TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

酒屋万来文楽『嫗山姥』廓噺の段 白鷹禄水苑

今年も西宮の白鷹文楽へ行った。

f:id:yomota258:20181027144400j:plain

 

嫗山姥……。すでに漢字が読めない。こもち・やまんば、と読むそうだ。滅多に出ない演目だからか、調べても出てくる要約が要領を得ないので、国会図書館のデジタルコレクションで全段を読んだ。

狂言全体としては、源頼光にその四天王が集まってくる過程を描く時代浄瑠璃で、今回の上演「廓噺(くるわばなし)の段」は二段目の「兼冬館」のこと。坂田金時(金太郎)が生まれるに至る過程が語られる。

廓噺の段」あらすじ

岩倉大納言兼冬の娘・沢瀉姫(おもだかひめ)は源頼光の許嫁であるが、頼光の不遇に伴い、文も来ずずっと会っていないため自殺したり病気になったりしかねない勢い。ヤバいと思ったお局様や腰元たちは寝ずの番をすることにして、[姫を元気付けるために座をおもしろがらせようと]屋敷の女子たちに人気の煙草売り・源七がやって来るのを待つ。
おりよく煙草売り・源七〈吉田文昇〉が屋敷の前を通りかかる。彼は実は坂田蔵人時行という武士であり、父の仇を追うために(追ううちにいつの間にか?)このような姿になっていたのだった。腰元たちに引っ張り込まれた源七は、かつてはさんざんな遊び人だったという昔取った杵柄で、廓で嗜んだ歌を館の女たちに三味線で弾いて歌って聞かせる。そのころ館の外では、紙衣の女〈吉田和生〉が偶然門前を通りかかり、源七の小唄を耳にする。その曲はかつて彼女が廓で松の位の太夫と仰がれていたころに、恋人・坂田蔵人時行と馴れ初めて作った替歌だった。どうしてこんなところに伝わったのだろうと思った女は、ありとあらゆる恋文の代筆を承ると、偽口上を大声で張り上げる。聞きつけた屋敷の腰元たちに招かれた女はまんまと奥座敷に上がりこむが、源七と顔を見合わせると互いに仰天。かつての恋人同士がこんな場所で、互いに変わり果てた姿で再会したのである。源七は気まずくなって退散するが、女は男のチャラついた様子に内心大激怒する。[その様子に何も気づかない姫君が]紙衣姿にもかかわらず只者ではない女の物腰佇まいに身の上を尋ねると、女は昔語りをはじめる。曰く……
わたしはかつては荻野屋八重桐と呼ばれた有名な大夫であり、水揚げのころから坂田某という男と言い交わした深い深い仲であった。彼をめぐる小田巻(こだまき)という傾城との決闘はそれはド派手で、廓中がひっくり返ってしっちゃかめっちゃかになるような上へ下への大騒ぎ。それによって男は親から勘当を受け、みずからは彼を追って廓を夜逃げし、浮名をとったものだった。
しかしその男・坂田蔵人時行は突如姿を消す。坂田前司であった彼の父・忠時が平政盛の家臣・物部平太に闇討ちにされたため、妹とともにその仇討ちに向かったというのがわたしをを捨てた理由とのことだったが……、はあ〜!? なんやその都合よすぎる話は〜!? 単に気持ちが冷めたということに変な屁理屈つけよってからに女房には袖乞に身を墜とさせておきながら自分はマトモに敵討ちをもせずチャッカリ若い女とじゃらじゃらじゃらじゃら三味線弾いていちゃつきくさってなめとんのかコラフザケンナ!!!!!!……あらやだ皆さんの前でお恥ずかしいわ……
……と、男への恨み辛みを語る。八重桐の身の上を哀れんだ人々[原文では姫君]は、むこうでもっとお話ししましょうと奥の部屋へ入っていくが、源七は八重桐を引き止めて先ほどの当てこすり話をなじる。しかし、逆に八重桐は父忠時の仇はすでに妹・絲萩が恋人と共に討ったと世間に噂が流れていると返す。その絲萩を匿ったがために頼光は平政盛・右大将清原高藤の讒奏によって勅勘され憂き目を見ている、いままでそれを知らずにいたとは情けないと嘆く八重桐。時行は驚きあわてふためくが、八重桐から安易な言動を強く諌められ、己の軽率さを恥じて切腹する。驚く八重桐に、時行は苦しみながらこう語る。彼女の諫言はもっともで、このまま生き永らえて恥を晒すことはできない。そのため、死んで八重桐の胎内に宿り、神変稀代の勇力の男子となって生まれ変わる。ともなって八重桐は飛行通力の山姥となって深山深谷に住まい、生まれくるその子を養育して欲しいと。時行が息絶えると不思議なことに傷口から焔が飛び出し、八重桐の口に入ると、彼女もまたその場に倒れる。
そこに突然数多の若侍が現れ館を取り巻く。彼らは高藤の命令で沢瀉姫を召しにきた使いだった。[大納言兼冬は、頼光という許嫁のある娘になんという無礼者か、姫は引き渡せないとして抵抗するが、公家侍たちでは高藤の家臣たちにはとてもかなわない。]ところがそのとき、倒れていた八重桐がムックリと起き上がり、姫に近づこうとする若侍たちをなぎ倒していく。八重桐は、我が身はすでにひとつではなく仇敵を討つことを願う夫の思念が宿った身であるとして、傍の木を片手で捻じ切る。その人間離れした剛力に高藤一派は恐れをなして散り散りになっていく。八重桐は姫君の行く末の幸福を願うと鬼女の相となり、屋根も塀も町も雲も飛び越えて、どこかへ消え去るのだった。

