TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 10月地方公演『義経千本桜』椎の木の段・すしやの段・道行初音旅『新版歌祭文』野崎村の段 神奈川県立青少年センター

今年の地方公演は『義経千本桜』が昼夜またぎの「気持ちだけ半通し」風。

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昼の部、『義経千本桜』椎の木の段。以下三段目だけあらすじをまとめる。

平家滅亡後、維盛を探して高野山を目指し旅を続けるその妻・若葉の内侍〈人形=吉田勘彌〉と子息・六代君〈桐竹勘次郎〉、そして家臣の小金吾〈吉田簑紫郎〉は、金峯山にほど近い吉野・下市村にやってくる。六代君が持病の腹痛を起こしたため、一行は道端の茶店で一休みし、茶店のおかみ・小仙〈桐竹亀次〉とその息子・善太〈吉田簑之〉に頼んで薬を買ってきてもらうことに。その間、六代君の気を紛らわせようと、小金吾は近くの椎の木から落ちた実を拾って遊んでやる。

そうして三人が椎の実を拾っているところへ、旅姿の荒っぽい男〈桐竹勘十郎〉が通りかかる。彼は地面に落ちている実は虫食いだと言って椎の木に石を投げつけ、新しい実をたくさん落として六代君を喜ばせる。ほどなくして男はその場を立ち去るが、小金吾は床机に置いておいた自分の荷物を間違って男が持っていってしまったことに気づく。慌てて追いかけようとしたところに男が戻ってきて粗相を詫び、小金吾は中身を改めて巻物の無事を確認し安心するが、逆に床机へ置き忘れた荷物がほどかれていることに気づいた男は、中に入れてあった二十両がなくなっていると大騒ぎする。執拗に難癖をつける男の侮辱に耐えかね血気に逸る小金吾だったが、若葉の内侍に引きとめられ、あきらかに騙りであることはわかりつつも二十両をその男に投げ与え、一行は茶店を後にするのだった。そこへおかみの小仙と善太が姿を見せる。実はこの二人は旅姿の男・権太の妻子であった。夫のあまりにあさましい所業に悲しみ嘆く小仙だったが、善太にサイコロ遊びをしてやる権太は取り合わない。しかし善太に甘えかかられ、さすがの騙り者も子どもには弱く、手を引かれて家に入るのだった。

なぜ清治サンがここに出ているのか問題はあるにせよ、やっぱりめちゃくちゃ上手いよなと思った。ヘンなところに出現しているぶん、それが際立つ。ある意味贅沢ではある。私がルートヴィヒ2世ならきっと清治サンに一日中「わりかしどうでもいい段」を弾いてもらうね。

 

 

 

すしやの段。

下市でも有名なこの鮓屋には、美しい看板娘・お里〈豊松清十郎〉目当ての客がきょうもワラワラたかっている。母〈桐竹勘壽〉とともに店の後片付けをするお里は、恋する奉公人の弥助と明日にでも祝言させるという父の言葉に気もそぞろ。そうこうしているうちに、空の鮓桶を客先から片付けてきた弥助〈吉田玉志〉が帰ってくる。弥助はかつてこの家の主人・弥左衛門がある日どこからか連れ帰り、弥助という店主の名跡を譲ってまで大切にしている男である。そして彼もまたその恩義に応えてお里やその母に尽くしているのであった。この弥助とお里が鮓桶を棚へ片付けているところに、あの騙り者の権太がやってくる。実は権太は勘当されたこの家の総領息子であった。権太はお里と弥助を追い払うと、代官所におさめる大切な年貢金を盗まれたから死なねばならないとアカラサマな嘘をつき、心配した母からまんまと金をせしめる。その権太が鮓桶に金を入れて店を出ようとしたところにちょうど弥左衛門〈吉田玉輝〉が帰ってきたので、極道息子は仰天。大慌てで金を隠した鮓桶を棚に置いてカモフラし、ひとまず姿を隠すのであった。

