TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

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文楽 上方文化講座(6)『妹背山婦女庭訓』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎) 大阪市立大学

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上方文化講座2日目、続いて4限目は津駒さん・清介さんに勘十郎さんが加わってのお話。『妹背山』について、太夫・三味線・人形それぞれの立場からのコメントを拝聴する機会に恵まれた。

ちなみに上に貼っている写真は一般受講生向けの講義室への入場整理券。事前になんの説明もないのだが(それもすごいと思うけど)、実は講義室への入室が整理番号制になっており、講義室が入っているビルの開館時間に合わせてそれを取りに行かないと相当後ろの席になってしまう。ビルの開館は8時30分だが、それ以前から列ができているらしい。9時30分開講のところ8時30分に行ってこの整理番号、やばい。国立映画アーカイブがフィルムセンターで、かつ整理番号制じゃなかった時代の行列のヤバさを思い出した(いくらなんでもさすがにこれ以上は早くは行きたくなかったヤツの負け惜しみ)。

 

『妹背山婦女庭訓』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介・桐竹勘十郎)INDEX

 

 

 

 

┃ 勘十郎さんの近況

勘十郎 今年のながと近松文楽の『出世景清』は、地震と大雨で大変だった。豪雨被害で交通が全部止まってしまって。フェリーは動いているということで、新幹線をキャンセルして、うちの弟子の勘介が飛んで行って団体で申し込んだ。フェリーで移動したのは出演者60人中40人くらい。夕方の5時半に大阪の南港を出て門司に朝5時に着いた。バスが迎えに来ていたが、着いたのが九州なので、島を移動しなくてはいけない(笑)。トンネルや橋も通行止めが多く、どうなるかと思ったが、なんとか橋が開通して渡ることができた。舞台美術の関西舞台さんがトラックで移動するのも大変で、13時間かけて行ったそう。大変だったが、なぜ〜か出演者全員、長門に集合することができた。

(久堀先生から『出世景清』の人形演出に関して尋ねられ)一人遣いのころの演目なので、三人遣いにするには大変。そのままでは出来ない部分がある。昭和60年に国立劇場で復活上演した部分はだいたいその通りにやったが、「景清牢破りの段」で景清が牢屋から出るところはコトバ通りにやらなくてはいいのでは?と考え、怪力で壊すことにした。目をくり抜くところは人形師の村尾愉さんが考えてくれた。景清の首が観世音の首に変わる仕掛けは弟弟子の簑一郎の発案。簑一郎はこういうのが好きでねぇ。子供向け公演などでも、いつもアイデアを出してくれる。まず観世音の首を作って金で塗り、白い伸び縮みする布をかぶせて人形にするような化粧をしてかつらをかぶせ、下から布を引っ張ると景清の首から観世音の首に変化するという仕掛けをした。(付記:当ブログの『出世景清』感想はこちら

 

9月東京公演では『夏祭浪花鑑』の団七を遣うが、これは父・先代勘十郎が得意としていた役。父の命日は8月14日で、その日は法要をしようかなと思っていたけど、毎年出演している南房総市南房総人形劇フェスティバルの公演日がその当日に当たった。そこで先方に相談し、人形劇フェスティバルで「泥場」(長町裏の段)をやらせてもらうことにした。昼の部はお子もたくさん来てはったけど……(笑)、上から親父が見ていて「お前なにやってんねん」と思ってるかもしれへんけど(笑)。


ほんとにこの役好きで。足しかいったことがなかったが、やってみたいなあと思っていた。昭和57年の7月が、本公演での親父の最後の団七だった。左が一暢さんで、ぼくが足。そのころには親父は病気で痩せていて、これが最後になるかと思ったが、翌年、和田勉さんの肝いり“永久保存版企画”で、NHKのスタジオでも遣っていた。この日がぼくの30歳の誕生日で、30歳まで足遣こてたなァと思った覚えがある。親父は昭和59年に亡くなり、その翌年、一周忌公演が行われることになった。そこで簑助師匠からいきなり団七を遣えと言われ、頭が真っ白になった。このときは、いつも可愛いお三輪や八重垣姫をやっている師匠が義平次をやってくれたのも嬉しかった。団七の役はこの9月公演で8回目か9回目。今回は滅多に出ない段、八段目の「団七内の段」もやらせてもらう。まだチケットありますので! 大阪からでも来てください! 今回は見逃さないほうがいいかもしれません。

 

 

 

