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麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 上方文化講座(8)文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の舞台(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎) 大阪市立大学

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上方文化講座記事も最終回! 3日目2限目は津駒さん・清介さん・勘十郎さんが受講生からの質問に答えるという形式のトークショー。質問票はあらかじめ収集してあり、整理した上で久堀先生から代表質問、指名された方から回答をいただくという形だった。

 

文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の舞台(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)INDEX

 

 

Q1 スケジュール上、次の公演の稽古はどうしているのか?

勘十郎 最近は公演が多くなっていて、ありがたいことです。本公演では、昼/夜、2日に分けて1回ずつ舞台稽古を行う。今日のようなもの(「金殿の段」の実演)、この週末にある内子座のような公演ではお稽古できないので、「そのままやる」。地方公演の場合も、初日でもしない。人形部はズボラをしている?とも言われるが、ちゃんとした稽古は場所も人形もいるので、なかなかできない。なので、本(床本。浄瑠璃)を読んだり、ビデオを見たりして自分で勉強しておく。きょうも若い人は真っ赤になってやっていた。直前に打ち合わせをして、それが「お稽古」。芝居の流れが頭に入っていれば、スッと動けるはず。普段ぼーっとしている人はすぐ動けない。でも、新作の場合は3日ほど稽古します。

 

津駒太夫 床はそういう訳にはまいりませんので(笑)、3ヶ月前に本を書く。フシのパターンが3通りあるなら、3通りテープを聴いてどれが来ても大丈夫なようにしておく。三味線さんのところに行く前に、自分でひととおり語ってみる。そうして三味線さんと合わせます。時期については、たとえば11月公演なら9月の公演中から稽古をする。そうして、直前に2〜3回、「本イキ」でやる。稽古場は、大阪なら文楽劇場の稽古場、3階の小劇場の楽屋を使っている。いっぱいになっていて、どうしてもという場合は融通をつけてもらっている。東京はもう取り合い。楽屋入るとすぐのところに稽古場のスケジュールが貼ってあって、最近はすぐ埋まってしまう。初日からもう全部埋まっているくらい。最近の若い子は稽古が好きでよくやっている。わたしよりやっている。わたしも好きでよく稽古してきましたが、本当に。

 

清介 テープで聞いて、本を取り寄せて、弾けるようにしておく。きょうの実演はズボラして本(譜)を見せてもらいましたけど。すいません。普段は暗譜。覚えるのに手間がかかる。頭から終わりまで丸覚えして、自分で語ってみて、手が勝手に弾けるようになったら、「覚えた」ということ。それまでは電車の行き帰りに勉強したり、寝るときに白文(詞章のみ)の本と朱が入った本2冊を枕元に置いておいて、夜中目が覚めたら「さらえる」。それで、白文を読んでいるのに朱が入っているように見えたら「覚えたな」となる(このあたり記憶あいまい)

舞台では、突然真っ白けになって、「わたしは今、何をやっているのでしょう……???」となることがある。3秒忘れるともう大変、どこでどう「捕まえられるか」、ようわからんようになる。稽古は十分している、それでもわからんようになることがある。(そうなったときのため、あるいはそうならないため)三味線を弾くことを覚えるのではなく、浄瑠璃を丸ごと覚え、手が勝手に覚えて動く(三味線を弾く)ようになっていないと。稽古には2層あって、浄瑠璃は意識(文章を覚えること)、三味線は無意識(手が勝手に動いて演奏すること)。この二つを仕上げるのに、だいぶ時間がかかる。

 

 

 

Q2 若い人にどのように文楽の魅力を伝えているのか?

勘十郎 難しいことなんですけど、若い人にどんどん見てもらわないと。自由に魅力を感じ取ってほしい。あんまり色々言うと、緊張させてしまう。嘘でもいいから「見たら面白い!」と言っておく。いつも言ってるんですけど、眠いなと思ったら寝てええんです。車の運転と一緒。眠いなと思ったら端に寄せて寝ればいい。肝心のところで起きていればいい。歌舞伎でワンピースやってますけど、文楽でもああいうのやったらどうですかと言われる。とにかく若い人、初心者の人に観てもらわないと。

以前から高津小学校の6年生に文楽の実技を指導している。最近は夏休みが短くて、今年は27日に夏休みが終わるから、31日にまた行かないかん(笑)。昔は文化庁大阪市の依頼でよく学校へ出かけていたが、最近は減ってきた。また回るようにしたい。

 

 

 

Q3 お弟子さんへの指導の仕方は変わってきているか?

