しほらしき。顔の白妙雪の戸は九条の。里の太夫職。禿供人引キ連レて。茶店の本トに歩み来る。太郎治見るより。是は/\雪の戸様。思ひも寄ラぬこりやどこへと。尋に雪の戸飛立ツ思ひ。太郎治が胸ぐらしつかと取リ。ヲ丶よい所て逢イました。ヱ丶お前は聞コへぬお人ト。左馬之助様ンも此  

 

 

 

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日は廓へお越シない故に。お前へ頼んだ日文の返ン事。なぜ取ツては下タさんせぬ。逢イたい見たい願ン参り日頃念じる三井寺の。観音様へと心ざし。頼みに思ふたお前迄。聞コへぬ仕かた胴欲と恨み詞に。サ丶サ丶丶丶尤じや/\。此には段々咄しの有ル事。コリヤ文字野。其人を連レ立ツて。そこら一遍歩行てこい。アイ/\そんなら太夫様ン。向ふの堤で五行花。摘で参ンじよと打チ連レて。足早にこそ急き行。雪の戸は心せき咄したい其訳ケを。早ふ聞カして下タさんせと。せり立テられて。サ丶咄さねばならぬわけといふは。此度帝様の勅命にて。二條家のお娘御。薫姫様と御祝言なさるゝ筈と。聞クより恟りヱ丶。そんならお姫様と御祝言なさるゝかへ。アノ祝言を。ヱ丶腹ラの立/\/\これやどふせふぞと身をあせれば。サ丶まあ気

 

をしづめて聞イたがよいわいの。併若殿様はお前に義理を立テ御承引なき故。兄公義政公の御立腹。やつさもつさの真ツ最中。此訳ケが納る迄は。廓通ひも御遠慮と。聞クに猶さら恋の意地。ヱ丶左馬様ンも張の弱い。そこをぐつと押シたがよいわいな。殿様ンとわしが中カはお前も知ツてござんす通り。突出しの初めより。互イにかはるな替らじと。言かはしたる二人リが中。祝言さす事わしやいや/\。左馬様ンのお傍に居たい。連レて往て下タさんせと。粋な育も色の道愚痴の涙ぞ誠也。太郎治もほつと持テあぐみ。ヲ丶腹ラの立ツは尤ながら。お前を館へ連レ立ツては。夫レこそは乱騒ぎ。コレ今暫し辛抱なされ。イヱ/\斯言中チも気づかひな。早ふ行たいサア/\/\連レて往て下タさんせ。コレハ迷惑。マア辛抱。イヤ/\  

 

 

 

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是非にと気をいらち。とゞめ兼たる折リからに。お蘭はとつかは戻りがけ。見るより恟り徳利はつたり打チ落し。二人リを押分ケ太郎治を引ツ立テ。コリヤがをれ。おれを酒屋へ出しぬいて。アノ女コとこつてりちん/\。ヱ丶マにくてらしい男づらと。擲いつわめく間違ひ悋気。太郎治はおかしく。ヱ丶何ぬかすやら。コリヤあの女中はといふを打チ消イヤ/\/\。古ルでな言訳ケこちや聞カぬ。マ厚皮な女コづら。どんなお顔じや見てやらふと。背きし顔を差覗き。どふやたこな様ン見た様な。わたしもお前は見た様なと。言ふお蘭は心付キ。若稚名はお縫とは言ぬかへ。アイお縫と申ました。ガ稚名を知ツて居るお前は。コレ姉のお蘭じやはいの。ヱ丶姉様ンか。妹か。是は/\と互イの驚き。太郎治は不審晴やらず。こりや女房。太夫様マを妹といふ子細はどふ

 

じやぞい。サイナ様子しらしやんせねは合点が行まい。此お縫の九つの年わしが大病の物入とゝ様がそなたを。九条の町へ売しやんして今の名は雪の戸太夫と名は聞ケど。逢フ事ならぬ廓の掟。なつかしう思ふて居た。ガ久しう見ぬ間にヲ丶能イ太夫様ンになりやつたのふといふもおろ/\涙声遉真身の挨拶に。雪の戸も打チ<しお>れ。思ひがけない御目もじ。爺様も御息災なと余所ながら聞キました。お前も御無事で嬉しうござんす。太郎治様は私が姉聟。マ知ラぬ事迚沢山そふに。堪忍して下タさりませ。アイヤ/\互イに知ラねば其筈/\。道理で面さしが似たと思ふた。若殿と言ヒかはされしお傾城が。賎しい女房の妹といふ事が。お耳へ入ツては為にならぬ。必此事沙  

 

 

 

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汰は無用。アイ。夫レは互イに隠して済マすが済マぬは祝言。左馬之助様ンが真実お姫様ンを嫌はしやんすが定ならば。私を館へ連レて往て。お傍に置イて下タさんせ。そふない内は何ンぼでも。疑ひは晴レませぬ。姉様ン倶々よい様に。頼ミますると涙ぐむ。真ン実見へて道理なり。ヲ丶そなたの身の出ツ世じや物。何ンの如在が有ロぞいの。コレ太郎治殿。どふぞ思案はないかいなと。言に暫く差<うつむ>き。ハテ其様に疑は敷クは。お館へ入レる工夫。万ン事は私が胸に有ル。若殿と示し合せ。翌は迎ヒに行ク程に。そふ思ふて待ツたがよいと。聞イて心もいそ/\と。アイ/\。そんなら廓へ逝で待ツて居るぞへ。文字野/\と呼フ声に。アイ/\と返ン事も長カ畷。男も俱に立チ戻れば。イヤ女房共。早助が嘸

