TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 2月東京公演『曲輪文章』『菅原伝授手習鑑』寺入り・寺子屋の段 国立劇場小劇場

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第二部のひとつめ、曲輪文章。

後半に観に行ったときの、伊左衛門〈吉田玉男〉の出が非常に印象的だった。伊左衛門は零落の美青年として、折編笠をかぶり、腕組みをして、下手小幕からツギ足で入ってくる。怜悧さよって、猥雑だった舞台の雰囲気がぱっと変わる。そこには、舞台を支える主役としての気迫があった。初日にも観に行って、あ、今回も伊左衛門いいなと思ったけど、それとはまた雰囲気が違う。より一層、艶と線の強い気品が出たというか……。漆のような強い美しさだった。

なんとなくだが、これは第一部の『先代萩』の影響なんじゃないかなと思った。会期通しての『先代萩』の密度の上がり方は本当にすごくて、毎週観に行って、どんどん濃度と純度が上がっていくのを感じた。特に和生さんからは「あ、この人は突き抜けたな」という格の違いを感じた。そうなると、他の部に出ている人も、そのままではいられないよなあと。

伊左衛門は、腰の捻り方、上半身と下半身の関係性の持たせ方がかなり重要になってくるんだな。これは、観たそのときではなく、後日ロームシアター京都で新作『端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)』を見て思ったことだ。『端模様夢路門松』の詳細は後日別記事で詳述するが、端的に言うと、ツメ人形で伊左衛門の出を再現する場面があるんですね。特殊な仕掛け等はなく、よくある捕手のツメ人形に二つ折りの帽子を被せて同じ振りをする。前説では、「まさに伊左衛門がいるんですよ!」という話が出ていたけど……、実際観たら、まったく伊左衛門に見えない。同じ振りをしてるのに、コミカルに振っているのは差し引いても、的外れに見える。三人遣いの人形は、足が生えていて、かつ、その足が腰を作ってしっかり機能しているって、ってすごいことなんだなと思った。

玉男さんの伊左衛門で特にいいと思うのは、ご本人の特徴でもある、体幹がしっかりした演技と腰の重心をいかした動き。武将役や荒物でもっとも活きる素質だと思うが、細身の若男に対してその素質があると、単なるヒヨヒヨにならず、艶っぽさが出るんだなと思った。玉男さんの若男役にモテオーラが濃厚なのはそこか。
玉男さんの伊左衛門は、動作自体がイケメン感の根幹になっているので、前列〜中列席で肉眼で見た時がもっとも美男子に見えるなと思った。肉眼で全身をなんとなく見ているというのがポイントで、オペラグラスを使って顔まわりをよーーく見てしまうと、人形の顔かたちが直接的に入ってきすぎてしまって、なんやたいした顔しとらんなと思ってしまう。顔の綺麗さを所作のイケメンさのほうが上回っている。舞台写真になると、姿勢が綺麗なことはわかっても、生の舞台から感じるイケメン感が伝わってこないのが惜しいな。

あとはやっぱり寝たふりと、こたつ布団に目をこすりつける泣き真似がウザ可愛い。特に、こたつ布団にぺと!と顔を伏せて、涙をぎゅっ!ぎゅっ!と押し付けるのが「ねえ見て見てっ!」って感じで、「わかったわかったわかったわかったわかった!!!!」と言いたくなる。いい。玉男さんのクズ男には、天真爛漫な愛嬌がある。オーガニック・クズ。

良家のおぼっちゃま感は、床の咲さんの雰囲気づくりによるものだなと思った。チャラく見えるけど芯は本物って感じだった。

 

 

今回の夕霧は清十郎さん。清十郎さんの傾城がしらの役は初めて観た。衣装はゴージャスだけど、清楚オーラや真面目感はそのまま。いまでも伊左衛門に恋をしている真摯さが良かった。清十郎さんの一番いいところは、「本当に相手を好きそうな切実さ」を強く出せることかもしれない。
おそらくご本人は無意識だろうけど、相手のことを真剣に考えている切々とした雰囲気が人形に出ている。派手な役でもひとりよがりにならず、単なる自分の世界に走らないのは、重要な才覚だと思う。普段はその素質が梅川のようなひたすら恋人を思いやる役で効果を生むが、傾城で発揮されると素晴らしい。あそこまでランクが高い傾城が本気の恋をするはずがないので、ギャップが強調される。かといって阿古屋のような派手でなんぼな役は、清十郎さんには違う意味で合わないから、夕霧はちょうどいいのだろうなと思う。

ただ傾城がしらの役の特徴的な動きは大変そうだった。かしらの重量に負けているのだろうと思うが、人形の位置が低すぎて胴が潰れがちになり、衣装が綺麗に見えない場面が多い。ただそれでも、上演中にだんだん改善されていた。
昨年の大阪初春公演で出たとき、初日から人形が決まっていた和生さんはすごいなと思った。和生さんの夕霧には、品格の高い遊女として十分な教養を積んだ粋な身のこなしと、伊左衛門に恋するピュアな乙女という両面性が同時に存在していた。夕霧は人形遣いによって雰囲気が変わりそうで、面白そうな役だなと思った。  *1

 

 

冒頭の餅つき部分に出てくるお鶴〈桐竹勘次郎〉、「顔が丁稚な女中さん」というより、「女性の服を着た方」なのかな。ひとりだけ着付がツメ人形みたいというか、肩から胸にかけてが妙にペタンとしている。かなり薄い襟で着付けられていた。

