TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 1月大阪公演『二人禿』『伽羅先代萩』『壺坂観音霊験記』国立文楽劇場

正月からロリ百合!幼子殺し!夫婦自殺!公金横領!美女拷問!と飛ばしてくる文楽劇場のキレ味鋭い初春公演に行ってきた。制作も技芸員も「首が落ちたり切腹したりしないから正月向けだよね〜^^」と思ってそうで恐怖を覚える。

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『二人禿』。百合百合なカムロチャン・シスターズが羽根つきしたり鞠つきしたり踊ったりの舞踊演目。

カムロチャンは豪華な花のかんざしに鈴付きの流しをつけた赤い振袖の二人ともまったく同じ人形だが、そのぶんそれぞれの可愛さの違いが見て取れた。お姉さん《吉田一輔》は素直でピュアな愛らしさ、妹《桐竹紋臣》は毒のある小悪魔的な可憐さで、正月からまことにありがたいものを見たと思った。各々の禿に役づけがされているとか、打ち合わせをして演じ分けをしているというわけではなく、おそらく人形遣いの個性が自然に出ている結果だと思う。あの妹、絶対お姉さんの好きな男に手ぇ出してて、だけど、お姉さんにちょっかい出してくるクズ男を階段で背後から突き落とすクチだと思う。そんな妹に慕われるお姉さんがおぼこい系地味子なのがときめきますね。

それにしても姉カムロチャン、羽子板を股に挟んでまで羽根つきの羽根をピッピとまっすぐになおしていたが、「はっ❣️」とか言いながらヘンな方向に突いて飛ばしてしまうのはなぜなのでしょうか。二人で羽根つきするんじゃないのか。あとなぜ妹の持っている鞠を叩き落とすのか。踊っているところはしゅっとした素直な品があるが、突然天然を発揮しだすので驚く。妹カムロチャンはプイと拗ねはじめたり、かと思えばお姉さんの顔を覗き込んで甘えたりと、人形らしい媚びのある所作が可愛い。

なんにせよ、正月らしい華やぎがあり、配役も確実で*1、正月の早々から舞台に向かって合掌するやばい客になるところだった。おふたりともとてもかわいくてとてもかわいかった(可愛さのあまり知性低下)。

 

 

 

伽羅先代萩』竹の間の段。

先に全段あらすじ記事をアップしているが、文楽座現行と一部内容が異なるので、あらすじをまとめ直す。文楽座現行のほうが状況整理や説明セリフが多く、筋がわかりやすくなっている。 

奥御殿へ沖の井《人形役割=吉田文昇》と八汐《桐竹勘壽》が鶴喜代君の見舞いに訪れる。というのも、義綱公の隠居後、家督を譲られた鶴喜代君は病気のため奥御殿にこもって男性の家臣を遠ざけており、乳人政岡だけが若君の側についているという噂だったからだ。

二人がそう話していると、愛鳥の雀の鳥かごを持った鶴喜代君《吉田簑太郎》と小姓千松《吉田玉翔》、乳人政岡《吉田和生》が姿を見せる。沖の井が見舞いの言葉とともに持参した食事を差し出すと、鶴喜代君は一瞬嬉しそうな顔をするが、政岡に睨まれ、嫌だと言い直して雀の子のさもしさを笑ってごまかす。八汐は食事も召されないのに医者の診断を仰がないのかとして典薬の妻・小巻《吉田簑紫郎》を呼び出し、鶴千代君の脈を取らせる。若君の側に寄り手首を取った小巻は、その診断結果を「今をも知れぬ脈」であると告げる。驚いた政岡に促され、場所を移してもう一度取ると今度は健やかであると言うので、一同は不思議に思う。その時、何かに気付いた八汐が長押の薙刀を取って天井を突くと、そこから「死脈の筋」、曲者《吉田玉延》が落ちてくる。八汐に縛り上げられた曲者はある人物に鶴千代君を殺せば褒美をやると言われたと告白し、それは千松を世に立てたいと願う政岡であると言う。政岡はそれを言いがかりとして曲者を拷問しようとするが、八汐は政岡が依頼人である証拠があると言い、鶴ヶ岡八幡宮の根元に埋められていたという願書と人形を取り出す。そこには若君を呪う言葉とともに願主として松ヶ枝節之助と政岡の名が認められていた。政岡は抗弁するも無実を証明する証拠がなく、八汐は政岡を役人へ渡すとして彼女の腕を掴む。するとその八汐の手を鶴千代君が扇で打擲し、自分は殺されても構わないから政岡はどこにも行くなと命じる。そして、母と一緒に牢へ入ると泣く千松とともに自分も牢へ入ると言いだすのだった。

