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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

清姫は本当に大蛇になったのか −文楽現行「渡し場の段」と『日高川入相花王』『道成寺現在蛇鱗』−

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現在、文楽公演では「渡し場の段」の外題名は『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』と表記されている。しかし、上演されている「渡し場の段」は、宝暦9年(1759)2月初演の人形浄瑠璃 日高川入相花王の該当箇所(「道行思ひの吹雪」の末尾)とは内容が異なる。現行「渡し場の段」は、寛保2年(1742)8月初演道成寺現在蛇鱗(どうじょうじげんざいうろこ)』清姫日高川の段」を改作したもので、近世末から『日高川入相花王』の外題で上演されるようになったようだ。

道成寺現在蛇鱗』と『日高川入相花王』では軸となるストーリーは異なっているが、ともに道成寺伝説が盛り込まれ、真部の庄司の娘・清姫安珍という山伏(その正体は貴人)に恋をするという設定は両者に共通している。謡曲、歌舞伎等にも存在する道成寺ものの中でもこの2つの浄瑠璃にひねりがあるのは、「道成寺伝説は事実ではなかった」という設定で、そこにストーリー上のおもしろさがある。

だが、「清姫が大蛇(化け物)に見えるのはなぜか?」という理由付けは両者で異なっている。

道成寺現在蛇鱗』清姫日高川の川岸で大蛇になって川を渡り、道成寺へたどり着いて鐘ごと安珍を焼き殺すというのは、実は安珍への嫉妬に駆られた姫の夢の中の出来事という設定。目を覚ました清姫は自分の嫉妬心に恐怖して泣き、本当に安珍へ危害を及ぼす前に死ぬことを決意する。ただ、この夢を見る前に清姫安珍に女がいることを知って胸ぐらに掴みかかるなど相当アグレッシブな行動を見せるので、勢いのあるヤバ女であることには変わりはないが……。

一方、日高川入相花王において清姫の水面に映った姿が大蛇に見える理由は、姫が持ち出してきた父の守り刀「十握の剣」の奇跡によるもの。「十握の剣」は八岐大蛇から出現した剣で、その奇瑞で大蛇の姿を鏡面に写す。清姫自身が大蛇に変わるわけではない。清姫は「十握の剣」を持って安珍らを追って日高川の川岸へたどり着き、水面に映った大蛇の姿を見て自分だと思い込んで覚悟を決め、川へ飛び込む。が、実際に大蛇に化けているわけではなく、人間のまま泳ぎ渡る(そっちのほうが怖いがな!東京オリンピックトライアスロンに出てくれ!)。また、姫が激しい嫉妬に駆られるのは事実だが、それはある壮大な策略のために姫を騙し、そう仕向けた登場人物が別にいるという設定になっている。

なお、清姫が恋する男のため死を選ぶ(受け入れる)展開は、『道成寺現在蛇鱗』『日高川入相花王』で共通している。

「渡し場の段」において、清姫は、川へ飛び込んでも人形を大蛇に差し替えるわけではない。衣装替えで、白いうろこ模様の着付+白い帯をほどき長く引いている姿になる。この演出や浄瑠璃の内容、船頭の反応からすると、「清姫が本当に大蛇になった」わけではなく、船頭には日高川を泳ぐ清姫の姿が大蛇に見えた」と解釈するほうがより浄瑠璃原文に近いのではないかと思っていた。今回、たまたま『日高川入相花王』の内容を調べたことで以上のことがわかり、すっきりできた。ガブのかしらで鬼女の面相になるとはいっても姿はあくまで人間のままなのは、「道成寺伝説は事実ではなかった」という上記2作品の設定を踏まえているのかなと思う。

気になるのは、では「渡し場の段」を上演するうえで、出演者はこれを『道成寺現在蛇鱗』ととらえているのか、『日高川入相花王』ととらえているのかだ。技芸員による上演前解説を聞いていると、一応、外題通り『日高川入相花王』の一部として上演しているつもりのようだが、劇場や出演者各位の見解は統一しているのだろうか。こういった断片化した演目において、失われた部分を踏まえて上演にのぞんでいるのかというのは、気になる。「日高川」に関しては、上演する上では若手がやる景事、舞踊の一種と割り切っているのだろうと思うが……。

