TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 3月地方公演『義経千本桜』椎の木の段・すしやの段・道行初音旅、『新版歌祭文』野崎村の段 府中の森芸術劇場

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今回初めて知ったことがある。

地方公演では浄瑠璃の詞章字幕を舞台下手袖に設置した専用装置に表示しているのはみなさまご存じの通り。あの字幕表示機の名前を、上演前の解説時に技芸員さんが必ずドヤ顔で紹介してくることがずっと不思議でならなかった。字幕表示機を開発している企業が実は地方公演のスポンサーで、助成を受けているからには是が非でも宣伝せねばならない状況なのかと思っていた。しかし、今回、夜の部の小住さんの解説でやっと気がついた。あれは「G・マーク(じー・まーく)」=「字幕」という高度な小学生ギャグになっていたんですね。技芸員さんたち大阪弁に訛って発音してるから全然気づかなかった。小住さんは解説時に標準語で喋るからやっとわかったわ。なんで関西の人って外来語まで関西弁イントネーションに訛っているのか。あの人ら「テレビ」とかも訛ってるじゃないですか。わけわからん。(と言いつつ、自分も関西弁圏出身なので外来語も訛っているクチ)

解説つながりで言うと、公演パンフレットを手にした芳穂さんが「字幕があっても浄瑠璃は昔に書かれたものなので、難しい言葉が出てきます。たとえば権太が“台座の別れ”と言いますが、台座というのは笠が乗っている“台座”、つまり首(頭)のことで、荷物に粗相があったならば首と胴が“別れ”ても文句は言いません、という意味です。こういうわからない言葉は……」パンフレットに説明が載っているからパンフを買うてくれと言うのかと思いきや、「メモしておいて、家に帰ってから自分で調べてください」と素でおっしゃっていたのがとても良かった。
 
 
 
 

義経千本桜』椎の木の段。

3月の地方公演で一番楽しみにしていた配役、権太=吉田玉男。権太の、何を考えているかわからない、本心の見えない不気味な大男ぶりが映えていた。作為の透けない、ナチュラル粗野な仕草。たとえば小金吾から受け取った金を足で引き寄せる動作。体をあまり傾けず、すこしだけ足を出してささっ……と素早くいやらしく引き寄せる。本来は小金吾を怖がっている表現だと思うが、シンプルな雑さや下卑さがある。権太が最後に合羽をかぶるのは小金吾におびえているという意味のようだが、玉男さんの権太だと紋秀さんの小金吾の首を簡単にねじ切りそうで、なんで怖がってんのかわからない、そこも別の意味で良い。性根の見えなさ、あいまいな雰囲気があり、このあと善太と突然遊びはじめるくだりも活きていた。玉男さんは本心が見えない(あるいは伏せられている)役がうまい。

うまいなと思ったのは、小金吾から受け取った荷物を改めるとき、行李の中の浴衣をきれいに広げなかったこと。ぐしゃぐしゃの状態のままに左右に引っ張っていたが、それが正しいと思う。なぜならおにんぎょうさんのいしょうのゆかたはせなかにおおあながあいているから……。それがバレると、金がどうこう以前に、現代人は「着物に穴をあけられた!」とタカるのかな、と思っちゃうからね……。というか、浴衣を人形の衣装の流用ではなく、小道具として別途用意できないところに文楽の悲哀がある。しかし小道具の扱い系で言うと、このあと「すしやの段」で梶原景時から受け取った陣羽織を広げなかった(内側に書いてある句を見せなかった)のはなぜだろう。受け取ってすぐなどの広げやすいタイミングで見せるのは不自然であることは確かだが。

そのほかの登場人物では、冒頭、小仙〈桐竹紋吉〉と善太〈吉田簑悠〉の出で、小仙が善太の鼻をかんであげるのは詞章の「女房盛の器量よし。五つか六つの男の子、傍に付き添ひ嬶様と、言ふで端香も冷めにけれ」にかかってるんですね。ぽわっとした可愛い親子だった。

