TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪夏休み特別公演『国言詢音頭』国立文楽劇場

プロモーションで「残酷」「大人向け」等の言葉が使われていて、「文楽はいつも残酷で大人向けなのでは……???」と思っていたが、なるほど。

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初右衛門は、以前、玉男さんが「人を斬る役はゾクゾクする役、初右衛門とか」とお話しされているのを聞いて、どんな役なんだろうと思っていた。今回、夏休み公演の配役が発表されたときは、由良助が玉男さんじゃないことに衝撃を受けたが、『国言詢音頭』初右衛門に配役されていたので、やったー!と思った。

私が玉男さんの役で好きなのは、文七のかしらに代表される、本心を押し殺してじっとした……本心の見えないような役。寺子屋の前半の松王丸など、何を考えているのかまったく読み取れない不気味な印象があって、とても好き。表面が白い漆喰で分厚く塗りつぶされて、その内側にあるものをまったく推し量ることのできない、不可解なおそろしさを感じる。松王丸は本心を隠しているという設定だが、いっぽうで、本当に本心がわからない役、これはかしらは団七だけど、すしやの権太のような、本心が伺い知れない凶暴性のある不気味さをもった役もうまい。本心が見えなくて怖いというのは、何か本心を隠していそうだとか、何かを思いつめているというのとはニュアンスが違っていて、ほかの人形遣いにはない佇まいで、特異な印象を受ける。

あまりにシンプルな暴力衝動で惨殺を行う初右衛門は、玉男さんの「本心のわからない不気味な役」にバチッとはまっていた。

大川で伊平太に酷い内容の手紙を読み上げられてもじっと聞いていたり、大重の前半で茶屋の者や菊野たちに鷹揚に振る舞うさまは、演技がシンプルゆえ心情がわからない。後半は、行動がめちゃくちゃにも関わらず、凶行に対する芝居上のエモーションがまったく読み取れなくて、心情がわからない。前後とも違う意味で本心がわからなさすぎて、怖い。もうちょっと芝居的なわざとらしい味付けをするとわかりやすくなってマイルドになると思うんだけど、それを断ち切ったような演技だった。

初右衛門のわからなさをもっと正しく言うと、「本心が理解できない」かな。初右衛門が怒った理由自体はわかるんだけど、あそこまで凶行に芝居的な表情付けをしていないと、たかだかその程度でここまでするか!?という意味不明の恐ろしさがある。理由のわからない暴力はあまりに生々しく、リアルで、底冷えするように恐ろしい。数年前に観た『伊勢音頭恋寝刃』の十人斬りのシーンは観客大爆笑だったけど、今回は殺戮シーンで誰も笑ってなかった*1

殺戮の場面は玉男さんの力強い印象が大変に活きていて、初右衛門が薩摩武士である設定にもかなり納得感があった。大重へ忍び入る前に刀の鞘を叩き割る演出があるが、それが趣向に堕しないものがある。段名の「五人伐(ごにんぎり)」は「伐」の字がやたら怖いけど、確かにこれは「伐」だわ……と思わされた。

初右衛門が斬り落とした菊野の首を掴み上げて顔を向かい合わせ、唇をゆっくりと舐め回すところは、エログロとかそういう概念じゃなくなっていた。行為自体に生々しい印象はあるんだけど、線の太さとバイオレンスが全面に出て、怨恨や情痴といった湿り気がほぼ吹き飛んでいるためか、エロス感が低すぎて、動物と化していた。*2

本作は内容が(結果的に)現代的と言われているようだが、初右衛門に古典的な作為感が薄いからか、見た目のトーンもかなり現代的になっていた。「残酷」って、私のなかでは湿度の高い冷たさをもった有機的なイメージだけど、この初右衛門だと、湿度も温度もない。即物性がかなり高く、無機的。暴力に理由も必然性も見えなさすぎて、もはや現象にしか見えない。大変にモダンな印象だった。というか、これを「暴力」だと感じること自体が、現代的なのだと思う。

ちなみに玉男様、普段は滅多に特殊な着付はお召しにならないところ、今回は第三部の主役だからか、スチームミルクにチョコレートシロップを少し垂らしたような、わずかに茶みがかったちょっと特別な白の着付をお召しでした💖

