TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『嬢景清八嶋日記』『艶容女舞衣』国立劇場小劇場

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先月は普通の公演を観なかったため、文楽、なんだか久しぶりに感じる。 

 

 

嬢景清八嶋日記、花菱屋の段。

 
 
 
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あらすじ

駿河国手越宿の遊女屋・花菱屋では、女将〈人形役割=吉田文昇〉が使用人たちにガミガミ異様に細かいことを喚き散らしている。念仏三昧で温厚な性格の亭主〈吉田玉輝〉がそれをなだめるも、女将はより一層大騒ぎ。それを見た亭主は、ますますのんびりして悟りを語りだすのだった。

そんな花菱屋に、店に娘を斡旋する肝煎・左治太夫〈吉田簑二郎〉がやって来る。左治太夫の連れてきた可愛らしい娘・糸滝〈吉田簑紫郎〉を一目で気に入った女将は、保証人さえ確かならすぐにでも300貫を渡すと大騒ぎ。しかし左治太夫は、その請判がないと言う。糸滝は村はずれに暮らしていた老婆の子で、つい20日前にその老婆が亡くなり、身寄りのない娘は左治太夫の手配で代官の許しを得て奉公先を探しているとのことだった。それを聞いた女将は今度は値切ろうとするが、左治太夫は娘の望みさえ叶えば余分な金はいらないと答え、糸滝に身の上を語らせる。

糸滝が言うには、彼女が母だと思っていた老婆は、息を引き取る間際、自分は実は乳母であり、実の父母は別にいることを打ち明けたという。糸滝の実の親は大名で、わけあって糸滝が2歳のときに乳母に預けたが、その印として肌の守りに小さな観世音像をさずけられたとのこと。風の便りに実母はすでび病でこの世を去ったと聞いたが、実父は宮崎の日向で盲目の乞食となり生きながらえているということ。糸滝を父に会わせてやりたく思うも、年老いた乳母にはそれが叶わず、糸滝の今後を思うと心配で成仏できないこと。大名の子として気を強く持って成人し、父のもとを訪ねて会って欲しいと言い残して乳母は亡くなったということだった。

それを聞いた女将は忌々しいとばかりに糸滝を雇うことを拒否するが、亭主はおまえも元々はここの飯炊きで、人の行く末はわからないものではないかと執り成し、糸滝に話の続きを促す。

その後、糸滝は近所の人々の助けを得て乳母の葬いを済ませたが、自分の身の振りように悩んだ。乳母の遺言通り、日向にいる盲目の父を苦しみから救いたいが、どうすればよいかわからず泣き暮らしていたという。ふと座頭らに出会った折に問うたところによると、盲人の位階を得れば一生を安寧に過ごすことができ、それには500貫あればよいとのことだったという。そこで糸滝は奉公先を探したが、町家でそこまで出してくれるところはなく、佐治太夫に頼んで年季次第で大金を出してくれる遊女屋へ身を売ることにしたのだった。日向の父に会って仕官させ、乳母の石塔を建てるぶんの金をもらえれば、10年でも20年でも一生でも奉公すると、糸滝は亭主と女将の前で泣き崩れる。

亭主は彼女の孝行心に目を泣き腫らし、糸滝をいますぐ抱えるという。いくらでも必要なだけの金を用意し、日向へ行く暇を与えて、その間に乳母の石塔も用意いておくと言って、亭主は女将に金をしまった箪笥の鍵を出すように言うが、女将は知らん顔。構わず箪笥の錠前に木枕を打ち付けて外そうとする亭主に女将が取り付き言い合いになるも、亭主は鍵を外し大金をつかんで与え、糸滝へ餞をするよう使用人たちを呼び出す。そして亭主は佐治太夫へ糸滝に付き添って日向へ行くよう頼むのだった。それを引き受けた佐治太夫が糸滝を連れてすぐ出立しようとすると、花菱屋の遊女や下男、飯炊き女たちがたくさんやってきて、糸滝に餞別を渡したり励ましの言葉をかけてくれる。するとさっきまで糸滝にあれだけ邪険にしていた女将が身を翻し、10年の年季を半分にして、5年分を餞別にすると言い出す。こうして糸滝と佐治太夫は亭主や女将、店の人々に見送られ、西の海の果て、日向へと旅立つのだった。