津駒太夫 稽古はしてくださる人、誰に教えるのかによって違う。教わる側は、三味線の「ツン♪」で引いて、こういうフシで、というフシカズは頭に入れてから行かないと相手にされない。教える側は、「なんでそういうフシがついたのか」「前後関係として、ここをこってりやるために、ここをさらっと片付ける」「この人物は腹の中で悲しんでいる/上っ面で悲しんでいる」とか細かいことまで教えてくれる人、大雑把・大づかみ・イキの仕方しか教えない人、「自分で考えろ」という人、いろいろ。わたしも最近研修生に教えていて(にぱ❤️)、自分では懇切丁寧な教え方だと思っている(照)。でも自分で考えないと覚えないので、どこまでやればいいか……。

 

 

 

Q4 三味線の新作曲/復曲の作り方の違い、苦労は?

清介 「作曲」と「復曲」はまったく違う。「作曲」はあくまで「浄瑠璃をこしらえる」。手数は浄瑠璃(詞章)に組み込まれているものであり、曲はお芝居につくもの。まず自分で何べんかゴニョゴニョ語ってみて、大道具・照明・人形の振り・出入り・立ち位置を自分の中でこしらえてみてから作曲する。このように、自分の頭の中には一段のお芝居が出来上がってから、作曲する。作曲では、「思いもかけない手」がついたほうが面白い。この文章にこの曲はありえないというものほど、名曲として残っている。『新版歌祭文』野崎村の「哀れをよそに」なんか、前後の文章から想像もつかない手。だから、作曲に詰まったら全然違うほうを向いてみるといい。義太夫は宝塚と一緒で、普通の喋り方からいきなり「ラ〜♪」とフシになるのを、おもしろう取り込まないかん。どこでどう盛り上げるかを設計する。それで、文章がどうしようもないときは、曲で盛り上げないかん。『艶容女舞衣』酒屋なんか、「よーもこんな陰気臭い話!」と思うが、曲がすばらしい。曲だけで一段持たせている。『摂州合邦辻』合邦庵室も同じ。曲には「片付けるところ」と「つかまえるところ」があって、「つかまえるところ」に目をむくような手をつける。つねに「おちょくって」なければいけない。楽しんで作る。真面目に考えたらいかん。松戸の師匠*1は三味線ではなく、コトバの都合で全部こしらえていた(このあたり記憶あいまい)

「復曲」は、手は書いてあるがフシは書いていない譜から復刻するというもの。譜が残っていても、朱という心覚えのツボしか書いていない。これは気圧図のようなもので、朱が書いてある譜をそのまま読んだだけでは……、ラジオの天気予報で、各地の気圧を読み上げるのを聞いて、その地点を直線で結んだだけではカクカクしている状態というのと同じ。気圧配置は実際には点と点のあいだは曲線になっているはず。それを復曲によって、現実の気圧配置のように、なめらかな曲線にしていく(このあたり私の大幅な意訳)。「朱を繰るときは面白う繰りなさい」と言われる。これは、太夫さんの浄瑠璃のポイントのところに三味線が抑えるべきツボがあるということ。復曲では、まず、その曲が大きく言って西風・東風のどちらで、誰それさんが初演したということから、だいたいどのような曲であったか推測する。復曲対象になる曲というのは大抵面白くないからすたったわけで、復曲するにあたって少し面白うせないかん。でも、基本ベースがあるから難しい。

 

 

 

Q5 人形の所作は自分で演じているイメージなのか? 人形遣いさんって歌舞伎できるの?

勘十郎 人形の演技は自分の体でできないといけない。「体でやってみィ」と言われるが、ひどいもんですよ(笑)。何これ?というものしかできない(笑)。でも、人間の体には人形にはない骨組みがあって、自分でやってみれば「人間ならここまでしかいかない」「自分がやったらこうなる」と知ることができる。しかし、それをそのまま人形でやったら面白くない。人形でもっとできることをプラスしてやる。

 

 

 

Q6 人形遣いは舞踊の稽古をしているのか?

