TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』四巻目 堀江宇治屋市蔵住居の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字四巻目。
放蕩が過ぎた宇治屋の若旦那・市蔵は、隠居した父親・教貞によって蔵へ閉じ込められてしまう。市蔵を心配する手代・半七は毎日蔵の外からに話しかけていたが、市蔵は半七がいないと泣いてしまうまでに。そんな宇治屋へ、小勝・三勝姉妹がこっそり忍んでくる。……って、文楽に出てくる娘さんはもれなく恐ろしくカシマシイので、予想通りの大騒ぎになります。

 

 

いままでの翻刻

 

 

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四巻目

世の中は。一トつかなへば又二つ。三津のうらはに隠れなき堀江の浜に一ト構。表付キさへ

かうばしき其名も宇治屋市蔵は。ほたへ過たる身の奢。親教貞の耳に入こらしめ

の為押シ込て。日のめも見へぬ蔵住居。見る目笑止と半七が。廿日斗の逗留に内と

外トとの咄伽。案じに心草臥て。昼寝の夢を結び居る。儘ならぬ身も儘なるも。人

目のせきがふたと成リ。逢れぬ首尾に逢たいは。色と情の一ト病。小勝はぬしの内の品聞クつら

さより日をかさね。顔見ぬ胸の晴やらではでな所体を町風に。作るとすれど取リ形を。よ

 

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そめ包の頰かぶり風にも。心おく庭の露路の戸口にしよんぼりと。佇跡よりヲ丶イ/\。小声

に呼ンで忍び足。顔を隠せし古今綿。かざす袂のあどなさに。かはゆらしさそまさりけり。ほんに

姉さん嗜んせ。何ぼ心がせくにもせよ。しらぬ所へめつたむしやうに咎られたらどふさんすと。いへば

小勝は吹出し。市蔵様ンに逢たい。連レていてたもらんかと。頼んだわしより頼まれたそなたが。半七

様ンに逢たかろが。利口そふにやられるは。そりやおまへ知レた事。跡月から夕■迄。独ばつかりねた

物と。指合くらず兄弟が。色を取リ持ツ粋な同士。それはそふと折角きても。ぬしのござる所が知レ

ぬ。誰レぞ馴染の男衆が。内になら頼たいとしほり戸覗て。ア誰レやらねて居る人が有ル。ドレ/\

 

と指覗き。ア丶待んせや。着物に見しりが有ル。あれは慥に半七様ン。おこさふにも戸はしめて有ル

爰からは呼れまいし思案はないかとあせる内。小石ひらふて三勝は。障子目当にばら/\/\。目を

さまして大あくび。子供めからがほでてんがうあつたら夢をさまさしたと。つぶやき/\起上るを。爰じや/\

とこて招き。半七見るより興さめ顔。是は何ンじや兄弟づれ。爰へはどふして来りしと。露路の鐉

はづす間も。待チ兼て走リ入。コレ市蔵様ンに逢にきた。早ふ逢してくだんせとと。取リ付クよりも涙声。ヲ丶

道理/\。ふかい馴染の市蔵様。廿日余り逢はずじや物。顔の見たいは尤じやが。見付ケた物はなかつたか。

ひとりさへめに立ツ風。ふたりながらひつそろへて向ふ見ずなわろ達。マアそなたは何しにおじやつた。めつ

 

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ほふな嗜みやと。呵れば寄ツて胸ぐら取リ。コレかさから出てしからんすな。内かたのもめが有レは市蔵

様は見へぬ筈。それに又お前迄。なぜ長町へござんせぬ。子持チに成ツてもふいやか。わしにばつかり気を

もまし。落付キ顔が憎い故。姉様ンと連立ツて。お前をこんやは連レにきた。そふ心得て居さんせと。子のある

中は遠慮なく。ほんの女夫のごとく也。ア丶いかに女子じやとて。よう物を合点しや。生れてから今日

迄。堅い物には筆の軸。ほんにやれ/\。あらい風にも当テぬ様に。そだてられた若旦那。此蔵へ押シ込

て鍵は隠居の腰に付ケ。朝夕の食事さへ窓からの出し入。寒うても着の儘に。夜ルは薄い木綿

蒲団たつた一枚。おいとしいやら悲しいやら。ア心からとは言ながらあんまりなと思ふ故。親旦那に訴訟す

 

れど。おれ次第にして捨ておけと。呵られてしやうことなし。せめてものうさはらしと蔵の窓と縁先キ

から。夜もすがらの浮世咄し。それ故今ては半七が。片時も傍に居ぬと。力ないやら泣てばつかり。

是が外へ出られる物かと。語る内にも。小勝は涙。親は子を憐むが浮世のならひじやないかいな。

いかにこらしめなれば迚あんまりむごいなされかた。よもや夫レではお命もたまるまい。どふぞ思案をし

て下さんせ半七様ンと取付ケば。とかうの詞三勝も涙に袖をあらひけり。折から勝手に人音はなむさん

宝親旦那。見付ケられては叶はぬとうろたゆれば。ふたりも倶にうろ/\と。三勝は奥の庭。小勝は直ク

に縁の下。別れてこそは隠れ居る。程なく隠居教貞は始抹にかたまる堅親仁。常精進

 

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も算用づく。夜昼わかぬたのしみは。念珠の数と紙屑の世話に浮世を遁れしが。遁レがたきは

恩愛に気強くいへどおもやつれ。おも手代の長九郎と御堂参りの道よりも。今市の善右衛門

打列て立帰り。半七けふも奇特の留主番。したがのらめをあまやかし。馳走などはせなんだかと。

問れて半七。イヤ昼食をまいつてから。御寝なつたやら音トも致さず。淋しさにとろ/\と致しました。

したがけふは早いお下向。いかなる事やと尋れば。コリヤ半七息子の泥房にかゝつて。一チ門ン中へ世話をか

け。後生所で有ルまいと。引ずつて戻つた物。早ふなうて何ンとせう。此善右衛門は用人ン。こゝらの様な楽人

とは違ふはやい。ノウ長九郎そふでないか。おつしやればそんな物。何ンのよとくもない事に。御一ツ家衆廻り

 

番。毎日/\いかひ御苦労。サテあの蔵の封印は。何故とうらどへば。ハテ家の名前の市蔵を。押シ込

て置クからは。たとへ親でも金銀を。自由にしやう様はない。ヲ夫レでマア当分ンは。世間ンの取リ引は元トより。

豆板一つの出し入もせまい為。相談して金蔵に。付ケて貰ふた一門ンの封印ン。改メにくる隙ついへと。機

嫌の悪ルいも理り。けふは何ンぞ御馳走申そふ。コリヤ半七。ひしこと芋の焚たので善右殿に御酒一トつ。

進ぜる用意言つきやれ。サア世話ながらこなたへと。行んとせしが立どまり。ソレくはつと奢て花鰹。忘

れまいぞと先キに立。三人打列入にけり。半七跡を見送クりて。サアしてやつた此間に。早ふ/\と手を取レば。

こはさ寒さに身もふるひ。もふよがありかへと立出る。折もこそ有レ長九郎が。小戻りして見る共しらず。

 

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小勝が塵を打はらひ。最前もいふごとく鍵は隠居の腰に有レば。お側也はどふも叶はぬ。窓から

ちよつと逢斗。それでよいかといふ後に。半七夫レはわるからふと。声かけられて恟りし。小勝をちやつと押シ

かこへば。仕やんなとふから見て置イたと。いふにふたりも手持なく。もぢ/\してぞ居たりけり。是は又いつに

ない半七のうぢ付キやう。長九郎と女郎の一トつ買もする男。ぶ粋な事もせぬわいの。深いなしみ

の若旦那。逢たさに見へたであろ。迚も世話をやく気なら。かはいそふに窓からとはいはず共。合鍵して

なと戸前を明ケ。長九郎が逢してやろ。ヤアすりや貴様が飲込で。ハテ長九郎は男じや。ならぬこと

はならぬといふ。成ルといふたら金輪際。詞違へる者じやない。爰はおれに任せ置キ。教貞様が呼ンでご

 

ざる。そなたは早ふ奥行きや。ヱ丶夫レは忝い。あなた方より半七が。骨身にこたへて忘れはせぬ。コレ小勝

様教貞様の呼しやるのに。いかずにゐては首尾が悪ルい。わしは奥へ行程に。てきを頼んでゆるりつと。

逢たら直クにいぬるやう。ナ合点か。いぬる様にと飲込せ。一ト間の内へ入にけり。小勝は嬉しさ飛立ツ斗リ。忝い

長九郎様ン。かふした所を世話やいて下さんすのがほんの情。どふもお礼の詞がないと。いふ顔つく/“\打守り。

イヤ礼には及ぬ。去年ン十月十五日。ぽんと町の借座敷で。いふた事覚てか。ヱ丶其時はむごい返事

それからてうど百日余り。夜に増日に増惚てはゐれど。じつとこたへてしんぼうするは。こんな時節を

待ツたのじや。コレ/\/\長九郎様ン。そりやさもしいム丶聞へた。そふいわんすりや市蔵様ンに。逢してやらふと

 

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いはんしたも。ヲ丶嘘も嘘まつかいな赤嘘。何ンと相談する気はないか。夫レ共にいやなれば。半七が此

内へ。昼中カに女郎を連レて参りましたと。我等が注進。夫レいふたら市蔵殿は。ア丶よいざまで有ふがなア。

但見物なされるか。どふじや/\とせり立テられ。あれ程きつい御異見に又悪様にいかれなば。いか成ルうき

めに逢給はん。是は又よしない所へきた事では有ルぞいなと。心一トつにおさめ兼。暫し詞もないじやくり。ム丶返事

のないはいやさふな。さらば注進申そふと。立て行を引とゝめ。ヲ丶せはしない。どふせうやら今思案の最中と。

和らぐ詞に。コレ/\/\もふ物いふまい相場がしれた。きつう高下のない先キに。手付ケ渡そと抱付クを。突

のけてヲ丶上ミずり。どふせうも知レぬ内に。それならば注進せうか。手付ケ渡そか返がへかと。のつ引キならぬ

 

此場のしぎ。胸にやき金さすごとく。きうびへ登るかんしやくを。おさへ兼しが。コレ長九郎様ン。ハテ夫レ程に

思ふてなら。どふなとじやわいな。したが爰を聞て下さんせ。お前も知ツてゐさんす通リ。突出しの初メから。

深い御恩に預つた市蔵様。たつた一トこと是切で。思ひ切て下さんせ。おまへの為にならぬ故。わたしは

思ひ切ましたと。訳立た其跡で。直クにおまへと抱れて寝よ。夫レ迄のしんぼうを迚もの事にお情

と。誠しやかになたむれば。さすが鬼神に横道なし是ばつかりはうなづいて。夫レてはこちもさつぱりと。心が

晴て忝い。たつた今市蔵に逢せ。直クにのかすが合点か。ハテ疑の深いお方。何ンのうそをつかふぞと

口にはいへど心には。今一チ度お顔を見るならば。それが此世の暇乞。死るが高と究たる。心ぞ思ひやら

 

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れたり。折もこそあれ。悪者の勝次郎門口より。長九郎様。/\と大声にて入来れば。是はと驚く

其内に。首尾を見合せ物かげへ。小勝は隠れ入にけり。長九郎は覚有疵持ツ足の気味悪く。

逃んとするをア丶これ/\。こなさんの名はいふたれど。用事の有のは市蔵殿。贋金仕に逢にきた。逢せ

て貰をとわめく声。半七も三勝も何事やらんと立出て。身をひそめてそ聞ゐたる。わりや

仕業師の勝次郎じやないか。大それた事いふが。こちの旦那市蔵殿が。贋金をしられた。何ぞ

証拠が有か。コレお手代。ない事をいふ物か。いつぞや京の先斗町て。大納言様の冠装束。ノソレ。

ヱ丶悪ルい呑込。貴様も覚へて居られる筈。其時奥で市蔵から。直キにおれが受ケ取た。八十両

 

いふ金。上包にしつかりと。名判が有レは先キ様にも。慥な出所の小判じやと此比迄打込。此間封を切

て見たれば皆贋金。こんなこはい事して置イて。鼻はさんで済か。サア市蔵を爰へ出しや。金

をかへて貰はにやならぬ。夫レ共いやなら思案が有ルと。腰をすへたるねだり者持テあましてそ見へにける。

事がなふへの長九郎。よい事にして打うなづき。ハテ夫レは一大事。ワリヤ旦那にあはざ済ムまいと。蔵へしら

せの窓の戸を。たゝけば内より押開き。顔の色さへ青さめて日かけに咲し朝顔の露にしほれしごとくに

て。涙ながら指覗き。誰レじや。おこしたは誰レじやいやい。イヤ誰でもない勝次郎じや。ヱ丶有リさまは。身

体に似合ぬ。よふ贋金を遣やるなふ。隠れて居すと爰へ出や。顔ふみにじつて礼いふと。わめく

 

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をじろ/\打守る。其元トはさいつ頃。京都先斗町において。桜川大納言殿よりの使イ。今川大学殿

といふ。雑掌にてはあらざるかといふを打けし。ヤアそりや何の事じや。今川の大学のと。爰の内で

はやる書物の事。こちらは夢にも見た事はない。脇道へすべらすな。コリヤ大盗人めとわめきごゑ。

聞キ兼て半七がずつと寄ツてコレ若カい人。ハテよい所へよふこそ/\。ヱ其装束の事に付イて。こつちにも詮

義が有ルと。いへ共さらに驚ず。そちの詮義は扨おいて。こちのせんぎは。市蔵に頼れて。冠装

束買てやつた代金に。贋金をつかんだ故かへにきたと。いふに市蔵ふしぎはれず。其装束は。某を取

かへ子の印シとして。桜川大納言殿より下されたではなかりしか。ハテどめつそうな事いふわろ。八十両で誂

 

買てやつた証拠を見せうと一ツ通を取出し。爰でよむ聞はれや。一札の事。一ツ其方殿を頼ミ。大納

言家の冠装束。代金八十両にて我等買もとめ候所実正也。跡はよむに及ぬ。あてなは此勝

二郎。買主宇治屋市蔵判。ナント覚が有ふがの。此上に酢のこんにやくのと。埒が明ぬと是からすぐ。

此一ツ通に小判を添。代官所へ一ト走リ。返ン事次第じやサア/\と。いやおふいはせぬせつぱのなんぎ。訳を知ツたる

長九郎が空うそふくぞ恐ろしし。市蔵ハツト驚きて。扨は其時装束を。頂戴せしとの墨付キに。

我印ン判を居させしは。アノ証文で有しよな。スリヤ。大納言の種といふは偽り事か。ハア。ア丶勿体なや

教貞様を。誠の親でないと心得。言こそせね心では。町人に養はれし。此身のふ運と明ケくれに。ふ足

 