人形黒衣。

花菱屋の長が女房のキセル攻撃を受けてぴょこんとちょっとだけ飛び退くところ、「ぴゃっ」とばかりにほんの少し肩をすくめていたことにびっくりした。人形って肩すくめられるんだ!?と思った。どうやっているのか。女方の人形だと肩の表情がものすごく重要だと思うけど、じいちゃんにもそんな表情があるんだと思った。それと、細身の好々爺感があって良かった。歳をとって筋肉が落ちて体重が軽くなってるけど、人間としての中身はありそう感、難しそうに思う。

最後に出てくる遊君2人、着物や帯がすべて似たようなトーンの柄もので、なんかすごかった。急いで出てきた感があった。パジャマでごみ出しにきた人感覚だった。

 

 

 

日向嶋の段。

日向の国。平家の侍大将・景清〈吉田玉男〉は、枯れ枝を杖にして痩せ衰えた体に襤褸をまとい、地元の人々の情を受けて粗末な庵で無為なる年月を過ごしていた。今日は、彼の崇め奉る重盛公の命日。景清は肌身離さず持っていた重盛公の位牌を前に、重盛の偉大さと平家の栄華、そして翻って己一人生き残り重盛の位牌に香華も満足に供えられない現在の無念さを語り、嘆き伏していた。

そうしているところへ、海岸に船がついた音が聞こえる。景清は急いで位牌をしまい庵へ姿を隠そうとするが、佐治太夫と糸滝〈吉田簑助〉に見つかってしまう。佐治太夫と糸滝は、このあたりに景清がいるなら教えて欲しいと当の景清に頼む。景清はぎょっとして自分も盲目なので見知らないと答えるも、その姿を見た糸滝は彼こそが父であると気づき、自分は生き別れた娘の糸滝であると名乗ってすがりつく。しかし景清は、自らは景清ではなく父ではないと彼女を拒絶し、景清は昨年餓え死にしたと告げて庵に姿を消す。それを聞いた糸滝は嘆き伏し、佐治太夫はそれを励まして最期の跡を尋ねてみようと肩を貸す。

ふたりがしばらく歩いていくと、柴を背負った野良仕事姿の里人〈吉田玉佳、吉田勘市〉がその先から歩いてくる。佐治太夫は二人を呼び止め、景清のかつての住処を尋ねるが、里人は笑ってその手前の庵にいた盲目の乞食がその景清であると答える。驚く糸滝らに、里人はかわりに景清を呼び出して引き合わせてやろうと、庵に声をかける。姿を見せた景清は立腹の言葉をつぶやくが、糸滝にすがりつかれ、情にひかされてついに彼女を引き寄せて撫でさする。景清は娘の姿を一目見んと盲いた瞼を引き上げるが、みずからえぐり取った目に彼女の姿がうつることはなく、ただ嘆くばかりだった。景清は糸滝がここまで来たことを褒め、どういう暮らしをしているのかと尋ねる。しかし糸滝はわっと泣きだしてしまい、そのあとの話は佐治太夫が引き取ることに。

いわく、糸滝は公家高家どこにでも嫁げる身ながら源氏の世では憚られることも多く、相模の国の大百姓へ嫁することになった。義理の両親はとてもよい人で、糸滝が実父を気にしていることを知ると、官位を得て安寧に暮らせるようにしてやろうとするばかりか、糸滝に金をもたせて日向まで自分で持っていけるようはからってくれた。

佐治太夫はそう言って財布を文箱とを景清に渡そうとするが、それをはねのけた景清は声を荒らげ、武家の娘を土百姓の女房にさせるとはどういうことか、この金で仕官せよとは親にまで名を汚させる気かと怒りをあらわにする。庵から「あざ丸」を持ち出して糸滝に投げつけた景清は、斬られないうちに早く帰れと二人を追い立てる。しかし佐治太夫と里人は景清の目に涙が浮かんでいるのを見て、彼の本心を察する。佐治太夫は里人にそっと金と文箱を預け、悲しむ糸滝の手を引いて船に乗ろうとする。それでも父の顔をもう一目見たいと嘆き岸にとどまろうとする糸滝に景清も心が弱るが、佐治太夫が糸滝を船に抱き乗せ、船は日向を離れていく。どんどん離れていく船の姿に、景清は、いま叱ったのはすべて偽りで、夫婦仲良く長生きせよと叫ぶ。あざ丸を父と思い回向し、冥途で再会しようと泣き叫ぶ景清。糸滝を乗せた船ははるか遠く、沖へと消えていくのだった。