戸口で大騒ぎしている弥左衛門の声に、引っ込んでいた弥助がやってきて彼を中へ入れると、老隠居は鮓の仕込みができているかと鮓桶の棚をガサガサと確かめる。そして周囲に誰もいないのを確かめて弥助を上座へ座らせ、弥助=実はその正体は三位中将維盛……、その父・重盛からかつて受けた厚い恩を語り、父や一族の栄華を思い出した維盛もまた涙を流す。弥左衛門はお里が奥の間で寝支度をしている気配に気づくと、はっといつもの老隠居に戻り、今夜は老夫婦は離れで寝るので、お里と弥助はここでゆっくり休むといいと言って姿を消す。

お里は弥助と晴れて夫婦となれることを無邪気に喜んでいたが、維盛は都に残した妻子を思い、お里とは夫婦にはなれないと考え思い悩む。そのとき、店の戸口を叩き一夜の宿を乞う声が。維盛はこれ幸いと立ち上がり訪問者を断るが、外の様子を見るとなんとそこにいたのは小金吾を喪って行末に迷う若葉の内侍と六代君であった。若葉の内侍は維盛の町人姿に驚き、また奥の間にお里の寝姿を認め、都の妻子を捨て置かれるとは無慈悲であると嘆くが、維盛はあの娘とは匿ってくれた弥左衛門への恩義のための仮の契りと答える。それを聞いていたお里はわっと泣いて飛び出し、弥助の正体が維盛と知っていれば畏れおおく恋をすることも出来なかったのにと身を震わせて嘆く。維盛と若葉の内侍はお里の嘆きはもっともと涙を見せるも、そこへ村の役人がやってきて鎌倉よりの上使・梶原平三景時がやってきたことを告げる。お里は切腹しようとする維盛を引き止め、その妻子とともに弥左衛門の隠居屋敷へ送り出すのだった。

それと入れ替わりに権太が勝手口から姿を覗かせ、三人を捕まえて梶原へ突き出して報奨金をせしめてやると意気込む。必死で引き止めるお里を蹴倒し、権太は外へと駆け出していく。お里の叫び声にが慌てて戻ってくる弥左衛門と母。弥左衛門は極道息子を引き止めるべく脇差を腰に飛び出そうとするが、そのとき提灯を掲げた雑兵の先導で上使・梶原平三景時〈吉田玉助〉が姿を現わす。梶原は、匿っている維盛の首を渡すかそれとも違背に及ぶか返答せよと弥左衛門に強く迫る。応じて弥左衛門が既に維盛の首は討ったと棚に置かれたあの鮓桶を取り出したので、権太に与えた金が入っていることを思い出した女房は大慌てで止めに入る。その中にはわたしの大事なものが、いやお前は知らないがこの中には維盛の首と言い合い揉み合う夫婦、梶原平三は一家もろともに縛れと命じるが、そこに権太が「維盛夫婦とその子供を生け捕った」と猿縛りにした女子供を縄につなぎ引き連れて戻ってくる。

父弥左衛門が熊野浦から維盛を連れ帰り、月代頭の若造に化けさせ婿にしつらえようとしたいきさつを語って梶原平三の前に維盛の首を差し出す権太。梶原は権太の働きに満足し、親の命を助けるより金をという彼に陣羽織を脱いで与える。そして、その羽織は頼朝公より授かったものであり、鎌倉へ持っていけば報奨金を受け取れる手柄の証と告げるのだった。梶原平三は内侍と六代君を連れて悠々と去っていくが、それを見送る権太の横腹に弥左衛門が脇差を突き刺す。

驚き駆け寄る女房に弥左衛門は、嫡男のあまりの悪行に勘当し敷居をまたがせるなと言いつけておいたにもかかわらず家内に引き入れ、結果権太は維盛を殺したばかりかその妻子を鎌倉方に売り渡すという所業に及び、そのために自らは実子を殺す羽目になったことを嘆く。しかし瀕死の権太は「父の力では維盛を救うことはできなかった」 と言い、傍の鮓桶をひっくり返す。するとそこからこぼれ出たのは母が彼に与えた金。驚く弥左衛門に権太はこれまでのいきさつを語る。

