TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 7・8月大阪公演『卅三間堂棟由来』『大塔宮曦鎧』国立文楽劇場

三十三間堂っていくらなんでもあんなにごんぶとな棟木あったっけ。と思ったら、後白河上皇によって造営された当初の三十三間堂は焼失し、いまのものは後嵯峨上皇によって再建されたものだそうだ。(浄瑠璃を鵜呑みにしている人)

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『卅三間堂棟由来』平太郎住家より木遣音頭の段。

まだ寒い早春の頃。熊野の山奥に、信心深い平太郎という男が老母、妻、息子と暮らしていた。その平太郎が熊野権現へのお参りで不在にしているとき、平忠盛の家臣・進ノ蔵人〈吉田勘市〉が家を訪ねてくる。それは熊野参詣していた法皇の危難を救った平太郎の妻・お柳〈吉田和生〉に褒美を取らせるためだった。お柳は遠慮し、平太郎の母〈吉田文昇〉も息子が不在中だからと断ると、武士であった平太郎の父を知っていた蔵人は忠盛に平太郎のことを執り成してくれるという。蔵人は法皇の使いに次の宿へ向かうというが、その用事というのは、法皇の頭痛を治すため、法皇の前世の髑髏がかかっている柳の巨木を切り倒し、都にそれを棟木にした「三十三間堂」というお堂を建てるとのことだった。今日中に柳を切り倒すという蔵人の言葉を聞いたお柳ははっとする。蔵人は褒美の小判を仏前に供え、柳の木のもとへ旅立って行った。

蔵人と入れ替わりに、雪のちらつく中を平太郎〈吉田玉男〉が帰ってくる。母が平太郎を出迎えていると、ふごを肩にかけた粗暴な男〈吉田玉勢〉が家を訪ねてくる。その男、和田四郎は平太郎を不孝者と詰り、お柳をもらい受けたいと迫る。平太郎が断ると、和田はしょってきたふごを投げつけ、自分は畑主であり、平太郎が畑から大根やうどを盗んだのを知っている、代官に触れこむと脅しをかけてくる。平太郎は俯くが、母は金で命を買うこともできると言って先ほど蔵人が置いていった小判を和田に与える。思わぬ収穫に、和田は嬉々として帰っていった。

母が平太郎の土産の粟餅を仏前に備えようと仏間へ去ると、お柳がお神酒の残りをお燗して持ってきて、不思議な話を聞いたと語る。むこうの谷には夫婦となった梛の木と柳の木があり、平太郎と自身は例えていうならその木の仲。梛の木は人間に転生したが、柳の木はいまだ樹木のまま。柳の木は人間の姿となってその男と結ばれ子までなした。しかしいま、法皇のため本体の柳が切り崩されようとしている。命を惜しむつもりはないが、夫や子供と別れるのが悲しいと。平太郎は笑って、お柳がそんなことに泣くことはないと言って盃をあおると、彼女の思いを知らずウトウトと居眠りをはじめるのだった。

お柳は柳の木を打つ斧の音を聞きながら、寝入る夫の枕元で告白する。お柳の正体は、実は件の柳の木であった。前世で誓った契りを果たすため、人の姿となって平太郎のもとへ現れたのだった。5年前、藤原季仲が熊野へ鷹狩りに訪れた際、その鷹につけた紐が柳の木にからまってしまい、家臣たちに切り倒されそうになった。が、偶然通り掛かった平太郎が矢でもって鷹を解き放ち、柳は一命を取り留めた。その恩でお柳は平太郎の妻となり、みどり丸という一子をもうけた。その子ももう5歳となり、お柳がいなくても育つだろう。父の武芸を受け継いで立派に成長してほしい。母は柳の木に帰ると。わっと泣き伏すお柳の声に平太郎が目を覚まし、夢うつつに聞いた話にとまどいながら彼女を抱きしめていると、立ち聞きしていた母とみどり丸〈吉田簑太郎〉も姿を見せる。が、お柳は舞い散る柳の葉とともに姿を消すのであった。母の姿を見失ったみどり丸が泣き叫んでいると、その声に惹かれたのか、精霊の姿となったお柳が姿を現わす。お柳は名残を惜しみつつ、元々朽ちかけていた木、棟木となることも法の縁と、平太郎にせめてもの形見を手渡す。それは柳の木にかかっていた法皇の前世の髑髏だった。これを手柄に出世して欲しいと平太郎に告げると、お柳は再び姿を消してしまう。