里人は景清のそばに寄り、子に勝る宝はないと励まして、糸滝の残していった財布と文箱を渡す。景清は父を気遣って金を置いていった娘の賢さを察し、文箱に入れられた文を読んでくれるよう里人に頼む。ところが里人が封を切ると、手紙には書き置きの事とあり、父を安寧に暮らさせる金を作るため、身を売って遊女になることが書かれていた。景清は驚き、その子は売るな、船を戻せと大声で叫んで暴れる。もう帆影は見えないという里人に、景清は、清盛の悪行ゆえ平家は滅び、死ぬべきときに死なず、仁義正しい頼朝に敵せんと生き長らえた我が身を呪う。その愚かさ、悪の因果が娘に巡って身を売らせ、孝行心からのはずの不孝な金で老い先短い身が生きながらえることのやりきれなさに慟哭する景清。それを見た里人は、そこまで善悪を見極められるのなら頼朝に帰服するようにと景清に告げる。そうすれば娘も遊女にならずに済み頼朝も喜ぶ、良禽は木を選んで住み、忠臣は主を選ぶものだという言葉に、景清はおことらは何者かと問う。すると衣服を武士の姿に改めた里人二人は、頼朝の家臣・天野四郎と土屋軍内であることを明かし、隠し目付として景清を見守り、時節を見て鎌倉へ召し抱かえる役目を帯びていたことを告げる。頼朝からの書状を受け取った景清は頼朝の慧眼に敬服しきり、反逆の心も弱る。天野四郎は景清が帰服したとして上洛のための大船を召し寄せ、頼朝の家臣二人と景清を乗せた大船は笹竜胆の紋の帆を張って出航する。

景清は船上で盃を受けると、いままで大事に持っていた重盛の位牌をそっと海へと流す。こうして船は日向を離れ、大海を進んでいくのだった。

ここから人形出遣い。

内容を調べずに観に行ったので、話に感動して泣いた(江戸時代に初演を観た人状態)。

景清の、さまざまな無念さや悔しさが絡み合って、胸に迫る。重盛の位牌に満足な供えものもできないことと、娘の顔が見られないのがあまりにも可哀想。自分で言っている通り平家の滅亡は理の当然、頼朝の姿を見たくないとして両目を抉ったのも自分で決めただから仕方ないし、そういう内面をもっているからこその人なのだが、とても悲しい気分になった。

今回、日向嶋の太夫は千歳さんで、いちばん最初に糸滝が景清に話しかけるときの喋り方や声の調子をすごく小さい子のように語っていて、はじめはなぜなのかわからなかったけど、観ていくうち、景清の視点に寄せているのかなと思った。もちろん、浄瑠璃そのものは一応第三者視点だけど、景清からしたら糸滝はあくまで子どもだという意味で。世捨て人として暮らしていて、聴覚だけで周囲の人とコミュニケーションをとっている景清にとって、突然出現した「娘」がオトナな喋り方しているよりも、景清の感じ方やその演出としてわかる部分がある。実際にはどういう意図なのかな。後半はわりと普通の14、5の娘さん風の喋り方になるので、さすがにわざとやっていると思う。簑助さんが相当幼く寄せてるのもあるかもしれない(人形は逆に花菱屋は歳いきすぎだと思った。人形の遣い方に年齢の区別がつけられてないんだと思うけど)。

この段でなにより良いなと思ったのは、玉男さんの景清。
杖を頼りに粗末な庵から出てきてから重盛の位牌に無念を語る部分まで、かなりの長い時間、景清一人での演技になる。この景清の、平家源氏ひいてはこの世全てに対する心底の無念さからの緊迫感に、客席が張り詰めていた。景清は、骸骨に布を貼ったように眼窩と頰がこけたかしらと骨が浮いた手足をしていて、世の中の底辺で衰え痩せさらばえた姿。しかし、その姿かたちとは全く違う次元で、異様に線が太い。すさまじい精神の太さと力強さ、気高さを感じる。人形そのものの姿とは違う次元で複合的にイメージが立ち上がってくるのは、文楽ならではだと思う。現在を認めず辺鄙なところで隠遁しているからより一層過去に執着して、妄執入った侍大将としての精神性が突出してイメージとして舞台に立ち現れているというか……。なんかこうおそろしく強そうなんですけど、景清ってどんな人なんでしょうか。どんな人なんでしょうかと言われても、この通りの人だとは思うんですが、体長5mのヒグマでもちぎり殺しそうなんで*1
最後に糸滝が身を売ったことを知り、船やるなと大声をあげて地面を転げまわり、伸び上がって暴れるさまの荒々しさには驚かされる。千歳さんはわりと最初のほうから潮に灼かれた松の幹のような荒々しさを描写しているのだが、玉男さんはもうちょっと肌理が細かくて、ここまではあくまで品を前面に立て、それなりの地位のある武人として描いているため、突然私情がむき出しになるこの場面は劇的に映えていた。