若葉の内侍〈桐竹紋臣〉はふんわりと優美な雰囲気。苦労の多い旅の中にも気品を失わない優しいお母さん。しかしあんなのが延々真横にウゴウゴしていて、小金吾は気が狂わないのだろうか。結構色っぽい感じがあって、小金吾は2回権太にいきり立つところで若葉の内侍に腕につかまられて引き止められるが、あんなに寄ってこられたら困るのではないか。討死する前に正気を保てなくなって自害しそう。それと、小金吾の足の方、どなたかわからないですけど、うまい。きりりとまっすぐに足を下ろす仕草、血気に逸るみずみずしい若者感ある足取り。ちょっとした動きでも、ピタッ!と揃えて立ち止まる足元の行儀良さだった。もちろん紋秀さんもぴりっと一本気な感じに凛々しくて良かった。

上演内容とは関係ないが、この段の名称は「椎の木の段」なので、六代君〈吉田玉彦〉たちが実を拾う舞台中央の大木は椎の木だと思っていた。が、帰ってから角田一郎・内山美樹子=校注『新日本古典文学大系93 竹田出雲・並木宗輔浄瑠璃集』(岩波書店/1991)を読んでいたら、あの木は栃の木とあった。詞章を確認しなおしたら、たしかに浄瑠璃に「機嫌取榧(きげんとるかや)栃の実を……」とある(脳を全然使わずに見ている奴)。では椎の木はどこに? 謎。
 
 
 

すしやの段。

配役が大変に良く、誰か襲名披露でもするんですかという感じだった。床にしても人形にしても、すしやに人を固めているのかな。

床は前・津駒さん、後・織太夫さんで両方よかった。津駒さんは10月公演の後に続き前を担当ということで、今回はお里のクドキのところが当たって、お声の質にも合っていてとても良かった。権太がママ〈桐竹勘壽〉を騙して泣き真似をするところ、三味線〈竹澤宗助〉は泣きのメロディ(?)を演奏しているものの、どうにも「ポロリ」といかない絶妙なラインをいっているのがおもしろかった。津駒さん&宗助さんはますます「しあわせをよぶマスコット」感が増していて眼福だった。織太夫さんは先月、今月とかなり良い。表現の幅が広がった気がする。

お里〈吉田簑二郎〉、めちゃくちゃ元気。勢いがすごい。弥助〈吉田和生〉が帰ってきてからははしゃいでグルグルついて回って顔を覗き込みまくっているが、簑二郎さんの相手の男を覗き込む・覗き込まないの加減が全然わからん。こないだの『壺坂観音霊験記』のほうのお里では全然沢市の顔を見ていなかったのに。あれとはまた別の意味でものすっごいハイテンション娘だった。ボディで維盛をつっつくところはえらい大胆やなと思ったけれど、弥左衛門〈吉田玉志〉が「今日は離れで寝るわ」と言うところで過激な返答をかますので、田舎娘というのは別にウブである必要はなく、こんなもんなのかもしれない。いや、簑二郎さんの辞書に恥ずかしがり屋のおなご萌えの項目がないだけかもしれないけど。とにかく勢いがすごい。いかにも在所娘なお里でおもしろかった。失恋から速攻立ち直りそうな感じも良い。

維盛の和生さんは出のさりげなさが印象的。さらりと出てきてさらりと帰宅するけれど、まさしく「絵にあるような」美しく浮世離れした姿。お里が元気一杯の在所娘である分、より高貴さが際立つ。ものすごい身分違い感だった。本当に「雲井に近き」オーラ。あのメンツの中では和生さんは確かに浮くよね……。若葉の内侍もそうだが、ほかの人物とは時間の流れが違っていた。

