TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 上方文化講座(5)『妹背山婦女庭訓』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介) 大阪市立大学

地下鉄半蔵門駅の押上方面発車メロディが9月13日から文楽の「寿式三番叟」になるらしいです。もし「いつもの出だし」を発車メロディにされたとしたら

「誰かが……、死ぬ…………?」

って感じだから三番叟セレクト正しい。9月公演行かれる方は必聴ですね。

f:id:yomota258:20180821090341j:plain

上方文化講座、お待たせいたしました。ついに技芸員さんのお話パートです。

2日目3限目は久堀先生を司会に、竹本津駒太夫氏、鶴澤清介氏に義太夫としての『妹背山』を語ってもらうというトークショー形式の授業。津駒さん、清介さん、そして勘十郎さんは上方文化講座への長年の貢献によって、今回から大阪市立大学客員教授という待遇になったそうだ。おめでとうございます。

このまとめに関しても、それぞれの方のお話を整理して文章化していることをお断りしておく。

 

『妹背山婦女庭訓』−太夫・三味線の芸(竹本津駒太夫・鶴澤清介)INDEX

 

 


┃ 津駒さん・清介さんの近況

津駒太夫 4〜5月公演『彦山権現誓助剣』の「瓢簞棚の段」はやっていて楽しかった。瓢簞棚は、自分が文楽に入ったころ師匠(竹本津太夫)が語っていた演目。それがすごくて、「あんなんできるかなぁ……」と思っていた。瓢簞棚では、人形の演技も派手で飛び降りもあったりして、そういった「中身のない荒唐無稽な内容」をどう聴かせられるかが大切。語っていてちょっと舞台のほうを見たら、和生さんが鎖鎌を振り回して決めていて、「ふわ〜〜〜❤️おもしろぉ〜い❤️❤️」と思った。しかし滅多に出ない段で、「虫干し狂言」と言われている(笑)。今回は、むかし春子師匠・勝太郎師匠が出演したとき*1にツレ弾きをしていた清治さんに稽古をつけていただいた。清治さんは稽古をしながら、春子師匠のすごさをあらためて実感したと言っていた。

最近の出演で印象に残る舞台は、西宮の白鷹禄水苑で行われた「能楽小鼓と文楽三味線で紡ぐ 海士~玉取り伝説~」。『妹背山』にも登場する藤原淡海が出てくる、謡曲の『海士』*2の前半を能楽師の梅若基徳さんらと一緒に演奏するというもの。わたしたちはお能を「本手」という。わたしらが義太夫でやるとき(ウタイガカリ)はただの能モドキで、本業(本職)にはかなわない。『海士』はお能でも玉取り(玉ノ段)がメインだが、今回はその部分を文楽に譲っていただいた。後半にわたしとお能法華経の文章をやりとりする部分*3もあった。そのうち地味な部分を「文楽のほうでやってください」と言われ、義太夫にできずどうしようもなくて、お能(謡)をそのままやることにした。そうしたら、関西の小鼓の大御所、久田駿一郎センセイがわたしの謡に小鼓を入れてくださって、「ふわ〜〜〜❤️夢かいな〜〜〜❤️❤️」と思った(超嬉しそう)。その前には『安宅』をお能×義太夫コラボでやったことも。そのときも弁慶が勧進帳を読むという一番の見せ場を文楽に譲っていただいた。お能の世界ではこういった特殊な演出をするときはお家元にお伺いを立てなくてはいけないそうだが、大丈夫、大丈夫と言って申請していただいた。白鷹禄水苑ではこの10月末にも、人形は和生さんで『嫗山姥』をやります。

ほかには、6月頭に堺市の南宗寺で語った『生写朝顔話』の「笑い薬」。わたしは口が重いので本公演では絶対にこのようなチャリ場は回ってこないと思っていたが、勘十郎さんが「無茶振りやねんけど、阿古屋の三曲と笑い薬を!」と振ってきた。「笑い薬」ではお客さんは笑ってくれたけど、やってるほうは大変でもう段取りばっか。段取りをこなすだけでいっぱいいっぱいになる(ほんま大変、という表情)。先人の作った段取りを追えばおもしろく出来るが、ただただしんどい! 自分はおもしろくない! でも、横で聴いていたお坊さんに腹をかかえて笑っていただいたので、やってよかった。