 

待ツて居よ。伯母の所へツイ往て来ふかい。ヤ雪の戸様是でお別れ申シませふそんなら必。申シ姉様ンではない女中様ン。最お暇申シまする。ヲ丶そんなら最お帰りか。随分健で煩はぬ様にお勤へ。おさらば。さらばと尽せぬ名残リ。互イに見返り見送クりて。道は二筋三筋町廓を。さして帰りける。春の野の千草色取ル道のべを。踏分来たる優男。浅川杢之頭が弟左膳。御大将の御上使蒙り比叡山ンに皇居有ル。宗純法親王金閣寺へ。遷向の御迎ひ衣紋正しく歩みくる同じ役ク目を。蒙りし。上杉則忠が妹初柴。年シは廿に足ね共。局頭のしとやかに容儀勝れし出立チは。梅と桜の花くらべ。色香<あらそ>ふ風情也。コレハ/\初柴殿。北の方様より親王様への御上使。御苦労に存シ  

 

 

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ます。ハイあなた様にも今ン日はいかい御苦労。お使イの先キはいつしよ。同じ道筋女コの足。嘸御面ン倒にござりませふ。幸イの此茶店暫くお休みなされぬか。成ル程/\拙者より其元様の足シ休スめ。然らば左様仕らふ。イザ先々と辞宜左法。二人は床几に腰打チかけ。イヤ申左膳様。北の方様より御使イの義に付キ。蜜に申シ上ケたい事が有ル。暫く御家来を。お退ケなされて下タさりませ。ム丶御上使の義に付キ。蜜にと有レば聞キ捨ならず。ソレ家来共。向ふの松影に扣へて居よ。早く/\と有リければ。お蘭も心得葭簀かげ。気を通してぞ入リにけり。跡は桜木花の本ト。傍見廻し小声になり。誰レ憚る者もない。咄したい其訳は。サレバイナ。今改めて言ではなけれど。年端も行カぬ私なれど。御局

 

頭ラのお役ク目。外カの女中の不義徒。吟味する身を持チながら。お館の法度を背きお前と私が忍び逢ヒ。表は互イに堅い勤め。夫レにマアにくてらしい。意路悪の治部太郎が。是見さしやんせ此様に。あたいやらしい濡文。恥しめても厚皮頬。きのふも御前ンの次キの間で抱キ付キおつた其にくさ。余(ン)り腹ラが立ツた故其手をほふど噛だれば。ヲ丶嬉しといふはいなと。聞クより左膳はむつと顔。アノ無理やりに抱キ付イたか。アイア丶心元トない。お次キの間の小暗り。若闇ミ討チにあやせぬかや。ヱ丶めつそふな気の廻り。そんな私じやないわいな。そもマア二人リが初ツ恋は此元ン日の年シ越が結ぶの神ミの縁ン定め。立派にしやんと。長カ袴年男はお前の役ク。私は御前ン  

 

 

 

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を下カる時キ黄昏暗き長廊下互イに行合フ縁ンの端。此手をじつとしめられて。心も解て忍ぶ恋。茶の間へそつと福は内鬼の目顔を隠れ笠。身の濡絹もひつたりとかはす枕の梶取リてとをの眠りの宝船。何卒夫婦にしてたべと朝夕願カふ神仏へ。誓ひを立ツるは只一ト人。お前ならではない物を疑ひ深ひ胴欲なと恨涙のはら/\と。我カ名に寄リし。初柴の露に浸する。ごとくなり。左膳は心打チ解て。ヲ丶そふいふ心をしらず。疑ふたはわしが誤り堪忍しや。コレ此文を見やいのと。渡タせば受ケ取リ押シ披き。可愛らしい此文ン体。嘘じやないかへ。ほんまかへ。ヲ丶嬉しやと寄リ添て。わりなき中カぞ睦じき。最イ前ンより来かゝつて。始終立チ聞ク治部太郎。不義者見付ケた。

 

動くなと。聞クより二人は恟り廃忘。治部太郎殿。いつの間に。ヲ丶今日は我カ君。此福善寺の花御上覧と。俄のお成リの先キ払ラひ。イヤ両人ン共にコリヤ味をやらるゝよ。太イ切ツな上使の役クを蒙りながら。道草の千話遊び。不義はお家の御法せき。此通り申シ上る。両人ン共に覚悟せいと。己が恋路の。意趣ばらし。イヤ是治部太郎殿麁相いふまい。全く不義の覚はないぞ。イヤいふまい/\。たつた今初柴へやつた状を。コリヤとんぐり眼コで見付ケて置イた。何ンと夫レでもあらがふかと。いふを初柴打チ消て。コレ身に覚ヱのない事を言ヒかける。こな様こそ不義者。ヤア某を不義者とは。アノまあぬつぺりとした顔わいの。ワレ其いやらしい目つきで。附ケつ廻しつ

 

 

 

