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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『木下蔭狭間合戦』全段のあらすじと整理

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2020年2月29日、ロームシアター京都で上演予定だった『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがっせん)』の全段あらすじや題材のまとめ。

該当公演(シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 vol.3 人形浄瑠璃 文楽)は長らく上演の途絶えた稀曲の復活上演として期待されていたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため京都市の要請によって残念ながら中止になった。今後上演されるときのため、あるいはその機会を観客側から支援するため、以下に本曲の概要をまとめておく。

 

 

┃ 概要

時代浄瑠璃太閤記ものの一種。全十冊。角書は「小田の結納/斉藤の色直」。足利管領・三吉長慶が美濃の斉藤道三と共謀し、足利家転覆を狙うのを、尾張の小田春永が防ぐという筋書き。この大きな歴史の流れとともに、此下当吉と石川五右衛門の個人的な出会いと成長が副流として絡んでくる。七冊目の「竹中砦の段」は桶狭間の戦いをモチーフとしているが、史実で織田信長と戦っていた今川義元を斉藤義龍に入れ替えた特殊設定がなされており、また、元号を史実の「永禄」ではなく「文禄」としている。

初演は寛政元年(1789)2月21日初日、道頓堀大西芝居豊竹此吉座(番付による)。作者は若竹笛躬、近松余七*1、二代目並木千柳(正本による)。

初演直後の再演の機会は少なかったが、享和以降文化年間にかけて多く上演された。五冊目・来作内(犀ヶ崖)、七冊目・官兵衛陣屋(竹中砦)、九冊目・治左衛門内(壬生村)が有名。人形浄瑠璃としては大正期までは稀に通し上演が行われていたが、昭和9年(1934)四ツ橋文楽座での竹中砦以降、上演が断絶しており、現行本公演での上演はなし。素浄瑠璃でのみ伝わっている。*2

 

 

 

┃ 登場人物

注:名前の後にあるかしらの表記は類推。竹中砦の段向けの設定。

足利義輝
将軍。アホ。三好長慶に乗せられて遊蕩に耽り、朝廷を覆そうと考える。軍書と武道を好む正室・綾の台を退け、傾城芙蓉太夫にうつつを抜かし中。

三好長慶
足利幕府の管領斎藤道三と共謀し、若輩の義輝を陥れて自分が天下を取ろうとしている。

三好四郎国長
三好長慶の嫡子。島原の傾城・芙蓉太夫を身請してアホ将軍・義輝に差し出し、アホをますます堕落させる。正直あんまやることない人。

斎藤道三
美濃国の主、イケイケジジイ。娘・花形姫が大好き。管領三好長慶と共謀して将軍家転覆を狙っていたが……?

斎藤義龍[文七]
斎藤道三の嫡子。父を謀って殺害し、小田春永を討って栄華を手に入れようとする。

花形姫
斎藤道三の娘、義龍の妹。父思いのしっかり者。日々長刀の稽古を欠かさず、鮎取りがうまい。小田春永に一目惚れして出奔する。

竹中官兵衛[鬼一]
斎藤義龍の軍師、おそろしくもの堅い性格の強気ジジイ。怪我を負って自宅療養中。

関路[老女形
竹中官兵衛の妻。弁舌巧みな賢女。娘・千里の恋に早くから気付いており、なんとか犬清と添わせてやろうとしていた。

千里[娘]
竹中官兵衛の娘。左枝犬清と恋に落ち、その子をみごもってひそかに産み落とす。

お高
斎藤義竜の軍師・竹中官兵衛の娘である千里の乳母、30歳くらい。犬清の子を身ごもった千里を湯治と称して郷里へかくまい、清松を産ませた。その後、竹中家から離れて清松を育てているが、熱田神宮へ参拝した際、偶然犬清と出会う。

清松
千里と犬清の子。千里の乳母・お高に育てられているぷくぷくあかちゃん。スヤスヤ。

大沢十郎
斎藤義龍の木っ端家臣。竹中官兵衛・関路夫妻の娘、千里を妻にと何度も申し入れるも、ガン無視されている。

大垣三郎[陀羅助]・樽井藤太[鬼若]・四の宮源吾検非違使
斉藤家に仕える家臣三馬鹿トリオ。道三館でぎゃーぎゃー春永の噂話をしていたり、竹中砦へ注進にやってきたりと、木っ端ながら仕事は多い。名前は美濃の地名パロディになっているらしい。

芙蓉太夫
京都・島原の遊女。国長に請け出され、将軍義輝に仕える。自分のせいで顧みられない正室・綾の台を心配する。

綾の台
義輝の正室。関白家の生まれながら、軍書と武芸を好む。それゆえに義輝からは退けられているが、義輝と政道を心配し、志賀の館に乗り込んでくる。


小田春永検非違使
尾張の城主。「かなり変わった人」だともっぱらの噂だが、実は計略。

三輪五郎
小田春永の家臣。春永に従って道三の館を訪れたところ、花形姫に一目惚れされるが……?

猿之助/此下当吉久吉検非違使
叡智に溢れる小田軍の軍師。岡崎・矢矧橋のたもとをウロウロしていた子どもだったが、盗賊・来作に見出されて犀ヶ崖で修行、そこを出て各地を転々としたのち、小田春永に取り立てられて軍師となる。

お賤
小田春永の軍師・此下当吉の妻。関路と同じく、軍師である夫同様、弁舌巧みな賢女。当吉が低い身分から大役に取り立てられたことから、打掛などの着るものはすべて質素な木綿で、上に立っても奢らない戒めとしている。

左枝犬清[源太]
小田春永の近習。敵軍である竹中官兵衛の娘・千里との仲が露見し、春永からは勘当を受けている。


友市/石川五右衛門
日本中にその名を轟かせる大盗賊。幼い頃岡崎で猿之助と出会い、共に犀ヶ崖の来作の隠れ家に住居するも、雌龍・雄龍の剣を巡って別れたのち、盗賊となった。忍術が使える。

来作(加藤清澄)
三河の国・犀ヶ崖にアジトを構える盗賊。偶然見かけた猿之助と友市に目をつけ、仲間に引き込んだ。ひとり娘・お杣を溺愛しており、早く良い婿を取ってやりたいと思っている。かつては甲州武田氏に仕えており、加藤清澄と名乗っていたが、忍術を使えたことで謀反を疑われ、主のもとを離れることになった。

お杣
来作のひとり娘。17歳。はっきりした性格のエネルギッシュな娘さん。大木にからみついたツタを掴み、揺れる反動で谷を飛び越える運動能力の持ち主。

与六(仁木太郎国定/蓮葉与六)
餅屋に紹介されて来作の家へやってきた仲人。オドオドしたパンピーかと思われたが、実は三好長慶に奪われた「雌龍」「雄龍」の剣および父・仁木刑部左衛門国安の行方を追って犀ヶ崖へやって来たその息子・太郎国定だった。

べか七(七蔵)
お杣の婿候補だったが、一切関心を示されないまま退場。文楽時空においてパッとしない男は娘さんからすると存在しないも同然というシビアな現実を教えてくれる。正体は足利譜代の家臣である刑部家の家来。

治左衛門
かつて金欲しさから旅の女を殺害。その償いのため、女の腹から生まれた赤ん坊を育てた。もともとは石川村に暮らしていたが、壬生村へ引っ越してから盲目となった。借金のため、愛娘・小冬を苦界に沈めざるを得なくなるが……。

小冬
治左衛門の実の娘、13歳。とても親孝行で、常に盲目の父と亡くなった母を気にかけている。家の借金のため、島原へ売られることになる。

足柄金蔵
石川五右衛門に常に付き従う忠実な子分だが……?

三上百助
石川五右衛門の忠実な子分。五右衛門が授けた忍術によって狆に化けられる。(ずっと化けててくれ!)

 

┃ 一冊目

芥川

  • 因縁の出生

天文9年。嵐の芥川。雷雨に見舞われて柳の下で休んでいた旅人が、旅の女が倒れたのを見かけて介抱する。女は西国のあるお館に仕えていたが、主人の子を身ごもって館にいられなくなり、摂津の知己を頼って旅をしてきたところ、持病の癪を起こしてしまったと語る。旅人は女を撫でさするうち、女が懐に金の包みを持っていることに気づいてふと魔が差しそうになり、それを察した女は激しく抵抗する。旅人はその金を貸してくれと懇願するも女は聞き入れないので、ついに女を斬り殺してしまう。お腹の子に日の目を見せてあげられなかったことを悔やむ女に旅人がとどめを刺すと、傷口から赤ん坊が生まれる。旅人はその子を我が子として大切に育てると誓い、芥川を去る。

 

 

 

┃ 二冊目

道三仮屋

その10年後、天文19年の夏、美濃国。小鮎を取る女たちで賑わう谷川沿いに造られた仮屋に、美濃国押領使*3斎藤道三がやってくる。道三の娘・花形姫が腰元たちに混じって鮎取りをしているのは、まもなく都から訪れる院使へのもてなしのためだった。父を迎えた姫は捕獲した鮎を見せ(自分で獲った)、娘LOVEの道三はそんな姫を「さすが日頃長刀の稽古しとるだけあるMy娘👍」と褒めちぎる。
そうこうしているところへ、将軍足利義輝の付添人、管領*4三好長慶がクソ偉そうにやってくる。実は長慶と道三は共謀し、気にくわない隣国の小田春永を院使饗宴の席で暗殺しようとしており、典薬に命じて鴆毒を作らせていた。さらには春永に疑われて毒味をさせられたときに備え、解毒剤まで準備する念の入れよう。長慶はそれに満足し、詳しくは宿で密談として先に仮屋を出て行く。残された道三は長慶に媚びへつらい足利家を滅ぼせば、天下を取れるとほくそ笑む。そこへ花形姫がやってきて、院使への献上品を用意したと言って古びた油桶を見せる。それは道三がかつて油売りの庄九郎だった頃に使っていた道具だった。謀反の心を持つ父を情けないと諌める姫に、道三は怒って油桶を蹴り飛ばし、仮屋を出て行く。その姿を見送った花形姫は兄・義龍と相談し、機会を見て父に異見しようと、腰元たちを連れて帰っていくのだった。

 

 

 