 

清介 最近の出演では、この夏に静岡と博多でやった三谷文楽『其礼成心中』が印象的。松竹新喜劇がなくなってから笑って泣いてもらう芝居がなくなった。これはそれを継ぐものだと思う。

それから、蝠聚会。これは三味線弾きが浄瑠璃を語るという会で、ことしで20回目になる。三味線弾きは浄瑠璃をわかっていなければならない。普段は「おおかたこうなんちゃうかいな」と思って弾いていても、自分で語るとなると「ここはこうコレコレでこうなっています」と細かくわかっていないと舞台では務まらんです。第1回のときはもう1週間前から逃げ出したかった。稽古はしていても、舞台でどうなるかはわからなかったから。いまでは20回もやっているので慣れてきて、「だいたいこうしといたらエエ」とわかるようになってきたけど。

自分で浄瑠璃を語るようになってわかったことがある。ふだんの舞台では三味線は太夫さんにずっと気をつけているが、自分が語っていると、まっ……………………………………たく三味線のことに気をつけられない!! 自分が太夫に気を遣うのがアホらしなってきた。むかし、「三味線はココとココとココさえちゃんと弾けば(ポイントを押さえていれば)、あとは適当でエエ」と先輩に言われて「そんなエエ加減なもんかいな?」と思っていたが、本当にそうだった。みなさんもいっぺん語ってみてください。こんな面白いもんありませんので。語っていておもしろいのは、ワルをする役。いじわる官女のイヤミたらしい言い方とか、たまりません(津駒さんと笑いあう)。

 

 


┃ 『妹背山』の思い出

津駒太夫 『妹背山』といえば、やっぱりメインは「山の段」(しみじみ)。とてもじゃないけど、まだ当たった(配役された)ことがない。最近やっと金殿の鱶七。それまでは道行、姫戻りばっか。今回は素浄瑠璃で「杉酒屋」を語らせてもらうが、これは、むかし(現?)呂太夫さん、緑太夫さんらとやっていた勉強会の「若葉会」以来。……だと思う。どっかでやったような気もするけど……。

(清介さんの話を受けて)太夫は三味線をほったらかしにしてやってるわけではないですよ!(笑) 三味線の入り方を聴いて、早かったかな!? 伸びすぎてるのかな!? と、三味線弾きさんに気をつけています。

(久堀先生に促されて床本を取り出し)床本は、頼りにしているような、していないような……。本当は床本にあまり書き込みをしてはいけないが、自分は不安でいっぱい書いてしまう。一回書きだすと止まらない。(久堀先生から床本はご自分で書かれているんですよねと振られ)むかしは本職の本書きの人がいたが、今は自分で書いたり、買ったり。〇〇〇の〇〇〇の前の古本屋*4によく出ている。むかしは8000円とかついていたのが今では価格が下落して3000円くらい。キレイなんが出ていて、でももう全部持っていたりすると、若い人に「買いに行きや!」と言ってあげている。

 

清介 メインはやっぱり「山の段」(同じくしみじみ)。所詮はあそこに尽きますねん。前山はやったことがあるけど、後山はまだない。背山の久我之助の三味線は手が少ないが、難しい。妹山のほうが華やかで楽しい。三段目は難しい。何がイヤて、稽古。本公演の通し稽古は3日間みんな揃ってやる。それの雰囲気のたまらんこと。やってるモンの雰囲気がたまらない舞台稽古は「思うこと」が多い(具体的には言えないけど、という目配せ)。

昔、朝日座で山の段が出たとき*5は毎日大入りが出た。朝日座は1000人くらい入る大きい劇場だったが、毎日超満員。「こんなこと、これからないでェ〜〜〜!!」と言っていた。出演していたのは津太夫師匠と越路師匠。背山の津太夫師匠は180cmとかある大きな人で、その人が手を見台にばたんばたんさして「ワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!(>□<)」。妹山の越路師匠は上品な人やけど、対抗して「ワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!(>◇<)」。お客さんもようわからんけど「ワ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!(>▽<)」(超大喜びで大拍手)と大騒ぎになって、こっちは楽屋で聴いてて「なんや……!?!?!?!?(◎o◎)」。「人間というんはわけわからんことになるんや……」と思った。そして、「あんなんでけるようになるんかなァ〜」と思った。でも、こういうのを聴くと「文楽に入ってよかったなァ」と思う。