平太郎は髑髏を仏間にそなえると、みどり丸とともに柳の木を見に行くと言って出かけようとする。入相の鐘が鳴る中、そろそろと手探りするような平太郎の様子に不審を感じた母が尋ねると、彼はひと月前から鳥目を患っており、夜は目が見えないという。母はみどり丸に火をともした提灯を持たせて雪をしのぐ蓑笠を着せ、二人を送り出すと、ひとり仏間にこもるのであった。

母が仏前で念仏をとなえていると、昼間にやってきた和田四郎が再びズカズカと踏み込んでくる。実は彼は畑主などではなかった。先ほどせしめた小判のような財物がほかにもあるだろうという山賊の本性を現したのだ。これ以上のものはないと言う母に、納戸の荷物をひっくり返していた和田は仏間のいわくありげな髑髏を見つけ、あれは何者かと尋ねる。母はあれは息子の出世のためのもので正体は絶対に言うことはできないと返すが、山賊は池の上に吊るした灯籠の紐に彼女をゆわえつけ、氷地獄のような水の中に落とすぞと脅迫する。そのとき、はるか彼方から提灯のあかりが近づく。驚いた和田は紐を離して家の奥へ隠れ、老母は水の中へ落ちてしまう。

その明かりはみどり丸の持つ提灯の火であった。池に落ちた母の姿に驚く平太郎とみどり丸は急いで引き上げるが、彼女はもう虫の息であった。何者の所業かと尋ねる平太郎に、これは昼に来た畑主を騙る男の仕業だが、この横死も宿業、かくなる上は立派に出世して曾根の苗字を上げて欲しいと告げて母は事切れる。平太郎とみどり丸が嘆いていると、家の奥に隠れていた和田がぬっと姿を現わす。平太郎の目が見えないことをせせら笑い、和田はみどり丸を人質に髑髏の正体を平太郎に吐かせようとする。子供の命には引き換えにできないと平太郎はその髑髏が法皇の前世のものであると答え、みどり丸は父の腕の中に戻る。空にはカラスが数羽飛び去っていった。髑髏をしまい込んだ和田は彼を始末しようと切り掛かる。とそのとき、不思議なことに目の見えないはずの平太郎が和田の段平を受け止める。平太郎の鳥目はにわかに治り、目が見えるようになったならばと平太郎は盗人の刃に鍬で応戦する。ところが和田は、自らの正体は藤原季仲の謀反に与しその軍用金を集めるため山賊夜盗を仮の姿とする鹿島三郎義連であると名乗る。切り掛かってくる鹿島に平太郎も得意の武芸で斬り結び、ついに母の仇・鹿島を倒す。そのとき、冷風が通り過ぎると同時にお柳の声が聞こえる。目が治ったのは平太郎の長年の孝行と信仰心に応じた熊野大権現の霊験である、肌の守りを見てみよと。平太郎がいつも懐に携えている熊野権現の護符を見てみると、そこに描かれていたはずのカラスの姿が一匹もいなくなっていた。平太郎が熊野権現に功徳に感謝していると、鳥のはばたきの音が聞こえ、カラスが飛んでいく姿が。平太郎がふたたび護符を見てみればいつもの通り、カラスが描かれた神符に戻っていた。熊野牛王の護符が盗賊よけとなると言われる御利生はこの通りである。

街道筋では多数の人夫たちが賑やかに木遣り音頭を歌いながら柳の丸太を引いていた。しかし不思議なことに、押せども引けども柳の丸太がちっとも進まなくなってしまう。進ノ蔵人が思い当たることがあると人夫たちを納めていると、武士の姿にあらためた平太郎とみどり丸が現れる。母の霊を慰めるため、みどり丸に綱を引かせて欲しいと懇願する平太郎。蔵人もそれを受け入れ、親子に新宮で船に乗せるまでの道中を任せることに。平太郎は扇をかざして涙にかすれる声で木遣り音頭を歌い、みどり丸は柳に結わえられた綱を引く。すると不思議なことに、数多の人足がいくら引いても動かなかった柳の丸太が動き出し、みどり丸は思わず丸太に抱きついて泣くのであった。このような出来事が、三十三間堂の棟木の由来として語り伝えられている。