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で暮せし冥加しらず。御赦されてと斗リにて。夢のさめたる心地にて涙に。むせぶぞ道理なる。半七は

始終を聞キ。扨は大勢一トつに成リ。若旦那を衒しな。代官所へ引ずり出し。一チ々に詮義せうか。イヤ/\夫レでは市

蔵殿。ばつと沙汰する奢の段。一ト先ツ此場は納めんと胸押シなでゝ傍に寄リ。段々聞ケば御尤。贋金子

十両。只今替て進ぜたいが。見らるゝ通り市蔵様も。あのごとくに押シ込られて難義の中カ。暫く

の内用捨して下され。コレ此形が目にかゝらぬか。八十両といふ金を。手に持て居る身体なら。こんな

世話はせぬわいの。装束屋への立テ金。おれが待ツてもあつちに待ぬ。代官所でかへて貰をと立上る。今

暫しと留てととまらぬ悪ル者は。足元見ての高ゆすり。隠れて聞居る善右衛門。ずつと出て懐

 

より。金八十両投ケ出し。コレ半七。難義の体じや借てやる。埒明ケていなしてしまや。ヱイそれは忝や。然ら

ば暫し借用と。金取リ上るをコレ半七。お手前も知ル通り。大和中に隠れもない。金借の善右衛門。もしも

の事が有ツた時。こつちから望んで借金。あてがなうて言出そか。コレちよつと証文さしやらぬか。ア丶それは

よい御念。サア市蔵様。預リ手形と硯料紙を取リ出せば。コレ半七。てきが手形は望にない。借リ主はみのや

の三勝。請判は茜屋半七。それでなければ借サれぬと。思ひも寄ぬ手形の望。ハット思へど手詰の難

義。夫レはお安い事ながら。此所に三勝がとうぢ付クを長九郎がイヤこれ半七。三勝はきてそふな。マア呼

出しあたつて見や。ヲ丶それ/\。天に口。壁に耳を揃て出した八十両と。いふにぜひなく。三勝はおめず

 

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臆せず立出て。私が手形で済事なら。何枚なりと致しませうと。硯料紙を引寄スれば。善右衛門

ゑつぼに入ハア出来た。半七の主なれば切て出ねばならぬ所。扨と手形の文言ンは。八十両を銀に直し。

四貫八百目也。ソレ/\。ホウきつい手も見事じやは。時にと。右之銀子慥に預リ申候。来ル霜月

晦日に相済マして申候。万ン一チ日チ限に相済ミ申さず候はゞ。我等其元ト様の女房に成リ申べく候。と

いふに三勝ぎよつとして。コリヤまあ何ンの事じやいな。其様な証文を書事は。いやでござんす。アタめつ

そふなと筆も紙も投ケ付クれば。ム丶いやか。いやなら金といやでござんす。ドレこつちへ戻して貰はふ

と。取上るを半七がちやつとおさへて待ツた/\。いかにも。証文書せましよと。三勝が傍に寄リ。コレ其

 

手形を書イてたも。それでも済ねば女房に。ハテそれ迄には金を済す。でもマアよう思ふて見て

下さんせ。お前の為なら今爰で。火に入ル迚もいとはねど。現在夫トの見る前で。サアそなたの其。せつ

ない心根を。知ていふ半七じや。サアこれお主の為。夫トの為。頼ム/\と持添る。筆の命毛きへなばきへよ。

銀が敵のうき身ぞと。すゝめるおれが胸の内。思ひやつてたもいのと頼ム心を市蔵も。隠れし小勝

もそつと出。つらきは同じ夫マ思ひ。我故かゝる御難義と。声も得立ず忍び泣。末は思ひとかきく

もる。おぼろ月日の其下に。我名と宛名。書キ認め。半七も名判をすへ。是でよいか御らうじませ。

ドレ/\。ヲ丶よし/\。印ン判は筆の軸でも。手形の書人が三勝慥ゝ。扨我等はお暇申。長九郎。其内

 

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逢ふ。モウお帰りなさるか。ア丶善右衛門様きつい仕合。歩のよい金を慥な借物。ちつと飲に参ふかい。

ヲ丶いつなりと振舞/\。勝手におしやと証文を押シ戴て立帰る。サア金の工面がよくば。早ふかへて

貰ひたい。お手代殿どふでごんすと。せり立るに半七は口惜ながら金取上。此贋金の出所も。装束の

作者も。詮義すれば忽に。しれるとは知ツたれど。了簡して今は帰す。重て此家へふん込ムと。たゝきの

めすぞ早帰れと。金打付クれば取リ上ケて。是さへ取レば言分ンなし。詮義があらば勝ツ手になされ。お暇申スと

悪ル者は。長九郎とうな付キ合イ足早にこそ立帰る。半七件の贋金を人に見せじとおさめ置キ。コレ三勝。

モウ爰に用はない。小勝殿を連レてきて。市蔵様にちよつと逢せ。くれぬ内に早ふいにや。アイそん

 

なら姉様ン呼出して。逢せましたらいにやんしよと。身つくろひして居る所に。三勝に用が有ル。いなせ

てくれなと立出るは。思ひも寄ぬ教貞老。書物箱を小脇に抅。十徳着ながら座敷を

杖。つく/“\見廻す顔色に市蔵も気味悪ルく。窓をしめれば三勝半七。隠れ所も中庭の。

穴にも入たき風情なり。教貞どつかと座に直り。舞子の三勝とはお手前か。ハテめづらしい能

女房。此親仁は此年シ迄。終に茶屋揚屋の座敷。上つた事もおじやらぬ。元トより舞子も。

媚人も一座した事がない。一生の思ひ出。願ふてもなきついて。盃なりとしてみたい。ヤイ/\銚子

盃持ツてこいと案の外なる機嫌の体。心済ねど半七が気転きかして酒肴。取合せてぞ

 

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持出る。ドレ近カ付キに成ル為。呑でさそふ。半七酌といつにない一トつ受ケてついとほし。年寄リの盃キ。気

にいらずお一トつ参れと。三勝が前に置キ肴鉢引寄スれば。コレハ/\冥加ない思い設ぬお盃キ。下さ

れませうと取リ上る。それは過分なさらば祝ふて生ぐさ物。ハア久しぶりでひしこに対面。かげん見て

からはさまふと。手に受ケれは長九郎。ア丶申御隠居様。常精進なさるゝ身で。鰯をなぜにあがり

ますといふをも聞ず口にいれ。常精進を取リ置イて。此教貞は還俗する。証拠を見るかと十

徳を引退れば。郡内の裾も見じかき昔羽織。あたまはかますの投頭巾興はさめ。てこそ見へ

にけれ。教貞膝を立テ直し。年寄つて此姿。気違ひか共思はふが。めつたにとぼける親仁じや


ない。家の主ジ市蔵は。此かいに又と有ルまい大たわけ。押込ンで置イたれば。けふからおれが宇治屋の市蔵。

身体を取リ戻し。家の仕置キはおれがすると。心詞も達者作り朝寝嫌ひと見へにけり。長九郎

は今迄の我儘が成ルまじと。気の毒ながら手をつかへ。是は尤至極な御思案。そふなされすば成リま

すまい。しかし。其義を私共へ仰られるに。其は箱は何故御持参なされました。ヲ丶おれもけふから寺

入して。そちに学文ン習為。サアお師匠と書物箱引寄セて。行義つくるぞおかしけれ。コレハ又かはつ

たお望ミ。成ル程御師範申シませうが。何をお習なされます。ヲ丶夫レにはおれが望有ル。家の旦那をそゝ

なかし。あほうにする学文を。教てくれい長九郎と。ぐつと言出す一ト■に。恟したる二人より。長九郎が

 

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胸板に。釘打たるゝよりこたゆれど。じつとおさめてハア丶丶丶。いつにない御酒をあがり。御酔狂を遊ばすか

と。いひも果ぬに教貞は。立上つてたぶさをつかみ。ぐつと引よせじだんだふみ。ヱ丶扨々につくい儕レはなア。

何ンじや。おれを酒の酔にしおるのか。是迄は隠居役。今市蔵に成ルからは。隅々迄構はにやならぬ。

かういへば躮めが。ひいきする様なれど。まんざらあれ程のあほうでもなかつた。儕レが見せの頭をして。物

事自由にする段から。色々のたわけを教へ。マア有ふ事か有ルまい事か。氏系図もなき町人が。お

公家様の落し子じやと。冥加なや勿体なや。百万ン宝の宝ラをも子にはかへぬ世のならひ。金は躮

が砂とする。躮はうぬがあほうにする。アレ見よふ便ンや市蔵めが。心からとは言ながら。日のめを拝ぬ

 

夜国の住居。天の網のかゝらぬ内。捕てしめたは親の慈悲。じひと思へど寝覚にも。屋の内

でひへはせぬか。若気の短気が出よふかと。思へば願ふた後生も涙であへて仕廻たはやい。憎い

やつと突放し。いかりつ泣つ腹立涙せぐり。上たるむせび泣御心共お道理共。詞はなくて半七が。背

撫さするも涙なり。元来根づよふ仕込ミし悪ル者みぢんもひるまず。そりや御隠居様御むた

いじや。善にもせよ悪にもせよ。主の御意はそむかれませぬ。こなたの子のあほうはしからず。おれ一人リを

悪ル者になさるゝは。わるい/\ずんど悪ルい。ム丶すりや。善悪に限らず。主の言付ケ背ぬな。サアそこが

君ン臣和するの道理。気に入ルが道じや物。何ンの詞を背ませう。ム丶面白い/\。主の詞を背かすば。

 

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太義ながら半七。此杖で長九郎が。どう腰のぬける程。ぶつて/\ぶちのめせ。長九郎たゝかれい。

市蔵といふ主人の言付ケ。サアいやおふは有ルまいといふに恟りイヤ夫レは。主の詞を背くのか。ソレ半七と

杖投ケやり。早ふ/\とせり立れば。願ふてもないお主の御用と。杖追ツ取て振リ上れば。わりや見事お

れをぶつか。イ丶ヤおれはぶたね共。旦那の言付ケ。せう事ないといふ内に投ケてくれんと取付クを引ぱづし

てもんどりうたせ。起上る胴骨を。おれよさけよと遠慮なくたゝみかけて打のめせば。三勝は小気

味よくもちつとたゝいて/\と。そばであせるも道理なれ。長九郎顔をしかめてアイタ/\。旦那さま。

おつしやつた通たゝかれました。ヲ丶てかした/\。ついでに暇をやる程に。すぐに出てうせおらふ。ヱ丶。但シいや

 

なら召シ遣ひ。又半七に言つきよか。ア丶いやゝの/\。命在ツての奉公じや。コリヤ半七。覚ておれと

にらみ付ケ。へらず口して出て行。かゝる所へ町の役人あはたゝ敷クかけ来り。代官所より市蔵様を。明

日早々連レてこいと町中へのお使。おしらせ申スと言捨てとつかはとして立帰る。教貞ハツト胸ふさ

がり。扨は天命まぬかれず。奢の沙汰が聞へしかと。がつくりと成ル有様に。二人リも[革可]*1て顔見合倶に。

胸をぞいためける。思案を極め半七が小声に成ツて申御隠居様。若旦那を代官所へ出しまし

ては覚束ない。今宵の内いづかたへもお供致しませう。イ丶ヤさふは成リにくい。三勝の志。物かげで聞たが。

戻したい物も有レど。市蔵めを正さぬ内。長九郎めに金銀を。自由にさせまい為ばつかり。

 

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一チ門中と相談して。金蔵ラに封を付ケさせ。いかに自分ンの金じや迚。気儘に封も切ラれず。三勝へ

の礼も得いはず。是程迄義理ばつて。一生偽りいはぬ教貞。親が子をぬけさせて知ラぬとはいはれぬ。

どふであいつは。此宇治屋の家に疵をかな付ケおらふ。ハテ何ンとせう。憂目を見るは躮も覚悟。あす

うせたら十ヲが九つまんそくでは戻るまい。聞ケばあいつが相かたに。小勝とやらいふ女郎が有ルげな。此箱を

筐にながめよと。渡してたもれ頼んだぞ。ア丶五六年生キ過キた。くるしうおじやると言捨てなく/\奥へ入に

けり。小勝は夢かと転び出。現在憂目に逢イ給ふをしつて居ながら恐ろしい。代官所へやります

とは。ほんに気づよい親御様。それにマア何ンじややら。死ンだお方か何ンぞのやうに。筐とはいまいましいと。

 

書物箱を投ケ付クれば。ふたもはなれてばら/\と。砕ける中に鍵一トつ。半七目早くヤア是は蔵の

鍵。ヱ丶有がたしといたゞけば。二人リも案に相違して伏拝/\。戸前の錠を引明ケて。早ふお出と市蔵が。

手を引出んとする所へ。長九郎取てかへし。市蔵が奢の様子。早代官所へ聞へし故。明日お呼ばさるゝをちく

でんせうとはのぶといやつら。そふはさせぬと取リ付クを。半七得たりと身をかはし。腕捻上ケてゑりがみつ

かみ。蔵の戸前へねぢ付ケてよは腰どうと踏とばし。又取リ付クをひつ掴蔵へ投ケ込ムさそくの早

わざ。外トよりひつしやり戸前に錠。サア/\此間に/\と四人打連レ逸散に跡をも。しらずして

 
(五巻目に続く)

*1:革+可で「あきれ」

文楽 『義経千本桜』全段のあらすじと整理

義経千本桜』の全段のあらすじ、時系列・舞台まとめ。

2020年4月大阪公演は残念ながら全日程公演中止になってしまったが、5月東京が無事全日程公演できることを祈って、公開します。

 

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┃ 概要

人形浄瑠璃黄金期の時代浄瑠璃
源平の合戦が終焉し、源氏の世が訪れた頃。平家の武将、知盛・維盛・教経は源義経に討ち取られたと思われていたが、頼朝の前に供されたそれは実は偽首で、本物は市井にまぎれてそれぞれに行動を起こしていたという着想の物語。

源義経は兄からは謀反を疑われ、後白河法皇からは「初音の鼓」を下賜されて兄を討つように命じられて両者の板挟みになり、「初音の鼓」を静御前に預け、都を離れて流浪の旅に。その行く先で義経は姿を変えた平家の武将たちに出会う。

