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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

テレビドラマ「あきのひとならば」(1959年)-文楽人形に恋した男

「あきのひとならば」というテレビドラマがあったそうだ。いまからおよそ60年前、1959年(昭和34年)、設立2年目の関西テレビが文部省芸術祭参加作品として制作した単発の1時間ドラマだ。脚本は、溝口健二作品をはじめ古典題材の映画脚本で知られる依田義賢で、文楽人形を劇中に登場させているという。

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あきのひとならば

  • 制作:関西テレビ株式会社
  • 放送日:1959年(昭和34年)10月17日(土)20:00〜21:00
  • 放送枠:東芝土曜劇場(第32回) /提供:東芝
  • 脚本:依田義賢
  • 演出:藤信次
  • 音楽:小杉太一郎
  • 出演:安江久次郎=益田喜頓、安江まさ子=村瀬幸子、安江修治=高津住男、支社長=山村弘三、病院長=内田朝雄、桐竹紋十郎=桐竹紋十郎、おさん(人形)の声=速水雛子

 

 

 

これを知ったのは、依田義賢について調べていたときに、「依田義賢と実験的映像」と題した論考を見つけたことによるものだった。『イメージ―その理論と実践』(晃洋書房/2017)という映画関係の書籍に掲載されており、文旨は、依田義賢の子息・依田義右氏が、依田義賢の脚本上の意図による実験的映像への探究心について解説するというものだ。*1

依田義賢は晩年、心酔していた空海の生涯とその奇跡をスペクタクルな映像で映画化することを企画しシナリオを書くも、映画会社からリジェクトを受け、相当な無念の涙を飲んだという。しかし、過去には野心的な脚本が実現した作品があり、それが本作「あきのひとならば」ということだった。

かなり古い作品のため、当然私は観ていないし、映像自体も残っているか怪しいラインだと思われるが、依田義賢の遺品にガリ版刷りの脚本や撮影時のスナップが残っていたそうで、これらの資料と義右氏が観た放送当時の記憶をもとに、内容が詳しく紹介されていた。また、探してみると、雑誌『テレビドラマ』1959年12月号に脚本原本が掲載されていた。義右氏の論考と脚本原本をあわせてみると、本作は以下のようなストーリーだったようだ。

 

油脂工業会社の庶務課に勤める53歳の男・安江久次郎〈配役=益田喜頓〉は家族を東京に残し、大阪支社へ単身赴任している。お銚子一本の晩酌と子どもの成長だけが楽しみという堅物の安江だったが、仕事ぶりはいまいちで、定年を間近に控えた彼への転勤命令は実は左遷でもあった。

 

 

連休前のある日、安江は支社長から呼び出され、滞った仕事を残業して終わらせるよう命じられる。その夜、事務室でひとり残業していた安江はどこかから流れてくる三味線の音色を聞く。しかしラジオではそのような放送はしておらず、安江は音をたずねて廊下をさまようが、見回りにきた守衛もそんな音は聞こえないと訝しそうにする。

安江が事務室に戻ると、やはり三味線の音が聞こえる。天井を見ると、新造の姿をした文楽人形が踊っている姿が見える。その姿はすぐに消え、今度は窓のガラスに人形の姿が映る。気づくと、新造のつくりをした文楽人形が扉口に佇んでいた。安江は「やっぱり来てくれたんだ」と喜び、人形を支社長室へ招き入れる。

応接セットの椅子に座った新造の人形は両手をついて挨拶し、安江の熱心な声に引かれてここへやってきたと話す。安江は彼女と会えたことを喜び、定年間近になって東京から大阪へ転勤してきたこと、支社長から切符をもらってはじめて人形浄瑠璃を観たこと、初めて彼女と出会った舞台のことなどをさまざまに話して聞かせる。新造は彼の妻のことを気にかけるが、安江は妻が大学に通っている末息子可愛さに大阪へついてきてくれなかったこと、妻にはいままで苦労をさせ、感謝しているので、好きにさせてやりたいことを語り、もう妻の話はしないで欲しいと新造に言う。

 

■  

安江は彼女を一人暮らしのアパートへ連れ帰ることにする。その夜道、通行人が新造にぶつかってきたので、安江は彼女を庇って通行人を突き飛ばす。しかし、通行人はそれを不審な目で見送る。