勘十郎 やっている方もいる。若い頃には心得として少しやったほうがいい。国立劇場の研修生は太夫や三味線志望でも、全員日本舞踊をやらされるので、みんな経験がある。直接入門してくる弟子(研究生)は習うことはないが、自分で考えて、歌舞伎舞踊などやってみるというのはある。しかし、踊りの稽古はあまりやらないほうがいいと言われている。理由は、好きになって「自分が踊ってしまう」から。ぼくは姉が吉村流を習っていて、一緒に敬老会で踊ったことがあるが、恥ずかしくて早く辞めたかった。でも、扇の使い方など、やったほうがいいこともありますね。

 

 

 

Q7 口語の浄瑠璃義太夫節になるのに必要なものは?

津駒太夫 義太夫のリズム、本に尽きますね。音感、言葉のリズム……、七五調でなくてもよくて、義太夫になじむ文章になっていればいい。それは読み下す太夫の技量によるかもしれない。誰か(新作の口語の浄瑠璃を)書いてほしい。文章書いて芥川賞直木賞取るという人はたくさんいる。義太夫も書いてもらえれば……。でも一番大きいのは太夫の力量。その力量とは何であろうか? やってみなわからん。怖いことです。(←これ作った文章みたいですけど、ほんまに津駒さんがこうおっしゃったんです。鈴木則文時空に出てくる文学青年というかスクールものの生徒会長みたいでかっこよかった……)

 

 

 

Q8 作品について、どのくらいまで解釈(いわゆる深読み)しているのか?

津駒太夫 深く読み込めば読み込むほどいいと思うが、それは基本で、演奏とは別。深く読み込んで、それで表現できるかは「言っちゃいけない」。「あの人、解釈はいいけど、何コレ?」ってことがある。あんまり言えないけど……。

 

勘十郎 本を読んでいると「どうしたいの?(勘十郎様の必殺技・こくびかしげ)」と思ってしまうことがある。重要なのは、「性根」を掴めるか。自分が出るところ、自分の遣う人形、相手役の部分を中心に読みます。

 

清介 浄瑠璃の読み込みは相当しておかないと、その音が何を表しているかがわからない。難しいもの、理解に苦しむものはたくさんあって、たとえば『本朝廿四孝』三段目なんかはよっぽど説明してもらわないとわからない。教えてもらわないと。『伽羅先代萩』も、誰も政岡を殺しにこないのは何故?と思う。鶴千代君を殺すよりよっぽどそのほうが早いのに。よく言われるのは「行の間をよく読みなさい」ということ。よく理解しないと、前に進まん。

 

 

 

Q9 近松半二作品は話が複雑だが、技芸員はどのように感じているのか?

津駒太夫 作者によって作品の性根がどうこう、ということはあまり考えたことがない。話がややこしいと思ったことはあるが、自分が出演する部分、その場さえ成立すればいいという考え方が我々の中にはある。ストーリー上の矛盾をあげつらうと芝居が成立しないので、矛盾は置いておこうね、という立場。

 

 

 

Q10 人形が多数舞台に出ているときの人形遣い同士の混雑対策は?

勘十郎 今日は舞台が狭いのでドンドンぶつかってましたが……(場所が講義室のため、メチャ狭)。それについては「体をこなせ」と足遣いのころから言われている。ぼくらが入ったときは屋体(建物のセット)の間口が小さかった。当時公演していた朝日座、国立劇場小劇場は舞台が狭いので、体をこなさないと人に当たってしまい、演技に支障が起こる。最近は地方公演でも立派な劇場が多いし文楽劇場も大きいので、屋体が大きくなってラクだが、「体をこなす」をしなくなってきた。あんまり広いところでやっていると、体がこなせなくなる。お互い、気をつけてやっている。今回の「金殿」の実演でも出てくれた玉助くんは、背が高い。背が高い人はほかにもいっぱいいてるんですけど、玉助くんは足が長い(笑)。屋体で足が出ていると、もう、ものすごい、メーワク(笑)。足遣い時代はみんなに「足切ってこい〜!」「米を縦に食え〜!」と言われて、一生懸命足をたたんでいた。

 

 

 

Q11 文楽の一番の魅力は何だと思うか?