*今回の上演では[]部分はカット。人材的な理由から人形が出せないため姫君は座にいないという設定にしているようだったが、本公演では姫ありで上演されている。

八重桐はこの後、足柄山に住まい山廻りする山姥となり、10ヶ月の後に快童丸という男の子を産む。甘えん坊の童子ながら暴れ熊を倒すほどの勇力をもつ彼を見初めた源頼光坂田金時と名付けて四天王のひとりに加えるというのがこの後の四段目の内容。ちなみに二段目で碓氷貞光、三段目で卜部季武が四天王に加わる。渡辺綱は譜代の家臣なので最初からいます。

↓ 全段の原文。おとぎ話風であまりに素直な話なのですぐ読めます。
国立国会図書館デジタルコレクション『近代日本文学大系 上』誠文堂、1933
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258716/465

 

 

 

と、前置きとあらすじが長くなったが、実際の舞台はとても華やかなものだった。

八重桐は、小幕からトボトボと登場するときにはうらぶれた落魄の美女。源七の歌声を聞いて座敷に上がり込もうと「遊郭の祐筆(=代書屋)」のふりをするときには強気のハッタリをきかせる山師風。大納言の座敷に上がって人々の前で廓噺(しゃべり)を披露する姿はまさに虚々実々の錦金襴に彩られた傾城。源七と二人きりになると、いまなお彼を愛するがゆえ涙ながらに夫の情けなさを諌める世話女房。源七の魂魄を胎内に宿したのちは人外の怪力を見せる“山姥”と、女性の持つさまざまな側面をクルクルと見せていく。この「クルクルと見せていく」というのが普通にはきっと難しくて、あくまで八重桐ひとりがその心情によって姿を変えている(ように見える)だけであり、全部別の人物になってはいけないんだけど、それを和生さん・津駒さんの力ですばらしく華麗に演じられていたと思う。個人的には今回のキャスティング、和生さん・津駒さんって不思議な組み合わせに感じられて、和生さんはケレンに傾かない幽玄な渋さ、津駒さんはケレンもありえる華やかさをお持ちのイメージがあるので「合うのかな?」と思ったけど、不思議なマッチングを見せていた。なんだか、精巧につくられている金細工みたいな感じ。一見キラキラしてて派手なんだけどつくりが華奢で、確実な技術で作られているのがわかる。みたいな。なかなかおもしろい組み合わせだった。

津駒さんの次々と表情を変えていく八重桐がとてもよかった。これ本公演で出たら太夫どんだけ分割するのかわかりませんけど、今回のように一本通してってなると語れる人は相当限られるだろう。並大抵では女性の内面変化による外面の変化という課題を語れないはず。過去の記事で津駒さんには尼ヶ崎とか大物浦とかみたいな義太夫らしい雄大な演目を語って欲しいと書いたけど、やっぱり女性登場人物が中心になる演目にもいっぱい出て欲しい(強欲)。

廓噺では八重桐が背負っていた小さい荷物一個だけを小道具に、盛りに盛りまくった大ボラ話を吹きまくる。これが可笑しい。時代物で武将などの男性登場人物がよくやる「物語」を一般女性(?)がやっている状態で、人形がにょんと伸び上がったり縮こまったり、荷物をポインと投げたりと、身振り手振りで回想の内容を説明する。物語は結構長いので演技や語りが単調になると途中で飽きてきて集中力が切れるところ、演技も語りも派手派手な「ぜって〜ウソだろっw」という大ボラ話に引き込まれた。ネコを咥えて走り去る馬並みのネズミ、小道具で出して欲しかったですね!