 

 

 

以下、あらすじ含めた細部。

大川の段

初秋の夜、曽根崎新地の遊女・菊野〈人形役割=豊松清十郎〉は北浜の大川の川岸を仲居お岸〈吉田簑一郎〉、小女郎〈吉田和馬〉とともに歩いていた。菊野は茶屋・大重へ行かねばならないと言い、絵屋仁三郎の船が通りかかったらこれを渡して欲しいと仲居に巻物状の手紙を預け、小女郎とともに立ち去る。

そうこうしていると、堂島の蔵屋敷に勤める薩摩藩士・八柴初右衛門の若党・伊平太〈吉田玉助〉がやってくる。主人初右衛門の行方を尋ねる伊平太に、仲居はメチャクチャな受け答えをする。伊平太が脅しかけると、彼女は驚いて逃げていった。

伊平太がふと見ると、あとに手紙が落ちている。拾い上げ開いて見ると、それは主人初右衛門が入れあげている菊野が、蔵屋敷出入りの町人・仁三郎へ宛てた恋文だった。そうこうしていると、そこに当の初右衛門〈吉田玉男〉が通りかかる。伊平太は初右衛門の新地通いを諌めるが、聞き入れられない。そこで先ほど拾った手紙を読み上げ、菊野には間夫がいること、初右衛門を嫌っていることを知らせる。初右衛門は黙って聞いていたが、伊平太が宛名の絵屋仁三郎の名を示すと、手紙を奪い取り、女郎は所詮女郎、新地通いもただの遊びであると言う。伊平太は胸をなでおろし、帰国の準備に急いで帰って行った。

初右衛門が手紙を改めているところへ、大川をにぎやかな遊山船がやってくる。そこには菊野とともに、絵屋仁三郎〈吉田勘彌〉が乗っていた。太鼓持〈吉田文哉〉や仲居らは本人がすぐ側で聞いているとも知らず、初右衛門を野暮天だの何だのと悪口を言い散らし、菊野もまた初右衛門の呼び出しにはぞっとすると言って、さんざんに盛り上がる。初右衛門はその船が通り過ぎて行くのを見送り、恨みの言葉を口にするが……

若党よ、悪口の手紙を本人の前で読み上げるなよ……。そこは「ああいう女には絶対間夫がいて、商売でちやほやしてくるだけですから!」とか、もっとマイルドに言わんかい。と思ったのだが、人形の演技を見ていると、初右衛門は、手紙に書かれている自分への悪口はじっと聞いているが、宛名の仁三郎の名前が読み上げられたところでピコンとする。ここからすると、菊野に間夫がいることや自分を嫌っていることそのものは許容できるが、その間夫が出入りの町人であることが許せないということになる。ここに初右衛門のプライドのポイントがあるということなのか。

床は睦さん清志郎さん。軽い部分へのご出演なのがちょっと惜しいけど、ウザやかましい奴らがギャアギャアとさんざん下品軽薄に騒ぎまくる様子が良かった。

それにしても、菊野は仲居に仁三郎の舟が来たら渡してと手紙を預けて立ち去ったにも関わらず、どうしてその直後に仁三郎の遊山船へ乗っているんだ。その舟に仲居が乗っているのも不思議。どういうことなんだろう。

どうでもいいことだが、遊山船の船頭〈吉田玉峻〉が結構イケメン顔だった。船は合計20人以上(?)も乗っていて、沈没しそうだった。それと、若党が右足だけ若干上げて宙に浮かせているのは、そういうポーズなのかしらん?

 

 

 

五人伐の段

茶屋・大重で帰国の宴を催した初右衛門は、別れの土産として茶屋の亭主〈吉田玉誉〉らには薩摩上布、菊野と仁三郎には文箱を贈り、奥座敷で亭主らと飲み直すと言って菊野らの前から去る。仁三郎がその文箱を開けると、入っていたのは一通の巻物状の手紙。それには巻き返した形跡があり、開いてみるとそれは菊野が仲居へ預けたはずの例の一巻だった。手紙が初右衛門の手に渡っていたことを悟った仁三郎は慌てるが、菊野は初右衛門に斬られる覚悟があると語る。かつて菊野は絵屋に奉公しており、その折に仁三郎と深い仲になったが、仁三郎の許嫁・おみすに遠慮して絵屋を辞し遊女になった。初右衛門に斬られて死んでも、その身の業と言われて構わないという菊野に、仁三郎は共に死ぬ覚悟を決め、脇差に手をかける。