曰く、息子の性根の悪さに維盛を助ける手段を相談することもできず、討死した小金吾の首を月代も剃らずに梶原ほどの者へ渡そうとするとは、あまりに見通しが甘い。母にねだって受け取った金は実は維盛一行の路銀にしようとしたものであり、それを維盛に渡そうと鮓桶を抱え追いかけたが、中から出てきたのは父が鮓桶に隠していた小金吾の首。 取り違えたを幸いと取り、月代を剃って維盛の首に仕立てたのだと告げる。弥左衛門はそれなら何故御台若君を梶原へ突き出したのかと問うも、彼が告白するには、さきほど引き渡した母子はなんと権太の妻子、小仙と善太だったのである。権太が力なく合図の笛を吹くと、維盛そして田舎者姿の若葉の内侍・六代君が無事な姿を見せる。そんな正しい性根を持ちながら何故あんな悪行を重ねてきたのかと母は涙ながらに権太へ取りすがる。しかし権太は、悪性は生まれついてのものであると。 茶店の先で小金吾と荷物を取り違えたあのとき。彼の荷物の中身である巻物を見てそこに描かれた弥助とそっくりの公達の絵姿に驚いて金の無心を装って実家へ入り込み、母に尋ねてみれば、弥助の正体は実は父が恩義を受けた維盛であり、彼の身には危機が迫っていると聞かされる。性根を改め両親と和解する機会はいましかないと思うも、偽首はあっても御台若君の代わりはないと嘆いているところへ小仙と善太が身代わりになると言っため、自分のような性根が歪んだ者にどうしてこのようなまっすぐな子がと思いつつ、二人を後ろ手に縛って連れてきたと嘆きながらに答えるのだった。

弥左衛門は涙に咽び、その心を何故元来に持っていてくれなかったのか、まだ見ぬ孫を探して子供の遊んでいるところへ権太に似た子はいないかと探し尋ねるも、どの権太と聞き返され、まさか親の口から「いがみの権太」とは言えず、横道者の子ゆえに仲間はずれにされているだろうと思うほどに彼が憎かった、いまこのように性根が直るのなら半年前にそうなっていればと女房とともに伏し泣き沈む。維盛は、小金吾の討死とともにこれらの悲劇は頼朝の無得心と怒りの涙を浮かべ、弥左衛門はこれを引き裂くことがせめてもの手向けと梶原が置いて帰った陣羽織を差し出す。一門の恨みを晴らさんと太刀を手にかけた維盛だったが、よく見ると羽織の内側には「内や床しき、内ぞ床し」という句が書かれていた。それが小野小町の有名な詠歌であり、羽織の「内」側になにか意味が隠されていると気付いた維盛が縫い目を切り裂くと、そこには袈裟衣と数珠が。一同は驚くが、維盛は頼朝の真意を悟る。頼朝はかつて維盛の父・重盛に命を救われた過去があり、その恩報じとして維盛を出家の身にして命を助けようとしていたのである。維盛は頼朝の大将の器を褒め称え、また亡父の遺徳を偲んで僧衣を戴いた。

権太はすべてを見抜いていた頼朝の深慮と己の浅はかさ、これまで人を騙ってきたゆえの因果応報を嘆き、また、維盛は浮世への執着心を捨てるとして髻を切り払う。維盛から六代君を高雄に預けるよう命じられた内侍の供にと立ち上がる弥左衛門だったが、女房は権太の最期も近いから待ってほしいと引き止める。しかし自ら手にかけた子の死に目に立ち会うことこそ胴欲と、弥左衛門は女房娘ともども涙を流す。維盛は権太のために阿耨多羅三藐三菩提の経文を唱え、一行は大和路へと旅立ってゆく。こうして弥助という鮓屋は吉野にいまも名高く残っているのだった。