八重桐が山姥になる場面では、衣装のぶっかえり(黒地に虹色の文字の刺繍→クリーム地に赤・緑の蔦の刺繍)があり、ますます華やか。とはいえ和生さんは過剰な派手さを抑え、シブくキメていらした。絵金の芝居屏風絵みたいな原色のギラギラとした派手さではなく、それこそ国立博物館が所蔵している国宝日本画屏風なのが和生さんの持ち味か。花四天に桜の枝を持ったツメ人形と扇で渡り合うのが舞を見ているようで美しかった。ガブの目は赤いガラス玉でできたような、血が満ちたような大きな目で怖かった。

頑張って早く行ったので(先着順自由席制度)舞台至近の席が取れたため、どういう手順で舞台を進行しているのかもよく見えたのだが、八重桐はこのぶっかえりの直前に人形を交換していた。前半は普通の娘のかしら・衣装、後半は髪をさばく仕掛けをしたガブのかしら・ぶっかえりの仕掛けを仕込んだ衣装に差し替えているらしかった。はじめから仕掛けのあるかしら・衣装で進行しているのかと思っていたので、意外だった。八重桐はよく動くので、物語の最中等に仕掛けが外れるのを防ぐためだろうか。あとは流石に大道具さんが演目に慣れていないのかうまく進行できていない部分があり、八重桐の左遣いさんが左を遣いつつもタイミングを指示していた。たぶん、玉誉さんかな? 左遣いは大変だと思った。

源七は、冒頭で廓の小唄をうたう。床本や原文には歌詞が載っていないのだが、腰元から三味線を借りて何かの歌をすこし弾き語りをする。男の人形で三味線を弾くのは珍しい、のかな。でも、正直もうちょっと頑張ってほしかった。弾き方がかなりぎこちなくて、幼い子供の手習い風になっていた。師匠についてではなく、遊郭の客として見よう見まねで遊びで弾いていたのだから、その程度という解釈でいいのかもしれないが……。源七はもうちょっと詰めたり工夫してほしい部分が多く感じられた。

 

 

 

しかしそれにしても、あの会場のような、プライベートサロンのような普通の空間に突然和生さんの人形がいると、ものすごく浮いている。文楽劇場国立劇場等だとやはり劇場空間であるし、出演者は「舞台」という台に乗っているので、客席とは異なる時空を持っている。あっちは南北朝時代や江戸時代。こっちは21世紀。舞台の段と手すりが完全に世界を仕切っている。映画のスクリーンの中に入れないのと同じように。しかし、この会場は、舞台と客席の区切りが膝丈程度のうすっぺらい仮手すりだけ。段差はなく、人形や人形遣いまでの距離は1mを切っている。手すりぎりぎりにまで近づく人形は、こちら側にはみ出してくる。そういう、あっちとこっちの境目がきわめて曖昧な、ごく普通の日常と繋がっている状況の中、ことに和生さんの人形、そこだけ空間が異様というか……。

そういう空間で人形を見ると、なんだか不気味なのだ。もっと率直な言葉で言えば、気持ち悪い。見てはいけないものを見てしまった気分。和生さんの姿はほとんど見えない。ただ中空に、普通の人間の三分の一ほどしかない、真っ白な顔の人間?が歩いている。私は幽霊やあるいは魑魅魍魎というものを見たことがないし存在しないと思っているが、もしそれらを見ることがあれば、このように見えるのではないか。いや、もしかしたらそれは逆かもしれない。私たちは彼女の存在に気づいているけど、彼女は私たちの存在には気づいていない。彼女は彼女の時間と人生を生きていて、それを私たちが覗き見ている。本当は生きていないのは私たちで、生きているのは彼女で、彼女の人生を勝手に窃視しているのかもしれない。そう思わせるような、不思議な空間のねじれがあそこにはあった。