八汐はそれでも政岡を引っ立てようとするが、それを沖の井が押し隔て、政岡には科はないと言う。小巻の見立てそのままに天井から曲者が飛び降りてくるのはいかにも都合がよく、願書の名もここまでの企みをする者が自分の名前を残すはずがないと言い、妙なアヤつけをする八汐を怪しむ*2。それでも食い下がる八汐を伴い、沖の井は御前を下がるのだった。

アンダーライン箇所全段あらすじ記事との相違点。竹の間の段に関しては私が読んだ原文(東京大学教養学部所蔵本)とは詞章が大幅に違っていた。先代萩は異本が大量に流通しているそうなので、そのための相違だと思う。

勘壽さんはすごいわと思った。沖の井がスッと伸びた気品ある姿勢で入ってくるのに対し、八汐は鍵型に少し腰を曲げた姿勢で入ってくる。これで二人の性格がわかるのだが……、八汐ははじめから手荒い所作の人物かと思いきや、この段の前半の政岡とのやりとりではごくわずかにしか動かない。首をほんのすこし、微細にねぶるように動かす。絶妙な性悪ぶりと品性。こういう演技は余程の技量があり、かつ自分の芸に芯の通った自信がある人しかできないよなぁ。わかりやすいことだけが正しいことではないと思わされた。わかりやすく表現することと、意図を正確に表現することは違う。そして後半は一転、動きが派手で、横を向き右肩を下げて若干後ろ向きになって凄む姿勢(あれ何て言うの?立役がよくやるポーズ)の一発止めにピンとしたハリがあって美しかった。邪悪な上品さをもった役というのは文楽にはたくさんあると思うけれど、八汐のゲスに歪んだ品性、絶品でした。

もうひとつ、観ていて「なるほど」と思わされたのが、千松。千松は子どもなので人形のサイズが普通の人形より小さいのだが、演技がちゃんと人形に応じたこぶりさなのね。チンマリした動きが本当にちいさい子どもらしくて、可愛かった。大型の武将の人形が大振りな演技をするというのはともかく、普通のサイズ以下の人形の演技のサイズ感っていままで意識したことがなかったが、重要なことだと感じた。普段はこういう情報を無意識で受け取っていて、しかし、ときどき「ん?この人形なんか違和感あるな?」と感じることがあるのは、こういった要素が影響しているのかもしれない。去年の『加賀見山旧錦絵』で岩藤(玉男さん)が一回、女方の振り返り方じゃなくてあきらかに武将の振り返り方で振り返ったとき、「こ、これは違う!これはデカイ男の振り返り方だ!」と感じたことを思い出した。あのときに、お人形さんたちは、ただ均一に、ただ振り返ってるわけじゃないんだとわかった。*3

小巻が鶴千代君の脈を取るとき、2回目は1回目と違う場所で取るのがちょっとおもしろかった。自分は健康診断等での血圧測定がものすごく苦手で、緊張からなのか1回目はありえない数字を叩き出すため、休まされたり寝かされたりして2回目を取られるんだけど(そうすると標準的な数値におさまる)、そのことを思い出した。

 

■ 

御殿の段。

八汐と沖の井が退出し、政岡と鶴喜代君・千松の三人は居室に戻る。政岡がさきほど沖の井の持参した食事に手をつけなかったことを褒めると、鶴喜代君はあの食膳を食べてもよいかとおねだりする。が、政岡は沖の井の忠心を認めながらも今は誰も信用できず、危険であるとしてそれを禁じる。そして千松にも食事を我慢させていることを話し、忠義としてそれを堪えている息子を褒める。千松は、母の言いつけと忠義を守る、おなかがすいてもひもじくはないと言うが、涙目。それをイイコイイコする政岡を見た鶴喜代君も可愛らしく対抗して、大名は飯を食わずとも何も言わず座っているものと座布団の上でちょこんと大名ポーズ。その二人の様子に感じ入った政岡はいそいそと食事の支度をはじめる。