落ち着きのある舞台だった。

平太郎の家へ畑主だと言って大根やらウドを背負ってくる和田四郎という登場人物が今回の特別出演キャラのようだ。普段は「いない」人らしい。平太郎はなぜ人の畑のものを盗んでいたのか、和田四郎はなぜそれを知っていたのか。 そのへんはよくわからなかった。和田四郎は平太郎の家に上がり込むとき、ぽんぽんと草履を後ろへ蹴っ飛ばすように粗雑に脱ぐのが良かった。文楽人形はお行儀が良いので、いくら履物を放り出しても帰るときには履かなきゃいけないため、黒衣さんが拾いにいっているのがかわいい。それと、和田四郎がひっくり返す箱に入っている着物2着は、最後の木遣り音頭の段で平太郎とみどり丸が着ている着物なんだね。2回目に観たときに気がついた。

しかしなんで最近玉男様はずっとツインテールなのでしょうか(2回目)。慈悲蔵も、六助も、平太郎も、孝行者で優しくて強い男でお似合いではあるが、フサったツインテール姿をあまりに見すぎて、最後、ポニテの武士姿になったとき、思わず「り、凛々し〜〜〜!!!」とびっくらこいた。玉男さんは人形が横向きになるときの姿が美しくて佳い。個人的には、少し前傾姿勢になって、右肩を落として左肩を引き、客席に少しだけ背面を向けて姿勢を立体的に極める姿が好きである。あとはほのぼのと寝ている姿が好き。最近よくほのぼの寝てるよね。残念ながら今回は屏風の影で寝ている場面は人形を下げてましたが……。今回は鍬を振り回しているところがよかった。和田四郎もあんななまくらそうな刀では鍬に絶対負けると思った。

和生さんのお柳はシックでよかった。かなり落ち着いた優美な人妻という雰囲気だった。平太郎が「北の方」とふざけて言うのが不思議に似合う感じ。抹茶グリーンの普段着姿も、白地に柳の葉柄の精霊姿も美しかった。お柳は突然消える演出があるが、1回目の和生さんがしゃがむことで姿が消えるのも、2回目の門前の忍者屋敷みたいなどんでん返しも、なんだかあまりに自然すぎて客席無反応だった。でもやっぱり枯れかけだから、弱ってる設定なのかな。家事をする所作がすこし力なく感じて、面やつれた雰囲気がある気がした。最後に出てきた柳の丸太は和生さんの繊細で枯淡なお柳のイメージとぜんっっっっっっっ……ぜんかけ離れたものすごいごんぶとぶりで、これが?あれに?なるか!?とびっくりした。あんな柳の巨木って存在しえるの? 屋久杉並みでは。それにしてもお柳のまわりに舞い散る柳の葉が鋭すぎてびびった。柳の葉のような柔らかい素材ではなく、硬い素材でできているようで、しゃしゃしゃっとキレよく螺旋を描くように落下してきて、そのさまは台風時のキョウチクトウの勢いである。かわいそうにおもいっきり刺さってる人がいた。そして和生さんはなんだか髪型がめっちゃキマっていてときめいた(芸と一切関係ない話)。

床では木遣り音頭を演奏され清治さんが素晴らしかった。なんだか、力を入れすぎずに、自由に楽しんで弾いているように感じた。調子が角ばっておらず、少し崩したような、やわらかく、春が訪れたかのような音。優しくふんわりとしたぬくもりで、音がふくらんでいた。太棹三味線ってこんなに暖かい音だったのかと思った。しかしそのぶん、哀切がにじむ。親子の悲しみや蔵人の思いやり、熊野の街道筋の朗らかな雰囲気といったような、情緒そのものが聞こえてくるイメージ。どうやってこの音を出しているのだろうと、お手元を見ていると、清治さんのシワとシミのある枯れ木のような細い指と華奢な手首が見えた。傷んだ手元に、このひとはずっとむかしから三味線を弾いてきた人なんだなあと思った。本当に素晴らしい音だった。普段はずっと人形を見ている私だが、この段は清治さんをじっと見てしまった。