┃ 師匠方の『妹背山』

津駒太夫 『妹背山』と言ったら、うちの師匠(竹本津太夫)の大判事に限りますね。とにかく理屈抜き。あんな輪郭の大きい義太夫が語れるのは空前絶後。とは言っても「金殿」もよくて、鱶七もよくて、お三輪も可愛かった。「情」が語れる太夫さんでしたね……(しみじみ)。

 

清介 やまとハンがすごかった(? このあたり記憶あいまい)。やっぱり三段目が中心。生で聞かしてもらったんは、津太夫、越路師匠。その前の〇〇〇、〇〇〇(聞き取れず)。むかしの名演のテープが残ってますけど、2人の色が全然違うほうが面白い。

たとえば大判事をやった若太夫、いまはあんな浄瑠璃ない。若いころはおもしろがってマネしていた。初めて聞いたときはビックリ、「お※#〜〜◎す〜〜さく$&*〜〜!!」って、何言うてるかわからん(寺子屋の「思い出す桜丸」のマネ)。ムチャクチャ言うてはると思った。1回聴くとヘン、2回聴くと何言うてるかわかってくる、3回聴くとなんやええなと思う、4回聴くと、5回聴くと……、10回聴くと「スゴイ!!!!!!!」と思う(このあたり記憶あいまい)。世界が違う。そのときは綱太夫が妹山。しおから声だが、自由自在だった。生で聴いたら面白いと思う。

四段目は道行もいいところ。「道行恋苧環」は『義経千本桜』の「道行初音旅」、『仮名手本忠臣蔵』の「道行旅路の花嫁」と並ぶ三大道行のひとつ。朝日座では音響が悪いのに劇場全体が「ワーッ」となっていた。ここは切場語りの人が3人出る、「ごちそう」でもある。春子太夫がお三輪、南部太夫が橘姫、〇〇〇太夫(聞き取れず)が求馬など、そういうテープを聴くと世界が違う。いまでも上演されるときは若い人が3人つくということはない。

 

勘十郎 『妹背山』は大好きな演目。昭和42年、入門して芸名ももらっていない頃に初めて観た。三段目「山の段」は本当によくできている。大道具もよくできていて、はじめは紅白幕が張ってあるが、「勘気の山住居」「チョン(柝の音)」で幕が落ちる。すると、人形もまだ出ていないけど、客席が「オオ〜ッ……」(笑)。とにかく綺麗。

昭和42年には、大判事・亀松師匠、定高・二代目紋十郎師匠、久我之助・先代清十郎師匠、雛鳥・簑助師匠で出た。昭和44年は、大判事・先代勘十郎、定高・二代目紋十郎師匠、久我之助・先代清十郎師匠、雛鳥・簑助師匠。全員、紋十郎一門で「山の段」をやりはった。自分は当時雑用係だったが、すごいと思った。

このとき紋十郎師匠はお三輪もやっていて、可愛かった。お三輪は「杉酒屋」の出、帰ってくるところが難しい。ほおずきを揉みながら下手から出てくるだけだが、「できない」。いまだにできない。ちょっとした仕草が難しい。

お三輪の初役は、昭和55年の研修生発表会での道行、27歳くらいだった。そのときは橘姫が和生さん、求馬が玉女さん(現・吉田玉男)。(自分がどうだったか)まったく覚えていない。いつも師匠の左に入っているのに全然わかっていなくて、型をなぞっているだけだとわかった。その後、平成3年、43歳のときにはじめから終わりまで、初めてやらせてもらった。

師匠や紋十郎師匠は、なぜあんなかわいらしくできるのかと思った。この格好で出てくる役……、お半、お染のような、段鹿の子を着た15〜6歳の役が苦手だった。不思議なくらいできない。そうも言っていられないので、自分なりに一生懸命やっているが……。町娘のなんでもない雰囲気が出せない。おぼこい、求馬さんのことしか考えていない気持ち。姫なら姫のやり方がある。ルールに則れば、なんとかお姫さんに見えるようになっている。お三輪はあまり型がなく、演じ方が人によって違う。あ、道行は型が決まってます、揃っていなくてはいけないので。

橘姫はやったことがない。求馬は道行だけ。今は『妹背山』が出るとだいたいお三輪の役が来るが、「あ、できなかったな」と毎回思う。お三輪はもう一度やりたい。やっていて難しいが、面白い。

 

 

 

┃ 「道行恋苧環」のおもしろさ

津駒太夫 格調が高い。登場人物がみんなお上品。いちばんやりやすい、やさしいのはお三輪。橘姫は高い調子でキレイにメロディを保ち続けなくてはいけない。求馬は難しい。中音で、軽いイキで、フシ(声)がスゥーと出て、お公家さんの雰囲気が出なくてはいけない。初めてのときはそれが「3ナイ」で、大変だった。

