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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『妹背山婦女庭訓』全段のあらすじと整理

2019年5月東京公演で通し上演される『妹背山婦女庭訓』の全段あらすじや題材考察等のまとめ。

 

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┃ 概要

藤原鎌足・淡海親子の蘇我入鹿討伐(大化の改新)を題材に、大和に伝わる数々の伝説を織り込んだ王代物。明和8年(1771)1月竹本座初演。近松半二、松田半ばく、栄善平、近松東南、三好松洛(後見)による合作。

 

┃ 舞台

大和(奈良)各地を舞台に物語が展開する。

 

道行のルートについて

「道行恋苧環」には「芝村」「箸中村」「釜が口」「柳本」「帯解の里」「布留の八代」「葛城の峰」「奈良坂」といった多くの地名が織り込まれている。移動としては、三輪から奈良市街へ北上していく形になるが、地名の並び順は必ずしもまっすぐ一本線にはなっておらず、若干ガタガタしている。現在の地名表記とあわせて確認されたい。

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※奈良坂は時代によって指し示す場所が変化するので注意。

 

 

 

 

┃ 時系列

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時間経過としては上の表のように 、冬から物語は始まり、次の冬に終わる約2年間となっているが、一部時制が乱れている箇所があり、設定は厳密とは言えない。

時制が乱れている箇所=大序には「天智天皇の宮居なす。奈良の都の冬木立」という詞章がある。また、二ノ切「芝六忠義」は「誠にこの月は内侍所の御神楽」という詞章があることから12月と推測される*1。ここで問題なのは「芝六忠義」で淡海が「父内大臣鎌足(略)興福寺の後ろなる山上に取り籠り(略)百日の行ひ、即ち今日が満願の終わり」と言うくだりがあること。鎌足は大序で蟄居することになるので、冬である大序の100日後の「芝六忠義」が12月というのは若干の矛盾がある。

 

┃ 登場人物

天智天皇 てんちてんのう〈人形=吉田勘彌〉
帝。にわかな病で盲目となった。采女を寵愛し、出奔した彼女を追って禁庭を抜け出すが、淡海に保護され、鎌足の旧臣・芝六に預けられてボロ屋で暮らす。

蘇我蝦夷 そがのえみじ〈人形=吉田玉佳〉
大臣🦐。父・蘇我馬子🐴からの帝の臣下であったが、逆心を抱いている。自宅は禁庭の隣(そんな近所!?)。蘇我入鹿と橘姫の父で、とにかくじじいキャラを押し出してくる。息子・入鹿の裏切りにより謀反が露見し、切腹する。

蘇我入鹿 そがのいるか〈人形=吉田文司〉
蘇我蝦夷子の嫡子🐬。父に天下を獲る器量はないと断じて陥れ切腹に追い込み、自らが王位につこうとする。なぜ名前が「入鹿」なのかというと、子を望んだ蝦夷子が妻に鹿の生き血を飲ませたことで生まれた子どもだから\へえ〜〜〜〜/。それゆえ、幻術のかかった鹿笛の音を聞くと正気を失ってしまう。采女の局に横恋慕している。

藤原鎌足 ふじわらのかまたり〈人形=大内:吉田簑太郎/吉田玉翔、芝六忠義:桐竹勘十郎
蘇我蝦夷子と両輪をなし帝を補佐する大臣だが、近頃は病であるとして出仕していなかった。家宝は鎌(本当*2)。采女は娘。蝦夷子に陥れられ、無実を証明するまで蟄居することになる。

藤原淡海 ふじわらのたんかい(求馬 もとめ)〈人形=豊松清十郎〉
藤原鎌足の嫡子。右近衛中将であったが、勅勘を受け浪人していた。帝に赦されてのち、父とともに入鹿討伐を目指す。三輪の里では烏帽子折・求馬に身をやつしてお三輪の隣家に仮住まいする。喋り方がこむづかしいので近所の衆からは訝しがられている。

采女 うねめ〈人形=桐竹紋臣〉
藤原鎌足の娘。昼夜分かたず帝の側に控え寵愛を受けるが、父が蟄居させられたことにより出奔。久我之助に見逃され、身を隠す。

安倍中納言行主 あべのちゅうなごんゆきぬし〈人形=吉田清五郎〉
めどの方の父。天智天皇の命により蘇我蝦夷子反逆の改めの勅使として大判事とともに向かった蝦夷子館で入鹿に殺害される。大内の段から上演すればそこそこ出番あるんだけど、殺されるために出てきたとしか思えない、ちょっとかわいそうな中間管理職的ポジションの人。

大判事清澄 だいはんじきよずみ〈人形=大内:吉田玉勢、蝦夷子館より:吉田玉男
大判事というのは刑部省の官職で、裁判を行う法律の専門家のこと。長年太宰少弐と領地争いをしてきた。表面上は強気の頑固ジジイ。

久我之助清舟 こがのすけきよふね〈人形=吉田玉助
大判事清澄の嫡子、美少年。采女に仕え、禁庭を逃げ出した采女を入水したことにして逃し、鎌足のもとへ預ける。小松原で偶然出会った雛鳥に恋をするが……。

太宰後室定高 だざいこうしつさだか〈人形=大内:吉田玉誉、太宰館より:吉田和生〉
太宰少弐国人の後室。太宰少弐は大判事清澄と領地を巡り長年争っていたため、いまなお大判事との仲は険悪。まもなく夫の50日の忌があけるため、娘・雛鳥に婿を迎え、家を相続させようと考えている。どんな相手にもひるまない強い性根の持ち主。

雛鳥 ひなどり〈人形=小松原・妹山背山前:吉田簑紫郎、妹山背山後:吉田簑助
定高の娘。16歳ほどの美少女。小松原で出会った久我之助に思いを寄せ、死んだ父に勘当されようとも久我之助の妻になりたいと思っている。

小菊&桔梗 こぎく&ききょう〈人形=小菊:桐竹紋吉、桔梗:吉田玉誉〉
雛鳥の腰元。文楽の腰元らしく異様に気がきき、雛鳥と久我之助の仲を「そんな速く!?!?」レベルで進展させたり、うざきもい宮越玄蕃の耳に吹き矢を突き刺したりと目覚ましい働きぶりを示す。

めどの方 めどのかた〈人形=吉田文昇〉
蘇我入鹿の妻、安倍中納言行主の娘。帝に忠誠を尽くすふりをした夫に騙され、舅・蝦夷子謀反の告訴に加担するが、蝦夷子に殺されてしまう。

橘姫 たちばなひめ〈人形=吉田一輔〉
蘇我蝦夷子の息女、入鹿の妹。蝦夷子は天智天皇に嫁がせようとしていたが、本人は淡海に思いを寄せていた(何をきっかけに???淡海は橘姫の顔も知らなかったのに)。本来庭にさえ出歩かないような姫君ながら、夜毎町人の女のふりをして三輪の里の淡海の家へ通う。しかし淡海へは入鹿の妹であるという正体を明かしていない。ちなみに三輪駅から奈良駅までは徒歩4時間くらい(GoogleMap調べ)。ガッツある。

宮越玄蕃 みやごしげんば〈人形=吉田勘市〉
蘇我蝦夷子の家臣。雛鳥を妻にと望んでおり、小松原で雛鳥と久我之助がちちくりあっているのを見てもがまんすると言うケツの穴が琵琶湖並みの男。得技は雪だるま・雪うさぎ作り。しかし、主人が美女の肉屏風でぬくぬくしてるのに自分は庭で雪だるま作らされて、よく逆心起こさないなと思う。雪うさぎ褒められて喜んでる場合か?