清治さん以外も床は良くて、咲さん燕三ペアも素晴らしかった。咲さんは登場人物の細かい心の動きの描写が素敵だった。ゆっくり聴かせる浄瑠璃に合っていた。そして、燕三さんは本当にいつも相手の人をよく聴いていると思った。燕三さんは普段はかなり咲さんをサポートして弾いていると思うけど……、今回は逆に咲さんが燕三さんを支えている部分も聴けてよかった。

(2018.8.12修正 すみません、ここの部分、配役をおもいっきり間違えて書いてました。×寛治さん→○清治さん。寛治さんは次の『新版歌祭文』野崎村のご出演です。記憶が混濁しまくってました。大変失礼いたしました。)

 

 

 

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法皇の前世の髑髏って何?夢のお告げとは??なんで柳に髑髏ひっかかってるの???なぜ三十三間堂を建てると頭痛が治るの????等、話に謎が多かったので少し調べてみたところ、以下のような説話があるようだ。「長年頭痛に悩まされていた法皇が熊野参詣の折に頭痛平癒を祈願すると、因幡堂の薬師如来に参れとのお告げ。そこで因幡堂にお参りした法皇は次のような霊夢を見た。法皇の前世とは熊野の僧侶で、川の底に沈んでいたその髑髏の下から柳がニョキってきて髑髏が揺れるので頭痛が起こっていると。そこで実際に熊野の川を調べさせると、マジで柳の木に髑髏がひっかかっていたので、この柳を三十三間堂の棟木として使い、髑髏を千手観音の中におさめた」……ってWikipedia調べなので確証はないが、『卅三間堂棟由来』と話がほぼ同じなので、昔は広く知られていた話なのだろう。

 

ところで、最近あまりに暑すぎて、水に落とされる平太郎ママを見て「わ〜、涼しそう〜^^」と思ってしまった。劇中は雪が舞い水が凍てつく早春の設定だが、なんだか羨ましくなってしまった。なんで今公演は季節外れの演目が多いのでしょうか。

 

 

 

『大塔宮曦鎧』六波羅館の段。

鎌倉幕府の執権・北条氏と対立し隠岐に流された後醍醐天皇。その若宮と三位の局は、永井右馬頭宣明の屋敷に預けられていた。

ここは六波羅の御殿。六波羅守護職・常盤駿河守範貞〈人形配役=吉田玉輝〉は、老武士・斎藤太郎左衛門俊行〈吉田玉也〉を呼び出していた。斎藤は天皇方について彼に謀反を勧めた実の娘とそれを知って自害した婿−−その後、娘は討死した−−を見殺しにしながらも忠烈を貫いた義臣である。さて、範貞が斎藤を呼び出した理由はめっちゃアホだった。彼はかねてより三位の局に横恋慕してしょうもない文を送りまくっており、その返事に美しい灯籠を贈られ、描かれた風物を勝手に絵解きしてテンション爆上がりしていた。そのひとつには衣桁に掛けられた波模様の着物、ひとつには秋草の花車が描かれていて、範貞は「袖を片敷き二人寝ん」「焦がれ待つ(松)」と読んでいたのだった。そのオリジナル解説をガン無視の斎藤は、鎌倉方と天皇方の対立が緊迫化しているこの時期に女衒の真似事のような恋の取り持ちなど言語道断、首を討ってこいとの命令ならいつでも参るとつっけんどんに返すのだった。

そこに右馬頭の妻・花園〈吉田勘彌〉が三位の局からの贈り物だという浴衣を持って訪ねてくる。その帆掛船の柄は範貞の恋風を受けて思う港へ焦がれ寄ろうという意味だという花園の言葉に範貞は大喜びして浴衣をクンカクンカペロペロ、斎藤は渋い顔をする。このような返事を寄越しながら三位の局が未だ応じないのはどういうことかと尋ねる範貞に、花園は「二夫にまみえないのは女の義理、天皇隠岐から戻せばそこに若宮を預け、三位の局は範貞の妻になるだろう」と甘言を囁く。バカ殿からどう思う〜?と聞かれた斎藤は、これまで多大な犠牲を払い、ますます対立が激化している今、帝を都に戻すことはあまりに危険である、我が身大事の右馬頭に相談せよと怒鳴りつける。それを聞いた花園は夫を侮辱されたとして激怒、討死した娘がそんなに自慢かと食ってかかる。夫は連歌俳諧に通じた者、無骨者の斎藤が何をと言う花園に、斎藤はそれならばと件の贈り物の絵解きをする。