そのあと登場する万歳二人組〈権太夫=桐竹紋秀、獅子太夫=桐竹紋吉〉、人形遣いおふたりがどことなく人形顔なのが良い。人形が4番出てるみたいで癒されるわ……(←絶対にご注進しないでください)。有料営業中というわけではなく、人んちの門口で勝手に芸を披露しているのもおかしい。獅子太夫が鞠を回すのに使う傘は、昨年の大阪初春公演で出たときに使われていたものとは別物かな。桜柄の春っぽいものだった。

私が観に行った回で、紋秀さんのヘアスタイルがふんわり系の日があったのが気になった。紋秀さんはペカペカ系が好きなのに、たまにフワフワ系のときがある。一体なぜ。特に法則性なく現れるので、私の心を乱してくる。それをtwitterでつぶやいたら、ほかにもフワフワ系の日があったことを教えていただき、フワフワしている日も思っていた以上にあることがわかって、勉強になった。もちろん、ヘアスタイルの変化とは関係なく、権太夫はいつでもキッチリしておりました。

 

 

  • 人形役割
    仲居お鶴(丁稚顔のヤツ)=桐竹勘次郎、仲居お亀(お福顔のヤツ)吉田玉彦、仲居お松(娘顔のヤツ)=桐竹勘介、吉田屋喜左衛門=桐竹勘壽、権太夫(たんこぶの方)=桐竹紋秀、獅子太夫(獅子舞を持っている方)=桐竹紋吉、藤屋伊左衛門=吉田玉男、女房おきさ=吉田一輔(代役/吉田簑助休演につき)、扇屋夕霧=豊松清十郎、禿=吉田和登、太鼓持=桐竹勘昇

 

 

第二部ふたつめ、『菅原伝授手習鑑』、寺入りの段、寺子屋の段。

「寺入りの段」の冒頭でヤマイモ・チルドレンが持っている筆は毛がボサボサしているが、菅秀才が持っている筆はちゃんとしていた。

それはいいんだけど、仕上がりの状態に首をかしげすぎて、小太郎より先にワシの首が落ちるかと思った。有名曲、かつ近年何度も出ている演目で、この状態はちょっとつらい。寺子屋は、緊迫・弛緩を短いタームで繰り返し続ける緊張感が醍醐味だ。しかし、それがガチャガチャになっていて、濃度が出ていなかった。語りにメリハリがなくノッペリしているため、どんどん流れていってしまったり、あるいは、曲を盛り上げたい気持ちはわかるものの、盛り上げるところ・抑えるところのバランスがおかしかったり。ベテランで、寺子屋のような有名演目をやりたいという気持ちはすごくよくわかるが……、曲に飲まれてるよね。それぞれの太夫さんの得意なこと・良いところと、曲に求められているものが合ってないんじゃないかと思った。せめて前と後が逆なら良かったような。 

 

人形は、戸浪の清五郎さん、千代の簑二郎さんが良かった。

清五郎さんの戸浪は清楚で品のある雰囲気が素晴らしい。垢抜け感が活きている。まさに、ギャンギャン騒ぐヤマイモ・チルドレンをいなす、田舎にしては妙に綺麗な訳あり奥様って感じ。ちなみに、千代〈吉田簑二郎〉が持ってきたお土産を勝手に食うよだれくり〈吉田玉翔〉へのお仕置きは、「手をフタで軽く叩く」だった。また、そのいたずらに気づくきっかけは「千代が教える」パターンだった。
清五郎さんは着付けの印象が他の人とちょっと違うよね。やや縦長な印象で、ふんわりさせずコンパクトにまとめているので、すらりと見える。構え方も背を伸ばしていて、腰の細さや姿勢の良さが強調される。それと、体を正面振りにしたままで横を向く仕草が良い。人間がやると異様なポーズだと思うが、人形だと首がすらっとして見えて、綺麗。今後も、美人奥様、お姉様系の役をいろいろとやって欲しい。

簑二郎さんの千代は弱々しい雰囲気が良かった。千代は「寺入りの段」の出からして、少し元気がなく、しおれて口数が少ない雰囲気。簑二郎さんは、身分が高い役や逆に町人レベルの身分の役だと、時に所作の線が強すぎて雑に映ってしまうことがあると思うが、千代くらいの温度感の身分が一番お似合いになるのかもしれない。そしてもうひとつ、普通の人の普遍的な感情表現が的確な点が似合っていた。この千代もそうだし、いままでに観た中だと妹背山のお雉、忠臣蔵のおかるママも非常に良かった。彼女らにはそれなりの事情を伴う立場があるのだけれど、その立場とは関係ない次元にある、普通の感情を感じる。

人形の松王丸は玉助さん。がんばっていらっしゃったが、首実検での人形の位置が高すぎて空中浮遊しているように見えるのがかなり気になった。人形自体が安定していないので浮遊感があり、どうにもダルシム。人形の位置をなおさないなら、足の人がひざを下げて、もっと立膝風に見せるかしないといけないのでは……。大きく見せようとして空回りしているからそうなるんだろうが、もうちょっと誰か何か言ってあげればいいのに。

