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麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 上方文化講座(7)桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎) 大阪市立大学

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上方文化講座もついに最終日。3日目1限目は本来別講義だったが、おりからの台風接近に伴って途中休講の可能性が出てきたため、大阪市立大側と技芸員さん側の配慮で時間割を変更し、本来3限目だった勘十郎さんのお話が先になった。 今回はお三輪、鱶七以外の人形の衣装等を見せていただきつつ、お話を伺った。

 

桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎)INDEX

 

 

┃ 夏の災害と『出世景清』

この夏は地震に大雨にと、災害が多かった。8月夏休み公演で行った西日本豪雨の募金活動では、おかげさまで300万円以上を集めることができた。ぼくたちはあれくらいのことしかできません。でも時々、受け取ったお金を入れ忘れる。お互いに「入れたっけ?」「いま入れた?」と言い合ったりして。

豪雨被害の中、7月ながと近松文楽の『出世景清』も公演中止の予定だったが、無事上演することができた。『出世景清』は鳥越文蔵先生が私費を投じてまで制作した肝いりの企画で、燕三さんに作曲依頼し、大道具、照明、たくさんの人の協力を得て実現した。きのうお話しした通り、公演日直前は豪雨災害で交通が止まっており、長門へはフェリーで行った。ぼくはうちが南港の近くなのに、フェリーは思いつかなかった。フェリーは山陽新幹線が止まったせいで毎日満員だったが、満員になるその直前に乗れたので間に合った。大変な状況だったのに誰も文句を言うことなく、船旅を楽しめた。宴会をしたり……、船は乗ったら楽しいんですよね。

『出世景清』は古い浄瑠璃。1684年竹本座が初演で、いまの文楽に残る作品のさきがけ。近松門左衛門が書き、竹本義太夫が語った初めてのもの。長い間上演が途絶えていたが、昭和60年に国立劇場が復活し、景清・文吾師匠、作曲・先代燕三師匠で上演された。このとき、燕三師匠へは劇場からいろいろな注文がついた。それは「あんまりいろんな手をつけないで、シンプルに」というもの。初演当時は今ほどに複雑な技巧がなかったということなんでしょうかね。……結果、出来上がったものはあんまり面白くなかった(笑)。人形部も「何コレ?」となった。燕三師匠もそんな注文をつけられて、困ったのではないか。今回は(当代)燕三さんが手を加えて上演した。

これを文楽劇場国立劇場でも再演できたらと思っている。新作・復活ものは一度だけの上演で終わることが多いが、上演までに大変なエネルギーがかかる。古典は何百年もかけて練り上げられているので、新作や再演はどうしても負けるが、また上演したい。

 

 


┃ 名人たちの『妹背山』

『妹背山』はスケールが大きい作品。あまりに大きいと、何のお芝居かわからなくなる(笑)。師匠たちのお三輪のかわいらしさ、いじらしさは本当にすばらしい。ぼくは簑助師匠の足も左もいって、紋十郎師匠も見ているけど、師匠たちのお三輪は本当にかわいい。ほんのちょっとした仕草で「かわいいな」と思う。大きい仕草は誰にでもできるが、ほんの瞬間の仕草にそれぞれの人の個性があり、そこにかわいらしさが出る。

師匠の師匠、三世吉田文五郎師匠もかわいかった。明治2年生まれのひとで、ぼくも小さい頃、父に連れられて文五郎師匠の天下茶屋の塩町のお宅へお年始に伺ったことがある。目的はお年玉(笑)。お菓子やお年玉をいただいた。そのころはもうご高齢で、ちょっと見るとガイコツかなと思うくらい、骨の上に皮が乗っているだけというほど痩せておられた。文五郎師匠は本名が「巳之助」(巳年生まれ)で、元々はそれを芸名にしていた*1。それを紋十郎師匠が引き継ぎ、いまの簑助師匠が引き継いだ。

その文五郎師匠の芸談に、すごい名人がいたというものがあった。それは吉田辰造という人。初代辰五郎の息子で、女方の名手だった。お三輪がほおずきを揉んで、口にふくんで吹く仕草。いまはあんまりやりませんけど、昔はようやりましたね。これがなんべんやってもできない。文五郎師匠がこの辰造さんを素晴らしいと書いていた。

 

 

 

┃ 着物の袖の扱い

当時は着物を着ている女性がたくさんいたので、着物で歩いている人をよく観察した。お酒の席、街中……。今は着物をキレイに着こなした色っぽい人はいない。電車の中でつり革につかまって携帯電話を触っている人よくいてますけど、いや、電話はいいんですよ。ウデを出しているのはやめてほしい💦 二の腕まで見えてしまっている人がいて、あれは色気がない💦 人形は手首までしか出してはいけないとよく言われる。こうすると、色気がないでしょう<腕まるだしを人形で実演>。お三輪の金殿の最後は仕方ないが、しとやかなフリをしているときは手首で止める<普通の娘さん風の袖に戻す>。どうすれば腕が出ないか? 腕を内側に曲げると袖が腕に引っかかり、腕が出なくなる。人間でも同じ<ご自身の紋付の袖で実演>。つり革を持つときもそうすれば大丈夫。ハンドバッグや風呂敷の持ち方もそうなっているでしょう。