ところがそこへ絵屋に奉公している菊野の弟・源之助〈吉田清五郎〉が現れる。源之助は二人を諫め、姉には若旦那を巻き込まないよう、仁三郎へは家に戻るように異見する。これを聞かないなら自分から先に自害すると源之助が脇差を奪い取ると、二人は慌ててそれを引き止め、心中はやめると言うのだった。

そうこうしているうちに、大重へ蔵屋敷から迎えの奴〈吉田簑太郎〉がやってくる。初右衛門が奥座敷から出てくると、菊野と仁三郎はその前におしなおり、どんな処置も受けると詫びた。しかし初右衛門は鷹揚に笑い、気にするなと言って二人を許す。二人は泣いて喜び、初右衛門は皆に見送られて茶屋を後にする。


初右衛門が帰った後、仁三郎は酒をあおって安堵の息をつく。そして菊野の情を受けようと言って二階の寝所へ入っていく(こいつ、どんだけ自分の心に素直に生きてるんだ???)。菊野が支度をしていると、源之助に連れられたおみす〈桐竹紋臣〉がやってくる。おみすは仁三郎を案じて参じたと語り、義父のために祝言だけ挙げさせて欲しい、そうすればあとは尼になった気持ちで過ごすと涙ながらに頼み込む。菊野は仁三郎に祝言を勧めることを誓い、また、二階の寝所に灯をともしていないことを幸いに、自分と入れ替わっておみすが仁三郎のもとへ行くように勧める。遊女の姿に着替えさせたおみすを二階の寝所へ連れていくと、菊野は一階の座敷で一人寝支度をする。しかし、みずからそうしたものの、二階の睦言が気になり、菊野は眠れない夜を過ごす。

夜も更けた頃、大重の戸口に初右衛門が現れる。何者かが忍び込む物音に気づいた菊野がふっと起き上がると、初右衛門は彼女に掴みかかって首を締め上げ、影で散々馬鹿にして痴話の種に使っていたことを激しく詰り、恨みの念を並べ立てる。先ほど許すと言ったのはすべて嘘だったのだ。初右衛門は菊野に仁三郎の行方を吐かせようとするが、彼女は答えない。初右衛門は怒りに任せて刀を突き立て腹を抉り、彼女を殺してしまう。そして菊野の首を斬り落とし、血に染まった唇を舐め回すのだった。その物音に寝ぼけ眼の仲居が姿を見せるが、初右衛門はその胴を真っ二つに斬り、そして(確か)太鼓持も殺して、仁三郎の姿を探し奥の間へ入る。

一方、この様子を二階の寝所から見ていた仁三郎とおみすは階下の惨事に震え上がり、窓の格子を外して屋根伝いに逃げようとするが、震える足ではそれも叶わない。おそるおそる廊下へ出た二人は置かれていた長持の蓋を開けるも、そこへ入ることもできず、長持の後ろへ身を隠すのだった。
そうしていると、亭主を殺した初右衛門が戻ってくる。二階の寝所に気付いた初右衛門は、血刀を下げて階段を上がり、蚊帳と布団を斬りつけるが、そこに人の気配はない。仁三郎を探してうろつき回る初右衛門は廊下の長持に気づき、ここかとばかりに蓋を跳ねあげる。刀で長持の中をずたずたに切り裂く初右衛門だったが、ここにも仁三郎がいないことを悟り、ふと見やると格子が外されている。そこから仁三郎が逃げたと思い込んだ初右衛門は階下に降りるも、一階には足の踏み場もなく死骸が散乱している。構わず歩く足には死骸がまとわりつくが、それも平気で踏みつけて出て行く初右衛門。

そこへタイミングよく?、菊野を狙う悪者・武助〈桐竹勘介〉が大重へとやって来る。惨事に気づかずひょこひょこ茶屋の中に入ってしまった武助は、背後にいた初右衛門にアッサリ斬られてしまう。