そういえば、初日に観に行ったら、玄蕃役の玉輝さんがものすっごい迫力で「ドン!」と出てきて、「まじ? 玉輝がその勢いで出てきたら主役食ってまうがな」と思って焦った。いや、玉男さんが松王丸ならそれぐらいで出ないといかんけど。しかし、最後のほうに行ったら、ちょっと小物風になっており、合わせてくれたのかなと思って、癒された。もちろん、玉輝さんは、ご本人の最大パフォーマンスまで思い切りやれるような配役にして欲しいです。

 

意外と若手会のほうが松王丸と千代の切実さ、源蔵と戸浪のせきたてられた狂気は出るなと思った。若い方は、多少不出来だろうと頑張っていれば客として満足するが、そうでない場合は、よほど頑張ってもらうか、配役変えてもらうしかないわと思った。

 

 

 

  • 人形役割
    菅秀才=豊松清之助、よだれくり=吉田玉翔、女房戸浪=吉田清五郎、女房千代=吉田簑二郎、小太郎=吉田簑之、下男三助=吉田簑太郎、武部源蔵=吉田玉也、春藤玄蕃=吉田玉輝、松王丸=吉田玉助、御台所=吉田玉誉

 

 

 

第二部はなんだかハンバーグエビフライ定食的なプログラムだった。曲輪文章、寺子屋を連続上演すると、コッテリ感が強い。曲輪文章だけでも重い「あー、見た見た」感がある。寺子屋は正直言って出来が粗雑だったので、全体的にちょっと長い感があった。2月の第二部と第三部は長かったな……。

今回、簑助さんが曲輪文章のおきさに配役されていたが、新型コロナウイルス感染拡大の状況をかんがみて、休演になった。寂しいけど、この時期に簑助さんが東西移動するのは心配だったので、正直、ほっとした。今後、大阪しかご出演されなくなってしまうのかもしれないが、ご無理のないようにして欲しい。

 

 

 

*1:今回の傾城がしらについては、使用決定の経緯が清十郎さんブログに書かれていました。

▶︎2つの傾城がしらについて(写真入り)
豊松清十郎、焦らず、怠けず、諦めず。5月公演配役「豪華絢爛という」

▶︎2つの傾城がしらの違いについて
豊松清十郎、焦らず、怠けず、諦めず。5月公演配役「かしらはぼんやり彫れ」

▶︎今回清十郎さんが選んだかしらについて
豊松清十郎、焦らず、怠けず、諦めず。5月公演配役「どっちにする?」

くずし字学習 翻刻『性根競姉川頭巾』屋舗の段

近松半二ほか作『性根競姉川頭巾』翻刻の最終回。いよいよ蔵屋敷の武士・浜地源左衛門とお周の血の婚礼が迫る中、侠客・黒船の忠右衛門はどう出るのか。浜地源左衛門の真意とは。というお話。

 

本作は文楽現行にはあまりない、テンプレキャラ重視のプログラムピクチャー的な展開がコンパクトにまとまった内容となっている。現代では顧みられない、昭和の2本立てプログラムピクチャー作品のようだと思う。内容を知らないまま読んだので、当時はここまでの歌舞伎の模倣的演目が存在したんだなというのが、初読時の素直な感想だった。文中に指定されている忠右衛門の衣装(姉川頭巾)も歌舞伎役者の衣装のコピーである。
このような内容の曲は、おそらく現代の文楽に復曲されることはないだろう。忠右衛門のようなキャラクターは人形浄瑠璃では描きにくいヒーロー像のように思うが、それは現代文楽を享受しているが故の視野の狭窄なのか。そして、こういう「ひと昔前の時代劇」的なキャラクターは、江戸時代の時点ですでに成立していたんだなと勉強になった。

これまで、義太夫正本翻刻カテゴリでは『女舞剣紅楓』『性根競姉川頭巾』と世話物を読んできた。これらは平易な文の世話物で、初学者の自分でも非常に読みやすく、くずし字を読むのにもだいぶ慣れることができて、良かった。この「義太夫正本翻刻」カテゴリの3作目として、次回からは、近松半二の時代物『桜御殿五十三駅』を掲載する。

 

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いままでの翻刻

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自分の勉強用ノートからの転記です。

捨て仮名、句読点はそのままとして、字体は現行に改めている。
文中■は判読できない文字。
画像引用元:性根競姉川頭巾 (東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵)  
参考文献:国立劇場芸能調査室=編『浄瑠璃作品要説<3>近松半二篇』国立劇場/1984
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屋舗の段

士と書イたる文字に裏もなく。表びゝ敷キ蔵屋敷浜地源左衛門が一ト構。内庭清きやり水も大川。筋を堰入レて飛ンだ物好キ飛石の。重き主命イ奴共。お庭の掃除取リ々に。払ラへば跡へ。散かゝる。木の葉に用捨なかりける。ナントでく内。今ン夜は旦ン那云言の娘御。作州の蔵屋敷から。此屋敷へお輿入リ御祝言の寿こつちにも待女郎の何ンのと。めらう共がびらつくべいと思ひの外カ。何ンだ凄い事だぞよ。サレバサ何ンでも旦ン那が今夜は鰥の久しぶり。男ぶり作つて鎌首を硎立テて居らるゝ筈。今朝から指がへの大小に寝刃合ハして。おら共には土壇の用意言イ付ケらるゝ。何ンのこつたすつきりと好カない事。但し銚物でもしらるゝかいヱ丶聞コへた。われが昨日ソレ小間物やと部

 

 