 

以下に『道成寺現在蛇鱗』『日高川入相花王』の道成寺伝説を取り込んだ部分を簡単にまとめておく。

 

 

 

道成寺現在蛇鱗(どうじょうじげんざいうろこ)

  • 初演=寛保2年(1742)8月 豊竹座
  • 作=浅田一鳥、並木宗輔

奈良時代長岡京遷都の時期が舞台。物語の軸となるのは皇位争い。光仁天皇は病のため皇位を譲ることを考えるが、一の宮で更衣腹の他戸の皇子、二の宮で后腹の山部親王(のちの桓武天皇)のどちらを皇太子とするかで悪臣と忠臣が争う。これに加え、悪臣の謀略の巻き添えで父を殺害された青年の仇討ち譚が加わる。悪臣側に内心では善臣だったという人物が複数いる設定で、「実は」「実は」とたたみかけてくる複雑なストーリー。以下、清姫に関する部分をかいつまんで解説する。

 

皇位を狙う他戸の皇子は、三種の神器のひとつ「十握の剣」をあらかじめ盗んでいた。この神器がなくては儀式が執り行えないため、紀州真部庄司家に伝わる「雷鳴丸」を神器の代わりとして借りることになるが、その「雷鳴丸」を借り受けた使者が帰途悪臣の雇った浪人に殺害され、「雷鳴丸」は奪われる。その紀州真部家の息女・清姫が母とともに「雷鳴丸」の様子見がてら大和巡りに来た道中、清姫は美しい山伏・安珍(あんちん)と出会い、恋に落ちる。安珍は実は他戸の皇子派の悪臣・藤原百川の嫡男・藤原安珍(やすよし)だったが、安珍自身は山部親王派で父に反抗したため百川から勘当され、名を安珍(あんちん)と改めさせられ山伏になっていた。

さて、紀州真部家の当主・新左衛門は清姫の兄。かつては忠臣・橘道成(故人)に仕えていたが、父の死去により実家に帰って家を継いでいた。清姫は恋煩いで病に伏せて歯痛を訴えており、今日も歯医者・大橋元隆が真部家を訪れていた。ところで安珍には勅定により錦の前という許嫁がいた。この錦の前は橘道成の忘れ形見だった。錦の前は他戸の皇子から横恋慕された上、安珍が追放されたことを苦に家出。いろいろあって紀州へたどり着き、新左衛門に密かに保護される。そんな真部家へ熊野参詣の安珍が立ち寄り、錦の前との再会を喜ぶが、これを知った清姫は激怒。安珍に掴みかかったところを新左衛門に引き離され、寝所へ閉じ込められる。新左衛門はそのすきに安珍道成寺へ逃す。寝所へ閉じ込められた清姫は、大蛇となって安珍を追い道成寺の鐘の中に隠れた安珍を鐘ごと焼き殺す夢を見て、自分の嫉妬心に恐怖を覚える。

そんな真部家へ、出入りの歯医者・大橋元隆の密告により他戸の皇子の使者・鷲塚弾正が訪れ、安珍と錦の前の首を差し出すことを迫る。母は実の娘である清姫を錦の前の身代わりにと考えるが、先妻の子である新左衛門は、後家の娘(義理の妹)の清姫の首を討つことはできないと拒否する。そこへ清姫と錦の前が斬り合いながら姿を見せる。新左衛門と母はそれを咎めるが、清姫の本心は、自らの嫉妬心がいつか安珍に災いをなすだろうと考え、返り討ちを望んで錦の前にわざと斬りかかったというものだった。清姫は自らの首を錦の前の身代わりにして欲しいと頼んで自害する。そこへ「清姫が大蛇に化けて、安珍の隠れた道成寺の鐘を焼いた」という霊夢を見た安珍が戻ってきて館の様子に驚き、清姫を哀れむ。しかし道成寺の鐘が焼けたのは事実で、いまだその熱冷めやらぬとして清姫の思念の強さを畏れる。