┃ 三冊目

道三館

  • 斎藤義龍、父道三を裏切る
  • 花形姫の恋と出奔

稲葉山の道三の居城では院使・御階の局を迎える饗応が行われ、その宴も半ばになっていた。しかし隣国の小田春永の姿はまだ見えない。道三と長慶はこの宴に乗じて春永を暗殺せんと企んでいる。春永には先祖の霊廟へ抹香を投げつけたという噂があり、今も真っ赤な衣装でこっちへ向かっているという報告があったため、道三の家来たちは春永をバカにしきっていた。ところがそこへ大名らしい威風堂々とした出で立ちの春永が現れたので、家来たちは口あんぐりになる。
宴が進むあいだ、春永に従って道春の館へやってきた近臣・三輪五郎は、意趣を凝らした立派な庭を眺めていた。するとそこへ花形姫の腰元がやってきて、物陰から五郎を見た姫が一目惚れをしてしまったと告げるが、五郎は「仕事中なので……✋」とすげなく断る。しかし腰元が次々に現れて姫への誓言を迫るので、五郎は声を荒げてしまう。すると長刀を持った腰元軍団が押し寄せ、五郎を討って姫への意地を立てると斬りかかる。五郎はそれをうまくかわしてゆくも、長刀を持った花形姫が踏み込んでくる。五郎は姫の長刀を打ち落とし手首を取るが、腰元たちは「やった〜❤️姫が手握られた〜〜❤️❤️❤️」と大喜び。五郎は慌てて姫を突き飛ばそうとするが、姫は膝に取り付き、愛しいと一言言って欲しいと懇願する。五郎は引っ張ろうとする腰元たちをなんとか振り離し、隣の間へ逃れるのだった。
そうこうしていると、宴が行われている奥の間で騒ぎが起こる。春永が院使に差し出した濃茶が怪しい、毒が入っているのではないかと長慶が騒ぎ出したのだ。春永は平清盛の子孫なので院使を毒殺しようとしてもおかしくない、捕縛して白状させよという道三。しかし道三の嫡子・義龍は濃茶の手前は道三で、持っていったのが春永であり、疑いは両者にかかるべきだと言う。道三は身の潔白を証明するとして濃茶を飲み干し、続けて春永も濃茶を飲む。それを見届けた院使は二人の無事に安心し、帰洛するとして席を立ち、一同はそれを見送りに行く。
ところが、見送りから戻った道三と春永が苦しみはじめる。やはり濃茶には毒が入っていたのだ。その様子を見て喜悦の色を浮かべる義龍に道三が解毒剤を求めるが、義龍は解毒剤と称して調合させたのは自分用の滋養強壮の薬だと笑い、盃を傾けて二人の苦しみを悠々と見物する。道三は息子を信用したことを後悔するが、義龍は春永を討って両国を一つにし栄華は自分一人と告げ、父の首を討つ。続いて春永の首も討ち取ろうとしたところ、春永が「我が君、義龍の謀計ご覧あれ」と声を上げ、三輪五郎が現れる。実は春永と五郎はあらかじめ入れ替わっており、近臣と称して館へ入り込んだ五郎こそ真実の小田春永だったのだ。義龍は怒って家来たちに春永を捉えさせようとするが、春永はそれをかわしつつ逃れようとする。騒ぎを聞きつけた花形姫が春永の後を追おうとするが、義龍の家来に振袖を掴まれて阻まれてしまう。三輪五郎がその振袖を切り落とすと、姫は春永を追って駆けて行く。一方、義龍の手下に囲まれた春永は白馬を奪い取って逃れ行き、洲股川にひらりと飛び込んで姿を消すのだった。

 

 

 

┃ 四冊目

矢矧橋

  • 猿之助(当吉)・友市(五右衛門)の出会い
  • 犀ヶ崖への出立

岡崎。矢矧橋のたもとで、二人の子供がスヤスヤ眠っている。川風に目が覚めた子供たちはお互いにもたれて寝ていたことに文句を言い合うも、昼寝のあいだに見た天下取りの夢を語り合ってワイワイ盛り上がる。そこへ庄屋の息子がやってきて、かわいがっているペットのワンコに「ぶち殺す」と何故言ったと責め立ててくる。一方の子供が袖を食いちぎられたから殺すのだと言うので、庄屋の息子はそれなら自分がお前を殺すと言い出し、お互い殺せ殺せと大騒ぎする。しかし河原の子供はこの喧嘩には損得があると言う。つまり、乞食が犬を殺せば乞食は庄屋に殺され、庄屋が乞食を殺せばその科で庄屋は殿様に殺される。犬と庄屋の2つの命が乞食の命1つと引き換えになるのだから、そちらは損でこちらは得の喧嘩だと言うのだ。それを聞いた庄屋の息子はスゴスゴと帰っていく。
再び二人になる子供たち。一方の子供は、先ほどの騒ぎのすきに庄屋の息子の腰下げや紙入れを擦っていたが、ろくな中身がないと投げ捨てる。すると、一連の様子を見ていたという遠国の武士が二人を召し寄せ、子供二人はその前に畏る。一人の子供は愛知群中村の猿之助で12歳だと名乗り、もう一人の子供は又河内石川村の友市13歳だと名乗る。武士は二人に見所があるとして、望めば900石の禄で召し抱えると言う。二人はそんなちみっちゃい主人は嫌だと言って断るので、武士は、禄に関わらず天下に名を得た稀代の者があれば、それが盗賊でも奉公するかと問う。子供たちが行くというので、武士は好きなときに三州犀ヶ崖の来作を訪ねてくるように言って去っていった。
子供二人がその後ろを見送っていると、そこへ花形姫が走ってくる。清洲へ向かっているが人に追われていると助けを頼む姫に、二人は任せろとして姫の上着を脱がせて先へ行かせてかる。猿之助が石を姫の着物で包んで川の中へ放り投げていたところ、斎藤家の追っ手たちがやってきて、姫を見かけなかったかと問う。すると二人はお姫さまは橋の上から身投げしてしまったと返す。家来らが橋の上から目をこらして見ると、川の中に姫の小袖がちらちら見える。家来たちは姫の死骸を引き上げようと着物を脱いで次々川へ飛び込んでいく。友市はその着物を手早く拾うと、猿之助が家来たちに一生懸命指示している大将を後ろから川へ突き落とす。こうして二人は三河の国・犀ヶ崖を目指して出発するのだった。

 

 

┃ 五冊目

来作内(犀ヶ谷の段)

  • 盗賊・来作の子分となる猿之助、友市
  • 猿之助、友市それぞれの旅立ち

三河の国の山中、犀ヶ崖の来作の家では法事が行われ、来作の若い子分たちが集められている。実は来作は盗賊で、ここはそのアジトだった。子分たちはもてなしを楽しみ、最近仲間に加わった猿之助や友市の手際の良さを噂して帰って行った。そこへ来作のひとり娘・お杣がやってきて、父の疲れを気遣う。来作がしばしば宴を催していたのは、溺愛している娘に山暮らしをさせている気散じのためと、集めた男たちの中に彼女の気に叶う男があれば婿に取って夫婦にさせるためであった。しかしお杣の気に入る男はいないらしく、来作は素人盗賊の集まる街道筋の餅屋に頼んで婿候補を連れてきてもらうことにしていた。お杣は自分には婿はまだ早いと言うが、友市ははやく大きくなって遊女が買ってみたいとませたことを言う。
町へ買い出しに出かけていた猿之助が帰ってきて、道中谷底で大黒像を拾ったと言って二人に見せる。お杣から三面の大黒は出世の守り神と聞いた友市はその像を欲しがるが、お杣は拾った猿之助のものだと言って、三面の大黒は三千人の上に立てる誓願だと教える。すると猿之助はたった三千人ならいらないと言い出し、友市も所詮細工人の手の内のものだからいらないと言いはじめる。お杣はそれなら自分がもらうとして大黒像を縄で縛って井戸に吊り下げ、三千世界にまたとないよい男を持たせて欲しい、さすれば井戸から上げてあげると言って奥へ入って行った(女王様タイプ?)。
そうこうしているところへ、餅屋から紹介されてきた与六という男がやってくる。来作は彼が婿候補かと思い込むが、この男は仲人で、与六が連れてきたべか七というむさ苦しい男こそ婿候補だった。話を聞くとなかなか見所のある男だったので、来作はお杣にも会わせようと娘を呼び出す。が、お杣は与六のほうが婿候補かと思ったと笑って挨拶もせずツイと去ってしまう。来作は猿之助にお杣の返事を聞いてくるように言い、友市には祝言の宴の用意を命じる。来作が祝いの準備にソワソワしていると猿之助が戻ってきて、お杣は今日は用事があるから帰って欲しいと告げる。それならまた明日か明後日に出直すという仲人に、お杣は明日も明後日も、なんなら一生用事があると言う猿之助。しかもお杣はあんな汚い婿をよくも連れてきたと言って仲人の与六を呪っていると言う。驚いた与六がどうしたらお杣に許してもらえるかと尋ねると、猿之助は婿候補をすぐさま追い返し、かわりに与六が婿入りするなら恨みは晴れるだろうと告げる。与六はその通り取り計らって欲しいと頼み、来作もお杣が気に入ったならヨシ👌と言い出して、べか七には酒でも飲んでいてくれと勧めはじめる。泣き出すべか七に来作は金子を渡し、大盗賊となる素質はないのでこれを元手に商売をはじめて堅気に暮らせと告げる。べか七はその心遣いに喜び、いそいそと帰って行った。
奥座敷では祝言が執り行われ、お杣と与六は夫婦となる。それが終わり、与六が一人いるところへお杣がやってきて、今朝にはこんな縁があろうとは思いもよらなかったと語る。そうして二人が寄り添ってキャッキャとしていると、来作がお杣を呼ぶ声が聞こえ、お杣は心残りながらも出て行く。
お杣と入れ替わりに、来作が与六のいる間にひとつの箱を携えてやって来る。来作が与六は何か望みがあってこの家に来たのだろうと尋ねると、与六は来作の気に叶い跡継ぎに取り立てられたというこれ以上の望みはないと答える。しかし来作は許さず、言えないなら出て行けと言い放つ。すると、与六は言いそびれていたというこれまでの次第を語り始める。
かつて足利義種公と義晴公の間に不和が生まれ、義種公が淡路島へ蟄居することとなった際、義種公へ仕えていた与六の父・刑部左衛門は「雌龍の剣」「雄龍の剣」という二振りの剣を密かに預かった。ところが三好長慶が剣を差し出せと迫り、それを断ったために刑部の館は長慶の軍勢に攻め込まれ、「雌龍の剣」を奪われてしまった。刑部左衛門は剣を取り戻すと言う書き置きを残して姿を消し、与六は父の後を追って旅立ったが、左衛門の消息はいまだ知れない。そんな中、犀が谷の来作が忍術に長けているという噂を聞いた与六は、その忍術を授かって再び家を起こそうと考え、強盗を働いて今まで自分を育ててくれた家来・七蔵を婿候補に仕立てて連れてきたのだと言う。
すると物陰でそれを聞いていた友市・猿之助が「雌龍の剣」奪還を任せて欲しいと願い出で、来作は二人には重荷だが志が面白いとして二人を旅立たせる。大喜びで飛び出した友市と猿之助だったが、丸木橋まで来たところでお互いの邪魔をしあい、猿之助は足を踏み外して谷底へ落ちてしまう。友市はいい気味だとそれを尻目に走っていく。
さて、与六の志を気に入った来作は婿君への引出物として、先ほど持ってきた箱を差し出す。与六はその中にあった一振りの刀に見覚えがあった。舅御好みの拵えかと問う与六に、来作はすべて盗賊稼業で奪ったものだと答え、与六が指し示した刀の由来を語る。
3年前の11月、雪の中で道に迷っていた浪人に乞われた来作は、その身なりの立派さに金を持っているだろうと推量して宿を貸して夜中に床へ忍び寄ったが、出来た侍だったのでその気配を悟り、斬り合いになった。侍を手練れと察した来作は不慣れな場所に誘い込み、不安定な足元に倒れたところを斬り殺して懐を探ったが路銀は持っておらず、無益の殺生をしたと思えど、死骸はそのまま谷へ蹴り込んだ。その後に残った一振りを見れば稀代の業物だったので、秘蔵していたのだという。それを聞いた与六は、親の仇と言って来作に斬りかかる。来作が助けた浪人というのは与六の父・刑部左衛門で、父が行方不明になったときに差していた刀というのがこの「晴信」だったのだ。与六は自分こそが仁木刑部左衛門国安の息子・太郎国定であると名乗り、来作へ勝負を挑む。盗賊の婿になったなら武士道はもはや捨てたものだろうと笑う来作、斬りかかる太郎。音に驚いたお杣がその間に割って入り、二人を止めようとする。お杣は来作が振り上げた刀にしがみつくが、来作はその刃を取って自分の腹へ突っ込む。
娘は驚くが、来作はいままで17年間親に歯向かうこともなかったお杣が夫大事、「舅の仇」として自分を刺したことを褒め讃え、太郎に娘を末長く大切にして欲しいと頼む。そしてさめざめと泣くお杣に、自分の正体が甲州武田氏に仕えた加藤清澄であることを明かす。清澄はその忍術から主人・信虎に疑われ、忍術を使って出奔してきたという。また、先ほど婿引出として忍術の秘伝書を太郎に授けようとしたところ、秘伝書が紛失しており、盗んだのは猿之助か友市のいずれかで、「雌龍の剣」を持ち帰った者がその犯人であろうから、取り返して刑部家の宝にするようにと言い渡す。太郎はその志をありがたく受け、清澄の異名である「蓮葉」を苗字に戴いて、親の仇討を果たすまで「蓮葉与六」と名乗ることを宣言する。その勇み立つ姿を見た清澄は安心して息絶えるのだった。
そうしている門口に捕手が現れる。与六は来作を捕えに来た捕手と切り結び、逃げる捕手たちを追って家を走り出て丸太橋を超えていく。それをまた多数の捕手たちが追っていくが、ちょうどそこへ猿之助が谷底から這い上がってきて、丸太橋の縄目を切り落として捕手たちを谷底へと落としてしまった。谷の向こうへ行ってしまった夫の身を案じるお杣は大木へとよじ登り、そこから下がる藤のかづらにぶらさがり、揺れる反動で谷の向こうへ飛び移って与六を追って走っていく(大黒様を助けてから行って!!!!)。
一方、谷底で刑部左衛門が携えていた「雄龍の剣」を発見していた猿之助は、その剣を背にまた違う道へと走っていくのだった。