荒巻弥藤次 あらまきやとうじ〈人形=吉田文哉〉
蘇我蝦夷子の家臣。雪だるま作り、受領希望者の面接、警備など仕事は多忙。いま聴きたい浄瑠璃は『ひらかな盛衰記』の「神崎揚屋の段」。

芝六 しばろく(玄上太郎利綱 げんじょうたろうとしつな)〈人形=吉田玉也〉
近隣の仲間連中にも腕を認められるほどの名うての狩人だが、その正体は藤原鎌足の旧臣・玄上太郎。現在は勘当の身であるものの、鎌足への忠誠心は忘れていない。万歳の心得があり、鼓が打てる。義理の息子・三作、実の息子・杉松をかわいがっている。お雉とはごぶさた。

大納言兼秋 だいなごんかねあき〈人形=吉田玉輝〉
天智天皇とともに芝六ハウスに居候する公家。極度にのんびりした性格。高貴すぎて下々のことがよくわからないので、請求書も扇の上に乗せて和歌風に読んでくれる。居候ネームは「大納言兵衛」。原作ではほかに右大弁政常さん(居候ネーム・右大弁助)も芝六ハウスの居候として浄瑠璃上はいるはずなんですけど、無口でまったく喋らないせいか、現行上演では存在が抹消されてるようです。

米屋新右衛門 こめやしんえもん〈人形=吉田玉勢〉
芝六の家へ米代を取り立てに来る郡山の米屋。お雉に横恋慕し、借金はいいから体で返して欲しいと思っている。わざと芝六の留守に来てないか?

お雉 おきじ〈人形=吉田簑二郎〉
芝六の女房。夫が連れてきた山盛りの居候と息子二人の世話をかいがいしく焼いている。元は蘇我蝦夷子の陰謀で家が廃絶した楽人の妻だったが、その報復のため芝六に夫になって欲しいと願った。泣き上戸。

三作 さんさく〈人形=桐竹勘次郎〉
芝六の義理の息子。お雉と前夫の子で、芝六とは血がつながっていない。かしこい孝行者。

杉松 すぎまつ〈人形=吉田和馬〉
芝六とお雉の間に生まれた息子。まだちびっこ。春日大社の前で売っている火打焼*3が好物。

お三輪 おみわ〈人形=桐竹勘十郎
三輪の里の酒屋の娘。父は故人、家の商売は母が切り盛りしている。隣家に住む求馬に恋をしており、男に対してはかなり……いや、ものすごくしつこい性格。

子太郎 ねたろう〈人形=吉田紋秀〉
お三輪の家の丁稚。アホに見えてちょっとかしこい。非モテ

鱶七 ふかしち(金輪五郎今国 かなわのごろういまくに)〈人形=吉田玉志〉
入鹿御殿にやってきた粗野な漁師。よく飲み、よく眠り、よくモテる。その正体は藤原鎌足の家臣・金輪五郎今国。

金殿の官女 きんでんのかんじょ〈人形=桐竹勘介、吉田玉路、吉田簑之/吉田玉峻、吉田玉延/吉田簑悠〉
入鹿御殿で暇をもてあます官女たち。男に興味しんしんで永遠に男の話をしているだけあり、「いい男」を一瞬で見抜く慧眼を持つ。

 

 

 

┃ 初段 蘇我蝦夷子の陰謀、入鹿の反逆《奈良》

大序 大内の段

天智天皇の御代。帝は病で盲目となり、大臣・蘇我蝦夷子が帝に代わって評議を執りなし威勢を振るっていた。蝦夷子は病として長い間出仕しない藤原鎌足の不忠を疑い、大内へ呼び出そうとしている。安倍中納言行主は鎌足に野心があるとは思えないとして慎重にことを進めるよう進言するが、蝦夷子の家臣・宮越玄蕃と大判事清澄が鎌足の忠心を巡って言い合いになる。そこへ太宰後室定高が訪れて、夫の50日の忌があけたら娘・雛鳥に婿を取りたい旨を奏上して欲しいと頼む。大判事は彼女の夫・太宰少弐と領地を巡り遺恨ある間柄であったため取次を断るが、蝦夷子の家臣・宮越玄蕃が雛鳥を我が妻にと脈絡なく言い出す(脈絡なさすぎでは?)。行主がそれを無視してそのうち奏聞しようと言うので、定高は帰っていく。
やがて采女の局が現れ、帝の勅諚を伝える。その内容は鎌足に野心があるとの報告があるにつき、呼び出して事を糺すようにとのことだった。そうしているところに鎌足が現れる。采女は父である鎌足に「野心があるとは思えないので事情を釈明するように」という帝の言葉を伝えるが、蝦夷子はそれを遮り、家臣・弥藤次にある箱を持ってこさせる。それは五日前に春日神社の社壇に何者かによって奉納されたもので、中には一つの鎌と「男子誕生平天下」と書き付けられた紙が入っていた。蝦夷子は、これを奉納したのは鎌足であろうと言う。鎌は鎌足の家の家宝であり、天智帝の寵愛を受ける采女に男子が誕生し、外戚となって威勢を振るい天下を乗っ取ることを願ったのではないかと詰問する蝦夷子。鎌足は身に覚えはないものの、現に鎌の影打ちを作らせて自分を陥れようとした者がいると言い、その反逆者を見出すまでは蟄居するとして大内を退出する。父に釈明を求めて嘆く采女、見えない真相に清澄は是非もなく立ち去るのだった。

 

小松原の段

春日神社の社殿に近い小松原。大判事清澄の嫡子・久我之助清舟は、狩りからの戻りの休憩に床几に腰をかけていた。するとそこへ太宰後室定高の娘・雛鳥の一行が来あわせ、互いに一目惚れする。機転をきかせた腰元の小菊&桔梗は雛鳥を床几にかけさせ、久我之助から吹き矢筒を借り受けてくる。桔梗は雛鳥へ吹き矢筒で久我之助に思いを伝えるよう促し、二人はひそひそと内緒話をする。腰元たちが二人をひとつ床几へ押しやり、仲をかなり具体的に進展💋させてやっていると、それを覗いていた蝦夷子の家臣・宮越玄蕃一行がびっくりしてひっくり返る。ここで玄蕃が久我之助、雛鳥両者に声をかけたので、二人は互いに家が敵同士であることに気付く。玄蕃が雛鳥に言う事を聞けば今のはがまんするとグイグイ迫っていると小菊が割って入り、仲を取り持つと言う。玄蕃が自分も囁き竹がやりたい😍と言うと、お嬢様が恥ずかしがるので目を閉じてくれと言う小菊。玄蕃が合点⭐️と目をつむると、小菊は吹き矢筒に矢を籠めて吹いて玄蕃の耳にぶっ刺し、アホがひるんだすきに雛鳥を連れて逃げるのだった。
雛鳥らを追おうとする玄蕃を久我之助が引き止めていると、数多の侍が走ってくる。久我之助が世話役をしていた采女の局が禁庭を抜け出したというのだ。それを聞くと玄蕃は蝦夷子へ注進するとして帰っていった。
久我之助が今後を思案しながら山手へ向かって歩いていると、女官姿の身分の高そうな女とすれ違う。袖を捉えるとそれは采女だった。久我之助が事情を尋ねると、采女は、娘・橘姫を后にと考えている蝦夷子にとって自分の存在は邪魔であり、そのせいで父鎌足までも妬まれていること、蟄居するとして姿を隠した父を探し訪ねて自らも身を隠したいことを涙ながらに語る。彼女の心情を慮った久我之助は采女に蓑笠を着せて百姓に見せかけ、味方の目を欺いてその場を立ち去るのだった。

 