鶴喜代君と千松は政岡の食事の支度を嬉しそうに眺めているが、政岡はひもじい思いをしてもそれを表に出さず健気に彼女の歓心を買おうとする二人の様子に胸がいっぱいになる。そして、飯が炊けるまでの気散じとして、雀の子の鳥かごを表に出してやってくる親鳥と遊ばせるように促し、千松に雀の唄を歌わせる。すると親鳥がやってきて、政岡はおこぼれの米を与える。千松と鶴喜代君は餌にありつく親雀の様子を羨ましそうに眺め、千松は鶴喜代君がお腹をすかせていると言って飯が炊けるのを待ち遠しそうにしている。それを漆塗りの盆に映して覗き見る政岡の心境は穏やかではなかった。そこへ若君の愛犬の狆がやって来る。政岡が狆に沖の井が持参した食膳を分け与えると、鶴喜代君は狆になりたいと言う。本来栄誉栄華は思いのままであるはずの鶴喜代君に空腹を我慢をさせているとして、政岡は風炉の屏風の影で忍び泣きする。それを見た鶴喜代君が政岡や千松が食事をするまでは自分もしないと健気なことを言うので、政岡はこの涙はご飯が早く炊けるおまじないと言って涙をぬぐい、取り繕うのだった。

そうこうしているうちに飯が炊き上がり、握り飯をこしらえた政岡はまずは千松に毒味をさせる。千松が無事に食べるのを見た政岡は鶴喜代君にもお膳を差し出し、幼子ふたりが嬉しそうに握り飯を頬張る様子を見守る。するとそこへ鎌倉から梶原景時の妻・栄御前が頼朝公よりの上使として来訪したという知らせが入る。政岡は訝しく思いながらも栄御前を御前の前へ通すように言いつけ、千松を下がらせる。

 ※この段は詞章の違いのみで、内容そのものは全段あらすじ記事とほぼ同じ。

 

この段の一番最初、御簾が上がったときの政岡の美しさが素晴らしい。赤い着物に羽織った雀・竹・雪の刺繍の黒い打掛を引き上げて立つ姿の、凛としたたおやかな美しさ。和生さんの描く女性像って女性が憧れる「美しい女性」だよなあと思う。容姿の美しさもさることながら内面から放たれる美しさがある。これが生きた人間なら資生堂の正月新聞15段広告を飾る美しさ。人形はどの人形遣いが持っても容姿は同じはずだけど、人形にその内面が映って見え方が変わるのがおもしろい。しかし政岡、イメージしていたより若い印象で驚いた。チラシのキービジュアルの写真よりずっと若く見える。もうちょっと老けている(『絵本太功記』の操くらい)のかと思ったが、千松の年齢からすると確かにこれくらいか。この若さでこの後の展開、よくやるよなと思った。それにしても政岡の夫というのはどんな人なんでしょう? 全段読んでも出てこなかったので、もう亡くなっているのか? 政岡がここまで苛烈な性格なので、その夫がどうなっているのかはかなり気になるところだが……。

政岡は上手の自室に置かれた茶道具を使って飯炊きをする。その手順が12月の『鎌倉三代記』の簑一郎クッキングで習ったのと同じで「私、あした朝起きたら文楽人形になっていても、飯、炊ける」と思った。何回か水を替えながら桶で米を研いで、一粒残さず釜に移して、柄杓を立てて水加減を確認して、蓋を閉める。政岡が風炉を扇であおいで火加減を見ているとき、木が燃えるいい匂いがすると思ったら、本当に炭火をつけていて、ぽつぽつと火の粉が舞っていた。そして、浄瑠璃の尺的に飯が炊けるまでに結構時間がかかるのがリアルで面白かった。

千歳さんの鶴喜代君、もうメッチャお腹すいてそうな絶妙の弱々しさで、笑った。はにゃはにゃ……と力が抜けていた。この段の前にちゃんと昼食休憩を入れる文楽劇場のプログラム設計に頭が下がる。メシ前に見せられたら、危うく客も鶴喜代君&千松と一緒になって「はよ飯!はよ飯〜!」と騒ぐところだった。ちびっこふたりが政岡が飯を焚く支度をしているのをじーっと見ている姿は可愛らしい。千松はお母さんに寄っていってしまうけど、鶴喜代君は一応座布団の上には座っていて、千松が政岡に嗜まれるのを見て「ピン!」と上向きになり、大名ポーズに戻るのがキュート。このような二人の様子を政岡がよく磨かれたお盆に鏡のように映して見ている姿も印象的だった。ご飯が炊き上がると政岡はおにぎりをこさえて三方に乗せ、トングのような木製の箸をつけて出してくれるが、千松と鶴喜代君が食べるあの巨大おにぎり、気づいたらいつの間にかどんどん量が減っている。よく見ていると、少しずつ左遣いさんが抜いていた。