 

 

 

┃ 六冊目

義龍陣屋

  • 竹中官兵衛への疑い−千里の密通疑惑
  • 官兵衛の妻・関路

それから10年後、文禄4年、夏。美濃・斎藤義龍軍と尾張・小田春永軍は度々衝突を繰り返していたが、このたび洲の股川の戦いにおいて斉藤軍は軍師・竹中官兵衛の計略によって小田軍に勝利をおさめていた。
池鯉鮒におかれた義龍の陣屋では、その祝宴が催されていた。現在斉藤軍は官兵衛の指示により攻撃を止めていたが、小田軍の新参軍師・此下当吉が加勢を集めに動いていることから、いまのうちに一気呵成に攻撃すべきではと話す義龍の家臣たち。官兵衛は矢傷を負って療養中のため、その妻・関路を呼び出し、官兵衛の意図を確認することになっていた。
やがて関路がやってきて義龍の前にかしこまると、義龍の家臣・大沢十郎は、官兵衛には後ろ暗いところがあると言い出す。官兵衛が勝ち戦にもかかわらず軍を引いた理由は、彼の娘・千里が春永の近習・左枝犬清と密通しているからだと言うのだ。実は大沢がこう言うのは忠義心からではなく、千里を我が妻にと何度も頼んでいるのに官兵衛にも関路にもガン無視されているゆえの当てこすりだった。それを聞いた義龍は釈明を命じるが、関路は初めて聞いたこととして、官兵衛は親子の縁に引かれて忠義を忘れることはないと語る。そして逆に義龍の妹・花形姫が春永のもとへ走ったことを引き合いに出し、敵に縁を引くのは「お家柄」と言う。その言葉から官兵衛への疑念を晴らした義龍は、関路へ娘の実否を正して釈明するよう命じ、また大沢には千里らの不義の証拠を調べるよう指示して二人を陣屋から下がらせるのだった。

 

熱田神宮

  • 左枝犬清とお高・犬清との出会い
  • 関路と当吉の妻・賤の出会い

池鯉鮒の陣屋からの帰り道、関路は夫の武運長久を祈るため、熱田神宮へ立ち寄っていた。しかしながら熱田神宮は春永の陣地であり目立つ行動はできないため、関路は参道の傍に籠を隠して参詣することに。それを見かけた大沢十郎の家臣・玉淵理金太は不義の実否を詮議せんと関路を尾行する。
一方、春永から不義露見による勘当を受けた左枝犬清もまたこの熱田神宮を参拝していた。犬清はその道すがら、千里の乳母・お高に偶然出会う。お高は千里が密かに産んだ犬清の子・清松を誕生日のお参りに連れてきていた。犬清はぷくぷくに育った我が子を見て喜び、我が身の不幸も忘れるのだった。
そうしていると、此下の桐の紋を旗印にした行列がやってきたので、お高と犬清はそっと身を隠す。当吉へ訴訟を願う町人たちが籠のまわりにワラワラ集まってくるが、乗っていたのは此下当吉の妻・お賤だった。賤の方は夫の代参として熱田を訪れたのだが、町人たちの訴訟を聞くとして、勘当を許すから帰ってきてパパvs今さら何言うてんねん息子の喧嘩を取り捌き、あとはお参りが終わってから屋敷で聞くとして、訴訟がある者は屋敷で待つように言う。町人たちは喜んで当吉の屋敷へ向かっていった。
その様子を見ていたお高は、春永に犬清の勘当を解いてもらえるようにとの願いの書を清松に持たせてお賤の前に進み出る。それを読んだお賤は、犬清がひとつの功を立てれば当吉が身命をかけて春永に勘当の許しを取り次ぐとして、犬清勘当の際に預かった左枝の笠印と、当吉からという文箱の2つの品をお高に預け、決して早まったことをしないようにと言って去っていく。
犬清が当吉の情に涙し、2つの品を押し頂いていると、玉淵とその家来たちが犬清とお高を取り囲む。清松を奪おうとする玉淵と斬り合いになった犬清は玉淵を斬り捨て、玉淵の家来たちは主の仇とそれを追い、一同は走り去っていった。
逃げ延びたお高は参道の傍にあったお賤の空き籠を見つけ、これ幸いと清松を抱いて身を隠す。関路が下向の道を歩いていると、犬清が向こうから走ってきて、関路を武家の者と見て匿ってもらえるよう頼み込む。関路は犬清が尾州の者と名乗ったにも関わらずそれを受け入れ、籠へ隠して出発させる。お賤はその様子を見ていたが、自分の籠を引き開け、中を見ると手早くぴっしゃり。何か思案をして、行きかかる関路の籠を呼び止め、お賤は自分が当吉の妻であることを名乗って籠の中を見せてくれるよう申し込む。様子をご覧になったのかと問う関路、見たでもなし見ぬでもなしと返すお賤。関路はそれでは賤の方の籠の中も見せるよう申し込み、見たでもなし見ぬでもなしと言う。関路は自分が竹中官兵衛の妻であることを名乗り、2人はお互い小田・斎藤両軍の軍師の妻と悟る。お賤はこの籠は自分の城郭であると言い、関路もまた籠は自らの納戸・帳台であるとして、お互い決して見せることはあいならぬと譲らない。縁があればまた会う機会があるだろうとして、2人は笑顔の中に火花を散らしながら別れゆくのだった。

 

 

 

┃ 七冊目

官兵衛陣屋(人形浄瑠璃上演可能部分 竹中砦の段)

  • 療養中の斉藤軍軍師・竹中官兵衛
  • 千里・犬清の再会
  • 官兵衛と犬清の密談、犬清の寝返り
  • 三人の注進、犬清の忠節
  • 春永・久吉の登場、官兵衛と初孫との対面
  • 久吉の旅立ち