演技そのものとは関係ないけど、どきっとしたこと。初日に観たとき、冒頭で重盛の位牌を前に泣き伏した景清の人形越しに玉男さんの大粒の汗がぼたぼたと落ちるのが見えて、本当に人形が泣いているように見え、驚いた。ほかの人も、何がキラキラしているのかと驚いておられた。

↓ この玉男様ムービー、最高じゃない??? すごく一生懸命お話しなさっているのと(景清の動きをあらわすところは必見)、前髪がおピヨり遊ばしているのが本当に良い。


国立劇場9月文楽公演 第二部『嬢景清八嶋日記』吉田玉男インタビュー

糸滝の簑助さんはとても愛らしかった。
かなり幼く寄せている印象で、守ってあげたくなるような、小鳥ちゃんのような娘さんだった。とにかく、突然可愛い。景清を慕って、すごく低い位置から一生懸命仰向いてすがりつきにいくのが本当愛らしい。ひざにちょこんとしがみつく仕草にキュン。顔が全然見えなくなるくらいに父の袖の中に頭をうずめるのも、ちょっと動物めいた感じで可愛い。景清から離れているときは不安なのか、緑の着物の袖をずっと手に巻きつけて、そわそわといじったり、ぎゅっと強く握っているさまがまた愛らしかった。
ただ、簑助さんは船の乗り降りがすこし大儀そうで、それだけが心配だった。

 

時代物の大曲というと行動が極端すぎる狂った人々が山盛り出てくることが多いと思うけど、『嬢景清八嶋日記』は登場人物がみんないい人という設計が良かった。景清が最後に娘を思う気持ちに素直になるのが文楽としてはちょっとイレギュラー。

浄瑠璃の文章では、世の中は源氏の治世になって天下太平だからか、景清以外の人はわりと普通の喋りかたをするところ、景清だけは異様に大時代的な喋りかたをするのがおもしろかった。ほかの登場人物はパンピーらしい世話物風の口調なのに、景清は冒頭の謡と同様の喋り方というか……。『赤穂城断絶』の萬屋錦之介状態だった。途中までは、たとえ娘を抱きしめていても(←玉男さん、相当激しく糸滝を抱きしめていた。簑助さんも相当ガッと抱きついていた)、やたらと難しい言葉を並べ立てて心とは真逆のことを言い続けるも、最後、糸滝が身を売ったことを知るとわりと普通の喋り方になるのがよかった。そのあたりになると、武士の正体をあらわした里人もムズカシイ言葉遣いになるのも面白い。

景清自体からは話外れるけど、玉男さんて、引き算で演技してるんじゃないかというイメージがある。芯になにかを肉付けしていってかたちを作る塑像じゃなく、彫像的。MAXの自分から何をどう削り取っていけば理想像ができるのかを考えてるんじゃないかな。少なくとも一つ言えるのは、取り繕いはしないこと。彫像は削ったら後戻りできない。こうすると自分で決めるまでは、削らない。塑像的に造形していく人も、その変化や豊かさが面白いんだけど、彫像的だと納得するまでできん的なものがあって、玉男さんにはそのへんの異様な意思の強さを感じる。初役のときなど、初日近くに見にいくと、人形が迷っているように見えるときがあるのは、そういうことなんじゃないかなあと思っている。とりあえずみたいなことができない人なんだろうなと思う。

 

↓ ハンドメイド位牌。角が自然にまるまった古び具合に、景清の無念の日々の長さというか、文楽の歴史を感じます。しかし重盛、本名? 重盛ってたしか死ぬ前に出家してなかったっけ(平家物語の話)。景清もなんか戒名みたいなのブツブツつぶやいてたよね?? 

