TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 6月文楽若手会・東京公演『義経千本桜』椎の木の段・小金吾討死の段・すしやの段『妹背山婦女庭訓』道行恋苧環 国立劇場小劇場

出演者は完全にド他人なのに、「よかったねぇ〜😭よかったねぇ〜😭」と親戚のオバチャン気分になってしまう若手会・東京公演へ行ってきた。

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義経千本桜』三段目 椎の木の段〜小金吾討死の段〜すしやの段。

昨年度の地方公演で出た椎の木の段・すしやの段に小金吾討死の段を追加して三段目を通しにしていた。これを本公演でやってくれよと心の底から思った。

出演者が若いからか、登場人物たちも年相応に若い雰囲気。権太は詞章の中では「若い人」などと何度か若さが強調されるが、地方公演で観た勘十郎さん・玉男さんの権太は人物像が強く全面に出て、年齢という概念を感じなかった。しかし今回の玉勢さんの権太は若い。かなり若い。20歳ちょっとくらいに見える。というかむしろこれくらいが浄瑠璃に対して適正なのかもしれない。権太があのような結末を迎えたのは愚かさゆえだと思っていたが、この権太にはもうすこしニュアンスがあって、若さゆえの浅はかさの感がある。「椎の木の段」でもずぶとい横道者というより、無軌道に生きる軽薄なチンピラっぽいというか、アメリカンニューシネマ感が……。すしやの最後に弥左衛門が権太のいままでの素行に対し、なぜ早く改心しなかったのかと言うくだりがあるが、あれを地方公演で観たとき以上に可哀想に感じた。ただ若くてバカだったからちょっと素行が悪かっただけなのに、最悪な運命がいくつも重なって巡り合わせて、最悪な結末を迎えたようで、ひどく哀れに思えた。権太が若く見えるのは人形がスラッとして見えるのが最大の理由ではあると思うけど、人形・床ともに作り込んだ芝居がかりがなく、飾り気のない素地そのままの若者に感じられて、すがすがしく好ましかった。

その点でいうとお里〈人形役割=吉田簑紫郎〉もすごかった。等身大の娘さん、ごく普通のなんでもない女の子って感じ。世が世なら絶対タピオカ吸ってるタイプ*1。至極普通の若い娘さんならではの良い意味での中身のなさ、軽い佇まいがあるというか、こういう普通さって、なかなか出せるものではない。すしやの冒頭で店に押し寄せてくる村人ツメ人形への、商売やってる家の娘さんらしい素朴な対応。奥の一間で枕をちょとずつくっつけて「キャーーーーーーーッ💞💞💞」と一人で大盛り上がりするところのよい意味での色気のなさ。ピュアに気持ちの盛り上がりだけを表現していて、男性演者でここをまったくキモくなくやるのはすごい。男を意識した目線のシナがない*2。これらの仕草の素直さが本物の女の子みたいだった。こういう素直な演技はうまく映える役とそうでない役があると思うけど、お里にはかなりはまる。私は文楽の人形においては人工的な女性性のある演技が好きで、実はいままでこの手の自然体演技って文楽には向かないと思っていたんだけど(私は時代劇での自然体演技を認めません)、このお里はとても良かった。

権太もお里も、作為をやってる場合ではないほどに大幅ランクアップした配役だから天然でこうなっているんだろうけど、とにかくすごい。素直さゆえの輝きがある。こういうのはあと数年のうちに消えてしまうだろうと思う。

小金吾の玉翔さんはとても良かった。この手の佇まいがお得意なんだと思う。「小金吾討死の段」が特に良かった。自信をもってやっていらっしゃるのがわかった。きりっと瑞々しい雰囲気から、小金吾の生真面目さ、純粋さが直球で感じられた。そして、(ご本人には不本意だろうけど)完璧じゃないところが良い。小金吾自身の「及ばなさ」と合っている。若干中性的な若武者なのも良い。

しかし「小金吾討死の段」の小金吾の左遣いの人、相当上手いと思ったけど、おにいさんにやってもらってますかね。あのようなぴりっとした立ち回りをあそこまで綺麗に処理できる人はなかなか限られているのではないかと思う。ほかにもおにいさんに左をやってもらってるのかなって思った役があった。あれをもし若手の中から出しているのなら、すごい。小割を公開して欲しい。

