TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『本朝廿四孝』『義経千本桜』国立劇場小劇場

物語のところで勘助が座る台、前半で狸寝入りするこたつなんだって。わかんねえよ!!

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4月大阪公演の後、浄瑠璃を復習した甲斐あってストーリーを把握してから観ることができたため、浄瑠璃や人形の演技のディティールをよく観察することができた。やっぱりちらしやパンフを読んだだけでは話が難しすぎるよ。周囲の席の人が「ちらしのあらすじの意味が全然わからない」と話していたり、上演中にちらしであらすじを確認している人がいたもの……。宣伝物のあらすじの書き方も工夫が必要だと思う。

 

 

 

桔梗原に登場する「槍弾正」こと越名弾正、文司さんがよかった。槍を振り回す演舞のところの肩関節の可動域のなめらかさ、豪快さ。越名弾正はかしらの通りに荒武者風なんだけど、動きが的確なため、野卑ではない、身分ある豪傑という感じ。手足が美しく伸び、アスリートのような力強さを感じさせる動きだった。大型の人形は肩の可動域の広さや腕の動きの自然さ、伸びやかな美しさが人形の見栄えに影響するように思う。文司さんの人形の動きは、(文司さんの?)見た目に反してわりと速い。フト、東映のヤクザ映画では安藤昇だけアクションシーンで異様に動きが速いことを思い出した。あと、子どもあやしの「いないいないばあ!」が心なしか大阪よりソフトになっておられた。もっと変顔してよ文司さ〜ん。子どもじゃなくてお客さんにはバカウケしていた。

「そんなふうに演技してたんだ!」と思ったのは、景勝〈吉田玉也〉の視線づくり。門のそばにいるときからずっと越路のほうを横目に見ているんだな。横を向いているので客席からは横顔になって見辛いが、視線(人形の目玉の向き)は越路のほうをじいっと見ている。登場する時間の短い役だが、そのぶんこだわりのある細かい所作が面白く、去り際の速いきびすの返し方なども締まっていて格好よかった。でも、玉也さんにしては一瞬役すぎて悲しかった……。

あと、前半の勘十郎さん越路のおばあちゃん度がアップしていた。枯れ木のようなヨボヨボになっていた。そこから後半の簑助さん越路になると急激に小柄で可愛い上品おばあちゃんになるのがなかなか興味深かった。簑助さんの越路は一番最後、打掛姿のお種が死んだ峰松を抱いて入ってきて、悲しみに打ち沈みながらも殊勝なことを言うところで、お種と一緒にじっと悲しげにうつむいていた。

お種〈吉田和生〉は優しい美しさ。彦山権現のほうを見慣れてしまって?、和生さんの娘ぶりも板についてきたなァ(何様?)と思っていたが、お種を見るとやっぱり和生さんてお母さん役が似合うと思った。独特の落ち着き感や優美さが光っていた。

慈悲蔵〈吉田玉男〉のクリアな美しさ。よかったのは桔梗原で子どもを捨てるところで、子どもの顔をじっと見て愛しそうに優しく頬ずりをするところ。ここが慈悲蔵が嘘偽りない姿で我が子と対面できる最後の機会なんですね。しみじみと優しい頬ずりだった。それと、タケノコ掘りに出かけるところで、簑を着て鍬をかつぎ、舞台下手から上手へゆっくり歩いていくところで、踊るように振り返る姿の美しさ。悲しげな姿にはっとさせられた。慈悲蔵は二枚目に使うようなかしらや着物を使っているわけじゃないけど、役柄そのものの持っている透明感が感じられたというか……。慈悲蔵って行動が文楽の中でもブッチギリにやばい部類の人だが、非情になりきれない心の弱さ、言い換えると心の優しさを持っている気がする。それがすごく美しい、人形らしい形で出てると感じた。あとは唐織を家から追い出した後、門扉を縄で結わえてキセルで錠をするところで、門扉の閂(?)に巻く縄の巻きつけ方が大阪より綺麗だった。どういうテク?