アパートへ着くと、着物へ着替えようとする安江を新造が手伝ってくれる。そして、彼女は安江に代わり、身ごしらえして世話女房のように炊事を始めるのだった。

安江と新造がちゃぶ台を囲んでいると、管理人が部屋に電報を持ってくる。その内容は、妻と末息子が明日からの連休に来阪するという知らせだった。新造は安江の家族に会いたがるが、安江は「妻子にお前のことが知られては」と言う。新造とは決して疚しい仲ではないものの、彼女に心を移したことを妻に申し訳なく、また、してはならないことだと思っていると安江は語る。それでも彼女と一緒になりたいという安江に、新造は、それは叶わないことで、自分は人形なので一緒になるには死ななければならないと言う。仲の良い茶飲み友達でいようと言う新造の言葉に、安江はうなずく。

 

■ 

翌日、安江の老妻・まさ子と大学生の末息子・修治がアパートを訪ねてくる。久しぶりの家族の再会に様々な話をする二人に対し、いら立って不機嫌そうな安江。その不審な様子に、こちらで好きな人が出来たのかと修治が尋ねると、安江は激怒し、連休にも関わらず会社へ行くと言って出て行ってしまう。その様子に、まさ子と修治は女の影を確信する。修治は、父がその女と結ばれてもいいのではないかと言うが、まさ子は女に別れを告げに行ったのだろうとつぶやく。

 

■ 

ブラインドが閉め切られたオフィスでは、新造が安江の傍らに佇んで泣いていた。新造は自分が安江を苦しめていることを嘆くが、安江は自らが苦しむのは仕方ないと言う。自分は人形であるとして帰ろうとする新造を引き止め、死んでも構わないと語る安江。そして、彼女への恋に心を弾ませていると愛の言葉を語り、新造のつめたい手をとる。

密かに会社へついてきていたまさ子と修治は、これを耳にしてしまう。まさ子が修治に促されて部屋を覗き込んでみると、そこには安江の姿しかない。驚いたまさ子が夫に声をかけると、安江は彼女を睨みつけ、新造の姿は消える。安江は新造を探し外へと出てゆくが、その尋常ではない様子にまさ子と修治はぞっとする。夫は疲れていると思い、励まそうとするまさ子に、安江は「わたしは“あれ”とは別れない、会わせないようにしようとしても、わたしはどこでも、いつでも“あれ”と会える」とつぶやいて笑う。その笑い声にまさ子は恐怖する。「たとえ人形でも心をうつしたことをいいとは思っていない、そのことで妻を悲しませていることに苦しんでいる、許してほしい」と言う安江。

 

■ 

その夜。まさ子が気づくと、アパートの部屋に安江の姿が見えない。まさ子は驚いて修治を起こし、支社長にも電話を入れて、安江を探しに行くことにする。

その頃、安江は中之島公園に佇み、なにかをつぶやいていた。通りすがりのカップルたちはその様子を異様な目で見る。「わたしはもう帰れない、家内との絆ももうこれまでで、会社にも見限られている」と言う安江の傍には、新造が座っていた。妻のもとへ帰るように言う新造に、安江はわたしと別れたいのかと問う。首を振る新造は、安江の妻に会って自分の気持ちを聞いてもらいたいが、人形の身では会うことは叶わないと言う。安江は新造とは別れられないと語り、一緒に死んで欲しいと言って、京都へ行こうと誘う。「鳥辺山心中」の道行を口ずさむ安江は、新造と寄り添って歩いていく。

 

■ 

連休明けの会社に、警察から安江が嵐山を一人でさまよっているところを保護したという連絡が入る。病院で診察を受ける安江は、狂人と言われてもいいと語る。世間は清純な恋をしているものがおかしくて、昼間から戯れているような濁って腐ったものたちが正常であると思っているのだろうと言う安江。院長は、付き添いに来ていたまさ子や支社長に安江が「病気」であることを告げ、安江はそのまま入院することになる。

診療室、麻酔で眠りに落ちた安江に、医師たちが電気ショック療法を加えている。新造は、手を合わせて祈っている。

病室で目を覚ました安江は、傍らの新造に語りかける。安江は、妻や医者たちが自分を精神病者として扱い、新造の姿が見えなくなるよう、声が聞こえなくなるようにしようとしている、それに負けはしないと話す。新造は、安江の妻は彼を心配しているのだと言い、妻の傍へ戻るように諭して、その姿を消す。安江は彼女を引き止めようと声をあげ、新造の姿はふたたび見えるようになる。

 