大重を出た初右衛門は、路傍の用水桶の水で血だらけの体を洗う。雨が降りしきる中、初右衛門は悠々と謡を口ずさみながら夜闇に消えてゆくのだった。


三宅周太郎は歌舞伎『籠釣瓶花街酔醒』の脚本に対し、このように書いている。「(籠釣瓶の脚本は見所が限られており、殺しの場では)刀の祟りが無意味のような気がする。刀の祟りなくて百人斬りをしてこそ劇的の主人公として感銘を深くする。が、刀の祟りでああして殺すのでは、あたかも今日狂犬が人に噛み付くのと同様、噛みつかれた方こそ、即ち、斬られたほうこそ実際いい災難だったと思うだけである」。そりゃそうだなと思っていたけど、同時に、そんな作品古典であるのかなと思っていた。しかし、本当に殺意だけで殺す、それが眼目の演目があったんだな。

今回は予習せずに観たので、「五人伐の段」って、どの5人が殺されるのかな♪とワクワクした。菊野は確実に殺されるとして、仁三郎とおみすも殺されると思ったので(特におみす)、助かるのは意外だった。仁三郎(遊女の間夫)が助かるというのは、題材になった実際の事件でも同じらしい。ただし実説では同衾していたのは菊野の傍輩ということのようだ。さて、菊野、仲居、太鼓持ち、茶屋亭主と殺されて、あとの一人は誰が殺されるのかな、DokiDoki! と思ったら、「誰!?!?!?!?!?」みたいな殺され役が唐突に出てきたのには笑った。「悪者武助」って、名前からして適当さがすごい。

菊野は清十郎さん、令和最初のひどい目役でよかった。首を絞め上げられて刺し抉られるため、顔がほとんど見えないままに手足の先だけをじたじたさせてもがき苦しむ姿が実によかった。ってもうここ清十郎ほとんど関係なくなってるけど……。それに、めちゃくちゃひどい殺されかたをするので、途中からほとんどモノになっちゃってたけど……。個人的には清十郎にはもっと苦しんで欲しかったなあ。観客全員そう思ったと思うわあ(巨大主語)。

異様なまでの惨殺シーンは、もう、素で怖い。菊野の首に腕を回して持ち上げ、口を抑えて胴を抉るところなど、初右衛門・菊野ともにうまく姿勢が決まっていて、自然に見える分、より怖い。初右衛門は体をそらせた菊野の胴に刀を差し込んで執拗に抉るけど、そのとき内臓がぼとぼと落ちてくる。このとき、ぬいぐるみの内臓を後ろにいる介錯の人が袖の下から補給しているのが見えるんですが、そこはちょっとかわいい(かわいくない)。

菊野は脚を払うように斬られ帯が解けて体の形状が崩れ、さらには首をのこぎり引きにして斬られて捨てられると、人形の死体どころか、もう、完全にモノになってしまう。舞台上に「?」なものが落ちている状態。人形遣いさんに持たれていない人形が薄暗い舞台にごろんと置かれているのも怖いけど、「?」なものも、かなり、怖い。初右衛門が仁三郎を見つけられないまま大重から去るまえに、その「?」の傷口を踏んだため足にまとわりつき、やっと足が抜けたと思ったら、その足が血に染まっている描写(人形に内臓?血管?付きの赤い靴下を履かせる)、玉男さん、結構さりげなくやっていらしたけど、よくさらっと流すなと思った。*3 

まあ、個人的に菊野に対しては、おみすを仁三郎の寝所へ手引きした時点で「死んでくれ」と思ったな。紋臣さんが久々のピュアな娘さん役だわ❤️(4月に小浪やってらっしゃいましたが)と思ってノコノコ大阪までやって来たらこの展開で幽体離脱した。初右衛門とはまったく違う方向からの殺意を抱いた。菊野は二階の寝所にあとから懐紙を差し込みに行くのがゲイコマだが、ゆるせん。おみすはおっとりぼんやりした感じのお嬢様で、菊野とは真逆の純朴でおとなしげな佇まいが可愛かった。恥ずかしがって膝を小さくスリスリする仕草が愛らしい。4月の小浪はすごい勢いで焦って恥ずかしがっていたが、今月のおみすは相当おっとり焦っていた。ちなみに、私の席の両側のおじさんたち、菊野と仁三郎がグダグダ話していたところではグッスリおやすみになっていたのに、菊野がおみすと入れ替わろうと言い出したところで飛び起きて、するどいなと思った。