すしやの後は津駒さん+藤蔵さん。ねじり鉢巻にもろ肌を脱いだ権太の出から突然義太夫のテンションが白熱し、会場の雰囲気がガラリと変わる。津駒さんは驚くべき素晴らしい語りだった。お前ら全員落ち着けって感じのめちゃくちゃな話を、繊細さをはらんだ、しかし怒涛の語りでねじ伏せていく。津駒さんはやっぱりこういうところがやりたいんだろうなと思った。過去の談話で、『義経千本桜』なら大物浦がやりたいと発言されていて不思議に思っていたけど……、お声に艶があって華やかだから女性登場人物が主役になるようなところや道行に配役されることが多いと思うが、こういう世界が語りたいんだなとよくわかって心を打たれた。本公演ではほかの方との兼ね合いもあると思うが、もっとこういう義太夫節らしい力強さを必要とされる部分にも配役されて欲しい。今回だって、極端な話、すしやをまるごと津駒さんに語って欲しかったくらい。会場のお客さん全員そう思ったんじゃないだろうか。

人形の弥助実は維盛、は玉志さんだった。ここ数ヶ月、色悪→武将→武士→家老と勢いがある役からの突然のキラキラ系配役である。鬢がちょこんと跳ねた若く美しい男の姿をした弥助は最初、鮓桶を両側に吊るした天秤棒をかついで出てくるのだが……、「いやいやいやいやいや在所にそんなキラキライケメンおらんでしょ!!!!!!」って感じの驚異のキラキラ貴公子ぶりで仰天した。維盛はゆったりと舞台に入ってきて、家の前で立ち止まってポーズを見せる。そのあきらかにオーラの違う幽玄な足取りと、重力を無視するような異様にまっすぐな立ち姿。たとえば世話物に出てくる天秤棒を肩にかけた町人役のような、重いものをかついでいるがゆえの生理的反応、息遣いが聞こえ、汗の匂いを感じるような生々しい人間味は一切感じない。ほんま、お人形さんみたいだった(お人形さんです)。いきなりこの調子で出てきてこの後正体を顕すときどうするのかしらと思ったら、もっとキラッキラな貴公子になっていてすごかった。当たり前だけど、ご本人の中ではキラキラ度に区別がつけてあるんですね……。あの後半のキラッキラぶりは私の言葉では表現できない。平家の公達としか言いようがなく、玉志さんのキラキラに限度なしと思った。先代玉男師匠の直接のお弟子さん方は当代の玉男さんをのぞいて全員キラキラ系だが、玉志さんはどこか突き抜けてキラッキラになっているところがあると思う。それこそおにいさんの玉輝さんは役によって煌めきをコントロールしてるなと思うけど……。とにかくめちゃくちゃキラキラしていて、玉志さんにも今後、冥途の飛脚の忠兵衛*1や油地獄の与兵衛のようなヘタレクズの配役がいくことが出てくると思うが、そのときにどうやってヘタレクズるのか楽しみになった。

そしてこの維盛、お里と祝言を挙げるとなって、お里が寝床の支度をしているところに「妻子がいるのでやっぱり無理」と返してくるのだが、文楽にもこんなまともなヤツいたんだと驚いた。文楽に出てくる男は倫理観が破綻した狂人ばっかだと思ってた。あそこまでの据え膳、普通は食うというか、拒否ったらさすがに失礼まであると思うが、そこを断るのがすごい。さすが平家物語イチのまともびと、重盛の息子だと思った。でも娘の気持ちを宙吊りにしておきながらいきなりその綱を切ってくるのもなかなかひどいものがあるね。

かわいそうなお里は、みなさまのご期待に応えまして清十郎さんだった。ひとつの布団にふたつ並んだ枕を「キャッ💓」となりながらどんどん近づけていくところ、清十郎もっといったれ!!!!っていうか親が引っ込んだ瞬間維盛を押し倒せ!!!!!!と心の中で応援した。ちょこちょこと枕を調整(?)するお里の所作はとてもかわいいんだけど、もともと布団がメッチャ小さくて、最初から枕がわりかし密着しているのも笑った。普通に障子が開いた時点でわりとドキッとする。個人的には枕をくっつけるところより、先に布団をかぶって寝たふりをするときに、ただでさえ狭い布団の妙にハシッコに寄って、ちゃんと弥助が寝るスペースを作っているのがいじらしくて好き。親の配慮を感じる布団の小ささだった。寝たふりをしているところに維盛と若葉の内侍の会話を聞いてしまって、枕に顔を押し付けて震えて泣いているのはなんとも真に迫って哀れだった。不幸な娘をやらせたら清十郎さんの右に出るひとはいないだろう。