そうして鷲塚弾正が安珍と錦の前を引っ立てていくところに突然床下から大橋元隆が現れ、鷲塚弾正に二心なし!と騒ぐが(鷲塚弾正が裏切らないか見守ってたそうです、えらいね)、鷲塚弾正に突然斬り殺される。実は、鷲塚弾正は他戸の皇子の家臣ながら、その非道ぶり目に余るとして、何度諫言しても聞き入れられないことを悩んでいたのだった。鷲塚弾正は清姫の首を錦の前の首と偽って他戸の皇子に差し出すと言う。それでは安珍の首はどうするのか? 鷲塚弾正は大橋元隆の首を切り取り、近くで湧いていた薬鍋の熱湯をかけて焼けただれさせ、「道成寺の鐘の中で焼き殺された安珍の首」ということにして持っていくという(首をクッキングすな)。そして、「安珍と錦の前は道成寺の鐘ごと清姫の嫉妬で焼かれた」という清姫の夢を真実として世間に噂を流すように言って、鷲塚弾正は去っていった。

このあと、道成寺で新しく鋳造した鐘の供養式が行われ、そこで「雷鳴丸」を盗んだ浪人と仇討ちの青年とが戦い、父の仇を討つ。続けて現れた他戸の皇子が捕らえられて流配が決定され、物語は大団円を迎える。

 

四段目の清姫の嫉妬と自己犠牲のくだりは並木宗輔の筆によるものと言われており、清姫の心情の変化、その激しさや救済に描写の重点が置かれている。本作での安珍は、朝廷に仇なすやと思いきや実は悪意ある皇子の思い上がりを抑えるために悪臣のふりをしていた忠臣・藤原百川の嫡男・藤原安珍という設定。妹背山の藤原淡海(求馬)をもっとクズにしたような言動で、衝撃的に中身がなく、錦の前にも清姫にもいい顔をして、何の役にも立たない上にやることなすこと本当にクズで驚く。求馬のほうがまだ世の中の役に立つことしてるよ……。あと、偽首や身代わりは文楽ではもうこっちが偽首になるんじゃないかというほど拝見仕ってるんで構わないんですけど、クッキングはやめて欲しいと思った。

 

 

 

日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)

  • 初演=宝暦9年(1759)2月 竹本座
  • 作=三世竹田小出雲、近松半二、北窓後一、竹本三郎兵衛、二歩堂

こちらも物語の軸となるのは皇位争いだが、討伐された平将門軍の残党・伊予守藤原純友がそれに乗じて再び反乱を起こそうとする筋がからんでくるのが特色。各段に個性的な風物や登場人物の葛藤が盛り込まれ、ボリュームのある内容となっている。ほかの段のエピソードは複雑なため割愛し、道成寺伝説に関わる四段目とその前提に絞って紹介する。
 
朱雀帝は病のため、弟である桜木親王に譲位を考えているが、左大臣藤原忠文は自らが帝位に就くべくそれを妨害しようと三種の神器を盗む。桜木親王にはおだ巻姫という許嫁がいたが、藤原忠文の謀略で離れ離れとなって、桜木親王は都を落ち行くことに。真那古の庄司の息女・清姫は、京都を訪ねたおり偶然落ちゆく桜木親王の姿を見かけ一目惚れをするが、言葉を交わすことができず、そのまま郷里へ帰る。やがて桜木親王は武将・源経基のはからいにより山伏・安珍となって熊野へ向かい、おだ巻姫もそれを追って、熊野・真那古の庄司のもとで落ち合うことに。

真那古の庄司の家では熊野参詣をする人に無償で宿を提供しており、そこへおだ巻姫も世話になっている。清姫とおだ巻姫はたがいに恋する男を追っている身同士として、その男がまさか同一人物とは知らずに仲良くなっていた。そこへ藤原忠文方の怪僧・剛寂と鹿瀬十太(バカ)がやってきたので、おだ巻姫は姿を隠す。続けて館に安珍が姿を見せ、清姫は再会を喜び思いの丈を打ち明けるが、清姫に横恋慕している鹿瀬十太は安珍を桜木親王の変装とみて詮議にかけようとする。真那古の庄司はそれを妨げ、安珍へは道成寺へ身を隠すように告げて、呼び出しのあった郡代所へ出かけていく。