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度々の濡文。夫レでも不義の覚へはないかと。ずつかり言れて返ン答に。きつちり詰れば左膳は付ケ込ミ。ホ丶こりや潔白なお侍イ。見事言上なさるゝか。サア夫レは。但し身共が申シ上ふか。サア夫レは。サア/\/\と問詰られ。サ丶丶そんなら能イ。不義の詮ン義は互イに是切リ。イヤお先キ払ラひも延引したと。言ふこなたは慇懃に。治部太郎殿。御役ク目御太イ義。御上使御苦労千ン万ン。お前も御苦労。是にてお別れ。おさらばと。礼義を作るは表テ向キ胸に山名の治部太郎心。残して行跡へ。お蘭は手桶引提てずつと出れば。ヤアそちや最前からの様子。アイ。必御遠慮なされますな。私も粋とやらでござりますと。聞クより扨はと両人ンが心も解る其折から。御大将のお成リ

 

ぞと呼はる声に恟りし。二人はそこ/\取リ繕ひ叡山さして急ぎ行。早お先キ手の供廻り。ハイはい/\と御乗物桜の本トに舁居れば。お蘭はうつとり近習の侍イ。ヤア下郎め。下カれ/\。ハイ/\私は此茶店の者。俄のお成リを存じませず。不調法の段はまつぴら。御赦されて下タさりませ。ヤアお成リをしらぬとは不届きやつ。サア立テ。うせふと引ツ立れば。ヤア/\者共聊爾すな。其女に用事が有リと。仰にはつと近ン習の武士異義を。正して扣へ居る。義政公はしつ/\と。床几を仮リの御設悠々と御腰かゝり。お蘭が容義に。めでさせ給ひ。コリヤ/\女。そちや此茶店の者よな。かゝる住挟場所に似合ハぬ。ハテ遖成ル器量よし。某も不思

 

 

 

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議の縁。そちが手つから茶を持テやい。ソレ/\銀のお茶碗。コリヤ/\其茶碗ては気が替らぬ。やはり茶店の其茶碗。早ふ。/\と有リければ。夫レ早く持/\。ハツト恐れて立チ上り。気もわく/\と涌茶釜嗜み茶碗の清水焼。茶台に乗セておづ/\と。面映げにぞさし出す。茶碗取リ上御ン大将。御機嫌能打チゑみ給ひ。ホ丶遖成ル茶の香気。ハテ扨遠目に見るよりも。猶美しき此桜。ハア丶思ひ出れば。忠度の詠ぜし歌に。行キ暮レて。木の下タ影を宿とせば。花や今宵の主ジならまし。我レも暫しは。此下タ影ケに宿りして。花や今宵の主人ならまし。ナコリヤサ合点が行たかと召ル事を花に謎へ御ン戯れ。お蘭は夫レと推量し。ハツト驚き恐れ入リ。ア丶勿

 

体ない。恐れ多い。賎しい私がお茶の給仕。御褒美のお詞。又賎しい此花を。お手折なされんとの御意。冥加ないと申シませふか。有リがたふは存じますれど。此桜木も主有ル花。折リ取ル事は憚りながら。御赦されて。下タさりませと恐入ツたる詞の端。ム丶此花には主有ルとな。譬花守有ルにもせよ。某が心の侭。根引キにし館へうつし。詠めるは安けれ共。木折にせんは無下なからん。ソレ乗リ物の歌書を持テ。ハツト答へて指心得取リ出し差上クれは。挟し枝折を取ラせ給ひ。往古西行法師が芳野にて。花の名前を求んと。幾重の山に分ケ入リしに。道を尋る人もなく。案じわづらふ道芝の。木草に付ケし白紙を慕ひ。花の名前を得たりし時。芳

 

 

 

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野山。去年の枝折をしるべにて。まだ見ぬ奥の花を尋ねん。夫レより是を枝折と名付ク。今某が心も同じ。此花の姿に迷ふ。道しるべの此枝折。女ナ。得と思案し返ン歌せよと渡し給へば。心ならねと押シ戴き。何ンと答へと夕日影。良時キ移る其所へ。斯波多門ンの頭しづ/\と。家来引キ具し謹で。今ン日は軽々敷キ俄の御遊。殊更禁庭より勅諚の趣出来。御迎ヒの為参ン上仕。ホ丶多門の頭太義/\。コリヤ女。返ン礼の一首。必返ン歌を相イ待ツぞと御ン乗リ物に召シ給へは。近習若党備を立テしづ/\歩む跡備へ。多門の頭は不審女を尻目に室町の。館へ伴ひ帰らるゝ。お蘭は跡をながめやり。思はずほつと溜息つぎ。テモ扨もひやいな事。そしてマアしんきな物を貰ふたと。

 

屈託半へひよろ/\と戻る早助後ろから。ほうど抱キ着ク。酒機嫌。恟り突キ退ケ枝折を隠し。ヱ丶誰レじやと思ふたりや早助様ン。酒が過キてのじやれ事か。嗜んだはよいわいな。イヤ嗜まぬ/\。有リやうは遠からそもじに首たげ。太郎治は酔て跡に寝て居る。幸イな留守事。是じや/\/\と。又抱キ付クを振リ放し。ヱ丶何ンじやあたいやらしい。ほんにけふ程よふ人の惚る日はない程にの。傍輩中の手前も有リ。あたじたらくな。アタ不遠慮なと。恥しむればこれや尤。何ンぼ其様にいはんしても。惚人がよけりや靡く気で有ふがのと。いはれてむつとヲ丶しつこ。コレ今も今迚の。我カ君様の俄のおなり。歌に謎へて御執心。枝折とやらいふコレ