 

清介 三味線はほとんど個人プレーで、合奏があまりない。お三輪はわりと弾きやすい。面白い手がついていて、「わりともうかる」。橘姫はサラサラ速く弾いて、お姫さんの品格と色気を出さなくてはいけない。こんなに速く弾いていいんかなァと思ってしまう。求馬は格調と色気を兼ね備えていないといかん。手踊り(後半の3人揃って踊る部分)になるとホッとする。ちょっと変わった手がついている。

道行を現行上演する場合はカットが多い。カットなしでやってみると、どの道行もそうだが、やっぱりいらんかなと思う。カットする場合は「里の童」が出る。(「道行恋苧環」でどこをカットしているのかは不明。原文からすると詞章は全てやっていると思うが、三味線の演奏そのものを切っているということか?)

 

勘十郎 入門間もない昭和43年に『妹背山』の通しをやったときは、和生さんと、もう辞めましたけど昇二郎*1と一緒に里の童の役をやった。若い人が入ってきたので役をつけてあげようという上の人のおはからい。女の子と男の子2人、浅葱幕の前で踊るというもの。先輩が足、左にきてくれた。その頃16歳……。可愛かった……(しみじみ)。(久堀先生から、その映像がいま出ている妹背山のDVDボックスに収録されていますねと言われ)見られるんですか……!? ……あまりかわいくないかもしれません(?)。

 

 

 

┃ 「鱶七上使の段」について

津駒太夫 面白いですね。鱶七は豪胆者、裏表がないのでやりやすい。自分で「鱶のようによく眠る」と言って、仇の入鹿の家に単身入って行って、下品なことばっかり言う官女とやりとりしたり、槍の上で寝てしまったり。豪胆な輪郭だけを描けばいい。太夫にとっては摑みどころがある。いじわる官女はテクニックがいる。下品なことを言っていても品位が必要。あとはフシをたどっていけばよく、楽しい(このあたり記憶あいまい)

 

清介 前半はお客さんは退屈だと思うが、官女のところで調子が上がる。チャリの入った手が入っていて、やっていておもしろい。太夫では、切場で背山をやっていた人が鱶七に回ることが多い。

 

勘十郎 鱶七は一度だけやらせていただきました。面白い。鱶七の衣装は前半と後半で変わる。後半の衣装には仕掛けがあり、あとで「なおる」。その仕掛けがあるため、そーっと遣わないとどんどん崩れる。仕掛けがない前半は思いっきり遣える。ただ、かしらが「文七」。「文七」は本来抑えて遣う、荒々しく遣わないとされているもの。対して、「団七」は荒々しく遣う大きいかしら。そこさえ守ればOK。

 

 

 

┃ 「金殿の段」について

津駒太夫 なんと言いますか……。なにしろお三輪さんが可哀想で仕方がない。救いようがない。最後言い訳みたいに「あなたのために……」って……、納得できないですよね。添い遂げてこそ愛の成就という今の時代感覚で言うと、納得できかねる。浄瑠璃の眼目を見れば、理屈には合わないけど、それを一生懸命……(やるしかない)。お三輪、金輪五郎、鎌足、どこに焦点を置くのか。金輪五郎は「お国の大事である」という考え、鎌足には深慮がある。橘姫は「金殿」では出てこないですね。四段目の奥(入鹿誅伐の段)には出てくるみたいですけど……。観たことないですけど……。(マジ? そこまで古くない記録映像があった気がするけど)

「金殿」でやりかたの違いがあるのは、主に馬子唄の部分と、「登る階(きざはし)長廊下」の部分。とは言ってもお客さんにはわからない、関係ないレベルですよ。やるほうが「ちょっと違うかなァ」と思うだけ。曲全体からそんな大きく違うことはない。馬子唄も、「拙い」ということが伝われば良い。

 

清介 東風の伸びやか、華やかな曲調。ただ、ヲクリの「出てぞ入りにけり」の言葉に違和感がある。出だしの部分の言葉、普通は「引き」のことが多く、変わってんねんな〜と思う。不思議でしゃーない。なので、「引き分かれてぞ」に変える人もいる。前回〇〇兄さんとやったときは、ヘンだから「引き分かれてぞ」に変えた。(津駒さんも、△△さんも「引分かれてぞ」にしてましたねえ、とコメント。人名聞き取れず)

 

 

 