曰く、まず衣桁に掛けられた波模様の着物は、波が立つのは浦=恨みの念を表しており、「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」という歌にかけた柄であって、夫を流され息子を捕らえられた苦しみ恨みの涙と、範貞に靡くことはないことを表している。次に、華やかな紅葉などのない地味な秋草ばかりの花車は、小野小町のもとに九十九夜通い続けたが、百夜目に大雪に降り込められて死んでしまい、思いを果たせなかった深草少将をうつしたもの。最後に浴衣の帆掛船の柄は、船は入港するときは帆を下ろす、帆を揚げた舟は隠岐の帝に向かっている三位の局の心を示すと。

花園は悔しがり、周囲の人々は斎藤の意外な風雅に驚くが、ブチ切れたのは範貞。小姓〈吉田玉延〉に切子燈籠を持ってこさせ、二人のうち、局への恋心を思い切るこの灯籠の心を読み解いた者は即座に使いに出よと命じる。花園は「帝を呼び返すことはできない、盂蘭盆の精霊となって帰れ」と読み解くが、範貞の真意を見抜いた斎藤は「切子とはすなわち若宮を斬れとのこと、承る」と退出しようとする。預かった若宮を余人に討たれては夫の名折れと斎藤にすがりつく花園、斎藤は構わず立ち去ろうとするが、花園も折れずにしがみついてついに斎藤を引き倒す。彼から切子灯籠を奪った花園は、切子灯籠の使いは夫の役目と言って六波羅を後にするのであった。

今回はみんなの心のおじいちゃん・玉也さんが主役。

範貞、アホだけど面白い人ですね……。恋煩いになっちゃったぁ❤️とか、見て見てこの灯籠好きな人からもらっちゃったぁ❤️とか、恋バナを聞いてもらうために呼び出す相手を完全に間違っているのが最高。黒い大紋着て出仕してくるようなジジイを呼び出すなよ。それともほかの家臣は全員呼び出し尽くしてしまったのだろうか。言動はアホであっても、六波羅を任されるだけある煌びやかさを備えた堂々たる姿で、いかにも玉輝さんって感じでよかった(最近玉輝さんを見ただけで嬉しくなってしまう人)。

花園の気性の激しさが興味深かった。人形の配役が勘彌さんだからか、柔らかな言葉を発していても、どこかツンとして気位が高そうなところがいい。あの「わたくしはおまえらのようなド平民とは違います」感がいいわ。最後、斎藤を引き倒して灯籠を奪っていくのには驚いた。この段の段階では花園がなぜそこまでいきり立つのか、なぜ範貞の機嫌を取るのかわからないところも面白い。

六波羅の御殿にいるツメ人形家臣のひとりの顔がものすごくどうでもよくて最高だった。上手から2番目にいるヤツ。じゃがいもとヒラメの間に生まれた子って感じだった。千穐楽後で申し訳ないが、みんなに見てもらいたいどうでもよさMAXの顔だった。それと範貞が斎藤を「太郎左」って呼んでるのがいいよね。時代劇(?)らしい、そこで止めるんかい的ニックネーム。

 

 

 