 

 

┃ 女方の衣装

お三輪のしめている帯は、「中筋」の「振帯」。「中筋」(A)というのは、帯の両側に黒の繻子の縁取りがしてある帯のこと。お三輪は振帯(D)だが、役によってはブンブン結び(文庫結び?よく聞き取れなかった)にする。振帯は、胴に巻きつく部分の「カカエ」、垂れている部分の「ムスビ」、結んでいる部分の「メガネ」……輪っかになってるからですかね? この3つのパーツに分かれていて、本当に結んでいるわけではない。よく「人形遣いさんだから帯結べるでしょう」と、着物の帯を直してほしいと言われるが、結べません(笑)。実用されている結び方と文楽人形では、結び方が異なることも多い。

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帯にはいろいろなタイプがあって、これは「鯨帯」(B)。片側の繻子の縁取りが太い。なぜ鯨帯というかというと、むかしは色が白黒で、それが鯨のように見えたから*2。子役に使う帯で、『奥州安達原』朱雀堤のお君などの中子役(ちゅうこやく)がしめている。結び方は「貝の口」。男性が角帯で結ぶ結び方ですね。

これは「昼夜帯(C)。裏表使えるリバーシブルの帯。裏は黒繻子一面、表の片側にその繻子が縁取りとして出ている。

こちらは「鮟鱇帯」(E)。前で結ぶ結び方で、『冥途の飛脚』の梅川など遊女がしている。魚の鮟鱇が口を開けている様子に似ているから名前がついたそうだが、「どこが鮟鱇?(勘十郎様の必殺技・こくびかしげ)」と思う(笑)。傾城になると「俎板」(F)という帯になる。豪華な刺繍を施した帯を前に垂らしたもので、『壇浦兜軍記』阿古屋などがしている。(「俎板」は現物なしで口頭説明)

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(参考 2016年4月公演でのお三輪、帯の種類や結び方に注目)

 

 

 

┃ 四天(よてん)

昨日は鱶七の四天についてお話ししたが、ほかの四天について。「黒四天」は黒のフサがついた平袖の四天で、忍びの者が着ている。いまの忍者のイメージとは違う。鱶七に襲いかかる雑兵のツメ人形が着ているのは桜の柄の入った「花四天」。これに赤いたすきをしている。帯は「ワリバサミ」と言って、本当には結んでいない。人形だと糸で留められるが、実際(人間が実際に着用する場合)にはどうなっているのか。一度見てみたいです。

 

 

 

 

┃ ツメ人形の遣い方

ツメ人形を遣う上で、若い頃はなにかとしたくなるが、ツメ人形は主役を引き立たせるものであって、余計なことをしてはいけない。(若い子が余計なことをやりすぎて)「きみきみ、そんなせんでええんよ」と思うことがある。

若い人は三人遣いの人形には触れない。三人遣いの人形はそれを遣う人形遣いの許可なくしては絶対に触ってはいけないんです。大変なことになります。着付けをされた人形は、その人形遣いのもの。バラすとかしら、衣装はそれぞれの係の人のものになる。それも勝手に触ってはいけない。

なので、若い人はツメ人形で練習をする。鏡の前でいろいろやっていると、先輩がやってきて教えてくれる。「もっとちゃんと構えてやりっ!」「やんのやったら舞台に出るつもりでやりっ!」とよく言われる。先代玉男師匠からは「三人遣いの人形を遣うつもりでやれ」と言われた。

ここでちょっと「ご注進が主人の前で報告して、くるっと回って下手へ引っ込む」というのを、良い例と悪い例でやってみます。<ごにょごにょとご注進をして、一礼して、振り返って、退出する……を良い例・悪い例の2回実演>……わかりましたか? もういっぺんやってみますね。<同じ振りを実演>

違いは、振り返るときに何を軸にして回るか。振り返るときは人形を中心にして回らなくてはならない。人形遣いを中心にしてはいけない。これがわかっていてもできないのだが、「いつも心がけなさい」と言われる。

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※私のイメージです! 実際には舞台で観察してみてください。たしかに自分が回ってる人、います。三人遣いでも。

ツメ人形は捕手役でよく出てくるが、たとえば『菅原伝授手習鑑』寺子屋浄瑠璃では松王丸が源蔵に「数百人にておっ取り巻き」と言っているが、文楽では捕手は2人しか出てこない(笑)。何度数えても2人です(笑)。これは、太夫さんが責任を持って語ってくれるので、2人しかいなくても緊張感があるということ。こないだ歌舞伎で寺子屋を見たので捕手の人数を数えてみたが、25人くらいいてすごかった(笑)。