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屋てしやくつかしておつた手めが上カつて博奕の成敗。われを手打チになさるゝのじや。そふだ/\。ナニ。しやくつかすがおら斗リか。ヱ丶関助斯だはい/\。一昨日来たひげこの櫁柑。盗ンでくらつた髭首の仕置キ。手討チに合ふわれだ/\。こいつが。/\。そりや儕レが五つ迄くらつた。おらはたつた二つ。しかも早業にどふみやく掴んで櫁柑がすかん。命の相場はみかんと釣リがへ。撰取リ十ヲ六山の芋。足上られなと<つぶや>き行。案ン内させて馬渕和平太。なまくら武士の遠慮なくしたり顔に入リ来れば。奥より主源左衛門。略衣の羽織刀引ツ抱コレハ。/\と互イの式台。今ン晩ンの御祝儀。寸ン志斗リと詞のぬり樽さし出し。扨テ。何かはさし置此和平太。鎌倉屋の五郎八めと買論に成ツた傾城。町人ンに仕負ては武士の頰が立タぬから張合の請出し。貴公のお影ケで金子調ひ此方へ身請致し。夜前から此お屋敷に

お預ケ申シた瀧川。殊の外カはづんで居リ有レば。早く連レて帰りたい。イヤハヤ。手前が身に取リてかやうな悦びはござらぬ。其返ン礼に其元トへ進上致したお周が艶書。其男もやつぱり五郎八。意趣は互イに御同前。弥今ン晩は彼。お周が輿入レとな。成ル程/\。云イ号の女是迄婚礼延引致し有ル所。聞キ捨られぬふ義の様子。夫レ故火急に取リ急ぎ今ン晩の嫁取リ。サア左様承はつて拙者も御勝手お取リ持チに推参。此祝言の義式はどふなさるゝぞ。早く拝見が致したい。よもや四海波。静に事は治りますまい。色直しの血汐の装束。聟君のお手際。すつぱりとしたお捌きが見たい。誠に。先ン日瀧川が身請ケ金のかはりに。お預ケ申シた正宗の刀。切レ味お銚なさるゝには。丁ど宜しい手づかいでござる。ふ調法ながら。手前にも研立テの長カ柄の銚子。嗜で居リ有ル。お加にもなされふならば。御用に立チ

 

 

 

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ませふずと存じて押シて参ン上致したと。傍から腰押シけしかける。人喰馬渕に挨拶もにがり。切ツたる真中へ。堂島黒船忠右衛門是へと知ラせに打チ黙頭。嫁入の輿に先キ立ツて一人来る不敵キの町人ン。待チ兼た珍客是へ通せ。アイヤ。幸い意趣有忠右衛門め。獄門ンの庄兵衛を殺したもきやつが業。爰は拙者に任せなされ。持参ンの荒身て真ツ二つ。イヤ/\。夫レは相イ人違カひ。源左衛門が祝言の相済ム迄は。必聊爾召サるゝな。嫁迎への用意致さふ。お扣へなされと大身ンの。武士は格別唐紙を引立。奥へ入にける。剣キの中をのつしりと。肝の鉄壁飛石も。死手の街道道チ分ケ石。性根すへては日頃の百倍。人をこつぱと蹴ちらす小庭。面に見せず慇懃に。忠右衛門でござります。御免に任せ憚りなからお庭へ廻りましてござりますと。下タから出れば

見おろす馬渕。ホ丶遉堂島の忠右衛門。来にくい所を能来たな。夜前ンの遺恨和平太とくより相イ待チおる。モウ絶体絶命の場所。よふ観念して待ツておれと。嘲る顔をじろりと身て。イヤ申忠右衛門がお掛ケ合イ申シたは。お館の御亭主源左衛門様。今ン晩作州のお屋敷より。嫁入の義に付イて。御面ン談に参つた拙者。其元ト様の出入は跡で緩りと。逃ケも走リもするのじやない。マア/\おせきなされますな。イヤサ。身共は其婚礼の取リ持チに罷つたのさ。此嫁は又なぜ遅いと。意路を持チ込ム廻り庭。嫁様のお輿只今是へと声も揃の轆■ならで。裾小短い。葬礼袴。嫁入の宰領講中を。判ン字物が二人前担ふ送りの貸乗物。小門ン口に舁入レて。親仁殿。生キて戻らぬこなたの覚悟。爰で切ラれて死ナしやつたら。死骸はこちらが

 

 

 

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貰ふて直クに梅田へ。此乗リ物で友達チ中カ間が送タる積り。旦ン那寺へも届けて来たぞや。ヲ丶そりや能イ手廻し。今ちつと葬は間が有ふ。わいらは皆門ン前ンへ往て待ツて居い。コリヤ必おれか息キの有ル中チ。一人でも門ンの内へ這入たら聞カぬぞ。ヲ丶合点じや。コレ気をせかずと迚もなら。二三人も供連レて死はれと。袴は着ても懐手。肩でゆすつて出て行。弱みを喰ぬ馬渕和平太。ハ丶丶丶丶迚も手向カひは叶ハぬと思ふて。死骸貰はふとはよい覚悟。したが我カ身分ンの納りは夫レで済ふが。今ン夜の婚礼はどうするぞ。わりや宰領の役クでないか。いかにも。黒船の忠右衛門が供して参つた嫁御寮。則チ爰にと乗リ物より。俗名お周と印シたる。位牌取リ出し。サア此嫁御と聟殿と祝言の盃キ。取リ持チなされ和平太殿。ヤア何ンと。イヤサ。お周殿は死ナれました。しかも今日たつた