 

 

 

 

艶容女舞衣、酒屋の段。

 
 
 
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奥の津駒さん・藤蔵さんが圧倒的。そこまでは普通なんだけど、このお二人に交代したお園のクドキのところから世界が劇的に変わる。突然、あのただの書き割りにすぎない商家に奥行きができて、場内の空気の濃度がぐっと上がる。行灯にやわらかいあかりがともって、部屋のすみには影ができる。わずかにゆらぐ灯に照らされて、お園はしっとりとした白く細い指を行灯にかけ、ただひとり、宙空を見つめる。その瞳には、オレンジがかった光がうつっている。

津駒さん、もう自分以外の人のことを気にする必要がなくなって、本来のご自分のやりたいことをやってるんだろうなーと思った。津駒さんの持っている華やかさや仄暗さ、金襴のようなある意味では下品すれすれの質感に藤蔵さんの三味線がすごく合ってる。これくらい盛ってもらわなきゃ津駒さんはおさまりつかんし、これをここまでてらいなくいけるのは藤蔵さんだけだろう。お園のような異形の崇高さをもった女はこれでなくちゃ表現できない。しかしながら品格はキープしている。本当にすごい。今月、第二部は何回分かチケットを取ったんだけど、それだけ取っててよかったと思わされた。私はふだんは人形しか見ていないけれど、今月の酒屋は床をじっと見てしまうな。

加えてよかったのは、人形のお園の配役が清十郎さんなことだな。この、お園のある意味での異形の美しさが現われた床に対し、清十郎さん持ち前の清楚さがいかんなく発揮された結果、ミラクル調和をおこし、ものすごく良い意味で正しいところに落ちていた。お園は言ってることだいぶ狂ってるんだけど、狂ってるように見えない。かといってただ貞淑なだけのつまらない女にも見えない。ほどよく観客に「なんでこの娘さんはそのしょうもない夫を待ってるの……?」と思わせる頃合いになっていた。型をゆったり見せていくところは清らかで愛らしい雰囲気。いままでお園は勘十郎さん、和生さんのお二人で見たことがあるが、ある意味、清十郎さんがいちばん浄瑠璃自体のイメージに近いのかもしれない。いちばん雰囲気が正統に娘寄りだからなのかな。クドキでゆったりとした動きを見せていくところは、柔らかい雰囲気がとてもよかった。ただ、清十郎よ、日によってムラがあるなって感じだった。仕方ないが、そこはもう頑張ってもらうしかない。
ところで、今回のお園さんの着物、花の模様の並び方が規則的すぎて怖くない? 普段うろうろしてるお園さん(鑑賞教室に出現する人)はもっとランダムだよね。あのびっしりと規則的に並んだ模様、じっと見てたらなんか清十郎の執着心に思えてきて怖くなってきた。怖いといえば今回の上演資料集、『艶容女舞衣』の上演年表ページが180ページくらいあって、かなり怖いよね。新義座とかの情報も載っていて、お園さん並みのやばい執念を感じた。

酒屋にわらわらしている人々もよかった。そりゃ宗岸は玉也さん、半兵衛は玉志サンだなと思った。適役。ひょいひょいしているように見えて世の酸いも甘いもかみ分けた好々爺と、ぴんと背を伸ばして真面目一徹に生きてきた頑固ジジイ。逆はありえない。二人の爺さんのそれぞれのキャラに配役がマッチしていた。『巨人の星』が文楽化したら、星一徹、玉志さんになっちゃう。と思った。
玉志サン半兵衛は藤太夫さんの死にそうな咳にディレイなしで咳き込んでたけど、どうなってるんでしょうか。咳き込みはじめが揃わなくて、あとあと揃ってくるならわかるんだけど、咳き込みはじめは揃っていて、あとあとばらけはじめるのが怪奇。あとは半七ママ役の簑一郎さんの、一本気で我が強い夫に長年連れ添ってきたちゃんとした奥さん感がよかった。普通の婆のかしらだけど、年で痩せぎすになったような感じがなく、丸めた背中とふんわりした動きがやわらかな優しさを醸し出していた。

あとは前の清友さんの三味線が良くて、弾き始めたところで「これよこれ、これが文楽」と思った。

今回の酒屋は文楽の芸の力を思い知らされた。そんなわけないだろというキャラクターの人物であっても、出演者の力でここまで見えかたや感じ方が変わるのだなと思った。酒屋は話自体も完成度が高いわけじゃないと思うが、そこをねじ伏せていた。

 

 