┃ 鱶七の物語

清介 鱶七が物語を語る部分には、他の浄瑠璃にも引き継がれるオーソドックスな手が多用されている。常套手段の曲がそのまま、当たり前の曲が当たり前についている。照れくさいほどそのまま、段取りしていれば間違いがない。ここでは人形サンが足を踏むので、ゆっくりノって、きっちり調子を取る。大きなノリ間、大間で足に合うように弾かなくてはいけない。速く弾くと人形が足拍子を踏めない、踏む間がなくなる。間を作らなくてはならない。それが勉強になった。『卅三間堂』の木遣音頭も速く弾くと足が合わない。それでいてベタつかないようにしなくてはならない。

 

勘十郎 人形も同じで、金輪五郎は「普通」。物語によくあるオーソドックスな演技がついている。ただ、お三輪を刺した後なので刀を差しておらず、「コジリ」*2ができないので、鹿笛を出し曲に合わせてフリをする独特の演技がある。

 

 

 

┃ お三輪の人形

勘十郎 お三輪は14〜16歳の町娘。「中振袖」で「段鹿の子」の衣装を着ている。これはほかには『伊達娘恋緋鹿子』お七、『桂川連理柵』お半、『新版歌祭文』(のほうかな?)お染が着ている。娘がしら、髪型は「島田」の橋がかかったもので、『艶容女舞衣』お園と同じ。「桃割」に結うこともある。「オシドリ(尻尾みたいな後ろ毛)」、「タケナガ(襟足に差した短冊状の髪飾り)」、町娘がよくつけている「ハナグシ(髷のところに差している飾りつきの櫛)」、「ボンテン(くす玉状のもの)」、「マエザシ(前側に差している小ぶりな飾り)」は花モチーフのもの。

衣装だと「エリゲサ(背中側に下げるよだれかけ状の布)」をつけている。これは上方のお嬢さんがするもので、家の紋などを染めた布に鈴をつけている。お三輪は苧環柄。鈴は勝手にどっか行かないようにですね。文楽では人形遣いが遣いやすいように襟足をまとめて襟に擦らないようにしてあるが、本当は髪がもっと降りていて、襟に擦っている。このとき髪の油で襟が汚れないようにするもの。ただ、「金殿」では動きが大きく髪を捌く演技があるので、外します。

(参考 2016年4月公演でのお三輪)

 

 

 

┃ お三輪独特の演技

勘十郎 「登る階長廊下」の部分では片手遣いになる。これは『桂川』でお半がのれんから出てくるときと同じ。お半は一度家から出て、もう一度家の中に入って、お店の人に見られてへんかなと確認してから出てくる。この演技のときは左遣いに人形の右手を預けて後ろ姿になり、(体を大きく後ろに反らせつつ)左右を見ながら階段を何段か登る。

馬子唄は上手く踊ってはいけないが、つい上手くやろうと思ってしまう。お嬢さんが聞きかじりでやっている設定なので、本来は上手くてはいけない。

官女に引きずり回されるところは、3人いると動きにくいので、「イッチョウ持ち」と言って右手で左手を預かる。お三輪が官女の袴の裾を引っ張ってコケる→左遣いが手を離す→官女に引きずられるテイで一周ドタドタ回る(回転中は主遣い・足遣いのみ)→左遣いが戻る、という手順。<実演>

 

 

 

┃ 鱶七の人形

勘十郎 鱶七から金輪五郎に見顕しをする部分の衣装の引き抜きについて。滑りやすい絹糸を使って、袖・背中にセンバリ(布団針)で仕掛けが留めてある。鱶七の場合は黒い糸。衣装は3パーツに分かれている。手順としてはこう。

  1. 両袖を雑兵のツメ人形が左右から引っ張る
  2. バイマキ(頭に巻いている手ぬぐい)を後ろにいる介錯が取る
  3. お腹の帯紐を引っ張る
  4. 袴が見える
  5. 刀の鞘が落ちる(そういう仕掛けがしてある)
  6. 足遣いが袴を払う

このうち袴を払うのが難しく、足に引っかかって失敗しやすい。

この仕掛けは仕込むのに時間がかかる。本当は明日の授業でお話しするときに実演しようと思ったのだが、その直後に「金殿」の上演があり、15分間の休憩時間だけで仕込むとなると鱶七を遣う玉助くんが大変なことになる(笑)ので、きょうやります。実演>

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正体を金輪五郎と顕すと、「四天(よてん)」になる。「四天」というのは、黄檗宗のお坊さんが着る着物。キラキラで色はいろいろある。ほかにこの「四天」(袖つき四天)を着ているのは、『絵本太功記』瓜献上の四王天田島守など。歌舞伎では舞台上で鎧を着てはならない時期があり、そのとき袖なしの四天を使っていた。文楽では『本朝廿四孝』十種香の白須賀六郎、『近江源氏先陣館』盛綱陣屋の一の注進などが袖なし四天を着ている。