三河に構えられた竹中官兵衛の陣屋は、矢傷を療養中の主人・官兵衛のもの堅い性格から緊迫した空気に包まれていた。もちろん腰元たちは官兵衛の性格とは関係なくエロ会話をしながら矢筒の手入れをしていたが(文楽にいがちなタイプの腰元)、腰元ズは主人・官兵衛の娘、千里が恋人・左枝犬清と便りすら取りかわせない境遇になってしまったことを哀れんでいるのだった。そこへ当の千里が姿を見せ、母・関路の留守のさなか、療養中の父・官兵衛の病床へ話が聞こえてはと注意する。
まもなく関路が帰宅し、千里と話がしたいと言って腰元たちを下がらせる。実は、関路は千里と犬清の仲を知ってた。竹中家としても小田へ正式に結納を申し入れ、犬清を婿に迎えようと考えていた矢先に小田家と斎藤家の間で戦が起こり、2人は会うに会われぬ中となっていた。関路の熱田神宮への参拝も日ごとにやつれる娘を慮り、両家の和睦を願うもの。関路は熱田神宮で得た御利生として籠乗物を千里に贈り、入相の鐘とともに奥の間へ去っていった。
千里が母の言葉を不思議に思っていると、籠の扉を開けて犬清が出てくる。驚きの中、久しぶりの再会に涙する2人だったが、春永の勘当が解けない以上は2人の縁も終わりだという犬清の言葉に、千里は子供の顔も見ていないのにと嘆き悲しむ。そのとき官兵衛の咳が聞こえてきたので、犬清は慌てて縁の下へ隠れ、千里は何食わぬ顔で父を迎える。刀を杖に姿を見せた官兵衛は、親の目を盗んで忍び逢いをしていると千里を咎める。縁の下から出た犬清は、手討は覚悟と官兵衛の前へなおる。それをじろりと見遣った官兵衛は、春永に勘当されたからには義龍へ奉公し、竹中家の婿となれば武名の誉だと言う。すると犬清は熱田神宮でお賤から返された笠印を取り出し、左枝の笠印は平家支流の春永に仕えるがゆえに濃紅であって、そこに官兵衛の姓名を記して春永旗下の武士となしたいと申し出る。それを聞いた官兵衛は、犬清に訪ねたいことがあるとして千里を下がらせる。
千里が出ていくと、官兵衛は先ほどとは打って変わった親しげな様子で、本心を打ち明けるよう犬清に促す。すると犬清もまた頼みごとがあると言う。それを聞いた官兵衛は差添の笄を抜き取って庭の藤の木に打ち付け、藤の花を打ち落とす。赤色は小田の旗色、朱を奪う紫は斉藤氏の象徴であり*5、官兵衛が藤の花を撃ち落としたのには「落花枝へ返らず」、つまり斉藤への謀反の意味があると悟った犬清は、次第を包み隠さず義父に語る。
昨年の冬より小田・斉藤は領地の境、洲股川で戦いを繰り広げていたが、官兵衛の計略によって小田の砦は次々と打ち破らていた。残るは丹下中嶋のみとなり、そこに春永は陣所を構えているが、兵は少なく物資も困窮しているという。犬清は、これを官兵衛の計らいで見逃して欲しいというのだ。
それを聞いた官兵衛は、春永の度々の敗軍は計略とみて義龍の出陣を止めさせていたが、今こそ戦の用意であると声を上げる。その声に驚いた関路と千里が姿を見せ、官兵衛は義龍の陣所へ春永の隙を報告しに行くと告げる。約束を違えるのかという犬清に、官兵衛は千里の縁に頼って自分を味方につけようとは小賢しいと侮蔑する。犬清は止める関路や千里を突きのけて官兵衛に斬りかかろうとするも、それをかわした官兵衛は犬清の右腕をひっつかみ、命は助けるので早く帰れと言い捨てて刀を投げる。それを合図に狼煙が上がると、犬清は差添を抜いて逆手に取り、自らの腹に突き立てる。驚き嘆く千里と関路は、忠義に凝り固まった官兵衛を恨む。それに構わず、官兵衛はいまが出陣のときと義龍の本陣へ向かおうとするが、そこへ鎧に身を固めた義龍が現れる(フットワーク軽っ!)。義龍は、官兵衛が婿への情にほだされて裏切りはしまいかとかねてから様子を伺っていたのだった。官兵衛の忠義に満足した義龍は、官兵衛には砦に残って疵を療養し、勝利の知らせを待つようにつげて出陣していった。
義龍が去ると、官兵衛は主人の疑いが晴れたため、千里と犬清に未来を契る水盃を許すと言う。驚く千里に、官兵衛は義心は義心恩愛は恩愛だと語り、関路が長柄の柄杓を持ってくる。しかし、犬清は敵方竹中の娘との夫婦の縁は未来永劫切るとして柄杓を投げ捨てる。それを聞いた千里は矢を手に取って喉に突き立てる*6。驚き駆け寄る関路、千里は未来の縁を楽しみにしていたのに、父の忠義心によってその望みも断ち切られたとして涙を流す。
そのとき風とともに寄太鼓の音が聞こえ、第1の注進・大垣三郎が現れる。中嶋の砦に三万余騎で攻め入った斉藤軍は圧倒的優勢で勝利疑いなしと告げると、大垣は引き返していった。関路は官兵衛に勝軍なれば忠義も立ったゆえ、千里と犬清のために理を曲げて小田方に味方するよう勧めるが、夫は取り合わない。関路は、官兵衛の我強い心が刃となり、初孫がいっときにみなしごになったことを嘆き悲しむ。
続けて、第2の注進・樽井藤太が駆け入ってくる。官兵衛は勝利の知らせかと尋ねるが、敵が退却したというのは詐術で、斉藤軍は反撃にあって桶狭間へ留められたという。そして、左枝犬清と名乗る母衣を身につけた武者が現れ、義龍の首を獲るとして、人間業とは思えない様子で次々に斉藤軍を斬り倒していったとのこと。そう報告すると、藤太は戦場へ引き返していった。官兵衛は春永の馬前に「犬清」がいるとは怪しいと考え、こちらにいる犬清の切腹は罠だと悟る。そして犬清も、先ほど語った「小田軍の手薄」は義龍をおびき出すための久吉の計略だったと暴露し、春永の役に立てたことを喜ぶ。官兵衛は悔しがり、主人の危機を救おうと駆け出そうとするも、傷は重く、体がいうことを聞かない。
官兵衛がよろけつつ縁先へ出たところで、引鐘*7の音とともに第3の注進・四の宮源吾が血まみれになって現れる。その報告は、兵卒は残らず討死し、義龍は犬清に討ち取られたというものだった。陣所はことごとく奪われ、残るはこの竹中砦だけだと告げると、源吾はそのまま倒れ伏してしまった。官兵衛は二人(犬清と源吾?)の襟を掴み、五十年来不覚を取ったことのない自分によくも恥辱を取らせたと歯ぎしりし、血の涙を流す。
ちょうどそのとき、寄太鼓の音が聞こえ、輝かしい出立の小田春永が現れる。いまにも飛びかからんとする官兵衛に春永は、義龍は自らの悪業ゆえに滅びたのであり、官兵衛は小田軍の軍術師範となって政を助け、民を憐れむことこそ誠の義心だと語る。それでも主君の仇とせき立つ官兵衛の前に、「義龍の首を討った当の敵、左枝犬清」と名乗る母衣武者が現れる。武者が兜を取ると、その正体は此下当吉久吉だった。
久吉が「竹中砦に入り込んで命と引き換えに作戦を実行したのはあの犬清、戦場で義龍を討ち取って武功を著したのはこの犬清」と語って母衣を外すと、背にはひとりの幼子が。それは犬清と千里の子・清松だった。久吉は春永に、この幼子の犬清へ勘気赦免をと願い入れる。春永は犬清と清松の勲功と大勇を褒め称え、勘当を許すと打ち笑う。その言葉に犬清は喜び、春永は恩賞として義龍の首を犬清に贈る。それにいきり立つ官兵衛に、義龍を討ち取ったのは自分の背負っている犬清だと語る久吉。官兵衛は刀を振り上げるも、孫の愛らしい寝顔にみとれてしまい、身を震わせて涙を流す。
犬清は、久吉の働きによって勘当が許されたからには思い残すことはなく、千里や官兵衛への恨みもこれまでだと暇を告げようとする。久吉はそれをとどめ、清松は自分が立派に育てると誓う。この清松こそが、のちの左枝政左衛門時家である。
官兵衛は涙を抑え、敵ながら情ある小田に歯向かうことはない、今後は関路とともに栗原山の閑居にこもって主君や娘、聟の菩提を弔うという。そして犬清も春永に別れをつげ、関路は千里が来世への道にはぐれぬよう、犬清に頼む。
春永は久吉へ都への上洛と三好長慶の底意を探ることを命じ、清須へ凱陣していく。小田の旗のように茜さす朝日を受けた春永の鎧はまばゆく輝き、その武名は天下にたぐいない輝きであった。

 

 

 

┃ 八冊目

島原揚屋

  • 芙蓉太夫の身請
  • 治左衛門と小冬の目見得

京都・島原の揚屋では、三好長慶の嫡子・四郎国長が、こんど大坂天王寺で披露される遊女たちの壬生狂言の稽古を見物している。
きょう、芙蓉太夫は身請されて三好長慶の娘となり、足利家へ仕えることになっていた。そこへ遣手や禿、引舟たちがやってきて、芙蓉太夫について行きたいと国長に頼む。国長はオッケオッケと請け合い、亭主を呼び出して彼女らの売値を決めるように言い、ついてくる者たちを大桿秤*8にかけてその体重で値段を決めようと言う。軽い娘から身重の娘、腹や背中に石を入れて重さを増そうとする傘掛けの親仁などが次々に秤にかけられ、座敷は大盛り上がりする。国長はそろそろ帰る時間として、今一度一献と別の座敷へ移る。
一方、嶋原の門前には壬生村の住人・治左衛門がいた。治左衛門は盲目で、杖と娘・小冬を頼りにここまでとぼとぼと歩いてきたのだった。治左衛門が大門のところにさしかかると、桔梗屋の亭主がこちらへの用事であろうと出迎える。実は治左衛門は小冬を桔梗屋へ売ろうとしており、その目見得に嶋原へ連れてきたのだった。桔梗屋は早速小冬を気に入り、嬶にも見せて談合するとして、治左衛門と小冬を連れて帰っていった。
それと入れ替わるように、芙蓉太夫の門出の見送りが盛大に行われる。喜びと悲しみの中、芙蓉は国長に連れられて島原を後にするのだった。

 

 

 

┃ 九冊目

治左衛門内(素浄瑠璃上演可能部分 壬生村の段)

  • 兄・友市の帰宅
  • 友市の正体=石川五右衛門とその野望
  • 治左衛門の告白と小冬の犠牲

三月二日、桃の花が咲く壬生村。治左衛門とその娘・小冬が細々と暮らす家にも雛飾りが置かれ、治左衛門はきょうが亡妻の祥月命日として、仏壇の前で漢竹の笛を吹いている。かつては石川村に暮らしていた治左衛門がここ壬生村に越してきて7、8年。近頃にわかに盲目となり、その困窮と不幸は掛乞たちにまで心配されるほどだった。掛乞らは家の中のものを引き取って借金を帳消しにすることを提案するが、貧しい家で何も売れそうなものはない。そこで掛乞衆は治左衛門の亡妻の形見である雛飾りをみなで買い取ることにして値段をつけ、釜だけは小冬へのプレゼントにするして、それぞれ分け合った雛道具を手に帰ってきった。
それと入れ替わりに、烏丸からあくどい銭屋の手代がやってくる。責め立てられた治左衛門は、島原の桔梗屋へ小冬を売る約束を取り付けてあるのでそこで先借りができるはずと言い、手代とともに家を出て行く。
ひとり残された小冬は、守り袋を手に亡くなった母へこの先の不安を語って涙を流す。そうしていると門前で木喰上人*9が鉦を鳴らすので、母の命日の縁を思った小冬は小銭を上人へ差し上げようとする。するとその上人は彼女の手を取り、名前は小冬かと尋ねる。不思議に思う小冬、実は上人の正体は彼女が2歳のときに別れた兄・友市だった。友市は石川村にいたころより暮らしが傾いているのではないか、父母は元気かと尋ねるが、小冬は父は盲目となり、母は友市が出奔したことを気に病んで昨年亡くなったことを語る。友市は父の帰宅まで、奥の間でしばらく休んで待つことに。
間もなく治左衛門が帰宅し、小冬から兄・友市が坊主になって戻ったことを聞いて大いに驚き、喜ぶ。現れた友市と11年ぶりに再会した治左衛門は、彼が有髪なのを少し不思議に思うも、雛人形の釜で湯立飯を用意するよう小春に頼み、自分も柴をぽきぽき折って手伝う。
そうしていると、桔梗屋からの迎えの籠がやってくる。自分が戻ったからには売るには及ばぬと言い、友市は二百両もの小判を投げ出す。桔梗屋は元金以上が戻ってきたので文句なく、ホクホクとして小判を空き籠に乗せて帰っていく。あまりの大金に驚き呆れる治左衛門と小冬に、友市は日本中の金は自分のものだと語る。治左衛門が今朝小冬に預けた人相書きを取り出させて見てみると、友市は人相書きの大盗賊・石川五右衛門その人だった。取り落とされた人相書きは釜の中に落ち、ぐらぐら煮えたつ。
治左衛門は泣き崩れ、友市は幼い頃から人のものを欲しがる性分で、家に仕える奉公人も長続きせず、世間を勉強させるため12歳で奉公に出してもそこで盗みをおかして姿を消し、小冬を桔梗屋へ50両で売ったのもその補填のためだと語る。改心するなら罪は親の自分がいくらでも着るから真人間になってくれと手を合わせて頼む治左衛門だったが、五右衛門はどこ吹く風。治左衛門は観念して匕首を取り出し、自害しようとする。五右衛門と小冬は慌ててそれを止めようとするも、もみ合ううちに匕首が小冬の胸に刺さってしまう。
治左衛門は涙ながらにこれも因果かと、仏壇の内から一軸と笛を取り出して友市に渡し、23年前の芥川での一件の始終を語る。嵐の芥川で旅の女を殺した旅人は治左衛門であり、金が必要だったのは大恩を受けた親方を困窮から救いたいためだった。治左衛門は罪滅ぼしと可愛さに友市を育ててきたものの、因果が巡って実の娘の小冬の身に及んだと嘆き、母の形見として一軸と横笛を五右衛門に渡す。治左衛門は小冬に死なないでくれと頼み、小冬は死にはしないが、もし死ぬのであれば母と同じところへ埋めて欲しい、そして父と兄には仲良くして欲しいと頼んで事切れる。五右衛門は一軸を読み、みずからが九州大内氏の落とし胤で、琳聖太子の血を引く者だということを知って万上の位に昇る野望を抱く。五右衛門が治左衛門を真実の親より大切に思っていることを語ると、父は息子にすがりついて嬉し泣きする。
そこへ五右衛門の手下・足柄金蔵らがやってきて、盗みで得た荷物を運び込む。獲物は公家の邸宅から盗んだものだった。手下は盗んだものの中に、立派な箱入りで難しい字の書かれた紙があることを報告する。五右衛門が開いてみるとそれは勅書で「帝から足利家へ預けられた太政官の正印を返却せよ」という内容であった。正印は紛失していると世間の噂、それをタネに大金をゆすることを思いついた五右衛門は、正印詮議の勅命を受けた呉羽中納言に成り代わり、公家の扮装をして足利家へ乗り込むことを企てる。五右衛門とその手下は公家から盗んだ冠装束を身につけ、治左衛門の家を出ていこうとする。治左衛門は悪行を重ねようとする五右衛門を止めようとするが聞き入れられず、その亡母の形見の笛の音を母の言葉と聞いて思いとどまるように言って漢竹の笛を吹く。すると五右衛門が帯びていた剣がその音に感応し、剣は跳ね上がって付近の小川が水勢を増す。不思議がる手下を連れ、公家姿の五右衛門は道をゆく武士さえも平身低頭させ、足利館へ向かって歩いていく。目の見えない治左衛門は五右衛門が無事で戻るようにと願い、芦垣を探る。その姿を先ほどの武士、実は久吉が見つめているのだった。