蝦夷館の段

蘇我蝦夷子の館は御所の隣にあり、「三条の御所」ともてはやされていた。雪見の亭で女小姓に取り巻かれて酒宴を執り行う蘇我蝦夷子の奢りには隙もなく、宮越玄蕃と荒巻弥藤次の雪細工(なら雪まつり⛄️)はキレッキレである。蝦夷子が機嫌よく二人にも酒を取らせていると、領内の文聖寺・八乗寺の僧侶が今日は入鹿の満願であるとしてやってくる。蝦夷子はそれを見咎め、神の守護ある館の奥の庭へ通ろうとするとは不届きであるとして斬首すると言う。僧侶が驚いて許しを乞うと、蝦夷子は代わりに衣を剥ぎ奴頭に剃り上げて肴にすると言い出す。二人はそれでは還俗してしまう、手に職もないしこれがホントの天竺浪人と騒いでいたが、ついに玄蕃と弥藤次によって奴頭に剃り上げられ、今後は文七・八蔵と名乗るとして、パンピーになって出ていった。〈現行上演では通常ここまでカット〉
そうこうしているところへ久我之助が長裃姿で参上する。蝦夷子から采女の局の生死の実否確認に呼びつけられたためだった。久我之助は采女が世を儚んで猿沢池に入水し、野辺の送りもすでに執り行ったと語る。采女を死なせた落ち度を問われ、親大判事から勘当を受けたにも関わらず、壮麗な長裃姿で来たのはどういうことかと蝦夷子が尋ねると、久我之助は蝦夷子への奉公を願い出るためだと言う。蝦夷子は久我之助とともに確固不動の気質をもつ大判事をも臣下としようと返す。
久我之助が蝦夷子の御前を退出しようとすると、玄蕃と弥藤次が立ちふさがり突然斬りかかってくる。それをかわし、二人の刀の柄元を抑えた久我之助が訝しむと、蝦夷子は武芸の試みであると言う。さらに斬りかかってくる二人の刃を庭石で受け止めた久我之助は、御殿の天井から吊り下がる怪しい鉄網の仕掛けに気付く。その方は身内同然なので手の内を見せておくのもよいだろうと取り繕う蝦夷子に、久我之助はこのことは他言しないとして館を退出していくのだった。〈現行上演では一部カット〉
そこへ蝦夷子の娘・橘姫と息子入鹿の妻・めどの方がやってくる。めどの方は、夫・入鹿が秋から仏道に入って100日、ついに今日入定する(地下の棺に入る)ことになっていると語り、それを引き止めて欲しいと願う。しかし蝦夷子はそれを唾棄し別殿へ去る。橘姫は兄の入定を止めさせ再び昇殿できるように参内するとめどの方を励まし、急いで禁庭へ向かう。橘姫を見送っためどの方は庭に降り、夫の決心は固いであろうとして雪を固めて五輪塔を作り、手を合わせる。別殿での蝦夷子の酒宴の歌声を恨むめどの方が上着を脱ぐと、その下は墨染の袈裟姿だった。それは入定する夫に続いて自らも合掌したまま雪に埋もれて死のうとする貞心がさせるものだった。
蝦夷子はめどの方に、入鹿の入定は単なる仏法信仰だけでなく裏の意図があるだろうと問う。めどの方は、夫の覚悟は蝦夷子の本心が知れないことによるものであり、帝位簒奪を狙う悪心を思いとどまって欲しいと涙ながらに異見する。庭に降りた蝦夷子はめどの方に刀をつきつけ、入鹿に預けた謀反の連判状のありかを問う。めどの方は逃げ回るもついに蝦夷子に斬られるが、手負いの中、懐中の一巻を火鉢へ投げ込む。すると炎が上がり、激しい鐘太鼓の音が聞こえる。それを見た蝦夷子は入鹿夫婦から陰謀が大内へ漏れたことを悟り、めどの方にとどめを刺す。表からは勅使の到来を告げる声が聞こえ、蝦夷子はこの対応ですべてが決まるとして帳台深く入っていった。
勅使としてやってきたのは安倍中納言行主、その副使には大判事清澄が同行していた。装束を改めた蝦夷子が出迎えると、行主は蝦夷子に逆心の疑いがかかり、この館を諸国の軍勢が取り巻いていること、自分はめどの方の父として使いを申し出たことを話す。蝦夷子が問いには答えないと言うと、大判事は証拠の連判状を突き出す。それは入鹿が帝へ渡していたものだった。さきほどめどの方が燃やした一巻は偽物の連判状であり、蝦夷子の逆心を確かめたなら燃やして狼煙にするよう打ち合わせていたのだった。行主に詰問され言葉がない蝦夷子の前に、大判事が三方に乗せた腹切刀を置く。蝦夷子は呪詛を吐き、刀を腹に突き立て引き回した。その首を大判事が討ち落とした瞬間、飛んできた矢が行主の胸を貫く。
驚く大判事の前に、おどろおどろしい有髪の僧形の入鹿が現れる。入鹿は、父は器が小さく叛逆の大望は成し遂げられないとして、表向き父を諌める態度をとりながら仏法帰依と称して引きこもり、父に注意を引きつけておいた裏で、入定のための築山から大内の宝蔵への穴を掘っていたことを語る。神璽(八尺瓊勾玉)、御鏡(八咫鏡)は紛失していたが、叢雲の宝剣(草薙剣)は奪い取ったという入鹿。そして玄蕃・弥藤次に大判事へ矢を向けさせると、味方につけば助けるがそうでなければ殺すと脅迫する。大判事は心を定め、入鹿にひれ伏す。こうして綾錦をまとった入鹿は大判事を先頭に禁庭へと向かうのだった。

 

 


┃ 二段目 鹿殺しの罪《奈良〜山中》

猿沢池の段

その頃猿沢池のほとりでは、土地の猟師たちが仲間の芝六が夜狩をしていること、その手助けに報償を出すことを噂していた。彼らは芝六が本当は何を追っているのかも知らず、狩りの手助けへと急いでいった。〈現行上演ではここまでカット〉
それと入れ替わりに姿を見せたのは、采女の影を追い求める天智天皇だった。天智帝は采女の入水を嘆き、歌を捧げる。そんな帝の前へ手をついた浪人風の男は、藤原鎌足の嫡子・淡海だった。淡海は節会*4で誤りをおかし勅勘を受けて浪人していたが、蝦夷子の横暴、父の蟄居、そして帝の病を聞きつけて駆けつけたのだという。天智天皇鎌足を追放したことを悔い、淡海へまた元のように仕えるように言い渡した。
そうこうしているところへ禁庭の使いがやってくる。使いは行主・大判事の吟味により蝦夷子は切腹したが、実は入鹿こそが大悪人で、行主を殺害し禁庭へ乗り込んできたことを報告する。天智天皇は身の上を嘆くが、淡海は策略を巡らせ、禁庭に押し入った入鹿の軍勢は諸国の兵によって退けられたと嘘を言う。喜ぶ天智天皇を牛車に乗せ、轅をとった淡海は「還御」としてどこへとも知れず出立するのだった。

 

鹿殺しの段

夜の山道を行く親子連れは、この辺りの名うての狩人・芝六とその息子・三作だった。芝六は近頃人を雇って夜狩をしていたが、真の目的はその騒ぎに紛れ、1000匹に1匹しかいないという「爪黒の牝鹿」を獲ろうというものだった。芝六はついに見つけた「爪黒の牝鹿」を追い立てるよう三作に命じるが、三作は春日大社の使いである鹿を殺すことは禁制であり、芝六に何かあっては母や自分の身はどうなるのかと案じる。すると芝六は、禁制破りは子どもたちに狩人のような商売はさせず侍にしたいからだと言う。三作に谷陰の鹿を追いにやらせ、芝六自身は麓にかくれてそれを待つことにして、親子は別れる。
芝六が矢を構えて待っているところへ、螺鉦の音や勢子*5の声に追い立てられた鹿が走ってくる。芝六が放った矢は鹿の喉笛を貫き、鹿は倒れ伏す。駆けつけた三作は怖くなったと身を震わせるが、芝六は人が見ないうちに帰ればよいとして、あたりを見回して鹿をかつぎ、三作を連れて家へと向かった。〈この段、現行上演では大幅カット。芝六が鹿を殺し、三作が駆け寄ってきて即座に帰るのみにとどめられている〉