裾にある、化粧まわしについているようなものは「馬簾(ばれん)」。これをうまく使えれば「上手な足遣い」。「馬簾を使うねん!」とよく言われる。

四天は非常に重い衣装。「マネキ」といって左遣いがサシガネに袖を乗せると、衣装の重さが左遣いにかかり、主遣いに重さがかからなくなる。こういうちょっとしたことが重要。<左袖を腕に巻いたり、サシガネに乗せる演技を実演>

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−−−−講義ノートここまで−−−−

津駒さん、清介さんに勘十郎さんも加わり、人形をお持ちいただいてのお話しだった。このお三方、全然タイプが違うというか、全員別々の方向へ向かって全力ダッシュな感じのお話し会になっていましたが、司会の久堀先生は大丈夫だったんでしょうか。技芸員さんって全体的にいろんな意味で姫気質の人が多いような気がして、複数人寄り集まってるともうディズニープリンセス大集合(なんでこいつら同じ時空に存在しちゃってんの!?姫は一時空一人では!?状態)のような混沌になっているときしばしばありますけど、執事的に場を回す司会者の人、本当すごいと思う。執事、気ままな発言をする姫を適度に無視するのがうまい。

勘十郎さんのお話で『出世景清』の観世音の首の仕掛けは簑一郎さんの発案っていうのはへえーっと思った。簑一郎さんて去年の子供向け公演でうんこかぶってたと思うけど(誤解を招く発言)、工夫したり人を喜ばせたりするのがお好きな方なのかな。客席からはわからない特技をお持ちの方ってたくさんいらっしゃるんですね。

勘十郎さんの話の中にある、入門したてのころ道行の頭で「里の童」役をやったという映像、私も観たことがあるが、勘十郎さん可愛いので安心していただきたい。あの映像、和生さんがいまとほとんど変わっていないのが一番びびる。

それと、人形がサシガネに袖を乗っけるのって、袖の形を綺麗に見せる以外にも目的があったんですね。勘十郎さんが簡単に袖のっけのパターンを実演してくれたが、確かにいずれも立役の人形がよくやっている動きだった。でもそうなると左遣いさんたちは、腕を伸ばした状態でそれなりの重量を長時間支えていることになって、大変そうだなと思った。男には、絶対、動いちゃいけないときが、いっぱい、ある、から。

 

次回は勘十郎さんソロ講師で、文楽人形の衣装や着付、ツメ人形の遣い方を解説する「桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて」です。

 

 

 

 

┃ 参考文献

 

┃ 上方文化講座記事INDEX

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旅行記その5。豊島からフェリーで小豆島へ渡った。小豆島、島としてめちゃデカでびっくり。こんな広大な島だったのか……。

 

小豆島が舞台の映画『二十四の瞳』で、教師・高峰秀子が自宅のある町から勤務先の「岬の分教所場」へ渡し船で渡るシーンがあるが、その航路を再現した渡し船があるというので行ってみた。すると、別に定期船が運行しているとかではなく、桟橋(個人用)の看板に書いてある電話番号にかけると船頭さんが迎えに来てくれるというマジモンの渡し舟だった。自力で呼ぶっていうスタンスがすごい。ただの海上タクシーだろ。

でも、実際に町から「岬の分教場」はかなり遠くて、高峰秀子は始めは自転車で通ってる設定なんだけど、それも大変そうだと思った。かなり元気ある。そして、分教場の教え子たちは怪我をした高峰秀子の見舞いに行こうとして、岬から歩いて町まで歩こうとするんだけど、歩きながら「おなかすいた〜」って途中で泣き出しちゃう。映画を観ただけでは単に「かわいいなあ」という感想だったが、実際距離を目の当たりにしてみて、子供達の健気さが身に沁みた。あきらかに小学校低学年の子供が歩ける距離じゃないんだけど、それでも先生に会いにいきたかったんだねえ。

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二十四の瞳映画村

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これが映画の中の分教所。現地で確認できるよう、iTunesStoreで映画を買ってから行ったんだよ!

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内部も再現されています。

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オリーブ公園。オリーブ狩りとかができるのかと思ったら、そういうわけではなかった……。

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フェリーで港近くにあるかどやの大きな工場の横を通ったら、あたり一帯ごま油の匂いがして最高だった。しあわせのくにここにあり。

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*1:吉田昇二郎。勘十郎さん、玉男さんと同期だった人。昭和50年に退座されたが、かなり上手い人だったそう。

*2:刀を持って行う立役の演技