道行霜夜の千日。

茜屋を後にした半七〈吉田玉助〉と三勝〈吉田一輔〉が長町の外れ、千日寺付近で心中するまでを描く道行。

国立劇場よ、興行側として責任持って、せめて人形どちらかには今どこの誰が何をやっているかを表現できる人を入れてくれ……。とにかく、人形は、立って、歩くだけで難しいということがよくわかった。実力以上の役をつけているから第一部のようにならないこと自体はわかるが、初日しばらく経っても向上しないというのは……。床ががんばってるのはわかるが、本公演でこれは、国立劇場はよく考えてほしい。*2

 

 

 

第二部、見取り2演目というのはなんだかなあと思っていたけど、密度の高いパフォーマンスで、とてもよかった。こういうこまぎれ上演のとき、公演の見応えや充実感を左右するのはやはり出演者とそのパフォーマンスだなと思った。先述の通り、今回の第二部は何回も観ているけど、まったく飽きない充実のクオリティ。そして、その演目への熟練度が高いベテランの安定度をあらためて思い知らされた。実際には段によるデコボコがあるとは言えど、満足度がかなり高い公演だった。

 

 

 

◼︎

おまけ

みなさんはお園さんのこと、どんな女性だと思っていらっしゃいますか?

文楽浄瑠璃集』(日本古典文学大系岩波書店/1965)を読んでいたら、お園は「酒屋の段」の時点で嫁入りして3年、20歳と書かれており、あまりの鋼のメンタルと思念の強さにびびった。せいぜい1年半くらいかと思っていた。

半兵衛とその女房は初孫のはずのお通(3歳)の顔を知ってしまうことのないよう、気をつけて暮らしていたのに、お園はちゃんとお通の顔をチェックしているのが怖いなと思っていたけど(直接関わりあいがないよその家の3歳の子って、親と一緒じゃないと、その子が誰なのか、なかなか顔一発で区別つけられないと思う*3)、やばい。お通をガッチリ己の目で確認しようが、実父や義両親があそこまで自分を心配して気遣ってくれようが、身の振り方を顧みず3年間半七を一心に思い続けているとは、景清よりメンタル強い。

「酒屋」は下の巻の切なので、ここで『艶容女舞衣』の話は終わる。お園さんはここに至るまでどうやって過ごしていたのだろう。

原文を通読できていないので詳細はわからないが、『文楽浄瑠璃集』で概要をかいつまんだところ、お園の酒屋に至るまでの行動がわかった。話全体としては、道ならぬ恋に陥った半七と三勝、それに苦慮する半七の両親(半七ファミリーは最近奈良から大坂へ引っ越してきた設定らしい)、嫁にきたものの行き場のないお園、三勝に横恋慕し半七を陥れる悪党善右衛門、若殿のため三勝を身請けしようとする宮城十内らのアレコレを1年にわたって描いているようだ。お園はぼつぼつと出てきており、占い師に化けた半七から愛想尽かしをされるも正体を見抜いて恨みを言う段があったり、三勝の家へ別れてくれと直談判に行ったりする段があるようで、相当アグレッシブな女だった。お通に会ったことあるどころか三勝にダイレクトアタックしたことあるんだ……。てっきり「酒屋」でいきなり出てきて、思い込みの恋情を語るだけの、純粋すぎて行動が突き抜けた八重垣姫的な娘さんかと思っていたら、問題解決に向けて積極的に行動しておられた。私はお園さんへのリスペクトを新たにした。文楽魔界転生があったら、お園さん、知盛あたりと戦えると思った。
 

 

 

 

 

 

 

*1:宮崎にヒグマはいないそうです。

*2:これはやらないほうがいいと思ったのは今回が初めてというわけではなく、数年前、『平家女護島』の「舟路の道行より敷名の浦の段」が出たときもこれはやらないほうがまだいいと思いました。このときは文司サンが後白河法皇役で出てたんですけど、出てきて速攻清盛キックで船から海ポチャしてしまい、文司〜〜〜ッ根性で這い上がってきてくれ〜〜〜ッと思いました。このときはまじ本当にやばくて、人形はめちゃくちゃだわ床は揃ってないわで、入れ替え時間に喫茶室にいたお客さんらみんな「これはやらなかったほうがよかったねぇ……」という話をしちゃってました。私もしました。

*3:『艶容女舞衣』自体にそういう展開があるわけではなく、先行作『女舞剣紅楓』の設定を引き継いでいるらしい。「去年の秋の患ひ」の設定も同。