ただそれはやっぱり人形遣いの技量に大きく左右されるものであって、技量がそこまで達しない人ではそうは見えない。怖いことです。(突然の生徒会長as津駒サン口調)

 

 

 

あとまじで全然どうでもいいことですが、津駒さんって語っているとき、見台にキュウと手をついて、グイグイジリジリ押してますよね。本公演で床の真下に座ると、津駒さんが見台を落としそうで浄瑠璃とは関係ない次元でハラハラするが(しかし津駒さんはある程度押して出語り床からはみだしそうになると、ひょっと引っ張って戻すのである)、今回もグイグイジリジリ押しておられ、なかなかの具合で床からはみだして、しかも下には緋毛氈が引いてあるので、滑って落ちそうでまじでドキドキした。そして、床本にはやっぱり何かがビッシリとメモしてあって怖かった。行間に何か心覚えが書いてあるとかそういう次元じゃなくて、ページのはしっことかに三味線の譜のようなめちゃくちゃ細かい図解みたいなのが書いてあるの。稽古の講義ノート状態になっているのだろうか。それと本当にどうでもいいけど、津駒さんっていつも本当汗びっしょりで語っておられるけど、今回、近くで見たら、人間が顔から垂らすことができるありとあらゆるものが垂れているようでおもしろかった(クソ失礼)。

三味線さんの膝もと、本公演では位置が高いのであまり見ることができないが、今回の会場は仮床が低いので客席からもよく見えた。藤蔵さんは練り香水の入れ物のような小さな丸い缶を膝下に置かれていて、それは滑り止めの粉が入っているようだった。緋毛氈や袴の上に白く細かい粉がパラパラと鮮やかに落ちていた。三味線も太夫と同じく、クルクルと変わる八重桐の表情や情景に合わせて色とりどりに変化してゆく。山姥になってからの立ち回りにはツレ弾きも加わり、華やかな演奏だった。太夫さんは演奏中は床本を見ているからいいけど、三味線さんは客席と座る高さが近いと目線の置き所が大変そうだと思った(立ち回りのところなどで間尺を人形に合わせるのに手すり側を見ると、床を見ているお客さんと目が合う等)。

 

 

 

第二部は和生さんのお話会。以下、簡単だがまとめ。

(下の写真は休憩時間の八重桐さん。ぶっかえりの後なので髪や衣装が乱れている。ポニテ部分も紙衣風に、文字を書いた髪で結っている。このあと和生さんがやって来て衣装を整えておられました。)