 

掛乞の段

あばら屋・ザ・猟師芝六の住家では、彼の妻・お雉が帝の連れてきた上臈たちとともに帝の食事の支度をしている。お雉は色形のよい米粒をよりながら、これでは天皇様に差し上げる米を踏む碓踏み*6は足が腫れるだろうと言う。しかし上臈はいかな上様でも「肝心の時」は「臼」がお好きで、もったいないと遠慮するとあぐらをかいて「下馬緩怠」と叱りつけると笑う(御性癖、突然の暴露)。するとお腹をすかせた公家がションボリやってきて、食事の支度を急かせる。お雉は貧乏家では役割別に数多の人がいる宮中と違い百人分の仕事を一人でこなさなければならない、それにしてもうちの「王様」は帰りが遅いと言う。〈現行上演ではここまでカット〉
そこへ大風呂敷を背負った芝六と三作が帰ってくる。芝六は質流れの町人の古着を買ってきたとして上臈や公家を着替えさせ、お雉には帝へ早く握り飯を出すよう言って内へ入る。
そうしているところへ搗米屋の新右衛門がやって来る。昨年よりの未払い66匁3分5厘を取り立てようとする新右衛門に、芝六は不在であると言い張るお雉。言い合いになる二人を大納言兼秋が押しとどめると、新右衛門は彼を手相見と勘違いして茶を汲んでくれと言う。お雉はあわてて客だと言うが、新右衛門は米代も払わずに居候を取り込んでいると怒り、大納言へ借用書を突きつける。大納言はつくづくとそれを眺めて「かきいだし〜ひとつよねしろ〜むそじむつ〜こぜの霜月残るしろがね〜、……恋歌とも思われんの〜」みたいなのどかすぎることを言うので、新右衛門は恋も恋、借銭乞いだ💢とわめき散らす。大納言は優しい三十一文字やね〜☺️と全く話を聞いてない返事をするが、新右衛門は貧乏人の芝六に米代を立て替えてやったのは目的があってのことだと言う。その目的とはお雉の体だった。お雉に抱きつく新右衛、旦那がうちにいます〜!なら金払え〜!留守です〜!じゃあちょっと〜!と騒いでいるところへ芝六が出てきて、新右衛門の首根っこをひっつかんで板間に放り出す。新右衛門は米代を芝六に迫るが、芝六が逆に間男代300目との差額234匁を請求するので、新右衛門は「やっぱり留守!!!!!!」とか言って帰っていった。

 

万歳の段

淡海が大納言へ盲目の天智天皇には入鹿の反逆を耳に入れず、このあばら家を内裏と思いこませるのに協力してね的な話をしていると、その帝が姿を見せて病と采女の不在とを嘆く。ところが帝は突然今月は内侍所の神楽があったはずと言い出し、楽人を呼んで病気平癒の祈りの管弦をはじめよと命じたので、淡海は大慌て。芝六は淡海が変な嘘をつくからだとしながらも、万歳を聞き覚えているのでそれを披露しようと言う。淡海は楽人が遅れているので代わりに詰所へ来ていた万歳に千秋万歳を務めさせると帝に言上する。そうして芝六は鼓を打ち、息子三作が舞を舞い、帝を喜ばせるのだった。
天智天皇が夜の御殿(だと思っているけど実はボロ座敷)へ去ると、芝六は「爪黒の牝鹿」を射止め、血を採っておいたことを淡海へ報告する。淡海はそれを褒め称え、父鎌足は入鹿の乱を早くから察知し、興福寺のうしろの山へこもって帝の病気平癒の100日の行に勤しんでいること、きょうはその満願であり、あすの暁の六つの鐘が鳴ったときに鎌足は帝のいるこの家を訪れ、芝六の勘当も許されて元どおりに家臣・玄上太郎俊綱に戻ることができるであろうと語る。

 

芝六忠義の段

淡海が去った後、お雉は芝六へ鹿殺しの噂とその詮議があることを語り、身に覚えがないかと尋ねる。芝六はぎくっとしながらも、鹿殺しの禁を犯せば石子詰めの刑に処せられることをここあたりで知らぬ者はないと言って、お雉に一杯飲もうとはぐらかす。
そこへ村の歩きがやってきて、鹿殺しの犯人は猟師仲間のうちにあり、訴人すれば褒美が出るので、庄屋の家まで早く来るようにと告げる。それを耳にした三作は手習い文庫から紙と筆を取り出してなにやら書き始める。そこへじゃれつく弟の杉松。三作が弟に書きあがった手紙を興福寺へ持っていけば春日野の火打焼を買ってやろうと言うと、杉松は手紙を手にちょこちょこ出かけていくのだった。
それと入れ替わりに捕手が芝六の家へ踏み入ってくる。捕手たちはこの家に帝と淡海を隠しているだろうと言い、三作に刃をつきつけて芝六を詰問する。芝六は大庄屋まで行って詳細を話すと言い、三作に後を頼んで出て行った。
その様子を見ていた淡海は、芝六が子への情にほだされて白状するのではないかと疑い、帝を立ち退かせようとする。お雉はそれを引き止め、夫はそのような心ではないと語り、今夜一晩だけ自分に判断を預けて欲しいと頼む。淡海はひとまずそれを受け入れ、御前へと去る。
そうこうしていると、杉松に連れられた興福寺の衆徒が門口へやってきて、鹿殺しの犯人として三作を捕まえる。お雉は驚くが、衆徒たちは確かな訴人あってのことだと言う。証人を出せと言うお雉に、役人たちは本人の弟の注進だと告げる。お雉が杉松の持っていた手紙をひったくって読むと、そこには鹿殺しの犯人は兄の三作であると書かれている。駄賃の饅頭が欲しいと言う杉松、お雉は子どもの言うことを真に受けないで欲しい、三作も言い訳をするようにと促すが、三作は確かに自分が鹿を殺したと言う。仲間の衆の取り調べが行われたり、芝六の難儀になってはいけないので名乗って出ると言うのだ。以前から義理の父・芝六に大切に孝行するように言われていた三作はお雉の言いつけ通りにしたのだった。三作は父が悲しまないよう自分は京の町へ奉公に行ったと伝えた上で、杉松をふたりぶん可愛がり、弟には狩人をさせないで欲しいと頼む。お雉は三作の立派さに泣きじゃくり抱きしめるが、衆徒たちは明け六つの鐘を合図に三作を石子詰の刑にすると言って引っ立てて行った。
お雉が泣き伏していると、酒に酔った芝六が上機嫌で帰ってくる。芝六は酔い覚ましに冷える地面に寝ているのかとお雉にじゃれつくが、お雉は泣くばかり。芝六が彼女を泣き上戸と言ってなおもふざけかかると、お雉は泣き顔を取り繕い、さきほどの捕手の始末はどうなったのかと尋ねる。芝六は詮議を無事言い抜けてきたと答え、明け六つの鐘が鳴れば鎌足の勘当が解けてかねてからの願いが叶うと、酒屋を叩き起こして酒を飲んできたと言う。三作を探す芝六の姿にお雉は胸が張り裂けそうになり、三作は猟に出かけたと話す。芝六は三作にはもう猟師はさせない、武士にすると言って、早く明け六つの金が鳴るようにと祈る。しかし夫の心とは裏腹に、お雉はこの夜が100年も明けないでいて欲しいと願うのだった。芝六は果報は寝て待てとして、杉松を抱いて布団に入る。
お雉は夫の嬉しそうな寝顔を見ながら、真実を告げれば三作の思いも無駄になり、夫の命が危険にさらされるが、しかし三作も可愛いとして心が乱れる。そのうちに興福寺の鐘が鳴りだし、一つ、二つ、三つ、四つ、五つと鳴るうち、お雉は三作を案じて斧鉞に打たれる心地になる。六つ目の鐘が鳴ったとき、わっという叫び声が聞こえる。見ると芝六が刀で杉松の喉を畳まで突き通しており、布団は血に染まっていた。動転するお雉に、芝六は理由を語り始める。先ほどの捕手は玄上太郎の心を試すための鎌足の使者であり、それに気づいていながらも人質に心が迷った自分は重ねて疑われてしまった。勘当を赦されずとも、真実は他言しないという心を実の息子を斬ることで証明すると。杉松のことは侍の義理だと思って諦め、三作をそのぶん可愛がって欲しいと言い、芝六は伏して泣く。しかしお雉はその三作は鹿殺しの犯人として連れられて行ったと嘆く。それを聞いた芝六が驚いて駆け出すと、「太郎待て」とそれを止める声が聞こえる。そこに姿を見せたのは、礼服姿の鎌足と、御鏡を手にした采女の局だった。鎌足は芝六の本心を確かに見届けたと告げ、三作を呼び出す。裃姿に改めた三作の無事な姿に喜ぶ芝六夫婦。石子詰めのため掘った穴に怪しい光り物があり、改めてみるとそれは紛失していた御鏡と神璽の箱で、その奇跡によって三作の命は助けられたというのだ。御鏡と神璽が禁庭の宝蔵から紛失していたのは、蝦夷子が謀反のため早くから盗み隠していたためだった。鎌足は芝六と三作を親子二代の忠臣とすると言う。しかし春日大社の鹿殺しの罰は免れないとして、杉松の亡骸を三作のかわりに石子詰めの穴へ埋め、その菩提を弔うため、撞鐘一宇を建立するとした。これが暁の六つに死んだ七つの子の弔いとなり、十三鐘として今に残っているのである。
また鎌足は、御鏡は天照大神の姿を写した御正体(神体)であり、これが穢れた土中に埋められたことによって帝の光が失われたが、鎌足の100日の行の満願にこの御鏡が掘り出されたことで、天照大神天皇の対面が叶うと言う。天智天皇が淡海に手を引かれて姿を見せると、鏡は朝日を写して輝き、帝の目が治る。采女は帝に駆け寄り、二人は再会する。鎌足は芝六の射た「爪黒の牝鹿」は入鹿調伏のために使うと告げる。こうして天智天皇鎌足の先払いで藤原氏の氏寺・興福寺へ臨幸するのであった。