奥の間に控えていたおだ巻姫は桜木親王との再会を喜ぶが、清姫がおだ巻姫に安珍を恋人だと紹介してしまい、緊迫した空気に。安珍は追われる身なのでもう旅立つと言い出し、同道をせがむ清姫も連れて行くと告げる。しかし清姫が旅の支度に小袖と父の守り刀を取りに行ったすきに、安珍とおだ巻姫は姿を消してしまう。旅支度を終えた清姫安珍の姿が見えないことに驚き涙に暮れるが、日頃父から女の悋気を戒められていたため気をとりなおそうと鏡を覗くと、そこには妖しい姿が写っている。そこへ剛寂が現れ、安珍はおだ巻姫と夫婦者で、清姫を嫌って女とともに日高川のほうへ逃げた、追いかけて取り殺せとそそのかし、妬嫉の心でおまえの姿はもう蛇になっていると鏡を突きつける。鏡に写った大蛇の姿を見た清姫は、このような姿になったのはあの女のせいだと狂ったように館を飛び出す。

吹雪の中、清姫安珍とおだ巻姫を追いかけるが、日高川に行く手を隔てられる。父の守り刀を抜いた清姫は、激流の水面に大蛇の姿が映っているのを見て、こうなってはもはや添われぬ身、取り殺さずにおくべきかと覚悟を決めて飛び込む。

清姫日高川を泳ぎ渡り、道成寺へとたどり着くが、道成寺は鐘供養で女人禁制となっており、入ることができない。清姫は僧侶たちを騙して寺内へ入り込み、安珍とおだ巻姫を斬り殺す。ところがそれは桜木親王とおだ巻姫に変装していた腰元たちだった。清姫は驚きの中、鐘楼の鐘が降りるのを見て、探し求める安珍とおだ巻姫はそこかと駆け寄る。そこへ駆けつけた庄司は清姫の持っていた剣を奪い取り、娘を刺す。

すると鐘にかかった血から炎が上がり、鐘が持ち上がって中から神鏡と神璽をたずさえた剛寂が姿をあらわす。藤原忠文の悪逆に加担していると思えた剛寂は実は親王派であり、忠文を信用させて三種の神器のうち神鏡と神璽を取り返すことに成功したのだった。そして、清姫が持ち出した父の守り刀こそ、剛寂にも行方がわからなくなっていたもう一つの神器「十握の剣」だった。朱雀帝は神鏡と神璽の紛失に逆臣の存在を感じ、密かに召し寄せた真那古の庄司へ「十握の剣」を預けていた。鏡や水面に映った清姫の姿が大蛇に見えたのは、八岐大蛇から生まれた「十握の剣」の威徳によるもので、清姫が自身の嫉妬で大蛇になったのではなかった。剛寂は清姫が桜木親王とおだ巻姫を呪い殺したことにして藤原忠文の油断を誘い、また、清姫の嫉妬の炎が道成寺の鐘を溶かしたたことにして鐘を鋳つぶして軍用金に換える計画だったことを明かす。剛寂は腰元ふたりを神器の力で生き返すが、清姫の命は助けることができないという。それを聞いた庄司は嫉妬のため蛇になったのではないと娘を励まし、いまわのきわに親王を一目とすすめるが、清姫は自らは蛇になって親王らをとり殺した、蛇であって娘と呼ばないで欲しいと言って息絶える。

この後、道成寺に賊軍討伐の軍勢が集い、剛寂、源経基らによって藤原忠文は滅ぼされるという展開。

 

こちらでの安珍の正体は桜木親王。『道成寺〜』の藤原安珍清姫に口移しで水を飲ませる等のクズ行為があったためウブな清姫が惚れるのも無理はないが、『日高川〜』だと桜木親王は通りがかりを一目惚れされただけという点が異なる。そのぶん清姫の一方的な想いが突き抜けていて、日高川を自力泳いで渡るぶん、『日高川〜』のほうがすごい。

真那古・道成寺を舞台とした四段目だけでも話がかなりしっかりしているので、復活上演しても面白そうだと思うが、話が妹背山の四段目とほとんど同じか……。

 

 

 


┃ 参考文献