 

政岡忠義の段。

現れた栄御前は上座に座ると見舞いの言葉をかけ、頼朝公から下された品として菓子を持参した旨を告げる。八汐が菓子を差し出すと、鶴千代君は嬉しそうに菓子箱に近づく。政岡は病気の障りになるとして鶴喜代君をとどめるが、栄御前は頼朝公の仰せに背く気かと迫る。政岡が窮地に立たされたそのとき、別の間に下がっていた千松が走り出てきて、菓子を奪い取って食べてしまう。すると千松はにわかに苦しみだし、焦った八汐は千松を引き掴んで懐剣で刺す。政岡はとっさに若君を抱き上げ、自室へ押し込んでその襖の前を守る。八汐は頼朝公よりの贈り物を踏み破った罰であるとして千松を剣で抉るが、政岡はお上への慮外で成敗されるのは当然と答え息子を助けようともせず、襖の前を動かない。間に立ってその様子を左右に見ていた栄御前は政岡に話すことがあるとして八汐と沖の井を下がらせる。

政岡と二人になった栄御前は、長年の願望が叶ったであろうと言う。政岡はかねてより鶴喜代君と千松を入れ替えており、死んだのは政岡の子ではなく義綱公の子で、八汐に嬲り殺しにされても平然としていたのはそのためだろうと言うのだ。栄御前は政岡も逆意を抱く仲間であると思い込み、悠々と帰っていく。

広間にひとりとなった政岡は、周囲に人がいないのを窺うと、千松の亡骸を抱き上げてその忠義を褒め称え、しゃくり上げる。そして、奥州を守ったのは千松としながらも、忠義という一種の欲望のために我が子に死ぬことを仕向けた自らの非道さを一人の母親として嘆き悲しむ。

するとそこに様子を聞いていた八汐が踏み込み、計画の邪魔をする者は生かしておけないと凄む。しかし沖の井が現れ、企みを白状するように迫ってその陰謀の証人として小巻を呼び出す。実は小巻は八汐らに加担したように振る舞いながら、殺された夫の仇を討つ機会を伺っていたのだ。八汐はもはやこれまでと懐剣を抜くが、逆に政岡に討たれ、鶴喜代君を狙う悪臣は滅びるのだった。(以降略

アンダーライン箇所全段あらすじ記事との相違点

栄御前が簑助さんにしてはかなりのナイスバディだった。そして、政岡たちを思い切り見下す高慢さ、お高く止まり感にそそられた。文章読んだだけだともっと下卑た老獪な印象になるのかと思っていたが、人形は貴人の妻らしい下げ髪の若く美しい姿で、まさに人形のような怜悧な表情と、首を傾げたときの気品のある冷たい色気が最高だった。高嶺の花の別嬪さんに虫を見るような冷たい目つきで蔑まれるのが好きな人は絶対観に行った方がいい。最高にゾクゾクした。千松が刺されたあとの政岡の表情をじっと見つめる冷たく邪悪な視線の美しさは必見。その上手を向くときに、姫カットにして垂らしている横の髪の束がややパラつきながらゆっくりと着物の胸元を滑るのが色っぽい。この横をみやるときの頭の動かし方に微妙なニュアンスがあるのもいいんだよねえ。ちょっと斜めにしてひねるようにかしげるところに、食虫植物のようなグロテスクな美麗さがある。人形の表現し得る人工美の極致。

ただ栄御前は衣装と座り方が特殊で、巫女さん風の格好というか白い着物に緋の袴をはいていて、その袴を綺麗に見せるために着席でも実質常に中腰姿勢、しかも金の打掛を羽織っているというのが大変そうだった。率直に言うと、顔の雰囲気は最高に美しいんだけど、初日は足の姿勢や袴の処理がうまく出来ていなくてバランスが崩れていた。よほど慣れた足遣いの人でないと、一発で綺麗に座るのが難しいのだろう。簑助さんも打掛を直すふりをしながら(?)チョコチョコ袴の襞を整えておられた。2回目に観た時点で比較的綺麗に座れていたので、後半日程にいくほど美しい栄御前を拝めるのだろうと思う。