■ 

医師たちが安江の治療方針を議論するうち、彼に文楽人形を見せることが提案され、院長によって桐竹紋十郎が院内の慰安を兼ねて呼ばれることになる。紋十郎は三味線の音色に合わせて新造の人形を遣って見せ、入院患者や医師、看護婦たちがそれを興味深そうに見ている。一方、安江は病室で三味線の音を聞き、立ち上がる。

紋十郎はひとしきりの芝居を終えると、人形のつくりの説明を始める。八汐、お福、傾城のかしらなどを次々見せていくが、その中で新造の人形を示し、「人形の構造でございますが」と言ってかしらを引き抜き、衣装を脱がせる。そのとき、「やめてくれ」という叫び声が響く。みなが驚いて振り返ると、そこにはいつのまにか安江の姿があった。院長は構わず紋十郎に説明を続けさせる。

安江は病室へ帰り、「姿を見せておくれ」とつぶやく。現れた新造は、背を見せると、髪をぱらりとふり乱し、窓から飛び降りる。安江は叫び声を上げ、部屋を見回し、「姿が見えない、姿が見えない」と言ってベッドへ打ち伏し、激しく泣く。

 

■ 

……安江は病室でまさ子にセーターを着せてもらっている。それは安江が退院する日のために、まさ子が編んだものだった。安江はこんな派手な色と躊躇するが、まだ若いんだからと言うまさ子。そして、自分も若くなって、安江を誰にも取られないようにすると言う。安江は自分の相手をしてくれるのは文楽人形くらいだと言い、まさ子は油断がならないと答える。安江は「秋も深くなったね……歩いてみたいね」と妻に語りかける。まさ子は「一緒にまいりましょう」と返す。窓の外の秋が深まった空には美しいいわし雲が浮かんでいる。安江は無表情である。


*要約は筆者。文中用語当時ママ。

 

なんとまさかのホラーサスペンスだった。

この話、「文楽人形の魔性に取り憑かれてしまう」ということ自体に共感できないと理解を得られない脚本だと思うけど、これ、当時どれくらい理解されていたんでしょうか……。

物語の鍵となる、安江の幻覚として登場する「新造」の文楽人形は、女方人形遣いのトップスター・桐竹紋十郎を起用し、本物の文楽人形を使用するという演出。この人形の姿は安江以外には見えない設定である。

これについて、義右氏は「現代なら新造の人形もCGで表現できるだろうが、父はそうはせず、実物にこだわっただろう」と書いている。それは、新造の人形は、幻覚上の存在であったとしても、安江にとっては「実物」だったからだ、というようなことを書いておられるが……、これ、「ある男が見た幻覚上の女を実写で表現した実験的映像」ということではなくて、「文楽人形の魔性に取り憑かれた男の話」なんじゃないかなと私は思う。新造は単なる幻の女ではなく、文楽人形として立ち現れる。安江もまた新造を文楽人形として捉えている。なので、新造の人形は実物で、本物の人形遣いが遣っている必要がある。

依田義賢文楽人形の持っている魔性について、実際の感覚に即して描こうとしたんじゃないのかなあ。脚本を見る限り、文楽についての描写が的確で、芸術祭出品用の素材としてヤッツケで盛り込んだわけではないと感じる点がいくつもあり、さすが依田義賢だと思わされる。

たとえば、会社の応接室で新造と語らうシーンに、はじめて新造と出会ったとき=安江が支社長からもらったチケットで『心中天網島』紙屋内を観に行ったときの舞台が回想として入れ込まれている。そこでは、舞台映像をバックに、新造の人形(=おさん)を見た安江が彼女を見初め、人形に引き込まれていく様子が語られる。

こんな可愛い者が、この世にあったのだろうかと思った。
それからだよ、興行のある間、欠かさず、毎日文楽座へ通うようになったのは……
浄瑠璃の外題なんかどうでもよかったんだ。
その顔その姿さえ見ればよかったんだ。
白い艶やかな頰、襟にうずめたおとがい、息づく胸のふくらみよう。

これを読んで、自分にも覚えがあると思ってしまう人、いっぱいいると思う。「浄瑠璃の外題なんかどうでもよかったんだ」、まさにその通りとしか言いようがない。人形の美しさの描写も、容姿自体以外の人形独特の所作を褒めているのが特徴的。