 

 

 

┃ 三段目 大判事家・太宰家の対立と和解《奈良〜吉野》

太宰館の段

禁裏を守護する太宰の館では、入鹿が来訪するというので奥女中たちが大騒ぎ。荒巻弥藤次は職人・商人・芸人に受領をさせるとして町人たちを次々に呼び出している。わらわら押し寄せてくる有象無象の町人たち、弥藤次は彼らを面接しながら、烏帽子屋には「頭平」、鍜治屋には「備前守」、やたらめったら喋る神職には「口松*7の差出の頭佐平次」、伊勢比丘尼*8には「御両*9」、船乗りには「船頭」、僧侶には「暁山西方寺」、素人浄瑠璃語りには「咲太夫」の名を与えるのだった。〈現行上演ではここまでカット〉
やがて大判事清澄が館を訪れる。主人に挨拶もせず通ろうとするのを太宰後室定高は「女と思い侮るのか、それとも武家の礼儀をご伝授しようか」と見咎め、「来訪は入鹿公の勅諚のためで、皇居へ出仕する心で来たので、女子供には挨拶はしない」とする大判事と言い合いになる。
そこへ入鹿が姿を見せ、大判事の遅参を不届きと言い、その理由には死んだはずの采女の局の行方と関係があるのではないか、采女の付き人だった久我之助の父である大判事が知らぬはずはないと疑う。大判事は采女の入水は誰もが知っていることと答えるが、定高は自分に命じられたのはその詮議だと言う。定高と大判事は再び言い争いになるが、入鹿は二人の領地争いは表向きのことであり、実際には天智天皇を奉って内々に申し合わせているだろうとして、定高にも疑いをかける。定高は否定するが、それなら娘・雛鳥が大判事の息子・久我之助と密通しているのはどういうことかと問う入鹿。大判事は久我之助をひっとらえ吟味すると言い、定高も同じこととと言って退出しようとするが、入鹿は以前より心をかけている采女の所在を尋ねているのだと睨み付ける。すると大判事も定高も采女のことは知らないと言い、疑いあるなら拷問をと言い出す。入鹿は潔白の証明として、定高へは雛鳥の入内を、大判事へは久我之助の出仕を求める。声が出ない二人に、入鹿は命令に背けばこの通りとして、そばに生けてあった桜の枝を取って欄干に打ち付け、花を散らせる。大判事と定高は心乱れる中、館を退出していった。
そこへ注進がやって来て、入鹿に天智帝を擁する軍勢と自軍との戦況を報告する。当麻での自軍の危難を聞いた入鹿は、自ら出向いて微塵にしてくれると嘯き、馬を駆り出し、出陣するのだった。

 