 

 

 

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此歌を給はつたれど。心にそまぬ返ン事は得せぬ。そんなお蘭じやないわいのと腹ラ立チ紛れに言放せば。ヤアそんなら我カ君もしぶかしやつたか。サ丶丶あんなお方タは位負に負て悪ルいノ。似合ふた様にコレ。わしが心に随ふてくれなされ。ツイちよこ/\とサアお出と。又抱キ付イて懐へ手を差入ルればコレ無体と。互イにせり合ふ其所へ。戻りかゝつて夫トの太郎治。コリヤ何ひろぐと振リ放し。背骨をぽんと蹴倒され。こりやたまらぬと犬引キは逃ケぼへしてぞ帰りける。ヲ丶能イ所へ戻らんした。コレまあ聞イて下タさんせ。サ丶丶よいわいやい。様子は皆知ツて居る。ヤ女房共。夫レに付イて少ト談合する事が有ル。聞イてくれるか。ヱ丶改つた事言しやんす。マア何ンで

 

ござんすへ。イヤちと思ふ子細有レば暫くの中チ親里へ逝んでたも。ヱ丶そりやマアどふして其訳ケは。ヲ丶様子言ねば驚きは尤。知りやる通り。鷹匠位の切リ米では。いつかな出世の時キは得ぬ。心当タりは鎌倉へ立チ越ヱ奉公に有リ付カば。時こそ立ツ身ン出ツ世。聞キ分ケてたも。女房と。思ひ込ンたる夫トの顔。訳ケをしらねば気にかゝり。ムゝコリヤどふでも深カい心入レ。コレ女房のわしに何遠慮。なぜいふては下タさんせぬ。ハテ其訳ケは跡でしれる。得心して早ふいね。イヤ/\訳ケを聞カねばなんぼでも。逝ぬる事はわしやいや/\。様子を聞カして下タさんせと。すがりなげゝば。ヱ丶聞キ分ケない。夫トが出ツ世の妨せば。夫婦の縁を

 

 

 

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切ラふか。サア夫レは。得ク心ンがいたら早う逝。はつと斗リに胸さまり暫し涙にくれけるが。良在ツて心付キ。ヲ丶夫レよ。思ひ廻せば廻す程私は爰に居れぬ品。知ツて夫トがそれぞ共言れぬ訳ケ故親里へ。身を隠せとの事なるかと。言ず語らず。心で納め。成ル程得心ンが
行ました。是から直クに親里へ逝にまする。有リ付キ次第。無事の便りを聞カしてくだんせ。ヲ丶よふ合点した。委細は早速しらせの状。かならず待ツて居ますぞへ。随分健で。お達者でとたがひに包む胸とむねあけていはれぬ暇乞。なみだにくれの鐘の音に。花や散らん花ぐもり泣別。れてぞ。行末の

(つづく)

くずし字学習 翻刻『桜御殿五十三駅』大序 御狩場の段

『桜御殿五十三駅(さくらごてんごじゅうさんつぎ)』は、近松半二・栄善平・寺田兵蔵・松田ばく・三好松洛による時代浄瑠璃
近松半二の作品としては、『妹背山婦女庭訓』の次に執筆・上演された円熟期のものである。室町時代を舞台に、愚かな将軍兄弟とそれぞれ思惑のある家臣たち、足利家に恨みを持つ反乱分子、若者たちの忍ぶ恋といった、絢爛たる時代浄瑠璃世界が描かれている。

 

物語は、将軍・義政公がお気に入りの家臣や鷹匠・太郎治を連れ、鷹狩りに出かけるところから始まる。のどかな狩場を訪ねてきた左大臣・政次公は、かつて天下転覆を狙い、足利家に鎮圧された赤松満入の残党が不穏な動きを見せていることを義政に知らせる。その政次公の娘・薫姫は、勅命によって義政の弟・左馬之助の許嫁と定められていた。薫姫は義政にすでに引き取られてはいるものの、正式な婚礼はまだ行われていない。政次はその婚礼も急ぐように告げ、狩場を去っていく。
……というのが、大序の内容。

 

本作には、文楽現行作品にはないような、とある過激な展開が含まれている。近松半二作品の中でももっとも過激で、勢いのある部類だろう。はじめて読んだときには、廃曲になった作品にもこんな面白く、現代的感覚をもった作品があるのかと驚かされた。なんだかんだいって時代浄瑠璃は典雅で品のあるものというイメージがあったが、この作品には、大映東映が1960年代に放った、ギラギラと燃え上がるような若手監督・俳優を起用したエネルギッシュな時代劇映画を彷彿とさせるものがある。

丸本は出版当時、その過激な内容に対して幕府の規制を受けたとみられ、内容を無難に改訂したバージョンが後日出版されている。そのため本作の丸本には、内容に複数のパターンが存在しているが、今回の翻刻はもっとも原型に近いと思われるものを使用している。(というか、最後まで読んでから内容を詳しく調べたときに、自分が読んでいたのがもっとも原型に近い部類の本であることに気づいただけだけという結果論なんだけど……)