四段目はどこやらしてもらってもようできてますねん。ホンマ華やかにようできてます。どこが当たっても面白い。四段目は昔、内山美樹子先生に劇評で「みんな頑張っているが、所詮、簑助(お三輪)の一人舞台である」と書かれた。みんな頑張ってるんやけどなァと思った。

 

 


┃ 「杉酒屋」の床はサラサラと

津駒太夫 ここは「立端場(たてはば)」。「端場」というのはクライマックスに入る導入部のことで、「立」というのはそこから少し独立した場という意味。サラサラ〜っと語って、あまり深く感銘を与えてはいけない。でも、残さなくちゃいけない。淡海は本当に悪いヤツだと思う。お三輪、橘姫ふたりを手玉に取って、お三輪を「こいつ、執念深いでェ!」とはじめから思っていて……。一通りの技量ではできない。最晩年の越路師匠が配役で「どれ取る?」となったとき、他のところを後進に譲って、杉酒屋を取ったというくらいの段。

 

清介 ちょっと三味線がわかりかけてきたころに、エエ節がついているので丁寧に弾かなくてはと思ってお稽古に行ったら、「サラサラしないかん、そんなゆっくり弾いたらいかん」と注意された。(津駒さんの話を受けて)隠居とは言わんけど、力のあるひとが「お楽しみ」でおやりになる段。後輩にいいところをすべて譲って、自分はコレをやる。そこになんともいえない味が出る。こないだ死んだ〇〇さん(聞き取れず)はえらい上手く弾いていた。

 

津駒太夫 (久堀先生から、むかし誰に稽古をつけてもらったのか尋ねられ)どこへ稽古に行っていたか覚えていない(照笑)。清友さん、清介さんが三味線だったことは覚えているけど……。フシカズ言うのが精一杯だった。

 

清介 清治師匠、(先代)燕三師匠、越路師匠のところへ稽古に行った。(どういうところを注意されるのですかと尋ねられ)「どこがどうご注意」やない。ゆっくり楽しんで弾いていてはいけない。「そのまま行ってまいや」と言われる。

 

 

 

┃ 登場人物の語り分け&弾き分け

津駒太夫 お三輪・橘姫の語り分けは、基本的には「スピードを変える」。<実演>
 町娘 なんとやらして なんとや
 姫君 な ん と や ら し て な ん と や
若い娘なので、言葉尻はどちらも上で止める。下げてはいけない。(下げての実演も拝聴したが、下げると確かに年配風になっていた)

 

清介 音ではなしに、間をちょっとだけ変える。お姫さんのほうがちょっとゆっくりになる。それは着物を引きずっているかどうか。外を歩いているんだからお姫さんでも着物を引きずっているわけがないが、芝居なのでそうしなければいけない。<実演 正直素人には聴き分けが難しかった>

 

津駒太夫 求馬は上品な……、烏帽子折とは偽っているが、おのずと高貴な人ということが滲み出なくてはいけない。若男で身分が高い人というのは踏まえる。

 

清介 求馬はお三輪・橘姫の2人を考えておくと、おのずと出てくる(突然のハイレベルすぎるご発言)。

 

津駒太夫 子太郎は滑稽だが「チャリではない」。狂言回し。賢いことも言う。『艶容女舞衣』の「酒屋」の本当にアホな丁稚とは性根が違う。

 

清介 子太郎はノッてリズミカルに弾く。ちょっとだけ踊り間に、軽快に。<ノリノリで実演>

ほかに三味線の手で特徴的な部分、最後に、「飲み口抜け」で酒樽の栓が抜けてお酒がこぼれるところは三味線でその音を表現するが、〇〇師匠(聞き取れず)だけは本当に酒がこぼれるような「ドゥッポドゥッポ」という音を出していた。それ以外の人は「三味線で弾いた酒がこぼれる音」やけど、〇〇師匠は本当に酒がこぼれていた。どうやって弾いているのか、だいたい技法は想像できるが、具体的にどうやっているかはわからず、自分では実際にはできない。<実演 口三味線でw>

 

 

 

