TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

麻雀漫画と昭和の日本映画と文楽(人形浄瑠璃)について書くブログ

文楽 7・8月大阪夏休み特別公演『瓜子姫とあまんじゃく』『増補大江山』戻り橋の段 国立文楽劇場

開演前、技芸員さんたちが人形を出して西日本豪雨被害の募金活動をしていて、子供たちは引率の親御さんにお小遣いをもらって募金していた。津國サンがワラワラ寄ってくる子供たちに「ありがとーっ!!!」とほがらかに対応されていた。

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第一部は夏休み公演恒例・親子劇場。歌舞伎では鑑賞教室公演に現代の社会倫理に鑑みて不適切な演目は上演しないという暗黙のルールがあるとの都市伝説(?)があるが、文楽はのびのびと上演し遊ばされているので親殺し子殺し遊女心中なんでもござっている。とはいえ去年の親子劇場の艶笑譚には目を疑ったが、今年はまじめに?やっていた。

 

 

 

『瓜子姫とあまんじゃく』。

山奥でおじいさん〈吉田文哉〉、おばあさん〈桐竹亀次〉と一緒に暮している瓜子姫〈吉田簑紫郎〉は、機織りが大好き。瓜子姫は今日も楽しく機を織り、おじいさんとおばあさんは彼女のこしらえたとびきりの織物を売りに出かけた。その留守の間も瓜子姫が歌を唄いながら機織りしていると、外の様子がなんだかおかしい。ああ、あれは「アマンジャク」だな、と瓜子姫は思った。アマンジャクとは、こちらの言うことをそっくりそのまま真似して返す悪戯者である。人々は山の中を歩いているとしばしばアマンジャクに出くわし、しつこいおうむ返しの悪戯にやきもきさせられた。が、そのアマンジャクの姿を見たことがある者は誰もいないのであった。

ある者は、アマンジャクは「山父」であると言う。山父というのは、山の中で突然声をかけてくる一つ目一本足、毛むくじゃらの顔をしたものである。山父に会ったことのある者は多くもないが少なくもなかった。たとえば……、ある夜、杣の権六〈吉田玉路〉が山小屋で火にあたっていると、山父〈桐竹勘介〉が暗闇からぬっと現れた。権六が「あっ、山父だな」と思って震えていると、山父は人間の言葉で「あっ、山父だなと思っているだな」と声をかけてきた。山父はこちらの思っていることを見透かすことができるのである。ちょうどアマンジャクがこちらの言ったことをおうむ返しするのと同じように、山父は権六が心に思ったことを次々読み当てていく。おそろしさの極まった権六は何も考えないようにしようと思うが、山父はそれをも見透かして「もう何も思うまいと思っているだな」と笑った。しかしそのとき、権六が無意識に火に炙っていた木の枝が跳ねて山父の顔に当たり、予想外の出来事にピギャーとなった山父は「人間は時々思ってもいないことをする」と文句を垂れながらまた闇の中へ帰っていったのだった。

瓜子姫がそんなことを思っているうちに、次第にアマンジャクの返す声の間隔が縮まってきて、ついに家の前にアマンジャク〈吉田玉佳〉が現れる。アマンジャクは扉を激しく打ち叩き、引っ掻いて「あすんべぇや!」としつこく声をかけてくる。瓜子姫は始めは知らんぷりをしていたが、ふらふらとアマンジャクの誘いに乗ってしまい、扉をわずかにあけてしまう。するとアマンジャクはその間からにゅっと腕を差し込み、ガラガラと戸を引きあけて家の中に入ってくるのだった。アマンジャクはなおも執拗に瓜子姫に栗拾いに行こうと誘う。瓜子姫は必死に目を閉じて拒否していたが、アマンジャクは彼女を捕まえて横抱きにして裏山へ跳ね登り、縛り上げて山のてっぺんの柿の木に吊るしてしまった。