f:id:yomota258:20181027161837j:plain

  • 『嫗山姥』は本公演ではあまり出ないんですけど……、コレ、金太郎さんのお母さん(横に立ててあるお人形サンを知り合いかのように紹介)。 上演はこの段しかやらないので、このあとどうなっているかは、ぼくらは研究者じゃないので詳しくは説明できません。といつも言うようにしています(笑)。
  • 八重桐の紙衣の衣装は、ぶっかえりで引き抜きをする仕掛けがある。「紙衣(かみこ)」というのは紙でできた着物という意味で、貧乏の表現。手紙の和紙を貼り合わせて作ってある。これは芝居の衣装なので文字部分が豪華な刺繍になっているが、本当は紙に墨で書いてあるということ。紙衣はいまでも東大寺のお水取りでお坊さんが着ている。最初は硬いが、しまいには柔らかくなってくる。あったかいそうです。お水取りが終わったら信者の方がいただくことになっているらしいが、わたしも「おひとついかがですか」と言われたけれど……、持って帰ってどうなるんやろなぁ〜……(笑)。ほかに紙衣を着ている代表的な人物は、『夕霧阿波鳴渡』(廓文章)の伊左衛門。これは「こんなに手紙もらうほどモテたんやで〜」ということですね。八重桐もかつては傾城を張っていたので(同じことでしょう)。
  • (側に立てていた八重桐の人形から、かしらを引き抜いて説明)八重桐が山姥になる場面では、ガブのかしら(赤目)を使う。これはこの演目専用のかしら。ガブにはツノがあるものとないものがあるが、『嫗山姥』の八重桐は人間なので、ツノがないものを使う。『日高川入相花王』渡し場の段の清姫は化け物なので、ツノありのガブを使う(どういう基準でツノ有無を決めるかの説明があったが記憶あいまい。清姫浄瑠璃の中に「♪鬼になった、蛇になった、ツノが生えた、毛が生えた」とあるので、そりゃツノ生えるか)。ガブのかしらは、正面から見ると普通だが、胴串の後ろ側に小ザル(引き栓)があり、これを引くと表情が変わる。(かしらを下に向けてざんばら髪で顔を隠し、引き上げると鬼女になるというガブの変化を実演)(もう一度見たそうなお客さんを見回して)……あんまり何回もしないぶん値打ちがあるんで(笑)。
  • これは大江巳之助さん作のもの。焼印が胴串に入っている。以前、京劇等との国際交流シンポジウムがあり、そこでガブのかしらを紹介したら大変驚かれた。2〜3年してまたお会いしたら、おんなじような仕掛けのものができてましたねぇ(笑)
  • (質問:髪をさばく人形は毎日結っている? 大変なのでは?)髪をさばく役は、終わったあと床山さんに預けて、翌日の開演までに結ってもらう。時間はかかるが、毎日やっていることなので、そんな大変なことではない(作業には当然時間がかかるが、お互い仕事だからやって当たり前というニュアンス)。一番大変なのは、公演前。演目とかしら割りが決まったら、舞台稽古までに多数の人形を全部作ってもらわなくてはならないので。文楽の場合、人形の髪に水油を使うことはできない。顔に油がついてしまうと胡粉が浮いてきて、塗っても塗ってもなおせなくなってしまう。水だけで結っているので、技術的には大変高度なこと。
  • 人形の髪は、かつら単体として仕上げてから役者さんが被る歌舞伎のかつらとは異なり、人形の頭に釘で髪の毛のパーツをいくつか固定してから結っていく。人形の毛髪は、人毛とヤクの毛(しゃぐま)でできている。ぜんぶ人の毛でやるともつれてくるので、適宜ヤクの毛を混ぜて使う。原料になる人毛は相当長くないとカツラにはできないので、みなさんの髪では無理だと思う。人毛の仕入れ元は、中国に大きな人毛の市があり、そこにはいろんな毛が大量に出品されいて、そこで仕入れてくる、らしい、です。
  • オーストラリア公演のときは大変。オーストラリアは入国時の持ち込み物に非常に厳しい規制があるため、このように人毛・獣毛を使っている人形、動物の皮・象牙を使っている三味線等はおもいっきりひっかかる。なので、「プラスチックとナイロンでできています!!」と言い張る。……向こうもわかってると思いますけどね(笑)。
  • (質問:なめらかな動きはどうのようにやっているのか?)……いや自然に動かしてます(笑)。引き具合、手首の加減、それ以外複雑なことはない(和生様にしか言えないコメント)。仕掛けとしては、うなづきの糸が人形の命なので、舞台で切ると人形遣いは目の前が真っ暗になって「どないしょう!?!?!?!?!」と思う。うなづきの糸は三味線の糸でできていて、細い繊維を撚りあわせてあるので丈夫なんですけど、切れるときは切れる。最近はなるべく早く交換してもらうようにしている。ぼくも2回くらい舞台で切ったことがある。お客様にばれてはいけないので、なんとかわからないようにする(ごまかし方は教えてくれませんでした)