延享4年(1747)竹本座初演。作者は二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳*1(正本による)。

 

 

 

┃ 時系列・舞台

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┃ 舞台MAP

ピンをタップすると、地名と段名([]書きは現在の地名)が出ます。

初段:イエローピン
二段目:ブルーピン
三段目:バイオレットピン
四段目:ピンクピン(ピンクのルートは道行)
五段目:グリーンピン

 

 

 

┃ 登場人物

藤原朝方 〈前期=吉田玉助/後期=吉田玉志〉
左大臣、左大将を兼任する悪人。後白河法皇院宣にかこつけて義経を陥れようとする。若葉の内侍に執心しており、その夫維盛入水と聞いてチャンス〜!と思っている。

後白河法皇
舞台上には姿を見せない最高権力者。源頼朝と緊張関係にあり、初音の鼓に寄せて義経に兄を討たせようとしているようだが、その本心は誰にもわからない。

源義経 〈吉田文昇〉
源頼朝の弟。平家討伐で大きな軍功を上げるも、兄から謀反を疑われ不和となる。初音の鼓を受領したことによって兄を討つ命を受けるが、ひとまず「鼓を打たなければよい」という頓知で切り抜ける。

武蔵坊弁慶 〈吉田玉佳〉
義経の忠実な家臣。ブッキラボーでやたら気の早い性格。義経にかけては乙女。首占いをする(引っこ抜いた首を投げてそれが転んだ方向が義経の向かった先だという独自の発想の占い)。

猪熊大之進 〈吉田玉勢〉
藤原朝方の家臣🐗🐻。弁慶とぎゃーぎゃー喧嘩したり、吉野まで出張したりと、わりと活躍する。

初音の鼓
打ち鳴らせば雨を呼ぶという小鼓で、義経がかねてより所望していた。両側に張ってある皮は源九郎狐のパパ狐&ママ狐。*2登場人物ではないですが、ピーターラビットのお父さん感覚で載せてみました。

若葉の内侍 〈吉田簑二郎〉
小松三位・平維盛の妻。息子・六代君とともに浄心尼の庵室に身を寄せている。

六代君  〈前期=桐竹勘介/後期=吉田玉路〉
平維盛と若葉の内侍のあいだに生まれた息子。おなかがいたくなりがち。

浄心尼 〈吉田簑一郎〉
若葉の内侍と六代君が身を寄せる北嵯峨の庵室の老尼。かつて維盛の館に奉公していた。
(注:丸本では本文中に名前は出てこない)

小金吾武里 〈吉田一輔〉
維盛に仕えていた主馬。維盛が消息不明になった後は菅笠売りに身をやつし、その行方を追っていた。北嵯峨の庵室に身を寄せていた若葉の内侍、六代君とともに大和へ旅立つ。

卿の君 〈桐竹紋臣〉
義経正室平時忠の娘。ただし時忠は養父で、実の父は河越太郎。*3

静御前 〈豊松清十郎〉
義経の愛妾の白拍子。卿の君とは仲良し。義経都落ちをするとき、「初音の鼓」を預かる。

駿河次郎〈桐竹紋秀〉・亀井六郎〈吉田文哉〉
義経の家臣。いつもついてくる。

河越太郎重頼 〈吉田文司〉
鎌倉方の評定。頼朝に遣わされて堀川御所を来訪、義経へ3つの不審を詮議する。実は卿の君の実父。

土佐坊正尊 〈前期=吉田玉誉/後期=吉田簑太郎〉
頼朝によって河越太郎と同時に派遣された討手。河越太郎の詮議が終わるまでは攻め入らないことになっていたがそれを違え、弁慶と交戦する。そのせいで首占いの素材にされることに……⤵️

逸見藤太 〈吉田勘市〉
土佐坊の家臣。出てきてすぐ始末されるかわいそうな人。

佐藤忠信🦊 〈桐竹勘十郎
義経の家臣。八島の戦いで義経を守って討死した佐藤次信の弟。八島の戦いののち、母の看病のため帰省していたが、義経の危機を聞いて都へ戻った。義経から「九郎義経」の名を賜り、静御前を守って旅をするが、「初音の鼓」の音を聞くとなんだか微妙に様子がおかしくなる。……と思っていたら、その正体は400年の歳を経た狐で、狩られた父母がその皮にされた「初音の鼓」を慕って佐藤忠信に化けて鼓についてきていたのだった。

渡海屋銀平(新中納言平知盛 〈吉田玉男
大物浦でも有名な廻船問屋・渡海屋を営む町人。鎌倉武士の詮議にもひるまず、町人とは思えない性根。その正体は八島の海に沈んだと思われていた平知盛だった。安徳天皇を守護し、平家再興の時を狙っている。

おりう(典侍局) 〈吉田和生〉
銀平の妻。お安の世話をしながら船宿の切り盛りをしている。実は安徳天皇の乳人・典侍局。

お安(安徳天皇 〈桐竹勘次郎〉
銀平とおりうの娘。ちびっこながらかしこく、言われなくても自分でちゃんと勉強ができるタイプ。不思議な力を持っていると思われていたが、その正体は安徳天皇。清盛の虚栄のため、姫宮ながら男宮と偽って帝位につけられた。

相模五郎 〈吉田清五郎〉
北条時政の家臣を名乗り、渡海屋へやってきた粗暴者。その正体は平知盛の家臣だった。

入江丹蔵 〈前期=桐竹紋吉/後期=吉田玉翔〉
平知盛の家臣。一瞬だけ出てきてすぐ自害。

いがみの権太 〈前期=吉田玉志/後期=吉田玉助
本名は権太郎。盗みや強請りの常習犯ゆえに村の者からは「いがみの権太」と呼ばれ疎まれている。下市村の鮓屋・弥助の長男ながら、素行を咎められて父・弥左衛門から勘当された。

小仙 〈吉田勘彌〉
権太の妻。かつては私娼だったが、今では街道筋で茶店を営んで暮らしている。夫とは全く異なる気持ちのよい性格。

善太 〈前期=吉田和馬/後期=吉田簑之〉
権太と小仙の息子。あかんぼの頃から腹痛ひとつ起こしたことのない元気な子。

弥左衛門 〈吉田玉也〉
下市で有名な釣瓶鮓屋・弥助の先代主人。現在は手代・弥助に名跡を譲っている(「弥助」というのが主人の名跡)。権太、お里の父。厳格な性格。重盛に恩義があり、その嫡子・維盛を町人と偽ってかくまっている。

お里 〈すしや前=吉田簑助/後=吉田簑紫郎〉
鮓屋・弥助の看板娘。弥左衛門の娘、権太の妹。母とともにお店で接客をしている。弥助に恋心を抱いていて、今夜の祝言にワクワク💕

弥助(三位の中将 平維盛 〈吉田玉男
弥左衛門に見出され、鮓屋・弥助の家督を譲られ当主となった青年。ド田舎におるわけない二次元みたいなイケメンだと思っていたら、正体は平維盛だった。

弥左衛門女房 〈桐竹勘壽〉
弥左衛門の妻、権太・お里兄妹の母。権太に甘く、嘘にすぐ騙される。

梶原景時 〈吉田玉輝〉
鎌倉からの上使。源頼朝に命じられ、維盛詮議のため吉野を訪れる。ゲジゲジの異名があり嫌われているが、実は歌に心を寄せるもののふ。(え? あの文字、この人のアイデアだったの??)

吉野の百姓ズ
吉野の蔵王堂のお掃除に駆り出されている人々。雑談しながら適当に掃除している。

山科の法橋坊梅本の鬼佐渡返り坂の薬医坊
金峰山の荒法師たち。太刀を佩いて武装している。

川連法眼
吉野山の検校、その威厳で荒々しい衆徒たちを束ねる。師・東光坊の縁で義経を館にかくまう。

横川の覚範(能登守教経)
法橋坊のもとに身を寄せている聡明な客僧。堂々とした体躯で、大きな太刀を佩いている。正体は八島で入水したと思われていた能登守教経。水泳が得意。

飛鳥
川連法眼の妻。兄は頼朝の重臣・茨城左衛門。

佐藤忠信(人間) 〈桐竹亀次〉
義経の家臣。故郷から戻って直接川連法眼の館へ参上したところ、義経と話が合わなくて叱られるが、ホントに今来たばっかりだから仕方ない。

 

 

 

┃ 初段 「初音の鼓」の義経下賜と頼朝の3つの疑念

大序 仙洞御所の段

−元暦2年[1185]6月 後白河法皇の御所−

  • 「初音の鼓」の下賜と朝方の謀略

源平の合戦が終わり、源氏全盛の世となった頃。安徳天皇が八島で入水したのち、政を執り行うのは後白河法皇となり*4、その側近に仕える藤原朝方は立場を利用して思うがままに振舞っていた。
その御所へ、源義経とその供・武蔵坊弁慶がやってくる。義経は朝方に命じられ、後白河法皇へ八島の合戦と平家一門の最期の様子を詳しく語って聞かせるが、それほどの武功がありながら兄頼朝に追い返されたのは何故かと朝方が問う。弁慶が進み出て、それは手柄をもたない範頼の讒言によるもので、精査しなかったのは頼朝の不備だと言う。弁慶は無礼であると義経に叱りつけられ、朝方は後白河法皇に奏上するとして御殿深くへ入る。
朝方が去ると、その諸太夫*5・猪熊大之進🐗🐻がやってきて、維盛の妻・若葉の内侍を片付けてしまわないのはなぜかと義経に問う。女子供に構う必要はないと答える義経に、猪熊は「朝方は若葉の内侍に執心しているのでどう扱ってもこっちの勝手」と言い出し(腰巾着特有の謎の唐突論法)、弁慶は平家の女を引き入れるのはならぬとつっかかる。すると猪熊は、義経平時忠*6の婿ではないかと言い、弁慶と低レベルな喧嘩になる(二人ともアホなので)。
やがて朝方が姿を見せ、後白河法皇より院宣とともに禁庭の宝「初音の鼓」を義経に下賜するとして箱を差し出す。雨を呼ぶという「初音の鼓」は、軍略にいかそうと義経がかねてより所望していた品だった。義経が箱を開けてみると、中身は鼓のみ。朝方は鼓こそが院宣であるとして、鼓の表と裏は頼朝・義経の兄弟を象徴しており、その鼓を打つこと=後白河法皇に敵対する頼朝を討つことが院宣であると告げる。義経は兄を討つことはできず鼓を受け取らないと返答するも、綸言は取り消せないとして許されない。怒った弁慶は院宣が不適切なら側にいる公家が諌めるべき、出直してこいと朝方につっかかるが、義経に厳しく叱り付けられ、目通りを禁じられる。
義経は、鼓を受け取らなければ法皇に背き、受け取れば兄に背くが、拝領しても打たなければ道理に外れないとして鼓を受け取り、御所を退出するのだった。
(「初音の鼓」を下賜されるくだりは現行床本では一部カットがあり、院宣に添えて鼓を下賜する設定ではなく、鼓のみを下賜する設定になっている)

太夫=竹本碩太夫、豊竹亘太夫、竹本小住太夫、豊竹咲寿太夫/三味線=鶴澤清方、鶴澤清允、鶴澤燕二郎、野澤錦吾、鶴澤清公〉

 

 

 

北嵯峨の段

−元暦2年[1185]8月1日 北嵯峨の庵室−

  • 身を隠す維盛の妻・若葉の内侍と子息・六代君
  • 主馬小金吾の来訪と朝方の追っ手
  • 内侍一行、高野山へ出立

平家が都を追われた後、三位の中将維盛の妻・若葉の内侍とその子・六代君は、北嵯峨の庵室に身を寄せていた。維盛の生死の噂は様々に流れているが、若葉の内侍は夫が都を旅立った日をその命日と思っていた。きょうは維盛の父・平重盛の命日。若葉の内侍は香華をとって閼伽の水を供えようと、浄心尼を手伝って水を汲み、御殿にいた頃の衣装に着替え、重盛の絵像を壁にかけて手を合わせる。
そうしていると足音が聞こえてきたので、浄心尼は枕屏風で若葉の内侍の姿を隠す。やがて村の歩きがやってきて、浄心尼に庄屋まで判を持って来るように伝言する。普段とは違う歩きが来たことに不審がる浄心尼。村の歩きは庵室でいかがわしい商売をしているのではないかとひとしきり見回すと、早く来るように言って去っていく。歩きが去った後に若葉の内侍の草履がなくなっていることに気づいた浄心尼は涙ぐみ、一同はこのような憂き目に遭うことを悲しむ。(現行では村の歩きのくだりはカット)
そんな庵室へ、朗らかな菅笠売りがやってくる。その正体は、維盛に仕えていた主馬・小金吾武里だった。小金吾はひとしきりの挨拶を終えると、維盛が高野山へ入ったとの確かな噂があるため、六代君とともに高野山へ行って維盛に会わせたいという参上の旨を伝える。若葉の内侍は、高野山は女人禁制だが麓までは自分も行きたいと言い、一同は旅立ちの用意をする。
そのとき外で足音がして、浄心尼は若葉の内侍と六代君を仏壇の下の戸棚へ隠す。やって来たのは猪熊大之進🐗🐻。ドヤドヤと庵の内へ入り込んで、若葉の内侍と六代君を出すよう浄心尼に言いつける。尼と小金吾はしらばくれるが、猪熊は若葉の草履を取り出し、老尼がこのような履物を持っているはずがないと言う。さきほど来た村の歩きは、実は猪熊の家来が化けたものだった。猪熊は浄心尼を捻じ上げて拷問するとして奥の間へ入る。
その隙を見た小金吾は、菅笠売りの荷物に内侍と六代君を入らせ、重盛の絵像を回収する。奥の間から出てきた猪熊が女子供の姿を見なかったかと尋ねるので、小金吾が庵室の裏伝いを身分の高そうな女が子供を連れて逃げて行ったと教えると、猪熊は「それだ〜!!」とばかりに追って行った。小金吾はその隙に荷を背負って出て行こうとするが、浄心尼の見張りに残っていた猪熊の家来に荷物の隙間から女の着物が出ていると引き止められる。小金吾は飛びかかってくる家来2人を倒し、再び菅笠売りのふりをして北嵯峨を後にするのであった。

太夫=豊竹希太夫/三味線=竹澤團吾〉

 

 

 