 

 

 

┃ 十冊目

足利館門前

  • 春永名代・久吉の来訪

引き続き三月の頃。足利将軍義輝(アホ)は江州志賀に別宅を構え、昼夜わかたぬ淫酒にふけっていた。この館では三好長慶・国長親子によって山王権現を勧請した万燈会が行われることになっており、諸大名たちが呼び集められていた。国長やその家臣らは計略に乗せられる浅薄な義輝をバカにしつつ、セッセと花籠飾りに勤しんでいる。やがて春永の名代として久吉がやってくるが、国長らは春永自ら伺公しないとは無礼だと言う。しかし久吉は、この乱世の中、春永は足利家に背く東国の大名らが京に攻め登るのを防ぐのに多忙であると語り、国長らを黙らせてしまう。なおも国長たちは小門を通って小庭へ入れと久吉を軽く扱おうとするが、久吉に志賀の足利の館は犬の住家かと言われてタジタジ。一同は久吉を壮麗な大門へ通し、館へ招き入れるのだった。

 

足利御殿

  • 傾城芙蓉と御台所綾の台の入れ替わり
  • 勅使・呉羽中納言の来訪と正印詮議
  • 五右衛門と久吉の再会
  • 三好長慶・国長の誅伐、五右衛門の見逃し、大団円

御殿では遊興の宴が開かれており、義輝(アホ)が傾城芙蓉の膝にもたれかかってウトウトしていた。芙蓉は義輝の側に昼夜仕えられることは嬉しいが、正室である綾の台が痛わしいと言う。綾の台は関白家の娘でありながら歌書より軍学を好み、武芸も達者だったため、義輝に苦手がられて目通りを許されていなかった。
そうしていると腰元がその綾の台の参上を告げる。近習の侍らが止めるのも聞かず前に進み出でた綾の台を追い払おうとする義輝だったが、芙蓉はその手を取り、綾の台が義輝の側へ召されないのは傾城のせいだとさぞお恨みであろうと語る。すると綾の台は芙蓉のせいではないと言い、義輝の気に召すよう廓言葉や作法を指南して欲しいと言い出す。芙蓉は驚き遠慮するが、義輝は面白がり、二人の衣装を取り替えれば綾の台にも目通りを許すと言う。こうして二人は衣装や髪型をあべこべにして、御台所は芙蓉、傾城は綾の台の姿になる。二人の見事な扮装に、義輝は傾城姿の綾の台に揚屋入りの道中をやらせたりと大喜び(アホなので)。しかしそこへ勅使の到来を告げる知らせが入る。面倒がる義輝は御台所姿の芙蓉に相手を頼み、別の間で宴の続きを楽しむのだった。
やがて三好長慶・国長親子に案内され、勅使・呉羽中納言がやってくる。呉羽中納言は義輝の近頃の奢りと緩怠を咎め、勅書を添えて太政官の正印を返却するように告げる。長慶が猶予を願い出るも、中納言は綸言の取り消しはありえないと迫る。するとそこへ綾の台−実は芙蓉−が現れ、その艶やかな姿に見惚れる中納言へ、正印は紛失したと告げる。問いただす中納言に、国長は義輝の放埓ゆえに紛失したと言い出す。中納言は出て行こうとするも、綾の台に袖を引きとどめられ、その切願と色香に免じて百日の猶予を認める。しかし長慶は今すぐ探して渡すとして、まずは中納言をもてなしの席に連れていく。
大金を献上した近習の侍らが下がった後、呉羽中納言もてなしの席で饗応役を勤めるのは久吉だった。中納言は卑しい歓待は受けないと見向きもしないが、久吉はお受けくださるようにとにじ寄り、「友市」と声をかける。すると呉羽中納言−実は石川五右衛門−も久吉がかつて犀ヶ崖で兄弟分として暮らした猿之助であると気づき、打ち解ける。友市は犀ヶ崖を出た後「いがみ」の才知をいかして盗賊・石川五右衛門となり、猿之助は様々な働きをした後に小田春永に認められて軍師をなったことを語り、寝転がってお互いの数奇な運命を面白がる。久吉は黄金三千枚をせしめたからにはよい酒代として五右衛門に帰るよう促すが、五右衛門はもっと大きな商売にしたいと言う。すると久吉はその金で売りたいものがあるとして「古着」の入った藤葛籠を持ってこさせる。五右衛門が葛籠を開けると、中には治左衛門が入っていた。五右衛門は「売り買いにならぬ古着」を買い取るとして、館を出て行こうとする。
そうしていると御簾の内から笛の音が聞こえてくる。するとその音=龍の鳴き声に感応し、五右衛門と久吉が帯びている剣が共鳴しはじめる。それぞれが持っているのが長慶から盗んだ「雌龍の剣」、犀ヶ崖の谷底で拾った「雄龍の剣」を持っていることに気づいた二人は剣を取り合おうとするが、同時に抜き放たれた剣の奇特によって万燈会の花籠から水柱と花が立ち上がる。様子を見ていた国長は剣の盗賊・石川五右衛門を捉えようと組子に取り巻かせるが、五右衛門は忍術を使って姿を消す。一方、漢竹の笛を吹いていた綾の台が姿を見せ、一連の事を見抜いた久吉の明察を褒め称える。そして国長には取り逃がしのないよう館の門の警護を命じ、自らは久吉を連れて奥へ入る。
その頃、三好長慶は四人の諸候と悪計の最中。国家安全の祈念に擬した万燈会は実は禁庭調伏を目的とするものであり、それを落ち度に足利家を滅亡させようというのが長慶の計略であった。諸候らは血判を押した連判状を差し出し、長慶はそれに義輝から盗み取った正印を押して、大望成就の暁には国群を授けることを記す。長慶は神拝の闇夜に紛れて義輝を殺害せんとして、諸候らとともに奥の間へ消える。
五右衛門は姿を消す忍術で館の奥へ入り込み、仕丁に化けて待っていた足柄金蔵と会う。五右衛門はことをし遂げねば館からは出ないとして、金蔵に治左衛門の入った葛籠を預け、姿を消す忍術を記した秘伝書を授けて館を脱出するように言いつける。
そのとき、一匹の狆がさきほど長慶らが取り交わした連判状を咥えて走ってくる。その正体は五右衛門の手下・三上百助だった。五右衛門はこれがあれば長慶らを手下につけられるとほくそえみ、百助も先に館から脱出させ、自らは蘭奢待の香りをしるべに御台所の寝所を探す。一方、別の忍装束の者2人もまた互いにうなづきあい、再び別れて館へ忍ぶ。
折から騒々しかった御殿から、義輝とそれに続いて綾の台が姿を見せる。綾の台は万燈会に擬して朝廷に弓引く義輝を諌めるが、義輝は聞き入れず、彼女を突きのけて帳台深くへ入っていく。残された綾の台は嘆き悲しみ、守り刀に手をかけていっそ義輝を殺そうかと考えるが、思い直してなおも涙に沈み入る。そのとき万燈会の神拝がはじまる知らせの声が聞こえ、綾の台は気をとしなおして灯を吹き消す。綾の台は暗闇の中迫りくる長慶の家臣らを投げ飛ばし、義輝のいる御座の間へ向かう(このあたりちょっとよくわからなかった……)。
長慶はその様子をこっそり見ていたが、太刀音がして襖を蹴倒した久吉が現れる。その手にある国長の首を見て驚く長慶に、久吉は長慶が盗み取った正印の返還と切腹を迫る。証拠があるのかと開き直る長慶に、久吉は先の忍び2人を呼び寄せる。彼らは久吉の家臣であり、その命で逆臣たちを拷問して計画を白状させており、決定的な証拠として連判状に正印が押されていることを知らせる。しかし長慶はそれでも降伏せず、久吉らと斬り合いになる。
一方、五右衛門は御台所の寝所を探して館深く、仙境閣へと入り込んでいた。五右衛門の問いかけの歌に気付いた御台所は琴の手を止めて五右衛門を迎え入れるが、公家は嫌だと言って衣装を脱がせようとする。そのとき、五右衛門の懐から連判状が落ちる。御台所はそれを取って高欄からひらりと飛び降り、五右衛門もそれを追おうとするが、数多の槍が突き出され、法螺太鼓の音が響き渡る。たかが一人の強盗にものものしいと、五右衛門は次々現れる番卒をなぎ倒していく。
そうしていると、高欄の下に将軍義輝と綾の台、それを守護する数多の家来が姿を見せる。五右衛門が御台所だと思っていたのは綾の台に化けた芙蓉で、久吉の命を受けて色仕掛けで連判状を奪い取る計略だったのだ。五右衛門は連判状をダシに長慶らを幕下につけようとしていたが、連判状が久吉の手にある上はそれも失敗。しかし五右衛門は一度心をかけた芙蓉太夫は必ず連れ帰ると宣言する。久吉は五右衛門に種子島を向けるが臆せず、逆に撃ってみよと胸をくつろげる。久吉が引き金を引くと、玉は五右衛門ではなく仙境閣の額に当たって何かが落ちてくる。義輝がそれを取り上げると、それこそが長慶が盗み隠し置いた太政官の正印であった。
そこへ久吉の「蓮葉六郎参れ」の声を合図に蓮葉六郎が姿を見せ、謀反の首謀者・三好長慶を討ち取ったとしてその首を義輝の前に差し出す。その姿を見た五右衛門は、足柄金蔵裏切ったかと言うが、六郎はひるまず、舅・来作から忍術の秘伝書を奪い取った五右衛門を追って相好を変え、手下に入り込んで奪い返す機会を狙っていたと語る。さきほど金蔵を逃すために秘伝書を渡してしまった五右衛門は残念がり、高楼から飛び降りるとともに姿を消す。久吉は五右衛門に、姿を現わし「雌龍の剣」を返すように、姿を消すのは父の命と剣を引き換えるつもりかと言う。すると五右衛門が庭先に忽然と姿を現し、久吉の隠徳で父治左衛門を壬生村へ帰せたことは恩に着ない、仇で報いると言って「雌龍の剣」を投げ返す。久吉はそれを受け止め、五右衛門の孝行心に免じて勅使に化けた強盗は見逃して後日の沙汰と告げて、日本六十余州放し飼いとなった五右衛門は館を出ていく。こうして足利家の宝である雌雄の剣は無事揃い、三徳を備えた名将・此下当吉久吉の名は今に語り継がれている。(おしまい)