さて、瓜子姫の家に戻ったアマンジャクは瓜子姫の着物を着込んで姫に化け、何事もなかったかのように機織りをしながらおじいさんとおばあさんが帰ってくるのを待ち構えていた。ジジババぱっくんちょ計画があまりにうまくいってテンション爆上がりのアマンジャクははしゃいで機織り機をパタパタ。しかし機織りを知らないものだから織物をメチャクチャにしてしまう。瓜子姫は裏の山から「違う〜!!」と思っていたが(そこか!?)アマンジャクはお構いなし。せっかく綺麗に織っていた布をめちゃくちゃにされて残念がる姫の思いを知っているのは、彼女の友達のカラス・トンビ・ニワトリだけなのであった。

そうこうしているうちに、おじいさんとおばあさんが町から帰ってきた。が、家の前に聴こえてくる機織りの音がいつもと違うので二人は不思議に思う。おじいさんとおばあさんは瓜子姫に声をかけるも、それと同時に瓜子姫の友達鳥類三人衆、カラス・トンビ・ニワトリがカアー!!!ピーヒョロ!!!コケー!!!と騒ぎ立てたので、焦ったアマンジャクはうっかり鳥の鳴き声まで真似をしてしまい、正体がバレてしまう。なにがなんだかわからなくなってしまったアマンジャクはおうむ返しが止まらなくなる。挙げ句の果てにジリジリと近づいてきたおじいさんに弱点のシッポをギュウと掴まれたアマンジャクは驚いて飛び上がり、シッポを抱えて恐ろしい速さでむこうの谷へ飛び去っていった。

裏山に吊るされていた瓜子姫はその日のうちにおじいさんとおばあさんに助けられ、また元気に機織り仕事ができるようになった。アマンジャクはむこうの谷からじっとこちらを伺っているが、里に近づいてくることは二度となかった。

なんというか、完全に「日本むかし話」時空となっていた。いや文楽ってエブリタイム日本むかし話なんですけど、あまりに違和感がなさすぎるというか……。自分がこどものころ、「日本むかし話」ってなんだかほかのそれとは匂いが違う、すごく不思議なアニメだと思っていた。奇妙なナレーションが怖いし、奇妙な絵も怖いし、奇妙な話も怖いし。すべてが奇妙で怖くて、繊細で美しいが葉も花も実も鋭く尖ったアザミを思わせるものがあった。いま思うとあれはアートアニメーションなんだなとわかるけど。本作も言葉遣いは普通の浄瑠璃とは少し異なっていて、それこそ「日本むかし話」に近い文芸テイスト(作=木下順二)で、田舎言葉風のセリフながら洗練された雰囲気があって美しかった。

それで思い出したが、以前、『ちからばし』という岡本忠成のパペットアニメを見たことがある。誠実な男が夜の山奥で不思議な女から赤ん坊を預かるという幻想譚だが、これの音楽が清治サンなのである。義太夫三味線ではないんだけど、ナレーションに合わせたシンプルでしかし幻想的な雰囲気のある三味線の伴奏で面白かった。現在流通しているDVDのナレーションは岸田今日子だが、先代呂太夫がナレーションをしているバージョンも存在しているらしい。それを観てみたいな……。で、当代呂太夫さん、ここに出るのでええんか!?と思ったが、声質的にかなりむかし話時空が似合っていて、なるほどと思った。初めはこどもに聞き取りやすくするにはもっと声がばかでかい人がいいんじゃないかしらと思ったけど、抑えた声調が微妙におどろおどろしさを醸し出しているのと、単調にならない語り口のディティールが話に合っていてよかった。ところどころ三味線の音で声がかき消えているのが残念だったが……。

と、いきなり話がそれたが、幕があくといきなり瓜子姫・じじ・ばば・カラス・トンビ・ニワトリが舞台上にひしめいており、情報量がメチャクチャ多い。床にもいっぱい人座ってるし。どこ見たらええねん。初めて文楽を見たとき、「どこを見たらいいかわからないくらい情報量が多い」と感じたのを久しぶりに思い出した。人間はともかく、自由気ままな動きのカラス、トンビ、ニワトリがやばい。ニワトリの妙なリアルさが気色悪かった。