そしてとても良かったのは、弥左衛門役の玉輝さん。本公演ならきっと梶原景時に配役されるところだと思うが、暖かくて優しいお父さん風な弥左衛門を演じておられた。この手のジジイ役は人形遣いによって印象が結構ぶれてくるように思うが、玉輝さんは素朴と洗練の絶妙なラインを突いてきていた。こういったちょっと特殊な配役は地方公演ならではの醍醐味。もっと回数を重ねられる公演なら、もっと良い演技を見せてもらえると思う。本公演でもこういう役で拝見したい。

権太はどうだろう。人形の演技そのものは良いと思ったんだけど、正直人物像がよくわからなかった。個人的に勘十郎さんは洗練された雰囲気が強いと思うので、ああいう愚かさで身を滅ぼすキャラクターから演技が微妙に浮いている気がする。頭がよさそうだもの。とはいえ権太以外に配役されるべき役がないのは事実だと思うし、勘十郎さんがお持ちの妖しげな雰囲気って津駒さんの語りとはとても合っているので、難しい。事実、太夫が津駒さんに変わってからはかなり納得した。飛躍した言い方になるけど、こういう個性と個性のマッチングを見ると、やっぱり文楽って面白いと思う。

 

 

 

夜の部。なぜかこちらにこぼれている道行初音旅。

これは狐忠信役の希さんが良かった。普通に考えたら静御前役に回りそうな声質のはずだが、芯のある伸びやかなお声で狐忠信を凛々しい若武者風に語っておられて、とても良かった。以前は上下のある方だなと思っていたけど、平均値が上がってきている気がする。

あとはやっぱり勘十郎さんの踊りのうまさだね。今回は静御前を演じておられたが、実に優美だった。

 

 

 

『新版歌祭文』野崎村の段。

昼に続き、勘彌さんと清十郎さんが男を取り合う構図で、またも清十郎さんが祝言直前という最悪のシチュエーションで失恋する(っていうか自ら身を引く)ド悲惨展開である。清十郎さんのおみっちょは8月の大阪公演でも拝見したけど、引き続き悲惨で、しかもお染が勘彌さんというのが清十郎さんの不幸の味を超増幅していた。人の不幸は蜜の味(ちょっと違う?)。

勘彌さんのお染はいいねぇ〜。いかにも都会の大店のお嬢さんという感じで、雰囲気が洗練されている。私立女子校に通っている正統派女優系アイドル風というべきか、清純だけどおぼこくないのが良いわ。非処女風美少女役の本領発揮な感じだった。邪心なく人の男を盗りそうなところがほんとたまらない。ナチュラルに人を人と思っていなさそうな気配がいい。現状、おぼこ娘役ができる人というのは結構いると思うんだけど、このおぼこじゃないけど清純、しかし本当は清純でないかもしれないしヤッパリ清純かもしれないと悶々妄想させるギリギリをいけるのは勘彌さんだけだと思う。個人的には遊女や傾城、身分がきわめて高い部類の姫君・若い奥方等の役をやって欲しい人だが(その意味では昼の部の若葉の内侍は良い)、こういう無意識小悪魔も美味しい。

床では、8月大阪に引き続きの三輪さんも良かった。三輪さんのお声と勘彌さん・清十郎さんの相性が良く、それぞれのもつうつくしさが際立っていた。もう、最後まで全部三輪さんに語ってほしかった。三輪さんてなんで文楽に入ったんだろう。あのお声なら邦楽どれでもいけそうだと思うが。こうして文楽浄瑠璃を聞かせてもらえるのは、ありがたいことである。

あと、最後に出てくる船頭が紋秀さんでめちゃくちゃ笑った。そこにおるんかい。

 

 

 

今回の地方公演は義経千本桜の五分の一通し風の番組で楽しかった。なぜこれを大阪の本公演でやらないのかと思う。

出演者では津駒さんが本当によかった。これが本公演でないのが実にもったいない。あらゆる人に津駒さんのすしやを聴いて欲しい。現在の文楽で聴ける最高レベルの義太夫だと思う。いまからでもどこかの地方公演間に合う方は、特急等使ってでも是非とも行って欲しい。文楽が好きなのに、これを聴かないのは勿体ない。