弥左衛門は玉志さん。田舎者ながらちょっと品のある雰囲気のカクシャク・ジジイで、夜の部の久作〈吉田玉也〉より結構若そうなイメージ。あとあと出てくる、弥左衛門はかつて重盛卿の御用を受けただけのことはある身分(船頭として)ということを踏まえているのかな*1。でも単に玉志さんの個性のような気もする。お里と弥助を残して一旦奥へ引っ込む直前に、ひょいひょいとちょっとだけ踊る仕草が可愛かった。権太がおどけて踊るところも可愛かったけど、可愛さの質が揃っていて、親子って感じ。動きのせわしなさでは、弥左衛門とお里も親子って感じだった。

そして梶原平三景時が清五郎さんで衝撃的だった。清五郎さんがあんな大きい人形持っているの初めて見た。というか、普段全然あんな役来ないのに、よくあんな大きい人形をあれほど安定して持っていられるなとびっくりした。そりゃ清五郎さんは体格良い方だけど、立役で身長があって体格が良くても、人形がガタガタしていたり華奢に映ってしまうことがあると思うが、慣れていない人ならますますそうなりそうなところをきちんと安定して持って、威厳を示されていた。梶原景時は出からずっと横向きのままで浄瑠璃が進行し、家に上がるまでなかなか真正面を向かないので、その中で威厳を出すのは結構難しいと想像するが、立派な鎌倉武士ぶりだった。驚いた。

権太は自分なりに色々手を尽くしたが、何一つ報われずに悲惨な末路をたどる。にも関わらず、それが同情を誘うような、お涙頂戴でない雰囲気になっていた。人形浄瑠璃的な世界観だ。話そのものは悲哀に満ちているけれど、そこでもって共感されることを拒絶しているように思う。時代の大きなうねりの中ではそれも仕方ないと思えるようなドライさを人形が体現しているというか……。涙を誘う共感性、「泣ける」的なもの、そういった、ある意味でのわかりやすさを突き放している。誘導をせず、判断を観客にまかせているような。表現として面白い。これは装飾性や過剰さを避ける玉男さん個性と人形浄瑠璃の特性、そして戯曲の特徴が複合した結果このような状態になっているのだと思う。人形ならではの表現で、寺子屋の松王丸でもこのような演技をしていると思うが、どういう効果を生んでいるか、もう少し研究したいところ。幸い6月大阪の鑑賞教室公演で寺子屋がまた出るので、そのときに他の方と比較して見てみようと思う。

浄瑠璃では内面が徹頭徹尾変わらない登場人物が多いと思うけど(たとえば松王丸は寺子屋の前と後で行動は変化するが、内面は変わっていない)、権太は途中で内面が変わる。途中と言ってもその変わり目は観客の見えないところであり、おいおい何箇所か本心を覗かせるところがあるとはいえ、どこからが本心を隠して行動しているのか、表現が難しいと思うが……、どこで内面が変化したとしているのか、演技をどう設計しているのかも興味深い。

あっ、でも、ママからお金をもらって(というか自力で戸棚をピッキングして)ウシシとなっていたところに弥左衛門が急に帰ってきて、慌ててお金を入れた鮓桶に腰掛けて隠すところはピュアに💩しそうで、可愛かった。
 
 
 

義経千本桜』道行初音の旅。

清五郎さんが狐忠信役というのが衝撃的だった。いや、清五郎さんがいつも頑張っていらっしゃるのはようわかってます。これくらいの役がいつ来てもおかしくない人やと思います。去年の大阪鑑賞教室の十次郎もとても良かったし。でもすごい。こんな派手な役が来るとは。クルッとターンする等、急激にポーズを変える所作が綺麗に決まっていて、凛々しくてとても良かった。狐の部分が微妙に迷い気味というか、照れ気味というか、ドキドキ感があるのも良かった。左も慣れてない人をつけてるんだと思います。本当大変だと思いますが……、あれくらいの歳の方が(いえ、清五郎さんがおいくつか存じ上げませんが)本当に一生懸命頑張ってる姿を拝見できるのって、すごいことで、文楽ならではだと思います。
 
 
 