かなり長い浄瑠璃なので全編掲載にまでは時間がかかるが、牛歩でがんばるので、どうぞお楽しみに。

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  • 捨て仮名、句読点はそのままとして、字体は現行に改めている。
  • 文中■は判読できない文字。
  • 画像引用元:<亭主は東山殿/上客は一休禅師>桜御殿五十三駅(東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵 黒4142-0449)
  • 参考文献:国立劇場芸能調査室=編『浄瑠璃作品要説<3>近松半二篇』国立劇場/1984

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亭主は東山殿/上客は一休禅師 桜御殿五十三駅  座本 竹田栄蔵

頃は文安春の空。雪も余の豊津年。御鷹狩の再宴と今日思し立ツ朝霞。召も定めぬ玉ぼこの草踏分クる武者草鞋。出立君臣わかちなく。皆一チ様にあやしの容。並行跡に御ン鷹匠。拳に居し鷹の名も。入リ波という秘蔵の翼獲物は。鶴を初めとし。あらゆる鳥を担ひ連レ兼て。構への御ン休み所暫しと。腰をかけらるゝ。上杉則忠謹

 

 

 

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で頭をさげ。御ン鷹入リ波今ン日の手柄。近来に覚へぬ獲物。君にも嘸御満悦と。申シ上クれば義政公いよ/\御機嫌麗しく。いざ折リよしと浅川左膳。御ン小竹筒盃を取リあへず捧れば。斯波多門の頭義廉が披て上クるお弁当。賎しき業を興とする貴人ぞ。いづれ貴人ンなり。遥むかふの森陰より風に靡きて真鶴の。羽打ツて来るを浅川左膳。あれこそは取リ得たる。鶴の番と覚へたりと。聞イてぬからぬ鷹匠太郎治。空にうたんと眼をくばり。拳を構へ待チ居たり。御ン大将声涼しく。只今見付ケし大鳥は。一ト矢を以て射て取レよと。聞キも
 

敢ず多門の頭弓矢をつがひ覗ひをかため。切ツて放せばあやまたず。空も遥に真鶴の片羽をぬふて落てげり。直様士卒取リ上ケて上覧に備ふれば。猶も酒宴のいさましく各。興に入ル折リから。遠見の侍イ走り付キ御前ヱに頭をさげ。扨も此度ヒ二條左大臣政次公。志賀の社へ御代イ参ンの帰りがけ。君の御遊を聞コし召れ。此狩場へ御入有ツて御内談の趣有ル由。早速に御注進と。言上申シ立チ帰る。上杉則忠気色を正し。左大臣政次公は御一チ門ン同然なれど。御遊の装束礼服に改め御対面有べしと。申シ上クれば御大将実尤と諸士引キ連レ。鷹匠には休息と仰も重き紋所。風に靉靆幔幕をしぼらせ。てこそ入リ

 

 

 

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給ふ。程も有ラせずこなたより行列美々しき御乗物。左大臣ン殿御入リと声冴かへる道芝に各足をとゞむれば。慢幕の内よりは御大将を始めとし。続て上杉斯波浅川違義を正し迎ふれば。二條左大臣政次公狩屋の床を儲の座。悠々と座し給ひ互イの。礼義事終り。此度ヒ帝の代イ参ンとして。志賀の社に幣吊を納め都へ帰る途中の噂。先キ達ツて亡びたる赤松満入が残党。辺鄙の在郷に隠れ住ミ兼て事を斗ル由。下タ々の取沙汰大方ならず。禁庭へ聞コへなは震襟をなやまし。堂上穏ならざる事目下と存れば。武将へ得と知ラせ度ク道をよぎりて此狩場へ。わざ/\駕を向へしといと懇にの給へば。大将ハツト頭を下け。先キ達ツ
 

て勅命下り。御息女薫姫殿を我カ弟左馬之助に娶せよと。則養子と定められとくより館へ引キ取リしが。内イ縁ン有ル此義政外カならず思し召れ。御内イ意の深切恐悦至極と述らるれば。政次公打チくつろぎ。我カ娘かほる姫事。貴殿へ任せし事なれば心任せたるべけれど。勅命の恐れ有レば遠からぬ内婚姻の義式を調へ給はれと。親子の道のいつくしみ何れ。劣はなかりける。ハ丶御尤なる仰。此度ヒ金ン閣寺造営成就に付キ。当今の御弟宗純法親王をむかへ入レ奉り。続て息女かほる姫と舎弟が婚義調へん。御安ン心ン下タされと事をわけたる御ン詞。政次

 

 

 

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公も笑の眉。此上は赤松が残党の逆徒を。治めるが肝要たり。ホ丶其義は兼て大将の思慮をめぐらし給ふ所。斯いふ上杉並居る両人ン。斯波多門浅川左膳。山名の一党ひかへ有レば恐るゝに足ぬ残党。日を待タず切リしづめん。御心安かれと。詞を揃へ三士の面々さも潔く聞コへけれ。左大臣殿勇み立チ。各々の忠勤も。委しく奏問申スべし。いざや帰館と立チ向カふ。雲井の袖や武門の袖。花ををくらぶる礼義の形チ。大将初め並居る諸士見送クる行烈小松原緑り栄へる君が代の。御遊も鷹のいさましく。八十氏川の末ひろき誉れぞ。猛き。久かたの