それと予想外(?)に良かったのは、弥左衛門役の文哉さん。独特のジジイの味があった。変にクセ付けをすることなく、かつぎこちなくもなく、自然にジジイジジイしているというか……。干物感があった。うるめいわしの若干し的テイスト。文哉さんは昨年の若手会も新口村の孫右衛門役でご出演されていたと思うが、実はジジイ役がお得意なのだろうか。もっと若い層では、猪熊大之進役の玉彦さん、梶原平三景時役の玉路さんが丁寧で良かった。人形の姿勢がとても綺麗だった。「よかったねぇ〜😭」と親戚のオバチャン気分になった。あとはもうほんとしょうもないこと言って申し訳ないんですが、すしやで若葉の内侍たちが一夜の宿を求めて訪ねてくるところ、若葉の内侍が扉を叩いているところで六代君〈吉田簑悠〉が下手の手すりのキワでしゃがんで何かしてるけど……、あそこ、足をさすって「足が疲れたよー」ってやってたんですね。今回初めてわかった。いままでずっとバッタかコオロギを獲っているのかと思ってた……。田舎だから都にはいないようなすんごいでっかいコオロギ(ゴ?)がいて、それが珍しいのかなーと思って……。

太夫ではすしやの後の亘さんがくっきりと際立った語りで良かった。若手会らしい前向きなみずみずしさを感じた。中の靖さんも良かった。小住さん(小金吾討死の段)、芳穂さん(すしや・前)はなんかこう、普通に良かった。地方公演や単発公演ではこういう配役でもおかしくない感じ。小住さんには謎の貫禄があり、人形の若手ならではの線の細い印象を語りでカバーしていた。

先述の通り、登場人物が年相応に若く感じられる分、話が生々しく悲惨に思えて、終演後、悲しい気分になった。寺子屋だろうが尼ヶ崎だろうが、普段は「もう本人が自分で決めたことだから仕方ない」と思って観ているので、悲しいとか可哀想だと思うことはないのだけど、なんだかとても哀れに感じた。加藤泰監督『沓掛時次郎 遊俠一匹』の冒頭のほうで、気さくな渡世人として登場する渥美清が残酷に殺されるシーンを思い出した。

しかしご出演の方々とは一切関係ないですが、衝撃的だったのが『義経千本桜』に休憩時間が入らなかったことですね。2時間45分休憩なしはやばい。出演者ががんばっとるんやからおまえらの膀胱もがんばれってことなのか。ご出演の皆さんのがんばりは重々承知しておりますが、年寄りの膀胱はがんばれない。途中離席しているお客さんが結構いたが、そういうことにならないよう、すしやの前に休憩を入れて欲しかった。

 

 

 

『妹背山婦女庭訓』道行恋苧環

本公演でも5月に出たばかりで比較されやすい演目。今回の三角関係3人は、ほんわかおっとりした橘姫〈吉田簑太郎〉、ちょっとおとなしげで上品な求馬〈吉田玉誉〉、勢いとロリぶりがすごいお三輪〈桐竹紋臣〉の3人だった。

文楽業界の国民的美少女・紋臣さんのお三輪は、本公演の勘十郎さんよりだいぶ幼げな雰囲気で、年相応な娘風だった。お三輪は簪を抜いて橘姫にかざし、橘姫がそれに怯える演技があるが、簪を下ろすタイミングが勘十郎さんより早く(ほんの一瞬掲げるだけで、求馬の視線を感じた段階ではすでに下ろしている)、殺意は低めの可憐な娘さんだった。勢いでやっちゃっただけ……⭐️的な。やっぱり勘十郎さんは確信犯、殺す気満々なんだなと思った。出の直後の求馬・橘姫の間への割り込みも勘十郎さんのほうが激しかった(あれはもはやチョップしてる)。お三輪ちゃん、なかなか役の解釈が分かれますなと思った。あと紋臣さんは苧環を回すのが速かった。苧環の回転速度って変えられるんだなというか、あんなに速く回せるんだ!?と思った。多分、回すべき場所で回すこと自体に集中されてるんだと思いますが、苧環ひとつでも人によって結構違うんだなと思った。とにかく、最後の最後に出てくるだけはある、愛くるしさと覇気を兼ね備えたお三輪だった。太夫のお三輪役・希さんも可愛らしくてとても良かった。とくにお三輪の人形の出の直前の部分「思ひ乱るゝ薄影」のところ。純粋でけなげな雰囲気があって、ちっちゃな小鳥ちゃんのようなお三輪だった。

手踊りのところは本公演以上に人形3人の差が出ていた。本公演でも技量のデコボコを感じたが、もう、若手会はそういう次元じゃないですね……。揃ってないこと自体は構わないのだが、見ていて怖かった。この3人は若手会の中でも踊りがうまい人上から3人だと思う。しかし、芸風の違い・役の性質に起因するもの以上の差が見える。それは芸歴かもしれないし、やりたいことが見えるかどうかの違いかもしれないけれども……。