身代り音頭の段。

近頃、永井右馬頭の屋敷では、若宮を慰めるため、夜な夜な近所の町人の子を庭に招き入れ、盆踊りをして遊ばせていた。

その日の夕方、右馬頭〈吉田玉志〉がふと若宮〈桐竹勘次郎〉の手習いの短冊を見ると、父を恋い慕う歌が書きつけられており、若宮の泣き声に三位の局〈吉田清五郎〉が姿を見せる。右馬頭は、帝のことは六波羅へ使いにやった花園がきっとうまくやっているだろう、鶴千代とお揃いの浴衣をこしらえておいたので、一緒に着て踊るのが良いでしょうと母子に勧める。鶴千代〈吉田和馬〉とは、若宮と同年輩の右馬頭・花園の一人息子だった。二人は年頃顔かたちは似ていたが、さすがに皇子と一般の武家の子は見れば違いがすぐわかる。機嫌を直した若宮は右馬頭に踊ろ踊ろと催促。右馬頭は遠慮するが、三位の局にも勧められてなかなか達者な踊りを見せる。人々がその意外な隠し芸に喜んでいると、切子灯籠を携えた花園が涙ながらに帰ってくる。「折角範貞を懐柔していたのに斎藤に邪魔をされた、この切子灯籠が返事」と言う花園に三位の局と若宮は心配そうな様子。事態を察した右馬頭は「若宮が行方不明になったという噂があるので、斎藤が灯籠が四方を照らすように日本中を探し回るということだろう」と取り持つ。花園は夫の意図を解し、斎藤が来ても若宮には対面させず鶴千代を代わりに立てる、なので鶴千代は若宮の所作を真似をするようにと息子に教え諭す。三位の局は夫婦に感謝し、若宮と鶴千代を連れて奥の間へ去る。

やがて轡の音が聞こえ、斎藤が右馬頭の館へ到着する。花園は夫に鶴千代を身代わりに立てる気か、ほかに思案がないものかと言うが、右馬頭はこのような差し迫った時に決断できなければ武士ではない、斎藤に不覚を取らせたすきに花園は若宮を大塔宮へ送り届けよ、自らは切腹すると告げる。そして、花園に平然を装えと命じて斎藤を座敷へ通す。現れた斎藤は、花園が先に戻っているからには要件は知っているだろうとして、早速若宮を出すように申し渡す。その様子に鶴千代が若宮になりすまして座敷へ入ってくるが、斎藤は一目で親子の芝居を見抜き、真実の若宮を出せと再度迫る。この子こそ真実の若宮と言い張る右馬頭と彼を斬ってでも若宮を探すという斎藤は一触即発となるが、そのとき三位の局が飛び出してきて斎藤に掴みかかる。三位の局は、かつて内裏に仕えていた斎藤の娘・早咲と土岐頼員が不義によって死罪と極まったところを取りなして夫婦とし、仲人までつとめた恩義を忘れたのかと斎藤を責め立てる。早咲が父斎藤を裏切り天皇方へついて討死したのは、実はこの恩義によるものだった。花園は幼い若宮を討首にするならせめて盆踊りに夢中になっているときにと懇願、斎藤も逃げ回るところを殺すより騙し討ちにしようと承知する。右馬頭も人違いをするなと念押しして、盆踊りがはじまる。

館の庭では、真実の若宮、鶴千代、近所の町人の子たちが輪になって盆踊りを始めていた。拍子を取る花園が唄うのは、主君からその息子を討つことを命じられながらそれが出来ず、自らの子を討ってその首を差し出した仲光の物語。斎藤は踊る子供達にそっと近づき、そのひとりの首を討つが、それは鶴千代でもましてや若宮でもない、見知らぬ子供〈吉田簑之〉であった。三位の局と右馬頭夫妻はそれぞれ自分の子の無事を確認してほっとするも、右馬頭は「若宮を助けたことは殊勝であるが、関係のない町人の子を殺すとは。なぜ鶴千代を斬って私の志を立ててくれなかったのか」と残念がる。しかし、斎藤は「町人の子呼ばわりとは恨めしい」と言う。斎藤が斬ったのは、なんと彼の孫・力若丸であった。斎藤はその場に泣き崩れる。右馬頭が花笠を取ってその首を見ると、髪を結い白粉を引いた武家の子息の姿であった。天皇方の忠臣とは知らず情け知らずと罵ったことを詫びる右馬頭に、斎藤はこれは自分の天皇への忠義ではなく不憫な死を遂げた婿・土岐頼員の子を介した忠節であると言う。そして孫の首に向き合い、武士は畳の上の病死でなく討死が晴技の果報、力若丸を討ったのは六波羅の侍大将・斎藤太郎左衛門利行で名誉なことであると涙ながらに宣言する。やがて上使の立場であることを思い出した斎藤は首を持ってその場を去ろうとするが、三位の局が引き止め、「若宮」の首をそのままでは畏れ多いと袖を与え、斎藤はそれを有り難く受け取る。右馬頭は鶴千代と自らの髻を切り取り、武士を捨てて僧となり、三位の局と若宮の供をして諸国行脚の旅に出ると告げるのだった。