 

 

┃ 2020年2月 ロームシアター京都公演(中止) 配役表

ロームシアター京都公演『木下蔭狭間合戦』は中止決定が公演前日朝だったため、ロームシアターからは緊急連絡として電話やメールで告知と説明を頂き(決定発表後すぐに電話がかかってきた)、主催者の誠意を感じた。ロームシアターの事業への応援の意味と、今後この演目が人形付きで舞台にかかる日のため、2020年2月公演で予定されていた配役表を以下に掲載しておく。*10

義太夫

人形役割

  • 娘千里=吉田一輔
  • 左枝犬清=吉田玉助
  • 竹中官兵衛重晴=桐竹勘十郎
  • 妻関路=吉田勘彌
  • 斎藤義龍=吉田玉佳
  • 大垣三郎=吉田玉勢
  • 樽井藤太=吉田簑紫郎
  • 四の宮源吾=吉田文哉
  • 小田春永=吉田玉男
  • 此下当吉=吉田玉志
  • 一子清松=桐竹勘昇
  • 家来=大ぜい

 

 

┃ 参考文献

 

 

 

 

*1:十返舎一九

*2:ただし、昭和33年(1958)道頓堀文楽座でこの作品のリメイクにあたるような『通し狂言 石川五右衛門』が上演されている。鷲谷樗風作・西亭(野澤松之輔)作曲によるオリジナルの書き下ろし新作であるが、うち「壬生村」のみ、本曲をベースとしているとのこと。台本は文楽劇場に所蔵されているようだが、未確認。

*3:令外官。 諸国の暴徒鎮圧を行なった。

*4:将軍の補佐役で大変高い役職。

*5:斉藤氏は藤原氏の一流だそうです。

*6:物理的にどこから矢が出てきたのかわからん!

*7:軍勢を引き上げるときに打ち鳴らす鐘。

*8:重いものを計る大型の計り。

*9:米や野菜を食べず、木の実や果実、山菜をのみを食する修行僧。

*10:もうひとつの上演予定演目だった『端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)』の配役は以下の通り。

義太夫

  • 太夫=竹本碩太夫
  • 三味線=鶴澤清介・鶴澤清公・鶴澤清允

人形役割

  • 門松=桐竹勘十郎
  • 竹蔵=吉田勘市
  • 定八=桐竹紋吉
  • 老やん=吉田簑一郎
  • お梅=桐竹紋臣
  • 仲間たち=吉田玉翔、吉田玉誉、吉田簑太郎、桐竹勘次郎、吉田玉彦、桐竹勘介、吉田玉路、吉田玉延、吉田簑悠、吉田玉征、豊松清之助

なんだこの「ツメ人形みたいな顔の人を集めてみました」配役は????? 「仲間たち」がやたらいっぱいおるし、どういう話なんだ?????

文楽 2月東京公演『新版歌祭文』野崎村の段『傾城反魂香』土佐将監閑居の段 国立劇場小劇場

第二部開演前、ロビーではなぜかSHIKORO・サイン会がのびのびと開催されていた。

錣さんはサイン会を開こうとしてロビーにいるわけではなく、ご自分のお客さんの受付のためにいるのだと思うが、文楽ののんびりさと錣さんのご人徳が複合した結果、いつのまにか一般客が並んでサインを求めるというほっこり現象が起こったようだ。人形出してるならともかく、ロビーにいるだけで客を並ばせてしまう雰囲気をお持ちということだと思うが……長年錣さんを見続けてきたであろうお客さんだけでなく、ちいさいお子さんも並んでいたのが最高だった。ああいうことが襲名披露の会場でできる文楽って、やっぱり、いいなーと思わされた。

なお、大阪公演でもこの謎のサイン会は行われていた。初日はボールペンでひよひよとしたサインをされていたが、翌日には万年筆になって若干こなれた筆跡となり、東京公演では金のマーカーになって、文字も雄渾としていたのが良かった。

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第二部『新版歌祭文』野崎村の段。

 
 
 
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初日に行った時点だと、久作家の人々、同居していても一家離散状態だった。人形陣の方向性のばらつきが大きく、「やっぱりこの人たちは最近家族になったばかりなんだ……」と、違う方向に納得した。改めて最終日付近に行ったら、久松・お染の配役が変わったこともあるかもしれないが、ちょっとだけ訳はあるけど仲良しな一家になっていた。

 

久作役の勘壽さんがとてもよかった。勘壽さんの久作は、飾らず落ち着いた佇まいで、在所のじいさんだけど心根はどこか垢抜けている印象。1月の吉田屋でも思ったけど、勘壽さんって、加藤泰の映画の登場人物のような、からっとした端正さとモダンさが感じられる。人形が「大人っぽい」というか、ほかの登場人物(人形遣い)とはちょっとレイヤーが違う感じがする。単純に上手いのとはまた別の持ち味のある方だと思う。いちど出かけていくとき、門前の梅の木を手折るのが、ぐらぐらさせてからもぎとるように、「みじゃっ」と折っているのがリアルだった。下半身だけで歩くひょかひょか歩きもよかったです。

 

玉志サンの久松は文楽業界の大川橋蔵と言うべきプリンス感でよかった(大川橋蔵を知らない人にはまったく伝わらないたとえ)。往年の時代劇のスタアのような、虚構的な美青年。人形なのに白塗りに見える(白塗りしてます)。久松の言動って一切同情の余地がなくて、現代の感覚からすると主人公として不適格、悲劇の主人公とするには無理のある言動のキャラクターだと思う。松王丸より久松の行動ほうがひどいと思ってしまうのは文楽特有の矛盾だけど、野崎村のもめごと、すべてこいつのせいだし(すしやの維盛も同類だか、久松のほうがより悪質)。その矛盾を勘付かせないような清潔感があり、色々と苛まれてうつむいているときの本当に目を閉じているような表情と、お勝〈桐竹紋臣〉が訪ねてきたとき、誰より深々と頭を下げる仕草がよかった。

お染〈後期=吉田簑一郎〉が戸口から覗いていることに気付いたときの反応は玉志通常営業って感じのやたらびっくりしたリアクションで、超びびっていたのが良かった。いやー、捨てたと思った女が自分の実家の戸口にいきなり立ってたらそれはびびるよなーと思った。それと、お染と二人になったあと、お染が書き置きの手紙を渡してきたときのびびり方が最高に良かった。とくに千穐楽での慌てぶりはハトよめみたいで正直笑った。率直に言ってびびりすぎ、自分が書いた手紙だろって思うんだけど、そんな手紙わざわざ大坂から持ってきて差し出してこられたら、たしかに恐怖以外のなにものでもないわなと思った。

 

お染は前期の清五郎さん、後期の簑一郎さんとも、真面目そうな雰囲気だった。簑一郎さんのお染は、久作の説諭の最中、久作から顔を背けて身体を前に倒し気味にし、両腕をぐっと胸に押し当てて苦しそうにしている様子がよかった。

おふたりとも役に慣れていないからか、少しおずおずとした大人しそうなお染だったけど、お染はサイコパスでお高くとまった印象のほうが良いな。まともでおとなしい娘さんが男を追ってその実家まで押しかけてきて金包み渡すわけがない。恨みに狂って常軌を逸した精神状態のはず。いまでいうと、男がFacebookやインスタに「マイアミ最高🌴🏄🌊」と投稿したら翌日にはマイアミビーチに立ってるタイプの女だと思う。お染役をもらう人は久松役の人がちびるくらいにガンガンいって欲しい。

 

冒頭でお光〈吉田簑二郎〉が入り口の扉のさんをはたきでパフパフする場面。あれ、さんからほんとにごみが落ちるんですね。いままでてっきりはたきの布が切れて落ちているのかと思っていたのだが、さんにごみ(新口村で使ってる紙の雪?)が仕込んであるようだった。

クッキングしている大根は、日によって様子が違っていた。第一部『菅原伝授手習鑑』茶筅酒の段で春や八重が切っている大根もそうだけど、葉っぱが日によって本物だったり作り物だったりするようだ。まな板に置かれた大根の下側は水平に切ってあってまな板に密着するようにしてあり、ぶきっちょなお人形さんでも切りやすいようにされていた。

お光は、前半のまわりに久松含めた人がいるときと、ひとりになったときで様子が同じなのはなぜだろう。髪を切る前・後でのみ演技の区別をつけているということなのかな。綿帽子を被っての出以降は明確に違う様子で表現されていた。お光は裏表のないほんとに良い子な在所娘で、簑二郎さんもそのように演じられている。ただ、普段周囲に気遣いしづくめな娘さんは、周囲に人のいないときには少し変化があるのではないかと想像する。お光はただ甘やかされている娘さんとは立場が違うし。それでもお光は、ひとりでいても「天神様や観音様、第一は親のお蔭」と言うのがえらい。

しかし、お光、戸に手をかけているお染に線香(? お灸に点火する器具)で根性焼きしようとしていて、怖かった。あれ、まじで火ついてますよね。人形のおてては可燃性だと思われるが、大丈夫なのかな。

 

千穐楽、小助〈桐竹紋秀〉が久作から土産にと渡された「山の芋」を蹴り飛ばしたら小判包が転がり出るところで、転がり出た小判がぴょこんと屋体から船底へ落下した。クスクス笑う客席、「……」となる人形遣いさんたち。このあと小助は小判を手にした演技があるのでどうなることかと思ったが、しばらくしたら介錯の人が拾いにきて、小助もまた縁の下からごそごそと拾い上げるような演技をして、小判は無事小助の手におさまった。よかったね。

 

今回の野崎村で一番よかったのは、床の咲さん。体力的にもう限界だろうと思うことが多かった昨今だけど、今回の野崎村はとてもお元気そうで、安心した。こういうベタな演目こそベテランがガッチリ引き締めてくれると、面白い。久作やお勝といった、子どもたちの気持ちをできるがぎり尊重して見守ろうとする大人たちの気持ちがよく伝わってきた。そして、内容が締まったぶん、段切の華やかさも活きていた。

 

ところで、今回の上演資料集におもしろいことが書かれていた。いわく、久作のような老人役は「若々しく、はしばしに身体が言うことをきかぬ様を語る」ことを心得ねばならないと。これは老人というのは若く振る舞いたがるからであって、老人役一般に言えることだという。そういえば、『薫木累物語』では、娘・累が呪いによって急に足が不自由となり、片足をひきずって歩くようになるが、若い娘が身体の欠点をことさら強調しようとするわけがない、それをかばって普通に見せようとするだろうという点から、人形ではことさら足をひきずることを戒める考えがあるようだ。確かに現実世界でも、自分の身体の実際の状態と自分がそれに対してどう振る舞うかは、異なっている。じじい役はマジでじじいの人形遣いさんのほうがリアルに感じるのは、単にガチジジイだからではなく、そういう老人の心性を踏まえているからかと思った。

 

 

 

竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香』土佐将監閑居の段。

 
 