  • (質問:着物の下に着ているワイシャツのようなものは?)これは襦袢です。腕が見えると生々しいので、人形遣いは襦袢を着て、手袋をつける。綿なので、汗をよく吸います。
  • (質問:人形の寿命は?*1かしらは、半永久的というたらあれやけど……、50年60年は使える。さっきもお話ししたように、髪をつけるために頭に釘穴があいたり、肌が胡粉を塗ってもひび割れたりしてきたら、修理する。肌は、濡れ手ぬぐいを巻いて一晩置いておくと化粧の胡粉がつるんとはがれるので、もう一度紙を貼って胡粉を塗り直す。頭にあいた釘穴には、補修剤を埋め込むというようにしている。いま文楽で使っているかしらには古いものだと江戸時代のものもあるが、手入れして使っている。衣装は、舞台で使っているうちに照明によるヤケが起こったり、人形遣いの肌に触れる部分が汚れたりするので、衣装さんが適宜交換する。わたしらは衣装は消耗品やと捉えています。でも、衣装さんから「新しい衣装ができたからどうぞ」と言われても、実は硬くて遣いにくい。人形遣いは新しい衣装を嫌がる。織物、刺繍が入った縫い物は特に硬い。何回か使って、「手につくようになって」から、使うのがありがたい。
  • (質問:この人形が可愛いというのはあるのか*2この子が可愛いとかはない。わたしたちにとって人形は道具ではあるけれど、大切にしています。特にこの役でどうこうというのはない。文楽劇場が所有するかしら以外に、技芸員が個人で所有しているかしらもある。なぜ個人所有のものがいるかというと、「必要にせまられて」自分専用のかしらが欲しくなる。それは、胴串が自分の手や指の長さにあったものが欲しいから。ひとりひとり、手の大きさや指の長さは違うのに、文楽劇場の所有物だと「標準サイズ」になっている。女方は立役より手元で繊細な作業をしなくてはならない動きが大変多いので、自分専用のものがどうしても欲しくなる。女方だとかしらの種類もだいたい娘か老女方で少ないので、立役のように文七・団七・孔明・源太etc.と多数の種類を揃える必要もなく、自前で用意しようと思えば用意できるというようなニュアンス)
  • (質問:後継者養成に関する考えは?)弟子は、国立劇場の養成課程(研修生制度)か、直接入ってくるかの2通りある。技芸員の適正人数というのが難しい。一世代で固まっていてはいけなくて、満遍なく散っていれば世代交代ができる。今日も若い子が介錯やらで出ているが……、5〜6年ではラチあかん。20年、30年というサイクルになる。……よく言うんですよね……。いいか、悪いかは、20年30年経たないとわからない。でも、50歳近くになって「おまえ、アカンなあ〜」と言われても、遅いやなぁ……。(芸人としての出来というのは)持って生まれたもの、努力、いろいろなものが噛み合っての話。
  • (質問:人形も歌舞伎のように「見得を切る」ことがあると思うが、そのときはやっぱり「キマった!!!」と思うものなのか?)歌舞伎のように大向こうから声がかかるような「間」はウチにはない。ウチは太夫三味線があってやってますから。ときどき掛けていただくこともあるが、「いいとこに掛けていただく」ようになっていないので……。
  • (質問:八重桐が出てくるときの歩き方が印象的だったが?)あれは、トボトボ歩いているんです。ウチは、横幕開けて出てきて、正面なおるまでが勝負やと言われている。その人物になりきっての歩き方です。
  • (質問:人形遣い3人で人形を遣うにあたって、主遣いから出てるサインを見て左・足は遣っていると聞いたことがあるが、そのサインは全員共通なのか?)基本は同じだが、人形遣いによってクセがあり、全員違う。合図がわかりやすい人、わかりづらい人がいる。どんな人の左・足にでもいけるようにならないかん。(誰の足にもいける=入れるようにというのは、単に勉強のためというざっくりした話ではなく、各先輩の個性を見極め臨機応変に対応する能力を積まなくてはならないという実務的なニュアンス。)
  • (質問:汗だくになって遣っている人形遣いさんがいるが、汗はいつ拭いているのか?)拭きません(キッパリ)。両手ふさがってますから、拭けないんです。左や足は頭巾を被っているから、より大変。足遣いのときがいちばん大変で、左遣いはじ〜っと立ってるだけやからエエなあと思うんですけど、左になったらなったで大変なんです。*3