清介 一番というより、魅力満載! どこもかも! こういう演劇て、あまりない。文楽はゆっくりしてるように思われるだろうが、スピーディーでハコビが速い! 歌舞伎芝居なんていらんことばっかりして、辛気臭そうて(笑)。義太夫がいて、舞台に人形がいて、こんなおもしろい芝居、ないの! 歌は文字を伸ばすので*2、慣れないうちはわかりづらいが、慣れてもらえばわかる。ヲクリ、いつまでやってんねん!と思うだろうが、慣れたらこれがエエねん。エラソ〜に見ればいい。わかるところはわかるようにできている。

語って、弾いて、遣うて。人形は人間以上の演技をして人間。これが「おもしろない」と言われたら始まらんわけ。たまたま全部下手が出ることもあるが、メインの大事なところはヘンな人はやりません!! おかしくないネ!!! ちゃんとしたところを観てください。それは昔はすごい名人がたくさんいて素晴らしかっただろうが、いまでも昔の「面影」「ニオイ」は残っている。50回忌の会(誰の?)なんてすごかったわけ! 世間で「おもしろない」と評判立ってるのはみんなウソ! 自分は縁故がまったくない一般家庭から入ったので「変わった子や」と言われた。入門したころ、ぜんぜん文楽なんか観たことがない父親が「息子がやっているから」と観に来てくれたが、なんやこれは〜(びっくりきょとん)という反応だった(このあたり大幅に私の意訳)。息子は中学生の頃からやってんのに!*3

文楽は、全部が一番。とにかく観に来てください。あなたの面白かったところが「縁」のあるところ! よく言うんですけど、文楽には「ビールス」がいて、いまは感染力が弱いわけ! でも何回か来ると感染するわけ! 習うのが一番(突然の飛躍)!! 素晴らしいもんやと思うて、いっぺん来てください。

 

 


Q12 最後に一言

勘十郎 文楽の魅力はもうひとつ、値段が安いこと(笑)。こないだ南座の顔見世のチラシが来たけど、一等席25000円、三等席8000円。文楽は一等席でも歌舞伎の三等席より安い(笑)。

ぼくは最近、一公演で役がひとつということが多くなってきた。ラクしすぎと言われるが、やりたいけど、つけてもらえないんです。でも、大阪11月公演は久しぶりに2役で出ます。昼は『桂川連理柵』のお半、これは長兵衛・玉男さんと出ます。夜は『女殺油地獄』の与兵衛。こないだ歌舞伎の『油地獄』を松竹座へ観に行った。与兵衛(市川海老蔵)、あんまり滑ってなかった(笑)。もうちょっと滑ってほしかった(笑)。とはいえ、『油地獄』は滑るのを見せる芝居ではない。若い頃はよく滑るのが良いと思っていて、滑っていたが……。11月公演でも滑ろうと思う(? 謎の結論)

ぼくはこんど65歳になった。親父は66歳で亡くなった。来年までは真面目にやって、親父の年齢を越えたら…………………………………………、引き続き、真面目にやろうと思います(笑)。

 

津駒太夫 『芦屋道満大内鑑』「葛葉子別れ」に出ます。以前は地味なほう(義太夫にバリエーションがいくつかあるうちの地味なもの)でやったが、今回は派手なほうでやらしていただく。頑張ります。

 

清介 『女殺油地獄』「豊島屋」の殺しに出る。『油地獄』は、中学生のときに外題だけを見て「こんな芝居していいんか……!?」と思った。本当に「殺し場」をしていいんか……。しかしお芝居って不思議なモンで、文楽でやると、陰惨やけど、イヤやない。ひどいことをやっても、そこそこ受け入れられる。たとえば『奥州安達原』の四段目に、鬼婆が妊婦のお腹の子供を割いて取り出す部分がある。「こんな芝居やってええの〜?」と思ったが、前に回って(客席から)見てみると、「存外見てられるな〜!(フム!)」と思った。<記憶を失ってしまったんですが、このあとは文楽をよろしくお願いします的な締めの挨拶>

 

 

−−−−講義ノートここまで−−−−

 

この質疑応答はあらかじめ選抜した質問を技芸員さんにも内示しておいて、講義中にそれを話していただくという形式っぽかった。たしかにフリーで質疑応答すると無礼な質問や意味のない質問をする人がいるのでこれは正しい。