 

いきいきとしたコミカルな動きのアマンジャクが可愛らしい。アマンジャクは童子サイズのちっちゃなお人形で、オレンジのちりめんの肌、髪型はサラサラおかっぱヘアーで、頭にはツノが一本生えていた。ちょっとサイズの大きな田舎風の着物をひっかけている。からだが小さいぶん、おお振りな動き。そして、妖怪だからか、人間の子供とも違った、ディズニーアニメの動物キャラのようなおお振りな動きをしていた。文楽人形はいわゆる「人形劇」、たとえばむかしNHK教育で放送していたようなそれとは動きのセオリーが違うわけだけど、こういう演目だと限りなく両者の「見た目」は接近してしまう。しかし、ピョインと大きく足を上げて跳ねながら扉を打ち叩きまくったり、手足をぐんぐん伸ばしてガサツに機織りをしたりするアマンジャクの動きから、これは文楽だなと思う。瓜子姫に化けたあとのアマンジャクも玉佳さんですかね。けたたましく音を立てて機を織る仕草、私の席は下手だったので背面から見るかたちになったんだけど、後ろ姿アングルからもわかるのびのびとした自由な動きがとても可愛かった。しかしあのシッポはなんなのでしょう。はじめに瓜子姫の家に乗り込んできたときはなかったのに、おじいさんが帰ってきたら突然茶色の長〜いフサフサしたしっぽが生えていて、近くの席のこどもが「あんな長い???????」と素朴すぎるツッコミを入れていた。でもかわいいから許す。

山父は大きなオメメが電気仕掛けでぴっかぴっか光っておこさま客のみなさん大喜びだった。大型の細長い人形の山父は造形が特殊で、ちりめんのカフェオレ色の肌に平たい顔だち、ざんばら髪は黒々と、指は細長く垂れており、薄汚いような濃い墨色のぺなんとした着物を羽織って、華奢な一本足が吊ってあった。そして、ちいさな渋柿の実?がふたつついた細長い杖を持っていた。山父は突然おもむろに正座しだしたのがおもしろかった。文楽のお人形さんて、本当すぐペタンと座っちゃいますよね……。杖は持っているけど、山父は一本足なので一回座ったら立ち上がるのが大儀そうだと思った。そんな山父はリアル火花が飛び散る薪がデコに当たっていてかわいそうだった。

瓜子姫の人形は、禿に使われるような幼い女の子の人形。おかっぱ頭を童女風に結って、黄緑色の着物に足が吊ってあった。実はあんまり活躍しどころがなく、後半は木に下着姿でボーゼンと吊るされっぱなしだが(子供なのでさすがに清十郎さんが小野姫でやったほどの色気はないのです)、健気に機織りする仕草はかわいらしかった。

 

展開上、結構おもしろいのがオチの部分。アマンジャクの失敗の原因となった鳥の鳴き声と「そんだらふうでは、ちがうがな」という声。言葉尻そのものを追うとまるでおじいさんとおばあさんが言ったかのようだけど、そんなはずはない。はたして瓜子姫のおともだちの鳥類たちが姫の心を代弁して喋ったのか。瓜子姫のおともだち三羽ガラス(ってカラスじゃないのもいますが)は予想外の大活躍だった。単に賑やかしで飛んでるわけではなかったのね。ニワトリはなぜか段切で突然寝始め、おじいさんにほうきで叩かれてたのでヨソのニワトリが勝手に侵入してきているのかと思いきや、おばあさんからエサをまいてもらってつついたりしていたので、やっぱりペット(?)なのかもしれない。