  • (質問:人形遣い太夫・三味線とが打ち合わせをすることはあるのか?)しません。よほどの事情(人形の待合等の特殊な演出)がない限り、人形遣いから太夫三味線に注文つけることはまずない。お互いの立場には入らない。ウチは三権分立(笑)でやってますので。むこうさんが語る寸法に合わせるように出します。やから、時々、歌舞伎は羨ましいなぁ、役者が自分の間ァでできてエエなぁって言ってます。
  • (質問:肩衣のつける・つけないはどのような決まりがあるのか?)そのときそのときの演出による。肩衣だけでなく、顔を出すか出さないか(黒衣で演じるかどうか)も演出によって決まり、どんなえらい人でも黒衣で遣うことがある。えらいから出遣い、ということではない。
  • (質問:人形遣いは無表情で遣わなくてはいけないので大変だと思うが?)無表情で遣うのは難しい。人間なので、一生懸命やろうとするとどうしても表情は出てしまう。でも、人間の顔は人形の顔より大きいので、表情が出てしまうと人形遣いのほうが目立ってしまい、いけない。だからと言って何も考えずに遣うと、味気なくなる。表情以外に気をつけなくてはいけないのは、人形より先に人形遣いの目線がいってしまうこと。慣れないうちはぼくもよく言われた。だから、本当は頭巾を被って遣うほうが「ラク」。人形遣いは、顔は関係ないですから。
  • (質問:現在の人形遣いの人数は?)技芸員全体では三業合わせて80人くらい、うち人形遣いは40人くらい。これも「適正人数」が難しい。芝居(一公演)の役の人数はだいたい決まっていて60人(役)前後、多くて70くらい。増えすぎても役がまわりきらないし、少なすぎても走り回ることになってしまって大変。
  • (質問:踊り等は習っているのか?)手ほどき程度は受けている。研修生は養成課程で習っていて、講師には山村友五郎さん(上方舞の家元)に来て頂いていて、すごい人に教えてもらっとるんやでぇと言い聞かせている。これも難しくて、習うのはいいけど、人形遣いが踊っているようではいけなくて、人形に踊らせなくてはいけない。踊るのは人形であって人間ではない。
  • (質問:舞台で涙ぐんでいる人形遣いを見たことがあるが、そういうこともあるのか?)舞台で涙ぐんでしまうことはある。人間ですから。話の展開に思い当たることが出てきたり……(笑)。でも……、もう亡くなったから言いますけど……、今度、中将姫が出ますね(次回11月公演第2部『鶊山姫捨松』)。師匠(吉田文雀)が中将姫の役に当たったときに、上演直前に「おかみさんが亡くなった」という知らせがきて……。芝居の中に「西に向かって手をあわせ」というくだりがあって、こんなときにこんなことを言う場面を演じなくてはいけないなんて……、と。でも、歌舞伎でも「親の死に目にあえるような役者になったらいかん、親の死に目にあえない役者にならなあかん」というでしょう。わたしらもそれと同じやと思っています。
  • (質問:和生さんが一番悩んでいた頃というのは何歳くらいの頃だったか?)悩んでいるのはいつも。特にいつ悩んでいたという、そんな意識はない。一芝居、20日やればまた次の芝居が来る。エンドレスでやらなしゃあないなあという世界なので。いただいた役をどうやっていくか……。以前、文雀師匠が画家の奥村土牛先生(多分……聞き違いだったらすいません)に「人形の絵を描きたいから」と頼まれて、じゃあ体調の良いときにということで、東京公演の翌日などにご自宅に伺って、手伝いをしていたことがあった。先生が80〜90歳ごろの10年間くらい。そのとき、あんたらはパーッと舞台に出てきて、その一瞬さえよければいいからええなあとよく言われた。帰ってから、あんな何百万の価値がつくような絵描く人がって、師匠とよく話したが……。先生、せやけどわしらはその一瞬で判断されてしまうんです、先生みたいに絵がずっと残って、同じ人がまた10年後に見て感じ方が変わるというのとは違うんです、と言ったりして。そのとき先生と話していたのは、「芸術はいかに偉大な未完成で終わるか」ということ。そういうことやと思います。
  • (質問:舞台上のトラブル等で、内心大焦りしたことはあるのか?)トラブルはしょっちゅう! 左が(良いタイミングで)出なかった、足が出なかった、自分が(演技)抜けたり。相手がミスして、終わってから「あれな〜(笑)」と言い合ったり。今日はうまくいったけど、「あああ〜〜っ!!!」というときもあるし。映像で残っているのがベストの演技というわけではない。新聞記者さんが来ると、よく「おもしろいネタなんかないですか?」と聞かれるが、おもしろいネタは毎日ある。だけど、芝居の内輪で通じても、外の人がおもしろく感じるかは、別。
  • (最後に司会者からの「狭い場所での上演で」というコメントに)今回は舞台が狭いので、舞台構成や大道具どうしようなあと悩んだ。ツメ人形も本来4番でやるところ2番でやった。