『新版歌祭文』野崎村の段。

衝撃の床配役。もう、太夫が全員「ここは若手会か!?!?!?!?!?」状態のso youngぶりで仰天した。椎の木の段とすしやの段にベテランを固めた結果、こっちがすごいことになっていた。中(いちばん最初)の碩太夫さんと富助さんとか、孫とじいちゃん状態。もうほんと頑張っていらっしゃった。フレッシュだった。

そして、人形も小助が紋臣さんで「そこ!?!?!??!?」と思った。紋臣さんって普段の配役はほぼ女方で、立役があったとしても舞踊演目だと思うんですが、衝撃の1ミリも可愛くないキモ手代……。わ、私の姫が……。いや、動作は紋臣さんらしくクルクルしていてとってもウザカワなんですけど、顔がキモくて不思議な時空に……。玉也さんの久作は声はピチピチなのにものすごいジジイぶりでウロウロしてるし(あの「もう歳で体がこわばってよう動きません」の範囲でシャキシャキ動いている感)、清十郎さんのおみっちょは素早さ&おきゃん度が上昇しているし、久松の玉佳さんは困った顔してるし、床も人形も情報量が多すぎて脳が処理しきれなかった。 

清十郎さんのお光はとても可愛かった。やっぱり悲惨な役は清十郎さんにやってもらわなくては。たとえば勘十郎さんがやったらお染〈吉田一輔〉を威圧して自殺に追い込みそうなので(失礼)。お光は可憐で清楚な雰囲気なのだけれど、在所娘らしく仕草が速くて、ちょっと粗野なところがあるのがキュート。清十郎さん的にも調子がとても良さそうで、今年度最大クラスの可愛さだったと思う。まわりの席の方々もしきりに可愛い、可愛いとおっしゃっていた。

久作を囲んで久松が肩を揉み、おみつが灸を据える場面はとてもとても可愛らしかった。お人形さんたちがきゅっと寄って人形遣いの姿がほとんど見えなくなり、絵本に描かれた風景のよう。そして、ここの部分を聴いて、小住さんて良くなったよなと思った。
 
 
 

3月公演は安定配役と衝撃配役の混在ぶりがおもしろかった。人数が少ないのか、基本的にみなさんランクアップした配役が来たり、二役ついていたり、床も人形も普段は絶対ありえない意外性のある配役がたくさんあって楽しめた。ある意味、マニア向け?

それとやっぱり勘壽さんが働きすぎなんですが大丈夫でしょうか。人数少なくて人形はみなさん大変だと思うけど、勘壽さんまでこんなに働くなんて……。勘壽さんて結構なご高齢だと思っていたが、実はそうでもないのか。帰りに勘壽さんをお見かけ申し上げたが、まったく追いつけないレベルのものすごい速さで歩いておられて一瞬で遠ざかっていかれてしまい、元気すぎると思った。あれを拝見すると玉志サンの遣うジジイの異様なカクシャクぶりも間違っていないと思う。好き。あと、この方には私服ではピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いていていて欲しいと思っていたお方もお見かけしたが、ピンクのスパンコールの背広にヒョウ柄のラメ素材のネクタイをしめて深緑のビロードのスラックスを履いておらず、フツーのおじさん風だった。でもきっとあのコートの裏地は紫とエメラルドグリーンとエンジ色のペイズリー柄だろう……と新たな夢を持った。

ところで今月から巡業系の仕事では太夫さんの見台は全員共用になったのだろうか。いままでは個人のものをお使いになっていたように思ったが、今月はみなさん文楽座の紋(小幕と同じもの)が入ったもので統一されていた。にっぽん文楽も多分そうだったと思う。輸送費の節減対策とかなんでしょうか……。あと、パンフ掲載の出演者顔写真が新調されたようなので、来月パンフ買うのが楽しみ。
 
 
 

↓ 10月地方公演の感想

 

 

 

 

 

*1:弥左衛門の過去について、今回上演の床本では「船頭として預かった時に過失で金を盗まれた」としているが、原本では「弥左衛門ら船頭が共謀して盗んだ」という設定になっているらしい。時折原本で上演することもあるようだ。