妹山背山の段

弥生の頃。大和の奥地、妹山と背山を分け隔てて流れる吉野川一帯は、いまが山桜の盛りであった。背山は大判事清澄の領地である。久我之助は父大判事の勘気を被り、この背山の山荘で謹慎していたのだった。
太宰少弐国人の領地・妹山の山荘では、雛鳥の心を慰める雛祭が行われていた。腰元の桔梗と小菊はお供え物のおはぎの用意に忙しい。雛人形のように好きな男といつもひっついていられたらさぞ嬉しいだろうと言う桔梗に、いくら並んで座っていてもあれでは手も握れず堅苦しい、しかも肝心の寝るときは別々の箱の中だと返す小菊。久我之助が背山の山荘に来ていると聞き、病のふりをして母にねだり療養として妹山へ来た雛鳥は、吉野川に隔てられて言葉を交わすこともできないなら遠く離れていたほうがましだったと嘆き悲しむ。桔梗は雛鳥に同情し、吉野川では舟や筏は禁じられているが、もしかしたら歩いて渡れるかもしれないと言い出すも、小菊はこの急流では一気に流され紀州裏の鮫の餌食になってしまうだろうと言う。川は渡れなくてもせめて姿だけでもと、小菊は障子を開け放つ。すると川の向こうの館で、久我之助が経机にもたれかかり、父の行く末と身の上の守護を祈っている姿が見えるではないか。雛鳥がこっちを向いてくれないかとじれるので、腰元が文をくくりつけた小石を投げつけるも、川に落ちて激流に飲み込まれてしまうのだった。
背山では、久我之助がどこからか投げ込まれた石が沈まず流れていくのを見つめ、逆臣入鹿に従う父大判事の心を占おうと柏の葉を取って川岸に降りようとしている。それを見つけた腰元に知らされ、雛鳥も急いで川岸へ降りる。二人は思わず顔を見合わせるが、身は吉野川に隔てられ、抱き合うのは心ばかりだった。雛鳥と久我之助は逢うことが叶わない境遇を嘆き合うが、久我之助は生きていればまた会うこともできる、川へ投げ込んだ柏の葉が浮かんだのは願いが叶う知らせだと語る。川へ飛び込みそうになる雛鳥を慌てて引き止める腰元たち。
そうしていると、大判事、定高がそれぞれ姿を見せる。二人は向き合って挨拶し、入鹿の命令を子供がきけば花がついた桜の枝、子供が言うことを聞かず首を討つことになれば花を散らした桜の枝を川に流そうと互いに言い合い、それぞれ山荘の内へ入る。
定高は雛鳥を呼び出し、嫁入りをさせると告げる。定高がその相手は入鹿だと言うと雛鳥は驚きうろたえ、涙ぐむ。定高は一重と八重の花がついた咲き分けの枝*10を差し出し、こう語る。一旦思い染めた男に立てた操を破れとは言わないが、貞女の道は他にもある。大判事の家と太宰の家とはこの花の枝のような悪縁で結ばれており、雛鳥が入鹿への嫁入りを拒否すれば、この花が簡単に吹き散らされるように久我之助は切腹させられる。久我之助を助けるも殺すも返事ひとつ、貞女の立てようを見たいと。話を聞いた雛鳥は泣きながら入内を受け入れると告げ、定高は宮中の女官の髪型である下げ髪に直してやろうと娘の髪を解く。
そのころ背山では、久我之助が大判事に手をつき、心の内を汲んで切腹の赦しを頂いた礼を告げていた。大判事は鎌足公の指図を守り、親にも真実を漏らさなかった久我之助の心底を褒め称える。しかし久我之助が出仕したとしておそらく拷問され責め殺されるだろうと察した大判事は、采女の行方詮議の根を断つべく切腹を許したのだった。大判事は腰に差していた刀がまさか息子の介錯に使うものであったとはと嘆き悲しむ。それを見た久我之助も命が二つあれば、一つは死んで帝に忠義を立て、一つは父へ養育のご恩を送るのに、心残りに思うと泣き伏せる。
一方、妹山。夫婦一対で添い遂げるのが雛の徳であるのに、思う男と引き離され何の后かと雛鳥は雛人形を投げつける。女雛の首が転がり落ちるのを見た定高は心を決め、入内はさせず入鹿には首を斬って渡すと娘に告げる。それを聞いた雛鳥は喜び、母を伏し拝む。定高はこのまま入内させても雛鳥は自害するであろうことを見抜いており、そうなれば久我之助もあとを追うだろうと推測し、せめて一人だけでも助けたさに命令を聞いたふりをしたというのだ。さきほど雛鳥の髪を解いたのは下げ髪にするのではなく首を討つ準備だったと語る定高は雛鳥を抱き寄せ、祝言こそせずとも久我之助の正妻だと思って死ぬように言う。
川を隔てた背山では久我之助が刀を取り直し、腹に突き立てていた。大判事は死ぬまえに何故雛鳥の顔を一眼見ないのかと問うが、久我之助はそのような未練な性根ではないと言い、自分が死んだことは雛鳥には伏せていて欲しいと頼む。それは、自分が自害したことを知れば雛鳥も後を追うだろうという計らいからだった。定高へは自分は入鹿へ出仕したと伝え、雛鳥を諦めさせて入内させるのが本人のためであり、潔白の証明であると言う久我之助。それを褒めたたえながらも心乱れる大判事は花のついた桜の枝を吉野川へ流す。
花の枝が流れていくのを見た雛鳥は久我之助の無事を喜び、思い残すことはないとして母に首を斬るように乞い願う。定高は夫の形見の刀を抜きかねながら、返事に花の枝を流す。対岸から流された花の枝を見た久我之助は雛鳥の入内に安堵し、父へ介錯を願う。また妹山には早く首を斬るように頼む雛鳥に、刀を握る手が重く動かない定高がいた。思いは背山の大判事も同じである。日が西へ沈んでいくのを見た定高はそれが娘のお迎えであると思い切り、娘の首を討ち落とす。背山の大判事はその声に刀を取り落とし、障子を開け放つ。定高が雛鳥の首を討ったことを悟る大判事、定高もまた久我之助が切腹したことを知る。両者は言葉が出ない。
定高は「入鹿へ娘の首を献上する、御検使は受け取られよ」と宣言する。それを聞いた大判事は居住まいを正して川岸に下りる。定高は娘の首を抱き、雛鳥と久我之助の夫婦になれない家の因果と、相手だけでも助けたかった心は大判事も同じであろうことを語る。そしてせめて久我之助の息があるうちに娘を嫁入りさせたいとして、雛鳥の首を乗せた琴と雛人形の嫁入り道具を吉野川に流す。
これで互いに舅姑同士となり遺恨も解けたと言う大判事は久我之助の臨終をみとめ、遺恨よりも意地で反目しあっていたところへ入鹿から嫌疑をかけられた両家の不運を嘆く。そして定高へは久我之助のため大切な娘を手をかけてくれた礼を述べる。定高もまた雛鳥のために久我之助を切腹させた大判事の心を汲む。両家の長年の隔たりと親たちの思いは川へ解け流れ、吉野川はより一層漲るばかりだった。
涙を拭った大判事は雛鳥の首を掲げ、久我之助と雛鳥は親が赦した未来永劫変わらぬ夫婦で、忠臣貞女の操を立てて死んだ者として閻魔の庁を名乗って通れと告げる。大判事は久我之助の首を討ち落とし、首だけの雛人形が並ぶ。吉野川は恩愛と義理とを流し去り、大判事は二人の首を手に吉野の桜を後にするのだった。

 

 


┃ 四段目 三輪の娘《三輪〜奈良》

井戸替えの段

七夕。三輪の里にある酒屋・杉屋は、井戸替え*11で賑わっていた。酒屋の女主人の婆は酒肴を用意して近隣の衆を労い、井戸替えに参加した近所の連中・土左衛門らは婆が膳の用意に何度へ入ったスキに飲みまくりの食いまくり。その様子に丁稚の子太郎は呆れ果てる。子太郎が三味線と太鼓でみんなで騒ごうと持ちかけると、土左衛門たちは隣家の烏帽子折が井戸替を手伝わないことや妙に堅苦しい物腰であることに口々に文句をつける。そうこうしていると当の烏帽子折が帰ってくる。烏帽子折は腰に刀を差した浪人風の青年で、求馬という名だった。求馬が門口から女主人に挨拶をして自分の家に戻ろうとすると、近所連中は彼を捕まえてなぜ井戸替えを手伝わないのかと文句をつける。驚いた求馬が井戸替えを知らなかったことを詫びたので、土左衛門らはすぐに許して一緒に飲もうと誘う。求馬が一滴も飲めないと断ると、それなら三味線太鼓でみんなで踊り騒ごうと誘い、近所連中の大騒ぎがはじまる。すると家主・もぎ兵衛が走ってきて、いくらなんでもやかましすぎると注意する。ところが歌い踊る近所連中に乗せられ、しまいには家主も一緒に踊り出してしまう。ノリノリのまま近所の衆は帰っていき、家主はしょうがないなーと言いながら酒屋の女主人を呼び出す。家主の用事とは、入鹿から藤原鎌足の息子・淡海を探せという命令が出ており、もし見つけたら大金の褒美が出るという一件についてだった。家主に連れられ、婆は後を子太郎に任せて大慌てで出かけていった。〈今回上演では段ごとカット〉

 