しかしアマンジャク、なんで瓜子姫じゃなくてじいさんばあさんを食おうとしたの??? イメージ的には瓜子姫のほうがおいしそうだが、熟成肉とかそういう感覚??? 瓜子姫の正体は瓜だから肉食(?)のアマンジャクには口に合わないんでしょうか??? アマンジャクは最後、下手にある出入り扉(妹背山で両床設置するときに使う出入り口)からぴょこっと顔を出して瓜子姫たちの様子を伺っていて、終演時にはそっと手を振っていた。このサービスにはおこさま客も引率のパパママ客も私も大喜び。

以上、脈絡のない走り書きで失礼。いわゆる「新作」の一種なのであまり期待していなかったけど、話自体も出演者の芸も骨格がしっかりしていたおかげで、聞き応え見応えのある新鮮な作品だった。ぽんぽんとテンポよく話が進んでいくし、舞台転換もすばやくスムーズで飽きなかった。子供向けとして良い作品だと感じた。

 

小ネタ。おこさまがたの素直な反応で一番笑ったのは「くつはいとるー」。文楽人形っておそとに出るときにちゃんと履物はくよね。あれ、本当かわいくて、私も好き。あと、細かいところでいうと、家の奥にかかっているぜんまい渦巻くのれん、ぜんまいの渦巻き具合に通常の演目より勢いがあった。ゴッホの見た悪夢のようなぜんまいだった。

 

 

 

文楽ってなあに?」。

司会の玉翔さんは、自称が「最近中年太りが止まらないけどやっぱり男前」に戻っていた。

定番、人形遣いの仕事を紹介しつつ、舞台に客席のお子さん3人を上げて人形遣いを体験してもらうというレクチャーパート。レクチャーで使う女方の人形はいつものお園さんだったが、立役の人形はこのあとの『増補大江山』で玉翔さんが遣っている左源太を持ってきておられたのが良かった。そうすると、あとで「あのお人形だ」って親しみがわくものね。それと、お園さんで一発ギャグをやってくれておこさま方大喜びだったんですが、私、テレビをまじで一切見ないので本気で何かわからなかったです。あとで検索したところ「ひょっこりはん」という芸人さんの真似だとわかりました。大変勉強になりました。

それにつけても人形遣い体験をしたお子さんがあまりにしっかりしていてびびった。大人でもあそこまできちんとした挨拶のできる人間はそうそういない。最後に一言ずつ感想を求められたおこさまたちは本当にきちんとしていて、

「足遣いの修行は10年かかると聞きましたが、そうなる大変さがわかりました」(←直前の玉翔さんの修行年数の話をちゃんと聞いていて、それを受けて感想を言っている)

「人形は結構重くて大変。これからも頑張ってください」(←これも直前の人形の重量の話を受けている)

と玉翔さんを激励していた。玉翔さんたちの人形の遣い方の説明も熱心に見て聞いていたし、本当に立派。日本の未来は明るいと思った。

 

 


『増補大江山』戻り橋の段。

ある雨上がりの春の夜、渡辺源吾綱〈吉田文司〉は戻り橋のたもとで美しい女・若葉〈吉田簑二郎〉と出会う。一条から五条へ行くのが心細いという若葉に、綱は同伴を申し出る。しかし、戻り橋から覗き込んだ堀川の水面には妖しい鬼女の姿が映っているのだった。やがて愛宕山は北野の森を過ぎたころ、綱は扇折りの娘だという若菜の雅びやかな風情に舞をひとさし所望する。彼女の優美な舞を見た綱は若菜を妻にと申し出るが、不思議なことに若菜は初対面であるはずの綱の名前を知っていた。何者かと綱が髭切丸に手をかけて詰め寄ると、彼女は憤怒の形相となりたちまち姿を変じる。その正体は愛宕山の深奥部に住む悪鬼であった。二人は激しく争って天に駆け上り、ついに綱は悪鬼の片腕を討つのであった。