いちばん最初に新造の人形が現れたときの「お前さんが来るので三味線が(聞こえたんだね)」という台詞も、なかなか味わい深い。

また、最後に出てくる院長は桐竹紋十郎と知り合いという設定のようだが、院長、若い医師が「(安江に)一度、文楽人形を見せてみたらどうでしょうか?」と言うのに対し、「文楽の何の人形を見せるのだ。文楽の女の人形といってもいろいろある」と、それはその通りなんだけど、文楽知らん人にとっては完全にどうでもいい、異様に細かいことを言うあたりにこだわりを感じる。

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上記の舞台シーンのおさんは、脚本では桐竹紋十郎の出遣いと指示されている。これは現実の舞台の通りである。しかし、安江の幻覚の中の新造は、ひとりでに人形が動き回っているかのような演出にされたらしい。幻覚の新造も紋十郎師匠が遣っているのだが、人形遣いの姿が見えないよう工夫されていたようだ。『イメージ―その理論と実践』には何点かの撮影中スナップが掲載されていて、その撮影方法を知ることができた。

人形が応接セットの椅子へ着座している状態では、椅子の背もたれをくりぬき、そこから主遣いが手を差し入れ、左遣いも椅子の背面へ回っての二人遣いだったようだ。アパートのシーン(畳の上に敷いたざぶとんに座る)ではセットの畳を抜いて、主遣いが床へ潜って一人遣いで遣ったらしい。

夜の中の島公園のシーンのスナップには、新造が立っているものがある。周囲が暗いので、黒衣で人形遣いの姿が見えなくなるようにしているのかな。立ち方が女方にしては本当にただの棒立ちになっているので、カメラ回ってないシーンかもしれないけど……。

最後に病室の窓から飛び降りるシーンをどう演出していたかは、義右氏の記憶がないということだった。シナリオでは背を見せて飛び降りることになっている。掲載されているほかのシーンのスナップを見る限り、新造には、人間的、映像的リアリスティックな演技をさせていたわけではなく、文楽の舞台の所作のセオリーを取り入れていたのではないかと思う。論考には義右氏の推測が書かれているけど、あくまで撮影上のトリックの説明で、文楽の演技に紐付けて書かれていないため、ちょっとイメージがつかなかった。

また、新造が安江の生活に溶け込んでいるように見えるよう、小道具類も文楽人形のサイズを配慮して作っていたようだ。アパートで新造の人形がちゃぶ台の前に座っているスナップでは、ちゃぶ台がちゃんとお人形さんサイズに作られているのがわかる。

 

 

 

ところで、さっきから使っている「新造」という言葉。義右氏はこの「新造」を「新人遊女」という意味に取って小春だと解釈していらっしゃるようだが(なぜか紙屋内のおさんを小春だと思っておられるようだった)、人形からすると、小春ではなく、おさんだと思う。写真を見る限り、「新造」の人形はまゆを引いていない老女方のかしら。髪型も娘や遊女の結い方ではないように思う。安江が新造を見初めた舞台で演じられているのが紙屋内、おさんが心情を語る場面(〽その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやろうぞ……)であることからしても、ここでいう新造はおさん=「商家の若奥さん」だと思う。現実の妻の存在との対比からすると、安江の幻覚上の恋人は小春の拵え(娘のかしらに遊女の着付)でいくのが筋が通っている気がするが、なぜおさんにしたのだろう。妄想の恋の相手が娘(遊女)でないというのは、安直さを回避していて、上手いと思うが。

ただしおさんと言っても人形のつくりは特殊で、現行なら武家の妻に使うような目が大きいタイプの老女方のかしらに、着付けは黒の付け襟なしの町家の奥さん風の菱形模様が入ったもの。少なくとも現行のおさんとは違うが、当時の三和会ではそうしていたのか、それとも、どの役も感じさせない、架空の「新造」のつくりにしたのか。

 

 

 

安江の幻覚を覚ますのが「桐竹紋十郎の人形解説」というのは、本当にリアル。

ほんっとにあの人ら、ものすっごいフランクに人形の首ひっこ抜きますよね。申し訳ないけど、シナリオ読んで、ちょっと笑った。文楽を観始めたころ、レクチャーで人形の首がひっこ抜かれるのを見たときには、本当に大ショックだった。かしらが外れるのは知識として知っていたけど、「くびとれたーーーーーーーーー!!!!!」とめちゃくちゃびっくりした。いまでも鑑賞教室等でかしらだけを手にスマイルで解説する人形遣いさんを見ると、若干、引く。人形遣いさんたちは人形の首は取れて当たり前だと思っていらっしゃるのだと思うが、客は人形を人間だと思っているので、もうちょっとマイルドにやって欲しい。突然、人形の手をぽろんと取り出してきたりするのも、怖い。