杉酒屋の段

日が沈む頃。夜の仕舞い支度をしていた子太郎は、白絹の被をした美しい女が隣家・求馬宅へ入っていくのを目撃する。子太郎が隣の門口にへばりついて不審がっていると、酒屋の娘・お三輪が寺子屋から帰ってくる。お三輪は七夕の行事に子どもの頃に通っていた寺子屋へ出かけていたのだった。子太郎はお三輪に一大事だと騒ぎ立て、求馬の家へ美女が訪ねてきてなにやらあやしげな音がすることを非モテの怨嗟を盛りまくって報告する。お三輪が求馬を呼び出すよう頼むと、子太郎はさも急用であるかのようなふりをして隣家の扉を叩きまくり、びっくりした求馬が姿を見せる。娘は顔を赤らめ、求馬もまた意味ありげな挨拶をするので、子太郎は気を利かせてかっこよく退散。お三輪は求馬に訪ねてきている女は隠し妻でないか、千年も万年もと言った契りは嘘だったのかと尋ねる。求馬がその女は春日大社禰宜の妻だと言い繕うと、世間知らずらしく簡単に安心するお三輪。お三輪は供えてあった二つの苧環を手に、男の心が変わらないことを願い苧環の糸を結びあわせておく七夕の風習を語る。お三輪は赤い糸の苧環を求馬に渡し、自らは白い糸の苧環を持ち、二人は苧環を取り交す。
そうしているところへ被の女が姿を見せる。びびった求馬は「あれ、巫女様!!!そうだよね!?!?!?!」と言い繕うが、誤魔化しに気付いた女は不機嫌になり、お三輪を下女呼ばわりする。女が求馬を問い詰めていると、気配を察したお三輪が割って入って難癖をつけ、女とお三輪は言い合いになる。そうして二人が求馬を巡って引っ張りだこをしているところへ、酒屋の女主人であるお三輪の母が帰ってくる。息を切らせた母は用がある、そこを動いてはならないと求馬に言うが、そのすきに白絹の被の女は場を立ち去ってしまう。女を追う求馬、それを追うお三輪、さらにそれを追いかける母で酒屋は大騒ぎになるが、そこへひょっこり姿を見せた子太郎が母の帯に酒桶の栓を結びつける。母が走り出そうとすると酒桶の栓が抜け落ち、母はそこを動くことができない。白絹の被の女、求馬、お三輪はこうして三輪の里を走り出ていくのだった。

 

道行恋苧環

白絹の被の女・橘姫は求馬への想いに心を乱しつつ、芝村、箸中村、柳本、帯解と走ってゆく。姫が布留の社(石上神宮)までたどりついたとき、求馬が追いついてくる。求馬は彼女に正体を明かして欲しいと願うが、姫はどうしても言えないと答える。そうして二人が語らっているところへお三輪が追いつき、割って入って求馬の不実をなじり、妻ある男に言いかけたとして橘姫に女庭訓や躾方をよく読め💢と言う。橘姫はお前も親が許した仲でもないだろ💢と反論し、女二人は求馬を挟んで再び言い合いになる。しかし夜明けを告げる鐘が鳴ると、姫は驚いて立ち去ろうとする。求馬は咄嗟に彼女の振袖に苧環の糸を縫い付け、姫を追いかける。お三輪も求馬の着物の裾に糸をつけ、追おうとするが……

 

鱶七上使の段

三笠山には入鹿によって壮麗な御殿が建てられていた。とにかくふんぞり返りまくる入鹿に宮越玄蕃・荒巻弥藤次の二人は宮殿の華麗さを盛りまくりで褒め称えまくるが、庭掃除の仕丁たちが調子っ外れに騒ぎまくるので追い払う。〈現行上演ではカット〉
酒宴の席で殿上人から贈られた宝物が次々披露されているところへ、木綿の裃に撥鬢頭の大男が訪ねてくる。「入鹿どんに合わせてくださんせ」というその男を玄蕃・弥藤次は追い払おうとするが、男は鱶七という漁師だと名乗り、鎌足に雇われた使いだと言う。入鹿は直接来るべきところ使いを立てるのは無礼だと返すが、鱶七は鎌足も一度は行きがかりで張り合おうとしたが今では大層弱っており、仲直りの印の酒一升を預けたのだと言う。刀から下げた徳利を見た入鹿は警戒するが、鱶七は毒味をすると言ってがばがばと全部飲んでしまう。鱶七は鎌足からの詫び状を渡すが、弥藤次が読み上げるのを聞いた入鹿は謝ってるようで当て擦りやんけ!!と激怒、鱶七へ島台を投げつける。島台は鱶七の額に当たって微塵に砕けるが、鱶七はびくともしない。入鹿大臣は正直者だと聞いていたのに噂と本物とは大違いだと並べ立てる鱶七に入鹿は苦笑し、鎌足の本心を確かめるまで鱶七を人質とするとして、帳台深く入っていった。
残された鱶七が一眠りと御殿に上がって寝転がると、縁の下からあまたの槍が突き出してくる。しかし鱶七はそれに構わず寝こけてしまう。そんな彼のもとへ御殿の官女たちが男見学にわらわらと寄ってきて、お茶やお菓子、煙草に酒をすすめてくる。官女たちは口々に御殿仕えの窮屈ぶりを語り、鱶七にひしと抱きつく。驚いた鱶七が振り払うと、官女たちはぷりぷり怒って去っていった。残された鱶七があたりを見回し、銚子に入った酒を庭へふりかけると、草花がたちまちに枯れしぼんでしまう。その鱶七を弥藤次や軍兵たちが取り巻くが、鱶七はそれに構わず、悠々と奥へ入っていくのだった。

 

姫戻りの段

御殿の庭先に戻った橘姫が障子に礫を打つと、それに気づいた官女たちが姫を出迎える。朝露で濡れた着物を着替えさせようとする官女たちは、姫の振袖に赤い糸がついていることに気づく。それをくるくると手繰り寄せると、求馬が姿を現す。橘姫は驚き、官女たちはこれが姫の恋人かとさざめいて求馬を庭へ引き込む。求馬は通りすがりの者として逃げようとするが(どんな言い逃れやねん)、官女たちは通さず、御殿に上げようとする。その様子を見た求馬は、女の正体が入鹿の妹・橘姫であることに気付く。橘姫は求馬を藤原淡海様と本当の名で呼ぼうとするが、求馬はその口を塞ぎ、敵方に名を知られたからには助けるわけにはいかないと言う。しかし橘姫は求馬に殺されるなら本望だとして覚悟の合掌をする。その姿に求馬は姫の本心を認め、夫婦になりたければ入鹿の持つ叢雲の宝剣を盗み出してくるように迫る。橘姫は兄への恩と恋人への義理とに挟まれて涙するが、帝のためと思い、剣を盗むことを承諾する。橘姫は夜の管弦の遊びの舞にことよせて剣を盗んで渡すことを約束し、しかしことが露見して殺されたら二度と顔が見られないとして、死んでも夫婦であると言って欲しいとせがむ。求馬は失敗して死んでも夫婦であると誓って姫を抱きしめ、二人は別れいく。

 