 
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正月に大阪でも観たから普通の演目感覚でのんびり観ようと思って観に行ったけど、床が回って、錣さんが出てきたとき、やっぱりぐっときた。

初日は本当ずっと拍手が続いていて、大阪以上にコールの声が飛んでいた。錣さんって普段は派手な人ではないと思うが、お客さんはみんなよく見ていたんだなーと思った。以前、ある公演の終演後に床のそばに立ってじーっと床を見ていたら、まったく知らん人がいきなり「津駒さんって、本当にいつも一生懸命ですよね」と話しかけてきたことがあった。そのあと周囲にいた人(全員知らんもん同士)で「津駒さんって本当にいつも一生懸命ですよね」という話で盛り上がった。津駒さんのがんばりによって知らんもん同士で会話が成立するというミラクルだったが、今回、やっぱりみんなそう思ってたんだなと、改めて感じた。

大阪、東京と聴いて、やはり、この演目は積み重ねてきたもののあるベテランにしか語れないと思った。この曲、本当に普通の内容ですよね。襲名披露にしては地味に思うが、技量がはっきりわかる曲。ある意味かなり戦略的、さすがベテランだなと思った。登場人物全員パンピーのおそろしい地味ぶりで、ぶっちぎった言動に出る人もおらず、普通のことしか話さない。その普通の人の心の機敏が表現できないと、曲の意味自体がなくなる。今回のパンフレットの錣さんインタビューには、「曲の通り、忠実に演奏することが太夫にとっては、一番難しいですね」という言葉が語られている。すごいことを言う人だなと思った。錣さんの言葉はシンプルだけど重みがある。

喜怒哀楽をそのままあらわす又平がよかった。元気に振る舞いながら夫又平を思いやるおとくと、どんくさい又平にやきもきしている土佐将監もよかった。又平以外の全員が又平に対して「も〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」と思っている感じがいい。いろいろと、しみじみよかった。

ところで、襲名披露口上の内容、「若かりし頃の錣さんが六代寛治師匠に“おいどをめくれ”と言われて、床本のおいど(お尻、末尾)ではなく自分の尻をめくりそうになって同席者が慌ててブロックした事件」は盛ってるわけでなく、ただの事実のようだ。もっとやばいことも沢山されていると想像されますが、晴れ舞台で公衆の面前で披露できるMAX内容がこれだったのだろうと思った。

 

人形の感想は基本的に1月と同じなので略する。初春公演での又平〈桐竹勘十郎〉はぴょこ!とした仕草が可愛いかったが、よりぴょこ!となっていて、よかった。

2ヶ月観ると、人には向き不向きがあると感じた部分もあった。雅楽之介〈吉田一輔〉は一生懸命丁寧にやっていらっしゃるのはよくわかったが、メリハリのきいた立役を遣いこなせる人でないと難しいのだなと思った。雅楽之介は注進のスピード感でもって、一気に場の雰囲気を変えて欲しい。

 

土佐将監閑居の段は、普遍的な内容を、普遍的に表現しているのがいいなと思う。文楽にはこういう曲がいくつかあると思う。今後は錣さんがそういう曲を独占するようになるのかな。ご襲名を機会に、様々な曲での語りを聴けるようになればと思う。

なにはともあれ、改名でなく襲名という形になって、本当によかった。そして、お客さんがみな祝福して、お客さんも喜ぶ襲名披露公演になって、本当によかったと思った。

↓ SHIKORO SMILE 

 
 
 
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古典芸能ってすごいなーと思ったこと。

野崎村で久作がお光にお灸を据えてもらい、久松に肩をたたいてもらう場面。観た回どれも観客爆笑だったけど、お客さんのほぼ全員、野崎村見たことありますよね。何度見てもおなじ場面で笑ってるんだと思う。初演からのかれこれ240年、世の中はずいぶん変わっただろうけれど、いつの時代も、お客さんがずっとこの場面に笑い続けてきたんだなと思うと、すごいことだと思った。

第三部の新口村も、話がものすっごい途中から始まるのに、お客さんが誰も疑問を抱かず見ているのはすごい。途中から始まっていることをみんな納得している(?)のが本当にすごいと思った。あの「話途中から始まり」、現代のエンタメではほぼ存在しないので、歌舞伎や文楽への新規参入を阻む障壁だと思うのだが……。

 

 

文楽 2月東京公演『傾城恋飛脚』新口村の段『鳴響安宅新関』勧進帳の段 国立劇場小劇場

3月の地方公演やイベントが多数中止になっている。2月公演は全日程公演できて本当によかった。

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第三部『傾城恋飛脚』新口村の段。

新口村やりすぎと言いたいところながら、実際に観るとやっぱり面白い。

 
 
 
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今回新鮮に感じたのは、「孫右衛門ってこんなに若い印象だったっけ?」と、「梅川は世慣れている」という点。 

孫右衛門〈人形役割=吉田玉也〉の若さは印象的だった。前からこんなに若かったっけ?

「孫右衛門は老足の」といっても50代くらいに見える。髪が黒め(っていうかこげ茶系)だから? 今回だけ特別なのかな? と思って過去の舞台写真を見てみたら、元々髪は黒めだった。若く見えるのは、玉也さんの芝居が以前観たときに比べて変わっているのだろうか。それとも、今回の2月公演は在所ジジイネタ3連発プログラムなので、第一部の佐太村・白太夫〈吉田和生〉や第二部の野崎村・久作〈桐竹勘壽〉と比較して若く感じているのか。体が硬そうで動作がちょっと「よっこらしょ」入っており、ひょいひょいしている白太夫や久作よりも、孫右衛門はまだまだ体を元気に動かせそうだった。

孫右衛門は、初日とそれ以降では、梅川が目隠しを外したときのリアクションが異なっていた。初日では梅川が目隠しを外しても外されたことに気づかずそのままでいて、数秒後に「はっ!」として少し目を背け、忠兵衛を見るのをためらい、しかしおずおずと見るようにしていた。それは目隠しをしているときから心の目で忠兵衛を見ていたのでそうしているのかなと思ったら、後日は目隠しを外された瞬間顔をそむける方式になっていた。過去に玉也さんの孫右衛門を見たときはそうだったので、これが玉也さん的平均リアクションなのだろうけど(そのほかの役でも基本的に演技大振りだし)、それでは初日はどうしてすぐに顔をそむけなかったのか? 気になる。

あそこまで目を背けるからには、絶対に忠兵衛の顔を見られないという孫右衛門の義理堅い精神性をどこかで担保しなくてはならないが、床含めた全体として正直、そこまで詰められている印象ではなかった。それでいうと、梅川に「京のご本寺様へ上げうと思うた金なれど」でお金を渡すときに梅川の顔を見ず、下手に顔をそらすという義理ゆえの「他人のふり」はされていた。新口村は、孫右衛門の心の揺らぎが見どころだと思うので、今後もよく見ておこうと思う。和生さんが孫右衛門をやるときがあったら、役解釈ウォッチの狙い目だと思う。(和生さんは演技自体に頼らず性根を表現するので)(なに言ってるか自分でもよくわからないが、そうだと思う)

最後、忠兵衛を必死に抱きしめる芝居は、めいっぱいの気持ちにあふれていた。孫右衛門にとって忠兵衛は、大人になっていても気持ちの上ではずっと子供なのだろうと思った。

あと、今回の孫右衛門は、マフラーがほんとに「ほわ」としていて、あったかそうで、良かった。ああいうマフラーしている人、いる。と思った。

 

もうひとつの「梅川は世慣れている」という点。これは間違いなく梅川〈吉田勘彌〉の人形の演技によるもの。かねてより「勘彌さんは絶対遊女役が良い」と思ってきたが、それを確信した梅川だった。

孫右衛門は梅川の様子を見て素人ではないことに気づき、息子忠兵衛とともに遁走した大坂の遊女であると悟る。ただこの「孫右衛門に遊女であることを気付かせる、しかし息子を任せられる良い女性だと思わせる」梅川の佇まいというのは、並大抵のことではないと思う。少なくとも新口村のような素朴な在所で浮いていないといけないということだと思うが、めちゃくちゃ浮いていた。忠三女房〈前半=吉田簑一郎/後半=吉田清五郎〉や孫右衛門、ひいては忠兵衛〈吉田玉佳〉からも、あきらかに物腰が浮いている。都会の玄人感がすごかった。ここまでくっきり浮いた梅川はいままであまり観たことがなかった。

どこがどうなって浮いて見えるかというと、所作の色っぽさからだとは思う。身体の位置の上下や振りが大きめの色っぽい仕草ながら、所作の速度や浄瑠璃との間合いの取り方によって優雅さを保ち、かつ、梅川の遊女としての格(下級の遊女)に見合った寂しい佇まい。新口村の人々の貧しさや在所ゆえの侘しさとはちょっと違う。江戸時代の上方の遊女といっても誰も見たことがない存在だから、これが正しいとか間違ってるとかは誰にもわからないけど、少なくとも在所の人々(行列する新口村の村人の皆さん、最高)と物腰は全く違う。しかしそれとは別にどこか地に足がついたところがあるということが直感的に感じられた。上方文化講座で見た小春とはまたちょっと雰囲気が違うのも良かった。

孫右衛門が梅川を都会の遊女だと気づくきっかけのひとつに、彼女の持っている懐紙が真っ白の綺麗な紙であることが挙げられる。今回の孫右衛門は、梅川の白い懐紙と自分の茶色の懐紙とを比べて「ん?」というニュアンスのある芝居をしていた。私、新口村を初めて見たときはあれの意味がわからなかった。いまの感覚からすると、孫右衛門が持っているような茶色の紙のほうがオシャレげなイメージがあるから……。あと、古手買いを追い払う忠三女房の「田舎に余計な紙はない」的な話を聞いていなかったので……。

 

忠兵衛は玉佳さん。微妙にしょんぼりした雰囲気で、いい感じにヘタレておられた。物置(?)の格子につかまって外を見ている様子が妙に似合っていた。玉男さんとは違う意味でのヘタレな雰囲気。勘彌さんの梅川と見比べると、ほんと子どもっぽい。弟っぽさがある。その対比で、梅川はしっかりしている、世慣れているなとより一層感じた。

新口村の難関(?)、「覚悟極めて名乗つて出い」「今ぢやない/\」で忠兵衛が上手の一間から走り出る部分。話の意味を理解していないお客さんは笑ってしまいがちな場面だが、忠兵衛の出を「今ぢやない/\」よりだいぶあとにすることで孫右衛門・忠兵衛の心の内をわかりやすくして、ギャグっぽくなるのを防いでいた。いろいろ工夫があるもんだなと思った。


新口村は全体的に、床も人形もこじんまりと静かな印象だったのが良かった。勧進帳も虚構のイイ話だけど、新口村の虚構中の虚構のイイ話。雪の舞う新口村の情景もどこか現実ではない雰囲気が良かった。虚構の村の虚構の家の中で起こる、「こうであったらよかったのに」という虚構の物語というどこか悲しい印象が、舞台の上にあらわれていた。

 

 

 

『鳴響安宅新関』勧進帳の段。

 
 
 
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弁慶=玉男様、冨樫=玉志サンというかねてより期待していた通りの配役。ワーイと喜び勇んで、玉志サンが配役されている前半日程中心に行った。弁慶も冨樫も真面目で誠実な心を持った人物だが、その真面目さや誠実さは微妙にベクトルが異なる。それが玉男さん玉志さんの配役にマッチしていて、とても良かった。