┃ 太夫・三味線はどのように稽古しているのか

津駒太夫 (久堀先生から、2人のあいだで問題になることは?と尋ねられ)「杉酒屋」には特にないですね。「金殿」は、やる方によって馬子唄の部分など手数フシ数が違うので、手を統一しなくてはいけない。今回は清介さんの要望で、山城掾×(先代)藤蔵の手に合わせた。「金殿」は頭から終わりまでフシ数が違うものがありますね。

 

清介 「金殿」のバリエーションは3通りあって、マクラから違う。ほかには津太夫×(先代)寛治のものなど。人形遣いでも、直近で「金殿」に出て今回も出るという人でも、床が変わってしまうと全然動けなくなってしまうことがある。稽古のときは、どれにするかを先に決める。そうでないと、バランバランになってしまう。バリエーションのうちどれを演奏するのかは、よっぽど事情がある場合を別にして、「自分にどれが合うか?」を考えて選ぶ。太夫の好みが基本。

 

津駒太夫 なんでこんなに全然違うバリエーションができたのか。馬子唄の部分で太夫が「わざと下手にやったろ!」「伸ばしたろ!」とやって、三味線さんが「……怒」と合わしてくれて、それが残ったのかな〜……?

 

清介 馬子唄はあんまりキレイになってはいけない。「女の子が聞き覚えでやっとるんやで」と教えられた。


−−−−−以降、素浄瑠璃で「杉酒屋の段」を実演−−−−−

 


津駒さん(><)が普通にお話しされているのを初めて聞いたが、あまりにサワヤカでびっくりした。シティボーイが通う大学のマラソン部のサワヤカキャプテン(学業優秀で部員の信頼も厚く、引退後も慕われている。東証一部上場企業に内定済み。みたいな)って感じだった。舞台でのお姿があまりに一生懸命なので、素も一生懸命というか暑苦しい感じの方なのかなと思いきや、自然体で超サワヤカな方であった。サワヤカと3回言ったが本当にサワヤカだった。お話の中に、津駒さんは床本にいっぱい書き込みをしてしまうという話があったが、実際の舞台でも、床真下の席を取ると太夫さんが床本をめくる拍子に客席からもページの内容が見えるけど、たしかになんかびっしり書いてあったな。津駒さんて、大学時代に越路太夫が語っているのをテレビで聴いて国立劇場に入門問い合わせの電話をしたそうだけど、そこでなぜ津太夫の弟子になったのか、不思議だよね。声のタイプがかなり違うし。でも、こないだの6月大阪の尼ヶ崎で、なんとなくわかった気がした。『義経千本桜』でも知盛のところがやりたいらしいし、今後のご活躍の幅が広がるのが楽しみ。

清介さんはイメージ通りで、あまりに思っていた通りすぎておもしろかった。等身大でご自分の気持ちを率直に話される津駒さんに対して、清介さんは芸人さんらしく、お客さんをどんどん楽しませようという方。ご自身の経験とむかしの師匠方の話題を取り混ぜながらの聞きどころもりだくさんなお話で、おおいに笑いを取っておられた。

浄瑠璃の実演は講義室の上手に結構立派な床を設置して行われた。この講座、受講料3日間で3000円なんだけど、もうこれだけで交通費宿泊費含めて完全にモト取れてるよなあ……。贅沢だよ。津駒さんと清介さんの素浄瑠璃があったとして、この値段では聴けないですしねえ……。大阪市の納税者のみなさんありがとうございますという、そういう思いでございます。ほんと、すばらしい舞台であった。津駒さんはやはり単発でもパフォーマンスがかなり安定しているんだなと思わされた。お話からするとベテランになってから杉酒屋を語るのは初めてのご様子だが、まったく感じさせなかった。橘姫もお三輪もかわいかった。

 

次は2日目4限目、このメンツに勘十郎さんが加わってのお話です!