堀川御所の段

−元暦2年[1185]8月後半 京二条堀川御所−

  • 鎌倉の上使・河越太郎と3つの不審
  • 卿の君の自害
  • 義経都落ち

堀川御所では、病気がちだった義経の正妻・卿の君を力づけるために静御前の舞の催しが執り行われ、義経、卿の君、義経の家臣・駿河次郎亀井六郎らがそれを鑑賞して大いに盛り上がっていた。
良い慰みになったと喜ぶ卿の君に、静御前は願いがあると申し出る。それは、義経に弁慶を許すよう執り成して欲しいというものだった。弁慶の頼みの綱の仲良し家臣たちは休暇で帰国中のため、静の楽屋へやってきてほろほろ泣いて頼んだというので、みなホッコリ☺️ 義経は、もうちょっと懲らしめておくところだけど、注意して荒気を出さないように言いつけようとして、駿河・亀井を連れて奥へと入っていく。そうして静御前と卿の君が喜んでいると、弁慶が腰元らに連れられておずおずとやってくる。卿の君が「君は船なり、臣は水なり」と、臣下が波立つことがあれば主君の船を覆すことがあるので、荒気はやめて大人しくしなさいと教え諭すと、弁慶はただひたすら謝るのだった。(現行ここまでカット)

そこへ斥候がやって来て、土佐坊正尊・海野太郎が義経の討手としてこちらへ向かっているとの噂があること、そして鎌倉方の大老・河越太郎重頼が直談あるとして次の間に控えていることを報告する。卿の君は河越太郎は自分に縁があると言って、義経の前に通すよう申し渡し、自らも弁慶・静御前を連れて義経のいる奥の殿へ向かう。
ほどなく大紋烏帽子姿の河越太郎がやって来て、義経に恭しく挨拶をする。河越は、頼朝は義経に対して3つの不審を抱いていると言い、その返答によっては自分も土佐坊たと同様の討手だと答える。
頼朝の1つ目の不審は、「平家討伐という軍功を立てながら、頼朝との面会を許されず腰越で追い返されたのは無念ではないか」ということ。義経は兄に使える礼儀を重んじれば無念と思わないと答える。
河越は続いて第2の不審「平家の首のうち、新中納言知盛、三位の中将維盛、能登守教経の首が偽物だったのはどういうことか」を問う。義経は、偽首は天下を一旦鎮めるための計略であると釈明する。各地に散る平家の残党は今も蜂起を狙っており、平重盛の嫡子・維盛、あるいは知盛や教経のような者の生存が知れれば再び動乱が起こるため、死んだという風聞を流し、その裏で家臣らを休暇と偽って全国へ遣わし、残党を討ち取る手筈になっていると言う。同じ清和源氏の子孫でありながら頼朝は栄華を謳歌し、自らは朝廷に平身低頭する身の上を嘆く義経に、河越は「それ故に謀反を企てたのか」と問う。それは、義経が頼朝を討つ院宣を乞うために「初音の鼓」を拝領したと、朝方が頼朝へ讒言していたのであった。義経は「初音の鼓」はもとより所望していたが、下賜される段になって兄頼朝を討つ意味が付け加えられたことを語り、拝領はしても飾ってあるばかりで手に触れていないことを語る。
河越太郎は先の2つの不審への答えは真実としつつ、第3の不審「なぜ平家と縁組し、平時忠の娘である卿の君を妻となしたのか」を問う。すると義経は逆に、頼朝の妻・政子は平家に連なる北条時政の娘ではないかと言うので、河越はそれは北条家を味方につける政略結婚であると答える。義経は、卿の君は実は河越太郎の実の娘であり、平時忠はあくまで養父、なぜそれを頼朝に申し開きしなかったのか、義経と縁があると身の瑕瑾と思い隠したのかと河越に問う。河越は義経を婿に持っていることを誇りに思っており、隠すつもりはないと言う。しかし讒者の勢力が強い今、縁故があると明かしても、縁者による庇い立てとなって聞き入れあるまいと語り、義経に卑怯者と思われることが恥ずかしいとして、河越は差添を抜いて自害しようとする。
そこへ卿の君が走り出てきて「その言い訳は自ら」と差添を奪い取り、自分の喉に突き立てる。義経は驚き、静御前は卿の君を抱き上げてうろたえる中、河越太郎は涙を隠し、自らの命と引き換えに頼朝の疑惑を打ち消し、義経との仲を取り持った卿の君の覚悟を褒め称える。河越太郎が差添を抜いたのは、卿の君に自害をさせるための狂言だった。卿の君は静御前へは義経の今後を、河越太郎へは時忠の娘の首を頼朝へ差し出すことで兄弟の和睦をさせて欲しいと頼む。河越が涙を呑んで介錯の刀を抜くと、卿の君は最後にたった一言娘と言って欲しいと乞うが、父は親子の名乗りは来世でと語り、卿の君の首を落とすのだった。
一同が泣き沈んでいるところへ陣太鼓の音が聞こえ、土佐坊・海野が攻め入ってきたことが知れる。河越は彼らも頼朝の上使で、それに過ちあって頼朝への謀反も同然として、追い返すか遠矢で防ぐように言い、それを承知した亀井らが威嚇攻撃に向かう。義経は一番無分別な弁慶を心配し呼び出そうとするが、すでにすっ飛んでいった後だった。義経静御前に命じて弁慶を止めに行かせるが、亀井らが駆け戻ってきて、弁慶が海野太郎を打ち砕いて討手らを殺してしまったことを報告する。河越太郎は弁慶の粗忽な行動に卿の君の死が無駄になったことを悔やむ。義経はすべて自らの傾く運のなす業、弁慶の粗暴を理由に都を退けば勅命にも背かず、頼朝の怒りも治るだろうと語り、出立を決意する。河越は床に飾られた「初音の鼓」を取り、兄弟の和睦は自分が執り持つので鼓を持って行くよう義経に勧める。義経は鼓を受け取ると、河越に頼朝との和睦の執り成しを頼み、駿河・亀井を供に館を出ていき、河越もまた鎌倉へと帰っていった。
やがて弁慶が戻ってきて、海野を倒し土佐坊を生け捕ったと大声を上げるが、館は静まり返っている。馬上に捕らえられていた土佐坊は上帯を引き切って仲間を呼び寄せ、弁慶を取り囲ませるが、弁慶は軍卒たちを次々なぎ倒し、土佐坊を再び引っ掴んで義経や卿の君、家臣らを探し回るも、誰も見当たらない。土佐坊が逃げ回ったせいでお供に遅れたと思った弁慶は土佐坊の首を引っこ抜いて放り投げ、それが倒れた方向で義経の行方を占い、主人を追っていくのであった。(そんな文楽センス丸出しの「あ〜した天気にな〜れ☺️」みたいなことある?)

〈奥:太夫=豊竹藤太夫/三味線=鶴澤清友 アト:太夫=竹本小住太夫/三味線=鶴澤寛太郎〉

 

 

 

┃ 二段目 義経の旅立ちと大物浦の廻船問屋

伏見稲荷の段

−元暦2年[1185]8月後半 前段の直後 夜明け前 伏見稲荷鳥居前−

堀川御所から出立し大和路を急ぐ義経亀井六郎駿河次郎の一行は、伏見稲荷に差しかかっていた。
義経らが都落ちと卿の君の死の無念を語らっていると、静御前が追いついてきて義経に抱きつき、置いてけぼりを恨み泣きする。行く先の多武の峰は女人禁制であり、女性を同道してはどう思われることかと駿河次郎静御前をなだめていると、息せき切った弁慶が追いついてきて、土佐坊や海野を始末していたため遅参したと言う。義経は扇で弁慶を叩き立てるが、弁慶は何故義経が怒っているのかわからない。義経が弁慶の軽率な行動で河越太郎の誠意や卿の君の犠牲が無駄になったと叱りつけると、弁慶は知らなかったこととはいえ義経の身に危険が及んでいては何もしないではいられない、それも義経が漂白せざるを得なくなったためだとして、拳を握りしめて泣く。静や駿河の口添えもあり、義経は母の看病で帰郷中の家臣・佐藤忠信の代わりとして、弁慶を同道することを許す。
弁慶が喜んでいると、今度は静御前が弁慶に義経同道の執り成しを頼むと言い出す。弁慶は静が自分の執り成しをしてくれたことはありがたく思いながらも、一行は行く先を変更し尼が崎・大物浦から船に乗って九州へ向かうとして、長旅になればますますお供はさせられないと語り、都へ残って吉報を待つように説得する。静はなおも義経に抱きついて連れて行って欲しいと懇願するが、義経は涙をこらえて静に待っているように言い渡し、「初音の鼓」を形見に預ける。それでも静は川に身を投げて死ぬと騒ぎ立てる。駿河次郎は静が早まったことをしないよう、彼女と「初音の鼓」を鼓の緒で道端の木に縛り付け、道を急ぐ。
木に縛られた静御前が泣き叫んでいると、土佐坊の郎等・逸見藤太が雑兵を引き連れてやってくる。縛られた静御前を見つけた逸見が義経の愛妾と「初音の鼓」を一気に発見!ラッキー!とばかりに縄を切り解いていると、佐藤忠信が現れて逸見を投げ飛ばし、始末してしまう。
そうしていると義経らが駆け出てきて、互いの無事を喜び合う。忠信は故郷出羽に帰って病気の母を看病し、母が本復したため義経のところへ戻ろうとしたところ、堀川の夜討を聞いて義経を探して追ってきたのであった。義経は忠信の働きを褒め称え、「九郎義経」の名前を譲り、また褒美として大将の鎧を忠信に授ける。義経は忠信に静御前とともに都に留まるように言いつけ、義経一行は大物浦を目指して旅立つ。忠信はそれを追おうとする静を制し、鼓を義経と思って肌身離さずいるようにと「初音の鼓」を彼女へ預けるのだった。
(現行、細かい部分で一部カットあり。義経一行の行き先とその変更、忠信の帰郷のくだりなどは現行にはない)

太夫=豊竹睦太夫/三味線=鶴澤清𠀋〉

 

 

 

渡海屋・大物浦の段

−元暦2年[1185]8月28日*7 摂津国尼が崎大物浦−

  • 渡海屋銀平と女房・おりう、娘・お安
  • 義経の大物浦出立
  • 銀平一家の正体
  • 怨霊の伝説へ

昼夜問わず船の出入りで賑わう尼が崎・大物浦。廻船問屋・渡海屋を営む銀平は、自らは積荷の手配に外回り、その女房おりうは泊まり客に出す料理の用意をしていた。
二人が可愛がっている一人娘・お安がウトウトと寝ているところへ、泊まり客の旅僧が奥の間から姿を見せる。おりうが御膳を出すところだと声をかけると、旅僧は買い物に出かけると言う。そうして旅僧がお安を跨ごうとすると、不思議なことに体が痺れて動けなくなる。旅僧−実は弁慶−が大降りにならないうちにと大笠を被って出て行くと、おりうは目を覚ましたお安に、今朝勉強した手習いの清書きをしなさいと言い、彼女の手を引いて奥の間へ入る。
そうしていると家来を多数連れた鎌倉武士が戸口にやってきて、主人に会いたいと声をかける。武士は北条時政の家臣・相模五郎と名乗り、義経が九州へ渡るのを追う討手であること、この店の船が日和次第出船と聞いて接収したいこと、ついでにそれまで休憩さしてくれと勝手なことを言い立てる。おりうはそれを武士の先客があると言って断り、日和が回復すれば他の船を手配すると説明するが、相模はなおも家の中へ踏み入ろうとする。止めようとするおりうと相模が揉めているところへ亭主・銀平が帰宅し、相模に事情を聞くと言う。義経を隠しているのではないかと騒ぎ立てる相模に、銀平はその侍らしからぬ横暴を批判し、動けば頭を微塵に割り砕き、あの世への船出の舵取りをしてやると相模を投げ飛ばす。それでも相模はぎゃーぎゃー騒いでいたが、銀平が庭の大碇を持ち上げるのを見ると、尻に帆をかけてシャーッと逃げていった。
奥の間から始終を聞いていた義経一行が姿を見せ、事情を知って難儀を救ってくれた銀平夫婦の働きを褒め称える。銀平は八島の合戦の折、手船が源氏の御用に達せられたこと、そしてまた今回、義経が宿を訪ねてきた縁を語る。駿河次郎悪天候を心配するが、銀平は出船にはより抜きの日和であると乗船を勧め、おりうに義経らの出立の準備をさせて自らは納戸へ入る。おりうは義経らに蓑笠を貸し、義経と亀井・駿河はおりうに見送られ小舟に乗って沖に本船を目指す*8
義経らを見送ったおりうが家へ戻ったときには、ちょうど夕暮れとなっていた。おりうは神棚に灯明を上げると、ずっと勉強していたお安を呼び出す。お安に寝るまでここにいるよう言い、奥で身拵えしている夫を呼ぶと、白糸威の鎧に身を包んだ銀平が姿を見せる。銀平はお安の手を取って上座へ移し、ことの次第を語り始める。
実は、娘・お安の正体は、81代目の帝・安徳天皇だった。これは知盛の策謀で、安徳天皇は八島の戦いで知盛や二位の尼とともに海に沈んだとして世を欺き、自らは廻船問屋の主人となって乳人・典侍局とともに町人の家族のふりをして時節を待っていた。昼間に来ていた相模五郎も実は知盛の郎等であり、その狼藉から義経一行を守ることでその信頼を得る計略であった。知盛はいまこそその時、義経を討ち取って平家の恨みを晴らさんとする。白糸威の鎧と白柄の長刀は西海に滅んだ平家の怨霊・知盛を装い、暴風雨に乗じて海上義経を討つためだった。出船には最適の日和と言ったのは嘘だったのだ。知盛は勝負の合図として、海上の燈が一度に消えれば知盛討死と心得、安徳天皇にも覚悟をさせるよう典侍の局に言い渡す。太鼓が鳴り響き、知盛は安徳天皇らに見送られて出陣していく。
典侍の局は知盛を心配する安徳天皇を帝の衣装に着替えさせ、あとは知盛の吉報を待つばかりとなる。太鼓や鐘の音が轟く中、相模五郎が駆けてきて、味方の駆武者はほとんど討ち取られたと報告し、知盛の先途を見届けるとして戦場へ戻って行く。典侍の局が障子を押し開けると、そこから臨む海は数多の船が入り乱れてる戦の真っ最中。しかし松明は次々と消えていき、沖も静まり返ってしまう。そこへ血に染まった入江丹蔵が血まみれになって戻ってきて、義経主従の猛反撃と知盛の行方が知れないことを伝える。丹蔵は、知盛は海へ身投げしたであろうと語り、自らもお供するとして刀を腹に突き立て、海へ飛び込んでしまう。
典侍の局はつたない運命を嘆いて安徳天皇を抱き上げ、浜辺に出る。典侍の局が波の下に極楽浄土という都があると言い聞かせると、安徳天皇は局が行くならどこへでも一緒に行くと言う。いよいよ典侍の局が海へ飛び込もうとしたその時、義経が現れて局を抱き止め、一間の内へ引き込む。
そうしているところへ血まみれになった知盛が戻ってくる。知盛が大声で安徳天皇典侍の局を呼んで探し回っていると、安徳天皇を抱き典侍の局を引き寄せた義経が姿を見せる。長刀を取り直す知盛を制止し、義経は密かに幼帝を供奉して平家の仇を報いんとした知盛の計略を褒め称える。当初より銀平が只者ではないと見抜いていた義経は、誤りに見せかけて弁慶にお安を踏み越えさせ、その正体を安徳天皇と推測していた。安徳天皇は帝であるから平家の血筋を助けたとしても頼朝も許すだろうと語る義経に、内侍の局は知盛に義経安徳天皇を託そうと語りかける。しかし知盛は帝を助けるのは当然のこととして、平家一門の恨みを晴らすべく義経へ立ち向かう。弁慶は諦めよと言って知盛の首に数珠を投げかけるが、知盛はなおも悪霊のような相をあらわにする。安徳天皇は、知盛にこれまでの世話は知盛の情け、今日自分を助けてくれたのは義経の情けなので、恨みに思わないで欲しいと語りかける。それを聞いた典侍の局は、安徳天皇義経の志を忘れないように言い、平家の恨みを疑われる自分が生きていては帝のためにならないとして、懐剣で喉を突いて自害する。知盛はこれまでの源平の戦いを通じて安徳天皇が六道の苦しみを体験したことを語り、それは清盛が我欲のために姫宮を男宮と偽って帝位につけ、天照大神を裏切った報いが一門や子孫の身に降りかかったと述懐する。知盛は自らこの海に沈み、大物浦で義経を襲ったのは知盛の「怨霊」だったと世に伝えて欲しいと言い、義経一行に安徳天皇の供奉を頼む。一行の旅立ちを見て安心した知盛は碇を取って頭上に掲げ、渦巻く波に飛び込むのだった。