千松が鶴喜代君を守るために毒菓子を横取りして先に食べる、ということは知っていたが、どう食べるのかと思ったら、全部食うのね。残したら鶴喜代君が食べちゃうかもしれないからか……、立派。2回観たうちの1回、浄瑠璃が速くて食べきれなかったのだが、ちゃんと箱を払い飛ばして鶴喜代君が絶対食べられないように処理していて、細かい!!と思った。玉翔さん、熱演でした。

政岡は千松が刺されても平然としているという設定に一応なっているが、それでもちょっと目を逸らして伏せているのね。もっと真顔で「関係ありません」という顔をしているのかと思っていた。あとは率直に言うとやはり和生さんてただしゃがむとか、ただ立つとか、ただ歩くとか、そういうごくごく普通の所作が一番うまくて麗しいと思った。今回でいうと、作り込んだりせず、ごくごく普通の家事風に所作をこなしていく飯炊きの部分が良かった。クドキの部分は、すごくキッチリと清廉さをもって演技をされてるんだけど、感情の艶めきがあまりなくて折り目正しすぎる印象というか、どう見ていいか、ちょっとわからなかった。

 

先代萩、初日前までは初春公演で一番期待していた演目だったが、政岡忠義に配役されていた咲さんが休演だったのはかなり残念だった。12月の『鎌倉三代記』の感想にも書いたけれど、現状では気品ある女方の表現ができる太夫さんが限られていて、咲さんはそのおひとりだと思うので、それが欠けるのはかなり厳しかった。憶測だけど、休演はかなり前から決まってたんじゃないですかね。そういう状況で、女性役がうまい人が代役に指名されないのは良くも悪くも内部都合があるのだろうし、やってるほうも重々わかってると思うが、ちょっと厳しいんじゃないですかね。現在、女方人形遣いさんはタイプそれぞれ充実していると思うが、和生さんの人形のような品性と知性の輝きをそなえた女性を床でも表現できる方がもっと増えて欲しい。おためごかしでなく、お若い方の今後に期待している。

 

↓ 全段のあらすじ記事はこちら

 

 

 

『壺坂観音霊験記』。

「沢市内より山の段」の部分は過去に観たことがあったが、今回はその前に「土佐町松原の段」という前提部分がついていた。内容としては、茶店で壺坂観音の霊験のあらたかさについて村人ツメ人形ズが語らっているところにお里《吉田簑二郎》が通りかかり、ツメ人形ズがお里の容姿を褒めそやしたり、お里のような妻を得た沢市《吉田玉也》は果報者であると話したりするという段。あまり出ない段のようなので演目保持のために上演されたのだろうと思うが、率直に言って中身なさすぎて笑った。これは普段カットされるわなと思った。

それにしても開演したとき、『先代萩』とはものすごい落差の、人形の衣装のみずぼらしさにビビった。あとでお里が「貧苦にせまれど……」と言うが(それを旦那に面と向かって言うのがすごいが)、その通りの半端ない貧苦ぶりを感じた。セットの貧乏オーラもすごくて、文楽劇場はステージが大きいのでどんな貧家もどうしても大邸宅になってしまうと思うけど、沢市の家はまじヤバい化け物屋敷みたいな薄汚さ&薄暗いおんぼろぶりで、文楽の在所の貧乏住宅によくあるぜんまい柄のれんがやたら小汚いのが細かかった。

玉也さんの沢市は事前にイメージしていたよりかなりイケメン寄りだった。細いけど、どこか直線的で硬質な品と芯のある雰囲気が市川雷蔵系というか……。玉也さんだと洗練されているが洗練されすぎない、どこか土臭い雰囲気があるところがいい。沢市は浄瑠璃をそのまま取ると三味線の糸のような細腕の男という設定だが、華奢に映らないところとか。沢市は最後、目が治ってからはお里に頻繁に目をやっていたが、お里は全然沢市を見ていなくてメッチャ笑った。

お里は元気すぎ&自己完結しすぎで笑った。針仕事のところと最後の沢市の目が治ってからのところがものすごい元気いっぱい。いるよね、こういう人。関わり合いになるとうざいこともあるんだけど、心に全然影がなくて、周囲の状況が陰鬱だったりピリピリしているときに救いになるような人。正直なところ浄瑠璃が表現しているお里の人物像を人形が表現しているとは言えないと思うが、本当にこういう人が妻だったなら沢市も自殺しないと思うとともに、都合よく生きかえるオチもなんだかわかる(?)。私も簑二郎お里に嫁に来て欲しい。