 

 

 

床では文字久さんの代役で桔梗原奥に出演された三輪太夫さんがよかった。桔梗原ってどんなところ? 慈悲蔵と高坂弾正、越名弾正はどう違うの? 唐織と入江は? 何人もがいっきに喋り始めたら、あのすすきの野っ原の雰囲気はどう変わる? ということがよくわかった。例えていうと……、若い子が一生懸命語るのが平面の板に彩度の高い油彩で描かれた桔梗原の風景だとしたら、三輪さんの語りは香木を透し彫りにした細密なレリーフで桔梗原の風景を描いている。みたいな感じ。においをかいだり、細かい彫りを時間をかけてじっくり見たり、ライティングを変えて細工をよく確認したりしたい感じ。三輪さんは普段こういうところにはご出演されないので、よりわかるのかもしれない。桔梗原に吹き渡る、寂しく冷え冷えとした風を感じた。

勘助住家後の呂勢太夫さんはとてもよかった。ここ最近の呂勢さんで一番よかったと思う。大阪では実は「一生懸命がんばっておられるのはわかるけど……」と思ったけど、今回東京で千秋楽直前に聞いた呂勢さんは、舞台を引っ張っていくような語りだった。多分、全体のバランス設計が成功しているのだと思う。

 

 

 

襲名披露口上。

メンバーは大阪と変わらず。唐突司会・簑二郎さんの人形遣いとは思えない美声がいかす。そして玉男様が大変ご立派に口上なされていてわたくしは感無量に存じます。和生さんが「三代目玉助さんが弁慶を1日に3度演じたのはわたしたち人形遣いのレジェンドでございます!」とまさかのウケを取りに行ったのが最高だった。そんな和生さん、客席スレスレを見るような微妙な目線のつけかたをされていたので、目が合いそうになってドキドキした。微妙に目を逸らしてくる和生さんvs人が話してるときはその人の目を見なきゃと思っている観客。和生さん勘十郎さんは大阪からお話をアレンジされていて面白かった。玉男様は同じでいいんですっ。簑助さんはお顔色も良く「ふむ!」って感じでお元気そうでよかった。

 

 

以上、個々に書いたけど、個別に光る人はいるが、上演全体としてはまとまりに欠ける印象だった。なんかチグハグというか軸がぶれているというか……。プログラム編成要因(最後に中途半端に「道行初音旅」がついてる)もあるけど、舞台に一体感や締まりがなかった。その点、呂勢さんは散漫になっていた舞台全体を浄瑠璃の世界に引き込んでまとめようとする気概を感じた。

 

 

 

義経千本桜』道行初音旅。

謎のオマケ感で座りが悪い道行初音旅だが、内容は良い。お人形さんがとても可愛い。人形の踊りって、普通の演技とはまた違った才能が必要とされると思う。踊りがうまい人形遣いさんていますよね。人形がひとりでに動いているように見える人。やっぱり勘十郎さんは上手い。狐忠信のゆったりとした優雅な動きが美しい。実際にはケレンがなくとも、踊りだけで十二分に楽しめると思う。

 

 

 

4〜5月は第一部・第二部とも東西で同じ演目だったが、やはり、うまい人というのは2ヶ月の間でうまくなっていくのだなと感じた。先日『女殺油地獄』を3回観た感想を書いたときにも触れたが、うまい人って別にはじめからできるんですね。できるんだけど、回を重ねるごとに演技がどんどん役の性根に接近していって、ディティールが克明になってくる。さらには気温や湿度、匂い、時間の流れまで感じられるようになる。その意味では今回の5月公演は第二部のほうが良かった。

2ヶ月も同じ演目をやっていると(というのを1〜2月、4〜5月の2回も見ると)、向上する人とそうでない人に分かれていくのを感じる。向上する人はかなり向上する。勘十郎さんなどはトークショー等で回による出来のムラや、必ずしも最初のほうが下手で最後が上手いというわけではないとおっしゃっているが、そういった調子の良し悪しとは別の次元の部分で、あっ、この人こないだと違う!この人の中でなにかが変わったんだ!と思うことがあるのだ。それは若い人にでも、ベテランの人にでも感じる。出演者の方はご自分のパフォーマンスをどれだけ客観的にわかるのだろうと思う。色々な意味で、わかんないんだろうけど……。

とにかく私が言いたいのは、丁寧にやって欲しいということである。頑張っているから許すとか、そういう志は私にはありません。頑張ってるもんが見たいときはYoutubeで動物の赤ちゃん動画見てますんで(疲れている人)、よろしくお願いします……。

 

 

 

のぼり。

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お昼は久しぶりに食堂へ行ってみた。予約せず入ったら、このお弁当1種しか選べなかった(1600円)。最後の幕間にはあこがれの桔梗屋信玄餅クレープアイスもいただいた(速攻食ったため写真なし)。すごくおいしかったので、次回も食べたい。

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勘助住家で降った雪。

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