〈口:太夫=豊竹靖太夫/三味線=野澤錦糸 中:太夫=竹本織太夫/三味線=鶴澤藤蔵 切:太夫=豊竹咲太夫/三味線=鶴澤燕三〉

 

 

 

┃ 三段目 吉野の鮓屋一家と謎の奉公人

椎の木の段

−元暦2年[1185]8月末 吉野下市村・街道の茶屋−

  • 若葉の内侍一行の受難
  • 村の鼻つまみ者・権太

維盛を探して高野山を目指し旅を続けるその妻・若葉の内侍と子息・六代君、そして主馬・小金吾武里は、ご開帳で賑わう金峯山にほど近い吉野・下市村にやってきていた。
六代君が持病の腹痛を起こしたため、一行は道端の茶店の床几を借りて一休み。茶店のおかみ・小仙に相談すると、不案内な一行に代わってその息子・善太とともに薬を買いに行ってくれると言う。
小仙らが出かけている間、六代君の気を紛らわせようと、小金吾は近くの栃の木から落ちた実を拾って遊んでやる。そうして3人が栃の実を拾っているところへ、旅姿の若い男が通りかかり、床几に腰掛けてタバコをふかしはじめる。栃の実拾いの様子を眺めていた男は、地面に落ちている実は虫食いだと言って、栃の木に石を投げつけて新しい実をたくさん落とし、六代君を喜ばせる。
ほどなくして男はその場を立ち去るが、小金吾は床机に置いていた自分の荷物を先ほどの男が取り違えて持っていってしまったことに気づく。残された荷物の中を見るとやはり見知らぬ荷物。小金吾が慌てて追いかけようとしたところ、男が戻ってきて、粗相を詫びる。小金吾は中身を改めて重盛の絵姿を描いた巻物の無事を確認し、男を許すが、床机へ置き忘れた自分の荷物がほどかれていることに気づいた男は、中に入れてあったものがないと言い出す。男は高野山への祠堂金20両がなくなった、盗んだと執拗に小金吾へ難癖をつけ、小金吾と言い合いになる。あまりの罵りに血気に逸り、刀を抜く小金吾だったが、若葉の内侍に引きとめらて歯を食いしばる。小金吾はやむをえず20両をその男に投げ与え、一行は宿場になっている上市へ向かって出立する。
男が金を懐へ入れて博奕場へ行こうとしたところに、小仙と善太が立ちふさがる。旅姿の男・権太は、実は小仙の夫だった。夫のあまりにあさましい所業に悲しみ嘆く小仙。権太の父はこの辺りでも顔のきく釣瓶鮓屋・弥助の主人、弥左衛門だったが、権太は素行の悪さから見限られ、勘当同然だった。騙りをするくらいなら自分や子供を売って金を作るようにと小仙は夫の態度を諌めるが、権太は逆に、隠し売女だった小仙に深入りして店の金に手をつけて弥左衛門に放り出され、身ごもった小仙を身請するために年貢米を盗み、その穴埋めに博奕をはじめ、それが高じて強請り騙りをはじめたと言い出す。挙句の果てには、先ほどのゆすりの成功の勢いで実家に押しかけ、母につけこんで2、3貫目をせしめようと考えているという。小仙は親のものまで掠め取ろうとは恐れ多いと止めるが、権太は取り合わない。しかし小仙に差し向けられた善太に家へ入ろうと甘えかかられ、さすがの騙り者も子どもには弱く、息子・女房とともに家に入るのだった。

〈口:太夫=豊竹咲寿太夫/三味線=野澤錦吾 奥:太夫=竹本三輪太夫/三味線=竹澤團七〉

 

 

 

小金吾討死の段

−元暦2年[1185]8月末(前段直後) 吉野下市付近−

  • 逃げる若葉の内侍一行
  • 小金吾の討死
  • 弥左衛門と小金吾の首

夕暮れ時。上市村で朝方の追っ手に見つかった若葉の内侍の一行は、小金吾だけを頼りに逃げていた。追っ手の大将・猪熊大之進🐗🐻は、怪我を負った小金吾に若葉の内侍と六代君を渡して切腹しろと迫るが、小金吾は懸命の応戦で猪熊をなんとか斬り倒す。が、自らも力尽きて倒れ伏してしまう。彼を抱き起こして悲しむ内侍に、小金吾は二人へ高野山へ行って維盛を見つけ出すように、また、提灯のあかりが近づいてくるので、追っ手がこないうちにこの場を早く離れるようにと言う。深手を負った彼を置いていけないと言う若葉の内侍と六代君。小金吾は先に行かなければ切腹すると言い、二人は必ず追いつくように言って泣く泣くその場を後にする。
若葉の内侍と六代君が去って間もなく小金吾はこと切れるが、向こうから近づいてきた提灯の明かりというのは、村の五人組だった。彼らは鎌倉方の上使・梶原景時に呼び出された帰りだったが、直接話を聞いたのは鮓屋・弥助の弥左衛門だけだったので、みんな弥左衛門が何を聞いたのか気になって仕方ない。弥左衛門は、嵯峨の奥から逃げてきた子供を連れた女と若い男を捕えたら褒美が出るという話だったと語り、一同はうまい話だと盛り上がって解散する。
皆と別れた弥左衛門が歩みを進めると、小金吾の遺骸にはたと行き当たる。哀れんだ弥左衛門は念仏を唱えて回向してやり、そのまま行き過ぎようとするが、思い返してなにやら思案する。そして小金吾の首を斬り落とすと、提灯を吹き消して首を抱え、我が家をさして急ぎゆくのだった。

太夫=小金吾−竹本津國太夫、弥左衛門−竹本文字栄太夫、内侍−竹本南都太夫、六代・五人組−豊竹亘太夫/三味線=鶴澤清馗〉

 

 

 

すしやの段

−元暦2年[1185]8月末(前段同時刻) 吉野下市村・鮓屋弥助−

  • 鮓屋一家と弥助、お里の恋
  • 弥助の正体
  • 鎌倉の詮議
  • 鮓桶の2つの中身
  • 頼朝の慈悲、維盛の旅立ち

下市の名物鮓屋・弥助では、娘・お里が母とともに商売に励んでいる。店の後片付けをするお里は、恋する奉公人の弥助ときょうの晩にでも祝言させるという父の言葉に気もそぞろ。弥助とは弥左衛門が熊野詣から連れ帰った美しい男で、器量を見込んで家督を譲り、お里と一緒にさせようというのが弥左衛門の考えだった。
そうこうしているうちに、空の鮓桶を客先から回収した弥助が帰ってくる。お里は愛しい男の帰宅に大喜び、母も弥助を優しく迎え、弥助は一家の丁重な扱いに恐縮するのだった。
この弥助とお里が鮓桶を棚へ片付けているところに、本来家を継ぐはずだった惣領息子・権太がやってくる。お里と弥助を追い払うと、権太は母に「代官所におさめる大切な年貢金を盗まれたから死なねばならない、その暇乞いに来た」とアカラサマな嘘をつき、心配した母からまんまと金をせしめる。その権太が鮓桶に金を入れて店を出ようとしたところにちょうど弥左衛門が帰ってきたので、極道息子は大仰天。大慌てで金を隠した鮓桶を棚に置いてカモフラし、ひとまず姿を隠す。
戸口で大騒ぎしている弥左衛門の声に、引っ込んでいた弥助が走り出て戸を開けてやると、老隠居は鮓の仕込みができているかと鮓桶の棚をガサガサ探り回す。そして家族が誰もいないのを確かめると、弥助を上座へ座らせる。
弥左衛門が熊野から連れ帰ってきたという謎の男・弥助の正体は、実は三位の中将維盛だった。弥左衛門は彼の父・重盛からかつて受けた厚い恩を語り、弥助という名を譲ったのは「弥(いよいよ)助(たすくる)」という縁起をかついだもので、娘・お里と祝言をさせるのも娘を宮仕えに出すつもりのことだと言う。しかし今日、鎌倉方・梶原景時より維盛をかくまっているのではないかという詮議を受け、いつ吟味に来られるかもしれないので、維盛は上市村にある隠居へ移るようにと勧める。
ここまでする弥左衛門が重盛から受けた恩というのは何だったのか。平家全盛の頃、弥左衛門は唐土黄山への祠堂金を運ぶ船頭を任じられたが、悪心を起こして船頭仲間で金をくすねてしまった。殺されても仕方のない罪ながら、重盛は日本の金を唐土へ渡そうとする自分こそが盗賊だと言い、弥左衛門らには何の咎めもなかった。弥左衛門は暇をもらいここへやってきて安楽に鮓屋商売をやっているが、あのときの因果が報いて息子の権太が盗み騙りをはたらくようになったと語る。
それを聞いた維盛も、父重盛や一族の栄華を思い出し、涙を流す。弥左衛門はお里が奥の間で寝支度をしている気配に気づくと、はっといつもの老隠居に戻り、今夜は老夫婦は離れで寝るので、お里と弥助はここでゆっくり休むといいと言って姿を消す。お里は弥助と晴れて夫婦となれることを無邪気に喜んで床に入るが、維盛は都に残した妻子を思い、お里とは夫婦にはなれないと考え沈み込む。
そのとき、店の戸口を叩き一夜の宿を乞う声が聞こえる。維盛はこの場を去るよい切っ掛けと立ち上がり、訪問者を断るが、外の様子をよく見ると、そこにいたのは小金吾を喪って行末に迷う若葉の内侍と六代君であった。一同は偶然の再会に互いに驚き喜びあうが、若葉の内侍は維盛の町人姿に何事かと嘆き悲しむ。奥の間のお里の寝姿を見た若葉の内侍が妻子を捨て置かれるとは無慈悲であると嘆くと、維盛はあの娘とは匿ってくれた弥左衛門への恩義のための仮の契りと答える。それを聞いていたお里はわっと泣いて飛び出す。お里は驚く若葉の内侍や六代君を上座へ座らせると、これまでのいきさつと、弥助の正体が維盛と知っていれば畏れ多くて恋をすることも出来なかったのにと身を震わせて泣き崩れる。維盛と若葉の内侍はお里の嘆きはもっともと涙を見せるも、そこへ村の役人がやってきて、鎌倉よりの上使・梶原平三景時がやってきたことを告げる。若葉の内侍は切腹しようとする維盛を引き止め、お里は一行を弥左衛門の隠居屋敷へ送り出す。
それと入れ替わりに権太が勝手口から姿を覗かせ、三人を捕まえ梶原へ突き出して報奨金をせしめてやると意気込む。必死で引き止めるお里を蹴倒し、権太は外へと駆け出していく。お里の叫び声に慌てて戻ってくる弥左衛門と母。弥左衛門は極道息子を引き止めるべく、脇差を腰に飛び出そうとするが、そのとき提灯を掲げた雑兵の先導で上使・梶原平三景時がやってくる。梶原は、匿っている維盛の首を渡すかそれとも違背に及ぶか返答せよと弥左衛門に強く迫る。それに応じ、弥左衛門が「既に維盛の首は討った」と棚に置かれた鮓桶を取り出したので、権太に与えた金が入っていることを思い出した女房は大慌てで止めに入る。その中にはわたしの大事なものが、いやお前は知らないがこの中には維盛の首と言い合い揉み合う夫婦、しびれを切らした梶原平三は一家もろともに縛れと命じるが、そこに権太が「維盛夫婦とその子供を生け捕った」と猿縛りにした女と子供を引き連れて戻ってくる。
権太は維盛の首を差し出し、父弥左衛門が熊野から維盛を連れ帰り月代頭の若造に化けさせたいきさつを語る。首を確認した梶原は権太の働きに満足し、鎌倉に違背した親の命を許すより金をくれという彼に陣羽織を脱いで与える。そして、その羽織は頼朝公より授かったものであり、鎌倉へ持っていけば報奨金を受け取れる手柄の証と告げるのだった。梶原平三は内侍と六代君を連れて悠々と去っていくが、それを見送る権太の横腹に弥左衛門が脇差を突き刺す。
弥左衛門は、女房の甘さゆえ勘当していたはずの権太を家内に引き入れ、結果、権太は維盛を殺したばかりか、その妻子を鎌倉方に売り渡すという所業に及び、そのために自らは実子を殺す羽目になった運命を嘆く。しかし、瀕死の権太は意外なことに「父の力では維盛を救うことはできなかった」 と言う。弥左衛門は偽首は用意していたと言い、傍の鮓桶をひっくり返す。ところが、そこからこぼれ出たのは女房が権太に与えた金。驚く弥左衛門に、権太はこれまでのいきさつを語る。
曰く、討死した小金吾の首を月代も剃らずに梶原ほどの者へ渡そうとするとは、あまりに見通しが甘い。母にねだって受け取った金は実は維盛一行の路銀にしようとしたものであり、それを維盛に渡そうと鮓桶を抱え追いかけたが、中から出てきたのは父が鮓桶に隠していた小金吾の首。 取り違えたを幸いと取り、月代を剃って維盛の首に仕立てたのだと告げる。弥左衛門はそれならなぜ若葉の内侍と若君を梶原へ突き出したのかと問うも、さきほど引き渡した母子は権太の妻子、小仙と善太だったと告白する。権太が力なく合図の笛を吹くと、維盛、そして茶屋女姿の若葉の内侍・六代君が無事な姿を見せる。母は、そんな正しい性根を持ちながら、何故あんな悪行を重ねてきたのかと涙ながらに権太へ取りすがる。しかし権太は、素行の悪さゆえに梶原は油断し、身代わりに騙されたのだと言う。権太は、茶店の先で小金吾と取り違えた荷物の中身である巻物−重盛の絵姿−を見て、そこに描かれた弥助とそっくりの公達の絵姿に驚き、金の無心にかこつけて母に尋ねてみれば、弥助の正体は父が恩ある維盛であり、その身には危機が迫っていると聞かされた。性根を改め両親と和解する機会はいましかないと思うも、偽首はあっても御台・若君の代わりはないと嘆いているところへ、小仙と善太が身代わりになると言っため、泣く泣く二人を後ろ手に縛って連れてきたと嘆きながらに語る。
弥左衛門は涙に咽び、その心を何故元来に持っていてくれなかったのか、まだ見ぬ孫を探して子供の遊んでいるところへ権太に似た子はいないかと探し尋ねるも、どの権太と聞き返され、まさか親の口から「いがみの権太」とは言えず、横道者の子ゆえに仲間はずれにされているだろうと思うほどに彼が憎かった、いまこのように性根が直るのなら半年前にそうなっていればと女房とともに伏し泣き沈む。
これらの悲劇は頼朝の無得心と怒りの涙を浮かべる維盛に、弥左衛門はこれを引き裂くことがせめてもの手向けと、梶原が置いて帰った陣羽織を差し出す。一門の恨みを晴らさんと太刀を手にかけた維盛だったが、よく見ると羽織の内側には「内や床しき、内ぞ床し」という句が書かれていた。それが小野小町の有名な詠歌であり、羽織の「内」側になにか意味が隠されていると気付いた維盛が縫い目を切り裂くと、そこには袈裟衣と数珠が入っていた。一同は驚くが、維盛は頼朝の真意を悟る。頼朝はかつて維盛の父・重盛に命を救われた過去があり、その恩返しとして維盛を出家の身にして命を助けようとしていたのである。維盛は頼朝の大将の器を褒め称え、また亡父の遺徳を偲んで僧衣を戴く。
権太はすべてを見抜いていた頼朝の深慮と己の浅はかさ、これまで人を騙ってきたゆえの因果応報を嘆く。また、維盛は浮世への執着心を捨てるとして髻を切り払う。若葉の内侍やお里も共に出家すると言うも、維盛は六代君を高雄の上人に預けるようにと命じ、お里は兄に代わって親孝行をするようにと言う。弥左衛門は若葉の内侍の供として一緒に旅立とうとするが、女房は権太の最期も近いから待ってほしいと引き止める。しかし、自ら手にかけた子の死に目に立ち会うほうが辛いとして、弥左衛門は女房娘ともども涙を流す。維盛は権太のために経文を唱え、一行は大和路へと旅立ってゆくのだった。