金殿には官女のツメ人形が4人出てくる。役としてついて三人遣いの人形でやることもあるが、ぼくはツメ人形のほうが面白く、効果があると思う。官女は主役(お三輪)を引き立てるもので、勝つようではいけない。

ちなみにツメ人形は後ろ頭に釘が打ってある(ツメ人形を振り向かせて)。かわいそうでしょう(笑)。これは楽屋で壁に引っ掛けるためなんです。

 

 

 

┃ 人形の着付け

着付けは人形遣いが自分で行う。作業としては、針と糸を使って人形の胴に衣装を留めていくというもので、人形の衣装は絹の生地だが、三重、四重と留めていくと針が通らなくなる。そのため、7cmくらいの布団針に木綿糸を4筋掛けにして使う。女方の人形だと、50箇所くらい留める。鎧人形ともなると3〜4時間かかる。

最初に留めるのは、棒襟。お三輪は赤。薄い綿が入っている。厚みがいろいろあって、わたしや師匠は薄いものが好き。次に中襟。お三輪は朱鷺色。これらを胴に3箇所(首の後ろ、その左右の肩)で留めていく。

着付けで一番神経を使うのは、襟を留めるとき。ここができたら着物が「乗る」。棒襟の薄い、厚いはその人形遣いの判断。師匠は薄いものが好みだが、それは襟足を計算してのことかと思う。師匠は襟足(首筋)を見せるため、襟を抑えて着せつけている。ちょっとしたときに襟足が見えると可愛らしいし、かしらも遣いよい<実演>

これらのものは、衣装部で選ぶことができる。どういう着物を着るかは古典では決まっているのでそんなに幅はない。少しは選べるが……。師匠は自前の衣装を使っていることも。しごき、オビアイ(? よく聞き取れず)など、自分で揃えている。

 

 

 

┃ 団七の丸胴

これは団七の丸胴、二代目。親父が最後に団七を遣うとき、それまで使っていた丸胴があまりにボロボロで汚れ、痛みがひどいので新調したもの。刺青は昭和57年の海外公演中に自分で描いた。準備時間がなくて、そうなってしまった。ストックホルムのホテルで、オフの時間帯みんなは遊びに行っているのに、ぼくはひとりだけホテルにこもって描いていた(笑)。急ぎすぎて色止めをし忘れて、舞台稽古で足遣いが一番当たるところ(足首近く)が色落ち。自分が足遣いで、汚れてしまった(笑)。

背中には不動明王。昔は違う柄やったそうですけど、今では不動明王になっています。足にはドクロですね。お尻にはワタが入ってふくらんでいるので、足が左右どっちかわかります。

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二代目刺青は先代玉男師匠、文吾師匠、いまの玉男くん、ぼくと使ってきている。本当にちゃんと刺青を描いたものはこの1つしかなく、小学生の宿題みたいなのでだましだまし使ってきたが(長町裏以外の衣装に隠れている段ではフル刺青ではないスペアを使っていた、という意味?)、今では三代目刺青ができている。

(参考 2017年夏休み公演)

 

 

┃ 苧環

苧環をくるくる回しながら)苧環には麻の糸が巻いてある。これが活躍する「道行恋苧環」は、三角関係の三人で仲良く踊るのは「おかしいな?」と思うが、名曲。苧環は回すのが難しい。最後、求馬につけた苧環の糸が切れてはっとするところは、回す→落として抑えつける→糸が切れる→糸を繰る→苧環を後手に回してポーズ、となる<実演>

 


−−−−以下、「金殿の段」の実演−−−−

 

 

ツメ人形の実演で教わった「人形を軸にして演技する」という話には「なるほどそうだったのか!!!」と思わされた。というのも、時折、人形遣いだけがやたら目立つ、なにか変な動きの人形がいると思うんだけど、どこがおかしいかわからず、しかし異様な違和感だけはある……、あれは何?と思っていたけど、こういうことか!と腑に落ちたのだ。なるほど、人形を振り回している状態になるから、人形を軸に動かしている人の中では浮くということね……。三人遣いでも異様に人形遣いが目立つ人がいるけど、それも同じことか。これっておそらく人形遣いとしては基本中の基本なんだろうけど、あまりの基礎動作すぎて芸談等では聞かないので、この話、今回の勘十郎さんのお話でいちばん参考になった。