行灯に照らされた薄暗い庭で、盆踊りの歌を悲しげに唄う花園の姿が良かった。六波羅館で見せた宮尾登美子の小説のような気性の激しさとは打って変わった沈んだ表情。人形の顔かたちはいつもそのまま変わることがないはずだが、なんとも情緒があった。

斬った子供は自分の孫だと告白する斎藤の慟哭は玉也さんの独壇場。隙や緩みをまったく見せない直線的な様子から一気に崩れる。それでも武士としての一線は保った強さと、いままで封じてきた娘や孫に対する思いの人間らしい弱さがないまぜになった感情、コントラストが素晴らしかった。所作のトーンはそのもの変えず滲む感情のみを変えて見せている点がよくて……。途中までは『玉藻前曦袂』道春館の金藤次と似ているかなと思ったけど、斎藤はちゃんと首を持って帰っていくのね。自害するかと思った。段切、斎藤がごくわずかに震えているのが良い。

↓突然毎日新聞に出現する玉也さん

 

錦糸さんの談話(っていうかその司会者の解釈)だと、右馬頭は斎藤への対抗心から鶴千代を身代わりに立てようとしたという見方があるようだけど、それだけの気持ちでできるかしら。浄瑠璃で右馬頭は「聡明な男子」とあるし、そういう人が安直な僻み根性から身代わりを考えるのか、疑問。潔癖さ、生真面目ゆえの極論だと思ったけれど。そう思うのは太夫や人形配役の影響ですかね。彼が最後に出家するのは、盆踊りで語られる仲光の説話になぞらえているのだろうか。右馬頭はなにはともあれ、玉志さんが踊るのが最高である。劇中でもカタブツに見えてなかなかうまいという設定であるが、本当にうまかった。普段はまったく踊りそうもない真面目系キラキラキャラ配役が多い玉志さんの意外な姿を見られて興味深かった。文楽サイリウム振ってよかったら振ってた。

 

 

 

 

◼︎

二段分しか上演がないため、話が要点のみで即物的になってしまっているのが残念だけど、配役が良くて面白かった。技芸員さんたちは話の内容を読み込んでいるだろうけど、客は途中からいきなり見るので、むこうのテンションについていけない部分もある。しかし、充実したメンバーの演技や演奏が感情移入や理解を助けてくれた。身代り音頭の段の千歳さん富助さんはことに熱演だった。内容かなり研究されているんだろうなという語りだった。

剛毅なので今回はあらすじを一切確認せず上演を見たが(剛毅すぎ)、斎藤がどの子を斬るのかスリルがあった。文楽の文法上、まず若宮は斬らない。では右馬頭の子を斬るのかといえば、これも文楽の文法上、他人の子は斬らない。斎藤の身内にあたる子供のはず。あの若宮でも鶴千代でもない三人遣いの人形の子供は何者なのか。力若丸が正体不明の謎の子供だと思うのは今回が二段のみの上演だからで、前のほうの段から上演できればもっと前から出てくるみたいだけど(? 斎藤が預かるという展開があるらしい)、斬られた子が誰なのかわからないままで進行するのは右馬頭や三位の局の心境になれて面白かった。

あとは玉也さんの袴が前半と後半で違っていて興味深かった。前半は黒白の細かいギンガムチェックのような柄、後半はレレレのおじさんの着物のような黄土色ベースに茶色格子の柄だった。着替えるのが早い。(芸に関係ない話)

 

 

 

 

この作品には、たくさんの古典の引用が出てくる。

冒頭部分、「都やかなる女あり、車を同じうす、顔蕣の花の如しと謡ふ…」という漢語調の角ばった文章が出てくるが、何だろうと思っていたら『論語』の引用ということである(錦糸さんの談話より)。

斎藤が三位の局から範貞へ贈られた灯籠を絵解きする「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」は百人一首におさめられた相模の歌。