(つづく)

 

文楽 4月大阪公演『花競四季寿』『恋女房染分手綱』国立文楽劇場

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◾️

花競四季寿、オールシーズンフル上演。

 

春、万歳。

なぜあの二人は手をつないで入ってくるのか。どういうシチュエーションなのだろう。たまに才蔵でイヤイヤしてる人がいるので、「仕事したくなーい」という才蔵を太夫が引っ張ってきているという設定なのだろうか。
上演内容については、フラフラしとる人形がおる! がんばってもらうしかない! と思った。

 

夏、海女。

ほかは見たことがあったが、海女は初見。
暗い夜の浜辺に月が上り、やがて夜が明けて霞に満ちた朝を迎えると、海女〈吉田勘彌/前期〉が姿を見せる。
『平家女護島』の千鳥と同じ蜑の着付で、白に赤のヒトデ柄の小袖に、水色のイソギンチャク柄(?)の帯。貝が入ったバスケットを持っている。今月は貝がよく取れるな。文楽も貝の季節なのか。海女はフワフワと柔らく軽やかな足取り、体重はわたあめ2個分……💓的な愛らしさだった。もっと土俗的な雰囲気かと思っていたけど、妖精のような清らかさ。

途中、岩陰からピンクのタコが出てきたのにはめちゃくちゃ笑った。なんだその唐突なギャグ顔は。バルーン状の頭に、反射材でできたつぶらなおめめ、ちっちゃなパイプ状のおくちに、にょろ〜〜〜〜んと長い10本のおてて。人形の仕組みとしては、タコ役の黒衣が左手で頭部を持ち、右手でタコハンド1本についた差し金(ひょっこりひょうたん島的な、細い針金状のもの)を持って操作しており、ピンクタコはタコハンドで海女にちょっかいをかけていた。
タコと海女の取り合わせは北斎の枕絵「蛸と海女」をイメージしているのだと思うが、勘彌さんの海女は豪速球のマッチ感があるものの(絶対にご注進しないでください)、タコは相当デフォルメのきいたぬいぐるみだったので、かなり可愛くまとまっていた。でも、タコの行動はちゃんとキモく、海女にナデナデされた頭を自分で撫でなおしておててを味見したり、海女の着物の裾めくりをしていた。(おてて味見はアドリブのようで、配信中の舞台映像ではやっていません!)
もっとも、タコハンドは微妙に薄汚れていて、その手で勘彌さんに触らないでくれと思った。頼む、今日終わってからでいいから、エマールでやさしく洗って屋上で陰干ししてくれ!!!!と思った。
艶笑的なノリは現代では絶滅していて、いまやるとどうにも脂ぎったオヤジ感が否めない。しかし、文楽だと海女は人形、タコも可愛いぬいぐるみなので、普通にお友達同士に見えて(?)、適度にユーモアが拡張され、愛らしかった。

 

秋、関寺小町。

舞台が明るくなると、折れた卒塔婆に老婆〈吉田簑二郎/前期〉が腰掛けている。シケのある下ろし髪、手には笠と細い杖を持ち、足を吊った格好。
過去に和生さん出演で観たことがあるが、それとはだいぶ雰囲気が違っていた。男性能楽師が女性の役を演じているようだった。身体性を強く矯正することで生まれる表現のように感じられた。左は難しそうな感じだった。

 

冬、鷺娘。

文楽業界の北川景子、清十郎さんが鷺娘役。現実にいる若い女の子のようなキラキラした自然な愛らしさがあって、とても良かった。生命力と純粋さのきらめきを感じた。
衣装の早替りがすべて素早く成功していたのも良かった。ここ1年、引き抜きやぶっ返りの不手際が多かったが、これは良い。偶発性に左右されるところで多少一発でいかなくても、動きの中で自然に直していた。控えている介錯の人が髪をさばくために止め糸を外すタイミングを、左遣いさんが「ウン!」とうなずいて指示していたのがちょっと可愛かった。

 

海女・勘彌さん、関寺小町・簑二郎さん、鷺娘・清十郎さんはそれぞれに似合った役で、とても良かった。非常に満足。勘彌さんと簑二郎さんは後期になると役が逆になる配役になっていたが、そちらも観たかったな。

太夫三味線の配役はどうなっているのかと思ったら、錣さんはずっとシンなのね。万歳はヤスさん碩さん、海女は芳穂さん、関寺小町は錣さん、鷺娘は希さん、みたいに割ってあるのかと思っていた。錣さんが全部いいとこやるなら満足(正直者)。関寺小町のウタイガカリの攻め方は、錣さんならでは。あとは合唱のところを誰一人として揃える気がないのが笑った。間の撮り方が錣さんとだいぶ離れとるとこがあるがな。錣さんも相当独特だけど。フリーダム。

 

  • 人形役割
    万歳:太夫=吉田簑紫郎、才蔵=吉田玉勢
    海女:海女=吉田勘彌(前半)吉田簑二郎(後半)
    関寺小町:関寺小町=吉田簑二郎(前半)吉田勘彌(後半)
    鷺娘:鷺娘=豊松清十郎