 

 

「(人形遣いも)人間ですから」というお話が何度もあり、印象に残った。たしかにみなさん人間なので、体調や気分の好調・不調というブレが生まれるのは仕方ないだろう。でも客は基本一度しか観ないので、不調のときに当たるとその人の評価は下がる。そこでいかにパフォーマンスを安定させることができるのか……。安定度が高い人はどうやって高水準をキープしてるんでしょうか???

人形より先に自分の目線が動いてしまう人形遣いさん、上のほうの人でも結構いますよね。あっ、あの人形つぎこっち向くな、ってわかっちゃう人。あれってやっぱりダメだったんですね。もちろん、そういう人であっても、それが大きな傷にならないくらい上手い方もありますが……。顔の向きをFIXさせている人のほうが、ご本人の視界は制限されるだろうけど、人形の次の行動がわからないので、客としては面白みがある。このことは、先日の『良弁杉由来』の上演資料集の文雀師匠の談話にも書いてあったな。

和生さんは途中から八重桐のかしらだけを手に模範演技等をされていたのだけど、うまい人だと首しかなくてもからだがついてきているかのように見えるんだなーと思った。首だけなのに首だけには見えないというか。人形遣いが踊るのと人形が踊ることの違いを自分が踊る→人形(かしら)が踊るという切り替えをして見せてもらえたのだけど、なんかものすごく納得した。

 

 

 

全体の感想としては、昨年と同じになるが、プライベート空間風の上演で濃密な時間を味わえて楽しかった。出演者と観客の距離が不思議に近い、文楽ならではのイベント形態だと思う。個人的にはやはり超至近距離で演技中の文楽人形を見られるというのが最大の魅力。やっぱり、なんか、そこに、ちょっと、ちっちゃい人がいる、って感じに見えるんだよね 。

運営に関しては、前置きの話は手短にして欲しい。主催者はたぶん文楽より能に興味があるんだな〜という内容になっていた。気持ちはわかるけど、和生さんが準備して待ってはるからさ……。そして、席取りを禁止するなら入場後場内整理を行うほうがいいと思う。席取り禁止は昨年にはなかった禁止事項なので、おそらく何らかのヤバいトラブルがあってそのような注意を盛り込んだんだと思うけど……、結局席取りしている人がいて、近くの席の人がおこだった(わかる)。

 

↓ 昨年の感想

 

 

  • 第十一回 酒屋万来文楽
    白鷹禄水苑[兵庫県西宮市]
  • 『嫗山姥(こもちやまんば)』廓噺の段
  • 竹本津駒太夫/鶴澤藤蔵・鶴澤清馗/吉田和生・吉田文昇・吉田玉勢・吉田玉誉・吉田玉翔・吉田玉路・吉田和馬・吉田玉延・吉田和登
  • https://hakutaka-shop.jp/event/bunraku/

*1:この質問者のお客さん、人形は都度の組み立て式ということをご存じなくて、役ごとに個体の人形として存在すると思っておられるのかも?という口調だったので、和生さんに質問の意図が通じていなかった気がします

*2:この質問者のお客さんも同上。

*3:ここは和生様に代わりまして玉男様ウォッチャーの私がご質問にお答えしましょう。玉男様は「新陳代謝がよくて遊ばされるのね……💕とっても長生きしそう💓」って感じにいつもめちゃくちゃな汗だくになっておられますよね。ご本人は本気で困っておられるであろうことは重々承知ながら、よく汗が目に入って(><)(><)(><)とおめめシパシパになって遊ばされるのがファンとしたしましてはまことに胸キュンでございますが、太夫三味線交代で間ができて人形が後ろを向いたときや、演技上、屏風のうしろ等に入って姿が見えなくなる(人形遣いがかがむ)時などにそっと汗を拭いておられることがあります。人形を離せるか離せないかによって、介錯の方が拭いている場合、ご自分で拭いている場合があります。あと、本公演ではまずないですが、レクチャー公演等の場合は懐に手ぬぐいをしまっておられるのが見えるときがあり、トークパートに移ったときなどにそれで汗を拭こうとされるのですが、ひっきりなしに司会者が話しかけてきてなかなか手ぬぐいを取り出せず、汗ボッタボタになっておられることがあるのがますます胸キュンです。公演中は白ですけど、このような特殊な場では上品でおしゃれな手ぬぐいを持っていらっしゃる場合がありますね。あっ、それとはまったく関係ないですが、燕三さんがオフ(舞台以外)で使っておられる手ぬぐいはツバメ柄なのでみなさんぜひ注目してみてください。かまわぬで春シーズンに出てるやつだと思います。私も同じものを持っているので。燕三さんはノートもツバメノートでまじ最高やと思います。つば九郎のぬいぐるみをお贈りしたいですね。以上、キモヲタの早口トークとしてものすごい速度でお読みください。