〈前:太夫=竹本錣太夫/三味線=竹澤宗助 後:太夫=豊竹呂太夫/三味線=鶴澤清介〉

 

 

 

┃ 四段目 忠信の正体と「初音の鼓」

道行初音旅

−文治2年[1186]1月 京都〜大和国吉野山

静御前佐藤忠信は都をあとにして、「初音の鼓」をたずさえ、吉野にいるという義経を追って大和路へ。静御前は道中で見かける鳥や農民の夫婦たちを羨ましく思いつつ、「初音の鼓」を打ち鳴らす。するとはぐれていた佐藤忠信が姿を見せ、二人は義経より賜った鎧を飾り、鼓を乗せ顔に見立てて義経を奉じる。忠信は「九郎義経」の名とともにこの鎧を賜ったのも、八島の戦いで兄次信が義経の身代わりとなり、能登守教経の矢を受けて戦死した忠勤のためだと語る。二人はいつか頼朝の心が解け義経にも春が訪れるように願い、やがて吉野へとたどり着く。
(現行と丸本では詞章が異なる部分が多い。現行にある雁と燕の踊り唄、景清と三保谷四郎の錣引きのくだりは丸本にはなし)

太夫=静御前−豊竹呂勢太夫、狐忠信−竹本織太夫、豊竹靖太夫、豊竹希太夫、竹本碩太夫/三味線=鶴澤清治、鶴澤清志郎、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清允〉

 

 

 

蔵王堂の段

−文治2年[1186]1月下旬末 吉野山蔵王堂−

吉野。金峰山寺蔵王堂では、近隣の百姓ズが評定始めのお掃除中。静御前とその供・忠信がやってくると、一同は美しい静の姿を見て大はしゃぎ。静が衆徒頭・川連法眼の館へ行くというと、法眼の館は毎日琴三味線華やかだと言って館までの道順を教えてくれる。静と忠信は急いで館へ向かう。
そうしていると、太刀を佩いた荒々しい衆徒・法橋坊、鬼佐渡、薬医坊がやってきて、百姓たちのおさぼりを叱りつける。テキトーな百姓たちは余計に埃を立て、荒法師たちをより一層怒らせてスタコラサッサと帰っていった。
そこへ吉野一山を統括する検校・川連法眼が現れ、法橋坊らは円陣になって座る。川連法眼が衆徒たちを呼び出した用事というのは、頼朝の家臣・茨左衛門から書状が来たことへの評定だった。茨左衛門は川連法眼の妻・飛鳥の兄である。茨左衛門からの書状の内容とは、義経が大和に滞在しており、討ち取れば恩賞を与えるが、もし匿うようなことがあれば一山を滅亡させるというものだった。法眼は、元来罪のない義経が大和へ来たおりには寺を頼ってくるに違いないが、それにどう対応するかと一同に問う。衆徒たちは法眼の言うとおりにすると返すが、先に法眼が意見を言ってしまうと皆それになびくので、法眼は皆に先に意見を言わせる。
薬医坊は、義経は匿うが、その連れに弁慶とかいうメチャ食う奴🍚🍚🍚がいると食費が大変なことになるので、各寺で金を出し合って茶粥を食わせておこうと言う。法橋坊と鬼佐渡は、頼ってきた者を救うのが沙門の役なので、逆に武装して追っ手を討ち取り、鎌倉に攻め入って讒者を殺し、それでも頼朝が翻心せねばそれも殺して義経の天下としようと言う。皆は法眼の意見を求めるが、法眼は客僧・覚範がまだ来ていないと言う。
そうしていると、当の覚範がやってくる。法眼は吉野川に隔てられた妹山と兄山の風景を引いて、弟・義経と兄・頼朝とその不和、義経を受け入れるか討ち取るか、回答せよと覚範に迫る。すると覚範は奉納の弓矢を取り、兄山の側にある木の根を射る。法眼はそれを頼朝に弓引くと解釈し、一同が義経につく心であることを確認する。続けて法眼は自分の所存を明らかにすると言い、先ほどの弓を取る。法眼が射た矢が貫いたのは、妹山の木だった。法眼は義経を匿えば一山の破滅と言い、皆が匿っても義経を見つけ出して討つと宣言して帰ってゆく。
佐渡は法眼の答えを不審に思うも、覚範は法眼の言葉はハッタリで、実際にはすでに義経を匿っており、衆徒たちが本心では鎌倉派であると悟って帰ったのだと語る。このままにしておけば法眼が義経を逃してしまうと睨んだ覚範は、法眼の館に夜討をかけて義経を討ち取り、頼朝の恩賞に与ろうと言う。こうして一同は夜討の準備に散っていくのだった。
(現行上演なし)

 

 


川連法眼館の段

−文治2年[1186]1月末 川連法眼の館−

  • 川連法眼夫婦の忠義心
  • 2人の佐藤忠信
  • 狐忠信と「初音の鼓」
  • 吉野衆徒の夜討、覚範の正体

川連法眼の館の奥座敷では、義経を慰めるための琴三味線の音が鳴り響いている。川連法眼の妻・飛鳥は思案ありげな様子で帰宅した夫を出迎え、きょうの評定は義経の事だったかと尋ねる。法眼は、衆徒らは皆義経の味方と言ったが、自らは鎌倉方だと言って帰ってきたと告げ、義経を討ち取ると言って懐中の書簡を投げ出す。飛鳥は兄・茨左衛門の書状の文体から鎌倉方へ義経の居場所が漏れたことを察する。法眼は内通あって知られたからには逃れられず、自分が義経を討つとして刀を抜こうとするが、飛鳥がその刀を奪い取って自害しようとする。刀をひったくって止める法眼に、飛鳥は自分が兄へ内通したと疑うなら殺して欲しいと泣く。飛鳥の心を知った法眼は書状を引き裂き、この書状は衆徒たちの胸中を探り出すための偽物だと語る。その様子を聞いていた義経が奥から姿を見せ、法眼夫妻の厚志に礼を言う。そうしていると「佐藤忠信が到着した」との知らせが入り、義経を残して法眼夫妻は奥の間へ入る。(現行ここまでカット)

案内に連れられてきた佐藤忠信は、涙を流して義経の御前になおる。義経は名を授けた忠信の無事を喜び、静はどうしているかと尋ねるが、忠信は不審な顔。忠信は、八島の戦いの後、母の看病のため故郷へ帰って母を看取ったが、自らも病を得て生死の境を彷徨ったこと、それがやっと本復してここへ来たと語り、姓名を賜ったことや静御前を預かったことに覚えはないと言う。その返答に義経は激昂し、自分を見限って静御前を鎌倉へ売り、居所を探りに来たのかと言って亀井・駿河に忠信を捕縛させようとする。一同が揉み合っていると、「静御前の供をした佐藤忠信が到着した」との知らせが入り、みな驚く。静御前を連れた2人目の忠信の参上に、ともかく義経は仔細を聞いてみることに。
間もなく、義経の姿を見つけた静御前が走り寄ってきて涙ながらにすがりつく。忠信の居所を尋ねる義経に、静は忠信も一緒に来たはずと見回すが、姿が見えない。静は先の忠信の姿を見つけて「抜け駆けしたな😠‼️」とキャンキャン言うが、先の忠信は去年出羽で帰ってから静には会っていないと話がチグハグ。亀井が館中を探すも、静御前を連れてきたという2人目の忠信の姿はどこにも見えない。1人目の忠信をよく見た静御前は、同道していた忠信とチョット違うと言い出す。静に同道していた忠信は鼓を鳴らすとその音に酔い痴れたり、姿が見えなくなったときに鼓を打つと姿を見せたということで、義経は静に鼓を打たせることにして、奥へ引っ込むことに。
静が鼓を打ち鳴らすと、春風に誘われ佐藤忠信が姿を現わす。鼓の音に聞き入っている忠信の隙を見て斬りつける静御前。驚く忠信に、静御前は鼓を打ちながらなおも斬りかかり、贋物だと白状せよと迫る。取り押さえられた忠信は静の前にひれ伏して鼓を捧げ置き、本物の忠信に迷惑をかけたとして、ことの次第と自らの身の上を語り始める。
「初音の鼓」は、かつて桓武天皇が雨乞いをする際、大和国にいた千歳の雌狐雄狐を捕え、その生皮を剥いで作ったものだった。狐は陰の獣ゆえ、その皮で作った鼓は日に向かって打てば雨を呼ぶ。民草は降る雨を喜んで初めて声を上げたので、鼓は「初音の鼓」と呼ばれた。静御前が同道していた忠信は、実は「初音の鼓」にされた雌狐雄狐の子供の狐だった。そのころ彼は子狐だったため親孝行もできないまま別れたが、成長するうちなんとか親孝行をしたいと思っていた。鼓に寄り添うことが彼にできる唯一の親孝行ではあるが、禁中にあっては神々の守護があるため近づくことができず、400年間悲しんでいた。しかしこのたび鼓が義経の手に渡ることになって禁中から出されたため、鼓に近寄ることができるようになった。伏見稲荷で「佐藤忠信がいれば」という義経の言葉を聞いた狐は忠信に化けて静御前を救い、その褒美に「九郎義経」の名と鎧を授けられた。これにより来世では人間に生まれ変わる果報を賜ったが、そうなればますます親孝行が大切で、片時も離れず鼓に付き従ったが、静御前義経を恋しがって打つ鼓の音は彼には親が呼ぶ声に聞こえるという。しかし義経の忠臣である忠信を苦しませたことを咎めて鼓の父母が帰れと言うので、自分はもとの古巣へ帰ると語る。狐は義経や鼓との別れを深く悲しみ、賜った「九郎義経」の名を自分の名にしてもこの悲しみはどうしようもないと言って泣き伏せる。
哀れに思った静御前義経を呼ぶと、話を聞いていた義経が姿を見せ、狐を哀れむ。狐は義経を伏し拝み、鼓のほうを何度も振り返りながら春霞の中に姿を消してしまう。義経は狐を呼び戻すよう静に鼓を打たせるが、不思議なことに音が出ない。「初音の鼓」は親子の別れを悲しんで音を止めたのであった。義経は子狐の運命を幼くして父義朝に死に別れ、兄頼朝に見捨てられた自分の身に重ねて涙を流し、静もその様子に泣き出してしまう。すると泣き叫ぶ声とともに春霞が晴れ、狐が姿を見せる。義経は「初音の鼓」を手に取り、静御前を預かり守ってくれた礼に鼓を授けると言う。狐は大喜びし、今後影身に添えて義経を守ることを誓う。狐は今夜吉野の悪僧たちが館を襲撃しようとしていると語り、自らの通力で幻惑して館へ引き込み全滅させると話すと、鼓を持って一礼し、飛ぶように消えていった。(現行ここまで。以下上演なし)