人形の着付に関する好みの話も大変おしろかった。綺麗に着物を着こなしている人形とモッサリした人形がいるのが今までものすごい気になっていた。いったいどういう違いなのかと。たしかに簑助さんはかなりコンパクトに着付けしていて、胸元〜襟足が立体的にすっきり見える。遣うときのプロポーションを計算して着付けしていらっしゃるんだろうけど、もうシンプルに、すごい、と思う。ちょっと話はずれるけれど、役を考えた着こなしも結構おもしろいなと思うところで、きょうも『良弁杉由来』観てきたけど、いちばん最初、志賀の里に出てくる乳母・おふくの腰元・細身の腰元、全員着物の着方が違っているのがおもしろかった。おふくの腰元チャンはちょっとぽちゃっとした感じに着せつけてあるんだけど、いいかんじに柔らかそうで、よくフワフワをキープしてるな!と思う(時々グシャッてるお人形さんがいるので)。

ところで女方の人形の袖を腕に引っかけて過剰に腕が出ないようにするというのは、はっきり言って素人には無理です。時々、イベントなどで人形の体験をやらせてもらえる機会があるが、そもそも腕をまともに動かせない。まず上げ下げ自体ができませんから。もう関節は人間としてヤバい方向に曲がっちゃうし、なんか全身脱臼してるかのような不自然なプロポーションになっちゃうし。袖とか配慮してる場合じゃないです。袖は一度グシャると自力で直すのはまず無理(暴れていると指導の人形遣いさんが見かねて直してくれます)。女方の人形がよくやる、「手を袖の中に入れて袖をフックラさせ、そっと目元口元にもっていく」とか神業ですわ。ふだん何気なく観ている動作が実は確実な技術や工夫によるものであることを体感できるので、人形の体験イベント、機会がありましたら是非とも参加してみてください。

しかし勘十郎さんて苧環回すのうまいですよね。昔の資料映像を観ても、あそこまでうまく回している(本当に糸がほどけていっているように見える)人、なかなかいらっしゃない気がする。お三輪が苧環をとり落すところなど、真に迫っている。人形さえちゃんとしていれば別に下手でもいいとこではあるんだろうけど、回すのが下手だとそのぎこちなさが気になるのは確か。多分、執念のお稽古のなせる技だと思うんだけど、すごい。

金殿の実演は、講義室の演壇で行う都合上環境は悪いながらも、津駒さん・清介さん・勘十郎さんの力でここが講義室であることを忘れるような、すばらしい舞台だった。かんたんな大道具は出してあるんだけど、その大道具に頼らずともわりとちゃんと本公演のような御殿が見えるよう。こういうのを一発で決めてくるのはやっぱりベテランの技だなあと感じさせられた。都合(?)により豆腐の御用は出てこなかったが、金殿をほぼフルで拝見できるというのは本当に贅沢なことだった。

 

 

9月公演も中盤に差し掛かり、もはや記憶も薄まってきている今日この頃だが、上方文化講座記事も次回ついに最終回、3日目2限目「文楽の至芸−太夫・三味線・人形、三業一体の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)」です!

 

 

 

┃ 参考文献

 

┃ 上方文化講座記事INDEX

上方文化講座2018 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

 

旅行記6。高松からことでんに乗って、こんぴらさんに行ってみた。ことでん、なぜか京急コラボで京急と化していた。旅情がない……。

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参道にあるお店がまるで時代劇のセットのようだった。

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両側にお土産屋さんやお茶屋さんのある石段をひたすら登る。ここらへんは中腹。道中に石松推しのお土産屋さんがあった。石松金毘羅代参ネタだろうが、今ではほとんど伝わらないだろう……。渋い……。あと、石松の人形になぜか『傾城阿波の鳴門』のお鶴らしき人形が紛れていた……。

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何も始まってないうちから休憩。参道にあった資生堂パーラーにて、「神椿パフェ」(銀座の資生堂パーラーにも入ったことないのに)。上に乗っているのは「おいり」という讃岐地方の嫁入り菓子で、甘くて軽いあられのようなもの。

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最初の拝殿。

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奥の院。意外とラクに着けた。伏見稲荷奥の院っていうか山の上まで行ったときは死ぬかと思ったのに。境内にはテントを張った休憩所が設置されており、氷柱と塩飴のおもてなしが。参拝客みんな塩飴を食いまくっていた。

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奥の院からの眺め。四国ってまじでマンガみたいなおにぎり型の山があるんですね。山の側生まれなのですが、視界に入ってくるのは山脈的な感じのもっとガチな山だったんで、この写真中央左寄りあたりに写っているようなマンガみたいな小山って、フィクションの中にしか存在しないと思っていた……。おにぎり山の実在に感動。

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絵馬の奉納殿。金刀比羅宮って船の神様でもあるらしく、大正時代からの造船・漁業・海運関係の会社の扁額が大量に飾られていた。扁額はどれも個性的で、写真あり木彫りあり立体模型ありと、かなりの見どころだった。

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*1:巳之助→簑助→亀松→文五郎

*2:鯨を肉にして切ったときの皮と脂肪層の見え方から