 

 

 

『恋女房染分手綱』道中双六の段、重の井子別れの段。

あらすじ。

由留木家の姫君・調姫〈吉田玉峻/前期〉は江戸へ嫁入りすることになっていたが、お迎えの家老・本田弥三左衛門〈吉田文司〉がやってきていざ出発となった今、「いやじゃーーーーーーー!!!!」とダダをこね始めたので、家中は大騒ぎ。乳母・重の井〈吉田和生〉はなんとかなだめようとするが、まったく聞き耳持たずで手がつけられない。
外から戻ってきた腰元・若菜〈桐竹紋臣〉は、幼い馬方が門前で道中双六をして遊んでいたことを報告する。姫の慰みにとの重の井の呼び出にしより、子供のくせに月代を剃り、キセルを持って大人ぶった風情の幼い馬方・三吉〈吉田玉彦〉が屋敷の縁先へやってくる。三吉が道中双六を見せると姫君も興味を示し、一同で双六をして遊ぶことに。一番乗りでアガった姫君は双六のおもしろさに江戸へ行くと言い出し、無事出立の準備を進めることができた。

重の井は姫の機嫌をなおした褒美として、三吉へ菓子と小遣いを渡す。そして道中何かあれば、「お乳の人の重の井」という名を出せばよいと教える。それを聞いた三吉は、突然、重の井に抱きつく。驚く重の井だったが、三吉は、自らは重の井の子供であると言い出す。
三吉は本名を与之助と言い、かつて重の井が奥家老の息子・与作とのあいだにもうけて別れ別れになった息子だった。お家の法度で重の井・与作とも手討ちとなるところ、重の井の父・定之進が切腹したことで取り持ちがなされ、重の井は姫君の乳人となっていた。一方、父与作は悪人によって追放の憂き目にあい、乳母に育てられた三吉も父の行方は知らなかった。その乳母が亡くなり、三吉は子供ながら馬方をして身を立てていたのである。
実の子との思わぬ再会に、重の井は思わず三吉を抱きしめたくなるなる。しかし、姫君の嫁入りの手前、姫君が馬方と乳兄弟に思われてはと考え直す。重の井は三吉を自分の子と認めつつ、自分と与作を助けられた主家への忠義から、今は母と子と名乗ることはできないと言い聞かせ、嘆き悲しむ。三吉は母の話をよく聞きつつも、父の復帰を訴訟して欲しいと言うが、重の井はそれも聞き入れることは出来ない。重の井は三吉へ十分に体に気をつけて江戸へ向かうように言い、持ち合わせをすべて包んだ小遣いを与える。しかし三吉は、母でもない他人から金は受け取らないと言って泣き出してしまう。
やがて姫君の出立の声がかかり、館の者たちが縁先へやってくる。重の井は乳母らしく三吉へ馬子唄を歌うように言いつける。従者たちから急き立てられた三吉は涙ながらに馬子唄を歌い、重の井もまた密かに涙を流すのだった。

 

あの本田弥三左衛門って人の還暦パーティーの話なのかと思ったら、違った。
おじいちゃん、それだけド派手で脇役なの!? キャップ、羽織、着物、刀、すべてが赤、赤、赤、赤、顔も赤。背景のブルーの斜めストライプの襖とあいまって、目が痛い。なんでそんな全身レッド。ギンギンの全身レッドに気が取られて話が頭に入ってこない。

調姫は、菅秀才や鶴喜代君に女の子の格好をさせたようなお姫様だった。おかっぱ頭に八重垣姫のようなティアラやかんざしを挿して、ちょっとよそを向いて、ツン!とおすましポーズをしていた。調姫は姫によくある三角ポーズでじっとしているのだが、玉峻さんは袖を可愛くふっくらさせようと頑張っておられた。
調姫の小姓ガールズ〈桐竹勘介、吉田玉路〉が、わたわた〜っと出てくるのが良かった。あの人形は、人形遣いさんの顔にソックリになるよう化粧されているのだろうか。Face.app文楽版? あんまり見ないタイプの変わった顔立ちだった。一生懸命丁寧に踊っておられて、それゆえに意図せず子供風になっていたのが良かった。

遠出風の格好をしている若菜がどこから帰ってきたのかが、気になった。

 

和生さんの重の井は、暖かな優美さが光る。
乳人とはいっても、『先代萩』の政岡とは家の格式も立場もだいぶ違うので、こちらではもっとアットホームな「おかあさん」といった印象。日本の母って感じ。美人なんだけど、柔らかで暖かい雰囲気が、田中絹代感あるわ……。ゆったりとした優美な仕草の中に、母親としての子供への慈愛と、それ一徹に生きられない苦しみが直接的に表現されていた。

重の井は、目を閉じているときの表情が美しい。政岡とそっくりな顔してるな……と思っていたら、プログラム記載の和生さんインタビューに、2月『伽羅先代萩』と同一のかしらを使っている旨が載っていた。
あれは私物のかしらで、もともとは吉田文雀師匠が購入し、吉田文五郎師匠が預かって大役を遣うときに使用していたのを経て再び文雀師匠のもとへ帰り、いまは和生さんの手元にあるものということだった。和生さんは、戸無瀬、定高、政岡といった片外しの役(時代物に登場する格の高い武家の女性)ではすべてこのかしらを使っているそうだ。かしらに負けないように遣うのが大変だということだった。しかし、和生さんの政岡なり、重の井は、あの気品あるかしらだからこそ発揮できる品格と優美さがあると思う。