そこへ川連法眼が姿を見せ、人間の佐藤忠信とともに衆徒迎撃の作戦を練る。義経は忠信へ「義経」の名を名乗って衆徒を欺くよう言いつけ、腰の刀を授ける。
間もなく法橋坊・鬼佐渡・薬医坊が館へ押しかけてくるが、狐の不思議な通力で散々こけにされ、駿河・亀井によって痛めつけられ、捕らえられる。そうとも知らずやってきた横川の覚範は、大長刀を手に川連法眼を呼び出そうとする。しかし、そこに義経が「平家の大将、能登守教経待て」と声をかける。覚範はしらばくれるも、義経は彼の正体を八島で入水したと見せかけ水に潜って落ち延びた能登守教経と見破っていた。教経と義経は斬り合いになるが、義経は館の奥へと逃げていく。それを追って奥の間の障子を蹴破った教経が見たのは、玉座に座った安徳天皇の姿だった。
教経は安徳天皇に、八島の戦いで自分の身代わりとなって死んだのは乳兄弟・讃岐六郎で、自らは人知れず磯に上がり、法橋坊を頼って法師の姿となり、義経に仇を報いようとしていたと語る。安徳天皇義経に助けられたこと、知盛は義経に後のことを頼み入水したこと、いま教経と会えたのも義経の計らいだと語り、小原にいるという母(建礼門院)を恋しがって大泣きする。教経は義経の計略の深さを悔しがるも、勝負は預けて一旦見逃すとして、安徳天皇を抱いて隠れ家へ帰ろうとする。亀井、駿河、川連法眼はそれに詰め寄って教経を討ち取ろうとするが、狩衣姿に改めた義経が現れて一同を止める。
義経は、教経は忠信に討たせて兄次信の仇をとらせるとて、吉野山での勝負を約束する。教経も安徳天皇を助けた義経の情に感謝し、そのときには義経の八島での名誉を傷つけぬよう、討たれて死んだはずの教経でなく、横川の覚範として戦うと言う。一同は帝であって帝でない安徳天皇と、それに従う臣下であって臣下でない教経の御行を見送り、別れるのだった。

〈中:太夫=豊竹芳穂太夫/三味線=野澤勝平 奥:太夫=竹本千歳太夫/三味線=豊澤富助、鶴澤燕二郎〉

 

 

 

┃ 五段目 能登守教経との対決

吉野山の段

−文治2年[1186]1月末 吉野山

  • 忠信と教経の対決
  • 悪の滅亡

白く冠雪した山々を望む吉野山佐藤忠信は、義経に敵対する鎌倉の讒者たちと対決し、斬り立てて追ってゆく。
約束通り、能登守教経が横川の覚範の姿で現れ、忠信と挑み合う。それぞれ平家再興と兄の仇をかけた勝負は互角と見えたが、鎌倉勢が2人の勝負に乱入するうち、いつの間にか忠信は2人になっていた。教経が片方の忠信を掴み上げると、それは義経の鎧になる。片方の忠信は源九郎狐が化けたものだったのだ。驚いた隙を突かれた教経は本物の忠信に斬られ、深手に観念して首を取れと言う。そこに義経が駆けつけ、安徳天皇が母建礼門院のもとで出家を遂げたことを告げる。さらに河越太郎が現れ、「初音の鼓」下賜にことよせて頼朝追討の院宣を騙ったことが露見したとして、藤原朝方を突き出す。教経は平家追討の院宣も朝方の仕業、平家一門の仇と言ってその首を討ち(かなりサクッとした感じで)、義経に自分の首を討つように促す。義経は、「教経」は八島で入水したと語って忠信へ「覚範」を討つように言い、忠信は兄の仇を討つ。こうして平家の一門は滅亡し、太平の世が訪れたのであった。(おしまい)
(現行上演なし)

 

 

 

┃ 文化デジタルライブラリー 解説ページ(動画あり)

 

 

 

┃ 全段の床本pdfダウンロード

https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc24/himotoku/pdf/ct3_d1_1c.pdf

 

 

 

┃ 参考文献

角田一郎・内山美樹子=校注『新日本古典文学大系93 竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集』岩波書店/1991
大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会『上方文化講座 義経千本桜』和泉書院/2013

 

*1:宗輔

*2:本物の小鼓の革は仔馬の革のようです。

*3:史実では義経の妻は平時忠の娘、河越太郎の娘の2人だが、本作ではそれを1人にまとめた存在に設定している。

*4:安徳天皇が入水したのは実際には壇ノ浦。本作では屋島の戦い壇ノ浦の戦いを複合させ、八島の戦いひとつにまとめた設定になっている。

*5:公卿の家で家政を司る職員。

*6:清盛の妻・二位の尼(時子)の兄。正二位権大納言

*7:あるいは文治元年[1185]9月。※元暦→文治は8月改元

*8:近世の尼崎港は瀬が浅く大型船が入れなかったため、沖に本船を停泊させ、そこまで小舟で出入りしていた。

文楽《再》入門 文楽の「人形遣い」を知る本[吉田玉男・森西真弓=著『吉田玉男 文楽藝話』]

文楽の初心者向け本はいっぱいあるけれど、中級者にステップアップするための本や中級者向けの本はあまりない。そんな私の不満に自ら答える「文楽中級者向け」ブックガイド第2弾。今回は、ついつい流し見してしまう人形の演技をじっくり考えるきっかけを作ってくれた本を紹介したい。

 

今回取り上げるのは、10年以上前に亡くなった往年の名人の談話ながら、いまなおリアルに共感でき、理解でき、納得できるという驚くべき1冊。

いままでに買った文楽の本の中で、もっとも買ってよかったと思う本でもある。持ってない方は、次に文楽行ったときに絶対買ってほしい。

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吉田玉男・森西真弓=著、国立劇場調査養成部調査記録課=編『吉田玉男 文楽藝話』日本芸術文化振興会/2007

 

戦後を代表する人形遣い・初代吉田玉男(1919-2006)の芸談聞き書き本で、一般書店には流通しておらず、国立劇場国立文楽劇場売店でのみ販売されている。

32の有名演目について、玉男師匠が自分の工夫や修行時代の思い出を語っていくというもので、簡素な装丁の新書サイズの本ながら、現代の人形演技を見る上での超超超必携書だと思う。

 

 

 

この本を読んで一番驚いたのは、人形の演技とはここまで理論に支えられているものなのかということ。

私は、人形の演技には決められた伝統的な振り付けがあって、それをいかに正確に美しくこなしていくかで巧拙が現れていくものだと思っていた。だから、いかに稽古するかが重要で、芸談も、そのためにどういう修行をしたとか、いかに耐えたかという、努力論や精神論の話になるのかと思っていた。極端に言うと、頭の上に水を張ったタライを乗せて徹夜で踊りの稽古をしたとか、そういう感じの。しかし、この本ではそういった話は全くされていない。浄瑠璃(本)を読み込み、それをどう表現するか、舞台での実践が重点的に語られている。

だから、この本を読んだときにはその理論性にものすごくびっくりした。玉男師匠の理論とは、個人的にそう思ったからという意見という意味ではない。文楽の根幹である浄瑠璃(本)に基づいた人物の解釈を中心に、その人形はどういう人物なのか、なぜその演技をするのかを常に自分に問いかけ続けるというものだ。

この本には、その問いかけによる深い考察と、納得できる演技を作り上げるための試行錯誤に支えられているかがつぶさに語られている。その解釈がかなり仔細で、文楽において「人形は義太夫の演奏に合わせて演技している」というのは基礎知識中の基礎知識だけど、「ここまで考えてやっているんだ」という素直な驚きがあった。現代演劇ならともかく、古典芸能にここまでの理知性を持ち込んでいることに、とても驚いた。

 

 

 

本の解釈を重視することは、実際の舞台にどう反映されるのか。

浄瑠璃の解釈と人形の演技を一致させた代表的な例は、玉男師匠が伝承演技を改定した例だろう。玉男師匠は若い頃から浄瑠璃の内容と演技の一致についてよく考えていたようで、自身が大役を任されるようになったとき、かねてから「おかしいのでは?」「人形をもっと美しくor的確に見せられるのでは?」と思っていた箇所の演技・演出を改定している。

中でも有名なのが、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段、帰宅した熊谷に刀を携えた藤の局が襲いかかる場面だろう。我が子・敦盛を熊谷に殺害されたと思い込んだ藤の局は、熊谷の留守中に陣屋へ入り込み、熊谷の妻・相模を説いて邸内で待ち伏せする。熊谷が帰宅したところで隙を狙って陰から襲いかかるが、気づいた熊谷に刀を奪われ、取り押さえられる。ここは、浄瑠璃では以下のように語られる。

無官の太夫敦盛の首取たりと咄しに扨はと驚く相模。後に聞居る御台所我子の敵と有あふ刀。熊谷やらぬと抜所鐺摑んで。ヤア敵呼ばはり何やつと引き寄するを女房取付。ア丶コレ/\聊爾なされな。あなたは藤のお局様と。聞て直実恟りし。

 

この場面の人形の演技について、玉男師匠は以下のように語っている。

 本公演での熊谷は、昭和四十四年五月の国立劇場が最初です。相模は紋十郎さん、弥陀六は勘十郎君、藤の局は簑助君でした。この時、かねがね疑問に思っていた演技を改めています。「熊谷やらぬと抜くところ」で藤の局が、熊谷の太刀を取って詰め寄る場面、それまでは藤の局が右手で刀を持って、トンと突き、熊谷に差し出すようにしていました。浄瑠璃には「抜く」とあるのに、右手で鞘を掴んでいては、刀を抜けないし、それどころか、逆に熊谷に向かって抜いてくれと言わんばかりになってしまう。その後の「鐺つかんで」でも、従来のやり方だと、熊谷役の左遣いが、鐺(鞘尻)を逆手に持って一回転させなくてはならない。この時、わざわざ鐺を掴むのも不自然です。普通なら藤の局の握っているすぐ下を持つはずでしょう。昔のやり方だと熊谷役には確かに便利なのですが、やはり理屈に合いません。
 そこで、藤の局が右手で刀を取り、左手に持ち替えて抜きかけようとするところで、熊谷が局の裾を払い、前のめりになった拍子に、跳ね上がった鐺を背後から掴むように演出を変えました。膝を払う時、煙管でとも思ったのですけど、相手は女性ですし、手ですることに。いずれにしても、これで、局の体勢が崩れ、鞘尻が上がる。そうすると、一気に全てが解決します。左を遣うている間からずっと、そうしてみたいと考えていて、実は、昭和三十九年に藤の局の役がついた時(十月芸術座)、熊谷役の玉助さんに進言してみた。けれども、昔からのやり方のままでいくとのことで、主張を通したのは、自分が本役で熊谷を持つようになってからでした。

この改訂は定着し、現在の上演においても「藤の局が刀を右手から左手に持ち替えて熊谷にそっと近づく→気づいた熊谷が咄嗟に藤の局の膝を払う→藤の局が前のめりに転倒→反動で刀の鐺がはね上がる→熊谷が鐺をキャッチして、そのまま刀の鞘で倒れた藤の局の背面を抑えつける」という演技が踏襲されている。

古典芸能でも演出の変更って可能なんだと驚くと同時に、それが出演者の好みや自己顕示、「現代的にするために」新奇性を狙ってみたいとかではなく、浄瑠璃に紐付いているべきであるという考え方に端を発しているのがさらに驚き。一概に「昔の通り」がベストなのではなく、上演の中で常に検討が繰り返されているんですね。

 

 

 

ところでこの変更、文章で読むと、「なるほどぉーそりゃーそうですねぇー直して当然ですねぇー」と、100人中100人が思うだろう。ものすごく筋が通った、明快な理論なので。

ところが、実際の舞台でこの演技をこなすのは、実は相当難しいのではないか思う。人形は義太夫の演奏に合わせて演技をしているので、義太夫が「我子の敵と有あふ刀。熊谷やらぬと抜所鐺摑んで。」と演奏しているあいだに全ての手順を完了させないといけない。この部分、意外と一瞬で流れていってしまう。それにもかかわらず、演技の組み立てが非常に理論的なので、正確に手順を踏んだ演技をしないと、2人が何をやっているのか、観客に全然伝わらない。

人間なら自然にできる動作でも、3人で遣っている人形だと大変だ。熊谷役の3人、藤の局役の3人の息が相当合っていないと、こんな複雑な手順を踏んでの演技はまずできない。かつては藤の局が熊谷に刀を差し出していた訳もなんとなくわかる。たとえ話の筋として不自然でも、過去の演技のほうが舞台の取り回しがスムーズで、失敗が少ないのだろう。

舞台での実践を観てみると、演技を改定しようと玉男師匠が考え、共演者がそれに同意して協力したことのすごさがよくわかる。昨年12月東京公演の『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の上演を見たとき、実際の舞台での理屈以上の難しさを感じ、玉男師匠の執念を知った。思いつきレベルでは絶対にできないし、まず周囲の人を説得できない。玉男師匠は苦労話を一切しないので、大変だったとかそういうことは1文字も書かれていない。この本で語られていることのすごさは、実際の舞台を観ることにより、より一層実感できるようになる。それも、この本の大きな魅力だ。

 

 

 

浄瑠璃に沿ってやればいいと聞くと、画一的になりそう、個性が不要なのかと感じる方もいるかもしれない。しかし、浄瑠璃が優位だからこそ、人形遣い個々の裁量は実はとても大きいと感じる。何をどこまでどう解釈するか、それをどう検討するかは人それぞれ。本書でも、ほかの人はどうやっているかの例が合わせて述べられている例が多い。

玉男師匠の深いこだわりは、周囲の人形遣いの談話からも窺える。玉男師匠の相手役を多く勤めた吉田簑助さんの話に、1,100回以上演じた『曾根崎心中』の徳兵衛でさえ、舞台に立つごとに、お初役の簑助さんへ、ああしよう、こうしようと声をかけていたというものがあった。また、一番弟子である当代の吉田玉男さんも、師匠の思い出として、玉男師匠は何回も演じている演目であってもいつも床本を読んでいたと話されていた。高い理知性と納得いくまでやるこだわりは、玉男師匠の大きな個性だったのだと思う。

 

 

 