清介さんの仰っていた「文楽だと残酷な内容でもわりと見られる」というのは私もそうだと感じている。もっと厳密に言えば、人形の演技は生身の人間が演じるよりずっと残酷に見える。『妹背山』にしたって、文楽を見始めて間もない頃に山の段を観て、大判事が切腹した久我之助の介錯をいつまで経ってもしないので怖くなってきて、優柔不断しとらんとはよ介錯して……と引きまくっていたくらい(でも指の隙間からガン見)。でも、不愉快ではない。人形だと嫌な生々しさ……「所詮芝居」という油臭さとか露悪感がなく、人形の上に純粋に感情だけが発露するので「わりと見られる」んだと思う。

若い観客向けの対応では、文楽が本当に初心者に見てもらいやすくしたいのなら、字幕の文言を現代仮名遣いにしたほうがいいと思う。たしかに浄瑠璃の文言は近代以前の日本語文章の中では容易なほうだと思うけど、字幕というシステムそのものに限界があり、読める速度・分量に限度があるので、旧仮名遣いでは反射的に読めない人がかなり多いと思う。せめて現代かな遣いにして、すこしでも舞台の人形の手元をゆっくり見たり、三味線に耳を傾ける余裕をつくるようにしたほうがいいと私は思う。わかりますよ、旧かなで読んだほうがよいということは。制作や出演者側はより一層旧かなにこだわりがあるだろうけど、そもそも旧字出せてないんだし、もう諦めたほうがよいのでは……。

 

 

◾️

このあと3日目3限目は日本近世史・塚田孝先生による「近世大坂の芝居町−明治初期の歌舞伎役者取締り−」。明治初期、政府は税収UPを目的に、歌舞伎役者の驕慢(極端な高給や奢侈・大幅な旅興行など)による大阪芝居町の衰微を防ぐため、歌舞伎役者に出稼ぎや住居の規制等をかけた。その中に浄瑠璃関係者も含まれており、人形遣いは早くから歌舞伎役者と同じ扱いとなって規制下に置かれた。のちに太夫・三味線方も自らその鑑札を受けたいと願い出た。太夫らがわざわざ自ら規制の中に入りたがったのは、それが地位に対する「お墨付き」でもあったから。というようなお話だった。この講義はレジュメがかなりしっかりしており、はじめから何を目的に授業を展開するかわかったため、理解がしやすかった。こちらも内容は大変興味深いのだが、文楽から話が外れるのと、内容が大変専門的で復習がしづらく、資料集めが追いついていない。あいまいな聞きかじりでは書けないため、記事はなしにさせていただく。

3限目が終わったところで大阪府台風20号による暴風警報が発令され、4限目に行われるはずだった表象文化論・海老根剛先生の「人形浄瑠璃の「近代」が始まったころ〜「無知な観客」の歴史にむけて」は休講になってしまった。レジュメだけ頂いたので目を通したが、明治以降の文楽人形浄瑠璃)の観客論に関する内容で、ぜひ受講したかったところ……。実はこの授業は一般受講生募集告知と同時にカリキュラムが出ていた段階から聞きたかったので、大変残念だった。とはいえ、大学側・技芸員さんのご配慮で、実演と技芸員談話は少なくも開講できるよう時間割を組み替え、午前に持ってきてもらったのは本当にありがたかった。

 

 

8回にわたってその内容を書いてきた上方文化講座、充実の3日間だった。技芸員さんのお話も目的ではあったんだけど、個人的には市大側からの講義が目当てだった。というのも、浄瑠璃って謡曲に比べて解説書の数が圧倒的に少なくて、どうやって勉強というか、自分の知りたいことを学べばいいのかわからない。もちろん古典文学全集に収録されている作品もあるけど、近松偏重で私の好きな長編の時代物はあんまり載ってないし、載っている作品でも不明点があった場合に解決しようがないことが多い。さらには古典文学全集に載っている解説というのはあくまで浄瑠璃の解説であって、文楽人形浄瑠璃)の歴史の中に落とし込まれたときにどうなるのかのブリッジがわかりづらかったりする。不明点があったら図書館に置かれているような専門書や上演資料集等は確認するようにはしているけど、一般庶民では資料の入手にも限界がある(というか、アタリがつけられない)。このような大学の公開講座形式だと、そのあたりがフォローされているばかりか、講義終了後に講師に直接質問できたのがありがたかった。もっと時間があれば個別にゆっくり色々お話し伺いたかった思いです。

 