若手会で出る道行は、本公演のそれとは演目としてのニュアンスが違うように感じる。本公演で出るとのんびり踊りを見て一休み😪な演目だけど(休むな)、今回はみんながいい役ができて良かった良かった😭と思った。特に人形のご出演3人は、本公演ではここまでの役は絶対に来ないですもんね……。配役については、玉誉さんは橘姫でも良いんじゃないかと思った。というか、そっちのほうが向いているのではと思った。

人形の女形は人数が多く競合しているので、若手会に出ているような次々世代くらいの人は余程のものがない限り生き残れないと思うが、この人たちは今後どうなっていくのだろうかと思った。

 

 

 

はじめて若手会を観たときは、本公演との違いがよくわからなかった。しかし、いま観るともういろんな意味で全然違うし、その違いが若手会の良さだなと思う。

本公演とは必死さとひたむきさのニュアンスが違って、人の心の純粋な部分を見た気がしてちょっと心がざわつく。あかの他人の純粋な心って、普段はまず見ることはできないから……。大幅にランクアップした配役でとにかくその役をやりきることに一生懸命な方、ここぞという好配役を最大のパフォーマンスでこなすことに全力を注いでいる方、うまく役がはまって自信をもってやっていらっしゃる方、ちょっとした役でも丁寧にやってらっしゃる方、その役への喜びが純粋に出ている方、うまくいかなくともできる限りで懸命にやろうとしている方、いろいろ。本来、出演者の素地が表に出ることは好ましくないんだろうけど、なんか、いいなあと思っちゃう。こういった他人の人生の悲喜こもごもを見て物語化するのは非常に失礼だと思うんだけど、若手会は感情移入して見てしまう。

そして、本公演がなんでもなく普通に観られる(聴ける)というのは、ベテランの技術やそのパフォーマンスを最大限発揮できる環境に支えられているんだなということがよくわかった。人形の小道具の取り扱い、三味線の音の表情のつけ方。もう全然違う。本公演のクオリティの高さを実感した。人形は「やっぱりこないだの大阪での玉男さんの知盛、無理してでも観に行けばよかった……」と思った。三味線とかそれこそふだん当たり前のようにすらすら演奏されているけど、あれは当たり前に弾けているわけではなく、相当な技術と熟練に支えられていることが本当によくわかった。すしやの頭のところとか、権太がママにたかりをして泣き真似するところとか、あまりの歴然とした違いに衝撃を受けた。しかし人形に関しては、1日目にあったケアレスミスは2日目にはクリアされていて、若い人は適応が早いと思った。*3

若手会って、出演者への奨励と勉強とさせる意味と、その親類縁者向けのインナーイベントのニュアンスが濃厚だと思うけど、この点においてなんの縁故もない一般客の立場からも興味深い公演だと思う。

文楽だと、「若手」と言っても相当歳いってて、あの舞台は、世間の常識とはかけ離れた閉鎖世界ならではのものではあると思う。変な言い方だけど、あの人たちは外界から隔絶された世界に閉じ込められているから、あれだけピュアなのかもしれない。

 

終演後、あまりに「よかったねぇ〜😭よかったねぇ〜😭」という気分になり、お祝いしたい気持ちになって、とんかつを食べに行った(←出演者とまったく関係ない奴)。

若手会のみなさんに今半の弁当を差し入れたかった。*4

 

 

 

 

 

*1:こないだの大阪の鑑賞教室公演のとき、周囲の席の女学生さんたちが終演後に「タピオカ飲みたい!」と元気に叫んでいて、若い子って本当にタピオカ吸うんだ!といたく感動した。私も吸いたくなって文楽劇場のまわりを徘徊したが、現地的中華料理屋さんの売っているタピオカミルクティー、つぶつぶの覇気がすごくて買えなかった……。ぶりぶり具合がはんぱなかった。でも、あとで心斎橋のほうまで行ったら、今時風のマイルドなものが売っていた。その時点ではおなかいっぱいで買えなかった。夏休み公演に行ったおりには吸いたいので、あと1ヶ月タピオカブームがもって欲しい。

*2:いや、維盛の存在は一体とも言えるが、あのお里チャンは恋に恋しているんだよネ!

*3:でも東京でこれだけミスがあって、大阪ではどうなってたんだ!?と思った。

*4:ただしスマホのカメラのオートフォーカス機能を使いこなせる方に限ります。カンタローは三味線の稽古とともにスマホでの自撮りも稽古してください。