かつての文楽は、こんなに理論的だったわけではないと思う。玉男師匠自身が過去と現在の違いに対してどう考えていたかは、この本では語られていない。しかし、別の学術調査用のインタビューを読むと、かつての人形遣いは細かいことは気にせず、型は決めていても肚はあまりない遣い方をしていた、その人物の心境なんかは見ていてもわからないと話している。これらの、自分のやりやすいようにして目立つ手法を玉男師匠は「昔の人形芝居の遣い方」と語っている。

このようなスタンスは、本書で語られている玉男師匠の理論とは真逆のものに思える。玉男師匠は、意識的に「昔の人形芝居の遣い方」から決別しようとしていたのではないか。映像で観ると、玉男師匠の若かった頃の演技もまた後年に比べれば大雑把に見えるので、技術の向上以上に、ある時期以降、考えてのことがあったのではないか。そのあたりの心境は、本書では語られていない。

 

 

 

ただ、古い時代の人形遣いがみな「昔の人形芝居の遣い方」だったわけではない。

演技の理論性に加え、本書のもうひとつの魅力となっているのが、玉男師匠の修行時代の思い出。明治から昭和にかけて活躍した往年の芸人たちや、当時の文楽座の様子が様々に語られる。玉男師匠は文楽に縁故のある家庭の生まれではなく、一般家庭から入門した人。入門時は当時の人形頭取であった吉田玉次郎の弟子になったが、本書で頻繁に名を挙げられるのは、初代吉田栄三(1872-1892)だ。この本を読んでいくと、玉男師匠が初代吉田栄三から大きな影響を受けていることがわかる。

例えば、『摂州合邦辻』合邦庵室の段。玉手御前が継子・俊徳丸への道ならぬ恋心を父・合邦に打ち明け、恋の取りなしをして欲しいと頼む場面。ここで重要な役割を果たす合邦の人物描写について、こう語っている。

栄三師匠を学んで取り入れさせていただいたのは、玉手がなおも俊徳丸と夫婦になりたいとわがまま勝手を言うのを聞いた合邦が、「まだ『俊徳様と女夫になりたい、親の慈悲に尋ねてくれ』とは、ど、ど、どの頬げたでぬかした」と、驚き呆れる場面。以前は合邦が玉手の台詞を鸚鵡に言うところで、眉を動かし、科を作るようにして色気を出し、ちょっとチャリめいて演じる人が多かった。それを栄三師匠は、合邦はそういう人物ではないと判断され、左右の方に向かって右手でトンと床を打つ、毅然とした態度に改められたのです。首(かしら)の性格からいっても当然そうであるべきで、私もそのまま踏襲させてもらっています。

ほかにも、若い頃の玉男師匠が初代栄三の遣う『一谷嫰軍記』熊谷の足をやりたくて、連日舞台の袖でじっ……❤️っと見つめてアピールし、ついにやらせてもらえた話や、栄三師匠の『義経千本桜』権太や『加賀見山旧錦絵』の尾上の足についたときにはみっちり絞られ指導された思い出が語られている。初代栄三は戦後まもなく亡くなったため、玉男師匠が間近で見ていた期間が長かったわけではないが(玉男師匠は戦時中、2度兵役につき文楽を一時的に離れている)、後年、様々な役がつくようになったとき、栄三師匠が遣っているのを一度も見たことがない役であっても、栄三師匠ならこうも遣われるだろうと想像し勤めることもあったという。本書全編を通して、初代栄三は玉男師匠の相当の憧れだったのだろうなということがしみじみと感じられる。

栄三師匠とともに頻繁に名前が挙げられるのは、女方の名人として有名な吉田文五郎(1869-1962)。相手役を勤めたときの自然な愛らしさが絶賛されているほか、文五郎師匠が実に理知的に浄瑠璃や舞台効果を解釈していたことが語られている。意外なことに、玉男師匠の『義経千本桜』大物浦の段の知盛は、文五郎師匠から指導を受けたものだという。また、同じ「検非違使文楽では“けんびし”と読む)」のかしらを用いる『鳴響安宅新関』勧進帳の段の冨樫も文五郎写しだと言い、文五郎師匠の検非違使のかしらに似合うピリピリとしたシャープな品格を語っている。文五郎師匠の理知性は弟子だった吉田文雀さんの談話にも多く語られており、文雀師匠、ひいてはその弟子である吉田和生さんにも引き継がれていることだと思う。

玉男師匠は、初代吉田栄三と吉田文五郎が様々な整理を行い、人形の芸の近代化をはかったと語る。玉男師匠もその流れの中にある人だろう。

 

 

 

理論的な浄瑠璃の読み解きに加えてもうひとつ、本書で印象的なのが、頻繁に出てくる「品」という言葉。

人形は、浄瑠璃に描写される性根やかしら(人形の顔のタイプ)に見合った品を踏まえることが重要だという考えが感じられる。現代の日常生活では「品」という概念すら存在していないが(?)、文楽の時代物は身分制度がある時代、公家、武家など身分の高い登場人物はそれに見合った描写が不可欠だ。

玉男師匠の品格高い芸風を代表する役としては『菅原伝授手習鑑』の菅丞相が有名だ。玉男師匠は、菅丞相の役を「立役人形遣いが勤める役の中でも最も位の重いもの」と語る。

 それはさておき、本物の丞相で一番大切なのは品格の描写です。公卿としての、また高い教養の持ち主としての人物像を、少ない動きの中に滲ませていく。『忠臣蔵』の大星由良助も孔明の首ですけど、それ以上に細かい神経を使うので、芯の疲れる役ですね。
 首はこの丞相に最も上質の物を用います。これも以前は、殿上眉といって実際の眉毛の上に丸く印を施していたことがありましたけど、今は単に“べらぼう眉”と呼ばれる描き眉にしている。お公家さんらしさを出そうとしたのだと思いますが、ちょっと滑稽でもあるでしょ。殿上眉のない方が品はある。

官位をもつ学者である菅丞相では上記のような考えになるが、公家に化けた武家という特殊な役、『奥州安達原』環の宮明御殿の安倍貞任になるとかしらが文七になるので、これまた難しい。

 “矢の根”の貞任は、桂中納言則氏に化けていて、衣装は衣冠束帯のお公家さんの姿です。ここは、あくまで肚を割らず、公卿らしい品格を滲ませるのが大切です。とはいえ、首が『菅原伝授手習鑑』の菅丞相のような孔明ではなく文七なので、よけいに難しい。(略)
 (略 切場“袖萩祭文”で)貞任は切腹した傔杖の懐から密書を抜き取ります。ここで、ずっと以前は、貞任の人形が「してやったり」とでもいう風に「べー」と舌を出す演技をすることがあったそうです。私は話に聞いているだけで見たことはありませんし、栄三師匠ももちろんそんなことはなさっていません。素朴な面白さはあるでしょうけど、貞任の性根にはやはりふさわしくない。

立役(男性の役)の場合、かしらの種類が多彩にあるためか、かしらが何であるかもその役の人物造形に関わってきて、それゆえの難易度が発生することがよくわかる。

 

 

 

加えて玉男師匠は、人物描写はわざとらしく拵えたものではなく、内面から滲み出ることが重要と考えておられたようだ。特に色気に関しては描写が慎重。『本朝廿四孝』十種香の段に登場する武田信玄の嫡子、超キラキラ系イケメンの武田勝頼の描写をこう語る。

 とはいえ、勝頼の色気はあまり意識しては表現しません。また、計算して出せるものでもない。さりげなく滲み出るようでなければいけません。文五郎師匠の八重垣姫も、得も言われぬ可愛らしさでしたけれど、拵えたものではなく、あくまで自然な描写でした。(略)勝頼の場合は衣裳が美麗なので、それだけで十分華やかですし、あとはやはり首の遣いようです。歌舞伎の二枚目のように、襟を衣紋に抜いたりしない。本来、私はどんな役でも、棒襟をきっちりとつけるのが好みです。

対して、これまた玉男師匠が得意としていた世話物の二枚目の色気はどう表現するのか。『心中天網島』の主人公、治兵衛について問われた玉男師匠はこう語る。

 和事の二枚目の色気をどうやって出すか、ですか。拵えた色気はいやらしいものですし、自然と滲み出ないといけないのですけど、技術的にはまず胴串の握り方ですね。普通、立役でも時代物なら力強さを出すために、左の掌の中心部に胴串をどっしり据えて、五本の指でしっかり握る。対して女形は指の付け根あたりに胴串をふんわり置く感じで、握り方も柔らかい。二枚目はその中間くらいでしょうか。ただ、おなじ源太の首を用いても、裃をつけた『本朝廿四孝』「十種香」の武田勝頼や『絵本太功記』の武智十次郎と、世話物の治兵衛や忠兵衛のような役はまた違う。そのあたりは微妙で、言葉では曰く言い難いのですが、時代物の方が色気の描写を控えめにする必要があります。

この談話はかなり具体的で、かつ、客席からは絶対に知りえない「胴串(人形のかしらの下部についた棒。主遣いはここを左手で握る)の握り方」というヒミツ(?)が語られているのも貴重だ。

玉男師匠の「おさえた中の的確な表現」へのこだわりを読むと、みんなおなじように見えていたいまの人形遣いさんにもそれぞれの考えや遣い方があることが浮き上がってくる。過剰めの演技をする人がなぜそうしているのか、地味に思える人は本当にただ地味なのかを考えるきっかけになる。

 

 

 

舞台のちょっとした裏話が散りばめられているのも楽しい。客席から見ていると、舞台上にはたくさんのお人形さんたちがうぞうぞしていて、衣装をもぞもぞ脱いだり、中空からモノをぱっと突然取り出したり、エア椅子にどっしり腰掛けていたりする。そういった舞台は、いったいどういう段取りで進行しているのか。

例えば、物語上重要な小道具の準備。『加賀見山旧錦絵』長局の段で、尾上が自害する前、文箱を開けていくつかの中身を取り出る場面がある。玉男師匠は後年の立役のイメージが強いが、尾上などの品格の高い立女方も多く勤めている。この尾上役のときは、箱の中身に入れ忘れのないよう、初日からしばらくは準備してもらったものを自分でも確認していたそうだ。

そして、遣っている本人しか気付けない、人形自体からくる難易度。たとえば、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の最後に登場する源義経。首実検の最中、舞台の上手にじーーーーーーーーっと座っているだけなのでラクそうと思いきや、鎧をつけているせいで重量があり、ふらふらさせずに綺麗な姿勢で持っているのが大変なのだという。上演中は観客みんな熊谷を注視しているので、義経はいるような、いないようなイメージ(失礼)だったけど、大変だったんですね。

ほかにも、『良弁杉由来』二月堂の段の良弁上人、『桂川連理柵』帯屋の段の長右衛門など、じっとしていて動きの少ない役の難しさ、それゆえのやりがいは繰り返し語られている。じっとしている系の役の重要さは、ぜひ本書を読んで確かめていただきたい。当代の玉男さんがなぜあんなにもじっとしているのか、わかった気がした(?)。

誰も気にしていない(褒めてます)左遣いや足遣いの、見えない見所(?)の披露も。『源平布引滝』の斉藤実盛など、舞台上で馬に飛び乗る人形を綺麗に馬に乗せるには、足遣いと間合いを合わせることが必要だとか、『絵本太功記』で武智光秀が遠寄せの太鼓の音を聞いて下手へ向かって駆け出す際の「団七走り」では、左遣いが人形の前に回って主遣いの腰を支えながら人形を遣うので、その加減が重要であるとか、3人遣いの文楽ならではの左遣い・足遣いとの関係性の話題も興味深い。このような話を読んでいると、普段、存在感の薄い(褒めてます)左遣いや足遣いの動きがいかに重要か、具体性を帯びてきて、よくわかる。

 

 

 

玉男師匠の言葉は常に明晰な言葉で語られているので、玉男師匠の舞台を観たことのない、現在の文楽の観客である私にも何を言っているのかが理解できる。これって、すごいことだと思う。芸談本には、自分の意見と他人の意見を混同している方とか、本心を明かさずものすごくおおざっぱな一般論を語る方とか、独自の精神論を語る方も多いので……。本書の明瞭さ、仔細でありながら読みやすい文章は稀有なものだ。おそらく、取りまとめをされた森西真弓さんの工夫によるところも大きいだろう。私は玉男師匠の実際の舞台を観ることはできなかったけど、この本を通して、玉男師匠が文楽に残した偉大な足跡を知ることができた。

談話のテーマになっている演目は以下の通り。

伊賀越道中双六/一谷嫰軍記/妹背山婦女庭訓/絵本太功記/奥州安達原/近江源氏先陣館・鎌倉三代記/加賀見山旧錦絵/桂川連理柵/仮名手本忠臣蔵/源平布引滝/恋女房染分手綱/心中天網島/心中宵庚申/菅原伝授手習鑑/摂州合邦辻/曾根崎心中/染模様妹背門松/玉藻前曦/壇浦兜軍記/夏祭浪花鑑/鳴響安宅新関(勧進帳)/彦山権現誓助剣/ひらかな盛衰記/双蝶々曲輪日記/平家女護島/本朝廿四孝/嬢景清八嶋日記/冥途の飛脚/伽羅先代萩義経千本桜/良弁杉由来

各演目の解説のほか、本文中に出てくる文楽専門用語や人名をまとめた用語集つき。このあたりは下手な入門書よりわかりやすく書かれており、これだけでも価値あり。

談話の内容があまりに詳細なので、観たことのない演目のページは読んでいても何言うてるか本当にわからない。公演に通ううち、「読める」ページが増えていくことが楽しい。文楽を観るようになって4年、もうほとんどのページを読んでしまったけど、まだ読んでいない数演目を読み終わる日が楽しみ。

 

……と、いろいろ理屈を並べたが、玉男師匠についてなにより本当に一番びっくらこくのは、人形遣いとしてのぶっちぎった技芸のレベルの高さだね。記録映像で観ると、演技が理論的とかそれ以前に、とにかく、もう、めちゃくちゃにうまい。衝撃的。本当に次元が違っていて「は???????」となる。NHKが往年の名演をまとめた文楽DVDをたくさん発売しており、人形の重要な役は大抵玉男師匠なので、本書を手にされた暁には合わせて実演も確認してみてください。

 

 


備考
前述の通り、本書は国立劇場国立文楽劇場売店でのみ店頭販売されているが、国立劇場売店の文化堂(http://bunkadou1.com/)から通信販売で購入することもできる。本体価格1,000円、送料200円。

通販ページ https://store.shopping.yahoo.co.jp/bunkadou/1-580.html

 


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