講座の受講は最初に書いた通り抽選制だが、どういうシステムでもって「抽選」しているかはわからない。私の場合は応募にあたっての志望動機は結構きちんと書いて(院試の志望動機の書き方を参考にしました)、シートも選んでもらえるように自分なりに工夫したものを作成して送付した。実際行ってみると「普通に毎年来ている」という人もいて、一体何を基準に「抽選」されているか不思議だった。講師陣もそういう常連さん向けに話している部分も多く、また、受講生には予習資料持参の人もたくさんおられたので、そのあたり合わせて鑑みるに、受講生の選抜は完全な「抽選」制ではなく、おそらく志望動機書に意味があり、そこで足切りしているのではと感じた。ちなみに受講生の層は、全日程が盆明けの平日開講のためか年配の方が多く、ご夫婦参加や友達同士参加、去年受講した人同士で話してる人たちも結構いた。

 

 

講義とは関係ないけど、㊙︎年ぶりの学生気分で学食に行ったり、キャンパス内のベンチでおにぎりを食べたり、学内生協のうらぶれた売店で文具を買ったり(ノートのとりすぎで愛用のフリクションボールのインキが切れまくったため)、帰りに天王寺のカフェでパンケーキやパフェを食べたりと、ちょっとした擬似学生生活?を送れたのも楽しかった。いや、学生時代以上に学生生活を満喫したな……。私が通っていた大学は大変のどかな場所(マキシマムプラス表現)にあったんで、謳歌したことといえば「学校の横のキャベツ畑にいる青虫を観察しようとして畑に落ちる」「蝉の抜け殻やどんぐりを集めまくり→バケツに貯めまくりすぎて虫が湧き、クラスメイトにめちゃくちゃ怒られる」「学食に入っている大葉は学食の裏の雑草畑に生えている大葉ではと疑い、生え具合を日々観察する」みたいな、小学生男子みたいな日々だったんで……。…………………………。書いてて悲しくなってきた。学びの環境や周囲の人に恵まれてすごく楽しかったけど、もっと派手なキャンパスライフを送りたかった気もする……。

 

来年は原点回帰で近松作品に戻り、『心中天網島』をテーマに行うとのこと。個人的に近松作品ってあんまり興味ないんだけど、だからこそ新たな視点や作品理解の切り口を発見できそうで、また参加してみたいと感じる。なぜ自分は近松作品を退屈に感じるかもよく考えてみたいし。来年は台風が来ないよう祈ってます!!

 

 

┃ 上方文化講座記事INDEX

上方文化講座2018 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

 

旅行記その7。金毘羅宮の参道に「金毘羅大芝居 金丸座→」という立て札が出ていたので行ってみた。

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金丸座は江戸時代に作られた芝居小屋。現在だも現役使用しており、歌舞伎興行のみを行っているという。サイズ感的には内子座よりかなり大きい。っていうか、国立劇場小劇場より大きいし綺麗なんですけど、どうなっているのでしょうか……。

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舞台から客席に向かって。金丸座では「ブドウ棚」といって天井がアミアミになっており、客席にも花吹雪等を降らせることができるという。金丸座はすべて人力運営で、宙乗りやスッポンのせり上がり等も人力で動かしているとか。冷暖房設備も入れていないので、快適な気候の季節にのみ公演を行なっているそうだ。

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楽屋も見学可能。

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奈落。カラリと晴れた昼間でも濡れた土埃の匂いがする空間だった。

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今年は上方文化講座と内子座文楽と個人趣味の旅行をくっつけて京都・長浜・天橋立・伊根・大阪・豊島・小豆島・琴平・松山・内子と9日間旅行したが、久々の長旅、楽しかった。今度は北海道か恐山に行きたいので、博物館網走刑務所かオホーツクの砕氷船船上か恐山で文楽公演がないかな〜と虎視眈々としている。(そんな公演はない)

*1:どなた?上品な東京弁で喋る方

*2:たとえば出だしの「いりぃぃぃぃぃぃにぃぃぃぃぃけぇぇぇぇぇりぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜」のようにかなり長く音を引く、産み字のこと。

*3:清介さんは、親御さんは一般人だが、ご本人が義太夫大好きで中学生のころから女流の三味線弾きさんについて三味線を習っており、その後、本気で三味線をやりたいということで、紹介を受けて文楽に入った。という経歴だったと思う。