 

弁慶=玉男さんの納得感がすごかった。「なるほどね〜、弁慶ってこういう人だったんだ〜」という不思議な納得感があった。観客、誰も弁慶見たことないのに、出てきた瞬間、「弁慶だ〜☺️」と全員納得。謎の客席一体感。人形とは思えないサイズ感と存在感、体幹強そう感がすごかった。

弁慶は全員出遣いで、左=玉佳さん、足=玉路さんだった。人形遣い3人とも出遣いだと、その対比で人形の小ささが強調されるため、人形が人間よりちっちゃいことがはっきりわかるのだが、弁慶はやたらでかく見える。国立劇場のステージの下手半分が弁慶のオーラで覆われているようだった。カブトムシならヘラクレスオオカブトだと思った。

弁慶は常にまっすぐシャキッッッ!!!!と立っていて、動いてもずっとシャキッッッ!!!!としている。そのシャッキリぶりから愚直なまでの生真面目さ、誠実さを感じた。それは冨樫も温情をもってくれるよというピュアなドまっすぐさだった。

それにしても弁慶、ほかの人形の8倍はごん太い。あの体幹のごん太さは、おそらく、かしらが超安定しているのと、人形の重心が超FIXしていることによるものだと思う。

最近とみに思うのだが、文七等の大型の人形の場合、よく見ていると人形のかしらがグラグラしている人がかなりいる。慣れていない人はもちろん、本役でもらっているような人でもポーズを変えた瞬間に不要なぐらつきが起こる。かなり重いものを棒1本、片手で支えていて、かつそれを宙に浮かせた状態で長時間続けているのだから、普通は揺れて当然だと思う。そういう揺れがほとんどない人って3人くらいで、そのうち玉男さんだけはいかなるときも絶対に揺れがなく、ビシッとしている。一体どうやってるんでしょうか。

また、人形の重心がFIXしているというのは、人形の腰の位置を動かさずに動作が構成されていることによると感じた。動作の支点が存在することで動きが安定して見える。そして、全体的に、人形がしっかと腰を落とした姿勢になっている。そうなると人形遣いのほうも腰を落とした相当無理な姿勢をしなくてはならなくなるが、それを毎日やっているのはすごいと思った。

それと、弁慶は、足拍子がやたらでかかった。今回は最前列から後方列まで様々な席に座ったが、上手11列目まで「ドン!」という足拍子の振動が伝わってきた。さすがにこの距離では幻覚かと思ったが、隣の人がびっくりしていたので、幻覚ではないと思う。寝ている人も起床した。

延年の舞は無骨で力強いものだった。冨樫への感謝の真心から舞っているのだと思った。扇を右脇に構える所作がかなり美しく決まっており、この弁慶は武骨ながら舞の心得があるのだろうと思った。いや、あまりに綺麗に構えていたあたり、玉男さんが仕舞を習っておられるのかもしれない。あそこまで綺麗に構える人形もなかなかおらんので。

最後、舞台からみんなが去った後、ひとりでそっと冨樫の去っていった方向に礼をしている姿の生真面目ぶり、実直ぶりもよかった。

ところで、玉男さんは芝居が常に超安定しているわけだが、今回、気づいたことがあった。冨樫との問答で弁慶が「臨兵闘者皆陣烈在前」と九字を切るところ、あれ、後半日程のほうが確実にうまくなっている。最後のほうの日程はものすっごい綺麗に切っていた。演技が安定しているベテランでも日々向上してるんだなと思った。

 

玉志サンの冨樫は、凛々しさ、清潔感、篤実さ、優美さがあって、とてもよかった。玉男さんが弁慶に馴染んでいるのと同じように、玉志さんも冨樫に異様になじんでいた。武張った方向ではなく、知的でクリーンな印象が関守らしい。清々しくまっすぐさがあった。白塗りの検非違使のかしらに似合う神経質な緊張感をそなえつつも、それがいやらしくならない透明感があり、真摯さを引き立てる若々しい雰囲気。そして、弁慶とは違うニュアンスで、ピンッッッ!!!!と立っていて、所作がピンッッッ!!!!としていた。弁慶に勧進帳の証明を迫る場面の美しい緊張感がとくによかった。

細かい部分では、弁慶を観察するときの目を引く速さが上手く役に乗った速度になっていて、冨樫の集中した視線の印象がとても自然に出ていて、よかった。いままでは、視線の使い方はよくても動きが速すぎて客は理解できないと思っていたんだけど、12月の熊谷役で目の引き方が劇的によくなったと思う。それが今回の冨樫に活きていた。

玉志さんの冨樫役最後の日、「強力待て」で大紋の右袖を外に跳ねるとき、袖が人形の手にひっかかるというトラブルがあった。それが簡単にはなおらず、舞台は進行するけど冨樫は袖が腕にかかったまま。冨樫が袖を跳ね上げるというのは「袖を跳ね上げる」とあらかじめ知っている客にしかわからないはずで、引っかかり方も綺麗だったのでそのままでもそこまでおかしくない(外そうとして変にモゾモゾするくらいならそのまま続行したほうがいい)と私は思ったんだけど、玉志さんには許容できないことだったようで、外していることが目立たないよう後ろから衣装を咥えて引っ張るなどで、なんとか外そうと試みていた。あそこから冨樫の雰囲気が一気に緊迫して、あの真剣さはすごいなと感じた。まもなく介錯の人が気づいて外しに来てくれたので、無事、冨樫は綺麗な姿になった。

こういうトラブルの始終を見ているのは観劇にはいらんことではあるが、玉志さんの真剣さを尊敬した。こういう細部までのこだわりがある人でないと、検非違使や文七のような人形は遣えないのだと思った。人形自身の持っている気迫を上回る精神力がないと、勤まらない。

気になっていた、冨樫は弁慶と渡り合えるかという点。文楽勧進帳を上演する上で、弁慶と冨樫が真正面からぶつかり合う、いや、ぶつかり合える力量を持った人同士であることは必須要素だと思う。玉男さんの弁慶が鉄板なのは間違いない。そこにどうやって対抗していくのか、とても心配だった。

これは予想をはるかに超えて、弁慶と冨樫が正面から衝突していて、よかった。当然、玉男さんと玉志さんは経験値や技量に差が開いているんだけど、冨樫は弁慶の金剛石のようなまっすぐさとはベクトルの異なる凛としたしなやかなまっすぐさで、異なる性質のもの同士の衝突となって、見応えを増していた。心配など余計なお世話だった。そのままでよかったのだ。冨樫は初役だと思うけど、よくここまでもってきた。玉志はこのまま玉志のよいところをどんどん伸ばしておくれ😭😭😭と思った。(何様?)

 ↓ この冨樫、玉志さんです。

 
 
 
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四天王は、若い子3人+亀次さんという配役だった。当たり前だけど亀次さんが一番ちゃんとしてるな……。人形がちゃんと歩いているように見える。若い子は頑張ってるんだけど、胴体や頭が動かず足だけで動いているから、『アダムスファミリー』(古い)で廊下をすーっとすべるように動いていく幽霊みたいになっていた。そういうふうにしろって師匠たちに言われてるのかもしれないけど、人形も不安定で、相当不自然な印象。言いたかないが、許容範囲を超えて下手な子もいたし。年の功を感じた。

途中、ぼーっと見ていて、四天王が1人増えてる……?と思ったら、玉佳さんだったのは面白かった。なんというか、人間なのに、人形の群れになじんでいた。玉佳さん、絶妙に動きが人形めいていて、良い。弁慶が白紙の勧進帳を読んでいる間、玉佳さんも勧進帳を読んでいるのも、良い。そして、死にそうな表情でいらしたのも良かった。

一方、冨樫が連れている番卒ツメ人形、右から2番目のやつ、顔がのんきすぎて笑った。弁慶と冨樫はあれだけ真剣なのに、緊張感のない顔でのこのこ出てくるのが良い。コンビニでカップ麺を買うときは必ず1.5倍サイズのやつを買うタイプの顔だと思った。

 

勧進帳はあまりに歌舞伎向けな演目に思えて、文楽で上演する意味はあんまりないと、正直、思う。話のタイプとしても、見栄えとしても。文楽の通常営業からすると、冨樫の見逃しはくさすぎる。切腹覚悟でやっているというのはわかるけど、あそこに頼朝が押しかけてきて、冨樫が頼朝を説得するためにその場で切腹し、それと引き換えに弁慶らを一度見逃させるとかでない限り、安直(過激文楽思想)。

でも、弁慶の性根と玉男さん持ち前の強靭で実直な雰囲気がマッチしていて、弁慶という役の引き立つ芝居になっていて(それは玉男さんじゃなくて、人形の弁慶が)、見応えがあった。人間じゃない弁慶は、ちっちゃいぶん、なんだか本当に真剣そうで、けなげそうで、いい。六法を踏む引っ込み、今回は花道が出なかったので舞台上でやっていたが、ちょこ、ちょこ……とした仕草が人形らしくて、よかった。弁慶はがんばって生きていると思った。

あと、文楽の弁慶は、あごのところのポンポンがねこのふぐりみたいで、可愛い。服についているポンポンとは素材が違うのがまた、いい。

 
 
 
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今回は、会期5日目の12日になってから「アフター7チケット」という勧進帳から観られる幕見チケット(3,000円/1等席のみ)の発売が発表された。その時点ですでに第三部を数枚抑えていたため、「今言うな」と思ったが、素直な性格なのでそれを利用して後半日程も1回行った。

開演直前にチケットセンターで確認したところ、上手前列に空席があったのでそこに入れるかもと思ったのだが、開演10分ほど前に行ってチケットを買ったら、センターブロック後方の席を案内された。

で、後半観てみたのだが、冨樫のような大型で大紋姿の人形はまっすぐに持つこと自体がかなり難しいことがよくわかった。頑張ってもらうしかないが、文楽は「頑張ってます」じゃ許されないですからねえ……。それと、前半だと玉志サンが冨樫の品性を大幅に担保していたので弁慶と冨樫のキャラクターの差がはっきり出ていたが、後半は誰も担保できない状態になっていた。三業すべて、もうこのさい上手い下手とかはなんも言わないので(言ってるけど)、とにかく、品がいる役には品を担保して欲しいと思った。

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しかし梅川の左の人っていつも同じだよね。この人が梅川を本役で遣う日がくるのはいつになるんだろう。近いような気もするが遠いようにも感じる。正直、近い気がする。近くても遠くても、別々の意味で悲しいことだ。そう思って梅川のクドキのところを見ていたら、もはや話の内容とは関係なく泣けてきた。それが一番泣けた。

勧進帳もそう。今後弁慶って誰が遣うようになるんだろうなと思った。前半日程最終日、弁慶が舞っている間、玉志サンは冨樫を持ちながら弁慶をじーーーっと見ていた。弁慶の足は将来弁慶を遣うことを見込んでつけられていると聞くが、玉志サンは先代玉男師匠ご存命の折、弁慶の足を遣っていたはず。玉志サンが本役で弁慶を遣う日はいつだろう。玉志サンて研修生出身でなんらかの後ろ盾があるわけじゃないし、ご本人は派手な振る舞いをする人じゃないようだから、本当に実力で熊谷なり冨樫なり権太なりの大きい役を得ているのだと思う。しかし弁慶はそれとはまた違った素質が必要になると思うので、今後どうなるのか、見ていきたいと思った。