そんな感じで、以前、にっぽん文楽で人形玉男さん×和生さんで観たときとは色合いがかなり異なり、配役によるものか、かなり素朴な雰囲気だった。玉也さんの砂土をはらんだ風と簑二郎さんのハチャメチャな色彩が普段ではありえない方向にマッチした結果だと思う。お里はダブルキャスト配役なので後期は勘彌さん、本来ならそっちが見たかったが阿古屋の重忠が前期玉志さんなので、前期を取ってしまった。東京公演なら2回見に行けば済むが、大阪公演だとよほどのことがなければ2回行くのは厳しい。今後このようなダブルキャストが繰り返されるなら対策を考えなくてはいけない。

あとは呂勢さん、浄瑠璃が御詠歌になる部分がうまくてよかった。

 

↓ 2016年10月のにっぽん文楽での同演目感想。


 

 

 

初日の鏡開きに行った。鏡開きのお人形はカムロチャン・シスターズかと思いきや、なんと和生さん&姫のご登場。カムロチャンの片割れの人形遣いさんを鏡割り30分くらい前に道端でお見かけして「こんな時間に来て間に合うの!? おっとり風の見かけによらず身支度が秒で終わるタイプの殿方???」と思ったら、そういうことだったんですね。和生さんは今年年男だそうで、技芸員代表挨拶では「どこまで頑張れるかわかりませんが、猛進でがんばりたいと思います」というお話をされた。簡潔で飾らないお話しぶりが爽やかだった。

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鏡開き前の関係者挨拶、去年は「お集まりのみなさんは技芸が確かな人のファンだと思いますが、未熟な人も応援してくださいっ」と襲名する2人を横にやばすぎる挨拶をしたえらいさんがいて笑ったが、今年は黒門市場のえらいさんが鯛のオスメス見分け方、35年前(文楽劇場開場当時)の鯛の水揚げ事情を語り出してめっちゃ笑った。鯛の話長ぇ。この人絶対文楽興味ないでしょ。そんなえらいさんのあいさつに、雛壇の袖で出番を待っている姫がそっと拍手&一礼しているのが可愛かった。和生さん、知らん顔してちゃんとノリノリなのが素敵です。

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文楽劇場のえらいさんからの挨拶では、今年は35周年記念事業として『仮名手本忠臣蔵』の3分割全段上演を行う話題が出ていた。通常カットする段や、いい加減になっている部分を直してすべて上演するということだった。確かに4月公演も国立劇場50周年記念通しには出なかった力弥上使も出るプログラムになっている。「いいかげんになっている部分を直す」というのはどの段を指しているのだろうか。なんにせよ、一切カットなしのフル上演なら、3分割も許容できる。実際、歌舞伎の国立劇場50周年記念では3分割して全段出していた。第二回公演以降のプログラム発表が楽しみ。

 

 

 

先代萩の休憩時間に「あの政岡の人って人間国宝なんでしょう? 見る人が見たらわかるのかな?」と話されている方がいらした。前後の会話からすると初めて文楽観に来た人。私は和生さんがうまいことは誰にでもわかると思う。私もはじめからわかったので……。先代萩は勘壽さんが一緒に出ちゃってるからわかりづらいのだろうけれど。しかし、当たり前のことながら、和生さんて人間国宝だから上手いんじゃなくて、和生さんだから上手いんだよなといつもしみじみ思う。

そんな和生さんはなぜか鏡開き挨拶のある初日より、通常通りの二日目のほうが髪型がキマって遊ばされた。あと今回は勘彌さんが本当に輝くばかりに美しい白髪で、マジ少女漫画に出てくる美貌の老人みたいと思った。人形よりキラキラしていた(ダブルキャストで妙閑だったんで……)。ああいう綺麗な長めの白髪はキープが大変そうだと思う。

 

 

 

 

*1:というよりかなりの役不足、その点は本当にかわいそうだとは思うんだけど……。

*2:そのほかの相違点として、文楽座現行では「政岡は鶴千代君の側仕えでいつでも殺せるはず」という旨への言及はなし

*3:この件、当たり前だけど、玉男さんも即気付かれたようで、振り返る途中から即直していらっしゃいました