勘彌さんの仁三郎と清十郎さんの菊野は少女漫画風のキラキラ作画カップルでお似合いだった。話の内容からするとイヤな男、イヤな女になりかねないが、透明感のある、それこそ人形のような印象だった。そうそう、勘彌さんのこういうクズ入った二枚目の、中身がぜんぜんなさそう感は本当に良い。「え、この人、おみすちゃんに対してどう責任取ってくれますのん?」というのは観た人誰もが思う疑問だと思うが、それが深刻化しない、いるのかいないのかわかんない感じの中身なさそう感だった。こういう人畜無害感(有害だけど)、なかなか人を選ぶと思う。

初右衛門は大重を出て、裏の石桶の水で足を洗い、血を流した刀を手ぬぐいで巻いて腰に差す。そして武助から奪った下駄を履き、傘を差して雨の中を帰ってゆく。今回はここに本水を使用(舞台の手前側、二の手すりあたりに降らせている)。どうやって人形を避けるんだろうと思ったけど、人形の位置を引いてかなり傘を前に差しかけているとはいえ、傘で受けるからには人形にもちょっとかかるんですね。傘を大きく回して差す初右衛門の所作には輪郭の太い美しさがあった。段切の極めもぎっと決まっていて、よかった。

床は織太夫さん×藤蔵さん、千歳さん×富助さん。芸風はそれぞれ違うんだけど、テンションが近いため、前後でバキッと割れず、緊張感が保たれていた。率直で線の太い演奏がこの浄瑠璃に相応しかった。

しかし菊野が絵屋へ仕えるのを辞め、遊女になったあたりの人間関係がわからん。「おみす様が姉御」と「焼餅焼きのばゝ様」というのは事態にどう干渉してるんだ。源之助はおみす・姉・仁三郎の関係に今後どう対処するつもりだったのか。仁三郎はおみすをどうするつもりだったのか。そして「悪者武助」はどこからわいて出たのか。絵屋一家まわりは人間関係がめちゃくちゃすぎて怖い。現行では上演されない段に絵屋の内での大パニックが描かれているのだろうか。

 

 

 

この演目の見所である残酷描写は、人形浄瑠璃ならではの表現。凄惨な残酷描写や暴力描写って、実写等でやってしまうと、いかにもな露悪に傾きかねない。人形浄瑠璃だと、あくまで人形なので、血生臭いのにねちゃねちゃした汚らしさないというか、不思議にクリアな印象があった。

話自体は本当に簡素なもので、私がふだん文楽に求めている味わいや重厚さをまったく持っていない。しかし今回の上演には大満足。出演者が浄瑠璃の率直さをプラス方面に転化させていた。配役の勝利だと思う。

本作は大正期にいちど断絶し、戦後になって国立劇場が復活した演目とのことで、上演回数が少ないらしく、調べてみたら、初右衛門役って、先代玉男師匠と当代の玉男さんしかやったことがないんですね。ご先代はどうされていたのだろう。NHKから出ているDVDを買ってみようかしらん。殺戮の理由をどこまでイメージさせるかに当代とかなり違いがありそうな気がする。初右衛門の人形配役によって、相当印象が変わりそうな演目だなと感じた。

 

 

 

 

 

*1:梨割チャンは笑ってもらってました!

*2:それにしても、パンフレット等の解説に「菊野は生きているうちは身も心も初右衛門の思い通りにならなかった」的なことが書かれているが、初右衛門、藩の金に手をつけるほどに入れ込んでいたのに、本当にお酌してもらっていただけなのだろうか。裏でキモがられるのは仕方ないけど、菊野は位の高い遊女というわけではないのに、それではかわいそうな気もするが……。それとも、抱え主にお金を払ったとかじゃなくて、茶屋自体の飲食費を使いすぎたり、個人的なプレゼントとかをあげすぎちゃったってこと……?????

*3:ちなみにここ、足のつま先で内臓を摘み上げるやり方もあるそうです。