 

 

 

┃ 参考文献

  

┃ 上方文化講座記事INDEX

上方文化講座2018 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

旅行記その4。伊根のあとは大阪へ滞在し、この上方文化講座を受けたあとは岡山の宇野港から旅客船に乗り、瀬戸内海に浮かぶ小島・豊島へ渡る。瀬戸内海の島で最近人気といえば直島だと思うが、直島は去年行ったので今回は豊島へ行ってみた。ノープランだけどアート施設でも回るかあと思っていたら、前日深夜〜当日未明に襲来した台風20号の影響で、のきなみ休館&開館時間後ろ倒しになっていた。結果、3時間ほど島内をレンタルサイクルでサイクリングし、横尾美術館に立ち寄ったくらいだったけど、晴れ渡った瀬戸内海を眺めながら風をきって走るのが楽しかった。アートの島として喧伝されていながらまったくと言っていいほど観光化されておらず、人が普通に生活している小島で、静かでのんびりとした雰囲気がすばらしかった。直島も普通に人が生活している感じがよかったけど、ここはそれ以上に「普通の生活の場」という印象。

車がほとんど通らないので、こんな気持ちいい坂道を自転車でグングン下れる。しかし、豊島の道路は車はあんまり通らないけど、めっちゃカニが爆走しているので、轢き殺さないよう注意が必要。カニ、なんか気持ちデカいし、やたら走り回っている上にめちゃくちゃ動きが速くて怖かった。私、カニまじで無理なんで……。

f:id:yomota258:20180901002254j:plain

数百メートル離れた岬にいるらしい人の声が風に乗ってわずかに聞こえてくる。そんな静かな島。

f:id:yomota258:20180901023419j:image

確実に人の生活の気配がある。観光地めいていない、ごく普通の町並み。

f:id:yomota258:20180901002511j:plain

野良牛ではありません。

f:id:yomota258:20180824101603j:plain

保存保存

*1:1967年(昭和42年)7月朝日座公演か?

*2:謡曲『海士』あらすじ:藤原淡海の息子・房前(ふさざき)の大臣は志度で亡くなったという母を追善するため、讃岐の国・志度の浦を訪れる。そこで出会った海女が語るのは、淡海と、とある海女の物語。かつて淡海は、龍宮に奪われた宝物「面向不背の玉」を取り戻すために身分を隠してこの浦に住んだ。その玉は淡海の妹が唐帝の妃になるにあたって興福寺へ贈られたものであったが、奈良に着く前にこの沖で奪われてしまったのである。その淡海と結ばれた海女がいて、一人の男子を産む。その子がいまの房前の大臣だという。海女は淡海に「龍宮にある玉を取ってきたらこの子を後継として欲しい」と願い、淡海もそれを受け入れる。海女は海底に潜り、志度寺の観世音菩薩に願を立てて八大龍王や悪魚・鰐がうごめく龍宮から玉を奪う。しかし、龍王たちが彼女を追ってくる。海人は死人を忌むという彼らを追い払うため、自らの乳房を掻き切ってそこへ玉を隠し、命綱を引いて海底に倒れ伏す。海上に引き上げられた彼女の体は、悪龍たちの仕業か傷だらけになっていた。海女は嘆き悲しむ淡海に、乳房の中に玉を隠したことを告げて息絶える。「面向不背の玉」はこうして淡海の手元へ戻り、二人のあいだに生まれた子は房前の大臣となったのであった。……このような昔話を語る海女こそ実は房前の大臣の母の亡霊その人で、彼女は房前の大臣に手紙を託し菩提を弔って欲しいと願い、海の中へ沈んでいった。その手紙には、今まで供養がなかったため冥界で迷っていること、孝心があるのならば回向してほしい旨が書かれていた。そこで房前の大臣が法華経を読誦し追善供養を行うと、龍女の姿となった母が現れて喜びの舞を舞う。ついに彼女は仏縁を得て成仏することができたのである。この法要を行った地こそ、今日仏法繁昌の霊地として名高い讃州・志度寺である。ってなんだか浄瑠璃調の説明になっちゃいました。

*3:最後、龍女が舞を舞う部分、通常の演能だと後シテの龍女と地謡が交互に法華経を謡うところのことかと思われる。「深達罪福相 照於十方/微妙浄法身 具相三十二/以八十種好 用荘厳法身/天人所戴仰 龍神咸恭敬 あらありがたやの御経やな……」。妙法蓮華経提婆達多品の一部だそうです。

*4:実際には場所を教えていただけましたが、お若い太夫さんが買いに行かれる店でもあるとのことで、穴場保護?のためここでは秘密とさせていただきます。

*5:1977年(昭和52)4月朝日座公演?