今。頓死頓病何時キ知レず。天子将軍の力ラにも。取リ留られぬは命斗リ。侍イ同士の約束でも。俄カに死ンだら是非がない。こつちから変ぜぬ証拠は位牌に成ツても嫁入さす。是非夫婦連レ添たくば。聟殿も冥途へござれ。お寝間の床地獄也と。極楽也と。忠右衛門が御案ン内。夫レ合点なら是へ出て。俗名お周と祝言なされ。但夫レへ参らふかと。黒船に声かけられ。上下モ改め源左衛門。只抜群の大生抜自身携へ直し置キ。契約違はず忠右衛門。去リとは苦労太義/\。待チ役た花嫁。推量も違ハぬ冥途の祝言。嘸有ラんと思ひ。此方にも申シ付ケた仕上ケの献建。併宰領の忠右衛門。稀の珍客に。精進料理斗リも何ンとやらふあしらい。亭主が直キの刺味包丁。荒身一種が今ン夜の馳走。打チくつろいで

 

 

 

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たべてくりやれと。身動きさせぬあしらい方。傍に馬渕も目放しせず切戸の錠前。折からに。お政は娘の。手を引イて。兼て覚悟は極メても。今更ラ弱る女気の。夫トに今一チ度暇乞。声ばしすると窺ふに門ン裾引まくつて忠右衛門。土壇がはりの大生板。上にどつさり腰打チかけ。何よりのお饗応。其御馳走を受ケに参つた。御自慢のお料理方。お手際が見たさに進ン上致す生肴少分ンながら堂島の生ケ魚。ちと骨が有ツてこなしにくい。筒切リか。背切リか。いつそすつぱりと。二枚におろして貰ひましよ。サア/\と体をつき付ケて。びつく共せぬ眼コざし。ハテ扨丈夫な胴性骨。鳴ル戸を越た見事な骨組。極上の銚体。是を肴に一献汲ふか。イヤもふ御馳走と有レば。何ンでもお辞宜は致さぬ男。祝言の盃キなれば。嫁御に替つて忠右衛門が。聟殿へ

さしませふかい。成ル程/\。家来銚子。イヤ幸イ樽も是に有リ。どふで葬礼する体。やかずとひやに致さふと。鑑ぶち抜鉢前石。外トにはびく/\親と子が。ヤアまだ切ラれはさんせぬか。こちの人忠右衛門殿と。思はず知ラす泣キ声を。聞キ知ル夫トが声■く。ヤイ引キ裂れめ一生の別れ最此世では逢ぬと。言イ渡して置イたに何ンで爰へ付イてうせた。狼狽者めと。かみ付ケられ。サイナ。合点は仕て居るけれど。百両の金で。娘のお米。取リ返した甲斐もない。親子の別カれ今一チ度顔を見せたさに。連レ立ツて来たはいのふ。ちよつと逢ふて。まだぬかす。黒船が死際の大事の出入。男の一チ分ン捨さすのか。立ツてうせふアノ大馬鹿めが。サア慮外申シませふと侍イ二人引キ受ケて。相イ人をぐつと呑ム大胆。ソレお肴と和平太が。打チ込手裏剣。

 

 

 

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 一世一チ度の大事の祝言。鱗のない肴はいみ事。お引キなされと突飛す。ア丶コレサ和平太殿。源左衛門が試の料理も待ず。近カ頃以て不作法千ン万ン。肴ならば似合フた様に。小謡でも諷はつしやれと。呵られて。頬真赤馬渕。イヤ拙者声をいためました。ハ丶丶丶丶いか様大事の盃キだに。誰ぞ祝言諷はぬかいと。ちらす脇キ道ちりかゝる。夫トの寿命外トに待ツ。歎きは我カ身一つ鉦なむあみだ。なむあみだ。なみあいとふても最叶はぬ。とゝ様申シと一ト声が。耳に遮る透を見て。こりぬ和平太切リ込ム鋒。門トにはひやいさハア/\/\。念仏もしどろに声震ふ。涙の引導百年ンめ。庭へはつさり倒れる和平太。浜地思はずハテ見事な切レ味と。いふ声外ト面に妻娘。ヤアもふ切ラれてかと声を上わつと正体。泣キ沈む。血を見て弥居る腰。しづ/\元トの座に直り。刃物投ケ捨両肌ぬげば。下は六字の経帷

子刃の中カに伏迚も。猶魂の直ク焼刃。水かけ流し源左衛門。目に油断なき手討チの作法。悠々と後に廻り。振リ上る刀の下タ。ぐつ共言ぬ。覚悟の体。ハテ心得ぬ。和平太を一ト討チに仕とめる程の手を以て。なぜ此期に刃物を捨た。サア立チ合フて相イ人になれさ。イヤ黒船の忠右衛門。非道と見たら侍イで有ふが。小指の先キ共思はぬ男。理に歎きたふ刃はない。お手打チに成リませふ。サ丶遊ばせ/\。ム丶町人ンながら体術手練に覚有ルに任せ。<さすが>一ツ本持タいでも只一掴と思ふは不覚。切リ人は浜地源左衛門。刀は名イ作正宗じやぞよ。ナ丶何ンと。其刀が正宗とな。ヲ丶しかも作州羽森の家の重宝。エ丶ハテ替つた物がお手に入ツたな。首さしのべて切ラれふと思ふたが。其刀が正宗なれば。こりや一チ番切レ味を受ケて見にやならぬはいと。脇差取ツてさし付ケる。ホ丶ウそふなふては忠右衛門とは言れまい。今が最期じや観念せいと二つに丁ど切リ破位牌。成敗済ンだ忠右衛門。勝ツ手に帰りや