後半には謡曲『仲光』の流用が出てくる。ここは題材となっている仲光の身代わり説話を知っていたのですぐわかってよかったマイセルフ。この謡曲のもとになっている説話はこういう話だ。主君・源(多田)満仲から、寺へ修行に出したにも関わらず武芸にばかり夢中になっている子息・美女御前を討つことを命じられた仲光は、彼の首を刎ねることができずかわりに自らの実子・幸寿丸の首を討って差し出し、美女御前はその菩提を弔うべく修行に励んで立派な僧になる。この話の何が衝撃的って、首討ちに慣れきった身としては身代わりはやるだろうなって感じで理解の範疇なんだけど、「美女御前」がmerなことがいちばんびっくらこく(話がずれまくり)。

浄瑠璃の最後に「人間有為の喜怒哀楽は無情の庭の一踊り、教へて帰る子は仏と悟りて別れ別れけり」とあり、パンフレットの昔の同人誌みたいなページにも記載があるが、身代わりに死ぬ子供=残された親を導く仏の化身と見る観念はもっとはっきり描かれている説話も存在するらしい。仲光の物語より時代が遡る「硯わり説話」と呼ばれる話が『今昔物語集』(平安後期)におさめられており、それは以下のような話である。
左大臣藤原師尹家には秘蔵の硯があり、左大臣家に仕える若い男は書道の心得があったのでこの硯に関心を持っていた。あるとき、男は密かにその硯を見ようとして割ってしまう。男が困っていると左大臣の若君が姿を見せ、私が割ったことにせよと言うので、男は心底嬉しく思う。やがて左大臣は硯が割れていることに気づき、男を問い詰める。責め苛まれた男がつい若君が割ったと言ってしまったので、左大臣は若君を家から追放する。若君は乳母の家に移るが、病を得て亡くなる。その葬儀が終わったころ、左大臣家に喪服姿の男が現れ、真相を語る。左大臣は嘆き悲しみ、男は若君の菩提を弔うため出家する。
この物語だと、身代わりで死ぬ子供はより明確に神仏の化身とみられていて、左大臣が「この児は只人に非ざりけり」と語っていたり、また別の本では、若君は長谷観音の化身であるとされているということだ。(疲れたのでこの話ここで突然終了)
参考文献:大阪市立大学文学研究科「上方文化講座」企画委員会『上方文化講座 菅原伝授手習鑑』和泉書院/2009

 

 

 

第二部の終演後、ぼやーっとロビーを歩いていたら、和生さん・勘十郎さん・玉男さん・勘彌さん・三輪さん・そのほか三味線などの若い子たちが西日本豪雨被害の募金活動をしていたのでまじ仰天した。

こういう募金活動って、ほかの芸能だと、イメージ的には若手花形が(言い方よくないけど)プロモーションを兼ねてやるもんだと思っていたから、和生さん・勘十郎さん・玉男さんが揃って出ているということにまじびっくり。いや、熊本地震のときにも熱心に募金活動をなさっていたのは知っているが、そもそも普段の公演ですらこの三人並ぶことなんてそうそうないのでびっくりである。和生さんや勘彌さんが姫の人形を遣って、募金してくれた人と記念撮影をしていた。あまりにすごいメンバーに、ものすごい人だかりができていた。ほかの時間帯だと燕三さんも出ていたりで本当びっくりした。私が燕三さんや和生さんのような立場なら、地位や名声にふんぞりかえって、こんなことしないと思った。やっても絶対売名のため。若い子にしてもなんだか嬉しそうにやっている。この人たち本当に純粋な気持ちでやってるんだなと思った。玉男様は第三部開演直前までずっと一生懸命声がけなさっていて感動した。各部、ほかにも書ききれないほどたくさんの技芸員さんたちが若い方からベテランの方まで募金活動をされていて、胸を打たれた。

私もわずかばかりながら寄付した。誰もいないときに……(!?!?!?!?)。だって、技芸員さんたちのあまりにピュアな笑顔がまぶしくて、雑菌のついた土足でガラパゴス島に上陸しちゃいけないなと思ったから……。

 

 

 

そんなこんなで2Fロビーで超絶豪華メンバーが募金活動&撮影会をしていたため、1Fロビーのインスタ映えスポットは閑散としていたのであった。

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