母であっても母として接することはできないという話の形式は、『伽羅先代萩』や『傾城阿波の鳴門』と近いけれど、「重の井子別れ」の場合、その2作より、主人公(重の井)の主観を中心に演じられている気がした。『先代萩』や『鳴門』では、主人公は「建前」を全面に出し、その裏に隠された悲しみをそこからいかに秘めやかに感じさせるかという印象があった。「重の井子別れ」では、もっと直接的に重の井の母としての愛や苦しみが描かれているように感じる。段切だと、他人が周囲にいても、三吉を抱きしめたりしているし(大切そうにキュッとしているのが可愛い)、演劇的演出として、重の井の心象風景を描いているのだろうか。『先代萩』や『鳴門』だと、子供がいなくなった後に主人公が一人になって大泣きする場面があるけど、「重の井子別れ」にはそれがないからかな。

 

三吉はちびっこの人形ながら、いっちょまえに髷部分を横に流していた。
お人形はおちびでも、仕草は大人風。たとえば団七のような大きな人形なら格好良く決まる腕を悠々と使った大振りな仕草も、ちびっこゆえに裸の腕が不自然な湾曲をするのが、いかにも子供の人形らしくて可愛い。がんばって生きている感がある。
人形にはその人形自体のサイズに伴った体格イメージがある。人形の体格に対して遣い方がミスマッチだと(腕を過剰に伸ばしすぎ、動作が大きすぎなど)、「センスなし」や「下手」に見える。三吉はそれに加えて、性格に由来する、演技するうえでの体格イメージがあり、意図的なミスマッチ演技「大人ぶっている(子供に戻る場面もある)」設定があるので、難しそうだ。玉彦さんの三吉は、そのミスマッチをうまくマッチさせた愛らしさがあり、とても良かった。めちゃくちゃエラそうなのも、良い。がんばって生きている感がある(2回目)。

 

道中双六の部分は、若菜・本田・重の井・調姫が本当に双六で遊ぶというものだった。原文だけで読んでいた段階では、三吉が双六の図面を見せ、図解として講釈のように江戸までの道のりにある名所を解説するのかと思っていたので、驚いた。コマを動かす様子を見ていると(おのおのの簪や扇子をコマにしている)、若菜vs本田vs重の井&調姫ペアの3組が対決していることになっているのだろうか。重の井と調姫はそれぞれサイコロを振っていた。姫だけ二人の合計を進めているってこと?
人形は勝手になんとなく演技をしているというわけではなく、義太夫の詞章の進みに合わせてタイミングを調整しているようだった。若菜が進め方を三吉に質問する、どんどんスピードアップする、姫が最初にアガるのは、詞章に合ったタイミングで演技をしていた。意外とちゃんとやってる!と思った。(いつもちゃんとやっとる)

 

『恋女房染分手綱』は、完全に母と認めていながら、事情を話して追い返す。ある意味、一番子供に対して残酷なパターンなんだな。結構モヤッとするけど、重の井の後ろめたさ、後味の悪さが上演上での最大のポイントなのだろう。それは十分に感じられた。同時に、和生さん重の井以外では、なかなか間持ちしない演目だなと思った。

この文楽現行と、今回上演部分の元になっている近松原作(『丹波与作待夜のこむろぶし』)と、内田吐夢による映画化『暴れん坊街道』とを比較すると、文楽現行の舞台がいちばん面白いなと思った。与作が出てくると、あいつが治兵衛級のカスムーブでストレスを与えてくるから……。

 

  • 人形役割
    本田弥三左衛門=吉田文司、宰領[上手]=桐竹紋吉(前半)吉田玉誉(後半)、宰領[下手]=吉田玉翔(前半)吉田簑太郎(後半)、調姫=吉田玉峻(前半)吉田玉延(後半)、乳人重の井=吉田和生、踊り子[上手]=桐竹勘介(前半)吉田和馬(後半)、踊り子[下手]=吉田玉路(前半)吉田簑之(後半)、腰元若菜=桐竹紋臣、馬方三吉=吉田玉彦

 

 

 

第一部は、『花競四季寿』が意外に面白かった。こういう上演時間が長い景事は、生の舞台ならではだなと思った。

今月はタコ、デカはまぐり、虎と、アニマルがたくさん出てきて、おもしろかった。女方で足を吊っている人形がたくさん出てきたのも、興味深かった(海女、関寺小町、小むつ、おつる)。

4月公演が千穐楽まで公演できなかったのは、本当に残念。5月の東京公演も、11日までの中止が決定している。
今度ばかりは、大阪府の感染者増加状況や医療対策はどうなってるんだ?と思う。大阪に行っている自分が言えたことではないが、劇場内部の状況はともかく、高齢の技芸員さんやお客さんの行き帰りや労働環境等を考えると、このような状況ではどのみち安心して公演できない。うちのおじいちゃんたちをどうしてくれるんですか状態……。早く公演が再開できるよう、願うばかり。

 

↓ 4月公演は、イープラスで4/26〜5/16動画配信中です。配役は前期日程です。