金殿の段

一方、求馬につけた苧環の糸を切ってしまったお三輪は、草のなびきをしるべに御殿へたどり着いていた。お三輪が御殿へ入ろうとすると、ちょうどそこへ豆腐箱を下げた下女が出てくる。お三輪が彼女に二十四、五の美しい男が来なかったかと尋ねると、来た来た、それはお姫様の恋人だと言う下女。三輪の里から姫を追ってきたのを官女たちが捕まえて寝所へ押し込み、布団をかぶせかけてあるという。下女は宵のうちに祝言があるだろうと話し、豆腐の御用があるとブキブキ内股になって走り去って行った。その話にお三輪は怒り狂い、どこに居ようと求馬を見つけ出して連れ出そうと息巻く。だが同時にはしたないと見捨てられたらどうしようとも思いつつ、御殿への階段を登り、廊下へ踏み入るのだった。
そうしていると、お三輪の姿を見つけた官女たちがわらわらと集まってくる。何者かと尋ねる官女に、お三輪は寺子屋時代の友達を訪ねてきたと嘘をつく。しかし祝言の婿様を見たいというお三輪のただならぬ顔色に、求馬と関わりのある女と察した官女たちは、祝言の座敷に出してやってもいいが酌を取らせると言いだす。官女たちは嫌がるお三輪に長柄の銚子を持たせて酌の稽古をさせ、無理やり四海波を謡わせる。挙句に色直しの一芸を強いるが、田舎育ちのお三輪は馬子唄くらいしか知らないと泣き、早く聟様に合わせて欲しいと頼む。しかし官女は許さず、お三輪に馬子唄を歌わせてあざ笑う。さんざん嬲った挙句に帰ろうとする官女たちにお三輪は自分も連れていって欲しいと取りすがるが、官女たちは彼女をこそぐり、つねり、叩いて突き倒し、これで姫君の悋気の名代が納まったと笑いながら去っていった。
取り残されたお三輪は男を取られた挙句に恥をかかされた妬みから身を震わせ、憎悪の表情を浮かべて御殿の奥へ入ろうとする。向かいから鱶七がやって来るが、お三輪は構わず通り抜けようとする。その彼女の袖をとらえた鱶七は、離せともがくお三輪のたぶさを掴み、その脇腹へ刀を突き立てる。
お三輪は鱶七の行動を姫の言いつけと疑い、生き替わり死に替わりしても恨みを晴らしてやると凄まじい形相で鱶七を睨みつける。しかし鱶七はそんな彼女を「高家の北の方」と讃え、お三輪の命によって入鹿を滅ぼす手立てが整い、想う男・求馬=藤原淡海の手柄になったと告げる。お三輪は求馬の正体に驚き、自分の死がなぜ淡海の手柄になるのかと問う。すると鱶七はその言われを語り出す。蘇我蝦夷子は高齢になっても子がないことを憂い、博士に占わせて妻に鹿の生き血を飲ませたところ、健やかな男子が生まれた。鹿の生血が胎内に入って生まれた子なので、これを入鹿と名付けた(\へえ〜〜〜〜/←上演中、お客さんたち本当にこういう反応)。そのため入鹿は「爪黒の牝鹿」と「疑着の相ある女」の生き血を注いだ笛の音を聞くと、鹿が鹿笛の音に引き寄せられるが如く心を乱し、正体をなくす。これが鎌足公の計略であると。お三輪の様子を物陰から見ていた鱶七は彼女に「疑着の相」を認め、不憫ながらも刺したと語る。鱶七はお三輪のほとばしる血潮を笛に注ぎ掛け、この笛こそ入鹿を拉ぐ火串であると押し戴く。その勇み立った姿はまさしく藤原家の忠臣・金輪五郎今国その人であった。
瀕死のお三輪は、卑しい身の上の自分が淡海のような高貴な男としばらくの間でも恋を契った果報を喜び、淡海の為になるなら死ぬことも嬉しいと語る。しかし、もう一度求馬に会いたい、恋しいと苧環を抱きながらお三輪はこと切れる。これがいまも苧環塚と名高い横笛堂の言われである。
今国がお三輪の亡骸を背負うと、雑兵たちが周囲を取り巻く。今国は几帳の綾絹を引きちぎってお三輪の体を自分に結えつけると、雑兵たちを次々なぎ倒して御殿深くへ入っていった。〈現行上演では末尾をカット〉

 

入鹿誅伐の段

そのころ、御殿の高殿では橘姫が白拍子の衣装に身を包み、舞にことよせて宝剣を盗み出そうとしていた。舞を催促する入鹿を淡海が檜垣の陰から射かけるが、入鹿は矢を掴み取り、玄蕃・弥藤次を呼び出して淡海に打ちかからせる。そのすきに橘姫は宝剣を盗み出すが、気付いた入鹿に飛びかかられる。姫は逃げられないと覚悟を決めて宝剣を下に落とし、それを淡海と玄蕃・弥藤次が争う。橘姫は兄に泣き詫びるが、入鹿は彼女が盗んだ剣は本物の叢雲の宝剣ではないと言う。その剣は帝や藤原親子をおびき寄せるため、入鹿があらかじめ用意しておいた偽物だった。本物の叢雲の宝剣は入鹿が下げている剣だったのだ。それを奪おうとする橘姫の肩口を斬りつける入鹿だったが、そこに鹿笛が鳴り響き、入鹿は倒れ伏す。すると入鹿の手を離れた宝剣はたちまち竜の姿に変じて雲と雨を巻き起こしながら庭の遣水へ飛び入り、凄まじい白波を立てる。橘姫はたとえ悪竜に噛み殺されても夫のためと水に飛び込む。波間を分ける竜、それを追う姫、再び空に舞う竜を追って姫も岸に上がり、雲を追って走ってゆくのだった。
夜嵐とともに人馬、法螺貝、鐘太鼓の音が聞こえ、玄上太郎を供に従えた藤原鎌足が姿を見せる。玄蕃・弥藤次を討った淡海は、入鹿は倒したものの宝剣の行方が知れないことを報告する。すると鎌足は談山の山頂で金龍が自分の袖に落ち、叢雲の宝剣が示現したと語る。
進み出た玄上太郎は、倒れ臥す入鹿に天罰が身に報いるときと告げる。入鹿はかっと両目を見開き、高殿から飛び降りて鎌足に向かって飛びかかろうとする。しかし、鎌足の掲げた神鏡の輝きに目がくらみ、玄上太郎・金輪五郎に両側から取り押さえられる。鎌足が入鹿の首を鎌でかき切ると、首は宙に舞い、火炎を吹いて飛び去った。〈今回上演なし〉

 

 

 

┃ 五段目 大団円《志賀》

(志賀の大内山の段)

翌春、大内は志賀へ移された。居並ぶ皆々に鎌足天智天皇からの仰せを伝える。橘姫は忠義の貞節を守ったとして豊代姫と名を改め淡海の妻となるようとの仰せ。大判事は一時入鹿の配下となり智謀を尽くしたことから武官の長となり、三作を養子として志賀之助清次と名乗らせよとの仰せ。太宰後室定高、そして残党を捕えて凱旋してきた金輪五郎には大禄を授けるとの仰せ。死した久我之助と雛鳥の追善の花は絶えず、世は太平に満ちている。伊勢・春日・八幡の三社の恵みはいつまでも変わらず、陣太鼓の音は久しい御代を祝しているのであった。〈現行上演なし〉(おしまい)

 

 

┃ 参考文献

校注・訳=林久美子・井上勝志(妹背山婦女庭訓)『新編日本古典文学全集 77 浄瑠璃集』小学館/2002

 

 

 

 

 

*1:内侍所=三種の神器を置く場所の神楽は毎年12月中旬

*2:鎌足が幼少の頃、狐が鎌を持ってきたという伝承によるそうです。「一つの狐来り、鎌を口にくはえ、幼児の枕上に置き、かき消すやうに失せたれば、父母急ぎ立ち寄り、鎌を取りて見給ふに、氷手のうちに輝くやうな鎌であり。もしも宝になるやとて、此子に添へてぞ育てらる。」(舞曲『入鹿』)

*3:米粉をむした皮に味噌餡を入れて表面を焼いた奈良銘菓。

*4:節日に朝廷で行われる宴会。

*5:狩場で鳥獣を駆り立てたり、逃げるのを防ぐ者。

*6:足で杵の柄を踏んで米をつく者。

*7:おしゃべりな者のこと。

*8:売色を生業にした比丘尼

*9:売色を生業にした比丘尼の元締めのこと。

*10:咲き分けの枝とは、本来はひとつの枝に二色の花がついているもの。ここでは一重と八重の花が一枝についたもののことか。(そういう品種が存在する)

*11:井戸の水をさらえて底を掃除する行事。7月7日に行う慣習があった。