病院へ慰問にやってくる桐竹紋十郎は、本物の桐竹紋十郎が本人役で出演。『テレビドラマ』1959年12月号掲載の製作中スナップでは、製作陣・俳優陣に混じって本読みへ参加している様子が写されている。ちなみに本作の放送は『浪花の恋の物語』公開(1959年9月公開)と近い。

 

 

 

義右氏の論考には書かれていないが、この話、単に文楽人形を登場させているだけではなく、要素を『心中天網島』から取っているんじゃないのかな。『心中天網島』では、治兵衛は最終的におさんと別れさせられ、小春と心中してしまう。しかし本作では、これとは異なる結末を迎える。新造の人形はひとりで消え、安江は妻・まさ子のもとへ戻る。しかし、なぜラストの安江の表情は無表情なのだろう。彼の心は新造とともに心中してしまったのだろうか。義右氏がお持ちの脚本と「テレビドラマ」掲載の脚本にはいくつか相違点があり、上記あらすじでは双方を取り合わせて要約している。最後の安江の無表情の指示は「テレビドラマ」掲載の脚本にはあり、義右氏の紹介文にはなかった要素だが、実際の演出ではどうしていたのだろう。

新造の性格は、浄瑠璃に出てくる女の良いところを抽出して結晶化させたような造形。実際には浄瑠璃に登場する女って、生身の女性の持っているパッショネイトをクソヤバな方向に爆発炎上させたようなヤツがたくさんいる(というか、そういった勢いがありすぎるヤツのほうが多い)のに、この新造はキレイなとこどりをしているあたり、幻覚。世話物に出てくる男に都合よすぎの奥さんキャラよりも都合いい。新造の安江に対しての台詞「わたしらは、仲のよいお茶のみの友づれでいまひょう、なあ……」とか、人間には言えない。いかんせん文楽人形なので、実際問題手握り以上のことは出来ないから(ほんまは茶も飲めへんやろ!舞台上ではガバガバ飲んどるけど!)、安心して恋ができるところには味があるのだが。

それにしても、「あきのひとならば」という題名は、どういう意味なのかしら。「道行名残の橋づくし」にある、「短きものは我々がこの世の住まい秋の日よ」が着想のもとだろうか? 時雨の炬燵とかにそういう詞章があるのかな?

 

 

 

 ■

配役に関しては、文楽人形の幻覚に取り憑かれる冴えない中年男役が益田喜頓(当時50歳)というのがはまり役であるとともに、絶妙な怖さを感じさせる。当時のテレビ評を読む限り、文楽人形相手の芝居は結構大変だったようだ。

また、安江に妄想を抱かせたのも紋十郎師匠、幻覚上の人形を遣っているのも紋十郎師匠、幻覚を覚ますのも紋十郎師匠というのはキャスティング上の結果論ながら、よく出来ていると思う。(当時のテレビ評に、新造の人形の演技を褒めているものがあった。でも本物の舞台のほうが良い><的なことを書いていたので、多分評者は文楽マニアだな。)

新造の人形には声の出演がついていて、安江と視聴者が聞いている分には本当に自分でことばを喋るという設定。安江は普通のおじさん風の現代的な口語だが、新造は浄瑠璃がかりの大阪弁(ちょっと京都弁風?)口調で話す。ただしこのCV、残念ながら文楽からの出演ではなく、当時関西テレビ制作の番組に出演していた速水雛子という女性の方がついていたようだ。

ほか、ラストの病院のシーンでは、少なくとも三味線さんは出演している模様。スナップには後ろ姿しか写っていないのでどなたかは不明だけど、着付の紋がぼんやりと写っているので、わかる方にはわかるかも。

  

 

 

関西テレビ初の文化庁芸術祭出品作品というだけあり、大変力が入った企画であることが伺えるが、当時のテレビ評を読むと、照明・人形に見所はあるものの、最終的な出来はややいまひとつだったようだ。でも、映像が現存しているならば、観てみたい作品である。

 

 

 

  

 

┃ 参考文献

 

 

 

 

 

*1:依田義右氏の専門は映画関係ではなく、フランス哲学。そのせいか、映画の専門書ながら、この項のみ文章が談話風。