 

 

 

 

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れ。ムウ人殺しの忠右衛門。所詮ン助らぬ命。眼前傍輩を殺され。相イ手を外カの手に渡しては。武士道が立チますまいがな。ヲ丶其不審尤と。懐中より一通取リ出し。馬渕和平太事。殿のお部家に不義を言イかけ。遊所狂ひに御用金を盗みし事露顕に及ぶ。取リ所なき馬鹿者。其御地にて切リ捨になさるべく候。余は読に及はず。国家老より此書状今朝到来。どふで殺すこいつが命。解死人ンの気づかひない切リ徳/\。ハア軽い身分の町人ンを相イ人になされぬ奥床しい源左衛門様。遖お侍イじやと言フ事は。兼てより承はり及んで居る故。此方から望でお手にかゝりに参つた私。お慈悲を以て忠右衛門が。命チ一トつをお周様と五郎八様。二人リの替りにお取リなされて下タされと。金輪ならくひら頼みに。やり付ケる気で。手厚ふ命のつき付ケ売リ。拙者が心ン底御存なされ。すりや御了簡下タさるゝよな。イヤ了簡するで

ない。生ケて置カれぬ不義の女。けふ嫁入した此位牌の俗名お周。真二つにぶち放したれば。不義の成敗済ンだ。元ン来イ五郎八とお周とは。作州の同家中にて。幼少の時気云イ号。夫レとは知ラず身が妻に。貰ひかけたは此方の誤り。夫レのみならず。金子のかはりに和平太より請取ツた此刀。よく/\聞ケば五郎八が親。国元トにて盗マれた正宗の刀。其盗賊も和平太め。儕レが悪ク事は押シ隠し。人の名を出す不義の証拠。見捨にならぬ武士の表テ。黒船と見た故に謎をかけたか嫁入リの宰領お身が性根を銚物。源左衛門を武士と見込ンて。命を呉た<きょうかたびら>。過分さは詞に尽ず。折に幸イ和平太が。儕レが科で身を果せば。此事世に知ル者なし。誰憚ず五郎八とお周が媒忠右衛門。祝言の餞別は此正宗の刀にかけて。宜しう頼ミ存ると。詞に千ン石武士町人ン。身がらに高下は有なら。難ン義救ふは北浜の。暮の相場に百万俵越

 

 

 

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年ンしたるごとく也。お政も外トから手を合ハせ。ヱ丶有リがたいと申さふか。何ンとお礼を忠右衛門。健なお顔を母様に。サア/\早ふと気をせく女房。コリヤ/\女麁相いふなそちが夫トは死ンだはやい。イヤサ獄門ンの庄次郎を殺した。其詮ン義有ル迚も。源左衛門が手討チにしたれれば。大坂の地は勿論此世の内に居ぬ忠右衛門。サア此夜の中に。ナ合点か。密に逢す人も有リ。亡者の黒船こなたへと心を。込メて奥の方。連レて入ル月宵闇に。待ツ間気ならず判ン字物。お政様か。親仁殿の落着。早ふ聞キたいどふじや/\と。気をせく内より源左衛門。約束の通り。死骸くれふ持ツて帰れ。ヤアそんなら頭ラは切ラれたか。最けたいじやとごろたの石打チ。切戸ぐはらりと押シ入レより。伴ふ傾城瀧川殿と。見やる一ト間の内にはお頭ラ。是はと恟り立チ切ル障子コリヤ/\そち達チ。此死骸葬礼の輿で墓所へ送クつてやれ。此同部の中には鎌倉やの五郎八も居る筈。身請ケの済ンだ

跡のからだみ。譬どこへ埋んでも構ない請合は。出家侍イ身が引導人は知ラぬが仏ケの死骸。爰へ来て拝みやれと。粋なお寺に呼れくる。五郎八様かと走り寄ひつたり抱キ付。■無常の葬礼姿忽に。色の盃とぞ成にける。折から聞コゆる多勢の人音。申上ケます黒船の忠右衛門を捕人の人数只今門前ンを取囲居リ有と。下部が注進なむ三宝。事急にせまつたり。足手纏ひの足弱を。早ふ/\とせり立られ。詮方なく/\裏門口。惣門ひらけば込ミ入ル人数。皆我先キに乱レ入上を下へと。かり立る。築山前栽こだてに取。事共せざる忠右衛門。捕人も■んで見へたる所に。早縄たぐつて源左衛門。コリヤ/\黒船。獄門の庄兵衛は。盗賊衒の科に寄て成敗に合ふやつなれ共。私に殺した誤。一ツ旦ン縄をかくるは大法。黒船捕たと情ケの取縄。刃向ふ気色も真似斗。脇指がはと尋常に懸たる義理の名は跡に。残る立テ引キ聞キ侍へ。かふき狂言姉川の。萌黄頭巾の色上芝居と御評。判をぞ頼みける

 

(終)