やはり簑二郎さんはあの北九州の成人式みたいな雲模様のド派手な着付が似合いすぎだと思う。『紅葉狩』の清十郎さんは壊滅的に似合ってなかったのに……。人形の演技としてはもうちょっと気をつけて丁寧にやって欲しいところも多いのだが、あの雲模様の着付が似合いすぎていてどうでもよくなった……。

渡辺綱役の文司さんはなんともいえない味がある。キラキラ系だったり、洗練されてる系の人ではないけれど、雅びやかで上品な雰囲気と土の匂いのする素朴な雰囲気がうまいこと同居していて、地方の伝説的な荒武者、みたいな役が引き立つ。素朴っていうのはモッサリしているのとは違う。奈良京都じゃない地方のお寺で地域の人に大切に守られている仏像とでも言えばいいのかしらん。立地がやばすぎるので参拝客が少なく大寺院のような華麗なしつらいはされていないが、近所のひとが持ってくる香華は絶えなかったり。すがたかたちにも都風とは違った味わいがある。左源太で登場の玉翔さんは凛々しい若武者風で良かった。

そしてまたツレ弾きで使われる八雲(特殊な琴)をよく聞いて、見ておくのを忘れていた。ぬかった。若菜が舞うところで使っているのだと思うが、残念。

 

 

 

今回も子供向けとはいえ通常運転だった。上演時間が短めだったり、子供を喜ばせる工夫はするけど、決して子供騙しはしないのが良い。

終演後、お若い人形遣いさんたちがアマンジャクと山父の人形を出してロビーでグリーティングをしていた。なんで妖怪ふたり!? 瓜子姫のような人間の人形より妖怪のほうが人気があるのでしょうか。おこさまがたは大変喜んでおられて、アマンジャクたちといっしょに写真を撮っていた。アマンジャクはアイドルのチェキ営業のようにおこさまたちの肩に手を置いていた。

しかしこの親子劇場公演、まじでおこさまがどっさりいるのがすごいよね。大阪では文楽の親子向けイベントとして定着してるんですね。親御さんがたも自然体で遊びにきている感じで、文楽の根付きを感じる。なにより、みんなちゃんと観てるし。国立能楽堂だと時々鑑賞教室じゃなくても高校生が観劇してることがあるんですが、そっちは観劇態度悪い子がかなりいて、不真面目な態度をとるのかっこいいと思ってるんだろうけど、ほんと「おこちゃま」だなーと思う。*1大阪のこどもたちは本当にちゃんと観てて本当にえらい。

なお、展示室には今年もアニマル小道具が展示されていた。展示アニマルは『鑓の権三重帷子』に出てくる黒馬と遠見の馬(看板だけど)、『大経師昔暦』のプチな三毛猫、『伽羅先代萩』のチンとスズメ(かご付き)、『妹背山婦女庭訓』で芝六に殺される「爪黒の牝鹿」。鹿は横倒しに展示されていたので黒衣が手を入れる部分も見えるようになっていたのだが、おなかの内部にはサラサラしたクリーム色のキルティングが貼られていて、触り心地がよさそうだった。近くにいたおかあさんと男の子が「しか〜!」「しかが出てくる話があるんだね〜」と話していたので、「そがのいるか🐬を倒すために殺されるしかさんだよ🦌🌸」と教えてあげようかと思った(不審者)。展示パネルには「文楽にはお子様の大好きな動物も出てきますので喜んでもらえるよう展示してます☆」的なことが書かれていた。勘十郎さんも「子供は動物がすき」と断定形でおっしゃってたけど、必ずしもすべての子供が動物好きなわけじゃないだろうと思いつつ、文楽人形は顔が怖すぎなので、たしかにあの中から選ぶなら子供は動物が好きかも、と思い直した。

 

 

 

文楽劇場のとなりのうどん屋で食べたごぼ天うどん。世が世ならお堂を建てて浄瑠璃に残すべきおいしさ。

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*1:ただ、能楽の場合、一般客でも観劇態度の悪い人が歌舞伎や文楽の比じゃなくいる気がしますが。