津駒さんてマトモそうと思っていたけど、やっぱりどこか狂っていると思った。単なるマトモでは文楽の芸は極められない。津駒さんは、次期切場になるべき人。

そして清十郎さん。完璧でなくどこか傷がある人には惹かれるものがあるが、その傷が技芸員として曲者なこともあり、9月公演では実は「この人大丈夫なのか」と思ってどきっとした部分があり気になっていた。が、地方公演ではそれを取り戻されたようでよかった。なんにせよ、清十郎さんにはこの調子でもっと悲惨でもっと不幸になって欲しいと思った。

あとはやはり維盛の玉志さん。最近ものすごい前のめりなご様子で揺らぎと変化を感じつつあったけど、維盛はピントを合わせて元来の凛々しい雰囲気に戻してきた感じだった。先代玉男師匠の維盛の映像を国立劇場が所蔵していると思うので、追ってチェックしたいと思う。

 

 

 

今回は横浜公演の翌日、熊谷公演の昼の部にも行った。

熊谷がどこかよく調べずにチケットを買ってから行き方を調べたら、めちゃくちゃ遠かった。アツいぜ熊谷。さらには熊谷公演の会場「熊谷文化創造館 さくらめいと」の最寄り駅は熊谷ではなく、その次の籠原だった。籠原……。湘南新宿ラインの行き先表示でしか見たことがない、未知の土地……。新宿から1時間かけてたどり着いた籠原は、郊外と田舎の中間くらいの、実家を思い出させる閑散とした町だった。籠原にあるコインパーキングは機械式ではなく、空き地の入り口の貯金箱にお金(1日300円)を入れて、別に仕切り線等も引いていないだだっ広い敷地のそのへんにてきとうに停めるという無人野菜販売所方式で大変ワイルドだった。あと、会場は籠原駅から結構遠くて(Google map計算で徒歩16分)、地方の車社会ぶりを感じた。

会場は2階席があるような大変に広いコンサートホールで、天井高が半端なかった。これだけ広いと声が拡散して声量がない人はヤバイのではと思ったが、音響がよく、下手席でも大きな差し支えは起こらなかった。客としては文楽劇場もこれくらい音響が良いといいのにと思ったんだけど、ただ、音がかなり強く反響していたので、太夫さんたちはどう思われたのだろう。

前解説では、希さんが「源平合戦を題材にした演目では……」と、熊谷市にちなんで熊谷直実(一谷嫩軍記)の話題を盛り込んでいた。希さんはローカルネタやシーズンネタを取り入れたり、解説実演でも直近の演目を取り入れたりされていて、工夫がある。

椎の木の段に登場する小金吾の人形はダブルキャストになっていて、横浜・簑紫郎さん、熊谷・文哉さんだった。文哉さんは権太に凄むときの止めの姿勢がかなり綺麗で、オオーッと思った。最近の山賊役で鍛えられた成果だろうか。往年の時代劇の美丈夫風の、うつくしい姿勢だった。若い頃の田崎潤って感じ。一発で姿勢をきめられる人は(芸歴ゆえの巧拙はあっても)気持ちがよい。

津駒さんは横浜とかわらず本当に素晴らしい熱演だった。籠原まで湘南新宿ライン特別快速(一番飛ばすヤツ)でも新宿から1時間かかったけど、心から行ってよかったと思った。2回聴けて本当によかった。

藤蔵さんは最後どうされたのだろう、弦の固定が外れたとか、それとも張ってある皮に損傷があったとかなのかな? その直前にも弦を繰っていらっしゃったが、途中から三味線の音がくぐもったように変わって、結構なお客さんが藤蔵さんのほうを心配そうに見ていた。しばらくすると床世話の方が交換用の三味線を持っていらした。ああいうのは床世話の方が音の変化を聞き分けてスペアをすぐ持ってくるようにしているのだろうか。

 

 

 

*1:去年12月東京の新口村の忠兵衛は「大きなこども」風に演じておられてあれは好きだったな。忠兵衛の駄目さって結局そういうことだと思う。