文楽 2月東京公演『冥途の飛脚』国立劇場小劇場

2月は全日程公演できて、本当に良かった。

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第三部『冥途の飛脚』、淡路町の段。

勘十郎さんの忠兵衛は真性のクズというより、小心者のビビリゆえに的外れなところで大胆になり、重大犯罪をやらかしてしまうという印象。地銀の地味な行員がやらかした巨額横領事件っぽい。個人的には現代的な解釈として納得いく解釈で、小説『青春の蹉跌』や映画『鉄砲玉の美学』の主人公を思い出した。あいつらはもっと痛いヘタレ方だけど。玉男忠兵衛は真性のクズであり、天然由来成分100%ゆえにクズに理由がなく、理解不能の底知れない闇を感じて「う、うわぁ〜……」とドン引きしてしまうのだが(そこが好き❤️)、現代的な感覚からいうと、物事に何らかの理由付けがあったほうが見やすい。安心して見られるから。
勘十郎さんの演技傾向には説明的な部分があり、特に男性の役ではその傾向が強いように感じる。なぜ説明的装飾をしているのかは非常に興味深いことで、普通、過剰な説明をすると、技量がないのを糊塗しているとか、客の感受性を信用してないとか、ネガティブに捉えられると思う。これについては率直なところをインタビュー等で語っていただきたいところなのだが、今回の忠兵衛はそういった作為というより、素質に適合している部分が大きいと感じた。良い意味で玉男さんと違う方向に行っている。

忠兵衛は家内の様子を探ろうと下女・まん〈吉田玉佳〉に色仕掛けで迫る場面で、意を決したように話しかけていたのが笑ってしまった。明らかに玉佳まんのほうが強そうで、頭からかぶりつかれてベロベロされそうだった。涙目になってそうで、良い。勘十郎様が本気で色男としておやりになっていたようでしたら本当に申し訳ありません。でもあの手のクソムーブ、誰がどう逆立ちしても玉男様には絶対勝てないから。
まんは「ピョコォォォぉっっっっ!!!!」という立ち上がり方も良い。足がある女方は立ち上がり方が可愛い。しかし当日行くまで、玉佳さんと紋臣さん(手代伊兵衛)の配役、逆だと思っていた。紋臣さんが手代というのは本公演では珍しいというか、配役、そこか?という……。役の数の問題や、ランクの高い女方の左をしなくてはいけないのはわかりますが、沖の井やおきさ相当の役はやって欲しい方。

亀屋のメンバー、勘市妙閑、勘十郎忠兵衛、紋臣手代だと、なんかこう、堅実でちゃんとした飛脚屋って感じ。全員、やりすぎレベルの真面目で、配達証明にものすごい超達筆で認めてある手書きFAX送ってきそうです(メールとかじゃなく、あくまでFAX)。
あと、荷物を運んでくる馬が妙にロン毛だった。何らかの時代考証によるものだろうか。

床の小住さんは大変元気で、八右衛門や武士が良かった。ただ小所帯の商家にしてはちょっと角がごつごつしすぎか。特に手代。本作の手代伊兵衛は他の曲の図々しいヤツらと違い、かなり繊細で真面目なタイプだと思うので、もう少し抑えて欲しかった。慌ただしい飛脚屋の情景はとてもよく感じられた。

 

忠兵衛が亀屋を出て以降は緊迫感がなく、ちょっと冗長。予定調和になっていて、逡巡の印象が薄いのだろうか。この曲に限ったことではないが、芝居だから予定調和になるのは当たり前なのだが、そうでなく見せるというのは、難しいことだなと思った。

疑問に思ったのは、人形の羽織落としの仕方。落ちた(落ちたのにも気づかず新町へ向かった)というより、脱いだ(羽織を脱ぎ捨てて新町へ向かった)って感じ。三味線に乗せて肩からだんだんずり下がっていく段階がないので、一気に引っ張られたようにしか見えない。わざとやってるにしても、そうすることで何の意味があるのか、何をどう表現したいのか、よくわからない。そこは通常通り、羽織=社会の象徴であり、ここで忠兵衛はどんどん社会から逸脱していくという表現になっているべきなのでは。
最近は、失敗例含め、衣装まわりのやりかたに首をかしげることが多い。

ぶち犬に投げつける小石のぬいぐるみは、なんだかデカかった。

 

 

 

 

封印切の段。

『冥途の飛脚』のほうで梅川の配役が勘彌さんになっているのは初めて観たが、とてもよかった。
清十郎さんだと梅川が「不幸な美人」と前アクセントだけど、勘彌さんだと「不幸な美人」で後ろアクセントな感じ。梅川は大半の場面を嘆いて過ごしているが、体を伏せて嘆くシーンがたいへん美しかった。以前、内子座で佐太村の八重をされていたとき、この人、お辞儀系の演技が非常に綺麗でうまいなと思ったけど、梅川のような始終悲嘆に暮れる役だとそれがMAX活きる。八右衛門の出以降、二階の障子の影で悲嘆に暮れる姿の美麗さ。「二階には畳に顔を擦り付けて声を隠して泣きゐたり」のところ、本当に人形の顔を畳に擦り付けることはできないわけだけど、では何をしているのか、今までよくわからなかったが、着物の襟を立てて顔を隠して泣いているということね。すっとした大人の美しさがあった。
衣装の着崩しも非常に美しい。梅川は上に羽織ったものをドロップショルダー状に落として肩を出しているが、みじめな着崩し感でなく、どことなく粋。下級遊女といっても、梅川本人が持っている気品が出ている感じ。
ただこの忠兵衛梅川は、恋人同士とか、腐れ縁には見えないな。役でやってる感が強い。なぜそう感じるのかはわからない。

人形の忠兵衛は幼稚な感じにされているようだった。ちょっと哀れを引く、キャンキャンした感じ。でも、かわいそうとは思わないが。
今回観て、忠兵衛が封印を切ったのはあくまで八右衛門に50両叩きつけたいからであり、梅川を身請けするために切ったのではないのが、本当に救いようがないなと思った。性根がしょぼすぎる。八右衛門はあそこで忠兵衛を完全に見切る。ドライだ。廓の衆はヤバイ金とはわかっていても、金は金として受け取るというのも怖い。しかし、梅川だけ、切った直後はあれだけ大げさにかき口説いておきながら、そのあと忠兵衛の「養子に来たときの持参金」という嘘に騙されている(?)のがよくわからん。

そういえば、千穐楽前日に観に行ったら、八右衛門役の文司さんが梅川のクドキの最中に一時退出されていた。途中で人形に後ろを向かせ、黒衣さんの出入りがあり、元々左だった方が主に変わって、左の人を新しく呼んでいた(と思う)。文司さんは八右衛門の衣装をちゃんと整えてから出ていかれたのと、すぐに戻っていらっしゃったので、ご体調が悪いとかいうわけではなさそうだったのでよかったが(🚹?)、お客さんみんな梅川どころじゃなくなっていた。
八右衛門は全体的に悠々とした感じ。たとえば玉輝さんがやるときよりはちょっとリアリストで厳しい感じというか、目線が若干高いのが面白かった。

 

千歳さんは、封印切までは面白いんだけど……、そのあとにくるメチャクチャ長い梅川のクドキがどうにも一本調子な印象だった。末尾や泣き声のニュアンスがしっかりしていないと、あの長さは耐えられない。八右衛門の語りは非常に良く、梅川も人形の演技は良いので、舞台として惜しい。現状の文楽だと、女性描写に一番実力の差が出ると思う。女性描写の向上を願っている。

それにしても、「封印切」冒頭の禿の三世相は長い。長すぎる。今回の舞台がどういうという話ではなく、原作からして。子供が本人はよくわかっていない女郎の悲哀を歌う設定がおもしろいっていう構造はわかるけど、あそこまで長いと、本来は歌自体を聞かせようとした作劇(歌謡映画の歌謡シーン的な扱い)なのではという印象を受ける。当時は人形浄瑠璃の楽しみ方が現代とはだいぶ違っていたのではないか。今となってはそれを娯楽と受け止められないので、違和感があるのか。映画『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』だったかで、主演の小林旭が(唐突に)持ち歌一曲フルコーラスを歌うシーンがあり、映画館内が「お、おう……」という空気になったのを思い出した。
でも、この場面、たいていオタマジャクシクラス(足が生えてきたような気がするレベル)の子が人形の禿役をやるので、そこには見所がある。まず三味線の手つきに客が全員ハラハラする。曲を覚えている子がいれば覚えていない子がいたり、三味線さんも若い人形遣いさんがやりやすいよう合わせてくれる(?)人と独自路線の人がいたり、お姉さん女郎役のお兄さん人形遣いさんが緊急事態にそなえてオタマジャクシ子をすごい表情で凝視していたり、コクがある。

 

 


道行相合かご。

ご出演の方には本当に申し訳ないんだけど、いるか? 道行……。道行を改作で上演するなら原作重視の意図もないわけだし、それなら封印切で終わったほうが面白い。違う景事つけたほうがまだいいんじゃないか。三輪さんとか、配役ホントにここでいいのかって感じだし。

とはいえ、後半、お地蔵さんが出てからの梅川は官能的で良かった。手ぬぐいで縛り首の振りをする姿に冷たい美しさがあった。左と足の対応が速く、人形が後ろ向きになるときにイイ感じにどいてくれるのも良かった。
そして忠兵衛の羽織落としは淡路町の段切よりこっちのほうがうまくて、「こっちで!?」と思った。

 

  • 義太夫
    淡路町の段
    口=竹本小住太夫/鶴澤清𠀋
    奥=竹本織太夫/竹澤宗助

    封印切の段
    竹本千歳太夫/豊澤富助

    道行相合かご
    梅川 竹本三輪太夫、忠兵衛 豊竹芳穂太夫、豊竹亘太夫、竹本碩太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤清允
  • 人形役割
    手代伊兵衛=桐竹紋臣、国侍甚内=桐竹亀次、母妙閑=吉田勘市、亀屋忠兵衛–桐竹勘十郎、下女まん=吉田玉佳、丹波屋八右衛門–吉田文司、宰領=吉田玉峻、花車=吉田簑一郎、遊女梅川=吉田勘彌、遊女千代歳(下手にいるほう)=吉田玉翔、遊女鳴渡瀬(上手にいるほう)=吉田玉誉、禿=吉田簑悠、太鼓持五兵衛=吉田玉延、駕籠屋–吉田玉路&吉田和馬

 

 

 

今回は、全体的に「長いな〜」という印象が強かった。休憩時間を挟んでいないからというのもあるが、山場作りや緊張感のコントロールの問題だろうか。
配役がいつもと違うのは良かった。同じような配役で同じような演目を何度も観るのは辛い(5月の宵庚申の人形、そうでもしないと間が持たないのはわかるけど、またその配役!?と思ってしまった)。